教育を語る・政治を・社会を語る《市民ひとりひとり》


第8弾! 何のための教師歴33年なのか!! 2000.1/23
    

   相変わらずのプロ教師のクソ味噌もない子ども・生徒批判が続く。そのクソ味噌
   もない批判をプロ教師にそっくりとお返しする。子ども・生徒に代ってのリベン

   ジである。

偉大なるプロ教師は、「勉強に目的が見出せなくなった」と題しているが、戦後の日本の学校教育は「成績」と「学歴」を主「目的」として子ども・生徒の尻を叩いてきたのであり、それを戦後教育の伝統としたのである。その延長に、「何かを学びたい」からではなく、また「何かを学ぶため」でもなく、自分の成績に見合った大学選択という、いわば明確な目的を持たない、あるいは明確な目的を見い出せない進学現象が社会に蔓延した。それを支える装置として学校側が用意し、フルに活用したのが偏差値選別方式であった。そして大学入学という中途目標を果たした後の、就職試験までのモラトリアム(猶予期間)現象――勉強はせず、コンパや恋愛やレジャーに明け暮れる弛緩した大学生活――はその結果物なのである。

「朝日」の朝刊(2000.1.9)でディビッド・ハルバースタムという米ジャーナリストが、「日本の教育システムは・・・・・知識を記憶することが中心で、大学を卒業しても考えることができない」と(多分複数の人間の)指摘として述べている。それは何度でも言うように「言葉の闘わせ」不在教育の見事な成果であり、そのような教育に常日頃からプロ教師も加担しているのである。33年間も教師しているのである、生徒を批判・非難する前に、自分たちのやっていることを省みる必要があるだろう。

「"他人のため"という考えがなくなった」(p31〜)

「他人のため」にテストでいい点を取るわけではない。「他人のため」に塾に通うわけではない。そのような狭い世界に閉じ込めておいて、あるいはそのような狭くてこすからい価値観をすべてとさせておいて、そのことに関してはすべての教師がA級戦犯であるはずなのに、「他人のため」という価値観を求める言行不一致は薄汚い矛盾でしかない。

「家で自分の好きなようにしているだけでは、大人になるための力がつかない。君たちは未熟だから、我慢して一人前になるための力をつける努力をしなければならない。それが学校なのだ――というサインが出なくなると、学校というところは好きにできるような場ではないから、いやになってしまうのもいたしかたないことq@

「大人になるための力」とは当然、「学力だけで人間を評価する」(p17)学校価値観の反映を受けたものとなる。それ以外の価値観を反映させていない画一的な能力は社会的同調には役立っても、米ジャーナリストの発言に逆らう、「大学を卒業し」なくても「考えることができ」「力」=主体的創造性や自律的創造性への発展は望みにくい。いわばプロ教師の言う「大人になる」とか、「一人前になる」とかf
「知識」「記憶」によって成り立たせている学歴を基準とした人間評価の範囲を出ていないものなのである。

人間はまず自己を成り立たせなければならない。自己を成り立たせるとは自己確立を言うのは説明するまでもない。勿論、テストの成績といった狭い価値観によってではない。多種多様な価値観の中から自己の可能性に見合う生き方の基準を自らの判断と責任において取捨選択しなければならない。自己確立があくまでも最優先事項ではあるが、取捨選択の過程で常に何らかの他者が関わってくる。それは人間が社会の生きものであることの宿命としてあるものである。そのような関連においてのみ、社会的な折り合いを必要とする他者関係が介在してくる。人間は単純に「他人のため」といったサインは発動しない。それが人間にとっての本質である。

ところが学校・教師は「学力だけで人間を評価する」価値観しか用意していない。そのような限られた価値観に選択の余地もなく一人一人を合わせようとする強制・支配は生徒に対する一種の拷問を行っているに等しい。そういった認識もなく(単細胞にできているからだろう)、「学校というところは好きにできるような場ではないから」といった一方的な「我慢」によって限られた価値観をまとわせる、教師
・生徒の双方にとっての一律性・同調性(
「言葉の闘わせ」不在の一律性・同調性
)からは、満足な他者認識も他者関係も期待できない。プロ教師の認識すべてが出発点からピントはずれだと言わざるを得ない。

「家で自分の好きなように」する惰性も、限られた価値観に選択の余地もなく自己を合わせさせられる強制的な精神的拷問に対する反動としての弛緩状況だとは考えられないだろうか。学校での勉強が「我慢」ではなく、知への積極性を引き出してくれる刺激的なものなら、いわば「知識を記憶する」といった機械的なものとは正反対のものであったなら、「家」においてもその余韻を引きずっておのずと似通った範囲の刺激を欲求するはずである。

プロ教師は、「自分のために生きるというだけでは元気に生きるのは難し」く、
他人のために生きる意味を教える必要があるのだが、いまは大人の側から出されているサインというのは、きみの人生なんだ――自分のため、自分を伸ばすため、個性を伸ばすために学校へいくんだ――というだけなのである」(p32)ともっともらしく歎いている。

何度でも言う。人間は自分のために生きる生きものである。生きる上で、他人を必要としたり、他人を排除する場面が出てくる。「他人のため」とか、社会に貢献するとかは結果である。自分が社会の生きものとしての条件を満たす生き方を示すことができたとき、「他人のため」につながっていくのである。そのような生き方を示すことができなければ、似た者同士が必要の対象にすることはあっても、大方は排除の対象となるのみである。

プロ教師は、「他人のために生きる」例として自分が顧問をしている「女子テニス部」の対外試合での「実力以上の力」を発揮し、善戦した「六人の生徒」のチームワークを挙げ、「自分のことだけを考えていたなら、こんな感激に出会うことなどできはしない。挑戦するとか、難しいことを我慢してやるといったことが出てこないと、どうでもいいやという感じになってしまうだろう」と言っている。

これは人間を知らない人間の観察でしかない。「六人の生徒」とも、それぞれが自分が基本なのである。決してチームメートの「ために」試合に臨んでいるのではない。一人一人が自分の持っている力を出し切ることを目標に試合に臨み、目標どおりに出すことができたときに生じる躍動が相互に共鳴しあって、チーム全体が「実力以上の力」を発揮できたのである。口では、「みんなのために、チームのために自分の持っている力を出し切りたい」とは言うだろうが、そのことが自己の価値観や可能性に適うからであって、いつの場合も自分が基本であり、基本でなければならない。相互に自分を基本として、他人があるのである。

自分を基本としない
「他人のため」は当然自己の価値観や可能性を自ら裏切るもので、その最も悲惨な経験を「お国のために」という形でほんの半世紀前に味わったばかりである。そして日本の教師は学校を生徒が自分を基本としない価値観・可能性を強制する強制収容所としたまま、その矛盾の噴出にオロオロするのみで、何ら手を打てないでいる。

