第15弾 緊急発表!!
「市民ひとりひとり」 ・・・・・政治編 2000.5.20.
教育を語る ひとりひとりが 政治を・社会を語る
青木官房長官の首相臨時代理の経緯と
森首相の「神の国」発言を検証する
その1 青木官房長官の首相臨時代理の経緯
@ 2000/4月2日(朝日新聞から)
A.M
1:OO頃 オブチ君・緊急入院
P.M 7:00頃 青木官房長官、医師から説明を受け、病室でオブチ君と二人きりで会
う。
P.M11:00頃 面会4時間後の記者会見。
記者「総理の意識ははっきりしているのか」
青木官房長官「そこまで私は承知していません」(太字新聞どおり)
記者「顔色はどうだったか?」
青木官房長官「そんなことはいちいち私も医者でないので分かりません」
4月3日午前記者会見
青木官房長官「4月2日、私が見舞ったとき、小渕総理から『有珠山噴火対策など、
一刻もゆるがせにできないので、検査の結果によっては青木官房
長官が臨時代理の任につくように』という指示を受けた」
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――「総理の言葉はきちんとしていたのか」
青木官房長官「うん、私がお会いした時点では、はっきりしていました」(太字 新聞どおり)
――「ろれつが回らないことはなかったか」
青木官房長官「いや、そういうことはありませんでした」
【検証・1】
※まず第1番に、青木官房長官の言っていることが100%事実なら、言い換えた
り、言いつくろったりする必要もないし、そうしなければならない事態も起こ
らなかっただろうと言うことである。事実ということは、ありのままを正直に
しゃべったということだからである。
※ありのままでも正直でもない、事実とはかけ離れているから、言い換えたり、
言いつくろったりする必要が生じ、そのような事態に追い込まれるのである。
医師団の説明と食い違う場面が生じることもなかったはずである。
※また、「小渕総理から『有珠山噴火対策など、一刻もゆるがせにできないので、
検査の結果によっては青木官房長官が臨時代理の任につくように』という指示を
受けた」との説明は、オブチ君の意識がはっきりしていることを前提としたもの
であって、それ以外の意識状態を予測させるものではない。いわばオブチ君の
意識はきわめて良質の覚醒状態にあったとの設定に立っている。
※取りようによっては、もし手の届くところに電話があったなら、ブッチホンだ
って楽しめたろう。事実青木官房長官は、自ら、オブチ君の言葉は、「私がお
会いした時点では、はっきりしていました」と答えている。
※再び4月2日の面会4時間後(午後11時頃)の記者会見を取上げてみよう。
記者「総理の意識ははっきりしているのか」
青木官房長官「そこまで私は承知していません」
記者「顔色はどうだったか?」
青木官房長官「そんなことはいちいち私も医者でないので分かりません」となって
いる。
※上記の内容から推測できることは、オブチ君の症状が芳しくないから、誤魔化
す必要があったのだろうということである。
青木官房長官御本人が直接面会しているのである。「承知してい」いるとかい
ないとかは問題外なのである。「顔色」にしも、「医者でな」くたって、子ども
ではあるまいし、その様子から、どの程度の状態か大体の察しはつくものであ
る。見たままの事実をありのままに報告できなかった状況に立たされていたか
らこそのはぐらかしだったのである。
※青木官房長官面会約2時間後の夜9時頃、オブチ君の昏睡状態への急激な病変
を受けて、急遽「首相臨時代理」要請の一幕を必要としたのだろう。そのこと
だけに目を向けてしまったために、意識はしっかりしていたという矛盾した前
提に立った説明とならざるを得なかったのだが、実際との矛盾に鈍感にも注意
を払わず、「首相臨時代理」の一幕を補強する必要上、オブチ君の言葉が「私
がお会いした時点では、はっきりしていました」というさらなる虚偽の舞台装
置の設定に追い込まれることとなったのである。
※青木官房長官が面会したときのオブチ君の意識状態が、「治療の中心的立場だ
った水野美邦・教授(脳神経内科)は『日本式昏睡尺度(JCS)で2から3。(
うとうとする)軽い傾眠の傾向があるが、大きな声で呼びかければ応じられる程度
』と説明した。
・・・・医師団は『可能だったのは、相づちを打つとか、相手の言っていること
を理解してうなずく程度だったのではないか』と説明。青木氏の『万事よろしく頼
