「市民ひとりひとり」 教育を語る ひとりひとりが 政治を・社会を語る そんな世の中になろう 2001.4.15(日曜日) アップロード 第39弾 不寛容のシステム |
町村信孝文部科学大臣は、「はきちがえた個性の尊重・はきちがえた自由が不登校を生んでいる」(2001/2/15「全国不登校新聞」)と発言したそうだが、日本の学校社会は生徒・子どもに対して、果たして真正な「個性の尊重」・真正な「自由」を保障したことがあるだろうか。「個性の尊重」・「自由」は言葉でとどまり、実際は「個性」・「自由」の排除・抑圧が加害(いじめや暴力)や不登校を生んでいるのではないか。不登校か加害かの分岐点は主として生徒それぞれの資質に対応しているのではないか。「個性の尊重」・「自由」が言葉でとどまっていることのより実証的な証明のために、新聞記事を参照に論を進めたいと思う。
新聞はウソしか書かないという考えを採用する人間には、この方法は無効ではあるが、そう考えないと、自分の立場が悪くなるからだろう。事実かどうかの識別・判断に目をつぶることは、批判能力に対する自殺行為に他ならない。
自由・平等は、それぞれが一個の人間であり、一個の人格を有していると認識できる寛容の精神を条件として成り立つ。それへの抑圧、あるいは拒絶が社会全般のものとしてある場合は、不寛容がシステム化された状況を言うはずである。以後、これを≪不寛容のシステム≫と名づける。
国旗・国歌法が1999年7月、衆院本会議を通過し、施行されることとなった。めでたい限りである。学校社会での運用のされ方は、そこでの生徒の存在に対する、個性の尊重度°yび自由度≠計る格好のバロメーターとなり得る。
学校現場での日の丸・君が代に関わる不寛容
「政府は、君が代・日の丸に関する学習指導要領の記述について『校長・教員は児童・生徒を指導するものである。このことは、児童・生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない』という統一見解をまとめている。
児童・生徒の内心の自由を認めるのは当然であるが、教師の内心の自由はどうなっているのだろうか。
職務命令として君が代・日の丸を教えさせることは可能かもしれないが、歌いたくない、頭を下げたくないという教師の内心の自由は認められるだろうか」(99/7/9「朝日」朝刊)と懸念を示す、67歳の元教員の投書がある。
現実には、どのような推移を示しているのだろうか。「秋田市の八橋(やばせ)陸上競技場で」と国旗・国歌法案が衆院本会議で可決された7月22日よりも1ヶ月近くも前の6月「26日に開かれた市中学校総合体育大会の開会式で、来賓の高橋昌一・同市体育協会長が約四千人の中学生らを相手にした挨拶の中で、『国旗掲揚、国歌斉唱をしないような人は(式の会場から)出ていった方がいい』と発言していた」(99/7/14「朝日」朝刊)と言うことだ。「朝日新聞の取材に対し高橋会長は『子どもに対して言ったのではない。立っていない大人がいたので注意した。掲揚、斉唱は敬謙な気持で行われるべきだ』と説明している」
「子どもに対して言ったのではな」くても、「約四千人の中学生」を前にしての発言である。例え「これは中学生ではなく、大人に対して忠告することだ」と前以って断ったとしても、非同調行為に対する上からの「出ていった方がいい」との排除の指示は、公衆の面前での一種の断罪に相当する。いわば同じ出席者が、「出ていった方がいい」と言ったのではない。上からの断罪はそれなりの強制力を伴う。それもその場にいた頭数だけ、心理的な強制を及ぼす。大人たちだけではなく、中学生もバカでない限り、同調しなかった場合のヤバさを看取しただろう。
「高橋昌一・秋田市体育協会長」は本人は意図しなくても、鈍感だから気づかなかっただけのことで、政府の指導に反して、間接的に日の丸・君が代を「児童・生徒の内心にまで立ち入って強制」したのである。同じ記事は、「市教委の斉藤寿一教育次長はこの発言内容について、『(市教委との)共通認識ではない。困惑している』と話している」と伝えているが、99/9/17「朝日」は、「『君が代歌わない自由ない』 高松市教育長が議会答弁」という記事を載せている。
「学校行事での君が代斉唱について、高松市の山口寮弌(りょういち)教育長は十六日の市議会本会議で『教師と児童・生徒には歌わない自由はない』との見解を示した。岩崎淳子氏(無所属)の『入学式や卒業式で、教師や生徒に君が代を歌わない自由はあるのか』との一般質問に対する答弁。
山口教育長は『保護者に対しては学校は指導する立場にないが、教師と児童・生徒は、学習指導要領に基づいて指導することになっており、歌わない自由はないものと考える』と答えた。
法制化の際に示された『強制はしない』とする政府見解などとの関係について山口教育長は議会終了後朝日新聞記者の取材に対し、『初めから歌わない自由もあるというのでは、君が代斉唱の指導を定めた学習指導要領の実現を目指せないということを言いたかった。児童・生徒に強制するということではない』と説明。そのうえで、『歌わない児童・生徒がいる場合、教師は君が代斉唱の理解が得られるよう、根気よく努力しなければならない。だが、成績などで生徒が不利になることがあってはならないし、生徒が特別視されていると感じるようなこともないよう指導に配慮が必要だ』と話した」
「指導」と「強制」を巧みに使い分けてはいるが、「教育長」の見解≠フ脈絡を前後に入れ替えてみると、「児童・生徒に強制するというものではないが、初めから歌わない自由もあるというのでは、君が代斉唱の指導を定めた学習指導要領の実現を目指せないということを言いたかった。成績などで生徒が不利になることがあってはならないし、生徒が特別視されていると感じるようなこともないよう指導に配慮が必要だが、歌わない児童・生徒がいる場合、教師は君が代斉唱の理解が得られるよう、根気よく努力しなければならない」とすることができる。
その主旨を読み解くなら、全員に歌わせようということなのは、誰にでも読み解けるクイズである。「君が代斉唱の指導を定めた学習指導要領の実現を目指」すためには、「初めから歌わない自由もある」ということは認められないということである。いわば、最初から学習指導要領ありきなのであり、その線に添った「指導」を優先させた、全員に歌わせようとする意志をいとも簡単に炙り出すことができる。そのような意志を前にして、「成績などで生徒が不利になることがあってはならないし、生徒が特別視されていると感じるようなこともないよう指導に配慮が必要」との意思表示は「強制」を隠すカモフラージュに過ぎない。
さらに言えば、「内心の自由」を絶対とすべきを、それは背景にとどめて、「学習指導要領」を絶対とする、教育委員会・学校の立場・意志があるのみで、そのような倒錯した硬直性からはどのような「個性の尊重」も「自由」も望めない。これを「強制」と言わなくて、他に形容しようがないではないか。
このような不寛容のシステムは政府見解・文部省の意志から外れた、ごく少数の人間に限られた意思表示としてあるものではない。政府・文部省の意志を受けた、それに同調する教育委員会・学校という構造的なものとしてあるのである。決して例外ではない証拠を列挙してみる。
00/2/22の「朝日」は、本社調査として、「日の丸・君が代 指示強化」を見出しとした次のような記事を載せている。「卒業式での日の丸掲揚や君が代斉唱について、これまで実施率が低かった都道府県の教育委員会が学校への指示を強めている実態が、朝日新聞社の全国調査で分かった。実施の意思を全校長に『教員は起立して斉唱』と具体的に指針を示したりした例もある。多くは文部省から個別に事情聴取を受けたのをきっかけに、管理を強めている。国旗・国歌法が施行されて初めての卒業式を目前に控え、各学校現場では日の丸・君が代の取扱いをめぐり、ぎりぎりまで論議が続きそうだ」とし、「各教育委員会の主な動き」を説明文(一部省略)と共に一覧させている。
「【宮城県】
県教委が実施していない県立高校長を呼び、実施の意思確認
【東京都】
都教委が都立学校に実施を求める通達を出し、校長会を2度招集。全校長から個別に事
情を聴く。君が代のCDを配布
【神奈川県】
県教委、横浜市教委が反対行動がないかどうかを調べる調査用紙を校長に配布。県立高
の卒業式に自民党県議団が全員出席を計画
【三重県】
県教委が『指導が一層適切に行われるように』と県立学校、市町村教委に通知
【大阪府】
府教委が小中学校にも初めて文書で実施を求める。掲揚、斉唱の見込みを事前調査
【奈良県】
県教委が校長会、市町村教育長会で実施を求める。実施していない県立高校長から個別
に事情を聴く
【広島県】
県教委が県立校長会、市町村教育長会で完全実施を求め、『教員は起立斉唱』など3点
を指導 」
そして、「個別聴取」の小見出しで、次のように解説している。「昨年九月、文部省教育助成局に東京、三重、大阪など八都道府県五政令都市の教育委員会の担当者が個別に呼ばれた。いずれも中学、高校での君が代斉唱率が特に低いところだ。
『なぜ実施率がこんなに低いんですか。何か特殊事情でもあるんですか』
文部官僚は昨春の卒業式、入学式での日の丸・君が代の実施率の一覧表を見せながら尋ねた。他の自治体の欄には『100%』という数字が並んでいた。
ある自治体担当者は「ある程度数字を上げないと説明がつかない」ともらす。
こうした動きを受けて、東京都教委は十二月、都立高校の全校長を個別に招き、『なぜ掲揚や斉唱ができないのか』と説明を求めた。校長一人に対して都教委課長二人組で面談。五分から二十分ほどのヒアリングの結果、八割を超す校長が『実施する』『実施したい』と答えたという・・・」
最後に、同じ記事の中の各立場の声を書き写してみる。
●「東北や北陸、九州、四国など」の「100%実施している県」の「教育委員会」――「『法制化
されても指導に変化はない』」
●「佐賀県教組」――「『日の丸に対する敬礼と、君が代斉唱の起立は職務命令と受止めている
』」
●「北海道教組の幹部」――「『道教委との間に微妙なバランスがある』」その心を読み解くと
、「互いに強く出過ぎると、相手の反撥を招きかねず、現場を混乱させるという意識が働く」
ということで、お互いを立てて程々のところで妥協を図ろうという姿勢らしい。これは便利で
はあるが、自分にとってあるべき姿を排除した事勿れな解決方法でしかない。
記事は生徒の「反対署名」も紹介している。
「東京都多摩地区の都立高では、二年生が『日の丸・君が代の強制はやめてほしい』と日の丸・君が代の強制に反対する署名運動を始めた。学年の三分の一に当たる百人以上が名前を書いた。父母らも校長や都教委に『生徒の自主性を守って欲しい』と申し入れた。OBも『生徒、職員に強制しないで下さい』と学校に申し入れた」
政府・文部省と、間に教育委員会を挟んだ学校間の意志伝達は、上の指示・指導を受けた、下の同調・従属という、上から下への段階を取った一方通行のものである。その構造は、文部省が「教育委員会の担当者」を「個別に呼」んだのを受けて、「教育委員会の担当者」が各学校の「校長を個別に招」いた、何ら変らない反復、あるいは模倣に最も象徴的に表れている。例え指示・指導≠フ形式を装っていたとしても、上から下への一方通行の意志伝達である以上、それは否応もなしに「強制」の衣を纏うことになる。そしてそのようなプロセスが「児童・生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない」としながらも、そのことに反する不寛容のシステムを広範囲に行き渡らせる結果を招くことになるのは必然の動きである。政府の見解・文部省の「指導」が「教育委員会」をガンジガラメにし、ガンジガラメになった「教育委員会」が学校長をガンジガラメにする。学校長が次に管理下の教師をガンジガラメにし、ガンジガラメの教師が「指導」の名の下、生徒をガンジガラメにする。これで「指導」を名乗った「強制」は完成するのである。
ガンジガラメの進行具合を新聞記事で追ってみよう。
001/3/10の「君が代坐ったクビだ」(「朝日」朝刊)を紹介しよう。「広島県立皆実高校で一日にあった卒業式」「には卒業生約四百二十人が出席した。君が代斉唱の間、約七十人の教職員の中で男性教諭一人だけが着席したままだった。これに対し、金井校長は二日朝の職員朝礼で、教諭の個人名は挙げずに『いい卒業式だったが、残念なことに坐った人がいた。その人は公教育を放棄したことになる。辞表を書いてもらいたい』と話した。その後男性教諭を校長室に呼出したという。
金井校長の説明では、男性教諭に『辞表を書くつもりはないか』と告げたところ、本人が拒んだため、さらに「異動願いを出してもらいたい」と促したという。
一方男性教諭は着席したままだった理由について『これまで自分は日の丸、君が代を強制することの問題点を生徒に話してきた。それに反するように行動を取ることはできなかった』
金井校長は『一個人としてはいろいろな考えがあると思うが、(卒業式では)教職員として学習指導要領にのっとった行動をして欲しかった。ただ、発言内容については行き過ぎた面があったかもしれない』と話している。
卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱をめぐって、広島県教委は二月に県内の全公立学校へ通知文を出し、君が代斉唱時に起立しなかった教職員名などを記入する『服務状況報告書』の提出を全校長に求めていた。
県教委の榎田好一・教職員課長は『職員を指導する過程での発言であろうが、校長としては慎重な対応が求められる』と話している」
この記事からはいろいろなことを明らかにすることができる。
@「約四百二十人」の「卒業生」と「約七十人の教職員の中で」「着席したままだった」「男性
教諭一人」を除いて、全員が日の丸掲揚時の起立と君が代斉唱を受入れたということである。
これは「指導」の見事な成果と言うしかない。
A学校・校長の側から言えば、合計約500人の人間の内、たった1人、1/500で「指導」が完結
する。
B「金井校長」の『一個人としてはいろいろな考えがあると思うが』・・・」の発言は、「お国
のために」自分を殺して集団に従えという主旨のもので、個人(=「個性の尊重」・「自由」
)を否定し、集団、あるいは全体を優先させる集団主義・全体主義の思想に則った内容のもの
である。その一方で生徒に、「学習指導要領」の指導内容にあるとおりに、「主体性・自主性
を育むように」と言っているだろうから、本人は日々矛盾を犯していることになる。
Cと言うことは、「学習指導要領」に「主体性」「自主性」などの文字をちりばめている文部省
自体が、実際は教師・生徒に集団主義・全体主義のアミをかぶせようとしているのだから、矛
盾の張本人だと言うことになる。手っ取り早く、「国家に従え、個人など問題ではない」と宣
言した方が正直と言うものである。但し、混乱は起こる。
D「男性教諭」はブラックリストに載り、今後の出処進退に不利に扱われることになるだろう。
ゆくゆくは別の高校に異動させられるだろうが、どこに異動しようとも、校長は「服務状況報
告書」を提出する義務を負わされているのである。教育委員会も高校も、担任から外すといっ
た、身分や待遇に圧力を掛けて、徐々に去勢していく方法を取るに違いない。
Eそう遠くない将来に、日本全国のすべての教師、すべての学校生徒が起立し、斉唱するように