逆説的に言えば、学校・教師は生徒をテストの成績と学歴で自己を表現させる画一の型にはめ込むことで、生徒が自己の価値観・可能性に忠実に生きることを常に奪い続けているのである。

「最近はどんなことをやっても食べていけるようになった。そうなると、なにもつらいことを我慢してまでやらなくてもいいということになる。経済的に豊かになるというのは、子どもの教育にはマイナスの面のほうが大きいのかもしれない」(p33)

さかしらげな安手の観察には見事と称賛しないわけにはいかない。観察視野の粗雑さ・狭さはまさしく精神性視野狭窄症とも言うべき状態にまで達しているようだ。

生徒が自分の可能性に適合する事柄に挑戦しているとき、あるいは挑戦とまでいかなくても、打ち込んでいるとき、そのことの困難や苦痛は、それが「つらい」からと言って忌避するどころか、かえって自己能力の向上と可能性の実現に一歩でも近づく試練と捉えて――いわばのり超えるべきハードルと捉えて積極的にぶっつかっていくものである。例えばサッカーや野球といった部活でのハードトレーニングの過酷さに耐え切れずに中途退部する者もいるが、そのような退部者も含めて耐えられるかどうかが自己実現(自己可能性の実現)への分岐点であることを知っていて
、耐える方に常に賭けているものである。その賭けに破れた者が退部していくのである。勿論、生徒の体力の限界を超える無茶苦茶なハードトレーニングを計算もなく無計画に課すバカな教師もいるし、そのような教師への反発や他の事情での退部といったケースもある。

あるいは楽器を演奏しているときが本来の自分だと感じている生徒にとっては、嫌いな科目の教室に入るときと、部活で打楽器や管楽器が並んでいる音楽室に入るときでは、おのずと目の輝き・気持の張りに違いが出てくるだろう。そういった生徒にとっては、肺活量を強めるための少しぐらいの「つらい」体力トレーニングは何程のこともないはずである。

数学の嫌いな生徒がテストで悪い点を取らないために公式や出そうな問題の解き方を眠いのを「我慢」して徹夜で暗記したお陰で最悪の結果から免れたとしても、数学に関するその生徒の可能性という点で、さして意味はないだろう。

いわば、「つらいことを我慢」できるかどうかは自分がすることに可能性を見い出し、意義を感じることができるかどうかにかかっているのであって、「経済的に豊か」だとか「豊か」でないとかは関係ないことなのである。教師が学校という社会でそれぞれの生徒にふさわしいそれぞれの可能性を提示できていないから、見当違いの理由を持ち出して批判しているだけのことである。

「すぐに傷ついてしまうようになった」(p33)

「自分というものが、他人との関係のなかでつくられていないから、うまく相手を受け入れられないのだ」

「たとえば、言葉一つで傷ついてしまう」として、その例の一つとして、「『こんにちわ』とあいさつしたとき、相手が気づかずに行ってしまうことがある。こんなことはいつだってあることだが、気がつかないで行ってしまったことで、あいさつしたほうはものすごく傷ついてしまう」

「結局、相手と自然につきあうことができず、いつもピリピリ緊張することになってしま」い、「言葉一つ発するにも、ひじょうに緊張する。だから気を許してつきあえるような友だちはほとんどいないということになってしまう。教室には四十人の生徒がいるわけだから、これではとても疲れることだと思う」

生徒同士の人間関係がどのようなものかこれだけ詳しく把握していながら、なぜ何らかの方策を講じないのだろうか。何のために33年間も教師をしてきたのだろうか
。生徒を批判するだけのためにプロ教師を名乗っているわけではあるまい。批判に始まり、批判に終わる――生徒の人間関係にどのような想像力も働かせることができないことの延長にある態度・姿勢なのだろう。

他人の言動を神経質なまでに気にするのは何も子どもや生徒といった年少者に限ったことではなく、大人も同じである。上司に少しでも不機嫌な態度をされたり、突っ慳貪な態度を示されると、何か失礼なことをしたのではないかとか、気に障ることを言ってしまったのではないかとかあれこれと気をまわす。あるいは自分がどう評価されているか、気に病む。部下の立場にいる者はそういったことの予防のためにも、普段から気に入れられるためにお中元・お歳暮とせっせと気をつかうのである。

上司とて同じである。自己能力に自信のない上司ほど、自分が部下にどう評価されているか気にかけ、部下をやたらと飲みに連れていくといった方法で媚びたり、気に入れられようとしたりする。

ではそのような精神性はどこからきているのかと言うと、日本人が上下関係(上下の力関係)を基本とした集団主義・権威主義を行動様式としていることからである
。上下関係を人間関係秩序とするとき、自己の位置は他者との関係で決まり、他者との関係で自己を評価することになる。あるいは逆に他者との間に何らかの上下関係を作り出して(上下の格付けを行って)、自己位置や自己評価を高めようとする
。こういったことのために位置そのものが評価を示す物差しとなり、それを権威とする結果を招いているのである。

近所の目や世間体を気にする日本人の性格傾向も、他者との関係で自己を位置づけ(格付け)、それを自己評価の基準とする同じ習性からきているものである。よく言われる、日本人の行動習性としての「横並び意識」も他者との関連で自己を位置づける関係上、同じ基準・同じ物差しを求めるからである。但し、まったく同じだと自己を優位に位置づけることができないために、同じ基準・同じ物差しを用いていながら、その中で価値や等級の高いものを目指して自他の差別化・優劣化を図ることが行われる。

他者との関係を基準とした自己の位置づけ(格付け・権威付け)の究極の装置が、人種そのものに上下関係を作ることで日本人そのものの評価や位置を高めるための、アジア人や褐色人種・黒色人種に対する日本人が民族規模で持っている集団主義的・権威主義的な差別・蔑視の心理的・精神的なメカニズムである。

生徒が自分と他の生徒のテストの点数の差や成績表のAとかBの数の違いを優劣(自己評価)の物差しとするのも、大人のありようを受けた生徒のありようとして学校社会に顕(あら)われた他者との関係を基準とした自己の位置づけである。それは学歴で競うだけではなく、出身校の格の違いで自己評価や自他の優劣を決める精神性にも反映されている。

集団主義的・権威主義的人間関係は上下関係が慣習や制度によって社会的に定着している場において最も有効に機能する。学校社会で言えば、先輩・後輩の人間関係である。先輩は先輩であることを権威(力)として、後輩に対して思いのままに命令・指示し、後輩は後輩であることをもって、先輩の命令・指示に無条件に同調・従属することを旨とすることによって、両者の人間関係は規律正しく維持される。

