教育を語る ひとりひとりが 政治を・社会を語る そんな世の中になろう
スマトラ沖巨大地震を発生源としたインド洋津波死者は既に15万人を超えた。近年の世界規模で繰返される大規模な異常気象と世界各地で頻発する巨大地震に引き続いての、止どめを刺すかのような今回の広範囲な被災国と被災地域、膨大な被災死者数が見せつけた全体の悲惨さ・凄惨さから判断するに、地球の将来を予測する決定的前触れであるように思えてならない。
確実に地球は混乱期に入っている。日本人の多くが今スマトラに目を注いでいるが、同時に発生したばかりの中越地震がまだ記憶に生々しいだけに、鋭く日本の次なる地震の可能性にも向けられているはずである。最悪のシナリオの一つとして、東海地震と南海地震が同時に発生する、決して頭から否定できない予測と恐れ。過密巨大都市東京に関東大震災クラスの地震が襲いかかる可能性──等々。
日本のすべてにわって中心を成す首都東京が壊滅したなら、我が国の政治・経済・金融はどうなるだろうか。敗戦後の衰退した日本の姿をも想定しておかなければならないだろう。最悪そうなった場合、現在でも財政赤字にある日本は復興のために世界各国から資金援助を受けることになる可能性も否定できない。
今回のスマトラ沖地震の場合、当初日本は総額3000万ドル(31億円)の援助を表明した。その金額はその段階では国際的に最も大きな支援規模だった。しかし被害の規模がはっきりとするにつれ、日本政府は当面5億ドル(約515億円)を限度に関係国や国際機関に無償で供与する方針を発表している。但し、ドイツが5億ユーロ(約700億円)の支援を表明して、日本を抜いている。アメリカも1500万ドルから3億5千万ドルに増額した。
今後とも支援額は増加の一途を辿るに違いない。
尤も、被害に直接遭遇している外国人は行方不明者だけを見ても、日本人が100人以上、アメリカ人が5000人以上、ドイツ人が1000人以上であって、援助額はある程度その割合に比例して然るべきだという見方をしたなら、ドイツの5億ユーロは日本と比較して多すぎるということはない。一人日本の額だけが相当突出していることになる。
そんなにも気前のいい日本が、逆に援助を受ける立場となったなら、何という皮肉な攻守逆転となるだろうか。決してあり得ないシナリオではない。
自力回復は不可能ではないと主張する人間は大勢いるだろう。但し国の借金が700兆を超え、特殊法人と地方の借金を含めれば1000兆円を超える。そこへきて東京が巨大地震で直撃された場合、現在8000億ドル(約88兆円)にも及ぶ日本の外貨準備があったとしても、その殆どを米国債で運用しているため、円に変えた場合、アメリカ経済に変調を与え、それがただでさえ地震で打撃を受けた日本経済に二重三重に悪影響を与えないとも限らない。また、国民の金融資産が1400兆円あるからそれを運用すればいいと言っても、それに手をつける場合、
手をつけようとしただけで国民は誰もが預金を全額降ろしてタンス預金に走るだろうから、それを防ぐためにアルゼンチンみたいに預金封鎖することになる。例えてみるなら、隣家にこっそり押し入って、預金通帳と印鑑を盗み出して全額引き出し、それを別の金融機関に預けて隣家の人間が手をつけることができないようにしてから、必要なときに必要なだけ降ろして使うようなものである。
混乱が、それも大≠ニ形容しなければならない混乱が巻き起こるだろう。あるいは消費税を大幅且つ早急に値上げするか、預金そのものに税金をかける金融資産課税を施すといった方法もあ
り得るということである。
あらゆる手を複合的に打つだろうが、すべて国民の生活を犠牲にするものである。そのような犠牲が先程述べたように、戦争直後の日本に国民の生活を引き戻さない保証はない。その当時日本はアメリカから様々な援助を受けた。地震等の災害で援助を受けなくても、結果的に外国から援助を受ける可能性は否定できない。日本の戦後経済の復興はアメリカの援助に加えて、朝鮮戦争特需という無視できない多大な恩恵によってもたらされ、ベトナム戦争特需で加速させたたものであり、その殆どが自力的なものではなく、他力性の強いものであったことを忘れてはならない。
いわば単独更生にしても、外からの何らかの恩恵がなければ難しい。スマトラ沖地震と津波で被害を受けた現在のインドネシアやタイなどに於ける災害援助がそれに当たる。
いずれにしても最悪の結末を想定して、今から心の備え・国の備えをしていた方がよさそうだ。それが危機管理というものだろう。そのように考えてもいい近年の地球状況であり、日本状況である。
何事も、最終的にはカネがモノをいう。それが外部からの援助であっても、内部的な遣り繰りであっても、カネの力を借りないことには、人道支援も復興支援も前には進まない。例え悲しいことであっても、それが現実である。地震発生当初国連事務次長は、各国の支援は不十分だと発言したそうだが、カネがモノをいう事実を証明して余りある発言であろう。
各国政府の途上国援助を国民総所得(GNI)の0.7%以上に引き上げることを80年に国連決議したことに比較して、GNIの0.1%から0.2%にとどまっている現実に対する不満が、「不十分でケチな数字だ」といった発言につながったそうだ。
その事務次長が見通しとして表明した、今回被災した国々への緊急支援のために国連が加盟国に拠出要請した支援金額はイラク戦争後の16億ドル(1760億円)を上回り、史上最高となるということである。かくも手当てにカネのかかる人道
