市民」 

  教育を語る ひとりひとり 政治を社会語る そんな世の中になろう

  46弾     part6
       
                      2001.11.16(金曜日) アップロード      


    
   政治に積極的に物申そう
 ・・・・・・ 

      ≪民主党バックアップ会議室/掲示板≫

     http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6557/@geoboard/

 


  

【公明党正体見たり、ゴリ押し集団】
【田中外務省改革と小泉構造改革に於ける相関関係】
【民主党は田中真紀子外務大臣を擁護せよ】
【アフガン、どちらの正義を取るか】
【天皇の「極めて異例なこと」

【天皇と日本人の自律性
【今こそ問われる親・教師による言葉の意味化】
【戦後日本における4番目の戦争】
【貧富の格差を認めよう】
【夫婦別姓】

 


【公明党正体見たり、ゴリ押し集団】

 政党にとって選挙とは、所属議員が公職選挙法に定められた正当な方法で当選の票数に必要な有権者の支持を得ることである。公明党はその努力をせずに、固定支持者数のまま、一部の小選挙区に中間選挙区を導入する選挙制度改革で、選挙区の当選議員数を増加させ、そこに公明党議員を割込ませて当選議員数を上乗せしようと企んでいる。そのゴリ押しから窺えることは、支持母体である創価学会員以外に支持者の広がりがない公明党のジリ貧状況である。そのことからのなりふり構わないドタバタ芝居だろうが、公明党は自分たちのハレンチな無節操に気づいているのだろうか。そのような政党が政権与党の一角を担っている。このことは日本の政治が利権政治を構図としているからこそ許される、その延長行為(自己利権行為)に他ならない。

                      2001.10.29.


【田中外務省改革と小泉構造改革に於ける相関関係】

 小泉首相の構造改革は、政府・省庁・特殊法人等のカラ主張・カラ手当て・公金流用といったムダ遣いや公私混同、職務に関わる非能率性、採算を無視した結果の返済不可能な膨大なまでの累積赤字、天下りやキャリヤ昇任に於ける人事の非合理性などの政治家にまで蔓延した官僚主義の排除を通して、国家運営をより機能的、より創造的たらしめるべく目的とした全体機関を対象としたものであるのに対して、田中改革は、外務省におけるまったく同じ構造の否定面の排除・改革を目的とした一機関を対象としている以上、両改革が相関関係にあるのは言うまでもない。このことは官僚主義の横行・蔓延が一人外務省にとどまらず、関係する政府機関全体に亘るものであることを示してもいる。いわば伏魔殿は外務省だけの問題ではないと言うことである。
 官僚主義の横行・蔓延のこのような構造から言えることは、小泉改革の成否は田中改革の成否にかかっているとも言える。外務省の改革を先送りしたなら、それだけで全体の改革は不徹底なものとならざるを得ないからである。言葉を変えて言うなら、もし小泉首相が田中真紀子外務大臣を擁護できなかったなら、それは改革の後退、もしくは挫折を意味することになる。
 構造改革は何も小泉首相が言い出したことではない。日本の行政における
官僚主義(非能率性・非採算性・非合理性・公私混同)は、自民党が官僚機構や旧社会党の便乗・加担を得て、戦後から今に続くその金権主義や形式主義、あるいは権威主義的な支配と従属の関係が生み出したでものあって、その改革を歴代内閣が目玉政策としてきたものの、総論賛成・各論反対の抵抗に出くわして、常に先送りされ、手の施しようもなく末期症状を招くまでに至ったという経緯を背負っている。その成果が失業率5.3%という現在の大不況なのは言うまでもない。そして自民党がその責任を一切取らないという姿勢は、改革には反対という旗色を鮮明にしていること(Show the flag=jに他ならない。もっとも一番の問題は、国民が責任を取らせることを回避して、擁護したことだろう。
 参考までに
≪官僚主義≫という言葉の意味を『大辞林』(三省堂)でひも解いてみる。「官僚や組織の特権階層に特有な気風や態度・行動様式。規則に対する執着、権限の墨守、新奇なものに対する抵抗、創意の欠如、傲慢、秘密主義などの傾向を批判的に言う場合に用いられる」(筆者注・日本の政治家・官僚の多くにそっくり当てはまる内容ではないか)
 当然田中改革に対する外務官僚のあざとい抵抗は、
官僚主義 に極めて関係しているはずである。コワモテの大臣が(勿論性別は男性、それも俗っぽい)怒りもあらわに怒鳴りつけたなら、慌てふためいき顔を青くして駆けつける官僚の権威主義的態度(強い者・地位が上の人間にはペコペコ頭を下げ、弱い者・地位が低い人間には自分の地位・権限を笠に着て不正・過大な要求をする、特に政治家・官僚に散見する性格傾向)は、なぜ田中真紀子に対しては有効に機能しないのだのだろうか。いくら女性でも、トップに位置する大臣である。トップが例え無能であっても、陰にまわって批判したり、バカヤロー呼ばわりしたとしても、表面的には従順な態度を示す面従腹背が権威主義的人間関係における特徴的態度である。その反動で下の者に踏ん反り返るのだが。
 官僚たちのそのような
権威主義的態度に反する田中真紀子に対する報告を怠ったり、指示を無視したりする力関係の逆転に納得のいく説明を施すとしたなら、田中真紀子以上に力のある者が外務官僚を背後からバックアップしていて、力関係の逆転を可能にしているとしか答を導き出すことはできない。
 あくまでも十分にあり得るという文脈での憶測だが、既得権益擁護派の
自民党最大派閥橋本派、特に外務官僚に隠然たる影響力を持っている派閥実力者の、名前は出さないが、あの貫禄のない、泥臭いだけの(人それぞれの感受性の違いによって受止め方が違うし、洗練された貫禄の持主だと言う人間もいるだろうが、多分目が悪いのだろう)鈴木宗男とか言う議員が後押ししていて、田中真紀子をないがしろにしているとしたら、強い者・地位が上の人間には卑屈にペコペコ頭を下げる官僚にしても、仲間の人数とか、官僚との人間関係とか直接的に有効な個人的な力を持たず、無派閥で孤軍奮闘する以外はバックアップのない田中真紀子に露骨なまでに強い態度に出れる可能性は出てくる。
 勿論そのような妨害は、他派閥の首相に手柄を挙げさせたくない嫉妬も手伝った、小泉構造改革に対する抵抗の象徴として、無派閥な上に女性と言う弱さを狙って仕掛けた攻撃なのは言うまでもない。もっともしたたかで芯が強くて目論見どおりには進まない見込み違いに悩まされているようだが。
 それにしてもテレビで見る外務官僚のふてぶてしさ、えげつない陰険さは東大とかの最高学府に学んだとは見えないイサギの悪さである。それとも最高学府というところはケチ臭い権謀術数を学ばせる場所だとでも言うのだろうか。外交の停滞に関して外相の能力を問う声が聞かれるが、それは自分たちの不始末・不行跡にイサギヨイ責任態度を取れない外務官僚に向けるべきものだろう。上に立つ日本人がこうまでもイサギヨクナイとは驚きを通して、感心さえする。
                2001.10.31.

≪次の文章はあるHPに書きこんだ文章です≫

田中真紀子に外務大臣は務まるのか
  過去の日本の大臣で、外務に関係なく創造的な仕事をした大臣がいたというのだろうか。殆どが官僚のお膳立てに乗っかって
事後処理的手当ての政治(あるいは取繕い政治)で間に合ってきたのである。森前首相の例を出すまでもなく、創造的能力がなくても、誰でも大臣になれる政治社会なのだから、田中真紀子にも務まるはずだ。以前大蔵省が管轄権を笠に着て金融機関などに飲み食いのタカリをしたように伏魔殿は外務省に限ったことではないのだから、徹底的な外務省改革をすべての省庁改革の先鞭とすべきで、田中真紀子にはうって付けの役割だろう。政治家と官僚は同じ穴のムジナである。官僚の馴合い・序列・責任回避意識の根絶が政治家の同列の欠陥の改善につながったなら、日本の政治家にはない政治的創造性への期待が初めて可能になるのではないだろうか。

                    2001.11.10.    


