教育を語る・政治を・社会を語る《市民ひとりひとり》


第3弾!《生徒の変化・その2》 '99.11.27.                              

 

さあ、また始めるとしましょうか。プロ教師はいじめ甲斐があります。いじめれた子どもに代っての復讐です。だが、いじめがカイカンにならないよう、ブレーキをかけなければ。

「校内暴力の時代にはまだ意思の疎通があった」(p17〜)

これもタワゴト。現在の状況が如何に最悪かを証明するための過去の持ち上げに過ぎない。

「『最近の生徒はわからなくなった』から、意思の疎通がひじょうにむずかしい。その点、校内暴力の時代には、『生徒がわからない』という感覚はあまりなかったように思う」
「校内暴力が始まったのは二番目の中学校時代、つまり一九八○年ごろのことである」
「しかしそのころ、大多数の生徒はたいていは教師のいうことを聞いたし、授業もきちんと受けていた。(中略)もちろん、やらないこともいっぱいあったし、いうことを聞かないこともあり、私もずいぶん生徒とケンカをしたこともあったが、それでも基本的には、学校というところで学ぼうという姿勢が生徒にはあった」
(p17)

プロ教師が「学ぼうという姿勢があった」と言うと、さも美しく聞こえるが、その「姿勢」とは、テストの点数を取るためのものであり、如何に成績を上げるか、如何に成績を現状維持するかといった姿勢でしかない。裏返して言えば、学校・教師がそのように仕向け、そのような教育(テスト教育)だけを展開してきたということである。その結果の学習塾の大繁栄・大繁盛だったはずである。

20年前どころか、45年も私の中学校時代にも既に高校受験のための補習授業が放課後二時間から三時間行われていた。当時から成績優秀な生徒だけが入れる大学進学校というものが一方にあり。高校進学を希望するが、デキが悪くて、そういった生徒の当然の進路とさせられていたガラの悪い職業高校や商業高校といった学校格差があったにも関わらず、少なくとも中学生の時点では学歴なるものに何ら疑いを持つことなく学歴信仰が完璧に受入れられていた時代であり、みんな一生懸命であった。自分の目指す高校の格がどの辺に位置していようと、進学し、卒業しさえすれば、いわば高卒の学歴を獲得しさえすれば、卒業した高校の格に応じて、それなりに将来が約束されると誰もが信じていた。それはマスコミの「金の卵」というオダテを真に受けて集団就職した中卒者が、その多くは結果的に学歴差別の壁を知ることになるが、バラ色の将来を信じた時代と重なるだろう。

高校に進学しない生徒は補習授業に関しては就職組と称して一つのクラスにまとめられ
、簿記とかソロバンを学ばされていた。彼らの殆どは学校格差上の最低線のガラの悪い職業高校や商業高校に入れるだけの学力からも見放されていた者であり、そのような生徒の一部は不良グループを形成していた。メンバーの内容は完璧に不良である生徒から
、不良がかった生徒、付き合いを断れなくて、ずるずると引きずられて仲間となっている生徒と様々であったが、彼らは進学組と比べて、学校・教師から差別されていると感じていた。だからと言って、彼らが学歴至上主義を信じていなかったわけではない。まるっきりの逆で、一般の生徒と同様に学歴信仰に染まっていたからこそ、そのことに関して除け者にされているという意識が彼らの被差別観を芽生えさせていたのである。いわば学校・教師がテスト教育を通じた選別によって、差別されているというふうに仕向けて、不良行為を自己存在証明としなければならない場所に追いつめたのである。そのような教育を教育としてきた学校・教師が生徒の何を理解していたと言えるのだろうか
。それは現在に至るまで言えることであろう。

確かに「子どもが社会に出て一人前の社会人として生きていく」ためには最低限の読み
・書き・ソロバンといった学力を
「身につける」ことも必要だが、「社会人として」と断るなら、それ以上に社会的責任や社会的使命・社会的義務、さらには自己の可能性の発見とそれへの挑戦といった意識の植えつけが必要のはずである。もしもプロ教師の言うとおりにそのようなことをも「学校の役割」としていた「社会的自立立」教育であったなら、就職組は学歴主義に惑わされることもなく、自分たちは自分たちであると自己を維持することができたはずである。この点からも、プロ教師の「社会的自立」教育が如何に眉つばものなのかは自明である。進学しない生徒も含めて、誰も彼もが学歴主義に同調・従属して、振りまわされていたのである。そして直接的に振りまわしていたのは、勿論学校・教師なのである。

それが当時からの教育の実態であり、プロ教師の言う「学ぼうという姿勢」が決して美しい光景のものではなく、教育というものを全体から見た場合矛盾と差別の上に成り立っていたのである。そのような教育状況に加えて、当時はまだまだ怖い教師の割合が怖くない教師をはるかに上回っていた関係上、当然、「教師が何か言えば、生徒がそれを聞くという」ファシズムな教師対生徒の関係が大勢を占めていて、例え授業が退屈で面白くもなくても、あるいは全然理解できなくても、私語する勇気もなく、時間から時間までじっと我慢して席に座っていたというのが一般的な教室風景だったのである。

またそういった一般的な教室風景が通用したのは、教育自体がただ単に暗記にものを言わす性格のものだったから、テストに関しては一夜漬けか二夜漬けで自分の能力に応じた成績をどうにか確保できたからでもある。いわば教科書の範囲を出ない、教科書の内用をなぞっていくだけの教育に過ぎなかったから、後追いの暗記で済ますことが可能となり、じっと我慢して授業を聞いている振りをすれば、あとはどうにか誤魔化すことのがきたのである。

「日本の学校にはもともと、学力、生活の仕方、人間関係のあり方の三つを身につけさせるという目標があったから、学力だけで生徒を評価するようなことは基本的にはしていない。例えば学力的には低くても、生活態度がしっかりしていれば評価したし、リーダーシップを取って全体をうまくまとめて行動する力があれば、それを高く評価するというように、いろいろな評価の軸があった」(p17)

