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 第75弾 皇位継承権争奪の火蓋は切って落とされた
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                  陰謀の炎が
                  メラメラと
                  燃え上がっている
  

                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

それは、抜き足・差し足・
忍び足で忍び寄ってくる。
 
 戦後日本は不敬罪を廃止し、思想・言論・表現の自由を獲得した。
 戦前の皇室批判の取締り監視は、上は軍人・政治家から、下は巡査・教師までが、虎の威ならぬ、天皇の名を借りて、己の権力遂行・権力誇示に利用する道具としていたに過ぎなかった。思想・言論・表現の自由とは国民が自分の言葉を持つと言うことである。天皇、及び皇族のみが自分の言葉を持たないようである。 政治権力による歴史的に伝統的な慣習がそうさせている。

 

皇太子の「人格否定」発言

「陛下に相談なく残念」と苦言を呈した秋篠宮の記者会見での発言の発端をなした、いわゆる皇太子の「人格否定」発言を様々な報道機関の報道を参考にして、先ず見てみよう。04年5月12日からのデンマーク、ポルトガル、スペイン3カ国訪問を前に、同年5月10日午後東京元赤坂の東宮御所で記者会見した折の発言である。

【質問】今回、皇太子妃殿下のご訪問については、ぎりぎりまで検討されましたが、最終的には見送られました。殿下お一方でご訪問されることに至った経緯、結果についての殿下、妃殿下のお気持ちをお聞かせください。妃殿下の現在のご様子、ご回復の見通しについても改めて伺えればと存じます。

【皇太子】今回の外国訪問については、私も雅子もぜひ2人で各国を訪問できればと考えておりましたけれども、雅子の健康の回復が十分ではなく、お医者さまとも相談して、私が単独で行くこととなりました。雅子には、各国からのご招待に対し、深く感謝し、体調の回復に努めてきたにもかかわらず、結局、ご招待をお受けすることができなかったことを、心底残念に思っています。
 殊に雅子には外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を、皇族として大変な重要な役目と思いながらも外国訪問をなかなか許されなかったことに、大変苦悩しておりました。今回は、体調が十分ではなく、皇太子妃として、ご結婚式に出席できる貴重な機会を失ってしまうことを本人も大変残念がっております。私も本当に残念で、出発にあたって、後ろ髪を引かれる思いです。
 私たちには、ヨーロッパの王室の方々から、いつも温かく接していただいており、フレデリック、フェリペ両皇太子殿下とは、限られた機会の中ではありますけれども、楽しい思い出が多くあるため、今回のことはとても残念に思っているようです。
  雅子の長野県での静養は、滞在は、幸い多くの方々のご協力を得て静かな中で過ごすことができました。この場をお借りして、協力してくださったみなさんに雅子とともに心からお礼を申し上げます。雅子からも、みなさんにくれぐれもよろしくと申しておりました。
 長野県での滞在は、とても有益なものではあったと思いますが、まだ雅子には、依然として体調に波がある状態です。
 誕生日の会見の折りにもお話ししましたが、雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れきってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。 最近は公務を休ませていただき、以前、公務と育児を両立させようとして苦労していたころには、子どもにしてあげられなかったようなことを、最近はしてあげることに励みを、そういったことを励みに日々を過ごしております。そういう意味で、少しずつ自信を取り戻しつつあるようにも見えますけれども、公務復帰にあたって必要な本来の充実した気力と体力を取り戻すためには、今後、いろいろな方策や工夫が必要であると思われ、公務復帰までには、当初考えられていたよりは、多く時間がかかるかもしれません。早く本来の元気な自分自身を取り戻すことができるよう周囲の理解も得ながら、私としてもできうる限りの協力とサポートをしていきたいと思っています。今後、医師の意見によって、公務復帰に向けては、足慣らしのために静かな形でのプライベートな外出の機会を作っていくことも必要であるかと考えています。引き続き、静かな環境が保たれることを心から希望いたします。

 引き続いての在日外国報道協会代表の質問を見てみる。

【在日外国報道協会代表質問】この度のヨーロッパご訪問に際し、王室のご婚礼にご参列されますが、我が国デンマークでは王室と国民が近い位置にあり、また女性が王位に就かれております。日本では女性が皇位に就かれることと皇太子ご一家のご公務を軽減されることの二つの点について話題となっております。女性が皇位に就かれることと皇太子ご一家のご公務ご負担を軽減されることについてデンマーク王室から何か学ばれることがございますか。

