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    第105弾   外交カードとなっている靖国神社参拝
                                                  upload.5.11.03.(木)          


 

カメの中国がウサギを抜いて、              お山の頂上にたどり着くのか。
      ウサギを追い越したカメが、               息切れして、心臓麻痺を起し、
       ウサギ共々、共倒れ                   するのか、
         いずれにしても、                            
          ウサギが                      自分だけお山の頂上に
                                     到達できる状況は失ってしまった。

 

   日の丸は溶けかかっている

 

 小泉首相の今回(05.10.17.午前10時)の靖国参拝を、中国の有人宇宙船・神舟6号の帰還に合わせたもので、中国人を侮辱するものだといった主張が中国内で見受けることができるようだが、果たして小泉首相が意図的にそうしたのだろうか。

 
韓国に対してもそうだが、中国に対する日本の外交は八方塞がりの状態にある。これは中韓の中止申し入れを頑固なまでに無視した小泉首相の靖国参拝が大きく影響している状況であることは、参拝が正しい・正しくないは別にして、誰もが認めなければならない事実だと思う。
 
 このことは意図してそう仕向けた構図ではなくても、結果として靖国問題が
外交カード化していることを示している。綱引きすべきは相互に抱えている外交問題であるはずなのに、肝心要の交渉すべき外交問題は背景に押しやられて、靖国問題が外交問題として目下の綱引きの対象となっているということである。

 つまり、日本の側から言えば、本人が意図していようがいまいが、小泉首相は参拝を強行することで、靖国問題という外交カードを切ったのである。意図してしたことではないと言うなら、靖国問題が中国・韓国に対抗する日本の外交カードとなって一人歩きしていることに政治家にあるまじく鈍感にも気づいていなかったに過ぎない。
 
 具体的に言うなら、中国が
東シナ海の海底油田開発・尖閣列島等で、韓国が竹島問題等で既成事実化に進もうとしているのに対して、日本は、相手側の主張を一切受入れていないという意味で靖国参拝の既成事実化をメインに対抗しているに過ぎない現状をつくり出しているということである。

 それを承知で切ったというなら、それがどれ程力を持った外交カードか、問わなければならない。
靖国参拝が中国と韓国の日本に関係する諸問題に対抗しうる外交カードとなり得るのだろうか。
 
 小泉首相が参拝正当化に憲法が保障する
「思想および信教の自由」を持ち出そうが持ち出すまいが、あるいは、「日本人の国民感情として亡くなるとすべて仏様になる」とか、「罪を憎んで人を憎まずは中国の孔子の言葉だ」A級戦犯を免罪しようがしまいが、「参拝は内政問題で、中韓の批判は内政干渉に当たる」、あるいは「心の問題に他人が干渉すべきじゃない。ましてや外国政府が戦没者に哀悼の誠をささげるのを『いけない』とか言う問題じゃない」とする主張が妥当性を持とうが持たまいが、自らの靖国参拝を正しいとするには、日本と中国・韓国の間に横たわる最優先に取り上げなければならない外交問題として双方の納得のいく形の解決を図って、初めて正当化し得るのではないだろうか。

 中韓との間が現状では政経分離で進んでいて経済的に実害が生じていいないことをいいことに、
戦没者追悼が日本民族の精神性に関わる象徴行為だとしても、自民族のみに関係した精神的な満足を得るに過ぎない参拝という既成事実で対抗してしようとするのは、私服で出かけ、一般参拝者と同じ拝殿で参拝して従来の玉串料ではなく、賽銭を投げる方式を選択することで姑息にも<私的>であることを印象づけようと腐心したのと同じく、如何にも度量が狭い。
 
 経済的な実害が生じていなくても、外交問題に有効な対抗策を見い出せていない原因に靖国参拝が関係しないはずはなく、靖国を含めたいわゆる
歴史認識が双方の間に横たわっている問題に対して中韓の態度を意固地にさせている部分が少なからず関与しているはずである。
 
 靖国参拝が中国と韓国に対抗しうる外交カードとなり得ているのかどうか見てみよう。
 
 中国・韓国がアジアに於いて相対的に地位を高めた結果として、日本と中韓の関係が他のアジアの国々に影響を与える
地政学的関係から、靖国問題は中韓のみに関係する外交問題ではなく、アジア全体を対象とした外交問題 となっているとも言える。