日本の学校・教師は基本的には「学力」で人間を評価してきた。常に「学力」という価値が学校社会を支配してきた。点数という形で明確に現れる「学力」を人間価値尺度として最優先させてきた。「生活の仕方、人間関係のあり方」は演技可能で、実態は見えにくいばかりではなく、日本の学校・教師は歴史的伝統的に教師から生徒への一方通行形式の「読み・書き・ソロバン」といった技術の取得を基本としていて、生徒の考え・意見・主張を問い、教師自体の考え・意見・主張と闘わせて(言葉の闘わせ)、どう生きるべきか・どうあるべきかといった相互の思想・哲学を高めていく教育習慣がなく、結果としての姿は当然「学力」の植えつけが主体となり、個々の人間性を鍛えていく性格のものではなかったから、「生活の仕方、人間関係のあり方」は方針として掲げた目標とはなり得ても、実体を伴なうことはなかったと言っても過言ではない。そのような教師と生徒の「人間関係のあり方」や、「学力」とそれに対する「生活の仕方、人間関係のあり方」との関係は、今もって日本人の「人間関係のあり方」となっている、上位権威者の強制・支配に対する、下位権威者による言葉の闘わせを持たない無抵抗・無定見な同調・従属の権威主義にのっとった人間関係秩序、及び人格とか知性・教養といった人間の内容よりも、家柄・血筋・社会的地位といった(当然、学歴=「学力」も含まれる)人間の外形を飾るものを権威とする日本人の権威主義的な思考様式にそっくり符合するもので、この点からも「学力」以外に「いろいろな評価の軸があった」とするのは相変わらずの綺麗事に過ぎず、教育荒廃の責任を生徒に転嫁するレトリック以外の何ものでもない。

「ところが、二十年ほど前から、学力だけで人を評価するという考え方が社会のなかで強くなり、これが学校のなかにも入り込んできた。校内暴力はこれに対する一種の反乱ではなかったか、と私は思っている」(p17)

プロ教師のこの言葉も少し言い換えてみよう。戦前は、「軍国主義の考え方が社会の中で強くなり、これが学校の中にも入り込んできた」

その延長に、軍国思想に率先垂範した学校・教師の無定見・無抵抗な同調・従属があり
、その同調・従属を上位権威者の下位権威者に対する強制・支配の人間関係を利用して
、生徒にそっくり振り向けた軍国教育があり、それは社会の風潮の学校領域への侵害に対して何ら防波堤となり得なかった姿でもある。そして再び、
「学力だけで人を評価するという考え方」の学校社会への侵略に対して、それに抵抗するのではなく、かつて国家の他国領土への侵略に見せたのと同じく、その「考え方」を自ら担い、生徒への軍国思想ならぬ学歴思想の鼓吹に積極的に手を貸したのである。いわば学校・教師の社会の支配的な「考え方」への無抵抗・無定見な同調・従属の無節操は60年前と変らぬ川の流れを見せているのである。裏返して言えば、学校・教師はその間ずっと非主体的存在であり続けたということである。非主体的とは自分の意志も判断もなく、責任意識もない状態を言う。そのような非主体的人間が生徒に対して、「生活の仕方」とか、「人間関係のあり方」といったことを口にする資格もなく、口にしたとしても、口先だけのスローガンで終わる結末が必然的に待ち構えているのみであろう。

「一九六○年代の末に、大学生たちが、大学解体を叫び、教師は国家権力の手先であるとして、大学や教師に対してかなり根源的な問いかけをしたが、私は、校内暴力は大学闘争のいわば中学版だったとのではないかという気がしている。
 生徒たちは、学力だけで人間を評価するのはおかしいんじゃないか、ということを言いたかった
。しかし、そのことをうまく表現できなかったから、結局は教師や学校とぶつかるだけで終わってしまったのだと思う。だから当時、一般の生徒たちのあいだには、暴れまわる生徒たちにある種の共感を抱き、支持する雰囲気があったようだ」
(p18)

これも綺麗事。過去の生徒を美しく描いて、現在の生徒を醜いアヒルに見せようとする薄汚いペテンに過ぎない。

まず問題となしなければならないのは、「一般の生徒たち」が、「暴れまわる生徒たちにある種の共感を抱き、支持する雰囲気があった」かどうかよりは、プロ教師自身が現場教師の一人として、どう受止め、どう行動していたがである。勿論、当時から「学力だけで人間を評価するのはおかしい」と認識していた場合の話である。いわば、「一般の生徒たちの」態度を「あったようだ」などと推測形で済ましてしまうことはしないだろう。なぜなら生徒と同じ思いをそのように認識していたのか、どうかが先決問題となる。もし認識していたなら、持っていたとしたら、お互いが間違いだとする既成の学校価値観の打破か、少なくとも改善に向けて何らかの連帯行動を取ったであろうから、ただ単に「結局は教師や学校とぶつかるだけで終わってしまった」という不毛な無収穫状態で終わってしまったということはないはずである。

プロ教師は一度でも「校内暴力」生徒たちに、「暴力はいけないが、君たちが思っていることは間違っていない」と言葉の支援を送ったことがあったのだろうか。「学力だけで人間を評価するのはおかしい」と。そうしていたなら、彼らの思いを主義・主張の形に整える機会を与えることとなり、例え暴力に訴えることになったとしても、主義・主張を通すための意識的行為に高められ、暴力そのものは過激化したとしても、目的化することが避けられ、殆どが自分たちの主義・主張の実現のための手段の範囲内に抑制された状態を保つことができたろう。プロ教師が「校内暴力」「大学闘争の中学版」と言うなら、そのような形を取っていたはずであるし、不毛とは異なる幕切れを迎えたはずである。また生徒たちも、「言いたかった」ことを「言」える表現力を例え不備なものであっても身につけていく方向に進んであろう。そうならなかったのは、「学力だけで人間を評価するのはおかしい」というプロ教師の認識が当初からのものではなく、マスコミや教育関係者の解説を自分なりに整理した後知恵でしかなかったからだろう。