 【皇太子】先ほども申しましたけれども、私がデンマークを訪問するのは、今回が初めてですけれども、今回はフレデリック皇太子殿下のご結婚式に出席させていただきますので、この機会にデンマークの王室はじめ、デンマークのいろいろな分野について、3日間という限られた期間ではありますけれども、いろいろと学べればと思っています。

 もちろん、王室の制度をはじめとして、各国の制度はそれぞれの国の歴史や文化、あるいは国民の考え方に根ざしたものでありまして、今回の訪問でもいろいろな制度について、その背景になっている歴史や文化、あるいは国民の考え方について理解を深めたいという風に思っています。

 なお、公務のあり方については、私は、以前にもお話ししたように新しい時代にふさわしい皇室像を考えつつ、見直して行くべきだと考えます。

  女性が皇位につくことについては、ここでは回答は控えたいと思います。

 【関連質問】先ほどのお答えの中で、妃殿下のキャリアや人格を否定するような動きがあったとおっしゃいました。差し支えない範囲で、どのようなことを念頭におかれたお話なのかお聞かせください。

 【皇太子】そうですね、細かいことはちょっと控えたいと思うんですけど、なかなか外国訪問もできなかったということなども含めてですね、そのことで、雅子もそうですけど、私もとても悩んだということ、そのことを一言お伝えしようと思います。


 皇太子「人格否定」発言を宮内庁のよそ者いじめ≠ニ把える取沙汰が
マスコミ中心に行われ、様々に波紋を広げたものだから、宮内庁の要請を受けてのことだろう、それを鎮めるために皇太子は04年6月8日に補足説明の文書を宮内庁を介して公表した。

 最も宮内庁は、「具体的な説明がないと国民が心配する」との天皇の意向を受けて皇太子の帰国後記者会見を要請したところ、皇太子が文書で説明することとしたという形を取っているが、一人悪者にされたのは宮内庁である。その汚名をそそぐ必要があったのは宮内庁のみである。

 以下全文

皇太子文書

 私の、ヨーロッパ3ケ国への訪問前の記者会見での発言に関して、少し説明したいと思います。

  記者会見では雅子がこれまでに積み上げてきた経歴と、その経歴も生かした人格の大切な部分を否定するような動きがあった、ということをお話しました。その具体的内容について、対象を特定して公表することが有益とは思いませんし、今ここで細かいことを言うことは差し控えたいと思います。会見で皆さんにお伝えしたかったのは、私たちがこれまで直面してきた状況と今後に向けた話です。


 記者会見以降、これまで外国訪問ができない状態が続いていたことや、いわゆるお世継ぎ問題について過度に注目が集まっているように感じます。しかし、勿論それだけではなく、伝統やしきたり、プレスへの対応等々、皇室の環境に適応しようとしてきた過程でも、大変な努力が必要でした。私は、これから雅子には、本来の自信と、生き生きとした活力を持って、その経歴を十分に生かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしいと思っていますし、そのような環境づくりが一番大切と考えています。

 会見での発言については、個々の動きを批判するつもりはなく、現状について皆さんにわかっていただきたいと思ってしたものです。しかしながら、結果として、天皇皇后両陛下はじめ、ご心配をおかけしてしまったことについては心が痛みます。


 皆さんに何よりもお伝えしたいことは、今後、雅子本人も気力と体力を充実させ、本来の元気な自分を取り戻した上で、公務へ復帰することを心から希望しているということです。雅子の復帰のためには、いろいろな工夫や方策も必要と考えますし、公務のあり方も含めて宮内庁ともよく話し合っていきたいと思っています。多くの方の暖かいお励ましに、私も雅子もたいへん感謝をしています。雅子が早く健康を回復し、復帰できるよう、私自身も全力で支えていくつもりです。

  最後に、雅子の回復のためには静かな環境が何よりも大切と考えますので、引き続き暖かく見守っていただければ幸に存じます。

 皇太子妃は自分の職業が外交官だったことから、自己の経歴を生かして国際親善活動を皇太子妃生活の一部と願った。結婚前外交官生活が人生の一部であったように、皇太子妃となってからも、立場上可能な範囲で国際親善という形で人生の一部とすることを願った。だが希望に反して、多分意気込みもあったろう、意気込みも裏切られて、外国訪問をなかなか許されなかった。

