「市民ひとりひとり」   教育を語る ひとりひとり 政治を社会語る そんな世の中になろう              

        第93弾   電車の遅れが招いた大事故
                                                  upload.5.08.27.()          


 

       

 

 

 

 

            

 

■ 公害の系譜から見る自民党政治の体質

 HKテレビのニュースで教えられたことだが、アスベストの危険性は昭和47年(1972)にWHO(世界保険機構)によって報告されていたという。翌昭和48年(1973)、旧環境庁はイギリスでアスベスト工場の労働者や周辺住民に中皮種による死亡者が出ているという研究報告を入手していた。

  30年も前の昭和50年(1975)には、旧労働省が建設現場でのアスベスト吹きつけ作業を原則として禁止したが、その2年前の、周辺住民に中皮種による死亡者が出ているというイギリスの報告例を旧環境庁が入手していたにも関わらず、その情報が知らされていなかったのか、工場などの周辺の環境を守ることの規制は全く行われなかった。

  昭和50年(1975)、アメリカでは作業現場だけではなく、一般環境でのアスベストの排出量の規制に乗り出していた。続けて4年後の昭和54年(1979)に米環境保護庁は学校で使われているアスベストの除去を求めた。

  メリカ社会の常識では4年後という時間経過が遅すぎるのかどうか知らないが、少なくとも日本に於いては10年20年が当たり前だから、日本の常識から判断したなら、そのことに反した早過ぎる反応と言うことができるのではないだろうか。

  うしたアメリカの動きについても日本の旧環境庁は情報を入手していたが、多分、これは俺たちが入手した情報だ、他の人間には教えるものかと後生大事に秘密にして抱え込んでいたのだろう、旧文部省には伝えられず、学校での対策が遅れたという。

  メリカの対応に8年も遅れて、昭和62年(1987)になって、アメリカの後追いの慣例に従って――このことは常習犯化しているのだが――、旧文部省は学校で使われているアスベストの除去を指示する。だが、この指示は徹底されず、現在も一部の学校でアスベストは残されたままとなっていることは新聞・テレビが報じている。

  然被害の主たる対象は学校の小学生・中学生、あるいは高校生である。健康に影響するまでいっていなくても、吹き付けられたアスベストが時間の経過と共に材質が劣弱化して飛散しやすくなる状況を考慮すると、肺に何らかの悪影響を与えている可能性は頭から否定できまい。

  のことは単にマスコミが伝えているままに、悪性の慢性便秘状態の人間が体内に排泄物を後生大事に抱え込むように情報を自分のテリトリーから出し惜しみする省庁の縦割り行政の弊害で片づけていい問題なのだろうか。政治家・官僚は何かあるごとに、子供は国にとって貴重な存在だという意味を込めて、「子供は宝」とか、「日本の将来を担う子供たちは国の財産」だといったことを言うが、そのような言葉を平気で裏切って、粗末な存在としての扱いしかしていないことの証明としてある、糾弾されて然るべき不作為・怠慢の完成図の一つではないだろうか。

  も関わらず、子供が貴重な存在であるのは誰もが認める事実であろう。子供にバカにならない国の予算を注ぎ込んで教育を施すのもそのためである。だが、それは子供をそれぞれに一個の侵すべからざる存在者であると認めて、そのことへの尊重と言うよりも、将来の日本が経済的・技術的に国際的地位を低下させないために、いわば将来に亘る国家存在の保険・国際的地位維持の保険として子供たちに教育を施すことを主たる目的とした政策からの優遇であって、だからこそできた指示の不徹底・情報伝達の滞留なのではないだろうか。

  校の成績とか学力は国の将来に絡ませて重要度を置いているが、子供たちが時々刻々と生きうごめく存在であることに関しては、そこに国の将来を描く思想を持てていないと言うことだろう。いわば労働力とか才能の面からしか把握していない。それらを如何に優秀な労働力に育て、優秀な才能に変身させるかにのみ関心を持っている。