プロ教師は「大学闘争」「根源的な問いかけ」をしたと言っているが、その見方は別問題として、例え教条的な傾向に陥りやすかったとしても、彼らなりの主義・主張――いわば、こうすべきだ・こうあるべきだとする自分たちの言葉を掲げて闘った意識的行為であって、暴力は主義・主張の実現のための手段として用いられたものであった。だが、「校内暴力」は例え「学力だけで人間を評価するのはおかしい」という不当な扱いに対する異議申立ての意識から発した行為であったとしても、それを言葉に表して闘ったものではなく、そのような不当な扱いから生じた、面白くないとか、気に障るとか、差別しているとかの不快感情を晴らすための暴力であり、同じ手段として用いていても
、内容に差があるものだった。
「大学闘争」にしても、にっちもさっちもいかない閉塞的な袋小路に追いつめられると、暴力が目的化する危険性を抱えることになるが、特に不快感情を晴らすための暴力は最初から手段を離れて目的化しやすい。多分「校内暴力
生徒は、「学力だけで人間を評価する」ことに対してどれくらい打撃を与えたかということではなく、俺はあのセンコーを五発も殴ってやったとか、あのセンコーの鼻の骨を折ってやったとか、暴力の成果そのものを誇らしげに語りあったことだろう。これらの点に限っても、「校内暴力」は決して「大学闘争の中学版」とはなり得ない。プロ教師一流の過去の生徒を持ち上げるための過大評価に過ぎない。

大学解体とは何だったのだろう。闘争が挫折し、敗者となってからも、大方の大学生は解体しなかった大学――旧態依然の大学に踏みとどまった。大学闘争の後の大学はレジャーランド化していく。大学闘争の遺産がレジャーランド化というわけだったのである
。「何をしても世の中は変らない」という失望感の意識化された情報を後からの大学生が世代ごとに学習していった結果なのだろう。そしてその延長上に、現在の学力の幼稚化した大学生があるということなのだろう。

大学闘争した大学生が結婚して設けた子どもすら、その思想や精神性を受け継がなかった。親自体が自らの思想や精神性をすっぱりと捨て去り、経済発展の面白愉しい生活にどっぷりとつかった、その精神性のみを遺産としたからに違いない。すっぱりと捨て去ることができたのは、自己の感性や精神に堅固に根づくほどの思想・精神性を備えた大学闘争ではなかったということでもある。例え意識的行為であったとしても、みんなが闘争しているのに、自分だけ参加しないと何を言われるか分からないとか、世間から騒がれていてカッコいいといったことが理由の、いわばその時代の風潮への同調・従属、もしくは流行現象としての側面を抱えた大学闘争だったからだろう。

学級崩壊を演じる子どもたち・生徒たちも決して突然変異的に出現したわけではない。前の生態を受け継いだ今の生態であるはずである。但し、「校内暴力」が当時の学校社会のありように対応する、あるいは敵対する現象であったように、学級崩壊状況も「校内暴力」を別の形で遺産としたものということだけではなく、現在の学校社会のありように対応する、あるいは敵対する現象でもあるはずである。プロ教師は生徒の状況を語ってばかりであってはならないはずである。

だが、プロ教師がもっともらしげに披露したこのお粗末な粉飾の中に、プロ教師が描いてみせているのとは正反対の日本の教育の実態が凝縮された形で顔を覗かせている。勿論、プロ教師自身は鈍感だから、気づきもしないだろう。

まず第一番に、「生徒たち」「学力だけで人間を評価するのはおかしいんじゃないか
、ということを言いたかった」
のに「うまく表現できなかった」ことを問わなければならない。答は簡単である。「言いた」いことを口にする(「表現」する)習慣がなかったからに過ぎない。教師が自分の考え・意見・主張を述べるのに対して生徒が自己の考え・意見・主張を述べる相互的な言葉の闘わせの習慣が学校社会(当然教室)に根づいていたなら、「学力だけで人間を評価するのはおかしいんじゃないか」といったことぐらい、暴力に訴える前に抗議の言葉として口にできたはずである。訴えが訴えとして通用しないと分かった時点で、訴える側は暴力を正当化しうる。第三者から見て、それが独善的なものであったとしてもである。だが、そこにもし言葉の闘わせがあったなら(
勿論入念なものでなければならない)、主義・主張に関してだけではなく、それを通すための手段も独善化を免れる方向に少しでも進むはずである。ナチス体制下のドイツにおいても、軍国主義体制下の戦前の日本においても、オウム真理教の麻原彰晃体制下においても、上位権威者と下位権威者の間に言葉の闘わせがなく、上からの権威主義的な強制・支配とそれに対する下からの唯々諾々の同調・服従のみの意思疎通と上下関係が独善化を手の施しようもないところにまで追いやったはずである。

例え内容は貧弱でも、あるいは独善的なものであっても、誰でも自己の考え・意見・主張を持っているし、それを他人に訴えたい欲求を持っている。それを自然な形で口にできないのは、特定の対象か、特定の習慣によって抑圧状態に置かれているからである。女子生徒が、「土曜日にお菓子を持って」きて、「お弁当が少ないので、これで栄養をとらなくてはいけないからいいでしよ、先生」(p15)といった態度は、授業の内容や教師の姿勢に言いたいことを言えず、抑えつけている代償としての自分の考え・意見・主張の表出ということも考えられないことはない。いわばそういった遠回しな形で自己主張を満たしていたということもあり得る。そういったことはプロ教師にはとても考えられないことだろう。個々の生徒に対するそれぞれの個性や能力に応じた共感能力といったもの――対人感受性の欠如が招いている考えの浅さであろう。

独善性は言葉の闘わせによって、独善の皮が一枚ずつ剥がされていく。

特定の対象にだけではなく、特定の習慣としてもある、言いたいことを言えない抑圧状況とは、言葉を用いたコミュニケーションに関して自由な雰囲気が閉ざされた状況――言葉の闘わせが排除された状況を言い、言葉の闘わせがない以上、知識の授受が既成の知識をなぞって伝え、生徒がそれをなぞって受止めていくその繰返しとなる宿命的構造を必然的に抱えることになる。いわば、日本の学校教育が歴史的伝統的に上位権威者である教師が下位権威者である生徒に対して権威主義的な強制・支配で知識をあるがままに植えつける一方通行構造なのを暴露するものである。いわばプロ教師は「校内暴力」世代の生徒を持ち上げようと意図した積もりが、語るに落ちる形で自分が普段描いて見せている日本の教育とは正反対の実際の姿を曝してしまったのである。それはあたかも手品師が夢の中でシルクハットからハトを取り出そうとして、心の反映としてあるカラスを出してしまったようなもので、プロ教師が実際は日本の否定的教育状況を自ら演じている当事者の一人であることを反映した、意図せぬ露出であろう。