【民主党は田中真紀子外務大臣を擁護せよ】

 もし小泉首相橋本派、森元首相らの主導権回復を狙った内閣改造圧力に屈して、自らが掲げた≪一内閣・一閣僚≫の看板を降ろすことにでもなったなら、それは小泉首相と抵抗勢力が馴合うことを意味して、自民党の割れる目は限りなく失われる。田中真紀子以外に機密費問題・裏金問題を含めた外務省改革は為し得ないとして擁護する形で≪一内閣・一閣僚≫の公約を遵守するよう逆に圧力をかけ、その公約に小泉首相を縛りつけることに成功したなら、自民党内の対立が深まる可能性は高くなり、党自体が二つに割れる目も出てくる。
 外相と外務官僚とのイザコザで少しくらい外交が停滞したとしても、元々日本の外交は
アメリカ追随で独自性も独創性もゼロに等しく、金権外交が専門で、カネだけ出して無難にやり過ごしてきたのだから、さして支障は出てこないだろう。それどころか、夥しい成果さえ上げていて、顕著な例を一つ示すとしたなら、インドネシア元大統領スハルトとその一族、及び政府高官たちの私腹肥やしに手を貸した世界最大の経済援助だろう。

                  2001.11.1.


【アフガン攻撃、どちらの正義を取るか】

 ビンラディンニューヨーク同時多発テロは死者・行方不明者を含めて6000人台の規模の犠牲者を出している。行方不明者に対して、生存の見込みがないことから、本来なら3年は待たなければならない死亡通知書の発行を余儀なくさせている。テロ組織撲滅を目的としたアメリカのアフガニスタン攻撃で、タリバン側は誤爆によって1000人以上もの一般市民の犠牲者を出しているとアメリカを非難した。差引きの計算はできないだろう。タリバン・ビンラディン側から言わせたなら、ジハード(聖戦)の論理で、あるいはイスラム教対キリスト教の対立の構図で、正義は自分たちにあると言うだろう。アメリカは最初から自由と正義を掲げている。所詮正義なるものは人それぞれの判断によって決まる相対的な価値物でしかない。万人に等しい絶対的な正義なるものなど存在しないし、それぞれの正義を取上げたとしても、国益だとか政治的な支持欲求、体制擁護、自国民優先・自民族優先、あるいは同じ宗教を信仰していたとしても、宗派の違いで他宗派否定・自宗派絶対といったいかがわしい利害感情・損得勘定を不純物として含まない純度100%の正義など決して存在しない。
 要はどちらの正義を取るかである。強いて言うなら、
誤爆による犠牲は人間生命そのものを攻撃対象とするテロと違って、当初から一般市民の生命の抹消を目的として発生するものではなく、あくまでも不測事態を起因としていて、タリバン側が言うように決して「新たなテロ」ではない。民族対立で多数の難民をつくり出し(餓死者・病死者も出していることだろう)、西欧諸国等からの援助によってその生活維持の食糧の大部分を依存していなかったなら、誤爆の死者どころではない大量の餓死者を出してきたことだろう。それ以前の問題としても、難民をつくり出すこと自体、国民の生命財産の保障責任の怠慢、もしくは放棄以外の何ものでもない。
 勿論、
英国植民地主義米ソ冷戦の生け贄となる歴史を背負わされはしたが、最終的にはパシュトゥン人だ、タジク人だ、スンニ派だ、シーハ派だといった民族レベル・宗派レベルの愚かしい縄張り抗争が招いた自発的混乱のはずである。
 
誤爆によって受けた犠牲にしても、市民がタリバンを政治支配者として受入れている選択から生じた(例えそれがやむを得ない、あるいは無知による選択であっても)一つのマイナスの成果であって、犠牲の責任はタリバンという国家権力者が負うべきものである。一般市民の側から言うなら、タリバンの言う正義の立場に立つなら、その選択責任からして共有しなければならない困難、もしくは障害とも言うべきものだろう。

                      2001.11.3.


【天皇の「極めて異例なこと」】

★毎日新聞の11月3日の朝刊に次のような記事がある。皇居宮殿で行なわれた文化勲章の授与式で、「陛下は小泉首相の母親の死去に対して、首相にお悔やみを述べた。儀式が行われる部屋でこうした形での陛下の発言は極めて異例で、宮内庁は『お気持ちの表れ』としている」テレビでも極めて異例なこと」だと言っていた。
 
いくら天皇であっても、最近近親者を亡くした顔見知りの人間がすぐ近くに位置しているのに、それを悔やむ言葉を何も掛けないことの方が異例だと思うが、そのことに誰も疑問を示さない。天皇は畏れ多い存在だとする意識が今もって天皇(国家権力)・国民双方に相互投影し合っていることからの厳粛さの要求――裏返すなら、「儀式が行われる部屋でこうした形での」気軽さの否定なのだろう。そういったことが「極めて異例」という前例のない状況をつくり出してきたのである。
 なぜ日本人は
天皇畏れ多い存在だと見なして、声を掛けられるだけでこうまでも有り難がるのだろうか。そこにはどうしようもなく権威に対する卑屈さの回路が窺える。
 答は一つ、そのような日本人の精神性は、東大出とか大臣とか大蔵省の高級官僚とか、大企業の社長とか、地位・経歴ある者と知己となることを名誉・勲章として有り難がる(いや、そういった地位・経歴がある人間だと聞いただけで、驚き、感心してしまう)
権威主義の精神性と重なり、地位・経歴の究極に位置する者としての天皇に対する無闇やたらの恐縮なのだろう。日本人の心に現在でも巣食っている官尊民卑・男尊女卑の意識も同じ系列に入る精神性としてあるものである。要するに日本は民主主義国家と言いながら、意識面の回路では人間の価値を地位・経歴・財産・職業などの上下で計る階級社会であることから抜け出れないでいるのであり、日本人の人間関係に自由度のなさを生じせしめている最大の元凶ともなっている。ほんの一例を挙げるとするなら、アメリカでは相手が国会議員であっても、親しくなればファーストネームで呼び合うのに、日本ではいつまで経っても先生と呼ばなければならない。呼ばなければ、生意気な人間と見られる。代議士秘書には、雇い主に対しても、雇い主以外の国会議員に対しても「さん」呼ばわりすることなど考えられもしないことだろう。
 勿論、テストの成績で生徒の人間的価値を決定する
学歴主義価値観も、同じ系列の精神性の産物なのは言うまでもない。大学研究室の教授と学生の徒弟的関係も、同根・同質の意識で成り立っている。
 地位・力のある者を畏れ、有り難がる。地位・力のない者に対しては何様に振舞う。そのような
権威主義性を払拭して、自由・率直な人間関係様式を築くには、天皇を無闇やたらと有り難がることをやめることが、その象徴的出発点となるのではないだろうか。そのような人間関係の実現こそが、日本人から権威主義的な従属意識・横並び意識を解き放ち、その代償作用として日本人に欠如しているとされる創造性の萌芽を促すはずである。

                    2001.11.4.

