教育を語る ひとりひとりが 政治を・社会を語る そんな世の中になろう
銀行の監視カメラに写った
犯人とおぼしき不審人物
情報提供を求む!!
<振込め詐欺>などと、面白くもない名前に変えたものだな。
<オレオレ詐欺>という名前が勿体ない。
せめて、<オレオレ振込め詐欺>にして貰いたかったな!!
少し前にメ−ルマガジンJMMの編集長村上龍氏がJMM内の海外の日本人、その他の寄稿家に、「おれおれ詐欺は海外でも成立するか?」と題して、「『おれおれ詐欺』が成立する基盤が、『世間』という概念に代表される日本的共同体内部の『大前提的な信頼性』に関わるものであることは間違いないのではないかと思われれます。今後問われるべきなのは、その『大前提的な信頼性』が、過去には実在して現在は幻想と化してしまったのか、それとももともと幻想でそんなものはなかったのか、もし『幻想として機能していた』のだとしたらその根拠は何だったのか」と問いかけ、レポートを求めた。
アメリカ在住の冷泉彰彦氏は、アメリカでは成り立たないとしながら、日本で成り立っている背景として、日本人の市民生活に「アングラマネー」が介在することを挙げていた。
いわば、「交通事故の処理、個人破産など、小規模な民事係争をリーガル・システムが解決してくれないために、脅迫まがいの『示談』や『取り立て』が横行し、そこに犯罪集団がからんで『現金』が動くのです。こうした文化が『急いでキャッシュが必要だ』という『孫の切迫感』を信じてしまうことにつながっているように思」えると。
そして、「今のところ、『信じやすい高齢者』と『携帯や銀行口座の匿名性』が問題のように言われていますが、もっと広い意味で日本の社会の盲点を突いた犯罪と見ることができるのでしょう。総合的な対策が必要だと思います」と結論付けている。
アメリカにだって、「アングラマネー」文化は存在するはずである。ギャンブルや競馬のノミ屋のツケをギャングの手下が必ずしも善良とはいえない一般市民たる顧客の家に取り立てに回るといったことがアメリカ映画ではよく見かけるシーンである。
但し、そういったことに無縁に人生を送っている市民もいる。日米とも、そのような市民のほうが圧倒的に多いはずで、少ない経験者をターゲットとする成功の確率は社会全体から見たら、比例して低くなる。
ところが「振込め詐欺」と名称を変えた「オレオレ詐欺」の(中身は本質的に変わりはない)04年度の1月〜11月の被害額は150億1,627万1,993円に上り、認知件数は1万2,424件(うち既遂7,726件)件で、既遂事件1件当たりの被害額194万3,602円は、前年に比べ94万3,771円の増加だというから、その成功確率はかなりな広範囲性を示している。
果たして「アングラマネー」に重なる広範囲性なのだろうか。
「オレオレ詐欺」が「アングラマネー」経験者を結果として炙り出す種類のものだったとしても、経験が逆に学習となって、成功の阻害要因となり、上記ほどの被害額は出ないのではないだろうか。
情報が行き渡っている状況下で、既遂7,726件も当りを出すのは、学習が無効となっている状況を示していて、不特定多数の一般市民狙いであることを証拠立てている。
詐欺が巧妙化していることも、簡単に騙される理由の一つになっているだろうが、詐欺形態と被害状況に対する学習が時間を追って進歩するどころか、同じ手口で騙されているのだから、学習する能力が機能していないことも、被害が跡を絶たない理由の一つになっているに違いない。
振込むとき、金融機関員に注意されても、殆どが振込んでしまう状況は、咄嗟の学習も機能しないことを証明している。
本来的に学習能力がないのか、何か学習能力を麻痺させ、機能させなくしている要素が介入しているからなのだろうか。
デンマーク在住の造形作家高田ケラー有子氏は、「日本人は人を信用しすぎる」ことと、「YesとNoがはっきり言える民族」ではないことを理由に挙げている。
