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        第125弾      愚かなアラファト
                                                 upload.6.04.12.(水          


 

 



 イスラエル                 総選挙が06年3月28日に行                 われ、重体入院中のシャロン                     首相の後を引き継いでオルメルト                   首相代行が率いる中道新党カディマが第一党を獲得した。カディマを支持する他党との連立で政権を握るのは確実視され、オルメルト首相代行はシャロンが掲げたパレスチナ自治区の分離と一方的な「国境画定」をパレスチナの同意がなくても進める 方針を表明している。

 以下の文章は2003年二メーリングリストに投稿したものだが、文章に込めたテーマは3年近く経過しても変らない。他者の参考に寄与できるかどうかは分からないが、手を加えずにHP化してみることにした。

  以下の記事を元に、ブログに
『パレスチナの取る道――世界を領土とせよ』と題した文章を載せたて見た。 殆ど重複するが、興味のある人はアクセスしてみてください。(ニッポン情報解読』
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送信者: "Hiroyuki.Teshirogi" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@egroups.co.jp>
件名 : [kokkai2] 愚かなアラファト・愚かなパレスチナ市民
日時 : 2003年5月11日 21:13

 手代木ヒロユキ

 テロはその是非は別として、自らが掲げる目標、あるいは目的を実現させるための手段であって、決して自己目的化してはならない。憎悪をエネルギーとし、それを晴らすテロは、既に自己目的化の自縄自縛に陥ったテロとなる。

 自己目的化したテロは憎悪にまみれた敵対感情と、そのような敵対感情に支えられた、破壊や人命の犠牲のみを目的とした目には目を・歯には歯をの報復の連鎖に行き着くのが精一杯といったところだろう。その愚かしい不毛性に気づかずに、パレスチナとイスラエルは報復の無限連鎖のアリ地獄から抜け出れないでいる。報復の連鎖とは、愚かしさの連鎖に他ならない。

 しかし、愚かしいという点において、パレスチナとイスラエルは同等ではない。パレスチナはイスラエル以上の愚かしさを犯している。なぜなら、パレスチナの経済はイスラエルに依存することによって成り立ち、経済的に支配と従属の関係にあるからである。インフラの代表である発電所一つ取っても、ごく小規模な発電は部分的には自ら行っているが、大部分の電気はイスラエルからの買電で賄っている貧弱な状況が、支配と従属を物語って余りある。

 テロがイスラエルの経済的支配を打ち破って、経済的自立の獲得を約束する種類のものならいい。例えパレスチナ国家を樹立したとしても、少なくとも一定期間は確実に、あるいは長期にわたってイスラエルに経済的な依存を余儀なくされる以上、テロはイスラエルの経済的支配を将来にわたって高める担保をつくり出すことに他ならない。経済的に自らの首を絞める逆効果現象しか生み出さないということである。

 97年の統計では、人口が約2倍のイスラエルに対して、30分の1にも達しない貧弱な国民総生産(GNP)を優に補完していた湾岸諸国への出稼ぎ労働者からの送金が1998年8月のイラクのクウェート侵攻と、それに続く湾岸戦争によって失業を余儀なくされて減少していたところへ、2000年9月末の衝突に伴うイスラエル政府の経済封鎖がもたらした人と物の移動制限が、それまでのイスラエルへの出稼ぎをも遮断し、失業増大を招いてパレスチナ経済を直撃したが、それを立て直すための出稼ぎの再開への渇望を持ったとしたなら、そのこと自体が既に心理的にはイスラエルの経済的支配を肯定し、受容する意識の発動であって、現実の問題としても、農業と出稼ぎ以外に見るべき主要産業が存在しないパレスチナにとって、イスラエルへの拒絶反応が如何に強くても、出稼ぎを一切なくすわけにはいかない事情を抱えている以上、イスラエルの経済的支配を長引かせることになる報復の応酬は、自らの首を絞める逆効果を十二分に証明している。

 貧しい国の出稼ぎ労働の殆どは工場や建設現場、農場での3K労働が相場となっている。国が貧しければ(国の指導部が豊かでも、一般国民が貧しかったなら、条件は同じだが)、他の産業基盤と同様に教育基盤も未整備の宿命を免れることはできず、その結果としてある教育機会の不均等による教育水準の低さが、出稼ぎに関しても、就労は3Kを主とした低賃金労働への流れをつくる。

 鉄道や道路・港湾・発電所・病院・学校といったインフラストラクチャーのうち、すべてに優先すべきは学校の建設であろう。高度な産業の確立に不可欠な有能な人材の確保は、設備資金は外国に頼ったとしても、国民の高度な教育水準を必要条件とするからである。

 自治政府の経済を出稼ぎ労働に頼ったとしても、そこからの税収をこそ、パレスチナの次世代を担う若者・子どもたちの教育の充実に重点的にまわすことによって、出稼ぎ労働がパレスチナの数少ない主要産業の一つであるという哀しい現実を夢のある現実に変えることが可能となる絶対条件であるのに、報復の応酬が出稼ぎ労働そのものを奪って、夢のある現実を遥か彼方に遠ざけてしまっている。このことはイスラエルの経済的支配(=哀しい現実)を長引かせることの逆説でもある。

 となれば、パレスチナが国家を形成し、経済を発展させていく第一条件は、パレスチナ市民の生活を将来的に豊かにしていくための第一条件でもあるが、出稼ぎ労働を支障なく継続可能とする環境の確保――不毛な報復の応酬の遮断を前提とした和平の確立であろう。

