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    第118弾  小泉首相の「心の問題」
                                                 upload.6.02.01.(水          


 

 

 

 


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歴史的・伝統的な日本の政治の無能性    何をやっても、日本は歪むだけ!
    2 政治が雪かき老人を殺している     

1 歴史的・伝統的な日本の政治の無能性

 みなさんも既にご存知でしょうが、江戸時代、初めは私的に同業・同種の仲間が
≪株仲間≫なる協同組織をつくって相互の利益をやり取りし、身内の利権関係を強めた。もうその時点で≪株仲間≫以外に排他的な力が働く特権的構図を取ることになるのですが、幕府・藩が冥加金を取り立てることで、≪株仲間≫を公認制とする。このことは≪株仲間≫を組織として認めたということだけではなく、その排他的利益獲得活動をも公認し、保護することを意味します。いわば、誰憚ることなく、後ろ指指されても気にすることもなく、おおっぴらに排他的特権を恣にし、独占することを認め られ、そうすることができるようになったのです。

 成功・失敗は別にして、政治家が業者・業界から
政治資金を得て、その企業・業種の利益を図る政治活動を行うのと同じ構図です。

 権力から特権を許されれば、定期的な
冥加金の上納だけで済ませて、≪株仲間≫だけが特権(=うまい汁の吸い上げ)を享受する一方というわけにはいかず、いろいろと接待とか、贈答(ときには直接的にカネそのものの贈答)とか、官と特定の民との癒着が生じたはずです。自分たちの特権を長期的に確かなものとするためにも、許可権を持つ官との関係を親密にし、接待・贈答・ワイロをそのための必要経費としていたはずです。そういった流れとなるのが世の常です。

 
特権的取引が弊害をもたらさないはずはなく、江戸時代の一時期、≪株仲間≫は禁止されて(その時代の一大構造改革であったはずです)、自由取引が奨励されたということですが、かえって市場の混乱と物価高騰の弊害が生じて、再度許可しています。今の時代で考えると、自由取引は物価の安定を生じせしめるはずですが、逆の結果となったのは、いくら法律で禁止しても、「株仲間」を限定して、自分たちの商売や仕事を他の者に許さず、うまい汁を分け合っていた極上の「うまみ」をそうたやすく手放ないのが、やはり人間の世の常で、自由取引の新規参入勢力に対する既得権維持の旧勢力の必死の妨害が、それまで癒着して甘い汁を吸い合っていた官の味方もあって、優に勝った結果、市場の混乱と物価高騰を招いたということではないでしょうか。

 明治に入って再び
≪株仲間≫は廃止されたということですが、自民党の派閥が派閥解消をうたって解散しながら、派閥のうまみを捨てきれず、勉強会とか政策研究会と名前を変えて存続させるのと同じ構図で、≪株仲間≫そのものの組織が名前を変えたりして表立たない形で継承されていったということで、江戸時代の二の舞をほぼ繰返した。

 今の
建設談合も株仲間的な活動といえると思います。「うまみ」を捨てきれないから、「談合は江戸以来の美風」と談合する側が言うはずです。結局のところ、日本人の経済的な活動性が未熟な状態にあるからではないでしょうか。≪株仲間≫の存在自体が、未熟を示すものであるし、現在でも、≪株仲間≫を継承する組織が存在するのだから。

 日本が他の先進国と比較して物価高なのは、
≪株仲間≫的な経済活動が影響してのことではないでしょうか。ひところ前は、アメリカとの消費者物価指数対象品目の購買力平価が1ドル=200円と言われていましたが、今はどのくらいなのでしょうか。デフレ、デフレと騒いでいますが、購買力平価を為替レート並みにしてから、経済大国だ、先進国だと胸を張るべきであるし、それ以下になってから、デフレだと騒ぐ資格が出るというものですが、そうはせずに騒ぐ一方なのは、他の先進国に比較して、経済構造そのものがヤワに出来上がっているからなのでしょうか。いや、精神そのものがヤワに出来上がっているからなのかもしれません。

