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67弾 アナン国連総長の「法の支配」論のマヤカシ

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               自分の実像を知ろう!!
       
国連総長及び各国首脳のハートを]線照射したところ、みんな一様に歪んだ造影となりました。
           名誉欲・国益欲・ハッタリ欲・派閥欲・支配欲・金銭欲、勿論忘れてはならない色欲・・・・・
           お互いの欲が悶えに悶え合って、ハートまで悶え状態となっているところが撮影されてしまっ
           たのです。実はこれが人間の実像なのだそうです。みなさんも1度ハートの]線照射を試し
           てみては如何ですか。
          


「アナン総長の『法の支配』論のマヤカシ」

これは私自身の]線実像です。悶えすぎて、誰が誰だか分からなくなっています



 第59回国連総会の冒頭演説で、アナン総長は次のように演説している。「法の支配はいま、世界中で危機に直面している」と。そして「イラク、スーダン、ウガンタ、イスラエル・パレスチナ」といった国を挙げて、「罪のない市民や弱者、子供たち、戦争捕虜への生命尊重を定めた基本的な法が無視されている」と、その危機状況なるものを訴えた。

 その原因として、「法の支配を強制できる安全保障理事会について、その強制力が公平または効果的に使われていない」からで、そうなっていること、あるいはそうさせていることへの総長としての自身の責任には最後まで言及せずに、解決策として次のように結論付けている。「安保理決議を含む法こそが、パレスチナやイラク、世界各地で長期化する紛争解決への最大の希望を与える」と。

 いわば、
国連の安全保障理事会の決定のみが、「法の支配を強制できる」安保理絶対論をぶったのである。イラク以外に「スーダン、ウガンタ、イスラエル・パレスチナ」などと、「法の支配」「危機に直面している」国を挙げているが、主眼はイラクであって、安保理決議を無視してイラクを攻撃したアメリカを非難したのは、誰の目にも明らかである。

 但し、アナン総長が示唆した絶対論の中身はと言うと、<安保理の決定>のみを絶対とせよ、<安保理の決定>に外れた単独主義は正当性を持たないという意味での絶対論であって、<安保理の決定>が万能の力を持つと言う意味の絶対論ではないことは世界の現実が証明している。万能の力を保持しているわけでもないのに、絶対とせよとする筋立ては論理矛盾も甚だしいが、アナン総長自身は気づいていないからこそできる演説なのだろう。

 そもそもアメリカ(=ブッシュ大統領)安保理(主導者はアナン総長なのは言うまでもない)も、イラクの大量破壊兵器の存在だけを問題とした。その存在の証明とそれを廃棄しなかった場合の姿勢をイラク攻撃のゴーサインとすることを安保理決議の根拠に狙い定めていた。だが、アメリカはイラクに大量破壊兵器が存在するとの予測に立って、発見できないのはサダム・フセインが巧妙に隠しているからだと見なし、物的証拠の発見に拘った安保理の立場(他の国々の考え)を無視して、イギリスと共に先制攻撃を仕掛けた。

 では、アメリカが安保理の意向に従い、あくまでも大量破壊兵器の発見に努めたが、発見できなかったために、イラク攻撃を断念したケースを考えてみよう。

 アメリカの攻撃を免れたイラクは当然、アナン総長の言う「罪のない市民や弱者、子供たち」、そして、正当な裁判の手続きも踏まずに収容所に収監されていく政治犯たちへの「生命尊重を定めた基本的な法が無視され」サダム・フセインの独裁という名の「強制力」が独裁であるからこそ「公平または効果的に使われ」るはずもなく、イラク国民を抑圧し続けただろう。そのことに異議申し立てるために、国連は「法の支配を強制できる」とする自らの、「公平または有効な」「強制力」をイラクに対して機能させることができただろうか。

 明らかに、ノー、である。

 国連が問題にしたのはブッシュ同様大量破壊兵器だけだったし、30年間の独裁政治と国民の抑圧を是正するために国連はアメリカ・イギリス・ソ連・中国・フランスといった大国を動かすことすらしなかったのである。「誰も法よりも上位に立てる存在ではないし、法による保護を拒まれる存在でもない」と演説で言っているが、拒む・拒まない以前に、如何なる種類の「法による保護」も用意しなかったのである。イラク国民の抑圧は目に映っていても、単に景色でしかなく、それ以上の意味を何らなさなかったのだろう。