 こういった状況がすべての発端であろう。外国訪問が許されない過程で、結婚前の外交官としての雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような 動きがあった。

 そういった動きをしたのは宮内庁なのか天皇・皇后なのか。自身の「人格否定」発言を補足する文書が、「具体的な説明がないと国民が心配する」との天皇の意向けて宮内庁を介して公表されたものである以上、宮内庁が元凶なのは明らかである。

 なお皇太子は公務のあり方について、記者会見の場で次のように述べている。公務のあり方については、私は、以前にもお話ししたように新しい時代にふさわしい皇室像を考えつつ、見直して行くべきだと考えます。

 この考えは皇太子自身も望んでいる、皇太子妃の外交官としての経歴を生かした活動への希求と対応するものだろう。但し結婚前から新しい時代にふさわしい皇室像を考えていたのか、妃となった女性が外交官だったから、そのように考えるようになったのかは、どちらが先か皇太子自身に聞かなければ分からない事柄である。

 皇太子は補足説明≠フ文書でも同じことを述べている。

 私は、これから雅子には、本来の自信と、生き生きとした活力を持って、その経歴を十分に生かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしいと思っていますし、そのような環境づくりが一番大切と考えています。
 

 皇太子と皇太子妃はこのような場所──新しい時代を反映した活動を行える新しい時代にふさわしい皇室像──に行き着くことを願っている。悪いことは何一つないように見えるが、そのことを不都合とする勢力があり、行き着こうとすることを阻んでいる。

秋篠宮発言 


次に秋篠宮の発言を見てみる。11月30日に39歳の誕生日を迎えるに当たっての記者会見の場での発言である。

  【質問】雅子さまの静養が続き、五月の皇太子さま発言で議論がありました。

  【秋篠宮】早い回復を私たち二人とも祈っています。昨年の会見で陛下をどう支えていくかと聞かれ、コミュニケーションの大切さと申しました。円滑な意思疎通が重要です。五月の発言について私も少なからず驚き、陛下も非常に驚かれたと聞いています。少なくとも記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をした上での話であるべきではなかったかと思います。残念に思います。

 【質問】雅子さまに「東宮御所での生活の成り立ちに伴う苦労があったと思う」と皇太子さまが述べています。

 【秋篠宮】理解できないところがあり皇太子殿下に尋ねました。皇室に嫁ぎ、生活する空間にいろいろな人がいる。そういう人たちに対する気配り、配慮であったり、容易に外出することが難しいことだそうです。

 【質問】昨年、宮内庁長官が三人目の出産を強く希望すると発言しました。

 【秋篠宮】長官は皇室の繁栄と、秋篠宮一家の繁栄を考えた上で、と話しています。

 【質問】眞子さま、佳子さまの成長ぶりは。

  【秋篠宮】上の娘は春から中学校生活を楽しんでいます。宮内庁で古い文書の修復を見せたら興味を持っていました。佳子はスケートを楽しんだり、工作や折り紙など作ることが好きです

  【質問】一年の印象は。

  【秋篠宮】自然災害が非常に多かったことが強く印象に残っています。亡くなった方のご冥福を祈り、被災された方へお見舞いを申し上げます。アテネ五輪やパラリンピックで日本の代表が良い成績を残したのは大変良かったと思います。

 【質問】皇太子さまが「宮内庁と、時代とともに変わる公務の在り方を考えたい」と述べたことには。

 【秋篠宮】私個人としては、自分のための公務はつくらない。自分がしたいことが公務かどうかはまた別で、公務はかなり受け身的なものと考えています。

 

 皇太子「人格否定」発言に、秋篠宮私も少なからず驚き、陛下も非常に驚かれた
と言っているが、公の場でそのような内容の発言をしたことに驚いたのだろうか。それとも内容のみを対象とした驚きだったのだろうか。
秋篠宮の発言から判断するに、「少なくとも記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をした上での話であるべきではなかったかと思います。残念に思います」と、公の場でそのような内容の発言をしたことに驚いたように見える。内容自体を問題にするなら、さもありなんと受け止める人間が多くいたはずだが、秋篠宮は 、公務はかなり受け身的なものと考えているとの立場を表明することで、 逆に内容に異を唱えている。
当然そのことはやんわりとだが、兄皇太子への批判となって現れている。