 かつての
外国企業の新規参入に対するアレルギーは外国企業が日本の企業よりも力が優れていると恐れての現象であって、その裏返し意識が、優れているからこその外国高級ブランド志向に現れているコンプレックスでしょうが、新規参入に対する法的規制は日本全体が≪株仲間≫意識に囚われていたからではない でしょうか。それがなおも部分的にしぶとく生きている。中国が盛んに外国資本を受け入れているのと逆の現象です。

 こういったことすべてが、自民党が言う
「日本の歴史・伝統・文化に根ざしたわが国固有の価値(=国柄)」として存在・継続している日本及び日本人の精神であって、それが制度となって現れている日本の現状ということではない でしょうか。

 素晴らしきかなニッポンといったところです。
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政治が雪かき老人を殺している
 
 
朝日新聞朝刊(06.1.13)に「12日午後3時現在、17道県で79人が雪関連の事故でなくなっている」と載っていた。13日深夜のテレビニュースでは、84人に増えている。北海道の21歳の男性を始めとして、後は80歳代の男性が4人ほど、日本地図の死亡地域に当たる位置に年齢と性別が共に記されていた。北海道を除いて、東北や裏日本の豪雪地帯ばかりである。

 テレビや新聞で知る限り、犠牲者は少数の女性も含めて50歳代以上、特に70歳代、80歳代が多かったと記憶しているが、テレビニュースで知った北海道男性の21歳という若い年齢を目にしたのは初めてのような気がする。

 屋根の雪かき中に転落した、屋根から滑り落ちてきた雪に埋まって、窒息死したといった原因が一番多いようだ。50歳代ならまだしも、70、80歳を過ぎて危険な屋根に上って雪かき作業をする。過疎が進んでいて、人口に占める高齢者が多くなったことを物語っているのだろうが、若者が全然いないわけではないのだろうから、ある意味異常な光景ではないだろうか。中には一人暮らしの老人が屋根に上って転落した例もある。雪の重みに耐えかねて、家がミシミシ言い始めたから、他に頼む者がいなくて、仕方なく自分でのぼったといったところだろうか。

 若者は男も女も勤めを役目とし、老人は細々とした農作業とか家周りの雑用とか、共に力が必要とされる仕事が役目と、役割分担が決まっているのだろうか。共働き夫婦であっても、夫は勤めだけ、妻は勤めの上に家事・育児までこなすのが主流派をなす習慣となっているように。男が女を虐げ、といった権威主義的な身分関係が若者が老人を虐げる関係にまで及んでいるということだろうか。、 

 降り続く大雪でどこそこの積雪量が何メートルに達した、屋根の雪下ろし中に転落して、死亡者が出た、雪が降り止まず、孤立する村が出た、自衛隊が出動して道路の除雪を行い、昼間の間だけ、3時間ほど生活物資の買出しに通行を許可されたが、夕方に再び通行止めとなったといったニュースが殆どで、雪関連で事故死している犠牲者の多くが高齢者であることを、情報の読み取り方の違いなのか、マスコミはあまり問題にしていないようだ。

 酷なことを言えば、老人が死ねば、例えささやかであっても、年金・医療費といった社会保障費の抑制に役立つし、政治の力によって人口のバランスを取ることができなかった歪みを、やはりささやかながら改善させることができる。

 このことは事実としてある因果性ではあるだろう。但し、政治の無能力の裏返しとしてある因果性でもある。

 身分や性別、あるいは年齢に上下関係をつくる日本人の権威主義が影響していたとしても、日本の政治が戦後から現在にかけて地方を過疎化させた成果が仕向けた、老人が雪かきをしなければならなくなった光景であり、その先に用意された老人の雪関連事故死であろう。政治の無能が原因となって、雪かき老人を殺しているとも言える。