逆に上下関係が曖昧であったり、逆転現象を起こしている人間関係は意志疎通に円滑さを欠くことになる。男がすべての権力を握っていた時代の会社社会でまだ珍しかった女性上司の出現に多くの男性部下が抵抗を感じ、素直な話しかけができなかったのは男尊女卑という力関係の慣習が逆転した場合の人間関係の円滑さの欠如からきたものである。日本人が初対面の人間に気軽に声をかけて親密な意志疎通を図ることができないのは、相手との位置関係・力関係で態度を決める(あるいは態度を変える)習性上、それが見当つかない場合である。同じ子どもを相手にするにしても、上司の子どもと部下の子どもとでは、微妙に態度を変える。子どもにしても、父親の上司に対する態度と部下に対する態度をそれとなく学び、受け継いで両者に対する態度の丁寧さに微妙な違いが出てくる。

学校社会での学年単位の世界ではテストの成績が生徒の人間価値尺度となっていても、それが日常普段の生徒同士の力関係にストレートに反映されるわけではなく、年齢も同じで、上下関係は慣習や制度によって予め用意されているわけではない。そのため、生徒それぞれが人間関係を通して作り出していかなければならない。いわば上下関係が曖昧な状態にあるために、かえって円滑な意志疎通の構築を阻(はば)む条件と化していることに加えて、時代的な自由・平等の意識が上下関係にのっとった行動様式に拒絶反応を示し、その相克(そうこく)が生徒それぞれを自分の殻に閉じ込め、相互の人間関係をより一層不器用なものとしている側面も無視してはならない。

となれば、上下関係を基準とする人間関係を一切排除する方向に持っていかなければならない。

生徒それぞれにとって好きな科目もあれば、嫌いな科目もあるはずである。いわばそれぞれがそれぞれに価値観が異なり、可能性も異なるはずである。テストの点数に関しても、学歴に関しても、他人との比較で評価されたり、価値づけられたりするものでもない。自分は自分であり、自分は自分でなければならないはずである。いわば自分は他者との関係で自己を表現するのではなく、常に自己に立脚した自己表現を心がけなければならない。自己に立脚したとき、すべての生徒は対等な場所に位置することができる。そのとき上下関係は排除されたものとなり、意志の疎通は自由なものとなる。

生徒をして自己に立脚させるためには、常に言葉を交わし合うことによって他者を知り、自己を知る、自己を知って、他者を知る作業は欠かすことはできない。学校
・教師が授業を通してそのような作業を提供しなければ、
「自分というものが、他人との関係のなかでつくられ」るはずはない。イヌやネコと違って、人間は言葉の交換によって自他の関係は作られるのである。百時間隣り合って座っていても、言葉の交換がなければ、どのような人間関係も生じない。三四郎は上京する列者の中で言葉をかけられて、広田先生との人間関係が生じたのである。広田先生が自由な精神の持ち主だから、三四郎に気軽に声をかけることができたのだろう。上下関係の中で人間関係を維持している人間は面識のない人間になかなか気軽に声をかけることはできない。

親子関係の希薄、あるいは夫婦関係の希薄とは言葉の交換の希薄を言うはずである
。憎しみ合っている夫婦が四六時中お互いを罵りあっていたなら、ある意味では両者の関係は濃密だと言える。プロ教師は生徒に言葉を用意もせず、
「社会的自立」だとか、「一人前になるため」だとかを常套句(じょうとうく)としている。如何に口先だけの言葉か分かろうと言うものである。生徒の人間関係にどのような想像力も働かせることもできず、できることと言ったら、口先だけの綺麗事だけだから
、最終的には責任を家庭に押しつけなければならないことになるのだろう。

「いまの生徒が固くて狭い自我しかもっておらず、他人の働きかけを柔軟に受け入れることができないのは、小さいときから、傷つけられたことがほとんどないからではないか」(p35)というわけである。

「小さいときから、それはだめだとか、おまえの思っていることは世間では通用しないよ、というように、親や兄弟や周囲の人が少しずつたたいていれば、中学生になってこんなふうにはならないはずである。大事に大事に育てられすぎたのである
(p35)

確かに日本が経済的に豊かになってから、子どもは物質的に甘やかされるようになった。甘やかす主体は親であることを忘れてはならない。学校教師も独身を通したり、子どもに恵まれなかったりしたのでなければ、親の内に含まれる。プロ教師にはそのことへの視点がない。自分は甘やかさなかったと言うだろうが、プロ教師一人が学校教師ではない。

子どもは物質的に甘やかされた状態にのみあるわけではない。何か失敗したり、親の意に染まぬことをしただけでも、「バカ、何してんだ(バカ、何してるのよ)」、「コラッ、駄目じゃないか(コラッ、駄目でしょ)」と、「バカ」「コラッ」を接頭語に(言葉の貧弱さの証明以外の何ものでもないが)親に感情的に怒鳴られ、プロ教師の言う「たた」かれるのを常としているのである。「バカ」「コラッ」をつけなくても、「いくら言ったら分かるんだ」とか、「いい加減にしなさいよ」とか、論理的な説明で子どもを納得させるのではなく、感情的に頭ごなしに抑えつけるのが一般的となっている。

感情的な叱責や怒りで子どもの行動を律するのは日本が物質的に豊かになってからの習慣ではなく、歴史的に伝統的な日本人の文化なのである。当然、子どもも受け継いでいる。兄が弟を、あるいは力の上の子どもが下の子どもを叱るとき、「バカ
」「コラッ」を使う。

これも日本人が上下関係を人間関係のルールとしていることから起きている。上位権威者が下位権威者を権威や威嚇によって無批判・無条件に同調・従属させる集団主義・権威主義の行動様式・思考様式そのものの反映なのである。戦後の民主主義と権利意識が大人の権威主義からゲンコツを取上げたが(今もって子どもを殴る親が少なからずいるし、昔ながらに愛のムチと称して生徒に殴る・蹴るの体罰を行う教師も跡を絶たないが)、「バカ」「コラッ」といった接頭語を使った感情的な命令・指示で子どもを抑えつける上下関係はGHQの民主的な施しに無関係に生きながらえたままなのである。

物質的な甘やかしと感情的な怒り――いわば子どもにとって親はニコニコした優しい存在であると同時に、感情的な怖い存在でもある。言葉を変えて言うならば、精神の解放者であると同時に理不尽な精神的抑圧者である。一つの姿から次の姿への変身モードは、その殆どは子どもの予想を超えた、突然襲ってくる性質のものであろう。親のそのような突然変異に対して、子どもはどう対処するのだろうか。親との人間関係をどうバランスよく構築したなら、調和の取れた状態で自分という人間を維持できるのか、困惑するばかりだろう。ときには上目遣いに窺い、ときには媚びるといった態度を使い分ける狡猾さの学習を幼い頃から強要されているようなものである。