また、言葉の闘わせの排除された教育からは「生活の仕方」とか、「人間関係のあり方
といった教育は成り立たない。なぜなら「生活の仕方」「人間関係のあり方」も、人それぞれの価値観や可能性、あるいは能力に左右されるもので、それらは相互的な言葉の闘わせによって合理性や多様性を獲得する道筋をたどるのであって、言葉の闘わせによる発展した言葉を不在とした「人間関系」――いわば相互にそれぞれの考え・意見
・主張を述べ合わない
「人間関係」からは、あるべき「あり方」は望めはしないからである。この点からも、「学力」だけで「評価」しないとか、「いろいろな評価の軸があった」とするプロ教師の言い分がすべて学校・教師には責任はないとする虚構に過ぎないことの追加証拠となるものでしかない。

「校内暴力グループはある意味で自治的な集団だった。その行動の仕方は、明らかに反社会的であり、学校と対立するようなことがいっぱいあったが、彼らなりの行動のやり方、つまり掟とか倫理があったのである。もちろん私たち教師はそれを認めることはできなかったが、ケンカの土俵は成り立っていた。いまにして思えば、当時はたいへんだったが、ケンカがちゃんと成立していただけよかったという気がしている。」(p18)

持ち上げもここまでくれば、さすがプロ教師と感心しないわけにはいかない。但し、同時にプロ教師の意識の低さ・感性の貧弱さを暴露するものである。

いじめもグループを形成すれば、それが特定の個人による単独指導体制であっても、集団指導体制であっても、「自治的集団」と化す。万引きも単独ではなく、グループでやらかすことが常態となれば、自然と「自治的集団」となる。世界に悪名を馳せている日本の「反社会的」ヤクザ集団にしたって、それなりの「自治的集団」である。集団を形成することになれば、その集団を維持するための、その集団なりの行動規準となる「掟とか倫理」、が張りめぐらされることになる。いわば「自治的集団」なのは「校内暴力グループ」に限ったことではないということであり、如何に持ち上げに過ぎないかの証拠となるだけのことでしかない。

それにしても、「校内暴力」行為とそれへの学校・教師側の対応関係を、「ケンカの土俵は成り立っていた」とか、「ケンカがちゃんと成立していた」といったふうに、ケンカのレベルで把えている感覚の低さからは、生徒たちの「学力だけで人間を評価するのはおかしい」という認識への共感も、連帯もいささかも窺うことはできない。生徒の異議申立てに対してプロ教師がそれを否定する立場に立っていたとしても、双方の攻防・確執を「ケンカ」と見なされていたのでは、生徒はやりきれないだろう。いわばプロ教師は当時、生徒の何も理解していなかったし、プロ教師自身も、「校内暴力」が何であるのか、その本質を何も認識していなかったのである。「一般の生徒たち」が、「暴れまわる生徒たちにある種の共感を抱き、支持する雰囲気があった」といった認識も後知恵でしかなかったことの証明ともなるだろう。ただ単に生徒の問題行動の後を追いかけ
、その場を取り繕うというその場しのぎを繰返していただけのことで、そのようなその場誤魔化しの対症療法が後のいじめや学級荒廃につながることになったのである。

「たとえば、たばこを喫っているところに行って、やめなさいと注意しても彼らは『はい』とは言わない。そこでケンカになるのだが、生徒たちは最後までそこにいて教師ととことんやり合うようなことをしないで、途中で『おう、行こうぜ』と言って、引くところは引いてくれた。
 情けない話だが、教師の力で彼らの行動をやめさせることなどとてもできることではなかった。ここは学校で、みんなが見ているので困るから、ともかく出ていってくれと頼んでやっと動いてくれたのである」
(p18)

喫煙そのものをやめさせることができずに、「ここは学校で、みんなが見ているので困るから、出ていってくれと頼んで」解決を図る方法自体がその場を取り繕い、その場をしのいでいく生活指導なのを如実に物語っている。このような生活指導からはプロ教師が得意げに物語る「社会的自立」教育は微塵も見えてこないばかりか、上位権威者として振舞っている教師がその行動様式の土台としている日常普段の強制・支配が一般生徒には通じても、同じく下位権威者に位置づけているはずの「校内暴力」生徒にはその強面ゆえに通じなくて、強制・支配を引っ込め、それに代る「頼」みを取引きの手段としたのは(まさしく指導ではなく、取引きでしかない)、学校教育者とは名ばかりの、相手の虚栄心に訴える手続きを踏んだに過ぎない。生徒は、「あのセンコーが頼んだから出てきてやったんだ」と自慢げに自己行為を勲章としたはずである。

生徒の側の取引きの成果は虚栄心を満たしただけではなく、人目のないところでの喫煙の公認化の獲得であろう。だが、喫煙が「学力だけで人間を評価するのはおかしい」という意識から発した学校・教師に対する異議申立て行為の一つであるなら、例えそのことを「うまく表現できなかった」としても、「頼」まれて簡単に引き下がるようでは、「中学版」どころか、「幼稚園版」ともならないヤワな対応としか言いようがない。生徒たちは学力では証明できない自己存在証明を喫煙や暴力行為で証明し、そのように証明するだけで満足していたのであり、そうであるからこそ「頼」まれて簡単に引き下がることができたのである。

教師は喫煙生徒を見掛けてからではなく、いつかは喫煙を自己活躍の手段とし、それをもって自己存在証明とする生徒が出現することを前以って考慮し、「法律では未成年者に禁止されているタバコを喫って、自分では凄いと思う生徒が毎年何人かは出現するが
、もっとましなことで自分の凄さを証明すべきだと思わないか?」と常々問いかけ、生徒の意見を聞くという言葉の闘わせの習慣を作り、そのことによっても禁止行為に関する自意識を深める機会を準備すべきだろう。もっとも問題行動に走る生徒は一般的にテストの成績で活躍の機会を見出せない生徒であるから、学力を人間価値の尺度とする価値観から少なくとも一歩距離を置いていなければならない。いわば学力のみの可能性に価値を置くのではなく、他の様々な可能性に関しても価値を認める姿勢がなくてはならない。