上記の文章をあるHPの掲示板に載せたところ、「天皇は儀式の中に生きる存在」で、「それは上下で」計るものではない「異質な世界の存在」者であって、「それを支えているのは日本人の文化」だという主旨のご意見を戴いた。(参照・http://board.lycos.co.jp/society_mass_media/domestic/board/index.php3?qid=688&cn=2)それに対する反論が次の文章です。少し訂正個所(青字個所)があります。

「天皇は儀式の中に生きる存在」でしょうか】

 最大級の付加価値をつけるために、儀式を利用しているとは考えられませんか。日本民族は優秀な民族であるとする、その象徴的根拠天皇の存在に置いているために、その理由づけを神秘性を装わせた複雑面倒な儀式で代弁させる必要があるのだと。
 天皇
日本を最初に統一した初代の政治支配者かもしれませんが、歴史の早い時期から豪族・貴族等が自分の娘を天皇の后とし、その子が天皇になると外祖父として影響力をふるい、天皇の権力を略奪し、私物化する構図の権力闘争日本は政治権力における自らの歴史としています。蘇我稲目の2人の娘は欽明天皇の妃となり、用明・推古・崇峻の3天皇を生んでいます。稲目の子・馬子東漢駒(やまとのあやのこま)に血のつながった崇峻天皇を殺させ、推古天皇を擁立して、聖徳太子を皇太子とするキングメーカを演じています。このことから読み取れるのは、恣意的権力に翻弄される天皇家の図です。
 馬子の孫入鹿聖徳太子の死後、その長子の山背大兄王(母は馬子の娘)一家を襲い、妻子共に自害させています。そして父親の蝦夷と家を並べて建てて、それぞれの家を蝦夷上の宮門(みかど)、入鹿谷の宮門と称し、子を王子(みこ)と呼ばせる僭称を行なっています。いわば天皇は決して
「異質な世界の存在」者などといった特別な存在ではなく、日本の歴史の殆どの局面において傀儡の位置に貶められていたのです。そのように天皇の血に娘の血を受継がせて天皇の親戚として権力をふるう権力逆転の構図は藤原・平家と受継がれ、源氏以下の武家の時代においても実質的権力はそれぞれの時代の武家の棟梁が握り、経済的にも困窮する単なる名目的な地位を与えられていたに過ぎません。徳川幕府直轄の京都所司代朝廷の守護と監察を役目の一つとしていました。手中に収めていたということです。
 幕末になって、薩長徳川幕府に対抗する錦の御旗として天皇を担ぎ出したものの、依然として実質的な権力は薩長出身者が握っていて、戦前は軍部の我が物顔の時代となり、天皇は常に形式的な存在だった。明治政府と軍部天皇の神格性を全面に押し出したのは、国民統治(=自己権力の絶対化)の装置としての意味と、戦争遂行という実際的な目的以外に、欧米の列強に対抗するために日本民族が白人種に負けない優秀な民族であるという存在理由を必要としたからではないでしょうか。
にも関わらず、白人にはコンプレックス・有色人種には優越感という意識は日本人が天皇に装わせた特殊性があくまでも見せかけのものでしかなく、そのようにも天皇の特殊性を根拠として成り立たせている日本民族優越意識自体が当然見せかけのものに過ぎないことからの矛盾現象なのでしょう。大体が人種や民族を一緒くたの単位で優劣を決定する日本人の客観的認識能力自体が滑稽なことで(他人のカネで飲み食いする乞食政治家・乞食役人が日本人の中にゴマンといる事実だけでも、日本民族優越意識は破綻する)、コンプレックス優越感という両局面の複合感情から抜け出せれなければ、日本人はいつまで経っても主体的存在となることはできないでしょう。それは、天皇を特殊な存在と見ることからの訣別・天皇「無闇やたらの恐縮」を感じることからの訣別を契機とするのは言うまでもありません。

              掲示板書込み・2001.11.7.
                書き直し・2001.11.9.


【天皇と日本人の自律性

 早期老人性痴呆症気味で(あと一ヶ月で61歳)名前は忘れてしまったが、自民党の政治家で、「日本は2000年の歴史があるが、アメリカは高々200年の歴史しかないじゃないか」と言った立派なお利口さんがいた。
 なぜ2000年の歴史を持ってきたのか。その意識の裏には、2000年の歴史=天皇=(天皇を頂点とした)単一民族思想が鎮座していて、日本民族優越性のキーワードとしていたからだろう。だが、本人だけではなく、多くの日本人が信じているそれらの優越価値を以ってしても、政治のノウハウにしても、金融のノウハウにしても、経済・技術のノウハウにしても、欧米、特にアメリカから学んだり、教えられたりしているのが実状なのである。佐々木正・元シャープ副社長も、
「独創的原理はしばしば欧米発で、明治以来の模倣ぐせが身についた日本の限界を感じる」(2001.3.24.「朝日」朝刊)とまで言っている。
 「模倣ぐせ」は「明治以来」ではなく、多分大陸から日本列島に渡ってきて「以来」ではないだろうか。
 もしも実際にアメリカの200年に対して日本の2000年が優れているとしたなら、万人の認める客観的事実としての具体的事例――いわば2000年の歴史が生んだ誇ることのできる何らかの果実を挙げるはずである。それを由緒ある先祖の名前を出して自分を価値付けるのと同じく、国家の価値付けをただ単に国家成立の時間的経過の長さに根拠を置くだけでは意味はないのだから、彼の言葉はコンプレックスの裏返し――簡単に言えば、負け惜しみなのは確かである。
 確実に言えることは、今ある日本にとって2000年の歴史、天皇・単一民族が何をもたらしたのか、それを問題にしないで、内実性とは正反対の、歴史を表す輪郭でしかない形式を単純に日本人の優越性のキーワードとしているようでは、あるいは優れた文化だと把えているようでは、いつまで経ってもアメリカに対して、政治に関しても、経済や技術に関しても、文化に関しても、自律した関係は持てないということである。

                        2001.11.16. 


■次の一文は、私の掲示板書込み「天皇は儀式の中に生きる存在」でしょうか】に対する、「日本民族として自信を持つことは大切です」という一部反論に対する答です。参照・
http://board.lycos.co.jp/society_mass_media/domestic/board/index.php3?qid=693&cn=14

 私は「民族単位」思考には反対です。アフガニスタンの混乱が現在も続いている本質的な原因は、民族を単位とした、その違いによる対立・抗争、あるいは権力争いです。日本は単一民族国家だという人間がいますが、在日韓国・朝鮮人と日本人との間には、心理的な確執が今なお存在しています。中国残留孤児の子どもたちが学校で、「中国に帰れ」といじめられるのも、民族単位で人間を把える意識からのものでしょう。
 日本国内にとどまっている間は構わないのですが、日本民族意識をアジアに向かって押し出したとき、第二次大戦の記憶から、アジアの国々は警戒するでしょう。
 パキスタンに亡命しているアフガン人の音楽家が、「みんな仲良くすれば、戦争はなくなるのに」と歌っているのをテレビで放送していました。ところが、既に民族単位で主導権争いが始まっています。相互に民族を超えて、それぞれが一個の人間だという意識が持てないことからの反目でしょう。
 日本人が自信を持つなら、日本人としてこうすべきだ、ああすべきだと日本民族を根拠としたものではなく、どういう態度を取るべきか、個人個人の主体的選択に任せるべきだと思います。

>他国のメディアの報道にうろたえたり、勝手に嫌われている、蔑まれていると思いこんでいるように思えます。

>湾岸戦争時、何か非難されたような気がしていつまでも気に病み、とうとうアフガンに自衛隊を派遣することになったのは、右顧左眄してきたことの結果だと考えます。日本のなすべきことは、全然別のことだったはずだと私は思います。

 両方とも、日本人が「民族単位」思考に囚われているからこその全体現象のはずです。日本国籍を持った日本国民であったとしても、一人一人が一個の人間だという意識が持てたなら、何事も全体現象にはならないはずです。小泉高支持現象も、全体現象です。選挙権のない女子高生まで、小泉首相の街頭演説にアイドルの追っかけよろしく一目みようと駆けつけ、顔を見るなりキャーキャー騒ぐという始末でしたから。お手並み拝見と一歩距離を置けないのは、自覚的・意識的な選択ではないからでしょう。
  戦前、国民総軍国主義化することができたのも、日本人とか日本民族とか、全体性に立脚点を置いていたからこその全体現象でしょう。戦前日本人が国民総軍国主義化することができたのも、日本人とか日本民族とか、全体≠ノ立脚点を置いていたからこその全体現象でしょう。戦争に少しでも反対の意思を示したなら、国賊とかアカ、非国民と村八分にされのは、全体から外れることを許さなかったからです。自信を持つときも、<全体的>。バブル時、多くの日本人がもはやアメリカに学ぶものはないと自信過剰になったものです。そして自信を失うときも、<全体的>。戦前から今もって続いている性格傾向です。アメリカではベトナム戦争反対も、アフガニスタン攻撃反対も、その殆どが個人として意思表示しているから、デモも行なえるし、テレビカメラに向かって反対表明を堂々とできるのでしょう。私自身は自衛隊はアメリカ軍と共に戦うべきだという立場ですが。日本人の自信回復のためではなく、毒を以って毒を制すの考えからです。

                        2001.11.16.