そのような学習の将来的な成果が怖い教師と怖くない教師に対する生徒の、怖い上司と怖くない上司に対する部下の態度の使い分けであり、あるいは相手に応じて敬語を交えた馬鹿丁寧な言葉づかいから乱暴な言葉づかいまで、幅広く使い分ける、日本人が特性としているカメレオン的な態度変化なのである。その結果、一人の人間の中にペコペコと卑屈に頭を下げる人間から尊大にふんぞり返る人間まで、それぞれの限界は異なっていても、何人もの人間を棲(す)み分けさせているという点において同じ様相を抱えることになっているのである。

大人になると倫理観が鈍磨し、巧妙に立ちまわるようになるが、子どもの間は神経過敏なまま均衡の取れた人間関係を学ばない状態に曝(さら)される。多分戦後の民主主義に触れずに威嚇的権威主義を戦前から引き継いでいた方が子どもにとっては人間関係に救いとなったかもしれない。例え親が子どもの欲しがるものを買い与えてやったとしても、幼稚園・小学校・中学校と威嚇性を背景とした権威主義が幅をきかせていたなら、威嚇と権威で抑圧・服従させて保つ上下関係を土台とした人間関係秩序の支配を受けて、生徒は自他を律する何らかの力関係に従って態度を使い分ければいいのだから、「言葉一つ発するにも、ひじょうに緊張する」といったことはないだろう。

いわば親が子どもを「コラッ」、「バカ」と威圧的に抑えつける習性をそのまま引き継いで、子どもは学校で自分よりも力の弱い相手には「コラッ」、「バカ」と怒鳴って言いなりにし、自分よりも力のある人間には逆に「コラッ」、「バカ」と怒鳴られるままに言いなりになれば済むのだから、生徒間の人間関係に神経を使わなくてもいいはずである。

親が子どもに欲しがる物を言いなりに買い与え得る行為は、一度触れたように自己能力によって信頼を獲得することのできないために、部下や仲間を飲みに連れていって恩を着せたり、歓心を買ったりすることで相手を支配し、言いなりにしようとする官庁や会社の上司の行為と同じ構造の心理から出ているものである。いわばいい顔をすることでしか子どもの機嫌を取ることができないための行為であり、感性や想像力の欠如が招いている物質主義なのである。

そのような物質主義の集大成としてあるのが、その殆どがカネを出すだけで終わっている日本の途上国への援助であり、湾岸戦争のカネは出したが、政治にカオが見えないというお粗末な状況である。

「生徒たちは傷つけられたとき、自分がどういうふうに動いてしまうか、自分でも予測できず」「相手が強ければ自分の殻にこもるが、相手が弱いとわかると激しく攻撃するようになった。生徒にしてみれば、自分が傷つけられたのだから反撃は正当防衛なのだ。ときとしてそれが過剰な暴力になってしまうこともある。中学生が女性教師を刺し殺してしまった黒磯事件もその一つだと思う」(p35〜36)

「このような傾向が目につきはじめたのは、校内暴力が終わって少したったころからである。思いきり殴って相手の歯を何本も折ってしまうとか、視力が弱くなるまで殴ってしまうというようなことが起こるようになったのだ。暴力をコントロールする力がはたらかなくなったようだ」(p36)

相変わらずの浅はかな観察眼である。プロ教師とそれに類した学校教師こそ、教育荒廃の元凶中の元凶なのだろう。

「相手が強い」と踏んだら、「自分の殻にこも」り、「相手が弱いとわかると」「
攻撃」
に転ずるのは血として日本人が受け継いでいる権威主義の行動様式にのっとった性格傾向で、最近の学校の生徒に始まったことではない。町人や百姓といった社会的弱者に不正や弱い者いじめを働くサムライや悪徳代官、それに類似した人間に対するものとして、「強きに弱く、弱きをくじく」という風刺語が存在したのがその証明となる。戦争中だけではなく、それ以前からやたらと威張り散らす警察官に長いものには巻かれろで「自分の殻にこも」り、じっと我慢の子を決めたのは何もよその国の話しではない。「弱い」「相手」への「攻撃」「ときとして過剰な暴力になってしまう」その最たるものとして、関東大震災のときの朝鮮人・中国人虐殺で既に見てきている。旧帝国軍隊内の古参兵による新兵いじめも、同じことの繰返しとして歴史に現れたものである。

そのような構図の暴力が民主主義と人権意識の時代に育ったはずの最近の中学生に特に顕著に見られるというのは、ただ単に甘やかされて育ったという理由からだけではないはずである。親に暴力を振るわれて育った子は成長して同じように暴力をふるう傾向にあるというのは、親から暴力以外に人間関係の有効な手段を学習しなかっただろうからで、甘やかしとは無縁の力学である。満足に食を得ることのできない農村の若者たちに食うための居場所を提供する形で、その下層社会が構成されていた旧軍隊のいじめが特に都市のインテリ層や給与所得者に向けられたのは、一般社会では下位権威者の立場に立たされていたために抑圧を強いられていた自分たちよりも楽ないい暮らしをしていたことへの反発が、軍隊社会で手に入れることのできた上位権威者の立場をチャンスにいじめや暴力の形を取って噴出したものであろうし、これも甘やかしとは無縁の力学によって生じたものである。彼ら農村の若者は親からも社会からも「たた」かれ、「大事に大事に育てられ」た経験などなかったはずである。

これらをあわせ考えると、子どもが親によって植えつけられ、補強された権威主義を自己の行動様式の基本にしているとしても、「ときとして過剰な暴力になってしまう」「攻撃」「大事に大事に育てられすぎた」甘やかしと、「バカ」とか「コラツ」とか頭ごなしに行動を規制されたことによって生じた日常普段の抑圧感情が複雑に絡み合って転化したものとするにしても、原因とするには弱すぎる。

誰か強い相手に対して心理的・精神的な抑圧を抱え込んでいて、それを当の相手に向かって爆発させることができない代償行為として、弱い相手を見つけて激しく攻撃するメカニズムを抑圧の解放装置とするということがある。子どもは家庭社会と同様に、生徒として学校社会に大きくスタンスを置いている。どちらの人間関係も、生徒に抑圧とその逆の精神の解放を両極端に、その間の様々な精神状態をもたらす。いわば家庭だけに原因があるのではない。親から人間関係の方法を暴力しか学ばなかったとしても、学校社会でも同じ暴力を人間関係の方法とするのは、学校がそのことに対して何ら理性的な影響力(暴力以外の人間関係の植えつけ)を働かすことができなかっただけではなく、その生徒に逆に治外法権を与えていたことを意味する。旧軍隊内の古参兵の新兵いじめも、一般社会で育んだ抑圧を軍隊社会が中和したり、解放する機会を与えていたなら、一般化するはずもなかっただろう。逆に一方的な命令・支配による厳しい訓練や規律を通して抑圧に加える抑圧を増幅させていたことが陰湿で過剰ないじめ・暴力に発展したと考えると、因果関係にバランスを見い出すことができる。