「学力はテストの成績で計らなければならないから、テストはやめるわけにはいかないし、席次もテストの成績で決めなければならない。だからと言って、テストの成績で人格とか人間性とかの人間の内容が分かるわけではないし、それだけで人間の価値が決定するわけでもない。当然、テストの成績だけが社会に出て役立つ武器になるとは限らない。だから、もしいくら努力しても勉強が嫌いだったり、成績が上がらなかったら、先生は勉強などしなくてもいいと思っている。もしマンガが好きで、マンガに関係することで世の中に出たいと思うなら、授業中に勉強しないでマンガを読んでいても差し支えないと思っている。授業が面白くないという理由だけでマンガを選ぶのは困る。自分が何に興味があるのか、何をしたいのか、それを突き止め、その可能性に関係することに時間を当てるべきではないか?例えテストの成績で大学に入り、会社に入ったとしても、いい仕事をするには最終的には学校の勉強よりは、感性とか想像力が決め手となるからだ。仕事上の知識など、必要になってから身につけても遅くはない。だが、感性とか想像力は必要になってから身につけようとしても追いつくものではない。子どもの頃から、あるいは極端なことを言えば赤ん坊の頃から、親や教師といった身近な人間の手助けも借りて関心を示したり、興味を持ったりした事柄を追求していく過程で身についていくものだからだ。例えば太陽が夕方頃西に沈む時間を迎えると真っ赤に色づく。そのことに疑問を持ち、それを調べる過程で太陽に対する様々な思いが生まれたとき、その思いはそのまま感性・想像力へとつながっていく。太陽が東から昇り、西に沈むなんていう知識からだけでは感性や想像力は生まれてこない。太陽に対する思いが地球や他の惑星に対する思い、さらには宇宙そのものへの思いに広がって、感性や想像力も広がっていく。何かに対して興味や関心を持つということは、自分自身の中にその何かと響き合うものがあるからで、大袈裟に言えば自分自身の命とその何かが持っている命とが見えない糸で結ばれるということで、興味や関心の気持をこそ大切にしなければならない。興味や関心の気持を育む過程で対象に対する思いが芽生え、それが感性・想像力を引き出していく。例えそれが学校の勉強であったとしても、なかったとしてもだ」

「価値観の多様化」とか、「多様な可能性」といったこと(=「学力だけで人間を評価
することへの拒絶)を言うなら、「教師が何か言えば、生徒がそれを聞くという関係
」ではなく、他の生徒に迷惑をかけない範囲内での、生徒自身が興味や関心を持った事柄への取り組みを例え授業中であっても、またそれが授業内容に無関係なものであっても、許す関係をこそ、望むべきではないだろうか。
「教師が何か言えば、生徒がそれを聞くという関係」は、かつて右を向けと言われれば右を向いたように、可能性や価値観を限定、もしくは固定すること以外の何ものでもない。そのような「関係」を望むプロ教師に、「いろいろな評価の軸」があろうはずはないのである。自分の決めた「軸」でしかないだろう。

「校内暴力」グループの中には、三年生の受験シーズンを迎える時期になると、「まわりの生徒がみんな高校をめざしているのを見て、ぐらついてきたのだろう」「動揺する生徒が出てきた」(p19)そうだ。プロ教師は相談を受けたときの模様を次のように美しく描いている。

「その際かなりきびしいことを言わざるをえなかった。――自分たちの仲間関係のなかでいままで生きてきたのが、高校に行きたいためにそれを裏切るのだから、そう簡単には抜けることはできないだろう。当然リンチも覚悟しないといけない。私は教師だから
、グループの番を張っている生徒に話して、おまえを抜けさせてくれと頼んでみても、むこうは『はい』って言うわけにはいかないだろう――
 それでもある生徒は抜けますといって、夜仲間のところへ出かけていった。案の定、顔が膨れあがるほど殴られたが、自分の意思を通して抜けていった。これはすごく勇気がいることだし、人間としてもずいぶん立派な態度だった。私に同じことができただろうか。また、殴る方も大怪我をさせたり、まして殺すほどのことはしなかった」
(p19.20)

「動揺」「学力だけで人間を評価する」学校価値観への自己の売り渡しであり、既成の価値観に対する反抗・異議申立てが自己利害をおびやかさない場合を条件としたものであることの証明だろう。

「殴る方も大怪我をさせたり、まして殺すほどのことはしなかった」とは的外れも見事な大袈裟な物言いである。神戸事件や中学生の女性教師ナイフ刺殺事件が頭にあったろうが、社会的情報が質・量ともに二十年前は現在程センセーショナルなものではなく、まだまだ穏やかな傾向にあり、節度も現在よりも弁えていて(性情報を比較しただけでも、簡単に理解できることである。女性のヘアヌード写真はまだ解禁されていなかった
)、未成年者の一般的な他者攻撃パターン、あるいは復讐パターンに半殺しや殺しの方式はインプットされていなかった時代だったからに過ぎない。また親や教師が現在よりもずっと怖い時代で、自分が犯したことが露見した場合の相手の親や教師が下すであろう叱責や懲罰を前以って怖れて、自分にタガをはめていたことの影響もあるだろう。現在の中学生や高校生に、「誰かを殺したいと思ったことがあるか」と質問したら、多くの生徒が「思った」と答えるはずである。

例えプロ教師が「頼んでみても」、見栄から素直に「『はい』って言」わないだろうことは分かっていても、抜けたい生徒に代って説得するのが学校教育者のはずである。それとも、「『はい』って言」わないだろうで済ますのがプロ教師中のプロ教師なのだろうか。

例え直接的に説得に当たらなくても、高校入試のシーズンを迎える時期になると、番長グループから抜け出したい生徒が出てくる現象はほぼ毎年であることを自分の情報としていなければならないはずで、例えその時期ではなくても、「自分の意志から入ることを決めた会社が実際は自分の性格に合わなかったり、自分の才能を生かせないと気づいたりして、やめたいと経営者に申し出たところ、自分で決めて入った会社だろうから、やめてはならないと言われたら、君たちはどうする?」といった質問をすべての生徒に向けることで、一般論として間接的に話して聞かせる手もあるはずである。