次の2文章は、

私の天皇に関する一連の書込みに対する意見(「雅子さん女産んだら、パッシングやろなー 優れたものの真似は、有益だと日本人は、思っているから、ここまで来たのかも」)に答えたものです。ページに書き加えることにしましたです。
━━書き加え日・2001.11.17. 

「雅子さん女産んだら、パッシングやろなー」

手代木「そのときに備えて、既に自民党内では、女子にも皇位継承を認めようという動きを見せています。原則よりも、都合に合わせて何でもありが、日本の政治なのです。柔軟なのはいいのですが、往々にして国民後回し、自民党優先・政治家優先になるから、困りものです」

同じ人からの返事Re:女帝もあり??ホンマなの?」と題して

「なんとなくこれあなたの作り話やないの?
自民党・・・いうけどね
天皇=神のシステムをたかが日本の1つの党がどうこうできると思ってるわけ?
あなたは60歳や言うけどちゃんと天皇家のこと勉強してへんのとちゃう??
扶桑社の教科書で勉強しなおしたらいかが??(笑
 

手代木自民党の<動き>(「皇室典範」改正問題)は次の通りです。
■「山崎幹事長は女性の皇位継承権や天皇本人の退位を認める皇室典範の見直しについて『デリケートな問題で、党内議論が進んでいない。与党内にも慎重論があり、少し時間をかけてやっていいのではないか』と述べ、見直し作業は慎重に進める考えを示した」( 毎日新聞2001年6月1日 )
■同じ問題で「湯浅利夫・宮内庁長官は」「『雅子さまのご懐妊のことが契機になっていると思うが、議論に十分に耳を傾けて真摯に受け止めたい」と話した。この問題では自民党内で改正の検討が始まっているほか」、小泉首相も賛成の方向であることを付け加えている。(毎日新聞2001年5月10日 )
■「小泉首相は9日午前、自民党内で女性に皇位継承権を認めるため皇室の基本法である『皇室典範』改正問題が浮上していることについて、『いいと思う。個人的には女性の天皇陛下でもいいんじゃないかと思う』と述べた」(毎日新聞2001年5月9日 )

※これら一連の動きは、皇太子妃の妊娠困難な体質と(それとも皇太子の方に問題があるのかな)一度の流産経験を踏まえて、今度の妊娠を最後のチャンスと見た、女子を出産した場合の備えとして出てきたものでしょう。現在このような動きを見受けないのは12上旬出産予定だから、多分検査で既に男子と判明しているからなのでしょう。問題が差し迫るか、勃発してからではないと事態に向き合うことをしないのも日本人の一般的な行動様式となっています。
 「天皇=神」を前提していることがそもそも間違いなのです。あなたは天皇の「お言葉」は内閣がつくると言うことを知ってますか。天皇はただ読み上げるだけです。「扶桑社の教科書で勉強しなおし」ても知ることはできないでしょうね。これ作り話やないよ。
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◆次は、「明治以来の模倣ぐせ」に対する意見です。

優れたものの真似は、有益だと日本人は、思っているから、ここまで来たのかも」

手代木日本人が真似できることは他の国の人間も真似できると言うことです。2001/11/17「朝日」朝刊に出ていますが、韓国は今ではDRAMのシェア世界一となっています。その韓国も、「いずれ中国がDRAM大国になる」と警戒感を強めているとのこと。99年には韓国は日本を抜いて建造量で「造船世界一」となっています。中国は日本の農業技術で日本に劣らない農産物をつくるようになり、人件費の安さも手伝って対日輸出攻勢を掛けています。工業分野においても、いずれは同じ展開を見せるでしょう。
 単なる真似で受継ぐことのできる技術はカネで解決できます。中国が豊かになり、さらに高度な技術を買う資金に回す、あるいは自前の技術開発に投資する。今まで日本がしてきたことを、韓国、台湾と続き、現在では中国です。日本であろうと韓国、中国であろうと、技術はカネ(資金)さえ続けば積み重ねができますが、カネ(資金)があっても、発明は保証されません。発明は<真似>とは別次元のものですから。世界第二位の経済大国とは言え、アメリカと比べた自然科学分野でのノーベル賞受賞者の極端な少なさが、そのことを証明しています。「優れたものの真似は、有益だと」ばかりに済ませてはいられないでしょう。

 

 


【今こそ問われる親・教師による言葉の意味化】

 
「朝は、七時前に出勤。帰宅は、子どもが寝入った夜の10時、11時。お父さんにとっては、家庭とは、ローンを抱えたホテルでしかありません。まして、単身赴任ともなれば、父親の教育力量を発揮することなど全く消滅してしま」「『父親不在』」と、「父親不在に、母親のパート労働、子どもは各人が塾やおけいこごと通いで多忙。こうなれば向き合った家族の時間も空間も持て」ない「『家族の向き合い関係の希薄化』」(『いじめっ子 その分析と克服法』尾木直樹著・学陽書房)といった「『家庭の問題点』」(同)が親のしつけが子どもに届かない主要な原因だとする考えが通念化して久しい。
 では、教師と生徒との
「向き合い関係」が時間的にも空間的にも家庭と比較したならより濃密で、教師「不在」とは決して言えない、それゆえに十分に「教育力量を発揮」可能なはずの学校社会において、にも関わらず、家庭と同様に、あるいはそれ以上に学級崩壊だ、いじめだ、暴力だと「問題点」が存在する、その矛盾した原因をどこに求めたらいいのだろう。
 
「向き合い関係」が濃密だろうが希薄だろうが、それが単に時間的長短・空間的占有
で計られるものであったなら、家庭や学校の
「問題点」の解決に触れることには決してならないということではないだろうか。当然、そこにいるだけではない、例えいなくても、手紙や電話でも可能な言葉のやり取りである双方向の会話を介在させた関係があって、初めて「向き合い関係」は意味を持ってくる。
 問題は、その言葉である。言葉のやり取りは、本質的には自己を知らしめ、他者を知るためにある。その目的を十二分に達成させるためには、相互に相手の感性・想像力(創造力)を刺激する言葉となっていなければならい。親が、「勉強はしているか」、「今度のテストの成績はどうだった」、「テストの成績が上がったから、今度のお前の誕生日には欲しいものを買ってやろう」といったレベルの言葉なら、親は現時点まで培ってきた社会的経験の総和としての現在の自己のうち、どれ程の自己を知らしめることになるのだろう。親という他者を知るための感性・想像力(創造力)が刺激されなければ、子どもは親の感性・想像力(創造力)を刺激し得るに足る自己を知らしめる言葉をつむぎ出しようがないではないか。親の発するするそのような言葉は、記号化された言葉――
言葉の記号化に過ぎないだけではなく、親の記号化した言葉を受けた子どもの記号化した言葉となって表れるのみである。
 教師が教科書の文字をなぞるだけの解説をして、それを生徒に暗記させる一方通行の言葉も、記号化した言葉の発声でしかない。そしてテストの点数を土台として、生徒の成績を数字で表し、それを生徒の人間的価値尺度とすることも、最たる記号化であろう。
 親・教師共、記号化した言葉からの脱皮が、親が家にいる時間が少ない少なくないに関係なく、あるいは教師が子どもと触れ合う時間の量に比例して役立たせることができていない
「不在」「向き合い関係の希薄化」を解消する最短の方法ではないだろうか。いわば、今こそ問われているものは、親・教師の言葉の意味化である。親は、教師も含めて、それを自らの役目としなければ、いくら家にいる時間を多くしても、子どもに対して存在≠獲ち取ることも、「向き合い」を回復することも適わないだろう。
 