  校のいじめについても同じことが言えるのではないだろうか。いじめが授業崩壊や学校崩壊に発展して――いわば一種の公害化して、その延長上に全体的な学習能力の低下に影響しないわけはない教育荒廃を招いた場合の将来的な国の知力の衰えを危惧して、いじめ防止には手を打つが、その子供なりの喜怒哀楽の感情を備えた状態で保障されて然るべき命の躍動性がいじめによって伸びやかに発揮されるのを妨げて歪められる経緯や、自殺に追い込まれることで命のすべてを失う有様に示されて然るべき怒りは学校教育者からも政治家からも示されたことがあるだろうか。

  校の対応で示されるのはいつも決まって、「いじめではない」、「いじめとは認識していない」、「いじめと自殺との因果関係はない」といった責任逃れの言葉だけである。あるいは、事実は何らかの因果関係を構造としているにも 関わらず、それを検証する事実との向き合いを避けて、頭から「あってはならないことが起こった」と、例外として扱う現実逃避に走る。

  して行政の対応も、学校と気脈を通じ合わせたように否定から入る。多分、責任を問われる場所から遠く位置したい願望がなさしめる、相互性としてある抹消意識なのだろう。

  のような構図は公害の初期的な対策にも見られる。公害隠し・原因説否定・企業への肩入れ、あるいは企業免罪は学校に於ける事実隠し・責任否定・教育無罪の常習的衝動に対応した、同じく常習的な責任帰属意識の希薄性だろう。

   して最終的には肯定せざるを得ない場所に追い詰められて仕方なく追認する図式も、ごくごく近親的に共通した傾向性としてある。その点に関する生理的な基礎を同じくしていると言うことである。

  治家・官僚と学校教育者が責任逃れの感覚や無責任性に関して生理的基礎を同じくし合っているということは、それらが一部の職業に携わる人間の問題ではなく、広く日本人全体の問題として把えなけばならないことを示してもいる。責任意識なき日本人という評価が決して故なき事柄ではないことが分かる。実際問題としても、雁首を並べて深々と下げるだけで済ませて責任を取らない日本人たちの光景を何度と見せられたことか。

  じめとは、他人によって支配されてはならない自分自身の喜怒哀楽の感情及び自己自身の意志が他人によって支配され、抑圧されて、それぞれの命の躍動性を歪められ、失うことを言うはずである。そのような状況に立たされた子供のやりきれなさ・怒り・惨めさ、あるいは情けなさを、少なくとも教師は、それが例えよその学校の教師であっても、それがどれ程のものか思いやり、共有すべきだろう。思いやることも、共有もできないところに、子供の命への理解に限界を見る。

  るべき命の躍動性が損なわれることへの怒りを共有できない教師・校長が「命の尊さ」を説く。それも自殺が起こってから決まり切って行われる光景なのだから、自殺後の定例行事として決め定めたものとして存在するのだろう。最近では犯罪に巻き込まれたりして生徒が命を落とした場合などに、生徒同士の殺人事件のこともあるが、待ってましたとばかりにステレオタイプとなっている「命の尊さ」表明の演出が繰り広げられる。

  府がアスベストの全面使用禁止を決めたのは平成17年7月――つまり少なくとも30年は経過した後の先月になってからである。後手後手に回った挙げ句に、死者何人・患者何人といった悲惨な報告が出てから、報告を後追いする形でしか全面使用禁止を決定させることができなかったそのような経過のどこを見ても、政治家や官僚の自分たち自身に向けて然るべき怒りを毛程も感じることができない。尤もいつものことであり、何度も繰返される見慣れたお馴染みの光景でしかない。

  辻厚労相の記者会見がまたいい。

  過去を遡ると、どうしても省の縦割りの中で隙間をつくったのではないかと思われることもあるのですから、その辺の連携が十分であったかなあということはどうしても改めて検証して見なきゃならないという、そうしてみて、反省しなければならないところもありますね」

  反省」するだけで済ますのかよと言いたいテレビで見たその様子は、まるで他人事を話す雰囲気であった。なぜなのか理解に苦しむが、半ば口元に笑みを見せ、終始アッケカランとした表情だった。いつもの全面否定でなく、検証する姿勢を見せているのだから、歓迎されて然るべきと思っていたのだろうか。これが日本の政治家のセンスかと思うと、暗澹とさせられる。