 ここで問題にしなければならないのは秋篠宮の発言自体、「少なくとも記者会見という場で発言する前に、天皇と内容について話をした上での話だったのだろうか。 記者会見という公の場で兄を批判したのである。話をした上での話でなかったなら、自己矛盾を犯すことになる。 自己に一貫性を持たせるために天皇と内容について相談した上での発言だったに違いない。記者の一人ぐらい には質問して貰いたかったが、無難な質問はするが、後は承るだけを役目としている事勿れ主義者の多い日本の記者に無理な注文というものかもしれない。

 公務のあり方についての秋篠宮の考えは、私個人としては、自分のための公務はつくらない。自分がしたいことが公務かどうかはまた別で、公務はかなり受け身的なものと考えています。というものである。皇太子雅子妃の考えとは異にしているばかりではなく、兄嫁である雅子妃に対して は手厳しい批判となっている。

 先ず第1に、私個人としてはと個人的考えであることを装ってはいるものの、自分のための公務はつくらないとの考えを示 すことで、雅子妃が希望する外交官だった経歴を生かした国際親善を目的とする外国訪問を自分のための公務と見なして、そのような公務自分ならつくらないとの意味を込めて、つくろうとしている雅子妃を批判している。

 第2に、自分がしたいことが公務かどうかはまた別だと、公務とは自分がしたいことと一致するわけではないとして、その考え違いを槍玉に上げている。そしてすぐ後の言葉で、皇族に於ける公務の性格についてかなり受け身的なものと考えていると、要請されて行うもので、自分から提案や計画して行うものではないことだと、同じようにそうしようとしている雅子妃に対する引き続いての批判となっている。

 確かに自分がしたいことが公務かどうかはまた別問題である。外国の女と寝たい、 カジノで一度バクチをしてみたいと、外国を訪問して税金と時間を費やす国会議員や役人に我が国は事欠かないようだが、この例は自分がしたいことが公務かどうかはまた別問題であることを明瞭に示している。だが、外交官の経歴を生かすことは自分のためだが、国際親善をより大きな目的として、その目的が実質的に実を結んだとき、自分のためだけを離れて、自己の私的な利益よりもずっと大きな公的な利益──自国と訪問国の友好促進の契機を成す。このことは悪いことだろうか。

 悪くないのに悪いとするのは、自分から要求して公務とすること出しゃばることが悪いということだけだろう。

 秋篠宮の場合は公(政治側や宮内庁)の要請を受けて初めて国際親善や弔問が目的の外国訪問がありで、自身の計画や希望といった意思は一切示さない(公務はかなり受け身的なもの)ということだろう。それは公務の希望に関しては自己を無とすることを意味する。そのような人間は公(政治側や宮内庁)にとっては都合のいい存在であるが、動機が機械的・事務的に過ぎて、人間味に欠けないだろうか。人間味とは人間的な面白味を意味するのは言うまでもない。

 勿論前々から行きたい・したいと思っていて、公(政治側や宮内庁)から要請されて積極的になる、熱意を持つということもあるだろうが、偶然を当てにするよりも、自ら計画する積極性・熱意の部分があった方が、やはりより人間味あると言えないだろうか。

 但し、日本国憲法で皇族の公務受け身的なものと規定されているなら、秋篠宮の公務に関わる姿勢は間違っていないこととなるが、皇太子と雅子妃はあくまでも新しい時代にふさわしい皇室像をと言っているのである。 決して間違っていることを言っているわけではない。常に憲法及び皇室典範の規定が絶対であるとは限らない。絶対であるなら、大日本帝国憲法及び旧皇室典範を廃止した理由を失う。絶対であるなら、現憲法に法律改定の規定を設ける必要性を失う。秋篠宮は、新し い時代に応じた新し い皇室像  まで、その構築は宮内庁次第、宮内庁任せと言うことなのだろう。

 それは現憲法(第1章天皇)及び現皇室典範を絶対としたい秋篠宮宮内庁の共同意思の表れからなのだろうか。皇室典範第1章は次のように規定している。

皇室典範

第一章

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。

   一 皇長子
   二 皇長孫
   三 その他の皇長子の子孫
   四 皇次子及びその子孫
   五 その他の皇子孫
   六 皇兄弟及びその子孫
   七 皇伯叔父及びその子孫
  2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これ
   を伝える。
  3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。

 第三条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき 
    は、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変え 
    ることができる。
 第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

 