「憲法は職業選択の自由を保障している。自分の好きな職業を自分で選択することも拒否することも自由であることを保障した権利のことだ。入社試験や面接、さらに合格通知を経て入社を承諾するという正当な手続きを踏んで自分の意志に従って籍を置いた会社であっても、誰の強制も受けないものであったなら、いわば自分の意志でやめたいと思ったなら、やめてはならないと止める権利は誰にもない。やめたいと言い出した人間が男で、その男に妻かいて、あなたがやめたら、これから私たちの生活はどうなるのと気持を翻させようとすることはできるが、最終的に決めるのは本人であり、本人の権利としてあるものなのだ。それは何かのグループでも同じことだ。誰かが仲間を抜け出したいと言い出したら、誰にも止める権利はない。それは職業の自由に関する権利ではなく、思想・信教の自由に関する権利に入るだろう。誰の仲間になりたいか、なりたくないかはそれぞれの趣味や性格、あるいは考え方の一致や不一致によって決まっていくもので、人間は一生趣味や考え方、あるいは性格さえもが変らないということはなく、変れば当然同じ趣味や考え方や性格の人間と仲間になろうとする。いわば仲間も変っていくのだ。それが自然な姿なのに、あいつは仲間を抜け出そうとしている、面白くないから、イッパツかましてやろうかとリンチを加えたり、ありもしない陰口を言いふらして悪者にしたりする権利は誰にもない。みんな、自分が仲間を抜け出したくなった場合と
、誰かに仲間を抜け出したいと言われた場合、自分がどういう態度を取るだろうか考えてみたまえ。何かされることを怖れて、仲間を抜けたいと言い出せないでいるのは自分から思想・信教の権利を放棄するものだ。仲間を抜け出したいという人間を暴力や威しで強制的に踏みとどまらせようとするのは他人の思想・信教の自由を侵すもので、誰にもそんな権利はない」

もしこのようなことを日常普段から生徒に語りかけていたなら、「『はい』って言」わないだろうだけで済ますことはできないだろうし、結果的に抜け出そうとする生徒にリンチを加えることが起こったとしても、リンチを加えた生徒の抱える自意識は何も語りかけない場合とでは格段の差が出てくるはずである。教師は今度はその自意識に語りかければいい。「君はあの生徒の思想・信教の自由を侵すという、してはならない間違いを仕出かした。君は先生が言ったように、逆の立場に立たされたときのことを考えたはずではなかったのか?」と。

プロ教師は「グループの全員を」「卒業式に出席させようとがんばった理由の一つに、彼らを除外してやった場合、卒業式そのものが妨害されるという心配があった」(p.20)と言っている。

ここにもプロ教師の、その場を取り繕うことだけを最優先させる姿勢が窺える。学校教育者とは如何に名ばかりか、暴露するものである。このような卒業式対策は株主総会への妨害を恐れて、総会屋にカネを渡して取り込むその場しのぎの総会屋対策のごくごくひな形に当たるだろう。裏返して言えば、学校・教師のこのような事勿れ主義の態度が企業上層部の総会屋に対する事勿れな態度につながっているのである。これも強く出る人間には馴れ合い(同調・服従し)、下の立場の人間には強い態度を示す権威主義の行動様式からきているもので、権威主義の行動様式が日本の社会全体を如何に覆っていることを示すものであろう。

卒業式は「学力で人間を評価する」学校価値観に準じた生徒にとっては記念すべき儀式ではあるが、背を向けた生徒には嫌悪し、無視すべき儀式であるはずである。背を向けた生徒が出席することも、学校・教師側が出席を求めることも誤魔化しを行うに等しい
。最後の土壇場での妥協は、
「大学闘争」の大学生たちが敵であるはずの資本主義の牙城である企業に順次職を求めていった妥協と同レベルのもので、その点に関してのみ、「校内暴力」「大学闘争の中学版」だと言える。

日本人の精神性は内容を問うよりも、表面的な調和を重視し、それを功績とする。「誰一人欠席する者もなく、全員参加の卒業式を無事開くことができました」とか、「脱落者を一人も出すことなく、全員が無事卒業にこぎつけることができたのはこの上なくめでたいことで」といった式での校長とかの言葉にそのことが表れている。だからこそ、いじめ自殺が起きても、自ら進んでは事実確認を行わない事態が生じるのである。親とか警察とかが動かぬ証拠とやらを突きつけて初めて、認める以外に道がないことを悟り
、いわば追いつめられた形で事実を受入れる。いじめ自殺といった学校社会にあるまじきこととされている事態が学校や校長の名誉・経歴といった表面的な安泰・調和に波紋を起こすことを怖れての回避行動なのである。警察上層部が警察内部の不祥事を隠したり、内々に処理したりする態度も、警察という組織全体、及び個々の幹部の表面的な安泰・調和を守ろうとするものであろう。

いずれにしても、プロ教師の対生徒の一つ一つの行動・姿勢からは「学力で人間を評価する
学校価値観へのどのような視線も感じることができない。言うことと実際行動が常にかけ離れている。プロ教師自身はそのことに何一つ気づいていない。それでいてプロ教師でございますと名乗っていられるのだから、ある意味では世界一の幸せ者なのかもしれない。

卒業式に出席した「校内暴力」グループは「まだ眉毛を剃ったり、学生服も長くでだぶだぶのをきているという状態」で、「来賓の一人が、式の最中に突然立ち上がって、一人の生徒のところに行き、『おまえ、なんていう服装をしてるんだ』と怒鳴りつける」(p20)一幕が起こった。

「私は、文句をつけた人には俺のほうでなんとか話をつける。おまえは興奮しているようだからとりあえず教室に入っていろ、と言い、生徒は素直に教室に入っていった。
 学校には学校のいきさつがあり、第三者が見ておかしいことでも、大げさに言えば、それまでの歴史的経緯というものがある。そんないきさつを知らずに、そのときの現象だけを見て攻撃されても困るのである。」
(p21)
 
その来賓を「外に連れ出し」「『なんてことをしてくれたんです』と大声で怒鳴りつけた。当然相手もカッとなってケンカになった。
 来賓が『ああいう服装で式に出すなんてとんでもない話だ』と言うので、私は、あなたは学校の式に対していちいち文句をつける立場にはありません。学校と言うのは、教育委員会からの指導は受けますが、地区の人が直接生徒を指導することはできないのです。よけいなことはしないでください』と応じた。
来賓は『俺はもう帰る。覚えていろ、問題にしてやるからな』と言い、私は『けっこうです、お帰りください』と応じて、その人を追い出す形となった」
(p21.22)