  庁の対策不備とそのことが原因しているはずの被害防止と被害者対策の遅れ、さらに中皮種癌で現在進行形で苦しんでいる数多くの患者の存在や健康に不安を抱えた周辺住民を考えると、自分が直接関係していなかったとしても、省庁と協働関係にある政権党に同じく所属していることから、少なくとも道義的責任は分かち合わなければならない政治的問題である以上、俺には関係ないでは済まされるはずはなく、怒りとまでいかなくても、せめて自己を含めた行政全体を責める姿勢――少なくともこんなことになって情けないといった意思表示ぐらいは示してもバチは当たらいのではないだろうか。

  スベストが原因となった死者や患者に対する、その心の中まで向ける視線が欠如しているからこそ、怒りも責める気持もさらさらに起こらないのだろう。尾辻の言う「反省」が前例・前科からしてホンモノの「反省」とならない疑いが濃厚なのに、今現在、最悪の体調不良に悩み、死の不安を抱えている患者にどれ程のクスリとなるのだろうか。

  れぞれに一個の人間として生きうごめいている命持った存在であると認識する感性の代りに、労働力や票としか見ない即物性(物質的なものや金銭・利害などを重視する性質)に関しては十分過ぎる程に豊かに恵まれている日本の政治家・官僚なのである。

  レビで取材記者が言っていた。

  アメリカでは危険が完全に証明されなくても、国が動いた。ところが当時の日本の行政に関して言うと、危険が完全に証明されないと規制に至る、規制するという風潮はなかった」

 危険が証明されなくても、国が動く」アメリカと、そうでない日本――ここに国家が危機管理の思想なるものを実際に体現し、血肉としているか否かが象徴的に現れている。

  険は存在しなかったと証明されたなら、それは国民の生命・財産の保護にとっては幸いなことだと喜ぶべきである。しかし証明されなくても、実際に危険が存在したなら、危険は拡大を止めない。拡大することを待ってはくれない。拡大とは、国民の生命・財産に対する阻害の拡大・悪化を意味するのは言うまでもない。

  険拡大阻止を優先して早めの規制を行ったが、後に危険が存在しないと証明されて、規制によって企業が多大な打撃を受け、産業自体に悪影響を及ぼすと言うことのあるだろう。

  業の利益か、国民の生命・財産か、どちらを優先するかである。いじめの場合は現在の子供の命よりも、明らかに国家の将来を優先させている。少子化対策も、出産によって女性がそれまで維持していた社会的躍動性を失わないための周辺的な環境整備以上に、労働力不足が国力を削ぐこととなる、あるいは国民の務めとしての世代間の交互的な負担の減少が財政負担をきたす要因となりかねない国の将来により多くの目を向けたものだろう。前者を疎かにしてきたから、後者の憂いが生じたのである。

  機管理の基本が国民の生命・財産を守ることなら、優先順位は明白である。一度損なわれた生命・財産は回復困難、もしくは不可能であるが、企業の損失は個人の生命・財産以上に救済可能である。

  し危険が証明されたなら、汚染者負担の原則を厳しく課し、少なくとも原因企業の責任を曖昧にする形での公的資金を注入した金融支援は行うべきではない。原因企業のすべての資産を処分させて、被害者への補償に当てるべきだろう。例え多くの失業者が発生したとしても、政府がなすべきことは失業者に対する最優先とした再就職支援だろう。

  ッソ水俣病では、国の責任を認めない方法として、経営危機に陥ったチッソの救済に熊本県が県債を発行する金融支援を行った。以下、『現代用語の基礎知識』(自由国民社)から、【チッソ金融支援】の項目を見てみる。「2000年版」で少々古い資料であることをお断りしておく。