言葉の意味化の出発点は、唯一人間を知ることから始まる。多くの日本人が、医者や弁護士や政治家になったとしても、他人にハートを持ち得ないのは、それが暗記教育で獲得した職業であって、人間の生きる姿を学んで獲得した職業ではないからだろう。世の中にそれぞれに異なる生き方をしている無数の人間の無数の生き方を見つめることが、自己の生き方との照合へと発展し、そのことが自己を知り、他者を知る相互認識能力獲得の契機となっていく。必然的に、自己の発する言葉は記号化から脱し、意味化への道へと否応もなしに踏み出すことになる。
 世の中にどのような生きる姿があるか最初に知るには、テレビの世界から学ぶのもいいだろう。勿論、読書の世界からも学べる。注意しなければならないのは、スポーツや芸能で活躍する人間のみを偏って見つめるのは、一般的才能がその他大勢の人間にとっては、生き方の比較対照とはなりにくい点である。いわば、自己を見つめ、自己を知る訓練とはなり難い。そのような活躍する人間を特定対象として、どのような自己を知らしめるというのだろう。
 車椅子を自分の足として、二本足で大地をしっかりと踏みしめるように、健常者に臆せず社会に生きる身障者の姿をテレビの番組から拾い出すのもいいだろう。失敗の連続ばかりで、発展も向上も遅々とするばかりだが、父親の後を継ごうと、父親に教えられ、炭焼きに挑戦して、家の前の道端に売り物として並べるまでになった知的障害者の生きる姿を伝えるテレビ番組もあった。
 小さな船で川漁や海漁で黙々とささやかな生計を立てている発展途上国の原住民の生きる姿は、我々に何を知らしめるのだろうか。日照りや洪水に悩まされながら、しぶとく大地に張りついて細々と農業を営み続ける世界の人間たち。地球の隅々にまでたどっていったなら、どれくらいの生きてある姿を学ぶことができるだろうか。すべての姿が何かを語り掛け、語り掛けられることによって、それは暗黙の言葉を媒介として我々は否応もなしに自分を見つめることになり、それは同じく否応もなしに意味化した言葉へと向かっていく。
 テレビに映る人間に直接的には語り掛けることはできなくても、獲得した意味化した言葉は周囲の人間との、自己を知らしめ、他者を知る相互認識の道具とならないでは済まないだろう。 
 学校教育が暗記教育であり続ける限り、親がテストの成績の向上を求め続ける限り、
言葉の記号化から抜け出ることは適わず、従って、今こそ親・教師の役目の中心に据えなければならない言葉の意味化の獲得はますます遠ざかることになっていくことだろう。いわば、親子関係も、教師対生徒関係も、現状維持を続けるしかないということである。
                 

2001.11.16.

【戦後日本における4番目の戦争】

 2001年10月29日、テロ対策特別措置法が成立、自衛隊の海外派遣が決まった。「法の骨子」として、次のような記事が10月30日の「朝日」朝刊に載っている。

【自衛隊の活動】米軍などの活動を支援。武器・弾薬は、補給や外国領での陸上輸送はできな
         い。

   【活動範囲】公海上や当該国の同意がある外国領で、戦闘行為が行われておらず、活動期
         間を通じて行なわないと認められる地域。

  【国会の関与】基本計画に定める自衛隊の活動は、20日に以内国会に付与し、承認を求め
         る。

  【武器の使用】自分や、共に現場にいる自衛隊員、職務に伴い自己の管理下に入った者を防
         護するために使用できる。

 ▼
改正自衛隊法テロに備え、在日米軍の関連施設などを自衛隊が警備できるようにする。防衛
         機密を洩らした業者らも処罰。教唆した者も処罰の対象。」


 
テロ対策特別措置法は直接的な軍事行動への参加ではないことを強調した内容となっているが、米軍、その他の攻撃参加軍の軍事活動に対する後方支援を目的とするものであることに変りはない。別の言い方をするなら、日本の後方支援によって、米軍、その他の攻撃参加軍の軍事活動をより有効足らしめようとするもので、間接的な加勢=間接的な戦闘行為に他ならない。間接的な戦闘行為とは、間接的な戦争行為そのものに当たる。いわば、どのような協力であっても、攻撃に利益を与えようとするものである以上、間接的な戦争行為と言える。そして、間接的であろうと直接的であろうと、それは単に役割分担を違えているだけで、戦争参加≠ネのは言うまでもない。言い直すなら、軍事攻撃に利益(=力)を与えようとするものであるなら、それは正真正銘の戦争行為に当たるということである。正確さを期すなら、共同戦争と言うべきかもしれない。
 例えば
オサマ・ビンラディンがテロ集団に一部資金を与えて、彼が指示を出さなくても、その資金がテロ集団のテロ行為に役立った(力を与えた)場合、オサマ・ビンラディンはテロ行為に無関係だと言えるだろうか。「俺の指示ではない。カネを出しただけだ」という弁解は通用するだろうか。例えそれが資金の一部に過ぎなかったとしても、テロ集団を動かし、テロ行為を機能させた要因の一部となったのである。例え一部だろうが、共犯行為(=共同行為)に他ならず、それをテロ行為参加を意味すると解釈したとしても、妥当性を欠くとは見なされないはずである。
 以上の文脈から行くと、
アミテージ米国務副長官が自らの「ショウ・ザ・フラッグ」発言を自己解説して、「日本がこの戦いに最大限に関与していることを示せという意味だ」(「朝日」10/6夕刊と述べているが、「最大限」であろうと「最小限」であろうと、アメリカのアフガニスタン攻撃に直接的に″v献しようとするものであるなら戦争行為≠意味しない「関与」というものは成立しないとしても、間違いではない。
 同じ記事で、
アミテージ米国務副長官「米国と共にあるかどうかということで、50%、60%という目盛りはない」とも発言したことが記されているが、「米国と共にある」ということは、日本ができる範囲内でアメリカのアフガニスタン攻撃「と共にある」ことを意味し、暗示的にではあるが、発言は図らずも日本に戦争行為≠求めるものとなっている。
 
土井たか子社民党首はいつだったか、「日本が戦後、戦争をしないで済んだのは平和憲法のお陰だ」といった主旨の発言をしていたが、事実その通りなのだろうか。
 どのような協力であっても、軍事攻撃に利益(=力)を与えようとするものであるなら、それは正真正銘の戦争行為に当たるとする構図からすると、攻撃のための軍事基地を提供、
軍用機・軍用車両の修理、特に湾岸戦争での90億ドル(1兆1700憶円)もの巨額な戦費提供などは、表面的には米軍の軍事行動に対する間接的な支援であるが、その間接性がどれ程に米軍の軍事行動を手助けしたか、戦闘行為を機動的及び機能的ならしめた以上、本質的には十分に戦争行為と解釈できる。もしそうでないなら、朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争も、軍及び人軍人のみによって戦われた戦争であって、多国籍軍として参加していた国々の一般国民は戦争に参加していなかった、無関係だったという論理も成り立つ。実際には精神的にか、あるいは金銭的にか、戦争に参加していたのである。例えばベトナム戦争ではアメリカ国内では反戦運動が高まったが、多国籍軍が使用した兵器と戦闘を維持する戦費はそれぞれの国民の税金によって賄われていたのであり、例え反戦家であっても、税金というなの金銭を通して否応もなしに戦争に参加させられてしまうのである。
 即ち、日本は戦後、
朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争と、既に3度の戦争をアメリカと共に戦い、今回自衛隊を派遣することによって、例え直接的な戦闘行為は行なわなくても、アメリカの対アフガニスタン戦争にイギリスやフランス・イタリア・ドイツなどと同様に、役割を特定してだが、参加することとなり、都合戦後4度目の戦争となる。
 