いわば学校・教師が生徒対生徒の「いつもピリピリ緊張」した人間関係をほぐすことも和らげることもできない無能・無策に加えて、テストの点数と成績、それを人間価値尺度とする二重の絶え間のない圧力・強迫によって生徒の抑圧を加速させ、生徒間の「緊張」をなお悪化させるという悪循環を自ら犯していることが、抑圧の浄化装置として「過剰な暴力」につながっているのではないのか。

「黒磯事件」にしても、確かに「過剰な暴力」という結末を迎えはしたが、単純に男性教師よりも女性教師の方が「相手が弱い」とか、男の自分よりも女だから「弱い」と見て、「激しく反撃した」というものではないだろう。本人の受けた抑圧感情を(それがどの程度正当なものか、正当ではないものか検証する必要がある)意図しなかった方法で解放するまで(「友達がいる前でナイフを出した手前、引っ込みがつかなかった」と話している)、「むかつく」とか、「殺してやる」とか女性教師に対する自分の感情的なポジションを友だちに何度となく知らせる方法で、断罪への瀬踏みを行っている。いわば何かあったから、一気に「反撃」するといった形を取ったのではなく、発端と結末の間に時間的経過を伴った葛藤の量的な積み重ねがあり、そのような増幅が必然的に「過剰な暴力」を招くことになってしまったということなのだろう。

確実に自分よりも弱いと分かっている相手への攻撃は心に余裕が持てる。反撃される心配も、反撃による危害を心配しなくても済むからである。日本人が子どもや女性、あるいは従順な部下に強い態度が取れるのはそのためである。逆に反撃や危害が予想される相手には、相手以上の力を必要とすることから心の余裕が持てず、攻撃がときとして無制御な過剰なものとなってしまう。女性教師は普段から生徒を叱っていた。いわば生徒は常に叱られる立場にいたのであり、そのような力関係の条件付けが、例え「友達がいる前でナイフを出した手前、引っ込みがつかなかった」と言っているものの、ナイフを取り出したことへの叱責と叱責に対する弁解という意識の回路を作動させ、他のことを考える余裕を一切奪ってしまった可能性もありうる。つまり女性教師は常に叱る立場を維持することで生徒を心の余裕を失わせる方向に追いつめていたのかもしれないのである。

「暴力をコントロールする力」「はたらか」すことができないのは子どもや生徒に限ったことではなく、教師においても同じある。「コントロール」できずに、生徒の身体に死をも含めた重大な危害を与えるまでに殴る・蹴るの体罰を行った教師がどれほどいたか、プロ教師は教育荒廃の責任のすべてを生徒に転嫁する方向に意識を置くあまり、そういったことは一切記憶にないらしい。このことだけでもプロ教師が如何に御都合主義者なのか、分かろうというものである。

昭和60(1985)年5月に茨城県の岐陽高校のつくば科学万博見学の修学旅行中に起こった事件を一つの例として挙げてみる。持参禁止のヘアードライヤーを所持していた生徒を36歳の担任の男性教師が殴る・蹴るの暴行を加えて、殺してしまった。その担任は得度して、僧侶の資格もあったと言う。いわば日々様々な宗教的な修行や勉学にいそしんでいたはずである。そのような日常的な社会的経験が「暴力」「コントロール」に関して、何の役にも立たなかったのである。それとも得度するための修行も日々の宗教的な儀式も、学校の生徒の暗記勉強のように必要とされることを機械的・表面的に消化してその場をしのいできただけのことで、人間形成を意識したものではなかったということなら、辻褄は合う。

だが、それ以上に、「体罰が容認されていた岐陽高校では『平生は体罰を加えることも全くといってよいほどなかった』と裁判官が同情するほど温厚な教師であった
」にも関わらず、最初に体罰を加えた「生活指導部」の教諭に「日頃の指導の甘さをなじられ」(
『体罰の研究』坂本秀夫・三一書房)、多分自分の落ち度と受止め
、それを埋め合わせるために自ら体罰を担ったのだろう。

「このような傾向が目につきはじめたのは、校内暴力(1980年代)が終わって少したったころから」だと言っているから、岐陽高校の体罰殺人に関しては、中学生の「傾向」に先んじた現象ということになる。このことは何を意味するのだろうか。答は簡単である。一旦暴力を振るったら自己を失ってしまう態度反応は大人・子どもに関係なく、また時代にも関係なく、その人間の人格や人間性に関係するが、そのように仕向ける状況が大きくウエイトを置いていると言える。

ついでにもう一つ例を挙げてみよう。『教師』(読売新聞社会部編)に書いてある1981(昭和56)年の事件なのだが、三年生の番長ら数十人が校長室に押し掛け、三年担当の体育教師に、「オレたちをなぜ差別するんだ」とつめ寄ったところへ飛び込んできた二年担任のA教諭は、「二年のセンコーには関係ねえだろう」と怒鳴られざま殴られ、前歯をへし折られて口から血を流したという。それ以来A教諭は不始末や不行跡を犯す生徒やツッパリ生徒に対していきなりの形で体罰を振るうようになった。ところが、「教諭は、つっぱり生徒への報復を考えていたのではない。『自分のクラスの子どもたちをつっぱりの影響から守らなくては。このままでは学校でなくなる。嫌われてもいい。オレがやらなくては、誰がやるんだ』」という使命感に駆られての体罰のはずが、「生徒たちの荒れが一層ひどくな」る結果を招くことになった。

子どもたちを守るという使命感は自己正当化の口実のために取ってつけた思い込みに過ぎないだろう。前歯をへし折られて自尊心を傷つけられた屈辱感と、再び同じ目に会わされるのではないかという恐怖が過剰な防衛心理を生じせしめて、その過剰さが殴られる前に殴るという短絡的な体罰行動――勢いでする「コントロール」のきかない無差別な体罰状況につながってしまい、それが荒れをより悪化させた。いわば教師と生徒がお互いに手を貸す形でお膳立てした攻撃と防御の悪循環という最悪の状況に双方ともに陥り、そのような状況に自ら翻弄されてしまったのである

プロ教師は、「対教師暴力が最近またふえている」(p36)として、「教師というのは、この十年ぐらいのあいだにだんだん権威がなくなり、一方で体罰が禁止され、叱ることもいけないという雰囲気が広がって、明らかに『弱い存在』になってしまった。そのうえ、教師は生徒の世界の外にいる存在だから、生徒にとってはいくら攻撃しても平気なのである。このようなことが対教師暴力の根底にあると言っていいと思う」(p36)

教師の「権威」は一般的には知性や博識、想像力や人間的な洞察力を背景として維持されていたわけではない。権威主義の持つ威嚇性が現在よりもはるかに有効だった、その威嚇――いわば怖さが生徒を支配・強制する力として働いていたに過ぎない。それは家庭における父親の「権威」にしても同じである。最近さかんに父親の「権威」喪失が言われるが、単に怖くなくなっただけの話しである。父親が豊かな創造力(想像力)や感性に裏打ちされた豊かな言葉を備えた成熟度の高い人間ならば、子どもは自然と信頼を寄せ、決して自らの威厳(権威主義的な意味合いの権威とは無縁のものである)を失うことはない。