  ――水俣病患者に対する補償金に不況が重なり、経営危機に陥ったチッソに1978(昭和53)年から熊本県は県債を発行して金融支援を行ってきた。当初3年間の期限付きだったが、チッソの経営が好転しないため、延々と更新されて、貸付額は1440億円に達した。2045(平成57)年までの返済計画だが、1998(平成10)年度のチッソの経常利益40億円に対して、2001(平成13)年には年間90億円もの返済となると、かなりの無理がある。

  熊本県もこれ以上の支援は限界としたたため、1999(平成11)年6月、政府は新たにチッソ支援を決めた。その内容は県債の発行を2000(平成12)年6月を以て打ち切り、公的債務の一部を国が一般会計などから肩代わりするというもの。さらに水俣病政治決着時に国が助成した270億円を返済免除するとしているため、国の拠出額は1500億円にも上る。しかし、この金融支援が始まった時点に、水俣病認定基準が厳しいものに切り替えられていたことも忘れはならない。患者・支援者側からは『認定患者減らし』と糾弾されたわけだが、国の認定基準を変更してまで補償金総額の減額を目論んだわけだ。国としての責任を認めたくないために『県債方式』で熊本県に押しつけてきたわけだが、ここにきてそれも破綻したと言うことになる。

  銀行救済に公的資金を何兆円も出しているのだから構わないだろうという声もあるが、公害の原因企業に国民の税金を注ぎ込み、返済は50―100年先になることを国民に納得させる必要があるし、汚染者負担の原則(PPP)を損なうものであることを忘れてはならない」

  ッソに対する金融支援の当初の構図は、中国や韓国その他の国の従軍慰安婦に対して、国の責任に連動させないために民間基金を原資とし、見舞金の形を取った1995年の「アジア平和国民基金」(アジア女性基金)と相互に対応しあうものだろう。

  害に関しても、いじめでも、少子化対策でも、常にあるのは一人一人の命の躍動性よりも、国の経済的な将来なのである。一人一人の命を重視して、その上に国の将来を形づくる思想ではない。

  し社会の利益循環はトリクルダウンを構造として成り立っている。企業が利益を上げて景気を形づくり、それが社会の下層に向かって、上の段階により多く配分しながら順次下の段階に先細りする形で流れ落ちていく利益配分を骨組みとしている。ときには最下層に雀の涙程度しか届かない場合もあるし、全然届かないこともある。非情だが、矛盾そのもののこのような構造自体が厳然としてある社会のルールとなっている。

  のような社会の矛盾に立った思想を背景としているからこその日本の政治家・官僚の企業利益優先なのは分かるが、それが一般生活者の生命・財産を阻害してまで、あるいは公害の事実を隠蔽・否定してまで成り立たせている企業利益優先であることが問題なのである。

 俣病に於ける当初の原因究明の不徹底然り、イタイイタイ病の同じく当初のカドミウム原因説の否定、あるいは風土病や栄養失調への原因転嫁の誤魔化し然り、結果的にエイズを拡大させることとなった加熱製剤承認の遅滞と利益率の高い非加熱製剤の使用禁止決定の引き延ばしによる企業利益擁護然り、そして今回のアスベスト公害である。

  初は犯行をしぶとく否認していたとしても、いくつも物的証拠を見せつけられて、それが仕方なしにであったとしても、一旦犯罪事実を認めたなら、その犯罪者はそれ相応の刑罰で迎えられることになるが、そのことに反して、行政は科学的な根拠を突きつけられて、最終的にはその事実を認めたとしても、それでもなお個人補償を抑えてまでも、あの手この手を使った企業利益優先に走る。

  05.8.27.土曜日の朝日新聞朝刊は『時時刻刻』で、「アスベスト対策検証」と題して次のように伝えている。

  ――「同省(環境省) OBへの聞き取り調査で、こんな話も出てきた。89年工場外への石綿の飛散を防ごうと基準を決めた大気汚染防止法改正の際、旧通産省の幹部から『これまでの濃度測定では、工場外では基準以下だった。そもそも何で規制が必要なんだ』『石綿製造工場は中小企業が多い。産業保護の観点からも問題がある』と反対された。