 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承するという現皇室典範を絶対とするなら、雅子妃は41歳を迎えている、男子たる次子を望む可能性が限りなく低い現状を考慮するなら、現時点での皇位継承は皇太子が第1位ではあるが、その後の皇位は現在の皇位継承権が第2位である皇次子たる秋篠宮にまわる可能性が非常に高い。秋篠宮公務に関して自身の計画や希望は一切示さない公(政治側や宮内庁)にとって都合のいい存在であることを考えると、少なくとも宮内庁皇太子の後に秋篠宮に皇位を継がせ、それ以降代々秋篠宮の系統 (皇次子子孫)に引き継がせたい衝動を逞しくしているのではないだろうか。昨年、宮内庁長官が三人目の出産を強く希望したのはその文脈に添った要請だったはずである。まさか3人目も女子を望むはずはなく、男子を念頭に置いた発言であろう。皇位継承を考えなければ、必ずしも男子は必要ではない。強く希望する必要もない。男子を望み、ゆくゆくはその男子に皇位を継がせたい意向があったことは、皇室の繁栄と、秋篠宮一家の繁栄という宮内庁長官の言葉にも表れている。皇室の繁栄とは現在の天皇の血統がつつがなく受け継がれることを言うはずである。そのような繁栄のうちに秋篠宮一家の繁栄宮内庁長官は入れたのである。

 女性天皇の声が上がっている状況があるにも関わらず、皇太子発言に表れている外国訪問をなかなか許されなかったことにプラスする雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった雅子の動向に対する、その動きを正当化する秋篠宮私個人としては、自分のための公務はつくらない。自分がしたいことが公務かどうかはまた別で、公務はかなり受け身的なものと考えているとする批判に類する同調の動きと、三人目の出産を強く希望した宮内庁長官の動向とそのことに対して何ら手を加えずに宮内庁長官の言葉を紹介するにとどめたことで与することとなる皇室の繁栄と、秋篠宮一家の繁栄なる展望に向けた秋篠宮の暗黙の認知を考えると、秋篠宮宮内庁長官の、少なくとも心理的には兄皇太子外しの陰謀と言ってもいい連係プレーを汲み取らないわけにはいかない。

 もし秋篠宮三人目を男子出産への希望と受け止める勘を働かすことができなかったとしたら、鈍感な人間と言われても反論はできまい。そのような希望と受け止めて、宮内庁長官三人目の理由を手を加えずに紹介することで、その意向に与したのである。これも公務はかなり受け身的なものと考える生き方と同じく、宮内庁長官が望んだから、希望に添う意思を見せたのだろうか。皇太子夫妻に男子も女子もいずれも望めない状況にあって、その意思を見せたことは、多分宮内庁の大勢も含めた宮内庁長官男系の男子による皇位継承の陰謀への結果的な加担を意味しないわけはない

 政界で女性天皇容認論が頭をもたげたのは、雅子妃の女子出産後である。なかなか子供に恵まれなかったことと雅子妃の年齢を考慮した上での動きだったのだろう。政府が皇室典範を改正して、女性天皇を容認する方向で検討に入ったとの新聞・テレビの報道があったのは、皇太子「人格否定」発言を陛下に相談なく残念と苦言を呈し、なおかつ昨年、宮内庁長官が三人目の出産を強く希望したことを明らかにした秋篠宮の記者会見の次の日のことで、かなり意味深長である。男系支持=秋篠宮支持の宮内庁の動きが世間に知れ渡ったことに対して、政府がさっそく女系支持=皇太子支持を掲げて牽制に入ったということなのだろうか。そういった闘いが事実存在するなら、正直言って自民対民主の政権獲得争いよりもずっと面白い。

 宮内庁の、少なくとも宮内庁長官男系支持は、女性天皇そのものに反対なのか、それとも国際親善を、皇族として大変重要な役目と見なして外国訪問を望む積極性を、皇太子妃の立場でありながら、出すぎていると把えて、皇太子妃は皇太子の影に寄り添っていればいいのだという男尊女卑の考えから、皇太子妃に対する疎んずる気持が坊主憎ければ袈裟まで憎し式に、秋篠宮支持に走ってしまったのだろうか、興味があるところである。

 公務が実際に受け身的なものであるべきかどうか、そうであるなら、皇太子が言う公務のあり方については、私は、以前にもお話ししたように新しい時代にふさわしい皇室像を考えつつ、見直して行くべきだとする考えは妥当性を欠くことになるが、事実そのとおりなのか、考察してみる。