なるだろう。但し、それに反比例して、思想・文化面の国力はますます衰えていく。例え経済
がそこそこにうまくいっても、日本人すべてが主体性も自主性も放棄することに馴らされ、現
在以上に自分の言葉・自分の思想を持たない国民となるだろうからである。いわば、現在以上
にアメリカの属国化することになる。もっとも、国家権力にとっては都合のいい従順な国民と
はなる。既に批判も異義も捨て去ろうとしているのだから。
F「県教委の榎田好一・教職員課長」の言う「慎重な対応」とは、政府と文部省をバックにして
、正義は自分たちにあると思っているだろうから、「内心の自由」に対する「慎重」さではな
く、マスコミに騒がれないようにという文脈での「慎重な対応」なのは間違いない。
前と同じ広島県の00/3/11の「東広島市」「市立高屋中学校」卒業式の起立拒否問題は次のように報道されている。「全員が起立して開会の辞を聞き、そのまま国歌斉唱になった。保護者で着席した人は一割弱。在校生、教員は全員が起立したまま。八クラス約八百人の卒業生はまず、一クラスが着席したのをきっかけに次々に着席していったという。同校では昨年も君が代の斉唱があったが、着席はなかった。
生徒らによると、卒業式の朝、あるクラスの男子生徒二人が「国歌斉唱のときに何らかの抗議をしたい。僕たちはこのまま受入れられない」と話し、後は個々人で判断して、着席を決めた。
学校側は県内の公立高校の合格発表があった十三日、合格通知を取りに来校した三年生約百人のうち約三十人に対し、校長の指示を受けた各担任教諭らが『あなたの周りの生徒は坐ったか』『どうしてそうなった』などと聴いたという。
同校は十四日朝、三年生全員に登校を求め、各担任が『座るか座らないかはともかく、騒然となったのはよくない』などと指導したという。
三見校長は『式後、保護者らから「学校は偏った教育をしているのではないか」と指摘を受けた。付和雷同的に座ったのであればよくないと思い、生徒に事情を聴くことにした』と説明している。
卒業式の国歌斉唱の事後的指導については、昨年七月二十一日の内閣文教委員会の審議の中で、御手洗・文部省初中等教育局長が『児童生徒が事後に精神的苦痛を伴うような指導を行うとか、あるいは他の児童生徒に対して個別具体の名前を挙げながら適切でないというような指導を行い、児童生徒に心理的な強制を与えるといったようなことは許されない』という発言をしている」(00/3/14「朝日」朝刊)
99年2月に広島の高校の校長が教育委員会と現場の板挟みとなって自殺している。そのことからの神経質な対応も関係しているのか、原爆投下の一方の県だという自覚からか、これも前記と同様に広島での日の丸・君が代の問題である。但し、前者の高校の生徒は全員が起立し、着席したのは「男性教諭一人だけ」で、後者の中学校では教師は全員起立したが、卒業生は全員着席という、問題が教師から生徒に移っている。後者における事後の学校の対応でまず問題としなければならないのは、全体主義がより露骨化しているということである。全体主義国家の国家権力が用いる国民支配・国民監視の有効な装置の一つは密告制である。「校長の指示を受けた各担任教諭らが『あなたの周りの生徒は坐ったか』『どうしてそうなった』などと聴い」て、「個別具体の名前」を特定しようとした行為は生徒に密告を迫ったものである。校長と教師が一体となったそのような行為を通して、生徒支配・生徒監視を強化しようとしていたのである。これは「生徒の内心の自由にまで立ち入らない」という「思想・信条の自由」の尊重に対する真綿で首を絞めるような緩慢ではあるが、正真正銘の侵害行為以外の何ものでもない。恐ろしいのはこういったことが教育現場で行われるということである。戦争中見事果たすことのできた、児童・生徒に対する総軍国少年化・総愛国少年化もその殆どは教育現場で行われたものであるが、民主主義化して55年も経った20世紀初頭の日本で再び狙おうとしている民主主義の倒錯行為は何を意味するのだろうか。
「校長」は「生徒に事情を聴くことにした」理由として、「式後、保護者らから『学校は偏った教育をしているのではないか』と指摘を受けた」ことと、「付和雷同的に座ったのであればよくないと思」ったことを挙げている。この経緯は、校長と生徒の間に何ら信頼関係が構築されていないことを示している。「校長」はまずそのことを問題とすべきだろう。事は「生徒の内心の自由」に関わる問題なのである。信頼なくして、保障も尊重も適わないはずである。
さらに「付和雷同」を疑うよりも、なぜ前以って「内心の自由」と「付和雷同」とは相反する価値観・相反する行動様式なのだと指導しなかったのだろう。戦争中の日本人は「内心の自由」を自分のものとしていなかったために、軍国主義・侵略戦争への「付和雷同」を可能としたのだと。日の丸・君が代にどのような態度を取るかは自民党政権が国旗・国歌法案の国会通過を狙う以前から取り沙汰されていたことなのである。
もし「校長」が生徒に「内心の自由」と「付和雷同」を教えることができていたなら、「学校は偏った教育をしているのではないか」という「保護者」の批判に、「いや、生徒は、それぞれの信条に従って行動したものと受止めています」と、生徒との信頼関係に添った答を口にすることができたろう。何もかもできなかったのも、生徒の側ではなく、「保護者」側の立場に立ったのも、初めから起立・斉唱を前提とし、その前提に生徒の「内心の自由」をはめ込もうとしていたからである。当然、教育の絶対条件としなければならない信頼関係など築けようはない。
信頼のないところに、自由も平等も「個性の尊重」も存在しない。取って代わるのは、支配・強制による秩序維持である。不寛容のシステムをルールとした社会があるのみである。
まだまだある。00/4/1の「朝日」朝刊は、二つの日の丸・君が代に関する記事を同時に載せている。一つは、「日の丸敬礼せず出席停止」となった「教諭への処分『無効』」とした「青森地裁支部」の判決経緯を記したものである。「入学式で日の丸に敬礼をしなかったことなどを理由に出席停止処分受けたのは不当だとして、青森県弘前市の私立柴田女子高校(渡部敬助校長)の男性教諭(53)が、高校を経営する学校法人・柴田学園(今村城太郎理事長)を相手取って処分無効の確認を求めた訴訟の判決が三十一日」「言い渡された。武笠圭志裁判官は『日の丸への儀礼は、労働契約で労働者に義務づけられるわけではない』として、教諭側の主張をほぼ認めて出席停止処分を無効とした。・・・・・・教諭側は『日の丸に敬礼するかどうかは、個人の自由な判断に委ねられるべきもの』と訴えていた。これに対して学校側は、教諭が敬礼しなかったことは学校の就業規則に反する『職務上の義務違反』であり、『学園の秩序を乱す』行為と訴えていた
。
判決理由で、武笠裁判官は『国旗に一礼することが、企業(学園)の秩序を形成し、労働規約の内容として労働者に義務づけられるわけではない』とした上で『国旗に礼を欠いたことをもって、企業秩序を乱したとすることはできない』と学校側の主張を退けた」
「国旗に一礼することが、企業(学園)の秩序を形成」することとなったら、戦争中、日の丸に敬礼させることが軍国主義国家の国民支配の強力な秩序形成装置の一つであったように、同列の人間支配の装置としようとするもので、戦後訣別したはずの全体主義への回帰願望を示すものであろう。「判決」がその回帰願望を阻むかに見えるが、それを上回る有形無形の支配圧力が次々と隙間なく繰出され、支配の完成を狙うことは間違いない。確かに言えることは、国家から独立、もしくは自律(自立)できない国民を抱えた国家は、それ自体自律(自立)した国家とはなり得ず、国際社会においてありもしない自律性(自立性)を示し得ないということである。日本が世界に自律性(自立性)を示し得たのは侵略戦争によってであり、それ以前も、それ以後も一度たりとも示し得たことはなかった。いや、侵略戦争も欧米の植民地主義の尻馬に乗り、それを後追いしただけの独善性に支配された自律性(自立性)でしかなく、それが南京虐殺や強制連行、強制労働・慰安婦売春となって現れたのであり、歴史上一度たりとも国際社会に通用する独自性を発揮できなかったのは、国家が常に国民を支配し、国民の独自性・自律性(自立性)を抑圧・抹殺してきた反射物としての国家の非独自性・非自律性(非自立性)が原因となったからだろう。
裁判官は「国旗に礼を欠いたことをもって、企業秩序を乱したとすることはできない」としているが、「国旗に礼を欠いた」と見るのは学校側で、「男性教諭」は「日の丸に敬礼をしな」いことが自身に対して、自身の思想・信条に対して「礼」を尽くす行為なのだと、そのことを明確にしなければ、公平を欠くことになる。
同じ日付のもう一つの記事は、「広島県教委」が、「『国歌斉唱』実施せず小中6校長に戒告」というものである。「(一部省略)新市町の校長六人は事前に町教育長から卒業式、入学式で斉唱をするよう職務命令受けていたが、いずれも見送った。これらの行為を県教委は『法令や上司の職務上の命令に従う義務を定めた地方公務員法第三二条に抵触し県民の公教育に対する信頼を損ねた』としている。
一方、府中、三次両市の(小中学)校長十七人については、職務命令は出ていなかったが、学習指導要領に基づいた適正な取扱いができなかったとして」「文書訓告処分とするよう両市教委に指示した」
やはり原爆投下が日の丸に複雑な拒絶反応を持たせているのだろうか、政府・文部省の意図を受けた県教委の意図が次の段階に他の自治体程には必ずしもストレートに受継がれてはいないようである。前の青森県の「私立柴田女子高校」の場合と同様、「日の丸」への「敬礼」を「職務上の義務」としている。基本的人権の一つである「思想・信条の自由」の問題としたら不利になるからだろう。「府中、三次両市」の場合は、「職務上の命令」が「学習指導要領」に既に含まれているから、それに「従う義務」があるということなのだろう。
だが、どちらのケースにおいても、法律上、「職務上」に関わらず、その運用(=「命令」)は常に間違っていない、絶対だという思想を前提としている。いわば、「義務」を既定の事実としている。簡単に言えば、批判も異議申立ても許さない、黙って従えということである。そのような不寛容のシステムを可能とする要素は、主体的であること、自主的であること、自律的(自立的)であることを許さない全体主義(=支配の思想)を精神性としているからだろう。いわば、精神の自由の否定であり、 町村信孝文部科学大臣の言う「はきちがえた自由」は、学校社会における絶対下位者である生徒にはなく、常に比較上位者のものとしてあるのである。生徒に対して比較上位者である教師、教師に対して比較上位者である校長、校長に対して比較上位者である市町村教育委員会、市町村教育委員会に対して比較上位者である県教育委員会、県教育委員会に対して比較上位者である文部科学省、文部科学省に対して比較上位者である政府・・・・それぞれの段階に応じた「はきちがえた自由」が、本来は思想・信条の自由に任せるべきものを、「職務上の命令」による日の丸・君が代への「敬礼・斉唱」を可能としているのである。
日の丸にしても、君が代にしても、それを絶対とするかしないかは、人それぞれが決めることである。誰かが、特に国家権力がそれを最初から絶対として、すべての人間に押しつけていいものではないことは自明のことであるはずである。何かを絶対として、その絶対に国民を縛りつける。そこにあるのは支配意識であり、それを可能としているのはやはり不寛容の人間システムである。
01/3/7の「朝日」朝刊は、「日の丸・君が代 完全実施へ『職務命令』 卒業式巡り千葉県など事実上の強制」の見出しで、「職務命令」の乱発を報じている。「卒業式での日の丸掲揚・君が代斉唱をめぐり、『完全実施』されていない地域で、教育委員会が地方公務員法上の『職務命令』を校長に出して実施を求める例が増えている。従わない場合は懲戒処分も予想される措置だ。実施率は全国的に上昇しており、昨年度は小、中学校、高校のすべてで初めて九割を超えた。政府は国旗・国歌法の法案審議時に『卒業式などで強制しない』という見解を示したが、実際には、『日の丸・君が代』の完全実施に向けて、事実上の強制力が働いていることを示している」
次にその具体的な内容を伝えた個所は省略して、簡単な一覧表にまとめた個所を引用するにとどめる。
「日の丸・君が代に関する職務命令など
札幌市 全市立学校長に対し文書で『国旗は式場の正面に』『国歌は式の流れの中で斉唱が行
われるように位置づける』など。
千葉県 昨春の入学式で実施しなかった7高校長に口頭で。『平成12年度はすべての県立学校
で実施する。未実施校への職務命令と受止めて欲しい』
東京都 全市立小中学校長に文書通達。『(国旗掲揚と国歌斉唱を)学習指導要領に基づき適
国立市 正に実施されるよう通達する』。市教委は『職務命令として、通知ではなく通達にし
た』
神奈川県 昨春の入学式で全日制県立高校で唯一君が代斉唱を行わなかった高校長に対し『依命
通知』の文書。『学習指導要領に基づいて国旗掲揚・国歌斉唱を指導せよ』
北九州市 1986年度から毎年、職務命令として文書で。『国旗掲揚はステージ中央』『式次第に
国歌斉唱』『斉唱は教師のピアノ伴奏で。全員が起立し正しく心をこめて歌う』『教
師は式に全員参加』の4点指導。
東京都 都立高校長への昨年度通達を今年も通知文で徹底。『国旗は式典会場正面に、当日の
始業から終業まで掲揚』『式次第に国歌斉唱を記載する』などの実施指針付き。
職務命令 地方公務員法三二条に『職員は、その職務を遂行するに当たって、(中略)上司の職
務上の命令に忠実に従わなければならない』と定められている。文書で出される場合
も口頭で出される場合もある。違反すれば懲戒の対象になる」
「国旗は式典会場正面に」、「式次第に国歌斉唱を記載」――かくして全国すべての入学式・卒業式はほぼ同じ&洛iと化す。これを支配と言わずに、他に何と呼んだらいいのか。国民を同じ鋳型にはめ込む。それを支配と言うはずである。これで高校卒業生の自衛隊体験入隊の義務化が法案化されたなら、学校社会における全体主義は完璧なまでの完成を見ることになる。一つの同じ≠ナあることが他にも影響して、それらすべてを同じ≠ノ統一ことになるだろう。
同じ≠ナあることは強力である。但し、戦争中の軍国主義のように、一つの方向を目指す場合はという限定付きの強さでしかない。従来と違う方向、未経験な、予期しない方向を求められたとき、全体が同じ≠ニいう肥大性と硬直性が障害となって、変化への機敏な方向転換を困難なものとする。また同じ≠求める体質を生み出している非創造性が、逆に10年の年月を経ても不況回復のアイディアを生み出せない無為無策の原因となっているのだろう。
次の記事も、国旗敬礼・国歌斉唱への上からの支配・強制を露骨に示すものとなっている。
「君が代立たねば招かぬ」「(一部省略)発言があったのは二十二日午後の(東京都品川区議会)予算特別委員会『卒業式の国歌斉唱で立たない人がいる。そういう人は招待すべきではないのではないか』との自民党議員の質問に対し、区教委の指導課長が『式も指導の場。立たない人を(児童・生徒に)見せるのは好ましくない。来賓にも式のやり方に従っていただけるよう協力を求める。従っていただけない場合は招待しない』と答弁した。