そして、「子供の頃から詰め込み中心の教育ではなく、『自分で考え自分で決める』教育を受けているデンマークの子供たちを見ていても、この手の詐欺を成立させるのは困難であろう」と、デンマークでは成立困難な「オレオレ詐欺」だと結論づけている。
香港在住のふるまいよしこ氏は、入社試験を受けに来た大学生に会社への忠誠度を要求しておいて、それを逆手にとって、田舎の肉親に金銭を要求する、日本の「オレオレ詐欺」に似た詐欺を実際にあった話として紹介している。
中国では大学生は就職難で、本人の入社したい一心・家族の入社させたい一心が、会社の採用を騙った詐欺に引っかかりやすいのだという。
しかし、「中国の特徴としては、本人を騙るよりも本人の周囲の人間、またはその人の未来を左右する公的/社会的機関という強者を騙るものが多い。これは個人や家族といった私的関係に対して、社会的勢力が常に優位におかれるというポスト社会主義的意識の遺伝によるものといえる」としているから、詐欺の形態は似ていても、日本の過失をネタとした「オレオレ詐欺」と似て非なるものに思える。
韓国在住のアン・ヨンヒ氏は、「韓国も祖父母は子供や孫たちを溺愛する傾向がある」ことを理由に、「韓国でも起こりそうだ」と思ったそうだ。
実際にも、娘や息子を騙って、交通事故を起こしてしまって今すぐ示談金を支払わなければならないとか、借金の返済を早急に迫られていて、返済しないと不利な立場に立たされると差し迫った状況を信じ込ませて、日本の「オレオレ詐欺」とそっくりなカネを振り込ませる詐欺が発生しているそうである。
日韓文化の交流も「オレオレ詐欺」にまで及んだかといったところだろうか。
しかし、韓国式「オレオレ詐欺」は(韓国では、「家族詐称詐欺」と言うそうだ)「最近の都市部では親の経済力を頼り同居を選ぶ嫁も増えている。特に結婚後も仕事をする場合、託児所などが不足している韓国では子供の面倒を見てもらうために親と同居する場合が少なくない。従って、都会でのそういった詐欺は見当たらず、もっぱら過疎化している農村部などに集中してい」て、「家族と離れて暮らしている老人たちが狙わるという点ではまさに核家族化のひずみのようにも思える」とのことで、騙される人間が置かれている社会的環境が微妙に違うことを指摘している。
果たしてそういった社会的環境に於ける家族形態が影響しての「家族詐称詐欺」(「オレオレ詐欺」)なのだろうか。
日本での04年1月〜8月の被害者の年齢層を見てみると、「男性の被害者が約1400人に対し、女性は約3倍の約4100人。女性の年代別では50歳代が最も多く、約1220人、40歳代約790人、60歳代約680人、70歳代約630人だった」(04.10.7『朝日』朝刊)となっている。
男性の場合はグラフから判断すると、60歳代が1位で、500人前後に対して、2位の50歳代が400人前後、ついで70歳代が300人前後、80歳代が150人前後、40歳代が100人前後となっている。
学習能力は一般的には社会経験の多寡に裏打ちされて高めていき、ある一定の年齢でピークに達すると、下降線をたどる。
女性の場合、50歳代と40歳代合わせて約2010人に対して、60歳代と70歳代は合わせて1310人と、700人も下回っている。学習能力がより柔軟であるはずの50歳代と40歳代の方が逆に被害人数が上回っているのである。
男性の場合は、50歳代と60歳代合わせて900人前後、70歳代と80歳代合わせて450人前後と、女性と同じく、若い年齢の方が学習能力が役に立っていないことを示している。
しかも、学習能力が十分に柔軟であるはずの30歳代、20歳代が男女とも被害にあっている。圧倒的に女性の方が多いが、30歳代で女性400人強に対して、男性は50人前後、20歳代で、女性100人前後に対して、男性は20人弱程度を占めている。
それとも、20代・30代に学習能力を求めるのは無理だということなのだろうか。
反対に、被害は学習能力に関係のない力学によって引き起こされていると見た方が妥当なのだろうか。