プロ教師の言う「権威」なるものが権威主義の文脈での「権威」――いわば怖さなのは、「一方で体罰が禁止され、叱ることもいけないという雰囲気が広がって、明らかに『弱い存在』になってしまった」という解説そのものが証明している。裏返して言えば、教師なるものが怖さや恐れといったレベルの「権威」しか示すことができない情けない「存在」だと言うことをプロ教師は自ら暴露しているのだが、相変わらずの鈍感ゆえ、何も気づいていない。知らぬが仏だから、幸せなのは幸せである。

既に触れているかもしれないが、体罰の禁止は昨今のことではなく、明治12年と歴史は古い。それが愛のムチと称して民主主義と権利意識の時代を50年経ても根絶されることなくまかり通っていたのは、出発点がそもそも、「体罰禁止規定は明治政府の最大の悲願であった条約改正を有効に進めるための文明国のポーズであったという意見は正しいように思われる」『体罰の研究』坂本秀夫・三一書房)といったふうに人権意識からのものではない上に、多分弥生時代から受け継いで日本人の行動様式の血となっている集団主義・権威主義が下位権威者を威嚇を背景に強制・支配する構造のものであることから、威嚇の最も有効で手っ取り早い表現方法として、形を取った威嚇=腕力や暴力を常に必要不可欠としなければならなかったからだろう。

また、生徒にとって教師は学校社会の評価者の位置にいる同じ一員であり、好むと好まざるに関わらず恒常的な人間関係を結ばなければならない存在であるから、決して「生徒の世界の外にいる存在」ではない。そのためだけではなく、人間は一旦攻撃すると、それが確実な勝利に終わったとしても、報復を恐れる感情を持つものだから、「生徒にとっていくら攻撃しても平気」なわけはない。だから戦国の武将は相手を攻め落としたあとも、成長して報復に出れないように、敵の女子どもまで殺してしまうということまでした。平清盛は常盤御前の情にほだされて子どもだった義経の命を助けたために、平家滅亡の一翼を担わせる報復を受けることになったのである。

生徒が教師を殴るにしても、出会い頭の勢いでそうしてしまうこともあり、相手と自分の力を何度も瀬踏みする優柔不断を繰返さなければ自分に勢いをつけることができないといったこともある。例え攻撃が成功したとしても、報復や懲罰を怖れていないことを誇示するために余計にツッパった態度や悪ぶった態度を取ったり、逆にそのような態度を見せてしまった手前、何かやらかさなければならなくなってやらかしてしまい、ついには後戻りのできない場所にまで自分から自分を持っていってしまうといったこともある。そういった人間心理の複雑さに目を向けることもできず、生徒を語り、批判する。生徒にしたら、たまったものではないだろう。

「教師は基本的には」生徒を「傷つける存在」(p36)だと言う。「学校でやっていることは生徒の意に沿わないことが多いわけで、教師の働きかけの一つひとつが彼らを傷つけると考えなければならない。黒磯事件のときも、亡くなった女性教師はいつもどおりやっていたわけで、まさかあんなことはするまいと思っていたのだろう
。しかし、あとから考えると、あの生徒はあの場面で、教師のやり方とか言葉に決定的に傷ついていたのである。しかし、それを予測することは不可能である」

傷つけあうことのない人間関係というものは絶対的に存在しない。親子関係にしても同じである。愛し合って結婚したばかりの夫婦であっても、お互いが常に「意に沿」う関係でいられるとは限らない。些細なことを深く根に持つ人間もいるが、一般的には不快を与えられたとしても、思い直すという感情修復の装置を持っている
。余程に衝撃的なものでなければ、一度の不快で決定的に
「傷つ」き、決定的な決裂を招く人間関係は滅多と存在しないだろう。逆に些細な不快であっても、思い直しが追いつかない頻度のものである場合は当然不快感情は積み重なり、何らかの感情の爆発で代償しなければ抑圧化するばかりで、自己存在そのものが保てなくなることがある。カッとなってやってしまったという事件の殆どはこの手のものだろう
。いわば
「あの場面」ではなく、別の「場面」で既に「決定的に傷ついていた」のを辛うじて抑えていたものが、「あの場面」での注意がキッカケとなって抑制がきかなくなって爆発したと考えられないこともない。

女性教師のそのときの注意の言葉を新聞で見ると、

教師「先生、何か悪いこと言った?」
生徒「何も言ってねえよ」
教師「ねえよっていう言い方はないでしょう」

この教師は生徒のヤクザ言葉が自己の力を誇示しようとするものであると同時に、教師が生徒に注意を与えるという状況で、プロ教師の使った言葉で言えば、生徒の「意に沿わない」指示を与えるような場面で、教師の立場にいる人間にそのような言葉を使わせたのが反発や忌避感情からのものだと気づかなかったのだろうか。気づいていたなら(学校教育者なら気づくべきである)、その語調の程度によってそのときの生徒の反発や忌避の度合いを知ることができたはずである。

また、「ねえよっていう言い方はないでしょう」という言い方自体、本人は単に注意をしたと思っていただろうが、実質的には売り言葉に買い言葉のレベルを出ない反応でしかなく、生徒の口答えに対するそのような切り返しは感情に油に火を注ぐものだったのである。

もし気づいて、「私、何か悪いこと言ったようね。言ったとしたら謝るけど、このことは後で話し合いましょ」と対応することで常態となっていた叱る―叱られるの関係をほんの暫くでも解いていたなら、答に窮する方向に生徒を追いつめることはなかったろうし、逆に熱くなった頭を冷やす間を与えることになったろう。

女性教師は常日頃から生徒に対する態度として、強く出なければつけ上るという意識に強く囚われていて、それをワンパターンに演じていたのではないだろうか。だが、それは相手の意志や感情を抑えつけるようとするもので、そのような態度が成功して自己の優位を保つことができたとしても、反発の数値は抑圧の強度と時間の積に比例して反応することになる。いわば生徒の反発を代償として獲得することのできる優位なのである。当然生徒の反発の数値が上がれば、その種の優位は危ういものとなり、逆転が危険で大きなものとなる可能性もあり得るのである。

威嚇性を背景とした権威主義の行動様式がまだ有効だった時代は、生徒が大方の教師を怖れて自分の方から言いなりの態度を取ったから、「強く出なければつけ上がる」という意識は特定の生徒には必要だったかもしれないが、一般的なものとはなり得なかったろう。だが・威嚇性を剥ぎ取られてしまったにも関わらず、教師が権威主義の行動様式から抜けきれないために、意識的に強く出る態度を必要とするようになっているはずである。強く出ることの究極のものが体罰であるが、それが既に指摘したように体罰の根絶を妨げている原因の一つとなっているのである。