これに対して来賓として地元の小中学校の式典に出席しながら『国歌斉唱』でも起立してこなかった船波恵子議員(社民)が『国旗・国歌法制定時も強制しないとされていた。地域の一員として子どもたちの卒業などを祝いたいという人を心の中で何を信じているかで排除していいのか』とただした。若月教育長は『結婚式でも従わない人は招待しない。それと同じだ』と述べた」(001/3/14「朝日」夕刊)
「秋田市の八橋(やばせ)陸上競技場で」99年6月「26日に開かれた市中学校総合体育大会の開会式で、来賓の高橋昌一・同市体育協会長が約四千人の中学生らを相手にした挨拶の中で、『子どもに対して言ったのではない』として、『国旗掲揚、国歌斉唱をしないような人は(式の会場から)出ていった方がいい』と発言してい」て、国旗敬礼・国歌斉唱へのアミを「保護者」・「来賓」にまでかけたい衝動を既に露骨に見せている。同年年9月17日には、「高松市教育長が議会答弁」で、「教師と児童・生徒は、学習指導要領に基づいて指導することになって」いるが、「保護者に対しては学校は指導する立場にない」と答えている。1年半で、「指導する立場にない」」「保護者」・「来賓」への「指導」を前面に押し出している。場所は東京都品川区に変っていても、一つの前例となり、順次踏襲され、そう遠くない将来、全国一律の慣例となるのは目に見えている。
勿論、思想・信条の自由を賭けて裁判で闘うという手もある。但し、「保護者」は式典に招待しないわけにはいかないが、ブラックリストに載せた「来賓」は初めから招待しないだろう。「保護者」にしても、例え内心は反対でも、多くは裁判まですることの煩わしさから、また子どもへの悪影響を考えて、事勿れな同調行動を取るに違いない。
国旗敬礼・国歌斉唱する者だけを集めて、しない者を排除する。同調者だけを集めて、少数の非同調者を排除する。これは単一民族意識に相互的に呼応する日本社会固有の集団力学だろう。これも社会に不寛容のシステムをつくり出している素因の一つである。同調者だけに生存機会が有利に働き、非同調者には不利に働く。これをもって日本の社会を自由社会と言えるだろうか。「個性尊重」社会と言えるだろうか。
国旗敬礼・国歌斉唱で愛国心は育つのか
文部省の学習指導要領と「職務命令」を武器とした国旗敬礼・国歌斉唱の、教育長・学校長・教師・生徒、さらに保護者・来賓への段階的な圧力を有効たらしめている力学は純粋に愛国心なのだろうか。上からの命令・指示を学校現場という最終段階で内容どおりの形に実現する。そのことができなかった場合の命令・指示伝達の不徹底の責任は逆に下から上への段階を取って遡り、最終的な責任の所在は文部省となる。当然それぞれの段階で責任を回避するためには、非同調者を1人も出してはならない。肝心要の最終段階で学習指導要領と「職務命令」でアミをかけることができるのは教師・生徒のみである以上、同調化は教師・生徒までとなる。それを踏み越えて、「保護者」・「来賓」まで同調化の範囲を広げるのは、「保護者」・「来賓」の中に非同調者がいて、それが教師の同調を誘い、さらに生徒を誘う。あるいは逆方向の非同調の誘発力学が働かない保証はない。自己の責任を全うし、同時に責任を回避するためには、結果として、1人も≠ヘ「保護者」・「来賓」までとしなければならなかったのだろう。そのための「秋田市の八橋(やばせ)陸上競技場」での「立っていない大人」に対する「国旗掲揚、国歌斉唱をしないような人は(式の会場から)出ていった方がいい」という発言であり、「(東京都品川区議会)予算特別委員会」での「立たない人を(児童・生徒に)見せるのは好ましくない」発言なのである。
もし純粋に愛国心からのものなら、学習指導要領も「職務命令」も無効となる。愛国心の発露は「職務」で要求するものでも、「職務」で行うものではないからだ。また、国旗敬礼・国歌斉唱に忠実だからといって、愛国心ある人間だとは限らない。学習指導要領と「職務命令」に屈した(=命令・指示に屈した)「教師」・「生徒」。「保護者」・「来賓」は単に形だけ従うだけなのは自明の理である。教育委員会の中にも、学校長の中にも、上からの命令・指示に形だけ従う者がいないとも断言できない。最初からの同調者の中にも、決められたから国旗敬礼・国歌斉唱をするのだ、反対するのは後が煩わしいから、従っているに過ぎないという者もいるだろう。
いわば、「国旗掲揚はステージ中央」、「式次第に国歌斉唱」と明記、「教師は式に全員参加」、「斉唱は教師のピアノ伴奏で。全員が起立し正しく心をこめて歌う」と厳正に決め、厳正に守られたとしても、そのような国旗敬礼・国歌斉唱の姿をもって、愛国心ある日本人の姿だとは判断不可能だと言うことである。逆説するなら、形だけで済ますことのできる行為に多くの人間をからめ取り、それをもって国民としてふさわしい態度だとするのは愚かしい限りである。
戦争中の日本人は国旗敬礼・国歌斉唱に熱心だった。国の滅び≠ノ加担した日本人が果たして愛国心に満ちていたと言えるのだろうか。もっとも、あのような日本は滅ぶべきだった。国民全員が愚かな人間と化したのである。滅ぶべくして滅んだのである。
愛国心涵養を目的に日の丸・君が代にどのような意味づけを行おうとも、戦前日本の侵略戦争のシンボルとなった決して消すことはできない事実が、どのようなシンボルともなり得る、あるいはどのようなシンボルにも利用できる操作性を既に教えているのである。いつか再び、かつてのように日の丸がナチスドイツのカギ十字に対応するシンボルとなる日が来ることもあり得るのである。となれば、真っ正直な国旗敬礼・国歌斉唱を熱烈な愛国心表現だと信じる者よりも、形だけ同調する人間の方が遥かに健全だということになる。
比較上位者の責任回避意識が日の丸・君が代を絶対的権威とする倒錯を誘発していることにも留意しなければならない。絶対としなければ、それに従わない責任は問えないからである。同時に、国旗敬礼・国歌斉唱が学習指導要領と「職務命令」を介した行為であることによって、日の丸・君が代に対する態度を踏み絵として、比較下位者のそれへの忠実性が比較上位者に対する忠実度を計るバロメーターともなっている。踏み絵はそこに込めた価値を絶対的なものとすることによって機能する構図を持つゆえに、比較上位者は意図せずに日々日の丸・君が代を絶対化する不作為の回路をつくり出しているのである。
日の丸・君が代の絶対化は天皇の絶対化であり(「政府は十一日の閣議で、君が代の『君』が何を指すかについて『日本国及び日本国民の統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である』などとする統一見解をまとめた。・・・・国会に提出した国旗・国歌法案については『国歌の斉唱などを義務づけるようなことは考えていない。現行の(日の丸・君が代の)運用に変更が生じるようなことにはならない』と説明。『児童生徒の思想、良心を制約しようというものではない』としている。・・・・政府はこれまでの国会答弁で『国民統合の象徴としての天皇を持つ日本の国が、永遠に平和であって欲しいと言う歌だ』(一九八四年の衆院内閣委員会で森喜朗文相=当時)などと説明してきた。
・・・・・・君が代の歌詞については『天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの』と定義した」(99/6/2「朝日」朝刊))、戦前に経験したと同じく、絶対化を画策し、それを利用する政治権力者の絶対化につながる。絶対化を利用した自己絶対化なのである。天皇と政治権力者の絶対化は、国民の基本的人権の抑圧に他ならない。基本的人権を原理とする存在への抑圧である。
確実に言えることは、天皇を国民統合の象徴としなければならない哀しさである。政治家・官僚も含めて、国民が自らの足で立って、自らの頭で考えて行動していたなら、その総合体を文化・精神面における国の姿とするだろうから、天皇を飾りとすることも、日の丸・君が代を飾りとすることも必要ないからである。現実はその逆なのである。石原都知事はテレビ出演で頻繁に、日本人は自律(自立)しなければならないと口にするが、天皇主義者でありながら、自律(自立)していないことが天皇と言う飾りを必要としているという日本民族の皮肉性に気づいていない。自律(自立)していないから、学歴や会社の規模や地位を権威とし、それを誇る日本人性があるのである。
国旗敬礼・国歌斉唱をもって、愛国心表現の一つだとすることのまやかしは、それが形で済ますことが可能であることも一つの理由であるが、個々人の心の問題である愛国心を国旗敬礼・国歌斉唱の形で表現させようとする支配・強制の夾雑物を必要としなければならないことにも表れてはいる。実際は、どのような形≠熾K要ないのである。もし真に国を想い、国民を想う愛国心を体現していたなら、阪神大震災でその災害とその被害の甚大さを把握していながら、県知事の要請を待ってという規則に囚われて待機し続け、災厄拡大・死亡者増大に手をこまねいた自衛隊は存在しなかったろうし、首相官邸で地震災害の様子を報道しているテレビ画面に目をやりながら、それが如何に緊急事態なのか読み取るだけの想像力も持ち合わせなかった村山とか言う総理大臣も存在しなかったろう。
愛国心とは、決して天皇を敬うことでも、天皇を象徴させた日の丸に敬礼し、君が代を斉唱することでもない。勿論国家権力の言いなりになることでもない。「我が国の末永い繁栄と平和」への「祈念」は、一人ひとりの素朴で単純な、だが人間行為の中で最も困難な存在表現によって成り立たせ可能となるものである。それは誠実という存在表現である。
危険な金融商品を安全高利益と偽って売りつける不誠実な儲け第一主義の金融機関、土地転がし、暴力団を使っての地上げでアブク銭をかき集めたゼネコンや不動産業界、カネ絡みで動く政治家、接待・ワイロ、カラ出張・カラ手当て、職務怠慢を当り前のこととしている官僚等々――そのような不誠実は愛国心とは180度正反対に位置する価値観なのは言うまでもない。そのような不誠実によって成り立っている国≠ェ、健全で逞しい姿・逞しい中身を身につけようがないし、不誠実分子の国旗敬礼・国歌斉唱は自らの不誠実を誤魔化すカモフラージュ行為に過ぎない。もし真実自分は愛国心ある人間だと信じていたなら、恐ろしいことである。
一人ひとりが誠実であることによって、政治家・官僚は国民に責任を果たすことが可能となり、企業は脱税も政治家へのワイロも不正な談合による不正利益の獲得も無縁体質とし、社会的責任を果たすことが可能となる。いわば、誠実さが責任を生じせしめる。欧米からの批判としてある「責任を取らない国民」のつくり出す国≠ェ、「末永い繁栄と平和を祈念」するのは図々しいまでの滑稽な自己矛盾でしかない。誠実さを契機とした責任こそが、愛国心の発露そのものなのである。決して国旗敬礼・国歌斉唱にあるのではない。
国民に責任を果たさない、不誠実を性格とした国家権力が日の丸・君が代を道具として愛国心を求める。誠実さで責任を果たせないために不全状態にある国家権力の愛国心を、国民の国旗敬礼・国歌斉唱の形式的な愛国心で覆い隠そうとする欺瞞行為でしかない。自らの態度・姿勢を改めることができないのだから、形式≠ナしか隠すしかないのである。
一人ひとりが誠実であることによって、社会の非自由・不平等・不寛容を抑えることができる。逆説するなら、社会の非自由・不平等・不寛容をつくり出しているのは、政治・官僚・企業といった、彼らの不誠実なのであり、お互いに自由・平等・寛容の首を絞めあっているのである。再度言う。「はきちがえた個性の尊重・はきちがえた自由」はホシイママとしているのは、社会の上層部に位置している大人たちである。
社会における不寛容
「東大法学部卒。七三年には立教大法学部長も務めた。政治学と民俗学をつなげ、『近代日本の精神構造』『常民の政治学』などの著書がある」との紹介がある神島二郎立教大名誉教授の「問われる『単身者本位社会』転換期の日本の奔流 上」(90/2/27「朝日」夕刊)という、10年前の記事がある。「隠微な形で存在する支配階級」との小見出しのある一部を紹介する。
「日本は明治以来、先進国に『追いつけ、追いこせ』でやってきたが、出世民主化によってこれを推進するアクチヴ(活動分子)を用意し、いうなれば、彼らが傾斜的、流動的に体制を担い、階級的固定化を緩和し、一時期一億総中流化の幻想さえバラまかれ、人々をその気にさせることにも成功した。この国では大資本家、大地主、大金持が目に見える形で支配階級を形づくってはいないけど、人的ネットワークをもってあらゆる組識の職制上うま味のあるポストを専有する仕組みをいつのまにかつくり、いわば組織機構に寄生する形で事実上支配階級がみごとにできあがっていた。例をあげれば、政官財にわたって、ポストの私的なたらい回し、世襲や世襲化のさまざまの手法、天下り、職権乱用、土地や株式の投機的な売買、饗応(きょうおう)、贈答など、ピンからキリまで数限りなくあり、たくみにカモフラージュされているが、支配階級ともいうべきあちらの世界と、それをおおいかくすのに役立ってきたおこぼれにあずかる人々の群れとはおのずから別であり、にもかかわらず、それらが全体として腐敗の構造を形づくっている」
このような日本の社会が自由でも平等でもあるはずがなく、あるのは裏返しとしての支配と拘束と排除等を基準とした不寛容のシステムをルールとした秩序である。但しそれは、「明治以来」の現象ではなく、歴史的な伝統性を持った社会的秩序としてあるものなのである。そしてそれを可能としてきたものは日本人の行動様式となっている集団主義・権威主義を原理とした人間関係が持つ先輩・後輩、学歴の違い、出身大学のグレードの違い、組織内の地位の違い等で人間に上下・優劣をつける階級性である。日本人の人間関係を支配している階級性を源として、「ポストの私的なたらい回し」以下の非自由・不平等をつくり出しているのであるが、それらはそれぞれの時代に応じた強弱や姿をもって現れた、常に権力の絡んだ行為なのである。
では、具体的にどのような権力行為がのさばり、世の中を圧迫しているか、不寛容のシステムをのさばらせているか、新聞記事で追ってみる。
次の記事の内容は広く知られた事実としてあることだが、不寛容のシステムの形成との関連で、取上げてみる。
小渕前首相が脳梗塞で倒れて病院に担ぎ込まれたときの、当時の青木幹雄官房長官の首相臨時代理就任の不透明なイキサツとその正当性を問う、「疑念広がる政権交代劇」の見出しの00年5月14日「朝日」記事の中の「小渕前首相の入院をめぐる経過」の部分と、同年4月4日の「朝日」朝刊にある記事の中の、「小渕首相に何が起きたか」の部分を並列させてみる。