 実際は小泉首相は外交カードという意識はなくても、靖国参拝を中国に対抗させる心理的装置として強行したのではないだろうか。例え既成事実化を狙ったとしても、その延長上に反撥が伴うことは予想していただろうから、そのことを織り込み済みとして、中国に言いなりにならない日本の強い姿勢を示すことを目的としたのではないかということである。
 
 この予想が当たっているとしたら、靖国神社の秋の例大祭と有人宇宙船神舟6号の地球帰還の日が偶然にも重なったことだとしても、結果としては中国の技術に対して靖国参拝を通して対抗姿勢を持たせたことにならないだろうか。日本には
日本の伝統・文化・精神があるとばかりに。それらで神舟6号に対抗させた?――とするのは勘繰り過ぎだろうか。
 
 
有人宇宙船神舟6号に関する新聞の記事を要約すると、1人乗りで飛行時間が1日足らずの神舟5号と比較して、2年前という短いスピードで6号は2人乗りで飛行時間は5日間の飛躍的達成。07年に打ち上げ予定の神舟7号飛行士の船外活動(宇宙遊泳)を予定。8号以降は地球周回に残した軌道船にドッキングさせ、宇宙ステーションの建設につなげる計画という着実な進展を約束している。
 
 そして、2020年までに有人宇宙船による
月面着陸を目指すそうだ。その宇宙船の名前まで既に決めている。「嫦娥」(「じょうが」)という名前で、調べてみたら、「中国の古代伝説上の人物。夫のケイが西王母(せいおうぼ=中国の伝説上の女神)から貰い受けた不死の薬を盗み、月に逃げ込み蟇に変ったと伝えられる女」『大辞林』(三省堂)だそうだ。元々は美しい女性がちょっぴりと不気味だが、他の蛙にはない蟇のような確かな存在感を持って月に張りつくという力強さをイメージしたのだろうか。そのことは中国自身の力強さを象徴させたものだろう。

 そればかりか、アポロ計画が日本人などの外国人飛行士を受入れているように、「アジア地域での協力の枠組みを今秋にも立ち上げ、衛星の利用や技術者の教育を進めようとしている。これまでの実績を追い風に、宇宙開発でもリードしようとの狙いだそうだ」(05.10.19.『朝日』社説)とのこと。

 アジア地域でこういった計画や政策をリードしてきたのは日本であり、日本が重要な地位を占めていた役割に日本が持たない、
国威発揚を伴う優越的な技術で中国が割り込んでくる。その影響力・存在性は決して小さなものではなく、単にごく安価な労働力を提供する世界の工場だけでは終わらない大きな政治的未来性を予感させる中国を映し出していると言える。

 靖国参拝がこういった状況に対抗し得る
強力な武器・強力なカミカゼになり得るのだろうか。

 日本は
アジアの盟主と言われ、アジアを主導してきた。現在は中国が存在感を増し、増した分、日本の盟主としての影が薄くなったと言われている。
 
 日本がアジアの盟主としての地位を維持できたのは、技術力とカネの力があったからに他ならない。だが、アジアの多くの国が経済力をつけてきて、技術力はまだしも、日本のカネを必要としなくなっている状況へと進んでいる。
韓国日本の円借款を90年に卒業済みで、半導体事業では日本の企業を追い抜いて総合的に世界2位の位置につけている。

 
マレーシアに対しては98年から大きな供与がないという。中国に対しては日本は08年から新規貸入れ停止を予定している。3年後以降、中国は経済が順調に推移するという条件付きながら、日本との関係でより自由な立場に立つことを意味する。
 
 
タイは中国に次ぎ、5番目に大きな貸付先で、日本からの援助はタイの発展に大きく寄与したそうだが、新たな円借款は2年近く途絶えているとのこと。それだけでも日本の地位が相対的に低下傾向を示しているのに、タイはカンボジアやラオスといったアジアの低所得国への ODA(途上国援助)を増やしていて、自国の地位を相対的に上げている。

 
中国はカンボジア・ラオス等に無償援助無利子借款等を行い、中国企業の商機と政治的影響力を格段に広げているという。日本では無償援助は人道的分野が中心で、政府庁舎や競技場建設は対象としない制限を設けているそうだが、その方面の無償援助要請を日本が断ったり、難色を示せば、制限を設けていない中国、タイに打診するという相対的力関係に日本は置かれるようになっている。アジアに於ける優位的関係がもはや絶対ではなくなったと言うことであろう。