  旧労働省からも、『工場内は当省で規制しているから外へは出ていないはずだ。なぜ屋上屋を架す規制をお考えなのか。御説明願いたい』と、やんわりと牽制された」――

  業擁護以外の事実は、官僚たちの言っていることと違っていた。縦割り行政というよりも、国民の生命・財産に向ける視線を持たず、事実を曲げてまで、あるいは事実を検証する姿勢を頭から見せずに、社会の矛盾の上に立っていただけのことである。縦割り行政とは、単に各省庁の省益・庁益を他省庁に渡すまいと守る縄張りに制約された作用性に過ぎない。

  体が縦割り行政の弊害が言われ出したのはいつ頃のことなのだろう。遙か昔のことではないだろうか。それが今以て言われる。

  みに、「工場外への石綿の飛散を防ごうと基準を決めた大気汚染防止法改正」「89年」に関して言えば、小泉純一郎は竹下内閣の元で昭和63年(1988)12月から平成元年(1989)6月まで、引き続いて宇野内閣の元で平成元年(1989)6月から、同年の8月まで厚生大臣を務めている。任期中ならなおさら、そうではなくても、任期の前後に於いても石綿に関する動きに敏感でなければならなかったはずだから、政権党の政治家として、蚊帳の外に置かれていたでは済まないだろう。アスベスト対策のミスリードに少なからずどころではない責任を負っていたと言うことである。

  スベスト問題に限らず、公害対策不備の多くが政治家・官僚の視点が国民ではなく、企業に向けられていることの象徴としてある、矛盾を矛盾としたままの彼らの怠慢・不作為、あるいは鈍感さによってもたらされた歪んだ風景としてあるものだろう。

  産高校校の実習船えひめ丸の沈没時に高校生の安否の確認よりもゴルフ続行を優先させた当時の偉大な森首相の行為は、国民に視点を向けることのない日本の政治家として当然の態度だったとも言える。

  では国民の皆さんのためと言うが、実際には国民への視線を持たない官僚を背景とした自民党政治の体質と水俣病・イタイイタイ病・エイズ・アスベスといった公害の系譜とが重なっているのは、自民党政治の体質がそっくりそのまま反映してつくられた歴史を担っているからだろう。

  05年8月30日の第44回衆議院選挙公示日に小泉首相が街頭演説で、小泉式郵政民営化がすべての国民の利益に適うかのような口ぶりで、「政治家は国会議員として当選したなら、すべての国民の利益を代表する政党・政治家にならなければならない」と枯らした声で訴えていたが、それが真っ赤なウソぱちなのは、公害の歴史をざっと俯瞰しただけで証明することができる。

  もそもからして自民党の歴史は企業優先の歴史なのである。国民の利益は企業優先の遙か背景に常に置いていた。その手の構図で成り立っていた政党なのである。永田町自民地区だけではなく、省庁の隅々にまで根を張って体質化した方程式が簡単に変るわけがない。

  害ではないが、ハンセン病対策の不備・遅れが官僚・政治家がもたらした障害だったと考えると、患者にとっては<公害>に相当する屈辱多き隔離・差別ではなかったろうか。

  治家・官僚が自分たちの政策の不手際に自らを責める怒りを示さなければ、国民が彼らに代って示すべきである。最も効果ある怒りは政権交代の懲罰であることは言うまでもない。

  例え時間がかかったとしても、そのこと が政治家・官僚を変えていく道のりではないだろうか。政治家・官僚の怠慢・不誠実を変えていく。トリクルダウンの矛盾を少しでもなくしていくためにも。

  後に再び『現代用語の基礎知識』から、【水俣病】の項目を記載してみる。公害問題が自民党体質を映した構造にあることの紛れもない証拠なのがよくお分かりになるだろう。時 間の経過が理解できるように、年表示の箇所で改行の手を加えた。

  ――「熊本県水俣湾周辺で発生した有機水銀中毒症。水俣湾で捕れた魚介類を食べた人が神経を冒され、四肢麻痺や言語障害が起こり、目や耳などの機能も失われる。

  1956(昭和31)年、熊本大学医学部は、原因は水俣市にある新日本窒素(現在名=チッソ)水俣工場の排水中に含まれる有機水銀が魚介類を介して人体に入り、中毒を起したものと結論したが、政府に設けられた水俣病事件関係省庁連絡会議は、汚染源について何の結論も出さず、事後対策も不十分なまま、自然消滅した。

