「市民ひとりひとり」
教育を語る ひとりひとりが 政治を・社会を語る
第10弾! 次なるプロ教師批判
ゾクゾクするくらいぞくぞくと出てくるよ (これをオヤジギャクと言う)
子どもは事実、甘やかされた存在なのか?
2000.3.12.アップロード
「学校が街中と同じになってしまった」(p38)と言う。
「学校では自分を抑えるんだよというサインが出なくなったと同時に、自分の好きなことは何やってもいいんだという雰囲気が社会的に広がってきた。その結果、学校が街中と同じようになってしまった。
自分の心地よさとか、自分の欲望をなにより満足させていいという気分が強くなったのである」(p38)
相変わらずのもっともらしげな子ども認識をもっともらしげに披露して得意になっているが、プロ教師は同時に教師なるものが学校社会において何ら役に立たない無力・無能な存在でしかないことを証明してもいるのである。
「それこそあらゆるところから、自分にとって心地よいことがいちばんだ、我慢しなくていい、つらいことはやらなくていいというサインが出ているのが今日の状況である。このようななかで教育など成立するわけがない」(p38)
いやはや、開き直っているのか、情けなくもサジを投げてしまっているのか。プロ教師を名乗っているなら、「成立するわけがない」ところを「成立」させるのがプロと言うべきものではないのか。これでは責任は学校教師にはないとすることに関してのみ、プロだと言わざるを得ない。
「いまの生徒を見ていると、小さいときからめったに、だめだと言われたり拒否されたりした経験がないのではないのかと思える。いま小学校が直面している学級崩壊もこのことが大きな原因なのではないだろうか」(p38〜39)とお門違いな分析をお門違いだと気づかないままに展開している。まあ、プロ教師の認識能力はこの程度の浅いものでしかないのだろう。
「なぜ親は子どもをこんなに甘やかすようになったのだろうか」(p39)
「親は個人的にそのことがいいとか悪いとか思ってやってきたのではないと思う。一人ひとりの親が、自分のことを深く考えて、自分の生き方をしているわけではない。つまりそれは、世の中の大きな流れのなかで自然にそうなってきただけの話しなのだと思う。社会が子どもを甘やかすようになったのだから、家庭がしっかりしろというだけでは、どうなるものでもない」(p39)
プロ教師の頭には「社会」なるものの支配的な形勢(そのときどきの社会的意識)を相互に影響しあって形づくってきた主体が親・教師、その他の立場にいるすべての大人たちであることは考えに入っていないらしい。いわば「子どもを甘やかすようになった」のは親・教師をも含めた大人たち自身であって、教師だけが埒外(らちがい)にたたずんでいられるわけのものではない。プロ教師の言説は一見親の肩を持っているように見えるが、そうすることによってその先にある学校・教師の責任を「社会」なるものを隠れ蓑(かくれみの)にぼかそうとするものでしかない。
戦前の軍国少年をつくり出したのは子どもたち自身が自らつくり出したのでもなく、また「社会」がと言うよりも、具体的には大人たちがせっせとつくり出したのである。大人たちの天皇賛美が子どもたちの天皇賛美を生み出したのである。
だか、特に学校教師はそのことに関しては無視できない大きな影響力を子ども・生徒に与えたことを忘れてはならない。教えということに関しては子どもたちの意識や感覚に直接的に結びついている大人とは何よりも教師なのである。
また、「甘やか」しのメカニズムを問うなら、親から個としての扱いを受けていないと言うことであり、親の側から言えば、子どもに対して個として立つ訓練を施していないと言うことである。いわば親が個というものに関する意識――「個の意識」がそもそもからしてないから、個として立つ訓練を施す能力もないということに尽きる。
これは親だけの問題ではない。親のそのようなお粗末な状況の先に、親の不足を補うべき学校・教師の「個の意識」の不在が子どもの「甘やか」しに輪をかけているのである
。だが、実際には子どもが「甘やか」されているのは一面的な現象でしかない。
何度でも繰返すことになるが、威嚇性を背景とした集団主義・権威主義が有効だった時代は親・教師が怖かったから(実際に教師と接して、その怖さが虚像でしかないことを見抜いた教師に対しては言うことを聞かないといったケースは当然あったが)、一般的には親・教師の言うことを例え理不尽な内容ではあっても、我慢して聞いた。そのように我慢して言いなりになるのが子どもの大人に対する当然の態度であり、それをルールとしていたから、そのルールに従っていれば自己を守れたし、いい子でいることができた。
現在でも親・教師(=大人)は威嚇性は失ったものの、基本的・本質的には集団主義・権威主義を行動様式・思考様式としていて、子どもに対して集団主義的・権威主義的人間関係を強いている。いわば子どもは親・教師の言いなりに従うものとされる一方で「
甘やか」されるという、個としての扱いとは無縁で中途半端なところに置かれ、自分がどう立つかルールをつかみきれない状態にあるのである。
親が子どもを「甘やかす」す動機には、集団主義的・権威主義的に子どもを支配下に置き、言いなりにする手段としている側面と、子どもに気に入れられようないい親であろうとして歓心を買うための手段としての側面があることを忘れてはならない。
前者は自己を上に立たしめ、子どもを下に置こうとする目的の、いわゆるアメの性格を持った「甘やか」しであり、後者は自己を子どもの下に立たしめる危険を抱えた、ワイロ(貢ぎ物)の性格を帯びたものである。どちらも子どもを親と対等な位置に立たしめる個の確立を意図し、相互に人格を認め合う人間関係構築とは無縁の親子関係でしかない。