 クウェイトの侵略に関しては手を打った。中国が拒否権を行使せず、棄権にまわった以外、他の主要国が賛成の立場を示したからだ。要するに国連とは全員が担ぐとは限らない神輿でしかない。

 
サダム・フセインクウェイトを侵略し、自国領土としたとき、国連安保理は数々の決議を発行してクウェイトからの撤退を求めたが、完璧に無視され、最終手段とした武力攻撃容認の国連決議を待って、米国主導の多国籍軍がイラクを攻撃し、併せてクウェイトからイラク軍を駆逐して初めて侵略に終止符を打つことができたのである。いわば、「法」自体は完璧に無力であった。パレスチナ問題に関しても、アメリカの拒否権などで、無力状態にある。過去に於けるそのような無力の前科を無視して、「安保理決議を含む法こそが、パレスチナやイラク、世界各地で長期化する紛争解決への最大の希望を与える。」などと高らかに宣言するのは、矛盾を超えて、マヤカシそのものであろう。

 しかしアメリカサダム・フセインを抹殺も追放もしなかったために、それ以降の独裁者サダム・フセインの自由と人権の抑圧に苦しむイラク国民に対して、国連は引き続いて、どのような「安保理決議を含む法」によっても、「最大の希望を与える」ことはしなかった。逆説するなら、国連は「罪のない市民や弱者、子供たち」、そして、正当な裁判の手続きも踏まずに収容所に収監されていく政治犯を含めたイラク国民への「生命尊重を定めた基本的な法」「公平または効果的に使われていない」状況を「無視」して、独裁者サダム・フセインの政治的・社会的抑圧の犠牲となるままに放置したというわけである。

 そして湾岸戦争終結後から今回のアメリカイラク先制攻撃の2003320日まで、アメリカも国連も以前と変わらずに大量破壊兵器のみを問題とし、イラク国民の独裁被害は傍観したまま過ごした。言葉を変えて言うなら、イラク国民を独裁政治の抑圧から解放するために、国連は過去同様に「世界各地で長期化する紛争解決への最大の希望を与える」「安保理決議を含む」「法の支配」を「公平または効果的に」機能する「強制力」として、適用する努力を怠ったままでいたということである。

 「法の支配」「危機に直面している」国として、「イラク、スーダン、ウガンタ、イスラエル・パレスチナなど、例を挙げればきりがない」と言いつつ、飢餓や餓死、政治的・社会的人権抑圧によって「罪のない市民や弱者、子供たち」「生命尊重を定めた基本的な法が無視されている」特異な独裁国家北朝鮮をこそ例として挙げるべきでありながら、名指すらしていない。その理由は、サダムのイラクと同様、核兵器といった大量破壊兵器は懸念材料としていても、北朝鮮国民の抑圧的苦境に関しては、唯一「法の支配を強制できる」安保理自らの責任を、その「強制力」を以って終止符を打つ方向に果たす意志をさらさら持たないからであろう。食糧援助といった焼け石に水程度の人道支援で誤魔化して完結させている。

 大量破壊兵器の抹消が直接的動機ではあったが、結果的に独裁者サダム・フセインの追放とその独裁政治からのイラク国民の解放は国連安保理の「法の支配」という「強制力」によってではなく、皮肉にも安保理決議を無視したアメリカの軍事攻撃であった。アメリカ軍がバグダッドを陥落させ、サダム・フセインを独裁者として有名無実化したとき、その事実に関しては最大公約数のイラク国民が間違いなく歓喜小躍りした。

 その後の反米感情は、民主主義化に反対するイスラム原理主義集団のテロや、サドルとその同類たちの反米抗争の原因をイラク国民の多くがアメリカの占領に求めたことによる悪感情であろう。世界のマスメディアの反米宣伝に助長されたという面もある。