朝鮮戦争・ベトナム戦争は単に戦争当事国となっただけではない。以後の経済成長の基礎となる多大なチャンスを戦争特需の形で恵まれるタナボタ式の利益を獲得もしている。いわば日本はアメリカとの共同戦争を通して経済発展の足がかりを築いてきたのである。その事実・その現実から目を背けて、土井たか子は、「日本が戦後、戦争をしないで済んだのは平和憲法のお陰だ」などとお気楽でノー天気なことを言ってる。そのくせ、自衛隊の後方支援に関して憲法違反だと言う文脈でアメリカ側が引き起こした戦争に後方支援として日本が協力するものである。戦争に対して協力するのと同じである」と、過去の3度の戦争が日本の戦争でもあったとする発言を図らずもしている。しかし、あくまでもノー天気だから、意識としては日本の戦争でもあったとは思い描くこともできないだろう。
 どう誤魔化そうが、どう目をつぶろうが、
テロ対策特別措置法によって可能とした、アメリカの対アフガニスタン攻撃支援を目的とした自衛隊派遣は、戦後4度目の日本の戦争である。それを客観的事実だと認めない、誤魔化しでしかないどのような発言も、不毛な堂々巡りしか生まないだろう。誤魔化しの上に既成事実を積み重ねていくその場しのぎのこれまでの遣り方は、日本が成熟した政治国家に向けて一歩踏み出すためにはもう訣別すべきではないだろうか。自衛隊が軍隊として存在しているのは日本の現実であり、その現実を抹消不可能と取るか、抹消可能と取るか。
 既に戦後4度目の戦争を行なおうとしているのである。政治・経済・金融のグローバル化構造に国家運営を大きく依存させているのである。それに連動して軍事的にも利害関係の同調を求められるのは当然なことであって、
「ショウ・ザ・フラッグ」ということになるのだろう。
 この現実をも抹消可能と取るなら、まず最初になすべきは、すべてに局面に亘ってグローバル化に背を向けることだろう。背を向けた上で、憲法9条に整合させて自衛隊を抹消すべきである。抹消不可能と取るなら、武器の携行はどの程度までとか、「日本の存在を示すため」、「日の丸を見せるため」の自衛艦の派遣といった形式主義の誤魔化しではなく、その現実に憲法9条を整合させて、戦争するかしないか、その戦争はどのような意味を持っているかといった文脈で議論を闘わせて、国民の支持を仰ぐべきだろう。それは同時に自衛隊のあるべき姿を、最大公約数の国民が納得のいく形でつくり挙げていく過程ともなり得るはずである。

                 2001.11.9.

 【参考HP1】(下線は手代木)

           「横田基地って何」

      http://www1.u-netsurf.ne.jp/~h-ike-y/yokota/yokota.index.htm

            朝鮮戦争と横田基地

           朝鮮戦争で爆撃部隊の拠点に

1950年6月アメリカは、朝鮮戦争(1950年6月25日−1953年7月27日 240万人戦死)に全面的に介入しました。
横田基地、多摩弾薬庫(現米軍多摩サービス補助施設)、極東軍司令部(府中)、日野、西多摩、東秋留、砂川などの高射砲陣地と無数のレーダー基地群は、立川飛行場、極東空軍資材廠(立川)とともに立川基地群といわれていました。
これらの基地は、ジョンソン飛行場(現航空自衛隊入間基地)、極東陸軍司令部(座間)、相模原工廠、極東海軍司令部(横須賀)とともに米第三軍の中核で
アジア侵略の最大の拠点となっていました。
朝鮮戦争勃発の前年横田基地に、米軍第41航空師団(ジョンソン基地)隸下第6102航空管理部隊が進駐し、第41航空師団第441戦闘支援部隊、第609偵察中隊等が配備されました。
翌年の1950年B−29爆撃機を主力とする第92、98爆撃隊、第35戦闘機連隊が駐留し、F−80、F−82、F94などが離発着し、爆撃部隊の拠点となりました。その頃横田基地には、韓国を前進基地として中国への核攻撃任務をもつ第三爆撃群(後に航空団)が置かれていました。ジョンソン基地と並んでB29爆撃機の出撃拠点となり、周囲4キロに灯火管制がひかれました。
朝鮮戦争では、朝鮮半島に落とされた米軍の爆弾の8割が、横田基地と、埼玉県のジョンソン基地から飛び立ったB29爆撃機によるものでした。

【私見】もしアメリカがアジア侵略を行なっていたとしたなら、日本もアメリカとアジア侵略の共同歩調を取っていたことになる。

              湾岸戦争と日本

湾岸戦争で日本は、90億ドル(1兆1700憶円)の支援を行いました。
政府は,このお金を「戦費」にあたらないと繰り返し国会で答弁していました。
しかし、91年1月26日、ベーカー国務長官は、声明を発表し、「日本からの90億ドルは我々が日本政府に頼んだもの。湾岸における米軍の戦費にあてる」と説明しました

              湾岸戦争に出撃

1990年9月の横田基地オープンハウスには、B52戦略爆撃機が展示され、基地祭終了後中東に向け飛び立ちました。イラクとの本格的な戦争に備えて「対爆撃防御訓練」(90年3月)やNBC訓練(90年10月)が行われました。
1991年横田基地から湾岸戦争に10機のC130輸送機が出撃し、多国籍軍のなかでも真っ先にクウェートに行きました。
91年1月基地のゲート表示は、脅威警戒態勢「A」(アルファ)に変わり、湾岸戦争突入後「B」に変化しました。
基地警備に100名を越す機動隊員が動員されました。沖縄の米軍基地へは、300余人の警備人が配備されたと報じられました。
機動隊による物々しい警備が周辺を取り囲み、深夜には米軍のヘリコプターがサーチライトを照らし飛びまわりました。
米軍のチャーター便から、松葉杖をつき、両腕を支えられながらの兵士の姿も目撃されました。
また、同型機によって広島秋月弾薬庫より弾薬も輸送されました。
91年2月地上戦が叫ばれる中、わざとプロペラ1発を止め滑走路を南から北まで走るという訓練をC130輸送機が行ないました。これは地上戦闘に備えた「デイジー・カッター」と呼ばれる飛散性対人爆弾投下訓練のようであったようです。

 

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【参考HP2】    朝鮮戦争@日本近現代建築史
http://www.hist.arch.waseda.ac.jp/00/kingendai/ronchu/lec24chosen_w.html
          

 終戦直後、国も企業も赤字であった。日本の建設業界の大口需要者は進駐軍であった。間接統治の形を取っていたとはいえ、40万人前後の軍隊が日本全国を占領し、支配力を発揮するにあたっては多くの専用基地と施設が新たに必要となり、既存の施設を利用するにしても、大幅な修理・改造が求められたからである。しかしそういった進駐軍工事は一時のもので、1948年に落ち込み49年にはほとんどなくなった。
 代わって、荒廃した国土・社会資本の復旧工事や炭鉱・電源開発を中心とする産業復興工事が始まったが、これらの事業も49年のドッジ・ラインの実行による不況で沈静化する。
 しかし、1950年6月に朝鮮の独立・統一問題が米・ソの対立とからんで、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の紛争が武力衝突に発展した。いわゆる朝鮮戦争である。この戦争は53年7月休戦となったが、これにより日本国内では特需が起こり、他の産業と同様に建設業も息を吹き返すことができた。
 この朝鮮戦争での建設業にとっての特需とは、沖縄の米軍施設増強のための工事である。当初、米軍は沖縄の軍事基地をそれほど重視していなかったが、49年10月に中華人民共和国が成立し、冷戦の緊張が高まるなかで沖縄基地の重要性が増した。そして、朝鮮戦争の勃発が沖縄基地の役割を決定的なものにしたのである。
 沖縄工事が建設業に与えた影響は次の3点に整理できる。第1は,復旧工事や産業復興工事が超均衡予算のもとで勢いを失いかけていたなかでの新たな大口需要となったことである。第2は、アメリカの重機械化施工にさらに習熟できたことである。第3は、ジョイント・ベンチャー(JV)を経験したことである。50年にはモリソン・ヌードセン社(Morrison − knudsen Co.)と鹿島建設・大林組・竹中工務店などがIVの受注に成功し、51年には鹿島建設・竹中工務店・大林組・大成建設の4社が那覇空軍基地小禄将校宿舎兵舎工事をJVで受注した。
 進鮭軍工事と沖縄基地工事のなかで日本の建設業界に最も大きなショックを与え、その後の経営に多大な影響を及ぼしたことは、なんといっても日米の技術力の格差を目の当たりにしたことであろう。この後、50年6月には建設産業人海外視察団がアメリカに派遣され、視察団はアメリカにおける建設会社の機構・経営方式、機械化工法、新建材、建設諸法令、労働事情と下請けの状況などを学ぶことになる