の回復と災害の復興なのである。
アメリカ政府が最初に表明した支援金額は日本よりも少ない、半額の1500万ドルであった。事務次長の不満は暗にアメリカの支援の少なさに向けられた批判だとの指摘が報道に見え
た。
だが、国連は批判する資格はない。フセイン時代、国連の人道援助活動「石油と食糧の交換計画」に関わって、国連幹部が旧政権からワイロを受取ったりする不正を働いている。そのような体質から類推するに、発足から60年近くになんなんとしている国連に官僚主義がはびこり、公金の私的流用や職権濫用による無駄遣いとか職務怠慢が無視できない非効率・非能率の不利益を作り出して、各国の支援金額ないしは努力に見合う成果を生産し得ていない可能性は否定できないからである。
日本の警察や官庁に見る裏金作りや公金を使った贅沢暮らしといった組織内特権化の乞食行為・乞食犯罪に加えて、それらによって醸成される職務怠慢・職業的惰性が国連に於いても演じられている可能性である。
全国的に見ることのできる乞食行為・乞食犯罪ののさばりからの役目に関わる機能不全の誘発・蔓延が、金額に換算した場合にどれ程の非効率的・非能率的損失・損害を直接的・間接的に生み出しているだろうかを考えるとき、「石油と食糧の交換計画」に於ける不正額が当初は100億ドル相当と見られていたが、米議会筋が213億ドルに及ぶとしている膨大な私腹金額を生み出した乞食行為体質、あるいは乞食犯罪体質を、「石油と食糧の交換計画」にのみ発揮された乞食行為・乞食犯罪であると特化することは困難である。
このことに加えて、2002年3月の新聞に国連難民高等弁務官事務所の職員やNGO(非政府組織)のメンバーがアフリカ難民の少女らに援助食糧と交換に性的関係を迫っていたと報じていた疑惑から判断しても、その多くは現地職員だったと言うが、上が下に影響して下は上を真似る人間の姿からも、国連という組織全体に亘る全般性としてあることの有力な傍証の一つとなり得る乞食行為・乞食犯罪ではないだろうか。
約40団体、67人の名前が強姦の加害者として名前が挙がったというから驚きであるが、それだけの数の人間がただ単に援助食糧を配るに過ぎない自らの役目を権力に変え、難民少女らが弱い立場にあることを悪用して、時代劇の悪徳豪商よろしく無理難題の乞食行為・乞食犯罪を働いたのである。
213億ドルもの不正とは、今回の地震・津波災害に米政府が当初表明し、国連事務次長が不満を示した1500万ドルどころか、のちに増額した3億5千万ドルをはるかに上回り、日本、ドイツの支援額をも上回る金額である。国連は各国の支援額リストのトップに、国連がつくり出した死に金として、213億ドルの金額を記入しておくべきだろう。
救済と復興にかくもカネのかかる大規模災害がこれが最後だと保証不可能であることと連動して、各国に対する支援要請もこれが最後だと保証不可能である地球受難時代に人類のすべてが位置しているのである。国連は加盟国からの拠出からなる運営資金を、例え一部を人件費に用立てる場合であっても、厳正であることから外れて、官僚的乞食行為・乞食犯罪等への流用によって、いささかでも無効としてはならない活用性を率先して確立しなければならない義務を負う立場にあることを先ず認識すべきである。
それは日本に於いても同じことが言える。NHKが特権階級化した職権の乱用で不正を働いた職員を出しておきながら、他にもムダがあるはずで、そのムダを放置しておいて、中越地震、そして今回のスマトラ沖地震とインド洋津波被害の復興に募金を求めるのはいささか滑稽である。
それと同様に日本の多くの警察、外務省や大蔵省、社会保険庁、その他たくさんの官庁・役所の役得まがいに私腹する、あるいは飲み・食い・買うの個人的欲望の充足に流用する乞食行為・乞食犯罪を一方で野放しにしておいて税金を空費しておきながら、災害復興に国民の税金を使って、日本はこれだけ出しましたと、その活用を自慢するのは倒錯的に過ぎる。
国内の災害復興に於いても、復興への活用と乞食行為・乞食犯罪による不活用(全国規模で厳密に洗い出だしたなら、どれくらいの金額になるだろうか)の多い方から少ない方を差引き計算して導き出せる有効性・無効性を無視した支援は(もしかしたら無効性の方が上回るのではないだろうか)、それが被災国にとって十分な金額であったとしても、自国民に対しては政治家・官僚の乞食行為・乞食犯罪に見る税金誤魔化しを上回る誤魔化しを働くことを意味する。
もはや飲んで・歌って・踊ってのバブルの時代は遠くに過ぎ去った。いつどんな大規模な災害が突発して、緊急に財政の出動が迫られるか予測しがたい時代に入った。うかうかしてはいられない。税金という国のカネを公私の区別なしに締りなく取扱い、締りなく惰性の勤務状態を続けていたなら、日本が他国から支援を受けても受けなくても、現在でも満足に機能していない行政が半身不随状態に陥り、国自体が政治的・経済的に沈んでしまうこともあり得る。
どんな災害に襲われても、逞しく復興し得るか否かは、国民の財産である税金の有効活用の習慣・制度を確固不動のものとし、場合としてはあり得る外国からの支援にも生かされて力とすることのできる職務上の機動性の発揮如何にかかってくる。このことは北朝鮮に於ける外国からの人道支援・経済支援に見ることのできる成果を反面教師としなければならない、逆説的可能性でもある。
となれば、日本に決定的な大規模災害が襲う前に政治家・官僚の乞食行為・乞食犯罪の根絶こそが緊急不可欠の課題ととなってくる。