 カタールの衛星放送局アルジャジーラが、「イラク人は占領に抵抗するために(民間人の)人質を拉致する権利を持つか」と いう電話世論調査をしたところ、「米軍は一方的に多数の無実のイラク人を殺している。拉致も一つの抵抗方法として止むを得ない」などと、90%以上の賛成回答があったと の新聞報道があっが、愚かしくも大事な質問が一つ欠けている。

「拉致・殺害がアメリカ占領の終結に役に立つと思うか」 

 パレスチナのイスラエルに対する自爆テロ同様に、明らかに役に立っていない。フィリッピンやスペインに対しては役に立った。しかし肝心要のアメリカやイギリスに対しては完璧に役に立っていない。今後とも役に立たないのは目に見えている。お門違いの残忍な自己満足で終わるだろう。

 いずれにしても、アナン総長が、「安保理決議を含む法こそが、パレスチナやイラク、世界各地で長期化する紛争解決への最大の希望を与える」と大上段に構える程には、その「強制力」は過去においてその有効性を発揮し得なかった。それをアメリカ一国の責任とするのは独善に過ぎる。安保理といっても、所詮国の寄せ集めであって、それぞれの国益の利害・損得の衝突・駆け引きが全体の意志決定のファクターを成しているからであり、そのことから免れることができていないからでもある。つまり、アナン総長が気張るほどには安保理は万能ではない。将来に於いても、万能ではあり得ないだろう。国連中心主義に価値を置き、バカの一つ覚えみたいに言い立てる人間がいるが、その価値は絶対的なものではない。大国の利害が常に絶対一致と言うことはないからだ。

 自らの存在のみが「強制力」を可能だとする安保理の「法」自体が国益の調整によって成り立っている妥協を成分とした取決めだからこそ、現在の状況としてのイラクがあり、イスラエル・パレスチナがあり、スーダン・ウガンダがあるのである。

 問題は、「法の支配」をどのような状況に行使するか、基準を設けるべきだろう。大量時破壊兵器の存在に対してか、独裁政治による国民の抑圧状況がどの程度にまで悪化した場合に対してか、はたまた、別の要素に対してか。「法」は基準に従うからである。基準に従って、「法」の内容とその行使の条件が決定していく。決めた基準に国益の容喙は正当と見なされないだろう。

 尤も、基準を決める際に自らの国益を反映させるべく不純な意思表示の介入が想定されるが、あとは国連総長の基準をどこにおくか、自らの想像性に関わる意志(=リーダーシップ)の問題であろう。

 基準が国民の人権状況におかれた場合、「法の支配」がその効力を発揮せずに、問題が長引く場合は、最後手段として、武力行使を認めるべきであろう。

 大量破壊兵器さえ所有しなければ、国民をどのように抑圧しようが、独裁は許されるとする考えはあまりにも利己主義に過ぎる。

 アメリカが人権と自由の国でありながら、その保証を裏切って過剰なテロ警戒が人権と自由の行過ぎた制限を招いていると皮肉っぽく批判する人間がいるが、サダム・フセイン時代のイラク国民の人権と自由の制限に鈍感であった人間はそのように批判する資格はない。アメリカの制限をイラクの制限と比較したなら、それがどれ程のものだろうか。かつてのイラクの不自由と苦痛を知るために、アメリカはより厳しい制限を体験してみるべきだろう。

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 もう一つ、経済制裁下のイラクへの人道支援策「石油と食糧交換計画」で、国連職員を含めた不正や汚職が行われていた疑いが浮上したとして、アナン国連事務総長が第三者による高レベルの調査を実施する意向を明らかにしたが、あれから半年も経つのに、疑惑解明はどうなったのだろう。みんなが忘れるのを待って、ウヤムヤにするつもりなのだろうか。

 調査の対象は、石油を購入した仲介者人道物資を供給した複数の企業同計画の口座を取り扱ったフランスのBNPパリバ銀行などだそうだが、フランスのシラクがイラク攻撃に反対したのはフランスの銀行が疑惑に絡んでいたからなのだろうか。どこの国でも銀行は背後で政治家・官僚とお互いを金づるにしているものと相場が決まっているからだ。