野口 伸(早稲田大学大学院石山研究室)

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【参考HP3】  戦後の日本経済
        Japan's postwar economy
                       著者 賀川昭夫(東京経済大学教授)
                  http://www.tku.ac.jp/~kagawa/akio/text/sengo.html

(1部抜粋)

 1950年6月、朝鮮戦争が勃発し、日本に多額の特需が発注され、繊維・機械・金属などを中心に日本経済は特需ブ−ムに沸いた。しかし、生産の拡大は原材料不足をもたらし、また、特需と輸出による外為会計からの円支払い増大は物価上昇を招いた。しかし朝鮮戦争は、日本にとり転換点となった:

  1. 企業は特需ブ−ムにより利潤を上げ、それが設備投資にまわされたので、資本蓄積が再開された。これは、1950年から貯蓄がプラスになったことに対応している。
  2. 特需ブ−ムにより、統制経済から自由競争への移行が可能となった。
  3. アメリカの対日講和は1950年に本格的になり、サンフランシスコ講和条約1951年9月に結ばれ、1952年 4月から発効された。これにより、6年8ケ月におよぶ占領の時代が終了した。

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【参考HP4】   トヨタの人員整理

                  http://ric.trix.timis.ac.jp/~aoyama/room/zoku8.html

 日経連の奥田会長が「解雇や失業の恐怖をちらつかせて貢献を迫るやりかたは、人間の顔をした市場経済からは最も遠いもの」と発言されたことが、話題になった。トヨタ自動車の会長だからこれには重みがある。

 トヨタ自動車社史により50年前をふりかえってみる。1949年2月 GHQ顧問としてデトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジ氏が来日し、超緊縮財政が始まり、日本は大不況に突入した。その後一年間に製造業中心に倒産、解雇が続出した。49年5月に東証が再開したが株価は一年後に半値になった。

 トヨタ自動車も影響を受け、49年11月に3500万円の営業赤字を記録し、翌12月の赤字は2億円と予想されるに至った。そこで労使の協議で「11月から2月まで賃金1割の引き下げ、人員整理は行わない。」という合意が成立した。49年の初めには借入金が資本金の8倍にも達していたトヨタは資金繰りに窮し、当時の日銀名古屋支店長の斡旋で協調融資が組まれ、危機を乗り切ったが、銀行団はトヨタに条件をつけた。最も重要な点は販売会社の分離と過剰人員の整理である。ここで製販分離が実現したが、年があらたまり25年になっても業績は改善しなかった。既にいすゞ自動車、日産自動車は大量の人員整理を発表、大争議に入っていた。ひとりトヨタだけは首切りは絶対にしないという覚書を労使間で交わし、世間の話題になっていた。やがて銀行団が人員整理を要求しているという噂がつたわり、給与も満足に払えない状況をみて、労働組合側が人員整理は避けられないと判断し、闘争体制に入った。

 ついに豊田喜一郎社長は4月22日の団体交渉で1600名の希望退職募集を提案した。断腸の思いである。それ以後 争議は悪化して行った。私はトヨタの本社から10km離れた山村の中学一年生だったが、このときの暗い雰囲気やビラ、プラカードはよく覚えている。争議が長引くにつれ25年4月、5月と生産台数は極度に低下、赤字は累積して行った。ついに豊田喜一郎社長は辞任を決意された。副社長と常務が行動を共にした。

 これを機に希望退職を申し出る人が増え始め、6月7日 会社案を上回る1760名に達し、6月10日には2146名となった。49年末の総従業員数は約7300名であり、まさに去るもの,残るもの悲壮な心境であっただろう。

 歴史は皮肉であるが、懸命に働く日本人を見捨てはしなかった。争議が集結した6月10日の約2週間後、6月25日に朝鮮戦争が勃発した。早くも7月に朝鮮戦争特需がくる。

 5月に304台におちていた生産は8月には1000台ベースに回復、6月 1億3000万円弱の赤字が7月に解消、その後は急速に黒字が積みあがっていった。他の日本企業と同様、トヨタは特需の恩恵を浪費することなく、先行投資に活用して企業再建を果たしたのである。

 このときの経験と、退陣されて、早くも52年に逝かれた豊田喜一郎社長の、50年前は残念ながら実現できなかった企業理念が、装いを新たにして、現在のトヨタ自動車に浸透しているのだと、私は考えている。

                        99. 9. 19

【私見】「ひとりトヨタだけは首切りは絶対にしないという覚書を労使間で交わし」たにも関わらず、希望退職を募り、それが「会社案を上回る1760名に達し、6月10日には2146名となった」事実上の解雇という前科を犯しながら、健忘症にも「解雇や失業の恐怖をちらつかせて貢献を迫るやりかたは、人間の顔をした市場経済からは最も遠いもの」とは、偽善そのものである。世界のトヨタと言えども、会社が傾けば背に腹は代えられない≠ニいう論理で人員整理を余儀なくする。そういった条件付きであることを隠した「日経連の奥田会長」「企業理念」でしかない。

     ============================


【貧富の格差を認めよう】

 かつてのソ連でも、貧富の格差はあった。政権・共産党に関わる一部の高官が自己の地位・権限を利用して極上の甘い汁を吸う特権階層を形作っていた。個人の活動を可能な限り保障する自由主義諸国家にあっては、個々人の能力の差に応じて所得の格差は当然生じる。人気スポーツの花形選手が億単位の年収を得る。その一方で年収200万に満たない生活者がいる。中には主義主張から選択した生き方である場合もあるだろうが、殆どは社会から落ちこぼる形で弾き出された、収入が限りなくゼロに近いホームレスという名の路上生活者もいる。そういった年収数値の経緯、あるいは結果性は能力の種類と内容に応じて(生き方や人間関係も影響するだろうが)市場経済社会のルールに従って、その需要と供給の関係が決定する。
 共産主義の
計画経済ルールが破綻した現在、自由主義の市場経済ルールが唯一課せられた、そこから逃れられない、失敗者にとっては桎梏でしかないが、生きるルールとなっている。
 唯一の共産主義大国
中国においても、あるいはベトナムにおいても、計画経済を放棄して、社会主義≠フ名を冠しながらも、自由主義(自由競争)に基づいた市場経済を国民生活向上の重要な柱とした。国民生活の向上なくして国力の充実はないからだ。
 