イギリス在住の丸國葉氏は、「これだけメディアなどで注意をよびかけているにもかかわらず、オレオレ・振り込め詐欺の被害が後を絶たないのは、逆にメディアが犯罪手法の伝達役になってしまったようにも感じられる。共通の認識をもつのは日本人の得意とするところ。これらが上手い具合に詐欺のパターン化・蔓延化を可能にしたとは言えまいか。」と言っている。
確かに「メディアが犯罪手法の伝達役になってしま」っているだろうが、「メディアなどで注意をよびかけている」だけではなく、自治会で注意し、老人会でも注意を呼びかけ、金融機関はATM機を扱う目の前に注意を呼びかけるチラシを貼り付けてまでして、メディアの「伝達役」を補って余りある注意を、社会は一体となって促しているのである。
村上編集長は、「『おれおれ詐欺』が成立する基盤が、『世間』という概念に代表される日本的共同体内部の『大前提的な信頼性』に関わるものであることは間違いないのではないか」と問題提起しているが、海外の寄稿家は誰一人、そのことに答えていない。
この世の中、信頼できないことばかりではないか。政治家は信頼できない、警察官も信頼できない、役人も信頼できない。食品の産地偽装はするし、賞味期限の切れた商品を包装を新しくして再び店頭に並べることもするし、金利は安くなって、預金も信用できなくなっている。ニセ金は横行するし、ニセのカードで預金は引き下ろされる。いつ凶悪な人間に強盗に入られても不思議ではないと考えなければならない程に社会は物騒となっている。小中学生の子供を抱えた親は、登下校の間に子供が犯罪に巻き込まれないか不安は耐えない。ときには高校生まで、犯罪に巻き込まれて、簡単に殺されてしまう世の中である。
世間に対して用心深くなっているはずなのに、それでも騙される。そのためなのか分からないが、村上編集長は、「その『大前提的な信頼性』が、過去には実在して現在は幻想と化してしまったのか、それとももともと幻想でそんなものはなかったのか」と、問いかけている。 「日本的共同体内部の『大前提的な信頼性』」など元々存在しなかったのではないだろうか。世の中が信用できないのは今に始まった現象ではないからだ。
<愛国心>なるものが社会の支配層に都合のよい思想であるのと同様に、「日本的共同体内部の『大前提的な信頼性』」が存在したのは、存在しているとしたほうが利益となる人間が社会の支配層を占めていることから生じた虚構に過ぎないといったところのではないか。
戦争末期、生活必需品は配給制となり、配給を受けるために一般生活者は行列を作らなければならなかった。だが、並ばなくても、それも一般生活者よりも量が多く、質もよい生活物資を安々と手に入れることができた連中がいたのである。
「世の中は星に碇にヤミに顔、馬鹿者のみが行列に立つ」
陸軍や海軍の軍人、ヤミ商売で上層階級とつながっている闇屋、隣組の顔役たちは行列に並ばないで済んだ<利口者たち>というわけである。
この一事を見ただけでも、<愛国心>なるものが社会の支配層に都合のよい虚構でしかないことが分かるだろう。
愛国心を吹聴するものは、さも愛国心があるように見える。それを利用しながら、薄汚い彼らは裏で横流しを利用し、それを役得行為として、苦労して行列に並んだとしても、受取った配給だけでは足りない一般生活者を尻目に、敵であるはずの贅沢を恣にしていたのである。
だが、役得行為に走る人間がいることを知っていながら、じっと我慢して配給の行列に並んだ。なぜかと言うと、権威を振りかして威張り散らす上位権威者に対して、そのような権威を畏れ、盲目的に追従する下位権威者の位置にあったからである。
村上編集長は言う。「もし『幻想として機能していた』のだとしたらその根拠は何だったのか」 腹の中では怒っていても、上を畏れ、怒りを表には出さずに従順に従う下位権威者の行為性と、支配層の、あるとした方が自分たちの横流し等の乞食行為を隠せる 利益性が、「日本的共同体内部の『大前提的な信頼性』」を「幻想として機能」させていた「根拠」なのである。