5月14日「朝日」 「※青木官房長官の説明などから、肩書は当 時。 【4月1日】 ▼午後 5時59分 首相官邸で自自公三党の党首会 談。 自由党との連立解消を決める。 7時52分 報道各紙が小渕首相に共同イン タビュー。 7時55分 小渕氏が首相公邸に戻る。 【2日】 ▼午前 1時ごろ 体調不良を訴えて緊急入院。 2時ごろ 古川政務秘書官が青木官房長官に 「過労で入院し検査する」と連 絡。 6時ごろ 主治医と古川氏が青木氏を参議員 宿舎に訪ね、「検査結果は午後11 時ごろはっきりする」と報告。青 木氏はその後、自民党の森幹事長 、野中幹事長代理、村上参議員会 長や古川官房副長官らに入院を連 絡。 ▼午後 0時ごろ 赤坂プリンスホテル(以下、ホテ ル)に青木、森、野中、村上の各 氏、亀井政調会長が集まる。 2時ごろ 2度目の磁気共鳴断層撮影(MR I)検査で、「脳梗塞」と診断。 6時半ごろ古川秘書官がホテルにいた青木氏 に「検査結果があるので来てくれ ないかと電話。 7時ごろ 青木氏が医師団から病状を聞き、 小渕氏と7、8分ほど二人で合う 。小渕氏は「有珠山噴火の心配も あり、何かあれば万事よろしく頼 む」と指示。医院関係者によると 、実際は意味のある会話は困難な 状態。 7時半ごろ 一部出血するなど症状が進展、 集中治療室に入る。 9時すぎ 古川秘書官が青木氏に「病状に急 激な変化が見られ、集中治療室に はいった」と報告。青木氏は古川 副長官に首相不在となった場合の 法的検討を指示。 11時半前 青木氏が宮沢蔵相に電話で「首相 の指示を受けているので、私が必 要に応じて臨時代理を務める」と 報告。 11時半 青木氏が緊急記者会見で小渕氏の 入院を発表。会見後に昏睡状態に 入ったと連絡が青木氏に入る。 【3日】 ▼午前 0時半ごろホテルで青木、森、野中、村上氏 らが対応を協議。 9時 青木氏が首相臨時代理に就任。 11時 青木氏が記者会見で首相臨時代理 就任を発表。小渕氏は集中治療室 で治療を受けていると初めて公表 ▼午後 0時42分 臨時閣議、青木氏が小渕氏の病状 を説明し、臨時代理就任を報告。 【4日】 ▼午後 2時半 青木氏が病院で医師団から、「脳 梗塞による脳障害のため、質問を 理解したり、自分の意思を表明し たりするのは困難」と説明を受け る 5時 青木氏が記者会見で、憲法70条の 「首相が欠けた時」にあたるとして 内閣総辞職を決意したと発表。 7時 臨時閣議で総辞職決定。 【5日】 ▼午前 11時すぎ 自民党が両院議員総会で森氏を党 総裁に選出 ▼午後 1時すぎ 衆院本会議で森氏を首相に選出」 |
4月4日の「朝日」(一部省略) 「2日(日) 午前0時30分 体調の不調を訴える 1時過ぎ 秘書のライトバンで入院 千鶴子夫人とSPも同伴 1時15分 順天堂医院に到着 臨床診察とMRIで脳梗塞の疑 い 5時ごろ 青木官房長官に主治医から首相 の症状について連絡入る 7時前 青木長官が古川貞二郎官房副長 官に連絡
午後1時頃 森・野中・亀井・村上、青木氏
7時過ぎ 青木長官が病院で面会
午後4時 青木長官が定例会見 |
まず問題にしなければならないのは、首相入院が秘密にされたことである。この秘密がその後の経緯の土台となっている。「4月2日」の「午前6時ごろ」「青木氏は」「自民党の森幹事長、野中幹事長代理、村上参議員会長や古川官房副長官らに入院を連絡」している。その内容は、「午前2時ごろ」「古川政務秘書官」から受けた「過労で入院し検査する」という報告と、同じ「午前6時ごろ」「主治医と古川氏」から受けた「検査結果は午後11時ごろはっきりする」との「報告」を取次いだものでなければならない。ところが、「午後11時ごろはっきりする」「検査結果」を待たずに、6時間後の「午後0時ごろ 赤坂プリンスホテルに青木、森、野中、村上の各氏、亀井政調会長が集ま」っている。それは「入院」理由が「過労」ではないこと、普通の症状ではないことを既に知っていたからだろう。
4月4日の「朝日」では、既に「1時15分 順天堂医院に到着臨床診察とMRIで脳梗塞の疑い」となっている。にも関わらず、5月14日の「朝日」では、そのことが出ていない。なぜなのか理由は分からないが、いずれにしても、幹部連中がホテルで対応を協議しなければならないほどの症状だったということだろう。でなければ、森クンはゴルフにでも出掛けていたか、あるいは派の若手とスシ屋で昼飯でも食べていたに違いない。となると、「過労で入院し検査する」としたのは、実際の症状まで秘密として隠さなければならなかったと考えられる。動機は当然、「話せる状態にあった」と誤魔化すこと以外は考えられない。その線で、「通信社」に対しても、 「午前10時」と「正午」の2回、「6時起床。朝の来客なし」「公邸で政策の勉強などして過ごす」とニセ情報を流したのだろう。
なぜ「話せる状態にあった」とする動機を必要としたのか。ホテルでの協議で既に、青木臨時代理、森後継の流れができていたからではないか。幸い小渕入院は秘密にされている。その秘密に便乗した――。
その疑惑は、同じ「4月の2日午後7時ごろ、青木氏が医師団から病状を聞き、小渕氏と7、8分ほど二人で合」い、「『有珠山噴火の心配もあり、何かあれば万事よろしく頼む』と指示」を受けたとしている事実と、「医院関係者によると、実際は意味のある会話は困難な状態」という事実との食い違いに、まず現れている。次は、「4月2日の」「午後9時すぎ」に「『集中治療室にはいった』と報告」を受けながら、その内容は伏せて、「3日の午後11時半」「「青木官房長官」は「緊急記者会見で小渕氏の入院を発表」していることである。さらに、その「会見後に昏睡状態に入ったと連絡」を受けながら、12時間も経過した「3日の午前11時」に「記者会見で」、連絡の内容を伏せるというよりも、実際の症状の進行をずらす形の誤魔化しで、「小渕氏は集中治療室で治療を受けていると初めて公表」したのである。時間的にも最初の「報告」からすると、丸1日以上繰り下げるずらし≠行っている。なぜ、かくも長き時間、「集中治療室にはいった」事実を秘密にしたのか。やはり、「話せる状態にあった」とする時間稼ぎ以外は考えられない。
勿論青木氏はその12時間の間、何もしていなかったわけではない。「3日午前」「0時半ごろホテルで青木、森、野中、村上氏らが対応を」再度「協議」している。「集中治療室にはいった」という事実を国民に秘密にしておきながらの「協議」である。考えるに、「入院」という最初の秘密が成功したことで、自分たちに都合がいいように次の秘密を重ねたのではないのか。勿論最終目的の自分たちに都合のいい次期首相を選出する秘密劇を成功させるためであり、それが「話せる状態にあった」とする誤魔化しを取らせたのではないか。
このような一部の政治特権者による自由と平等における機会の公平性を侵す不当な自己機会の独占=他者機会の排除・抹殺の展開は(森後継選びのプロセスを外国メディアは「秘密主義『クレムリンのよう』」(00/4/4「朝日」)と伝えている)、そのまま自由≠フ抹殺・排除、もしくは不平等の創出を意味し、当然それは一般他者に対する不寛容を構造として成り立つ。このような不寛容のシステムが日本の政治社会にまで蔓延し、のさばっている。裏返して言えば、一部政治特権者を除いたその他大勢の政治家がそののさばりを批判も非難も示さず、また疑問の提示もなく受入れ、許している。なぜかと言うと、二世議員有利の国会議員の半世襲化・派閥原理・利権原理・カネを力とする金権原理といった政治慣習自体が既に不寛容のシステムを構造として成り立っているもので、それを相互に利益としているからだろう。密室劇≠ヘ不寛容のシステムに屋上屋を重ねたに過ぎない。
政治社会という最上層の社会においてさえ、非自由・不平等を生存秩序とした不寛容のシステム(「はきちがえた個性の尊重・はきちがえた自由」の恣意的行使)で成り立っているのである。他を推して知るべしだろう。具体例とすることのできる事例は新聞記事からいくらでも拾い出せる。
「行き場失う在日外国人エイズ患者」との見出しで、「在日外国人のエイズ患者、エイズウイルス(HIV)感染者が病院にいられなかったり、高額なエイズ治療薬の代金や帰国費用を払えなかったりで、行き場を失うケースが相次いでいる。帰国できないまま命が尽きるケースも少なくない。治療や帰国の支援に奔走するボランティアは、ケアに責任持つ基金や施設の必要性を訴えている」(00/8/19「朝日」夕刊)と、「治療・帰国ままならず」の状況を伝えている。
日本社会が外国人に不寛容なシステムとなっているのは何もエイズ関係者に対してだけではない。「外国籍の既婚女性と戸籍上の父以外の日本人男性との間に生まれた子」(00/12/7「朝日」朝刊)の日本国籍取得問題。「生まれる環境は選べないにもかかわらず、子どもの国籍や権利に制限が生じており、国連の規約人権委員会は『出生による差別を禁じた国際人権B規約に触れる』として、日本政府にたびたび法改正を勧告しているが、動きは鈍い。『背景には婚外子に対する差別や、日本の排他性がある』と指摘する声もある」(一部引用)と報じている。
日本人の外国人に対する排他性・不寛容は、日本民族優越性に深く関わっている。それは日本人を正統とする考え――正統信仰を生じせしめていることの裏返しとしてある外国人差別なのである。日本人が白人に弱いのは、日本人を正統としながら、白人種をそれ以上に正統としているからだろう。日本人がすべての有色人種に対して、あるいは貧しい国の貧しい生活をしている人間を遅れていると取らずに、すべての彼らに対して正統性を与えるまで、精神面での国際化を果たすことは不可能だろう。
「日本の予感 寄せる人IT産業にも」(01/1/1「朝日」朝刊)という記事がある。「ジャパニーズドリーム」を夢見たインドからの「情報技術(IT)の人材」に絡めて、人間の移動を取上げている。来る人に対して、去る人に関しては、「一方で日本に見切りをつける人たちもいる。
カナダ・トロント
汪丹松さん(三四)と陳越さん(三二)の夫婦が日本から移って、一年半がたった。
上海出身の二人は、東京に五年余り住んだ。夫は中国系企業でソフト開発し、妻は倉庫会社で働いた。
カナダへの移住を決意したのは、子どもを持とうと思ったからだ。日本で生まれても、国籍はおろか、定住資格も得られない。カナダは能力ある外国人に門戸を開く。生まれた子どもは国籍が持てる。
去年の七月、長女ソフィアちゃんが生まれ、カナダ国籍が与えられた。
求人が豊富で賃金も高い日本に戻ろうか――。ふと思うことがある。だが、外国人の定住を容易に許さない日本では、長い人生の見取り図を描くことができない。
韓暁光さん(三七)と王浩さん(三六)も昨秋、成田発の同じ飛行機に乗ってバンクーバーへ来た。トロントと並ぶIT産業の中心地である。
高度な技術者でもつい最近まで、日本では一年限りの滞在しか許されなかった。ビザ延長は雇用されていることが条件になる。だから、上司に異議を唱えることさえ、つい及び腰になってしまう。
日本への帰化も考えたが、踏み切れなかった。
『国籍を変えても日本人にはなれない。日本は万里の長城で囲まれているようだ』
帰らない覚悟で日本へ渡ってきたが、終着駅は、太平洋の向こうのカナダになった」
日本が国籍という制度で外国人を排除するのは、案外正当な差別方法なのかもしれない。定住外国人に対する帰化申請は簡略化の方向に持っていくということだが、外国籍の親から生まれた子どもに対する血統主義までは緩和しないだろうし、帰化が認められても、日本人の白人以外の外国人に対する心の壁は不寛容なままだろうから、前以って国籍で遮っておいた方が外国人に親切というものだからだ。
同じ記事の中に、「二世、三世やその家族は在留資格を得ることができる。滞在中の活動も制限されることはない」「日系人」を「二十世紀初めから第二次世界大戦にかけて」「日本の漁民が移り住み、今も約二百家族の子孫が暮らす」「インドネシア東部」の「香料貿易で栄えた港町マドナの近郊」の「トモホン」に求め渡航する日本人の人材スカウトの模様が紹介されている。そして「昨年四月」最初に「旅立」」ち「茨城県大洗町の水産会社に就職した」「マルガレータ・ハナコさん(二五)」の心境を、「母国で暮らしていた頃、ハナコさんきょうだいが日本人の血を意識したことはない。日本語が話せるわけでもない。
日本で働けるのはありがたい。でも、日系人以外のインドネシア人だとなぜ違法になるのか。日本は不思議な国だ、と思ってしまう」と解説している。この心境から炙り出すことができるものは、外国籍であっても、日本人の血が少しでも混じっていれば、日本に住み、働く正統性を与えられるということであり、日本人として認められるということである。このことは、日本人とは、日本人の血を体内に持っているかどうかに還元されるということをも示している。逆説するなら、日本国籍を獲得しても、日本人の血を体内に持っていない人間は日本人とされない(「国籍を変えても日本人にはなれない」)ということである。
ありがたい国である。但し、日本人の血を持っている人間に限ってという条件付きで。そのくせ、混血は差別の対象事項ともなっているのである。ということは、日本人以外の血が流れていない日本人が一番の正統性を与えられるということであろう。だからこその単一民族意識なのである。地方参政権を獲得したければ、帰化しろということなのだろう。しかしこれは血≠基準とした不寛容のシステムを国籍や民族・人種にまで適合させていることを意味する。
そのような日本人性が象徴的に表れている興味深い典型的な例を示してみよう。「『朝鮮人でも君のようないい人がいるのですね』」(「家庭で再生産される『差別』」94/10/31「朝日」)という言葉である。それは日本人はすべて「いい人」だ≠ニいう意識を土台として成り立つ。さらに言えば、「朝鮮人で」「いい人」は例外だということだろう。だが、こういった人間の現実を見ることのできない人間は、自国民に対しても社会的な偏見に加担する。部落出身者や身体障害者を劣ると見る差別・蔑視を平気で犯す。学歴や社会的地位・財産で人間に優劣をつける偏見に染まっているのもそのためである。
「『ワタシ、アメリカ人』日本人の態度コロリ 在日アフリカ人」(96/「朝日」)という記事がある。「『アメリカ人』と名乗るアフリカ人がいる。彼らは言う。『同じ黒人でも、アフリカンは未開で、米国人は文明人というイメージが、日本にはあるようだ』。だから、アメリカ人のふりをすると、『給料が上がった』『女の子にモテる』『見下す社長の態度がコロリと変った』。中身よりブランドに目を奪われる日本の歪みが見えてくるようだ」と解説し、その具体例を幾つか挙げている。一例を引用すると、「『社長に、実はアメリカ系ですと言ったら、態度が急に変った。ヤア、君も民主主義が分かるんだな、と』」
黒人を劣る人種と差別・蔑視しながら、アメリカ国籍だと一目置く。しかしそれはあくまでもアフリカ黒人と対比した場合の一目であり、アメリカコンプレックスの反映でもあるのだろう。何と言う滑稽な倒錯した人間観なのだろう。
01/3/19「朝日」朝刊に、「自分の領域を出ない若者 外国人危険視する社会」と題した、「日本の予感 二○○一年のナショナリズム」を取上げた記事がある。海外で活躍する国際ボランティアの「『次の世代』になかなか出会わない」状況や、それと関連した、「個人的な体験から思考が広がっていくことは少ない」、海外旅行をしても、自分の周囲≠引きずったままの若者の出現、そして「外国人の犯罪と差別的な言葉を結びつけた」「昨年四月の石原知事の『三国人』発言」と、同種のその他の社会的傾向に言及した記事がある。それに対する解説として、「国を覆う『内向き意識』」と題した「作家・西木正明さんの話」が載っている。「アジアやアフリカは日本車や日本製品があふれているのに、日本の存在感は薄い。去年訪ねたウガンタで『中国人か』と聞かれた。違うと言うと、『では韓国人か』。それほど日本は国際社会で『顔』がない。身近なことにしか関心がない若者の意識がその傾向を強めるだろう。反安保運動が盛んだった頃、若者は国家権力を敵と見なした。敵の存在は自分のアイデンティティーの確認につながる。だが、今の若者に敵はいないし、仕事がなくても飢えはしない。こうして自覚のない『内向き意識』と『無力感』がこの国を覆う。こんなときにカリスマを求める風潮が強まることは歴史が証明している」