「学校には学校のいきさつがあ」ると言っているのは、対生徒との様々な確執に始まって、「卒業式」「妨害される」のを怖れて「何とか式に出るように説得した」(p20)プロセスを言うのだろうが、その実態たるや、「校内暴力」「大学闘争の中学版」だという認識を持ちながら、そのような認識に従った行動とは何一つ縁のない、その場の取り繕いとその場しのぎの反復と積み重ねでしかなく、それをもって「歴史的経緯」とするのは「大げさ」を越えて、プロ教師ならではの厚かましさだと感心しないわけにはいかない。

確かに来賓は非常識な態度を取った。だが、その非常識に学校だけではなく、プロ教師自身も助けられている。「地区の人間が直接生徒を指導」できないわけではないだろう
。但し、時と場合を心得なければならない。路上でタバコを喫っていたといった場合ならともかく、卒業式という公式の場で生徒のところにまで行き、
「怒鳴りつけ」るといった行為が許されるはずのものではないことは理解できる。だが、来賓が生徒に対して取った態度とプロ教師の来賓に対して取った態度とではたいして差はない。「学校には学校のいきさつがあ」ると言うなら、その「いきさつ」を説明して、納得を求めるのが筋と言うものだろう。学校教育者でありながら、相手に得心のいく言葉を用いず(言葉の闘わせを行わず)、感情的に怒鳴るだけでは、「学力だけで人間を評価する」ことへの異議申立てに暴力を用いる「校内暴力」生徒ともその態度に差はないとしか言いようがない。「当然相手もカッとなってケンカになった」と、ケンカの状態に持っていくことがさも立派なことであるかのように披露しているが、裏返せば、プロ教師が如何に言葉が貧弱かを自分から証明していることにもなる。犬に譬えれば、やたらと吠え立てる駄犬と言ったところだろう。但し、犬は言葉を持っていないのだから、吠えても許される。

来賓は校長などを通して、「あのような服装をしている生徒の出席を許しているのは、なせなのか?」と問うべきだったろう。もっともそう問われても、妨害を怖れて卒業式に取り込んだといった「学校のいきさつ」なるものを正直に打ち明けることはできまい
。かと言って、「どのような生徒にも卒業式に出席する権利はあるのです」とこじつけたとしても、「権利があるのは知っているが、卒業式という大事な場面で服装に関する校則違反を許しておくのか」と、細部にわたるサイズを事細かに規定した制服の着用を校則で義務づけておきながら、一部の生徒の違反は許しておく二重基準・三重基準を追及されたなら、どう答えるのだろうか。最後のとどめは、「あのような服装違反もこの学校は取り締まれないのか?」といった質問だろう。校長以下、教師全員が冷や汗をかかないで済んだのは来賓の非常識のお陰で、プロ教師にしても、
「学校には学校のいきさつがあ」るなどと言っていられたのである。

生徒が窃盗事件を起こすと、「『このままでは遅かれ早かれ捕まることになるから、自分たちで決着をつけたほうがいい』と説得し、彼らもそれを受け入れ、親といっしょに盗んだものを返しに謝りに行った。私たちのほうで警察に突き出すことはしなかったのである。そのことは彼らも知っていた」(p22)

と恩着せがましいことを言っているが、鼻につくばかりである。学校で生徒が暴れて手の施しようがなく、やむを得ず警察に通報するといったことはあるだろうが、犯行現場に居合わせた第三者ならいざ知らず、「親といっしょに」「謝りに」同行しこそすれ、「警察に突き出す」といったことは教師の立場ではしないのが常識であろう。窃盗事件で一旦警察に捕まっても、裁判の前に犯人の近親者や雇用主に、「まだ将来のある身だから、示談にしてもらえないだろうか」と頼みに来られて、被害者の立場でありながら
、それを承諾するといったこともあるのである。いわば
「警察に突き出す」か突き出さないかは窃盗を受けた店側がこそ決めることで、教師は、「謝りに行って、もし店の方で許してくれなかったら、大変なことになるぞ。許してくれないばかりか、このような窃盗事件を何度も繰返すようになったら、前科を積み重ねていくだけの人生を送ることになるんだぞ」といった説得をこそ試みるべき立場にあるはずである。それを「私たちの方で警察に突き出すことはしなかったのである」とは恐れ入った感覚である。

「いまふり返ると、当時、荒れていた生徒たちと教師たちのあいだに、何かが通じていたのではないかと思う。私たち教師にそんなに余裕があったわけではないのだが、ともかく何かあったときはそこへ飛んでいくというようなことを繰返していたので、自分たちは見捨てられていないと思っていたのかもしれない。教師とぶつかったりケンカしてきた連中だったが、いくらか信用してくれるところもあって、それが全員卒業式に出ることにつながったのではないかと思う」(p22.23)

「全員卒業式にで」きたのは、それまで他の生徒との違いを見せていたのが、最後の土壇場になって、みんなと同じであること、みんなから外れないことを望んだ横並び意識
・同調意識からのもので、教師を
「いくらか信用して」いたからではない。両者間に
何かが通じていた」とするなら、それは「学力だけで人間を評価する考え方」といった学校価値観に対する異議申立ての意識を共通項とするものでなければならないはずである。あるいは少なくともそのような学校価値観から受けている不快感情とそれに対する理解意識を共通項としなければならないはずである。だが、不快感情を喫煙やシンナーで表現する生徒に対して、教師はその場を取り繕うことに執着するのみで、既成の学校価値観そのものには両者とも手をつけずしまいである。テストの成績で生徒を序列づける価値体系が学校社会に今もって根づいているのは、そのためである。生徒の虚栄心をくすぐり、そうすることで教師としての立場を取り繕う、そういった両者間の利害の一致・馴れ合いという点で、「何かが通じていた」ということなのだろう。