私が中学生だった時代(1950年代前半)の不良学生は学帽を斜めにかぶり、学生服のボタンを上の二つを外して、片手は常にズボンのポケットに入れ、いわば斜に構える形でいっぱしのヤクザのようなポーズを取り、それを自己の力を誇示する方法とした。そうすることがその生徒にとっての自己存在証明であり、自己主張の大いなる手段であった。現在ではバタフライナイフかもしれないが、当時の不良学生はジャックナイフをポケットに忍ばせ、機会をとらえてはひけらかした。中にはケンカになったときに素早く取り出せるように、常にズボンのポケットの中でジャックナイフを握り締めていると言う生徒もいた。もっとも彼らはごく限られた一部の生徒でしかなかった。

この種の力の証明は強がりだけの悲しい証明でしかないが、当時の不良学生の殆どは貧しい家の子どもというだけではなく、勉強からも見放されていて、不良以外に自己の力の証明とする方法を見い出せなかったのである。

今の中学生は不良学生でもない一般の生徒までがヤクザ言葉を使うようになっている。そのような言葉を力の証明とさせている生徒の状況は学校社会で有功とされる自己存在証明を自分のものとできない状況と表裏一体をなしているはずで、学校社会がテストの成績を生徒の人間価値尺度としている状況と無縁ではあるまい。いわばテストの成績を自己存在証明とし得る生徒はごく限られた一部の生徒であることからの、その他大勢の生徒による力の証明としてのヤクザ言葉なのだろう。

かつての不良学生がごく限られた少数派であったのとは逆に、ヤクザ言葉を力の誇示・証明としなければならない生徒が多数派を占めている現在の状況は教育の発展という文脈からすると、見事なパラドックスとしか言いようがない。

「学校というところは、生徒が自分から望んで来ているところではない。いやでもやらなければならないことがたくさんあるわけだから、『うるせえな、教師は』ということになるのは自然のなりゆきなのだ。以前の生徒は自分を抑えて我慢していたのだが、最近はそれができなくなったため、生徒が教師に食ってかかったり、暴言を吐いたり、あるいは暴力を振るったりということが日常的に起こるようになったのである」(p36〜37)

一度触れたように、体罰禁止は明治12年と歴史は古い。体罰は、「教師に食ってかかったり、暴言を吐いたり、あるいは暴力を振るったり」といった反発を含めた
うるせえな、教師は」という感情から出た生徒の態度に対する反対給付としてあるものである。いわば生徒の教師に対する反抗は体罰の歴史と共にあったのであり、決して「最近」に限った現象ではない。確かに「以前の生徒」の大多数は教師が怖くて「自分を抑えて我慢していた」が、教師に対する反抗的な態度は細々とであっても流れ続ける地下水脈のように途切れることはなく、ただ時代に応じて、程度や傾向に違いが生じているだけのことである。

現在の学校状況を同じく現在の成人式状況に照らしてみると、プロ教師の観察が如何に浅はかなのか一目瞭然となる。成人式への出席は強制的なものではなく、本人の自由意志によるもの、いわば「自分から望んで」するものである。義務教育の小学校や中学校と違って、行きたくなければ行かなくても済む。ところが、多くの新成人が何十万円もする晴れ着を用意し、晴れやかな顔で出席する。式場に入り、市長、その他の来賓の挨拶ともなると、私語・席立ち・携帯電話での会話で会場が騒然となる、あるいは式が始まっても会場には入らないで、外で仲間としゃべったり
、携帯電話をかけたりする者がかなりの数いるという状態が全国的なものとなっている。静岡市の今年の成人式では、「市長あいさつの最中には胸ぐらをつかんでケンカを始める出席者までい」たマナーの悪さに、市長が「市主催の成人式を来年から廃止する可能性を明らかにしたところ、晴れ着を扱う呉服商らが『死活問題』と猛反発」(朝日新聞)といった事態まで起きている。去年は高名なエジプト学者が地方の成人式に招かれて講演したが、最悪のマナーに腹を立て、講演を途中で打ち切って退場している。

マナーの悪さの内容に関しては携帯電話の会話を除けば、学級崩壊状況とまったく同じである。自分から「望んで」出席した目的がマナーの悪さを披露するためではないはずである。新成人が何を「望」み、何を期待して出席するのかと言えば。異性との出会い・旧友との再会・何か素晴らしい出来事の芽生えなどであろう。ところが「新成人に期待する言葉」といった来賓の挨拶が新成人の期待をうわまわる刺激を与え得ることができない、口先だけのことを口先だけで言っているつまらないものだから、自分勝手の振舞いに及ぶのである。

これは生徒にしても同じである。学校は、「自分から望んで来ているところではない」ということは決してない。学歴が将来の生活を左右することを知っていて、学校を必要として、いわば「望んで」行くところとしている。ところが学歴を目的とすること以上に授業が生徒の想像力や感性を刺激してくれない面白くもないものだから、心の底から「望んで」行くところとなっていないだけのことで、そのために彼らの学校での目的が自分の能力に応じたテストの成績の獲得にウエイトを置いたものとなってしまっているのである。それはテストのたびにしのいでいけば解決することで、普段の授業までは、そのつまらなさにまともには付き合えないということの正直な姿の表われなのだろう。

成人式で大人たちが新成人に何ら刺激も影響も与えることができないならば、市民会館とか公民館といった場所ではなく、どこか広い公園を式場にして、来賓の挨拶といった類は廃止したらよかろう。そこで××地区婦人部といった団体とかテキヤが飲食物を提供する屋台を出す。あるいは大道芸人が大道芸を演じたり、誰でも自由参加でフリーマーケットする一画を設けたりする。いわば異性との出会い・旧友との再会・何か素晴らしい出来事の芽生えなどが期待できる集いの場所に限ると同時に、屋台や大道芸やフリーマーケットを主催する大人たちの姿を通して、例え彼らから多くの言葉を語りかけられなくても、来賓の内容空疎な言葉以上のものを何かしら学ぶ可能性を期待する空間とする。公園の近くにラブホテルでもあれば、新成人にとってはなお結構な成人式となるだろう。

「以前の生徒は自分を抑えて我慢していた」と言っていることも、80年代の校内暴力は生徒の我慢状態を指すのではなく、我慢の反動として現れたもので、歴史の歪曲まで犯している事実の誤魔化しは現在の生徒にすべての責任を転嫁するための御都合主義優先から出ているものだろう。「最近はそれができなくなったため、生徒が教師に食ってかかったり、暴言を吐いたり、あるいは暴力を振るったりということが日常的に起こるようになった」とは、学校の秩序が生徒の我慢だけに頼っていたことの暴露以外の何ものでもない。このことは教師が単なる教科書の解説者に過ぎないことの証明でもある。いわば生徒の知的関心・知的想像力を刺激する言葉を教師が持ち得ていないからこそ、教科書の解説者にとどまらざるを得ず、その結果として「生徒の我慢」に頼るしかないのである。