「オレオレ詐欺」の完結プロセスは、孫や子供、ときには夫が何かしら過失を犯して、その過失が示談金支払いといった方法で解決するが、そのような方法での解決を拒んだなら、過失者はより一層困った立場に立たされると警告されて、それを避けるために提示された振込みに応じるという手順を踏む。
一連の過失を見ると、お宅の息子さんが痴漢を働いて警察官に逮捕された。カネを払って示談に持ち込まなければ、息子さんは痴漢行為で裁判に訴えられることになるといった事例に特に代表されるように、本人自身はもとよりも、家族にしても人に知られたくない、恥となる事柄に設定されている。
となると、一見カネで過失を解決させたかに見えるが、過失共々、人に知られたくない評判をカネで人に知られる前に葬り去ったとも言える。いわば、最初からなかったこととする誤魔化しを働いた――といって悪かったなら、少なくとも世間体を取り繕ったのである。
ここで言う<人>とは、世間というよりも、家の近所や勤務先の会社といった、ごく身近な生活空間であるのは言うまでもない。
これは明らかに世間の目を恐れて、自らを律する、日本社会に特有の、ベネディクトのいう「恥の文化」からきている心性がなさしめる行為性であろう。
日本人の「恥の文化」は、倫理的に悖る恥ずべき行為を行わないということではなく、世間的に恥となることを避けるという、世間を基準とした道義感によって成り立っているのは言うまでもない。
これは日本人の行動様式となっている権威主義の、上に従う行為性からきているのも事実である。
上に従うとは、大勢・主流に従うということでもあり、それらが集約された姿となって現れている社会に従う、ということでもあって、それらを自己の行動の基準とするということである。
失敗・過失は本来基本的には自己の責任で、その回復は自己自身の手にかかっていて、なかったこととすることはできないのが厳しい現実であるのに対して、社会の判断を自己の行動基準とした場合、社会の目に触れさせないことによって、なかったこととすることが可能となる。
社会の目に触れなければ、行動基準を成す社会は判断のつけようがないからである。結果として、失敗・過失から、責任を果たさずに自己を守ることが可能となる。
このような図式を持った倫理観が、警察官や官僚・役人が帳簿操作までして予算を誤魔化し、それを裏金として、自分たちの欲望を満たす飲んだり食ったりの乞食行為を全国的に可能としている彼らのバックボーンとしてあるものであろう。
触れてしまった場合は、当然恥となる。「オレオレ詐欺」の電話を受けた者は、孫や子、夫といった近親者の過失・失敗が世間に知れて、本人はもとより、自分たち家族の恥となることを恐れ、それを隠すことのみに目がいく視野狭窄とパニックに陥って、注意する者がいたとしても、耳に入らず、振込んでしまうという醜態を演じてしまうのだろう。
騙されたと分かって、最初に隠そうとした家族の恥を、騙された恥に変えて世間に曝してしまう愚かさを演じて、一件落着を見るのである。
韓国で日本の「オレオレ詐欺」に似た「家族詐称詐欺」が頻繁に発生しているのは、弥生時代以降、朝鮮半島人(現在の韓国人・北朝鮮人)が日本人の先祖であり、日本人が彼らの子孫であることからきている、民族的DNAの似通いが原因した、行動様式の共通性からの傾向ではないだろうか。
日本の「オレオレ詐欺」が女性の場合は、60歳代・70歳代よりも50歳代・40歳代が、男性の場合は、70歳代・80歳代よりも50歳代・60歳代がといった具合に、男性・女性とも学習能力が高いと見られるより若い年代が多くの被害にあっている状況は、その年代に偶然集中したという事情もあるだろうが、日本人が囚われている<世間の恥>意識を考えた場合、逆に年がいっている方が<世間の恥>意識から解放されていて、薄められているからということもあるのではないだろうか。