共産主義型計画経済への後戻りの歴史はもはやあり得ないだろう。その理由は、「貧しきを憂えず、等しからざるを憂える」という共産主義の理念は人間の理想であって、「貧しきを憂えると同時に、等しきも憂える」自由主義の競争原理こそが人種・民族・国籍を超えた否定しがたい人間の現実だからである。同じ仕事をしながら、能力ある者と能力ない者との報酬が平等なら、能力ある者の気力を削ぐことになって、平等を獲得するために能力ない者の非能率に合せた能力の抑制を否応もなしに誘発され、そのような能力抑制のモメントは、水の流れのようにより低い非能率に向かって勢いづく。そして旧ソ連やかつての中国に見てきたように非能率・事勿れ・無気力の風潮が蔓延して、社会の停滞を最終結果とする。逆説するなら、社会の活性化は、「等しからざるを」当然としなければならない。
 露骨なことを言えば、人間を最大限に動かす最も有効な方法は、
カネ(札束)で尻を叩くのが一番だということである。
 確かに
社会的弱者の生活を社会的に保障する所得再配分制度の充実は必要だが、それは人間の現実から離れた平等の方向に持っていこうとするもので、その制度を手厚くするには、その資金を税収の形で持てる者から順に多く徴収する不平等を課すことでもある。税金は誰にとっても、仕方なく払うものであり、それも人間にとっての現実であることを否定することはできない。
 このことは
計画経済であろうが自由経済であろうが、相互に一方の平等が他方の不平等を招く矛盾した構図を抱えることを示しているが、人類の理想を自ら考え出したとしても、実現するだけの力を持たない人間にとっては、人間の現実を選択することが、比較的には平等になるのである。
 但しである。いくら
「貧しきを憂えると同時に、等しきも憂える」自由競争人間の現実だからと言って、手段を選ばない競争であってはならないのは言を俟(ま)たない。自由競争は公正な手段を絶対条件とするということである。
 よく言われる
「機会の平等」とは、公正な機会の付与ということに他ならない。学歴で差別する。コネを使って天下りし、多額の報酬を得る。カルテルを結び、利益の独占を図る。背任行為で不正蓄財する。ワイロを贈って、不正に便宜供与を受け、利益を得る。その逆にワイロを取って、不正行為に手を貸し、何らかの甘い汁を吸う。地位や職務、あるいは管轄権を乱用して、私腹を肥やす。脱税して、不正に財産を蓄積する。多額のカネを使って子どもを医大に裏口入学させ、医者にしていい暮しをさせる。人格や能力を無視した縁故採用・縁故取引で公平さを阻害する。
 どれを取っても、
自由競争に対する妨害であり、侮辱以外の何ものでもない。自由競争の悪用人間の現実≠フ歪曲そのものの悪質な犯罪行為に他ならない。そのような悪用=E歪曲≠ェ社会の隅々にまで跳梁跋扈している。
 
市場主義(自由競争)のルール人間の現実である以上、それに基づいた能力の成果に応じて所得に格差が生じるのはやむを得ない。だが、競争を限りなく公平なものにするためには、「機会の平等」(公正な機会の付与)の厳密な実現(=ルール違反の根絶)を絶対条件としなければならない。ルール違反を根絶したとき、「機会の平等」(公正な機会の付与)はすべての人間にとっての共有財産となり得る。
 そのためには、ルール違反者の厳しい摘発と、裁判による厳しい懲罰以外に方法はないだろう。例えば、億単位の背任によって企業に多大の損害を与えた、あるいは国民の信頼を裏切った場合は、
財産の没収の上、10年20年の禁固刑に処するぐらいでなければ、「機会の平等」(公正な機会の付与)の厳密な実現(=ルール違反の根絶)は不可能だろう。そのことはこれまでのような不平等社会を延々と引きずることに他ならない。
 
要するに、貧富の格差の容認は、「機会の平等」(公正な機会の付与)の完全な実現を絶対前提としなければならない。

                    2001.11.11.


【夫婦別姓】

 「夫婦別姓を巡る論議が5年ぶりに盛り上がりを見せている」という記事が新聞(朝日」2001.11.5.夕刊)に出ていた。「これまで消極的立場を取ってきた自民党が」「一転、積極姿勢」ということのようだ。その理由として、「反対派の急先鋒だった村上正邦・元参議院議員がKSD事件で政界を去り、重石が取れた面もあるようだ」と解説している。ここには力ある者には口をつぐむ日本人の特徴的な性格構造を見ることができる。
 
「理解を示す(自民党)議員の中には『少子化の折り、娘しか生まれず家名が絶えることを心配する人が増えている』と、『家』の論理を掲げる人も少なくない。個の確立を目指す立場の推進論者とは相反するものの、同床異夢の共闘が成り立っている」
 反対派は、
「別姓夫婦の子は父母いずれかの姓になり、家族崩壊につながる」という意見に集約されるようだが、別姓が「家族崩壊につながる」恐れがあるとしても、「家族崩壊」のすべてが別姓を原因とするわけではないし、別姓家族のすべてが家族崩壊に至るわけではないだろう。人間の存在様式が常に同一の局面をたどるとは限らないからだ。子どもにどう伝え、どう納得させるか、親の知性(知恵と言ってもいい)にかかっている。但し、親子関係が相互的な信頼を基盤として成り立っていなければ、言葉は満足には伝わらない。勿論その言葉は、日常普段的に態度と一致していなければ、簡単に空疎化して、信頼とは逆方向の嫌悪感や拒絶感を催させるだけである。
 賛成派の市民団体は、
「子どもに不利益を与えるのは別姓そのものではなく、別姓家族への偏見。きちんと法制度に裏付けられれば、なくなっていくはずだ」という意見である。
 
姓名は人を区別する記号に過ぎない。しかし現実には姓名に対しては様々な感受性がある。家系、あるいは血≠ニいう歴史を担わせる。自分はその歴史につながる人間だと、それを誇り、勲章とする。当然、自分の子どもにもその歴史≠継がせようとする。「少子化の折り、娘しか生まれず家名が絶えること」「心配」だから別姓に賛成という立場がこれに当たる。
 家系・血が自己の利害に一致しない場合は、逆に嫌悪し、断ち切ろうとする。だが、どんなに素晴らしい家系・血を抱えていたとしても、それに反する生き方をしたなら、家系・血は無意味化する。そして、自己に価値を見い出せない人間ほど、家系・血の価値によって自己の無価値を代弁させ、倒錯的に価値ある人間だとする誤魔化しを行なう傾向にある。
 あるいは第三の受止め方として、姓名を人格そのものの解釈・表現の切り口とする便宜上の慣習が生じせしめた姓名と人格を一致させる錯誤が、逆に自己と姓名の切り離しを自己否定と見なす逆説に囚われて、そこからどうしようもなく逃れられなく、自己の姓名に拘る。生まれたときから、何の何がしだというわけである。もっとも女性の場合は、結婚を機会に夫の姓を名乗るという社会的習慣が結婚後の姓の変化に抵抗をを与えないでいる。
 いずれにしても、
「個の確立」とは自己の存在様式において、姓(家名・家系・血)とは関係なく、一個の自己として自己を存在させることを言うはずである。いわば家系・血とは別個のところで自分がどう生きるか、どう自己を確立するかを一義的な姿勢とすることが「個の確立」につながる。ところが、それを「目指す」ために別姓を契機とすると言うのは、別の意味で姓に拘ることを意味している。会社勤めをしていて、取引先にも旧姓で通っていて、結婚で名前が変るのは不便といった単に便宜上の理由とすべきではないだろうか。
 天皇を万世一系(歴史の歪曲そのものだが)として、あるいは2000年の家系・血を連綿として受継いでいる聖なる存在だとして誇る日本人の感受性は、一義的には、家系・血とは別個のところで自分がどう生きるか、どう自己を確立するかの姿勢を問題とし、それを主体化し得ないことの裏返し心理だろう。天皇を日本民族優越性のシンボルとしていることが、日本人一人一人が自己の生き方ではなく、権威に頼なければ優越性を証明できないことからの権威依存型
「個の確立」――ニセ物の「個の確立」を行なっているに過ぎない。それは民族性の底上げを行なっていることに他ならない、そのことは一国の主要な人格表現の政治に関して言えば、戦後マッカーサーから「日本の政治は13歳の少年程度だ」と言われ以来現在に至っても、「顔の見えない政治」と有り難くない評価を受ける未成長が証明している。
 憲法によって基本的人権の一つである表現の自由・思想信教の自由は認められている。その保障に照らしたなら、結婚によってどちらかの姓を強制するのは基本的人権を侵すこととなる。しかし、どういう姓を名乗ろうと、基本は姓とは無関係に自分がどういう生き方をするかの主体的姿を問題にしなければならないのではないか。日本人が
「個の確立」を果たし、常なる主体性を獲得するためには、あくまでも、姓名は人を区別する記号に過ぎないという感受性を貫くべきだろう。

                     2001.11.12.


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