戦前は鬼畜米英という「敵の存在」が日本人の天皇バンザイ(=日本民族優越意識)の「アイデンティティーの確認につなが」った。「反安保運動が盛んだった頃」は、極左のセクト同士が相手を「敵」と見なし、それを「自分のアイデンティティー」として醜い内ゲバを繰広げた。いわば「今の若者」と違って、「敵」が「い」たにも関わらず、その手の「アイデンティティー」は、「八紘一宇だ」、「世界同時革命だ」と、所詮は自己権力を振りまわすに都合がいいだけの独り善がりなものに過ぎなかった。
ナチスも「自分のアイデンティティー」を持っていた。ユダヤ人に対するアーリア人としてのゲルマン民族の優越性を「アイデンティティー」とし、ユダヤ人を絶滅させるべき「敵」としていた。「アイデンティティー」の内容が問題なのである。「敵」は簡単につくり出せるし、当然そのような「敵」に対応した「アイデンティティー」も簡単につくり出せる。それはオウム真理教の麻原彰晃とその行動が証明している。一歩誤ると、権力者に都合のいい「アイデンティティー」を体現させるために、その線に添った「敵」を仕立て、意識誘導に利用される危険もあるのである。石原都知事の「三国人」発言にマスコミや知識人が批判したのに対して、都庁に掛かってきた電話の多くは石原都知事を応援する内容のものだったのは、「三国人」が「敵」として利用される対象の可能性を十分に持っているとことを示している。「アイデンティティー」の確立のために「敵」を必要とする、あるいは「敵」の存在があって初めて自己の「アイデンティティー」が確立できる、その相互性ほど危険なことはない。いずれも人間存在に対する不寛容のシステムの補強に役立つばかりである。
都庁への電話でもう一つ気をつけなければならないのは、わざわざ電話を掛けてまで応援したのが若者世代の人間とは考えられないということである。ということは、何も「自覚のない『内向き意識』」は若者に限ったことではなく、若者だけにある「カリスマを求める風潮」というわけではあるまい。森首相の次に、誰を首相に選びたかといった世論調査では、自衛隊を閲兵したり、アメリカや中国にタカ派的勇ましい発言を繰返す石原慎太郎がいつも一位なのは、熟年世代とその前後の世代に石原氏に「カリスマを求める風潮」があるからだろう。
森首相の「日本は天皇を中心とした神の国」(00/5/17「朝日」夕刊)発言も、優越的存在である天皇、優越的国家としての神の国を「アイデンティティー」としなければ、自己の優越性を表現できないことによる非自律性(絶対化を利用した自己絶対化)からのもので、それを可能としているものは、精神面で不寛容のシステムを成り立たせている、国籍や民族・人種で人間の優劣を価値づける日本民族優越意識から来ているものだろう。前に言ったことの繰返しになるが、森首相以下の日本の政治家が政治的な自律性を獲得していないからこそ、自己の政治性(政治思想・政治哲学・政治理念)を「アイデンティティー」とすることができないのであり、その代償として天皇とか、日の丸とかのシンボルを必要とし、そこに自己を立脚せしめるしかないのである。優越シンボルを必要とする精神性が、比較対照としての劣等シンボルを装置しなければならず、そのような精神性が社会的な不寛容のシステムの加速的波及を強いてもいるのである。
「八三年以降、半強制はなくなったものの」、「『代々その名前でいいんですか』『もう少し考えてください』」といったふうに「やんわりとした誘導はなお残るという」「法務局の窓口が日本風の名前にするように指導していた」(01/3/24「朝日」朝刊「『名前』(イルム)」)在日韓国・朝鮮人の日本国籍取得申請時の慣習は、表面的に限りなく日本人に近づけよう、そうしたなら受入れてやるよという意識の発動からのものだろう。それを、日本民族優越意識を背景とした、限りなく韓国・朝鮮人であることを薄め、日本人であることの正統性に近づけようとする民族浄化の一種と言えなくもない。
同じ記事は、「与党三党はいま、在日韓国・朝鮮人ら特別永住者がほぼ無条件で日本国籍を取れるよう、今国会での国籍法改正を目指している。
プロジェクトチーム座長の太田誠一座長(自民)は『日本式への改名指導は完全に廃止すべきだ。名前は本質的なもの。本来の名前で国籍を取得できるような流れを極力、推し進めたい』」と紹介しているが、例え法律の類で制度をそのように変えても、日本人の精神性としてある、日本的なるものを正統とする不寛容のシステム(日本民族優越意識の展開)は簡単には「改正」できないだろう。具体的に例示するなら、「日本の国籍を取りながら、なぜ日本式の名前に変えずに、本名を名乗るのだ。ここは日本の国だ、韓国・朝鮮じゃない」といった、かつて「法務局」が侵していた日本化強制を一般国民が代って侵すことも考えられる。日本の民主主義がその名に値するまでに成長を見ないのは、社会の隅々にまでアミを張りめぐらせている不寛容のシステムが伝統性からきている根強さを備えているからである。
例え同化要求が日本民族優越意識からのものではなくても、同化したくても、同化できない事情(差別・蔑視)を棚に上げて、あるいは解決もせずに同化を求めるのは、相手の精神に対する攻撃以外の何ものでもない。このことは戦前日本が沖縄に対して行った精神的な暴力としての同化政策にも当てはまる。「明治政府が、膨大な経費を覚悟で琉球を編入した大きな理由は『国防』だった。南の要衝に起居する『辺境の民』を一人前の『日本人』にするために、本土への同化策が進められ」た、「一八七九年」の「琉球処分」以来、「日本人としての自覚を高めるため、琉球の方言や歌舞」まで「『もってのほか』」としてまで「沖縄自身も、過剰にそれを受入れた」(99/1/5「朝日」夕刊「辺境論@」)にも関わらず、さらに日本風の「改姓改名」まで徹底化して「本土への同化」を試みながら、「敗戦の前の年の、秋のある日」の本土で、「隣家の奥さんと二人で海辺へ食糧用の貝を採りに行った」とき、「サイパン島の、住民を巻き込んだ悲惨な戦闘の模様」を「『玉砕したのは、ほとんど沖縄の人だったんですって。内地人の犠牲が少なかったのは、せめてもの救いだったんですって』」(99/1/6「朝日」夕刊「辺境論A」)と、本土と沖縄の間に人間の命にまで優劣をつける、差別(=精神的な暴力)の変らない構図は、不寛容のシステムが日本人の伝統的な精神性から発していることの有力な状況証拠となるものであろう。そしてその証拠は敗戦が濃くなると、日本軍は沖縄住民を見殺しにすることで、最も露骨な姿を現すのである。これが優越民族日本人の正体であり、優越民族意識の正体なのである。
99/6/23「朝日」朝刊に「沖縄戦、政府初調査へ 不明確な実態把握」との見出しの記事がある。その中に、「米軍上陸時に敗戦予測 沖縄『捨石』を裏付けか」という記事が併載されている。「太平洋戦争の末期の一九四五年四月、米軍が沖縄本島に上陸した直後に、旧陸軍の作戦担当幹部が『(沖縄は)敵に占領される』と述べていたことが、防衛庁防衛研究所に所蔵されている当時の大本営の文書『機密戦争日誌』で分かった。・・・・研究者らは、軍首脳部が沖縄を本土決戦の『捨石』と想定していたことを裏付ける、と指摘している」。「日誌」の内容は、「本日ノ作戦連絡ニ於イテ 総理ヨリ琉球ノ戦況見透シ如何ノ質問アリ 之ニ対シ第一部長ヨリ結局敵ニ占領セラレ本土来寇ハ必至ト応答ス」(「米軍が沖縄本島に上陸した日の翌日の四五年四月二日の記載」)とあり、「五月六日の記述は、「沖縄作戦ノ見透シハ明白トナル コレニ多クノ期待ヲカクルコト自体無理」。「これ以降の持久作戦で多数が犠牲となった」と解説している。
その究極の成果の一つが、渡嘉敷島の集団自決なのだろう。その模様は「ルポ 沖縄戦 語り部の五十年@」(94/6/27「朝日」)〜「C」(94/6/30「朝日」)に詳しく書かれている。「上陸してきた米軍の圧倒的な猛攻にさらされ、、島全体がたちまち玉砕の危機に追い込まれていた」。「『軍陣地近くに終結せよと日本軍から命令が出され』」「『自決せよと命令が出たと情報が伝えられ』」「『軍からあらかじめ渡されて』」いた「手りゅう弾」を握り締める。「家族が固まりを作る。幼い子に因果を含める声。むずかる赤ん坊を必死でなだめる押し殺した声。一瞬の静寂。そして突然手りゅう弾の爆発。人間の断末魔の悲鳴。号泣」。「『赤ん坊の声が敵に聞こえると居場所が分かる。殺せ』と命令された、などの悲惨な話もある」(「語り部の五十年@」)と伝えている。「惨劇は、奇妙なルールに支配されていた。大事に思っている人間から先に、しかも確実に殺す。蘇生したら鬼畜の餌食にされてしまう。ひたすらそう思い込まされていたのだ」(「語り部の五十年A」)。軍国主義と天皇崇拝の「餌食にされ」ているとも気づかずに。
「渡嘉敷島の惨劇は、米軍も知っていた。『おきなわせんアメリカ軍戦時記録』(上原正稔訳編)には、ニューヨーク・タイムズの記事を引用したつぎのような報告が記載されている。
<ようやく朝方になって、小川に近い狭い谷間に入った。すると、『オーマイゴッド』、何ということだろう。そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子どもたちの泣き声だけであった。
木の根元には、首を絞められて死んでいる一家族が毛布に包まれて転がっていた。小さな少年が後頭部をV字型にざっくり割られたまま歩いていた。まったく狂気の沙汰だ。
何とも哀れだったのは、自分の子どもたちを殺し、自らは生き残った父母らである。彼らは後悔の念から泣き崩れた。自分の娘を殺した老人は、よその娘が生き残り、手厚い保護を受けている姿を目にし、咽(むせ)び泣いた>」(「語り部の五十年B」)
きっと、女はことごとくアメリカ兵に強姦されると吹き込まれていたのだろう。それは強制連行した女性を慰安婦にする前に味見だと称して強姦したり、敵国の非戦闘員女性を戦利品だとばかりに強姦した天皇の兵士たちの自らの性衝動を反映させた妄想が吹き込ませたデマに過ぎなかった。
「比で敗走中の旧日本軍」は、日本人の子どもを自ら手に掛けている。「日本人の子ども21人殺害 米側資料」として、次のように記事にしている。「【マニラ発13日=共同】第二次大戦末期の一九四五年にフィリピン中部セブ島で、旧日本軍部隊が敗走中、同行していた日本の民間人の子ども少なくとも二十一人を足手まといになるとして虐殺したことが十三日までに明らかになった。フィリピン国立公文書館に保管されていた太平洋米軍司令部戦争犯罪局による終戦直後の調査記録による。
記録によると、虐殺を行ったのは南方軍直属の野戦貨物廠(しょう)の部隊。虐殺は四月十五日ごろにセブ市に近い町ティエンサンと五月二十六日ごろその北方の山間部で二度にわたって行われた。
一回目は十歳以下の子ども十一人が対象となり、兵士が野営地近くの洞穴に子供だけを集め、毒物を混ぜたミルクを飲ませて殺し、遺体を付近に埋めた。二回目は対象年齢を十三歳以下に引揚げ、さらに十人以上を毒物と銃剣によって殺した。部隊指揮官らは『子どもたちが泣き声を挙げたりすると、敵に所在地を知られる』 などと毒殺理由について供述している。
・・・・・・長女ら子供三人を殺された福岡県出身の手島初子さん(当時三五)は米軍の調べに対し『子供を殺せとの命令に、とっさに子供を隠そうとしたが、間に合わなかった』などと証言。他の母親たちも『(指揮官を)殺して欲しい』などの思いを伝えている」(93/8/14「朝日」)
殺された子どもたちの魂は今どこをさまよっているのだろうか。日本が起こした戦争を侵略戦争ではないと否定する者たちは、戦死者を侵略戦争に加担したのではなく、平和の礎≠フための尊い犠牲となったのだと美化するが、天皇の軍隊による自国民虐殺も平和の礎≠フための尊い犠牲≠目的としたものだったと言うのだろうか。だとしたら、彼らは虐殺したのではなく、子どもたちに歴史的な尊い*割を与えたことになる。当然、靖国神社に英霊として祀られているのだろうか。
沖縄「渡嘉敷島」の軍命令による集団自決も、「フィリピン中部セブ島」でのこの虐殺も、戦争中の大日本帝国軍隊の玉砕≠ェ主体的・自覚的意志的に行われたものではなく、タダの勢いで行われたことを証明している。それが意味する真正な形で行われたなら、民間人共々玉砕の道を選んだだろうからである。
国民の生命・財産を守る組織であるはずなのに、自分たちが助かるために、自国の子供まで殺す、自己利益・自己優先の精神性(不寛容のシステム)に支配された兵士たちの天皇の兵隊≠ニは、何を意味するのだろうか。
そういった人間たちが戦後日本の上層部を占めたのである。自己への視線のみで、他者への視線を喪失した精神性は、日本民族優越意識、単一民族意識、さらに人種差別にも反映して核を成しているものである。いわば、その精神性は戦争中のものだけではなく、戦後も継続している精神性なのである。政治家・官僚の国民の税金をムダ遣いしたり、誤魔化したりする行為も、国民の財産の侵害に当たる自己利益・自己優先に相当するのだから、同じ精神性からなのは言うまでもない。
かくかような自己利益・自己優先(「はきちがえた個性の尊重・はきちがえた自由」)の横行・蔓延は、非自由・不平等の不寛容のシステムが社会的に支配的な規範となっていることの証明でもある。自己利益・自己優先の力学は、他者排除・他者抹殺の力学と表裏一体を成していることは言うまでもない。
不寛容のシステムと創造力(想像力)
日本の社会自体が不寛容のシステムを社会構造としているのである。当然下位社会に位置する学校社会においても同じ構造の影響下にある。その具体的な現われが生存機会の不平等である。教育荒廃の諸事象のすべてが、ここから発していると言っても過言ではない。勉強の成績かスポーツの成績か、その二つの限られた生存機会しか与えられていない非自由・不平等が、そのような生存機会に参入できない生徒をして、戸惑いや怒り・無力感・挫折を見舞わせているのである。人種や国籍、あるいは学歴や地位で人間を差別・蔑視する社会の生存機会の不平等を受けた学校社会の生存機会の不平等なのである。社会の不寛容のシステムをそのまま受継いだ、学校社会の不寛容のシステムなのである。両者は密接な相互関連にある。
人間の生存に制限を加える――自由・平等に対するこれほどの抑圧はないだろう。いや、不寛容システム社会に自由・平等は最初から存在しない。「はきちがえ」たくても、存在しないのだから、「はきちがえ」ようがないのである。逆に限られた生存機会・限られた可能性に縛られ、汲々するか、そこから落ちこぼれるか弾き出されるかして、社会的価値観から外れた不本意な状態を強いられるか、二つのうちどちらかなのである。
その典型的な一例を挙げてみよう。「20世紀最後に見れば かつての予想は 教育×泊りで『正月特訓』」(00/12/31「朝日」朝刊)と、「予想」がハズレた状態にある教育状況を報告している。「一九三○年の小説『百年後の日本』は、二十一世紀の教育について、無理やりに嫌がる薬を飲ませるような教育強制所ではなく、少年の楽園としての小学校を思い描いた・・・・。
しかし、受験生には年末も世紀末もない。
東京・池袋のホテルで三十日から始まった泊まり込みの『正月特訓』には、私立中学校受験を目指す約十人の小学生がいた。主催者は、『「小さいころからいい学校へ」という人は増えています』と話す。