 まず、天皇に関わる憲法の規定を見てみよう。

 

憲法第1章  天皇 

  第一条【天皇の地位・国民主権】
   天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存 
  する日本国民の総意に基く。
  第二条【皇位の継承】
   皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、こ
  れを継承する。
  第三条天皇の国事行為と内閣の責任】
   天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、そ
  の責任を負ふ。

  第四条【天皇の権能の限界、天皇の国事行為の委任】
    1天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を 
    有しない。

    2天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することが
    できる。
  第五条【摂政】
   皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事
  に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
  第六条【天皇の任命権】
    1天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
    2天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
  第七条天皇の国事行為
   天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
     一憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
     二国会を召集すること。
     三衆議院を解散すること。
     四国会議員の総選挙の施行を公示すること。
     五国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び 
    公使の信任状を認証すること。
     六大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
     七栄典を授与すること。
     八批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
     九外国の大使及び公使を接受すること。
     十儀式を行ふこと。

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、そ
 の責任を負ふ。

  厳密に解釈するなら、天皇は憲法が定めている国事国民のために内閣の助言と承認を必要とした上でわなければならない。それを解説するなら、天皇国事に関するすべての行為を成さしめる全体的意思決定に天皇内閣、それぞれの意思を決定因子とすることを定めている。但し内閣はその意思決定に助言と承認という資格で加わるよう性格づけられている。つまり、決定の中心はあくまで天皇の意思である。でなければならない。勿論、国民のためにという目的に添った形から外れてならないのは言うまでもない。

 逆説するなら、どちらか一方の意思を欠いても、あるいは一方の意思を無視したものであっても、その意思決定は無効となることを意味する。助言と承認が側面的なものではなく、支配的で一方的な構造のものだったなら、その文言は単なる形式となる。

 公務国事に 準ずると考えるなら、ここで既に公務はかなり受け身的なものであるとは限らず、国民が自分たちに不利益となると判断しない限り、天皇がそう望む意思を示したなら、内閣の助言と承認という条件付きながら、国事新しい時代にふさわしい皇室像を吹き込むことは不可能ではない と同様に、公務に於いても不可能ではないことを示している。

 憲法の規定は厳密に尊重されているのだろうか。規定の尊重は天皇の意思の尊重につながる。内閣が持つ助言と承認という側面性は形式に過ぎず、内閣の意思を以って天皇の意思とする規制が行われていないだろうか。天皇の意思が中心でなければならないのに、公務はかなり受け身的なものとなっているとしたら、それはそのように慣習づけられた結果としてあるものだろう。そのことを検証してみなければならない。

 

◆1995年1月21日 朝日新聞記事

<お言葉「もっと踏み込んで」>

 「20日通常国会開会式で天皇陛下が述べた『お言葉』について、同日午前の閣議で、閣僚から兵庫県南部地震への言及が少ないとして、『もっと踏み込んだ発言はできないものか』といった注文が相次いだ。しかし過去の例を理由に原案通り閣議決定された。
 『お言葉』での地震への言及部分は『今次の地震による被害は、きわめてき甚大であり、その速やかな救済と復興は言下の急務であります』となっている。
 閣議では野中広務自治相が『もう一歩踏み込んでいただけないものか』と口火を切った。五十嵐広三官房長官が『私も同じように考えたが、宮内庁としては伊勢湾台風のときの例があって、難しいようだ』と説明した。他の閣僚からも『過去の例にとらわれる必要はない』などの不満の意見が出たという。
 『お言葉』は、内閣が宮内庁と相談のうえ作成し、閣議に諮られる。今回の地震に際して、天皇は国会開会式での『お言葉』とは別に、19日、犠牲者の遺族や被災者らを見舞うメッセージを出している。」

 

 「お言葉』は、内閣が宮内庁と相談のうえ作成し、閣議に諮られるとされているが、宮内庁としては伊勢湾台風のときの例があって、難しいようだとの発言から見る限り、宮内庁作成したものを内閣は注文はつけるものの、単に了承する受身な役目を担っているに過ぎない。問題は宮内庁作成天皇の意思が関わっているかどうかである。関わっているとしたら、伊勢湾台風の前例は天皇の意思と宮内庁の意思との一致による合作と言うことになる。