 日本のこのような
相対的地位の低下・日本の存在感の低下は、中国や韓国、および東南アジア各国の経済的 能力の増加に比例して、日本のカネを必要としなくなったというカネの関係だけではなく、「以前の日本は東南アジアのボスみたいな態度だったが、最近は腰が低くなり、対等に近い関係になった。タイの発展の成果だ」(タイのナロンチャイ元商務相・「<円借款離れ、中国台頭>05.8,5.『朝日』朝刊)との談話が象徴する経済力をバックとした傲慢な態度や日本の ODAが日本企業の商機と権益確保にも無視できない利益を与えてきたことへの忍耐に対する反動も一枚加わった従来的な力関係の忌避という側面も抱えているのではないだろうか。

 
中国は、日本が経済的な「東南アジアのボス」として君臨し続けてきたASEAN(タイ・マレーシア・フィリッピン・インドネシア・シンガポール・ブルネイ・ベトナム・ラオス・カンボジア・ミャンマー)に対しても、自らの政治的・経済的地歩を優位に導き出すべく、自国の農産物市場の開放という自らの痛みを優先的に引受けて、2001年に10年以内のFTA(2国間自由貿易協定)締結を合意させ、03年にはFTA交渉とは別にタイとの間で農産物の相互市場開放を果たしている。

 これに対して日本は02年の
対シンガポールFTA締結を皮切りに、メキシコ、フィリッピン、マレーシア、タイと締結しているが、 最初の締結国のシンガポールが農業規模が小さくその貿易量も少ない非農産国であるにも関わらず、他国との交渉への影響を考えてか輸入農産物の関税を撤廃せずに済ませた締結内容が象徴しているように、農業分野の市場開放に消極的で国内農業保護一辺倒の痛みは引受けない姿勢が与える対外影響力が中国の姿勢とどちらに有利に働くかは明確であろう。
 
 農業国でもあるタイとの締結交渉でも、日本は最初からコメを自由化の対象から外して交渉に臨んでいる。韓国とは03年に交渉を開始しているが、日本が示した農業分野での開放度が不十分と反撥して交渉が中断しているというから、靖国参拝問題も影響しているだろうが、
日本市場の閉鎖性から受ける各国が持つ日本の存在感が中国と比較してどう受止められるかは予想がつくばかりか、貿易を通した政治面での関係でも、歴史認識や靖国問題といった障害物がないだけに、国益的に日本が中国の下位に位置づけられる可能性は大である。アジアの中心が日本から中国にシフトされる光景を伴う可能性であるのは言うまでもない。

 
中国が着々とアジアで政治的・経済的地歩を築きつつあるのに対して、FTA締結でも内容的に中国に後れを取っている日本が、意図した風景ではなくても、靖国参拝で中国に言いなりにならない日本を演出している――。

 
アジアの盟主たる地位を日本に取って代わって獲得するかも知れない中国に対抗する装置として、靖国参拝が唯一日本に残された外交カードとならないことを祈るだけである。

 
戦略なき日本の外交という言葉をよく聞く。FTA交渉でも、最初に国内農業保護ありきの硬直した戦術では一貫しているが、中国との力関係まで視野に入れた戦略がないとの批判がある。となると、靖国参拝が唯一日本に残された外交カードとなる可能性はなきにしもあらずではないだろうか。そのような光景は淋しい限りである。
  
 日本は一国で成り立っていないことを自覚すべきだろう。戦後日本の技術力もカネも、主としてアメリカとの関係でつくり出されたもので、決して日本一国で成さしめた事柄ではない。他国との関係で、自らの国家像が形成されることを肝に銘ずべきである。

 
「日本国民が多様な文化を受容して高い独自の文化を形成した」とか「国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできた」(自民党が改正憲法で盛り込もうとしているテーマ)といった、日本の歴史・伝統・文化を誇る自国中心の優越意識のみで成り立たせる国家像はグローバル化の今日、時代錯誤の国家像でしかないだろう。
 
 仮に
アジアの盟主を日本に取って代わった中国が、今までの日本のように権威主義を働かせて、自国を常に上に位置づけ、他のアジア各国を下に見る優越民族意識を働かすようになったなら、日本と同じ栄枯盛衰の運命を辿るのではないだろうか。