塾関係者によると、首都圏の私立中学校受験者数は昨年、少子化にもかかわらず微増。学級崩壊やいじめなどで公立のイメージが落ちていることや、『ゆとりの教育』を目指した二○○二年度からの新学習要領で内容が三割も削減され、学力低下が懸念されることなどが背景にあるという。
一方、大学・短大の受験人口は、八十九万人まで減少。面接のみの入試をする学校も出るなど大学は入りやすくなった。・・・・・」
「内容が三割も削減され」たとしても、その分を補うことで他に差をつけ、自己を優位に立たせるために、「泊まり込みの『正月特訓』に」励む。記事の写真の一枚には額に「絶対合格」の文字を染め抜いた幅広のハチマキと胸に「入学試験絶対合格」の文字入りのタスキを斜めに掛けた子どもたちの姿が写し出されている。これは単に学力(テストの成績)の優劣をつくり出そうとしているのではない。それを武器に、存在自体の優劣・格差を決定的ならしめようとしているのである。
人間存在が暗記学力によって決定づけられる――これほどの生存機会の自由・平等の排除・抹殺、あるいは限定化は、学校社会のみならず、社会そのものが不寛容のシステムで成り立っていることの決定的な有力証拠ともなるものである。そしてそのような不寛容のシステムが一部の学力適者を除いて、その他大勢の不適者の生存機会を無視し、学校社会の片隅にか、外に追いやっている。
またこの記事は「一九三○年」(昭和5年)当時と変らない教育の姿が現在の日本にあるということを示しているが、そのことは戦後の自由・平等を謳った民主主義が単なる形式でしかなく、民主主義とは反対の極にある不寛容のシステムが戦前・戦後を通じてのものであることを証明している。そしてこのことと、「学校で読む ◎古代から現代 上 大学寮試験ずくめの官僚養成期間 設立時から門閥主義の矛盾」(98/10/6「朝日」夕刊)の中に紹介されている「蔭位の制」を併せ考えると、不寛容のシステムが日本社会の暗流として歴史的に伝統化したものだと言うことが理解できる。記事の一部を引用する。
「大学寮の選抜システム」を紹介したあと、「試験制度という点では、当初からいくつかの矛盾を抱えていた。その最大のものが『蔭位(おんい)の制』だ。この制度によると、五位以上の貴族の子弟は、二十一歳になると、父祖や祖父の官位によって自動的に八位以上の官位に就くことができた。
『このため「大学寮を出たために出世が遅くなる」という現象が起き、位の高い貴族の子弟ほど、大学寮を敬遠する傾向が強くなった』と、成蹊大学教授の柳井滋さん(平安文学)は語る。十一世紀の『源氏物語』にも、源氏の息子の夕霧が、大学寮に進んだ結果、蔭位の恩恵を受けた友人よりも官位の昇進が遅れ、それを嘆いているというくだりが出てくる。
同時に学閥の系譜でも世襲の色彩が強まり、菅原家、大江家といった一定の『家学』を擁した氏族が、博士など、大学寮の教官職を独占するようになる。それは藤原氏中心の門閥政治が朝廷を席捲するのとほぼ時期を一つにしている。
学歴と門閥主義、そのせめぎあいと癒着は、私たちの考える以上に古い」
当時学問は貴族が専有していた。それが時代が下るにつれて武士のものともなり、町人のものともなり、教育の機会が社会全体へと広がっていく過程で、当時からあった教育上の不寛容のシステムも、構成員全体のものとなっていったということなのだろう。そのようなプロセスを可能としたものは、地位や学歴、職業・財産を権威とし、それぞれの権威で人間を上下・優劣に価値づける権威主義を日本人全体のものとしていた民族性が、不寛容のシステムを受入れる素地として働いたからだろう。いわば、集団主義・権威主義自体が不寛容のシステムで形づくられているのであり、日本人の意識自体がつくり出した、現在もある不寛容のシステムなのである。
テストの成績(暗記学力)が社会的な適者生存の条件となっている。成績(暗記学力)を人間的優劣のモノサシとしているのである。そのようにも生存機会・可能性を限定すること自体が不寛容のシステムを社会原理としていることなのだが、そのような社会から、創造力ある独創的な人間が生まれるはずはない。暗記を目的とした知識伝達は余分な言葉を可能な限り削ぎ、最小限の言葉を自分の頭に機械的に叩き込む機械的な反復訓練を通して、その成果はかかっているからであり、それを条件とした思考構造の人間が適者として社会全体に占めるからである。
言い換えるなら、暗記教育が直接の原因ではあっても、そのような暗記学力を適者生存の条件とする教育構造を生み出している社会の不寛容のシステムが日本人から創造力(想像力)を奪う無視できない手助けとなっているとも言える。そして暗記教育の構造は、集団主義・権威主義の人間関係構造――上位権威者から下位権威者への一方通行の意思伝達と下位権威者の言いなりの受容――をそのまま反映させた、教師から生徒への一方通行の意思伝達と生徒の側の言いなりの受容をメカニズムとしているものである。いわば両者は親子の関係にある。集団主義・権威主義の人間関係構造を別の言葉で譬えるとしたら、暗記が上から下へ与えるものであるゆえに、暗記形式の意思伝達とその受容とも形容できる。
余分な言葉を削いだ思考形式・生存形式はスポーツを生存機会とする人間にも当然影響する。そのことはサッカー日本代表監督のトルシエに質問した「技術より人間性」の記事が証明している。「――何を重視するのか?」の問いに、「今のJリーグには技術だけなら代表クラスが大勢いる。技術が選考のカギではない。私が選ぶ代表候補は人間性で選ばれた者たちだ。・・・男は考える脳とガッツなんだ。それがサッカー選手に欠かせないものだ。それを持つ人間を組み合わせてベストチームとなる。男のチームだ」(01/3/9「朝日」朝刊)と答えている。逆説すれば、「技術だけなら代表クラスが大勢いる」中で、「考える脳とガッツ」を持った人間は「大勢い」ない、それが問題だということなのだろう。
以上のことは、「『考える』僕の武器」という「サッカー日本代表中田英寿」(01/1/3「朝日」朝刊)の記事が補強証拠となるだろう。レギュラー獲得について次のように話している。「何よりも負けずぎらいだったことですね。後は自分の考えをしっかり持つことが重要でした。どんな仕事でも、考えなければ発展しないしうまくならない。人よりどこか秀でて勝負に勝つには、考えないといけない。考えられる人間が何をしても成功していると思います。僕は特別うまくないし、足も速くない。考えることが一番大事です」
日本のサッカー選手が「考える」試合運びを自分のものとしていたなら、何も中田英寿は「考えることが一番大事です」などと言う必要はないだろう。日本のプロ野球の選手が常に「考える」プレーを体現していたなら、シーズン当初のチーム目標に「『考える』野球」を掲げる必要はないだろう。裏を返せば、「考える」プレーができない選手ばかりだからである。そこから浮かび上がってくるのは、教えられたことはソツなくこなすが、とっさに判断しなければならないプレー(いわば教えられた知識にプラスアルファーの考えを付け足す想像力の発揮)は不得手だという構図である。
これは与えられたものを与えられたなりに受止め、与えられたとおりに自分の表現とする暗記のプロセスそのものの再現でしかない。例えば、シドニーオリンピックではいくつかの女子競技が活躍した。その強さの秘訣はハードトレーニングにあったと、「私の見方 女子スポーツ『光』と『影』 西山良太郎運動部」(00/12/10「朝日」朝刊)の記事が紹介している。その殆どを引用してみる。「日本オリンピック委員会は十一月下旬、夏季五輪協議を対象にコーチ会議を開いた。シドニーの反省と総括、情報交換が目的だ。その目玉が『女子スポーツ活躍の背景』と題したパネルディスカッションだった。
パネリストはソフトボール銀メダルの宇津木妙子監督(四七)、シンクロナイズドスイミング・デュエット、団体銀メダルの井村雅代コーチ(五○)、新体操・団体で五位に食い込んだ五明ミサ子コーチ(五一)の三人。指導者が今でも男性上位が続く日本で、三人の存在そのものが『女性の時代』を象徴する。
三人はよく似ている。例えば、そろってハードトレーニングの信奉者だ。
『合宿は午前中に三千本ノックを浴びせ、午後の打撃練習では千本振らせる。練習は裏切らない』(宇津木)、『練習は一日八時間。時には食事の時間を削ってでも、やってもらう』(五明)、『朝八時から夜九時までプールに入る。体力と集中力が限界を超える夜八時半に、どんな演技ができるか、それが勝負になるから』(井村)
合宿にはトレーナーや医師を常駐させる。非科学的ではないが、そこまで過酷な練習を強いることができる自信は何か。
『女は手を抜く。どんなに厳しいメニューでも、常に余力を残す』(宇津木) 、『二十年来コーチしているけど、倒れるのを見たことがない』(五明)、『男は失敗や敗戦を引きずる。その点女はしたたかで、割り切りがいい。不細工、下手くそといっても傷つかない』(井村)
独特の心理と生理機能への理解は、同性ゆえの強みだろう。
『自分に妥協しない』(宇津木)、『練習と選手に妥協しない』(五明)、『目標をクリアにし、一度設定したらできるまで練習させる』(井村)
知識と経験に加え、三人は確固たる信念を併せ持つ。はっとしたのは、カリスマ的魅力を漂わせた三人が口をそろえた次の言葉だ。
『コミュニケーションは監督と選手だけ。男子のコーチには遠慮してもらった』『女性は1人の指導者を慕う傾向がある。船頭は一人でいい』
三人がいなければ、選手はハードトレーニングをこなすことができたろうか。極東の島国に育つ女性アスリートは『信頼』の陰の下、自主性や自立のにおいがまだまだ薄い。カリスマ指導者も、いつかは舞台を去る。練習を克服する最大の動機付けが、指導者への信頼とすれば将来は不安だ。
そもそも、日本の女性スポーツがどこまで選手の自立や個性を意識してきたか。指導者に女性が少ないのも、それが原因の一つだ。三人が言う『練習で余力を残す』『コーチに甘える』といった特徴は、日本が発展途上であることを示す。シドニー五輪の成功は同時に、一貫指導やコーチ養成のシステムづくりへ踏み出す必要性も浮かび上がらせたといえる。西暦二○○○年が女性スポーツの記念碑に刻まれるかどうかは、これからにかかっている」
「選手の自立や個性を意識してきたか」疑問符をつけなければならないのは、何も「日本の女性スポーツ」に限ったことではない。三人が目指しているハードトレーニングは「考える」プロセスを無視した、あるいは「考える」プロセスを必要としない、それぞれの競技に限定した選手のサイボーグ化に過ぎない。あるいは三人はハードトレーニングを媒介として選手を支配し、選手は支配されているに過ぎない。さらに言えば、選手が指導者のそのような支配を許しているのは、選手自身が「考える」力を持たない、単細胞な言いなり人間ばかりだからだろう。両者をつなげているものはまさに暗記形式の意思伝達とその受容のメカニズムである。
過剰なまでのハードトレーニングであっても、初めからその才能を有していて、自ら望んだ進路で、特に自らは「考える」ことはしない、支配と強制と、それに対する同調・従属(暗記形式の意思伝達とその受容)に慣れている人間の場合は有効に機能もするが、訓練された範囲外の運動能力――肉体が覚えていない動きを自分から「考え」、発展・変化させる応用能力にはかえって阻害要素として機能する。逆説するなら、肉体が覚えていない動きを自分から「考え」、発展・変化させる応用能力に優れた人間なら、何もハードトレーニングを必要としないで、それ相応の力を発揮するということである。
特に「シンクロナイズドスイミング」と「新体操」は訓練の積み重ねによって獲得した運動を忠実に再現できさえすれば、それなりの記録を望めるから、ハードトレーニングは有効に働く。「ソフトボール」にしても、短期決戦であるなら、自らの考えに従って自らが動く自律的(自立的)・主体的運動とは無縁の監督の命令・指示に言いなりの同調・従属を構造とした体力勝負・忍耐勝負、あるいはバンザイ的玉砕といった猪突猛進勝負であっても、ハードトレーニングの有効性を保てる。但し、短期戦であっても、予定外の展開といった障害、あるいは突発的な歯車の狂いが生じた場合や、それらが引き起こされやすい長期戦では、思考のプロセスを省いたハードトレーニングにおける暗記形式の意思伝達とその受容(支配・強制と同調・従属)の回路からは、臨機応変の粘り強い想像的な対応は望めないだろう。
そのことは緒戦は勇猛果敢な強さを発揮したが、長期戦化すると、ガタガタと脆さをさらけ出し、撤退につぐ撤退を重ねて瓦解していった太平洋戦争における大日本帝国軍隊の足跡が証明している。あるいは東京オリンピックであれだけの強さを発揮し、金メダルに輝いた女子バレーボールが、その強さを伝統とすることができなかったのも、ハードトレーニングで獲ち取った短期決戦型の体力勝負・忍耐勝負の強さだったからだろう。
例え短期決戦であっても、一つの試合で頭脳プレーが随所に要求されるサッカーの試合では、ハードトレーニングのみではプラスアルファーの想像的なプレーは望めない。ハードトレーニングがそれを可能とするなら、日本チームはとっくに世界の頂点を極めていただろう。シドニーオリンピックの女子競技の三人の「ハードトレーニングの信奉者」が、競技の性格と試合形式にただ単に条件的に恵まれたに過ぎないにも関わらず、優秀な指導者として君臨する。これも不寛容のシステムに助けられてのことだろう。
日本人の人間関係様式となっている暗記形式の意思伝達とその受容を受けた「考える」ことをしない暗記教育がスポーツ選手ばかりか、社会全体における日本人の行動様式を規定している例を新聞記事からいくつか挙げてみる。スイスのダボス会議での森首相の演説内容を、「聞いたことの羅列」(00/2/2「朝日」朝刊)と酷評した記事がある。「日本商工会議所の稲葉興作会頭は一日の会見で、スイス・ダボス会議で自らが聞いた森喜朗首相の演説の印象について、『これまで日本で聞いたことの羅列で、どの程度パンチ力があったかは疑問』」
これは一国の総理大臣の「考える」力の欠如を宣言したのと同じ意味がある。支持母体の財界首脳にそのように批判されること自体が、首相失格宣言に当たるのだが、政治家や官僚における創造力(想像力)の欠如は何も森首相1人の問題ではないのは、日本人の危機管理能力が問題にされることが証明している。それは物事が順調に運んでいる間はいいが、突発事態や予想外の展開には有効に対処し得ない行動傾向、あるいは対処能力の欠如を言うはずである。そういった展開時にこそ、創造力(想像力)は問われる。そして普段から「考える」力を養い、「考える」訓練を重ねなければ、創造力(想像力)を自分のものとすることはできない。ハードトレーニングと同様、言われたことだけをしている行動様式からは、決して生まれるものではない。
「ものづくり新話 復活への課題 官民あげて半導体研究」(01/3/24「朝日」朝刊)の記事は、そのことを象徴的に証明している。「(一部省略)八六年頃、日本は世界の半導体市場のシェアで米国を逆転、一時は五○%を超えた。不良品の割合が多かった米国製半導体に対し、日本メーカーからは『米国から買うものはない』との声まで上がった。ところが九○年代に入って、世界の半導体地図はがらりと変った。米国が日本を際逆転。韓国や台湾も急伸し、今や日本のシェアは三○を割る。