  1965(昭和40)年には、新潟県で第2の水俣病(新潟水俣病)が発生。阿賀野川流域に多数の水銀中毒患者が発生した。昭和電工鹿瀬工場からの排水が原因であった。

  1968(昭和43)年8月、政府統一見解でこれを決め、9月、水俣病は公害と認定された。

  水俣公害病患者同盟はこれとは別に当時の新日本窒素社長・吉岡喜一と同水俣工場長・西田栄一を『未必の故意』による殺人・傷害で告訴、熊本地検はこれを業務上過失致死で起訴した。

  1988(昭和63)年3月、最高裁は1・2審判決を支持し、チッソ刑事罰の有罪が確定した。

     (中略)

 行政の責任を問う水俣病の訴訟は、

  1994(昭和69)年7月の大阪地裁判決までに6件の判決が下され、3件が国・県に行政責任があるとし、各訴訟で和解勧告が出され、原告の患者側、チッソ、熊本県は交渉の席に着いたが、被告としての国はずっと和解を拒否してきた。

  しかし公式発見から40年目の

  1995(平成7)年になって、未認定患者の救済を中心とした与党合意、いわゆる水俣病政治決着が自社さ連立政権で纏まり、水俣病患者・弁護団全国連絡会は訴訟取下げを条件に

  同年(1995/平成7)10月に政府案受入れを決定。
  
1996(平成8)年5月、7裁判所で正式和解が成立、和解拒否した関西訴訟を残して水俣病訴訟に一応のピリオドが打たれた。しかし、水俣の教訓を次世代へ伝え、活かしていくという意味ではやっとスタートに立ったところだ。

   (中略)

 水俣湾には汚染魚の湾外への拡散を防ぐという名目で2100メートルの網が設置されていたが、

  1997(平成9年)8月、23年ぶりに仕切網が撤去された。これは湾内の魚介類の水銀値が国の規制値を3年連続で下回り、福島熊本県知事が出した安全宣言によるもので、10月15日、水俣湾での操業が解禁された」――

  「熊本大学医学部」は、「原因は水俣市にある新日本窒素(現在名=チッソ)水俣工場の排水中に含まれる有機水銀が魚介類を介して人体に入り、中毒を起したものと結論した」にも関わらず、「政府に設けられた水俣病事件関係省庁連絡会議は、汚染源について何の結論lださず、事後対策も不十分なまま、自然消滅した」

  行政の怠慢でしかない「自然消滅」でどれ程の被害を増大させただろうか。「政府統一見解で」「水俣病」を「公害と認定」したのは「熊本大学医学部」「新日本窒素(現在名=チッソ)水俣工場の排水中に含まれる有機水銀が魚介類を介して人体に入り、中毒を起したものと結論し」1956(昭和31)年から、12年も経過した1968(昭和43)年8月になってからのことである。このことに関して、誰か責任を取ったのだろうか。

 らに、裁判所の和解勧告の席に着かず、被告としての国はずっと和解を拒否してきた」

  公式見解から40年」が経過してやっと「未認定患者の救済を中心とした与党合意、つまり水俣病政治決着が、自社さ連立政権で纏ま」った。

  上の態度と言い、「チッソ金融支援」の中身と言い、自民党政治が一般国民の生命・財産をないがしろにしてまで如何に企業優先の立場に立つ体質となっているか、十分過ぎるくらいの正体を曝していると言える。

  水俣病政治決着」にしても、連立だから進展があったのではないだろうか。自民単独政権だったなら、どうだったろう。国民が自民党の好き勝手・傲りを抑えるために与野党伯仲を望むのは分かる。しかし、同じことの繰返しである今回のアスベストの事例を考えても、真に日本の政治を企業優先から国民により近づけるためには政治の思い切った流動化(=政権交代)を必須条件としなければならないのではないだろうか。