 だが、天皇の意思が少しでも関わった合作なら、内閣「もう一歩踏み込んで」ほしい意思は、宮内庁を通したものであっても、直接的には天皇を訴えかける対象とすべきを、五十嵐広三官房長官宮内庁としては・・・・難しいようだと、判断を宮内庁に預けることで、天皇を省いて宮内庁を最終意思決定者に祭り上げている。そのことは「過去の例にとらわれる必要はない」との言葉が宮内庁に投げかけた言葉としてあることからも証明できる。

 これらのことは、「お言葉 」が場合場合に応じなければならないのに、前例を絶対とする慣例優先の宮内庁の官僚主義からも証明される 、天皇の意思の不在ではないだろうか。

 そのことに反して、「過去の例にとらわれる必要はない」との自分たちの意見・意志を反映することも叶わず、宮内庁の慣例優先を内閣がほぼ無条件に受入れる追従は、内閣の助言と承認を有名無実化する、めくら判を押すに類した行為と言える 。

 但し、1984年の韓国の全斗煥大統領が来日した際の天皇「お言葉 」は、1990年5月24日の韓国盧泰愚大統領の来日を控えた時点で、当時の中曾根首相の主導権のもと作成したことを自らが明らかにしている。そのときの朝日新聞の記事を紹介する。

<84年の昭和天皇「お言葉」 中曽根氏が決断 全大統領来日時

「中曾根元首相は21日午後、都内の事務所で記者団と懇談し、19834年(昭和59年)に韓国の全斗煥大統領(当時)が来日した際に昭和天皇がお述べになった『今世紀の一時期において(日韓)両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾』とする『お言葉』は、政府部内で検討を重ねた上で最終的には中曽根氏自身の決断で決まったものであることを明らかにした。
 中曽根氏によると、盧泰愚大統領の来日を控えて現陛下がどのような『お言葉』を表明されるか問題になっているのと同様、当時も昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か、ということで外務省や宮内庁などの間で様々な議論があった。
 このため首相官邸を中心に政府部内で昭和天皇がそれまで諸外国に対して述べられた『お言葉』の先例を参考にしながら文案づくりを進められ、最終的には中曽根氏自身が『全大統領は政治生命をかけて日本にやってくる。大統領が(ソウルの)金浦空港に帰ったとき、韓国民が喜ぶような環境づくりをすることが日韓親善促進のうえでキーポイントだ。ついては私に任せてほしい』と一任をとりつけ 、『お言葉』の表明を決めたという

 天皇の国事行為を成さしめる全体的意思決定に天皇内閣、それぞれの意思を決定因子とすることを前提とするなら、最終的には中曽根氏自身の決断で決まるという図式は決して有り得ないことである。有り得ることとし得た状況とは、天皇自身の言葉・天皇自身の意思の無視を前提として成り立っている内閣の助言と承認だからだろう。そうである以上、天皇は単に他人が作った(ここでは中曽根氏が一任をとりつけ表明を決めた「お言葉」なる言葉を読み上げる機械とされているに過ぎない。そしてそのような存在であることを当然なことと規定している。

 そのような規定は天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない以上、当然な姿であると言う反論が予想されるが、もう一度第七条天皇の国事行為を仔細に見てみると、その規定に日本の過去の行為の良し悪しの評価・謝罪行為、あるいは災害の被害者への慰めを述べる役目などは最初から含まれていない。それらがまさか儀式を行ふことのうちに入れているということはないだろう。儀式でしかないとしたら、外国民に対しても、日本国民に対しても非礼を働くことを意味する。

 規定にはない行為を天皇の国事行為の名のもと、内閣の助言と承認を必要は形式に過ぎず、内閣の決定事項として求める。このことは禁止されている天皇の政治的利用以外の何ものでもない。皇太子国際親善を、皇族として大変な重要な役目と思いながらも外国訪問をなかなか許されなかったという言葉からも、内閣の助言と承認が形式に過ぎないことを窺わせる。 その国際親善が単なる公務であって、国事行為に準じるもので はないと言うなら、内閣宮内庁も、皇太子の意思を最優先に尊重すべきだろう。

 日本の過去の行為の良し悪しの評価・謝罪行為、あるいは災害の被害者への慰めを述べるといった行為をもし行うとしたら、天皇が個人として行うべきではないだろうか。内閣の助言と承認を必要とせずに個人として自らの意思を表明させるべきだろう。その図式だと、少なくとも天皇の意思は無視せずに済む。