米国勢の台頭
日本の主な『敗因』は、半導体を使う製品の主役が日本が得意とするアナログ家電製品からパソコンに移ったことだ。さらに日米再逆転の背景にあったのは米国が国家戦略として技術開発を進め」、「半導体の品質改善のため、優れた製造装置の開発に的を絞った。・・・・
その結果、装置メーカーで米国勢が台頭、九○年に世界で五○%を占めていた日本の製造装置のシェアは九九年に三○%に低下した。後発の韓国や台湾メーカーも米国製の製造装置を導入すれば、品質面で日本に匹敵する半導体を作れた」
しかしである。日本が米国製よりも優れた半導体製造装置を開発し、シェアを回復したとしても、「問題はそれで解決するわけではない」ことを同じ記事は、「独創性に弱さ」という小見出しで解説している。「日本のメーカーはDRAMなど規格品の生産には強かったが、高度の設計力が必要なインテルのCPU(中央演算処理装置)のような独創的な製品を生み出せていない。・・・・・LSIを電卓に使い半導体の応用分野を広げた佐々木正・元シャープ副社長は『独創的原理はしばしば欧米発で、明治以来の模倣ぐせが身についた日本の限界を感じる』と嘆く。その限界をどう超えるか、答は見えていない」と締めくくっている。
暗記形式の意思伝達とその受容となって表れている暗記型の知識伝達が、スポーツにおいても、日本人の創造力(想像力)を奪っている。だが、「模倣ぐせ」は「明治以来」のものではない。古墳時代から、あるいはそれ以前から、中国・韓国からの「模倣」によって国を成り立たせてきた。モノ作りにおける単品を成り立たせる技術は高いが、社会の場に人間の創造的な活動空間を生み出す有機的・機能的な技術は未熟なままである。例えば、橋をつくる技術、ビルを建てる技術は高いが、それらを組み合わせて、都市の形で創造的で快適な人間の活動空間を創るアイデアは貧困である。奈良・平安と碁盤の目模様の都市空間を中国から模倣しながら、長い年月を経てもなお、日本独自の都市工学へと発展させ得ず、主要道路以外は無計画状態の道路が支配的であることが、そのことを物語っている。また学校は立派な体育施設、立派な校舎、立派な図書館等を抱えながら、生徒にとって快適で創造的な生活空間・活動空間となり得ているだろうか。暗記形式の可能性のみを生存機会としている不寛容のシステムが、それらの実現を阻んでいるのである。
以上のことの補強証明となる興味深い記事を二つ紹介する。
一つは、「英国『満足の車』 豊田が上位3位」(01/4/13「朝日」朝刊)である。「英公共放送BBCのテレビ番組が実施した自動車の満足度調査で、上位3位をトヨタ車が独占した。英国内の自動車購入者約3万人を対象に、価格、品質、サービスなどの評価を調べたもので、182車種を比べた。・・・・・・上位20車種のうち、半分の10車種が日本勢で、トヨタは8車種を占める好成績だった」
だがである。「車免許取得へ直進中 筋ジス障害の男性『自分で自由に羽ばたける』」(001/4/13「朝日」夕刊)で、「筋肉が萎縮し動かなくなる進行性の難病筋ジストロフィーの男性が、自動車運転免許に挑戦している。6日には仮免許の試験に合格した」と紹介している。そしてそのような「挑戦」を可能にしているのは、「上位20車種のうち、半分の10車種が日本勢で、トヨタは8車種を占める好成績」の日本の車ではない。「免許への挑戦を考えたのは、93年に関西学院大学を卒業したあと単身で渡った米国で。棒やボタンの操作で運転できる『ジョイスティック車』が普及し、重度障害者が運転していた」
彼は「仮免許を取り、運転の訓練を受けた。カリフォルニア大バークリー校で修士号を取った後、00年4月から5月にかけて、介護人とジョイ車で米国を一周し、同年8月に帰国した」。そして、「3月」東京の自動車教習所に「ジョイ車を持ち込み、通い始め」る。問題は、「ジョイ車は日本では生産されておらず、輸入している1社を通して買うか、海外で買って持込む方法で手に入る。しかし、改造に1000万円前後かかることや知名度が低いためになかなか広まらない」「国内でジョイ車の免許を持っているのは」「4人で、そのうち2人は重度障害者」
ここから炙り出せる光景は、確かに日本は車をつくる技術は世界有数のものがある。だが、素晴らしい製品を生み出す方向にのみ視線が向き、技術をすべての人間を可能な限り人間たらしめるべく活用する思想・視線に関しては、欧米に遥かに劣ると言う構図である。
このような構図はモノ作りに関してのみのことではない。「文章打ち込めば 聴覚障害者らの電話をリレー 相手に声で届く 郵政省、利用料助成へ」(00/8「朝日」)の記事を有力証拠として提示できる。「(一部省略)(電話)リレーサービスは、聴覚障害者らが手持ちのパソコンや文字入力のできる携帯電話端末などで文章を打ち込むと、サービス会社の交換手が相手に電話をかけて口頭で取り次ぐシステム。相手の答もサービス会社が文字に置き換えてくれるため、電話をリレーセンターにつなげるだけで会話ができる」
ここまで読んだだけでは、日本の官庁にしては素晴らしいアイディアを思いついたものだと想うだろうが、「米国ではすでにリレーサービスは法律で義務化されて」いるのである。何のことはない、いつもどおりの後追い(モノマネ)なのである。後追いしないよりはマシであるが、情報公開やカルテ開示に見られるように、あるいは盲導犬や介助犬制度に象徴的に表れている障害者の社会参加の後進性に見られるように、後追いするものの、欧米の内容・質に比較して、常に不備・不完全を宿命としているのは、暗記形式の意思伝達とその受容を原因とした、日本人性としてある創造力(想像力)の欠如によるものだろう。勿論、学歴や地位や身分でだけではなく、人種や国籍、あるいは身体性(障害があるかないか、あるいは人並みの容姿であるかどうか)で人間を差別・蔑視する社会の生存機会の不平等(不寛容のシステム)も深く関わっている創造力(想像力)の欠如なのは言うまでもない。
また「独創的原理」に弱く、「規格品」に「強」いのはスポーツにも言えることで、教えられたプレーを教えられた通りにプレーすることを「規格品」のプレーとすることができる。いわば、ハードトレーニングとは「規格品」の選手と「規格品」のプレーを創り出すことと言える。暗記教育にしても、「規格品」の知識を持った「規格品」の人間を創り出す作業と言える。「規格品」とは個性の反語でもある。欧米から個性がないと言われるのは、人間も行動も規格内にとどまっているからだろう。創造力(想像力)とは規格≠ゥら出ることを言う。
非常に象徴的な記事がある。「百年のこと ものの記憶 戦い・憩い奏でる真空管」(99/3/14「朝日」朝刊)である。「(一部引用)秋葉原にいまも真空管を扱う店がある。ラジオセンター一階の『アムトランス』には古今東西の製品約五百種類がそろう。
これが一番古い、とオーナーの草薙正朗さん(五四)が指さしたのは、球形の真空管だ。米国製で、十四万八千円の値札がついている。
『一九二○年代の製品です。まだ立派に動きますよ』
客は『欧州製の音は気品がある。米国のはおおらかでダイナミック』という。
日本製の真空管の場合、バラつきは少ないが、音に個性が乏しいという評がある」
同じ記事に「電気を増幅させる真空管がアメリカで発明されたのは、一九○六年(明治三十九年)だった」と出ているが、「音に個性が乏しい」ということは、そこに美的感性や美的創造力(想像力)を付加価値として与えることができず、なぞったなりの「規格品」しか組み立てることができなかったということだろう。
「開かれた知 米国の強み」(00/1/9「朝日」朝刊)と題した、米ジャーナリスト、ディビット・ハルバースタム氏への質問形式の記事がある。氏はそこで「米国の強み」の原因を、「『米国が移民に開かれていることが一役買っています。多民族ゆえの社会的緊張も増すが、多様性はエネルギーも生み出す。日本の大学では五十年前さながらに国内の学生同士で競争しているでしょうが、米国では世界じゅうの人たちと競い合う』」と語っている。石原都知事は在日外国人を「三国人」と形容して、一部の外国人の犯罪に、それをさも外国人全体の問題であるかのように過剰反応している。人間は犯罪を犯す生きものであるが、それは日本人であろうが外国人であろうが、すべての人間について言えることで、だからと言って、すべての人間が犯罪者に変身するわけではなく、それぞれに個別に把えるべきを、外国人に限って、すべてが犯罪予備軍だと見なすような、外国人と見たら犯罪者と思え式の誤った認識に立った反応でしかない。勿論そこに外国人に対する蔑視意識がなければ芽吹かない態度反応である。外国人犯罪を日本という国に「エネルギー」を「生み出す」代償としての「多様性」がもたらす「社会的緊張」と考えれば、犯罪を犯す人間と犯さない人間の冷静な区別が可能となるし、それぞれに対する対処方法も当然異なってくる。
米ジャーナリスト、ディビット・ハルバースタム氏は同じ記事の中で次のようにも語っている。「『日本の教育システムは次の時代に適応できていないという指摘もあった。知識を記憶することが中心で、大学を出ても考えることができない。知識はコンピューターであっという間に複製できる時代なのに、と。その指摘は正しかった』」と、「考える」力の欠如を「指摘」している。
「わたしたちの15年 教育のゆらぎ 個性育て 創業力開花」(00/3/12「朝日」朝刊)の記事は、「社会が変れば、求める人材も変る。その変化に大学は敏感に反応した。個性入試や実学教育で、これからの創造型社会を生き抜く人材を養成しましょう、と。しかし、一方で深刻な学生の学力低下をもたらした。教育の迷走は続く。編集委員・山田厚史」と冒頭に書いている。果たして「深刻な学生の学力低下をもたらした」のは「個性入試や実学教育」が原因なのだろうか。
記事の中でグレゴリー・クラーク多摩大学学長が解説をしている。「『日本の若者にチャレンジ精神が希薄になったのは、少子化が影響しているのではないか。小さいころから親の「かばい手」が先に出てしまって、危ないことをさせない。挑戦しようとする芽を摘んでいる。大学でも学生が、幼児っぽくなった。「母子カプセル」といわれる親子のあり方が覇気のない若者をつくっているように思う。
学生が勉強しないのは、勉強する動機付けがないからだ。日本の企業は、採用の時、大学の成績を見ない。学力をきちんと見ないのは世界でも異質だ。有名大学を出ればいいというのでは、十八歳の時の教科書の暗記能力によって一生の評価が決まってしまう』」
確かに「親子のあり方が覇気のない若者をつくっている」原因となっているかもしれないが、グレゴリー・クラーク氏には日本の学力が伝統的に暗記学力だという認識がないようである。幼稚園から小中高校と暗記教育を習性としてきたばかりではなく、家庭においても、親の、ああしなさい、こうしなさいといった命令・指示をなぞる暗記型の、与えたものを受止め、そこから出ない行動様式・思考様式(暗記形式の意思伝達とその受容)を習慣としてきているのである。大学に入って、暗記型人間からいきなり解放されて、創造型の人間に大変身を遂げることが可能だろうか。「LSIを電卓に使い半導体の応用分野を広げた佐々木正・元シャープ副社長は『独創的原理はしばしば欧米発で、明治以来の模倣ぐせが身についた日本の限界を感じる』」と言っているのである。「模倣」とは、あるものをあるなりになぞることを言い、暗記の形式を踏む。いわば、例え大学を出ても、暗記型で始まり、暗記型で終始しているのである。
学力が暗記学力なのだから、その低下は暗記の量が減ったということだろう。それをもたらしたのは、当然ゆとり教育≠ニいうことになる。もし日本の学力が「考える」ことによって学び、身につけた学力なら、ゆとり教育≠ヘ「考える」時間をなお一層提供することとなり、必然的に「考える」ことによって学び、身につける知識・学力の獲得には有利に働く計算となる。そのような計算からは学力低下などという答は導き出したくても導き出せないはずである。
米ジャーナリスト、ディビット・ハルバースタム氏が言っているように、「親子のあり方」だ、「少子化」だよりも、「知識を記憶する」だけの暗記を問題にすべきなのである。授業での暗記教育の廃止から始まって、ハードトレーニングや日の丸・君が代の強制をも含めた、ありとあらゆるすべての暗記形式≠フ存在様式(暗記形式の意思伝達とその受容)を廃止・抹殺すべきだろう。それが可能となったとき、「成果主義賃金 富士通見直し」(01/3/19「朝日」朝刊)といった事態を避けることが可能となるだろう。記事の内容は、「仕事の目標を決め、その達成度に応じて処遇と賃金を決める成果主義に基づく賃金・人事制度を先駆的に導入した富士通」が、「失敗を恐れるあまり長期間にわたる高い目標に挑戦しなくなったためにヒット賞品が生まれなくなった▽納入した商品のアフターケアなどの地味な通常業務がおろそかになり、トラブルが頻発して顧客に逃げられる▽自分の目標達成で手いっぱいになり、問題が起きても他人に押し付けようとする――」といった理由で「8年」目で見直すことになったというものである。
要するに「導入」された「成果主義賃金」をその形式なりになぞった無難な仕事でしのいだに過ぎなかったということなのだろう。裏返して言うなら、何が要求されているのか、何をなすべきか創造力(想像力)を働かすことなく、「成果主義」という与えられた課題を自分だけの問題として表面的に受止め、表面的に消化しただけということなのだろう。あるいは、「成果主義賃金」制度を「規格品」化してしまったとも言える。
数学者のピーター・フランクリン氏が「子供を語る 窮屈そうに見える日本」(00/9/28「朝日」夕刊)で「『想像力』の基礎体力を養おう」と主張している。「僕の母国ハンガリーは、ヨーロッパの小さな国です。日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国でした。教育も見直され、それまでの暗記中心から考えることを大切にする教育に変りました」
日本の教育は違うと言っているのである。「学校に言いたいこともあります。まず、放課後は子どもたちの自由な時間にして欲しい。子どもたちに『想像力』という基礎体力をつけてあげることを忘れないで、と言いたいです。読書や絵画や演劇や音楽、それにボランティアなどは、自分自身と向き合い、自分の周囲への想像力を養います。
想像力があれば、世界旅行に行かなくても、世界の誰とでも協調することができる、と僕は思ってるんです」
外国旅行にしても、その殆どが観光地巡りとグルメ料理、自分のための土産はブランドファッション、友人知人の土産はブランドの小物かその土地特産の小物といったお決まりのセットで「規格品」化させてしまい、そこから踏み出さないものとなっている。すべてが暗記教育に代表される暗記形式の意思伝達とその受容(支配・強制と同調・従属)をメカニズムとした存在様式が幅を利かせている画一性なのである。勿論、そういった存在様式においては、「考える」プロセスはかえって障害物として作用する。
創造力(想像力)の教育の必要性を自覚的に訴えているのは、何も外国人ばかりではない。「『待ったなし』の日本の科学」(01/1/5「朝日」夕刊)では、国際基督教大学教養学部理学科教授の風間晴子氏が、「科学教育 批判的思考力を育てよう」と訴えている。その一部を引用してみる。
「――二十一世紀における科学とのつきあい方は?