む、といわれた』との説明には懐疑的な見方を示した」(5/15「朝日」朝刊)というこ
とだったなら、その舞台装置をそのまま利用して、「緊急の場合を考慮して、
首相臨時代理はどうしますかといった、了承を戴いておかなければならない事
柄を二、三こちらからお尋ねして、総理のご返事を戴いたところ、首相臨時代
理は私、青木官房長官でということでしたから、お受けした次第です」とすべ
きだったのだろう。
※5/16の「朝日」朝刊記事の順天堂大学医師団記者会見(5/14)も参考に引用し
ておく。
記者「青木氏に小渕氏は文章を話せる状態だったのか」
水野医師「部屋にいなかったので実際どういう会話をしたのかわからないが
、その前後の状況から、長い文章を明瞭に話すことは難しかったの
ではないかと推定している。ただ、まわりの方の言うことを聞いて
、それを理解して、うなずくとか、『よろしく頼む』とか、その程
度のことは言える意識状態だったのではないか」
記者「例えば単語しか言えなかったのか」
水野医師「相づちをうつとか、分かったとか、よろしくとか、そういうのを
単語と言うならそうかもしれないが、『よろしく頼む』というのは
必ずしも単語とは言えないと思うので、その程度の長さの応答はで
きただろう」
記者「『有珠山のこともあるので万事よろしく頼む』というような文章
は成立しなかったのか」
水野医師「あのような文章はちょっと難しかったかなというふうに推定して
いるが、これは私たちの推定であって、その場に居合わせていない
ので正確には答えにくい」
※矛盾が噴出してからの青木官房長官の言いつくろい記者会見(5/1午前)である。
青木官房長官「私は総理と官房長官という間で、会話の中でしっかりと『よろしく
頼む』と言われたことを、そういうふうな形で表現させていただいた
。一息にそのことを言われたとは言っていない」
――「万事」とは言わなかったのか」
青木官房長官「いちいち答える義務はありません」
――「使わなかったのか」
青木官房長官「『万事』と言いました。それを疑ってかかれば、きりのない話だ」
――「『有珠山の件もあるので』と言ったのか」
青木官房長官「有珠山の話しもされました。だけど、これは医師団の言われるとお
り、続けて言えなかったのかもしれません・・・・それは非常に苦し
い病状の中での発言なので、3回に分けて言われたか、4回に分けて
言われたか、どういう形だったかをいちいち皆さんに報告する義務は
ない。(略)一息にそのことを言われたとは言っていない」(太字
新聞どおり)
【検証・2】
※ウソがウソを呼ぶように、言いつくろいがさらなる言いつくろいを引き寄せる
。自分が会話の一方の当事者としてその場に立ち会っていたのである。「続け
て言」う会話能力を失っていたかどうか、「医師団の言」葉を待たなくても、最
初の面会での印象から、既に自分で看取できたはずである。それを医者の説明
があってから、「続けて言えなかったのかもしれません」では、4月3日午前の記
者会見での「総理の言葉はきちんとしていたのか」との記者の問いと「うん、私
がお会いした時点では、はっきりしていました」という報告とは真正面から衝
突することになるだけではなく、事実をありのままに正直にしゃべったことに
はならず、事実をありのままに報告する政治家の国民に対する義務と責任を自
ら放棄するものである。そのことだけでも、国民の代表たる資格を失う罪に値
する。
【検証・3】
※事実をありのままに正直にしゃべれないような虚偽の舞台装置を設定しなくて
も、自民党は小渕派――と言うよりも、野中・青木・村上といった小渕派幹部
の支配するところとなっているのであって、正規の手続きを踏んだとしても、
彼らの意向が森首相と言うことなら、落着くべきところに落着いたはずである
。
※それを100%事実とは異なる舞台演出で小渕派の派利派略だけのための欲の皮の
突っ張ったハッピーエンドに持っていこうともっともらしく演技してみせた。
結果的にドラマの構図自体に矛盾を内包させてしまう猿ヂエの範囲を出なかっ
たために、痛い腹をさぐられるもたつきに見舞われることとなったのである。
【検証・4】
※二つだけはっきりしていることがある。その一つは一連の権力移譲劇で小渕派
という派閥の利益・既得権にのみ目が向いていて、国民には向いていなかった
と言うことである。
※もし向いていたなら、事実をありのままに正直に報告する義務と責任を果たし