もしプロ教師が、教師の役割とは元々そういうものだと主張するなら、日当5万程度で暴力団員を各教室ごとに四、五名雇って配置し、他力的に生徒の我慢を強制したなら、教師は自分の役割を全うできるだけではなく、日本の教育荒廃はすべて解決することになるだろう。但し、「大学を卒業しても考えることができない」状況はますます悪化の方向に進み、モノづくりにはたけても、人間関係や人間生命そのものに関わる思想・哲学は相変わらず不毛・貧弱なままに推移することになる。例えば犬を視覚障害者や身体障害者の生活向上と社会参加に盲導犬・介助犬として利用したり、ハード面・ソフト面のバリアフリーの社会整備によって健常者と対等に立たしめる思想・哲学といったものは日本人自身が考えついたものではなく、欧米からの輸入で、しかもその普及の状況たるや、世界第2位の経済大国を乗っているが、欧米の普及状況に10年後れ・20年後れの有り様なのである。

参考までに盲導犬・介助犬のホームページを参照のためにリンク状態で設定しておこう。

アイメイト http://www.eyemate.org/
介助犬を育てる会 http://kbic.ardour.co.jp/~kaijoken/index-j.html

「最近の生徒は」「授業がつまらなければしゃべっていいんだと思っている。もちろん、以前の生徒もしゃべりはしたが、それが悪いことだと思っていた。この違いは決定的だ」(p37)

何度でも言うが、45年も前の私の中学校時代にも、相手を選んでのことだが、教師の声をかき消してしまうほどに殆どの生徒がおしゃべり状態といったことも珍しくなかった。泣き出さんばかりに、「静かにしてください」と声を張り上げたときだけシンとするが、暫くして誰かが慎重に声を低くしてお喋りを始めると、前以って暗黙の了解が交わされていたみたいに徐々に教室全体に広がっていき、再び教師がどう授業を進めようとも、波の音に消された声同然となってしまうのだった。

勿論私語は「悪いことだと思っていた」。それは現在の生徒にしても同じだろう。私語や席立ちといった状況に対して、社会の情報が量的にも扱い方のセンセーショナルな点においても圧倒的に否定的な大人の姿しか描いていないために、当然見え透いた言葉となるのは目に見えている、「一人前の社会人となる」ためにはとか、「他人のために生きる意味」「必要」といったことしかしゃべれない教師が生徒に何を語り掛けてもホンモノと受止められるはずはないのである。いわばそのような教師のどんな言葉も、テストの成績の獲得という必要に迫られた場合は割切って利用もするが、それ以外のときは生徒の心に響くはずはない。「オレたちに言うよりも、同じ大人に言ってくれ」と内心抗議の声を上げている生徒だっているだろう

生徒に伝わるのは社会の情報ばかりではない。PTA総会・入学式・卒業式・体育
祭といった後に慰労会だ、反省会だと称して、ときには父母を半強制的に参加させて飲みに繰り出す。そこで酔っ払って、ホステスや母親の身体を人目もはばからず
、まさしく
「悪いことだと思って」いない状態で触ったり、下卑た冗談をしゃべりまくる教師でもいれば、当の母親から、あるいは一緒に参加した父母から子どもにその情報が伝わらないとも限らない。

そういう教師が一人でもいれば、社会の情報との照合によって(教師の下着泥棒・ビデオでの下着盗撮・テレクラで知り合った女子中学生や女子高生とのホテルでの性行為といった事件報道)、最近の教師はということになるのは自然の勢いで、そういった噂を知った生徒が噂の主である教師ばかりか、他の教師にも不信感を抱いたとしても責めることのできない成り行きと言える。その結果として、どのような教師のどのような言葉も無心に受入れることができなくなったとしても不思議はない。大人の言葉で言えば、「お里が知れてしまっている」ということなのである。そのようになったら、生徒にしたら、おしゃべりでしか時間を持たせることができないだろう。

「ジャーナリズムや評論家をふくめ世の人はそこのところをまったくわからずに、わかる授業をしないからだとか、授業が面白くないからだと教師を攻撃している。しかし、授業そのものを成り立たせる基盤が崩れてきているのか゜根本的な原因なのである」

私語・おしゃべりに先行して、「授業」「つまらな」さがあるのであって、その逆ではない。「授業そのものを成り立たせる基盤」とは、私語のない、静かな教室では決してない。生徒の目を輝かせ、興味や関心を掻き立てる教師の言葉こそが「基盤」であるべきであり、それが学校教育でなければならないはずである。普段おしゃべりする生徒がみな静かなので、そっと窺ってみると、それぞれがポルノ雑誌を開いて熱心に読みふけっていたということだってあるのである。

「学校に行ったら教師の言うことを聞けよ。学校へ行ったら、おまえは学習するんだよ、修業の場なんだから自分を抑えるんだよというサインがどこからも出なくなれば、こういう状況になるのもいたしかたないだろう。こうなったら、教師の力だけではいかんともしがたいのである」(p37)

最後にはいつもどおりの他力本願丸出しの泣きである。大体が学校は学歴獲得の場でしかなく、決して「修業の場」となってはいない。この一言だけでも、プロ教師に現実を見る目がないことを証明している。教師に責任がないとしたいために、教師を美しい存在に見せているに過ぎない。

生徒を「修業」させるには、「修業」させるだけの識見・人格を教師は自身に備えていなければならない。識見・人格を備えるには、それに先行してその教師なりの思想・哲学を獲得する必要がある。「教師の力だけではいかんともしがたい」状況下にありながら、プロ教師を名乗っている。このような矛盾を犯しているだけでも、プロ教師には識見も人格も期待できない。プロ教師を名乗ること自体に、見るべき思想・哲学が感じられない。何のための教師歴33年なのか不明なのも無理はない。

プロ教師を名乗るのは、自分は特別だと言う意識・自負があるからだろう。悪化の一途をたどるだけの現在の教育荒廃を打開すべく、何らかの建設的な提案を行うならまだしも、教育荒廃の責任を生徒への転嫁に終始するだけがプロ教師であるというなら、まさしくプロ中のプロと言えるし、プロとしての教師歴33年は不滅の金字塔とも言える。

 

           今回はここまで

         次回は、2000年時代の『中学校構造改革』(試案)
                  
(2月の中旬、アップロード予定)

            建設的な提言となり得るかどうか、乞うご期待!!プロ教
           師が生徒を悪者扱いするだけなのとは違って、教師を悪者
           扱いするだけではないとこをお見せしよう!!
      

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