『自分のことは自分で判断しなければならないのが二十一世紀。そのためには判断の根拠となる知識が不可欠です。例えば、三種混合ワクチンを子供に受けさせるか、遺伝子診断を受けるかどうか、科学的な素養がますます重要になりますね』
『批判的思考力を育てるには、科学が一番適している。断定の「である」と、推定の「らしい」を見極めていく。突っ走るのではなく、踏みとどまって考えるのが科学です』」
「自分のことは自分で判断しなければならない」のは何も「二十一世紀」に限ったことではない。また、「批判的思考力を育てるには、科学が一番適している」とも限らない。要は知識の伝達方式が暗記形式の意思伝達とその受容(支配・強制と同調・従属)を構造としているなら、そこからは「批判的思考力」も創造力(想像力)も生まれはしないと断言できる。例えば、人間はなぜ人を殺してはならないのかを問い、それをテーマに教師を交えて生徒同士が時間を掛けて自由、かつ徹底的に議論しあったなら、当然、それはおかしいではないか、こういうことではないかという対立意見が生じるはずで、それ自体が「批判的思考力」の派生物としてあるものだろう。また、あれ、おかしいぞ、彼(彼女)の言っていることはどこか変だぞ、なぜ変なのだろうと、その正体を見極めようと考えを巡らすことがあったなら、それは想像力を駆使することを意味する。
暗記形式の意思伝達とその受容(支配・強制と同調・従属)から抜け出すことが緊急を要することで、そこから抜け出せないものであったなら、どのような「科学」教育も「批判的思考力」を育てるに役立たないだろう。そのことは「音に個性が乏しい」と批判を受けていたであろうに、その「批判」を覆すことができないままにつくり続けた「真空管」が既に証明していることである。
暗記形式の意思伝達とその受容(支配・強制と同調・従属)は教師対生徒の人間関係を規制しているだけではなく、生徒対生徒の人間関係にも影響を与えて、同じ規制のアミを掛けている。
「緊急報告 十七歳の落差」(00/5/9「朝日」朝刊)という記事がある。主見出しは「人間関係つくれず、妄想から犯罪へ」――第2、第3見出しに、「優等生の仮面『いや』」、「医師『空想に勝る価値観、大人示せず』」とある。記事を一部省略して紹介してみる。「愛知県豊川市の主婦刺殺、西日本鉄道の高速バス乗っ取りと、連続して起きた十七歳の少年事件は、もともと『優等生』だった思春期の少年が突然、冷酷な犯行に及んでいる。
動機は不明か単純、手口は冷酷で、常識では理解しにくい。
精神科の医師や専門化の多くは、対人関係の発達障害の原因の一つとみられる少年事件が水面下で増えていると考えている。
最近の主な事件では、神戸市の連続児童殺傷事件(一九九七年)▽東京の中学生が『短銃が欲しかった』と警察官を襲う(九八年)▽大阪の中学生が『ゲームの金が欲しい』と八十歳の女性を殺す(同)などが起きた。
今年三月まで長野県立こども病院に勤務した臨床心理士の降旗志郎氏は、対人関係の発達障害の出現率は一%とかなり高く、この三十年間で五十倍に急増しているという。『対人関係の発達障害があると、幼い頃から空想癖が強い。最初は童話的でも、思春期にいじめなどに遭って劣等感が深まると、空想が殺人など残虐性を帯び、計画性も高くなる』
二百数十人の少年を診療した福島県立医大の星野仁彦講師によると、こうした少年の特徴について、周囲の人から孤立する▽パソコンなど特定の遊びや勉強に異常にこだわる▽著しいパニックや興奮状態になりやすい▽単調で抑揚が乏しい話し方をする――などを挙げている。
・・・・・・・・・・・・
医師は、『友人からの疎外感をきっかけに、空想の中で「人間や社会なんてこの程度」と決めつけ、独自の価値観を形成している』とみる。
この医師は一連の事件についてこんな見方をした。
『妄想に近い空想によって行動が影響されるような病質的な中高生が増えている。この空想に勝てる価値観を、大人が示せないのが問題だ』」
テストの成績獲得を絶対的価値観、絶対的生存機会として、「優等生」という成果を獲ち取っていたとしても、それが親・教師の支配・強制と、それに対する生徒の言いなりの同調・従属からのものであった場合、いわば生徒自らの主体的選択からのものではなかった場合、そのような単に従っているという表面的な関係性からの成果は、もともと壊れやすさを属性としていて、そのこと自体が災いして、ちょっとした狂いや妨害が生じたりしただけで、ダメージを受けてしまう。狂いや妨害といった障害を乗り越えるだけの動機づけを最初から持っていないからでもある。
テストの成績が創造的な知識獲得の成果としてあるような、主体的に関わっていった生存機会であるなら、そのこと自体が障害を乗り越える動機づけとなるだろう。
言い換えるなら、テストの成績がおおむね暗記教育の成果でしかなく、それが教師対生徒の暗記形式の意思伝達とその受容を土台とした人間関係からのものである以上、両者の信頼関係は暗記学力の伝達と受容の成否を内容としたものとなる。いわば人格的な信頼性は捨象しても成り立つ教師対生徒の信頼関係だということである。テストの成績で人間価値が決定づけられる磁場で、人格的な信頼性の入る余地はないだろう。
このような関係は生徒対生徒の関係についても言える。テストの成績(暗記学力の成果)を主体的価値と見なしている社会では当然、人間関係も存在様式も(「彼、あるいは彼女を見習いなさい」とか、「この成績では志望校は無理だな」等々)テストの成績を基準として規制を受ける。
いわば暗記形式の意思伝達とその受容を構造とした人間関係が、様々な人間と会話や議論を通して様々に言葉を紡ぎ出す過程で自己を主張し、他者の主張を受止める人間関係を必要としないでいるのである。自己を主張し、他者の主張を受止める訓練も受けず、それを習慣としていない人間が自己主張の意志・衝動に駆られたとしても、それを内側に抱え、抑圧感情とするしかないだろう。内側に抱えたものが他人に対する批判や抗議、あるいは拒否の意思表示であったなら、それが正当なものであろうとなかろうと、抑圧感情は抑圧の時間の増大と共に憎悪感情へと昇華し、いつかは爆発の臨界点を抱えることになる。
他人に対する批判や抗議・拒否が正当なものであるかどうかは、いわば自己主張が正当なものであるかどうかは、複数の他者との会話や議論を通して唯一知ることが可能であって、そのような会話や議論を必要としない、暗記学力の成果であるテストの成績を学校社会の主体的価値としていることも含めて、暗記形式の意思伝達とその受容を人間関係のパターンとしている非自由・不平等が、「人間関係つくれず、妄想から犯罪」の「17歳の落差」をつくり出す不寛容のシステムをもたらしているのである。
また、「人間関係つくれず」ということが分かっているなら、学校が「つくれ」る環境・方法を用意すべきだろう。まず第一に、テストの成績・スポーツの記録以外の価値・以外の生存機会を学校社会が用意して、すべての生徒に活躍の機会を与えなければならない。だが、それだけでは、生徒にある「疎外」要素を完璧には取り除くことはできない。不寛容のシステムを形作っている、暗記形式の意思伝達とその受容(一方的な支配・強制と言いなりの同調・従属)の人間関係を学校社会から払拭しなければならない。それを可能とするのは、既に述べたように、教師を交えて生徒同士が会話や議論を通して自己を主張し、他者の主張を受止める人間関係を、ありとあらゆる場面で当り前のものとすることである。そのことは自己認識能力・他者認識能力の獲得だけではなく、生徒それぞれに言葉の獲得を促す。言葉の獲得は「考える」プロセス(思考プロセス)を併行させ、それを誘因として成り立つものだから、当然、創造力(想像力)の獲得・人間形成につながっていく。
暗記形式の意思伝達とその受容(一方的な支配・強制と言いなりの同調・従属)の人間関係を払拭できたとき、それは同時に不寛容のシステムの解消に向けた道のりともなり得るはずである。教師対生徒、生徒対生徒が相互対等に自己主張し合う関係(言葉を闘わす関係)が、それぞれの感情・利害に折り合いをつける道筋を促してくれるだろうからである。
町村信孝文部科学相は、「強制しない教育はない」(00/12/8「朝日」朝刊)と言っている。一部引用してみる。「――奉仕活動の義務づけには批判もあります。
『奉仕であれ何であれ、強制しない教育なんてあるだろうか。教育の一環として奉仕活動を取上げる場合に、何らかの強制力が働くのは当り前だ。学校現場できちんとカリキュラムの中に位置づけて、全員にやってもらうことに何らためらうことはない』」
暗記形式の意思伝達とその受容(一方的な支配・強制と言いなりの同調・従属)の人間関係の払拭に、町村氏の言う「強制」は否定要因となるものである。彼は、「強制しない教育はない」のではなく、日本の教育が「強制」を基本力学としているものとなっていることから、それを表面的に把えて、「強制しない教育はない」と言っているに過ぎない。逆説するなら、教育が「強制」するものとなったなら、それは教育ではなくなると言うことである。
では、どのようなものを教育と言うのか。契約を基準とした教育を言う。「ここを読みなさい」・「答えなさい」・「これこれを宿題にします」は、果たして強制≠セろうか。教育における暗黙の慣習的な契約事項の履行――一方の契約当事者の権利の遂行と他方の契約当事者の義務の遂行と把えるべきである。
親が子どもに、「ご飯だから、食卓につきなさい」は、これも強制≠ノ入るのだろうか。親の子どもに対するしつけの暗黙の契約事項の履行――しつけに与えられた親の権利の遂行であり、それに対するしつけにおける子どもの義務の遂行に過ぎないはずである。子どもが、「そんなまずいものは食いたくない。食卓につくのは厭だ」と言って自分の部屋に閉じこもってしまったのに対して、親が殴るか強引に引っ張ってきて食卓につかせたなら、それは強制≠ニなる。そのようなしつけ(家庭教育)は既に教育としての意味を失っている。
日本の教育が強制=i暗記形式の意思伝達とその受容――一方的な支配・強制と言いなりの同調・従属――を構造とした人間関係が土台の非自由・不平等なもの)となっているから、言葉の交換も闘わせもない暗記教育が成り立っているのであり、その成果として、外国からも指摘されている考える力(=想像力)が未発達状態を誘発しているのである。いわば日本の教育から一切の強制≠排除しないことには、教育荒廃の諸現象を解決できないばかりか、肝心の創造力(想像力)の育成は絶望に近いものとなるだろう。
結論を言おう。 町村信孝文部科学大臣が言うように、「はきちがえた個性の尊重・はきちがえた自由が不登校を生んでいる」のではなく、社会の上層部の大人たちがそれぞれに自分のものとしている「はきちがえた個性の尊重・はきちがえた自由」に傷つけられた姿としてある不登校であり、いじめであり、少年犯罪なのである。「はきちがえた個性の尊重・はきちがえた自由」を生み出している、一方的な支配・強制と言いなりの同調・従属のメカニズムを取った権威主義的人間関係(暗記形式の意思伝達とその受容の人間関係)の社会構造化した不寛容のシステムが問題行動とされている児童・生徒の姿をつくり出しているのである。そして、権威主義的人間関係(暗記形式の意思伝達とその受容の人間関係)に深く関わって、日本人の創造力(想像力)の欠如がある。もし子どもがダメになっていると言うなら、それは大人の加害がもたらした姿としてあるダメなのである。