これは親が子どもとそのような関係しか結べないことから起きているものである。それは学校教師とて同じである。親の子どもに対する人間関係表現の貧困の先に、それに輪をかけた、教師の生徒に対する人間関係表現の貧困があるのである。
生活の豊かさが「甘やか」しの条件の一つとはなっているが、決して絶対条件ではない
。集団主義・権威主義が無条件に有効であった時代は年長者や上位者が備えた威嚇性が「甘やか」しを必要としなかっただけのことで、戦後に欧米から移入された民主主義と人権が戦前の集団主義・権威主義を相対化し、威嚇性を減損(げんそん)せしめたために、それに代るものとして生活の豊かさが可能とした「甘やか」しを対子ども関係表現として利用するに至ったのである。
プロを名乗りながら、子どもの行動傾向を表面的・皮相的にしか洞察し得ない曇った目で子どもを語る。『学校崩壊』――全編、それ一色である。
「自分が心地よければいいんだ、人に迷惑かけないのに何が悪いのさ個人の自由だろと言われると、大人の側はひるんでしまうのである」(p39)
生徒に何か言われて「ひる」むという状況は言葉を持たない状況そのものの証明でしかない。親ならまだしも、学校教育者が言葉を持たないのはどのようなパラドックスからのものなのだろうか。
偉大なるプロ教師は「学校では自分を抑えるんだよというサインが出なくなった」とのたまわっているが、果たして事実だろうか。コンクリートを定型の枠に流し込んで同じ形の製品をつくり出すように、生徒の姿勢・態度に様々に一律的な支配・強制の圧力を加え、その精神形成に同調・従属の意識をはめこむものとなっている悪名高き校則は生徒に「自分を抑え」させるサインのうちに入らないとでも言うのだろうか。
校則破りには授業についていけないために、その結果として表れた成績に従って人間として評価されないことへの学校・教師への反発からのものがある。それ以外には校則が自己の感性・想像力の自由を奪うことの窮屈さに耐えられないことへの異議申立てからのものがあるが、多分、ごくまれな例だろう。
前者をより具体的に述べると、既に指摘したと思うが、学校の成績で果たせない自己存在証明を開き直りと反発から不良行為や斜に構えた行為で代償させるものである。
後者は私自身の体験から話すと、高校のとき体育の時間に裸足(はだし)でグラウンドを駆け回ることが禁止された。私は足の裏に感じる土の感触をことのほか好んでいた。新しい規則への抗議のために、体育の授業は当時通学に使っていたバスケットシューズで行い、スリッパに履き替えずにそのまま廊下に上がるといったことを暫くの間続けた
。
だが、このことは当時は得意げに行ったが、自慢できることではなく、逆に哀しい姿をさらしたにすぎなかった。本来なら校長に直接抗議するか、同じ意見の生徒を募って、反対運動を展開するかすべきだったろう。その頃の私はそのような方法を知らなかったし、知っていたとしても、そうするだけの勇気はなかったろう。その点、正当な異議申立ての方法や言葉を持たなかった校内暴力生徒と同じ立場に立っていたと言える。
しかしあれから40年も経っていながら、現在の学校生徒が一般化するまでに正当な抗議の方法を身につけたと言えるだろうか。言葉を替えて言うなら、正当な抗議が慣習として学校社会に根づいている状況にあると言えるだろうか。それは学校・教師がそのような慣習の確立に意識的な働きかけを行ってきたかどうかにかかっている。教科書をなぞるだけを教育のすべてとし、批判や抗議をも含み、その訓練となる言葉の闘わせを排除していること自体、そういったことへの意識すら持っていなかったと断言できる。
成績を人間の価値基準とし、最優秀な可能性に限定していることも、そのような価値体系に生徒を「抑え」込むべく学校側が常日頃から出している「サイン」であるはずである。
それは戦争中の「お国のため」に代って、戦後の日本社会(=戦後の大人たち)が学歴を最優先価値に位置づけたことから起きているサインである。
学校教師は教育者の地位にありながら、テストの成績を人間的に最も優れた可能性と見なすことで生徒の人間的価値に上下つけ、成績不良の生徒をダメ人間、あるいは人間失格者とみなす烙印(らくいん)を押す。確か成績に従って、生徒を王様・貴族・平民・乞食といったふうに身分分けした教師もいた。
学歴信仰・学歴差別の圧力は戦後の日本社会に一般的風潮と化したものであるが、戦前の生徒の意識を「お国のために戦う」、あるいは「天皇陛下のために命を捧げる」方向に直接的に関わって駆り立てたのが何よりも学校教師であったように、現在の学歴獲得の戦場に生徒を扇動し、血みどろの戦いを強いている直接の関与者は親ではなく、何よりも学校教師であることに変りはない。
象徴的に譬えると、親は自分の子どもの偏差値に一喜一憂するが、偏差値を割り出し、それを駆使してより上の成績を求めて生徒の尻を叩いたり、受験校の選別・決定に主導権を発揮するのは学校教師以外の何者でもない。
戦前は「お国のため」、あるいは「軍国少年」であることから外れることは許されなかった。非国民、国賊、アカといった非難・排斥が社会的規制力として(と言えば聞こえはいいが、社会的強迫にまで高まって)機能していて、大人ばかりか、子どもまで縛りつけていたからである。
このことは戦後の日本社会においても、民主主義と基本的人権を高らかに謳っているにも関わらず、本質的には何ら変化はない。学校の成績=学歴を人間の価値を計る有力な尺度とし、そこから外れた場合は人間としての価値を認めない有形無形の圧力が働き、それぞれの生き方や生活までも左右するために、それは単なる社会的な規制を超えて、社会的強迫にまで高まっているのである。