 中曽根氏は売れなくなった女性タレントがヘアヌードを撮らせて失った世間の注目を回復させようとするのと同列に、盧泰愚大統領の来日機会を捉えて、出番がめっきりと減ってメディアに取り上げられることが少なくなった自己存在を自慢話の披露で瞬間的にでも取り上げられることを狙ったのだろうが、結果として「お言葉」に関わる天皇に対するないがしろを暴露したに過ぎない。 

 1990年5月23日の朝日新聞は、<「悲しみ痛切に感じます」「お言葉」で政府最終案>と言う表題で、来日する盧泰愚大統領に対する「お言葉」政府最終案が決定したことを伝えている。天皇が述べる言葉である、政府≠ニ冠すること自体が矛盾している。天皇最終案とすべきだろう。政府が決めたことを天皇「お言葉」として述べさせる。二重基準と言う他ない。

 「政府は22日、韓国の盧泰愚大統領の来日の際、天皇陛下が24日の宮中晩餐会で述べ

 

 

 

 られる『お言葉』について、日韓両国の『不幸な過去』についてのお気持を示す部分を『その不幸な過去を思うとき,悲しみと苦しみを痛切に感じます』との表現とすることで、政府・自民党内の最終調整に入る方針を決めた。政府はこれまで『お言葉』の核心部分として「今世紀の一時期、不幸な過去が存在したことに対して、心の痛む思いがいたします」との表現で検討を進めてきたが、明確な謝罪を求める韓国側に配慮し、天皇の心情をより率直に示す表現を打ち出すことにしたものだ。
 『お言葉』をめぐって海部首相は22日の夜、公邸に中山外相、坂本官房長官らを呼び、大詰めの協議をした。この席で、原案を一部手直しした『悲しみと苦しみ痛切に感じます』との文案が提示されたが、23日にさらに政府・自民党関係者などの意見を聞くことになり、最終的な結論には至らなかった。関係者によると、@『痛切に』などの表現に韓国語の適訳があるかどうか、確認する必要があるA憲法に照らして許される範囲の『お言葉』かどうか点検しなければならない、などの意見が出されたという。最終調整がつき次第、韓国政府に提示する方針だ。
 二十二日の夜の首相を中心とする協議では、天皇陛下の『お言葉』案と同時に、首相が二十五日に盧大統領を首相官邸に招いての夕食会で示す発言内容も検討された。首相は『お言葉』よりも一層踏み込んで、過去の植民地支配や侵略戦争に対する謝罪、反省の気持を表明する考えだが、その文案の決定は『お言葉』が最終的に決まった後に持ち越されることになった」

 海部首相22日の夜、公邸に中山外相、坂本官房長官らを呼び、大詰めの協議をした場面に於いても、政府・自民党内の最終調整の場面でも、天皇は存在しない。無存在の存在と化している 。文案政府・自民党内の協同作業でしかない。アメリカ大統領が自分の演説文をお抱えライターに書かせて、それを大統領自らの言葉≠ニして演説するのと似て非なるものである。大統領は他人に書かせるとき、自分の意見を述べ、出来上がった文章にチェックを入れる自己の意志の反映を図ることができる。しかしここにはそういったプロセスはない。

 天皇は読み上げるだけ。どういう言葉にするかの検討にも加わらない。天皇の国事行為でありながら、そのお言葉」には天皇の意思が存在しない。天皇の意思は「お言葉」を述べるという行為にのみ反映される。「お言葉」自体に天皇の意思が何ら反映していないのに、一旦天皇の口から発せられると、天皇「お言葉」と受け止められ、ときには有り難がられる。詐欺同然のカラクリだが、現実はそのように推移している。

 中曽根氏はかつて、戦前・戦後を通じてとの意味を持たせて、「天皇はいつの時代も象徴天皇だった」と発言しているが、戦前の日本は天皇を現人神と規定している。現人神をも象徴的存在だったとするのは、まさしく象徴的である。象徴とはシンボル・印(しるし)を意味する。このことが天皇が 歴史的伝統的に如何なる存在とされてきたか、現在もされているか、その慣習自体を物語っている。

 秋篠宮公務はかなり受け身的なものとする発言は、天皇の意思の無視という慣習を踏まえた、それを追認する類のものなのだろうか。だとしたら、あまりにも寂しい。

 


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