たはずである。
※もう一つは、日本の政治は民主主義を体制としているはずだが、選挙を経て国
民の代表たる資格を得ながら、民主主義はタテマエでしかなく、ホンネは政治
の私物化・派物化を平然と行う二重構造を体質として抱えているということで
ある。
※この二重構造は森首相の、「日本は天皇中心の神の国である」発言に現れた、
民主主義者を装いながら、実質は絶対主義者である二重構造体質と響き合うも
のである。
その2 森首相の「神の国」発言を検証する
@森クンは次のように発言した。「日本は天皇中心の神の国である」であると。
Aその発言に対して、森クンは、「日本の悠久の歴史と伝統文化という意味で申
し上げており、戦後の主権在民と何ら矛盾しない」と釈明している。
【検証・5】
※天皇の歴史は権力の二重構造の歴史であり、天皇自体が実質的に権力を握った
事実は実質的権力者の不在期間のみで、天皇は実質的権力者による国家支配・
国民支配の名目として利用されてきたロボットとしての存在価値を付与されて
いたに過ぎなかった。明治天皇にしても、薩長藩閥政治権力のロボットであり
、昭和天皇は薩長藩閥政治権力の血を受継いだ政治家と軍部のロボットでしか
なかった。
※そのような権力の二重構造は現在の政治権力にも体質遺伝されていて、実質的
権力は派閥か、派閥のボスが握り、首相は彼らの意向を汲む飾り物=ロボット
といった権力構造の生き長らえを横行させている。
※いわば、天皇の歴史としての権力の二重構造が、そのまま政治権力における伝
統文化となって、日本の国家体制に脈々と脈打ち続けているのである。
※言葉を変えて言うと、日本社会は真の民主主義を確立した試しはなく、それは
常に装いであり続け、ソフト化してはいるものの、実質的にはファシズム構造
社会を形成している。
※また、ロボットとしての利用価値はロボットを優越的な絶対的存在とすること
によって、最大限の有効性を獲得し得る。戦前、天皇を神とすることによって
、大日本大帝国は絶対性を獲得できた。そのことが鬼畜米英、何するものぞの
意識の芽生えを可能とさせたのである。いわば天皇は日本民族優越性証明とし
て価値付けられ、そのような天皇観が現在においても、多くの日本人の意識の
底に踏襲され、生きうずいている。
※日本人・日本民族がそのように天皇という権威・形式を優越性証明装置とする
意識は、日本人・日本民族自らが自らの内に優越性を証明する何ものかを持た
ないことの裏返しとして芽生えたものであり、優越性の空洞を補う装置と表裏
一体化させているものである。
※皮肉で逆説的な言い方をすると、自らに誇ることのできる感性や創造性といっ
た独自性を持たない内容空疎な人間・中身のカラッポな人間ほど、自己に代わ
る権威・形式で自己の優越性を証明したい性格衝動を抱えていると言うことで
ある。
※戦前の日本人は内容空疎で中身がカラッポだったからこそ、天皇とか、お国の
ためにとかで、カラッポの頭の中を満たすことができたのである。独自の自分
=独自の思想・哲学を持っていたなら、外からの余分な押付けには批判という
名の触媒を介した取捨選択を行い、総軍国主義化とは正反対の国民一人一人の
独自性を維持したはずである。
※自分自身の思想・哲学ではなく、あるいは自分自身の人間性や創造性ではなく
、俺は社員何百人の大企業に勤めているとか、俺は東大を出ているとか、勤務
会社の規模や学歴といった権威・形式を優越性証明装置とする人間の如何に多
いことか。
※つまるところ、戦後五十年たっても延々とカラッポ状態の始末なのである。だ
からこそ、「カネは出すが、顔が見えない」というアリガタイ国際的評価を頂
戴することにもなるのである。国際的価値基準に合わせるか、それとは相対立
する主体性のなさ・創造性のなさといった伝統文化たる日本人性を取り、「日
本は神の国」を掲げて、国際的孤立化の道、あるいは日本的独善性の道を取る
か。
【最後の検証・】
※「日本は天皇中心の神の国である」発言した森クンこと、森首相は、内容空疎
な政治家・中身のカラッポな政治家だということを自ら証明しただけではなく
、日本人・日本民族をいつまで経っても自らに関しては誇るものを何も持たな
い内容空疎な人種・中身のカラッポな民族だと証明したことにもなるのである
。
※そのような内容空疎な政治家・中身のカラッポな政治家を我々日本人は総理大
臣に据えている。褒むべきことかな。
バンザイ、バンザイ、日本の首相・森クン!!