 国家の建設を教育環境の整備から開始するのは、長い道のりを必要とする。現在人口比率で高々3%何がしかのユダヤ系アメリカ人がアメリカ社会で大きな政治的発言力を有し、社会的地位を高いものにしたのも、一日で成ったわけでは決してなく、長い歴史を必要とした。その基本的糧は、カネである。推測ではあるが、決して天分ではない。その根拠を示そう。

 「十九世紀なかばに西欧諸国でユダヤ人の解放が行われるまで、周知のように金貸しが彼らに許されたほとんど唯一の生業だった」(『ヒトラーとは何か』セバスチャン・ハフナー著・赤羽龍夫訳・草思社刊)

 彼らはそれぞれの社会から疎外されていた。当然の反動として、各社会の中にユダヤ人だけで結びついた別の小さなひっそりとした社会を形成して、そこをそのときどきの彼ら自身の故郷とし、自らの家庭と共に文化・教養の場とした。彼らには金貸し業で利子として得た潤沢なカネがあった。うさん臭さげな視線を向けられたり、陰口を叩いていそうな表情を見せられたりするのが関の山だろうから、疎外する者がつくった美術館に足を運んで絵画・彫刻を鑑賞するのではなく、あるいは図書館へ出掛けて、読書するのでもなく、例え最初は低俗な種類のものであっても、潤沢なカネに飽かせて絵画・彫刻・書物等を自身の所有物として自ら購入して気の向く時間に気が済むまで鑑賞、あるいは読書に耽る習慣をつくり出していった。中には少数であっても、低俗なものから高尚なものへと趣味を高めていくといった例も見られたに違いない。そういった経緯をたどることによって、例え本人が望まなくても、知識・教養は自然と身につき、それは子々孫々に蓄積する形で受継がれていっただけではなく、そのときどきの彼ら自身の故郷であったユダヤ人社会が知識・教養に関わる情報交歓の場・議論の場――いわゆるサロンとして機能しただろうから、知識・教養は独善的であることを免れて、否応もなしに普遍的な広がりを獲得していったはずである。勿論、金貸し(金融)のノウハウも披露・ 交換する場ともなり、それは一般的な会社経営のノウハウへと思想的、あるいは実践的発展を遂げていったことも考えられる。

 ローマ帝国の迫害によって離散を強いられて以来の、社会的にして歴史的な試練、さらに各種多様な知識・教養の蓄積と代々的継承の成果が、「おおざっぱにいって、十九世紀なかば以降、ユダヤ人が一部は天分により、一部は、否定できないことだが、彼らの強い結びつきにより、多くの国々の多くの分野で指導的な地位を占めるようになったのが顕著に認められた。とくに文化のあらゆる領域で、それにまた医術、弁護士業、新聞、産業、金融、科学および政治の分野でもそうであった」(同『ヒトラーとは何か』)という状況の獲得であろう。

 初期の時点では決して、「天分」ではない。カネと習慣を反応させていくうちに、血を培養液として、ときには遺伝的変異としての「天分」を誘発されたに過ぎない。アメリカ社会で人口比率3%のユダヤ系アメリカ人が「多くの分野で指導的な地位を占め」ているのは、同じ線上の現象としてある成果であろう。アメリカ建国期の最初から指導的地位を占めていたわけではないはずである。

 パレスチナ人に関しても、自身の地位を高め、異国人の間に位置していても、指導的役割を担えるだけの知識・教養を体現するためには、出稼ぎで得た収入から出発して、ユダヤ人的進化を遂げるべきだろう。出稼ぎの収入は僅かであっても、現在では国際社会から援助を得られる。達成までの時間はかかるが、金貸し業で得た収入からのカネを出発点としたユダヤ人と遜色ないスタートラインに立てるはずである。

 ユダヤ人的進化には、領土の広さは必ずしも重要な要素ではない。初等教育からであっても、中等教育からであっても、あるいは高等教育からであっても、国際的援助をも活用して、先進国への海外留学を行って、人材となるべく知識・教養を獲得する。獲得した者のうち、その多くは帰国して、パレスチナの発展に寄与するだろうが、何パーセントかは留学国に就職の場を得て、国籍をも獲得して、そこを生きる故郷とするのに何の不都合があるだろうか。領土が国境に隔てられて、あるいは海洋に隔てられて常に限定されるのに比較して、異国で活動する、自らにとっての領土とも言うべきフィールドは多様にして無限である。イスラエルに国境の線引きで例え譲歩したとしたとしても、譲歩分は、海外におけるパレスチナ人の活躍するフィールドが補って余りあるだろう。

 他国で指導的地位に立って活躍できない人間ほど、首都はどこでなければならないと権威に拘る。パレスチナ人の多くが指導的立場の人材として海外で活躍する場面を迎えたとき、例え狭くても、そこにルーツとしての国土が経済的な豊かさをたたえて存在しさえすれば、イスラム教の聖地でもあるからといって、東エルサレムを将来の独立国家の首都と拘る理由は薄くなる。イスラエルが東エルサレムを分割できない永遠の首都と想い定めるのは、シオニズム運動で帰国したイスラエル人の多くが世界各国で指導的人材となって活躍することができなかった、いわばなりそこないであるために、指導的地位に代る権威として必要としたのが、ユダヤ教の聖地でもあるという東エルサレムなのではないだろうか。自らの才能を権威とするとき、歴史的由緒も家柄としての血も、そのままの意味を失う。なぜなら、歴史的由緒も家柄としての血も、混ざり、あるいは混血を繰返して、同じ姿を保たないからである。

 パレスチナ人が現在の愚かしさから脱却できる第一歩は、譲歩を代償とした和平以外に道はないだろう。和平からのみ、新しい出発が可能となる。決してテロからではない。