プロ教師は、現在は父親となっているかつての教え子の話を自慢話の形でプロ教師の
同僚の教師」から聞いたこととして披露している。「河上はあのころははすげえおっかなくてねえ」とか、「最近の教師はおっかないのがいなくなったからだめだよ」「おっかねえ教師がいねえと子どもは育たねえよ」それを聞いてプロ教師は、「私も思わず笑ってしまった」(p23)と述懐している。

いい気なものである。教育荒廃状況の手の施しようもない深刻化を前にして、学校社会の当事者の一人であるなら、何かしら手を打たなければと差し迫った気持にならなければならない時に、手柄話である。

「おっかねえ」にもいろいろとある。例えば、立場上果たさなければならない義務を自己責任として常に厳しく追求する教師。「タバコを喫おうとシンナーをやろうと、それぞれの勝手だとしても、すべてが自分の生きてある姿となっていく。時々自分がどんなふうに生きているか、自分の姿を振返ってみるんだな。そして、それが中学生としての責任を果たしている姿かどうか、確かめてみることだ。中学生として果たさなければならない責任とは勉強することだが、何も学校で教える勉強だけが勉強ではない。学校の勉強が自分に合わなければ、何か自分の勉強を見つけて、それを自分の生きてある姿とする。それが社会に出て役に立つかどうかなんか考えない方がいい。今は自分の姿を作っていくときだ。どんな姿であろうと、それが社会人となったときの基礎の姿となるはずだから、今というときをあだやおろそかに扱ってはいけない」

そして、その日初めて顔を合わせるクラスごとに、「みんな、いい生き方をしているかな?時間を一分間提供するから、目を閉じて、自分がどんなふうに生きているのか、その姿を振返ってみよう」一分の経過後、「どうだ、みんないい生き方をしているかな?先生は一人残らずいい生き方をしていると信じている・・・・というのはウソで、中には何人かはいい生き方をしていない生徒もいるだろうが、みんないい生き方をしていると信じていると言って、一人残らずいい生き方をするようにプレッシャーをかけているんだ」

このように生徒一人ひとりにいい加減にしてくれよと思わせるくらいのうるささで、自分の生きてある姿に自意識を持たせる。これはある意味では「おっかねえ」ことであるはずである。その教師と顔を合わせるたびに、あるいは脳裏に思い浮かべるたびに、現在の自分の姿を振返らせられる。陰で喫煙したり、シンナーを吸っている生徒にしたら
、自分の現在の生きてある姿といい生き方と比較させられることとなり、両者に落差が生じているほど、罪意識を持たされるだろうからである。罪意識とまでいかなくても、厭な思いに駆られるだろう。

だが、プロ教師の場合は「教師が何か言えば、生徒がそれを聞くという関係」を理想としているのだから、権威主義的な強制・支配で生徒との人間関係を機能させようとしているはずで、ただ単に、「ああしろ、こうしろ」と口うるさく、あるいは怒鳴ったりして生徒の行動を規制するだけの「おっかねえ」だろう。「おっかねえ」から、言うことを聞く。いわば表面的な同調でしのぐことができる「おっかね」さに過ぎない。もしもプロ教師が生徒を前にして、例えば多勢に無勢といったことが原因で少しでもひるむことがあったら、その種の「おっかねえ」は底が割れてしまって通用しなくなる。だからこそ、喫煙生徒に対して、「ここは学校で、みんなが見ているので困るから、ともかく出ていってくれと頼」むような事態を招くのである。

人間は過去の自己を輝かしいものにしたい衝動、過去の自己を現在の自己の勲章としたい衝動を本能として持っている。そうすることで過去の自己と連続する現在の自己に充実性と正当性を与えることができるからである。何人の女と寝たとか、どこそこの女を散々愉しんだ挙げ句にその女の預金を全部降ろしてトンズラしてやったとか、そういったことを冗談めかした手柄話とし、勲章とするのはそのためである。あるいは戦争体験者が戦友会とかで、例え自らが関わらなかったとしても、全体としてはあった侵略や加害の事実、間接的には関わった国土と国民生活の破壊への反省も心の痛みもなしに武勇談に明け暮れ、立ち上がって横一列に肩を組んで身体を揺らし、軍歌を大声で歌い、過去の自己に酔いしれ、挙げ句の果てに今の若者はなっていないと非難・罵倒するのも、過去の自己を輝かしいものとすることで現在の自己に勲章と充実を与える同じ心理衝動からのものだろう。

プロ教師が突っ張り行為は「学力だけで人間を評価する」学校価値観への異議申立て表現だとするするなら、突っ張り生徒だった教え子は社会人となった以上、少しは言葉を獲得していたであろうから、そのことに一言でも言及すべきなのに、一言もなく、当時の姿をよみがえらせるだけの思い出話だったのだから、現在の自己に充実性と正当性を与える目的の、過去の自己がどんな存在であったか否かに関連したプロ教師への話題だったことが分かる。いわば教え子は現在の自分の生きてある姿に正当性を与えるために中学校時代の自己の生きてある姿を輝かしいものとする必要上、プロ教師を持ち上げたのだろう。

「あの当時、暴れまわる生徒と他の生徒のあいだに断絶があったが、かといって、みんなが暴れまわる生徒をおかしな目で見て、排除しようとは思っていなかったようである
。ひょっとすると、勉強第一になり始めていた当時の風潮に対して、おかしいと感じていた生徒が多かったのかもしれない」
(p24)

既に指摘したように、「当時の風潮に対して」生徒がではなく、学校・教師がどう受止め、どういう姿勢でいたか、どういう態度を取ったかがより重要であるはずなのに、相変わらずプロ教師はその点は何も語らない。語るべき何ものも持たないからだろう。学校・教師側が率先して「おかしいと感じて」、行動すべきだったはずである。それを後追いのその場しのぎで誤魔化してきたから、その成果として現在、教育荒廃のより悪化した風景が学校社会のキャンバス上に描かれることとなったのである。その風景画は日本のすべての教師が合作したものなのである。

 

           今回はここまで
  
1.21.アップーロード予定が誤作動のため、情報の3/4を闇に葬り去ってしまった。
  暫くの間放心状態。ひそかに思いを寄せていた女性に飛び切り素敵な男性の存在に
  気づいたときのよう。だが、そこは3k労働で鍛えたど根性.一週間で復元.やれや
  れ、元気回復。

           次回は2週間ほどお待ちを!!

 

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