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 第76弾 北朝鮮問題に於ける根本的解決
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  MENUE                                         世界の疫病神!!
  
 誠実さは金正日に期待可能な人格要因なのか                                                             
 北朝鮮にとっての錦の御旗/「過去の清算」
 経済制裁は効果照りうるかの議論
 小泉首相の靖国参拝 
                                                                                                                                                        

 

 

 

                                                                     イスラムのテロ集団と同等の殺人鬼!!
  
                                                                                                                                                                                                                                             
                                                                                                                                                                                                          
                                                                

誠実さは金正日に期待可能な人格要因なのか

 本政府がWFP(世界食糧計画)を通じて行っている北朝鮮への食糧支援を見送る方針を示したことに対して、WFPのモリス事務局長「食糧支援を中止すると日本政府から直接連絡を受けていない」としながら、日本が支援を継続するよう、次のように要請した。日本が支援を予定していた食糧「12万5000トンを必要としている。北朝鮮は世界で最も食糧不足が深刻だ。WFPが北朝鮮に食糧支援するには日本からの支援は欠かせない」

 
モリス事務局長の頭の中には、北朝鮮がなぜ「世界で最も食糧不足が深刻」な状況にあるのか、その認識はないようだ。大雨とか旱魃といった異常気象がすべての原因なら、支援に値するが、一番の原因は北朝鮮の国家体制そのものにある。金正日自身が招いた食糧不足なのである。各国政府に食糧支援を要請する前に、政治指導者・指導部の飽食と富の独占の廃止、さらにミサイル・核兵器の類の開発に費やす予算を削って、食料不足に苦しむ国民にまわすように先ず要請すべきであろう。それでも足りない場合にのみ援助を行う仕組みとすべきである。

 もし
金正日が内政干渉だと言うなら、国民の飢餓・餓死の解決こそが第一番の内政問題である。にも関わらず、その解決に外国の手を借りている。今さら内政干渉もないだろうと言い返してやるべきである。金正日が怒って、援助は要らないと言ったなら、困るのは金正日自身である。一国の政治指導者の第一番に為すべき義務は国民に人間の尊厳を失わしめない範囲の最低限の生活を保障することである。国民を飢えさせ、餓死させる独裁体制の維持ではない。そのような体制は維持するに値しない。もし援助を中止して国民の飢餓・餓死が現在よりも悪化するようなら、すべては金正日の責任であると突っぱねるべきである。

 
モリスが言わないなら、情報伝達力を持つ政治家・官僚・ジャーナリスト・文化人の誰かが言うべきだろう。国民を飢えさせ餓死させて、ノホホンと蛙の面に小便顔している薄汚い金正日に、その破廉恥ぶり、程度の低さ・下劣さを少しなりとも知らしめるべきである。一人ぐらいはいないのだろうか。

 
小泉首相は、平壌宣言の誠実な実行を求めるとか、北朝鮮の誠実な対応を求めるとかのんきなことを言っているが、日本の政治家でさえも党利党略・派利派略を行動原理としているのである。官僚は省益で動く。ましてや独裁者金正日に誠実さなど期待できようがないではないか。自らを顧みて、他を知るべきである。

 
金正日にとっての誠実な行動とは、自己の独裁体制の維持に利益となる行動以外を指さない。そのことは北朝鮮国民にとって逆の不誠実な態度となって現れる。一般的な誠実さと独裁感情とは180度相反する。誠実さを捨ててこそ、独裁感情は成り立つ。誠実な独裁者など、二律背反以外の何ものでもない。このような道理から、金正日の誠実さは常に他に対しては不誠実となって現れる構造にある。

 
拉致問題も然り。拉致問題に現れている不誠実さは独裁者金正日自身に対して誠実な対応としてあるものである。拉致の首謀者は金正日自身だから、その問題解決は独裁体制維持に障害となる。ゆえに日本に対する不誠実な対応は、金正日自身には独裁体制を維持するための誠実そのものの行為なのである。

 
北朝鮮という国に関しては、かつてのサダムのイラク同様に、誠実さの期待は独裁体制の打倒という意味もを併せ持たせなければ思い通りの結果は得られない。北朝鮮から当たり前の誠実さを期待したいなら、不誠実さしか見せることができない金正日を排除する手立てを講ずるしか道はないということである。
 
 日本側代表団が持ち帰った
横田めぐみさんの遺骨「他人のもの」とするDNA鑑定に対する朝鮮中央通信の声明は次のとおりである。

 
「特定の目的のために事前に綿密に企てられた政治的シナリオに基づくもので、疑惑を抱かざるを得ない。夫が自分の妻でもない遺骨を日本側に手渡したということは想像すらできない。 『制裁』が発動されれば、我が国に対する宣戦布告と見なし、強力な物理的方法で即時対応するだろう。極右勢力の反共和国騒動が続く限り、日本と共に6者協議に参加する方法を徹底的に考慮するだろう」

 金正日の本物の誠実さがとうとう正体を現した。如何なる威しにも屈してはならない。
 

★2北朝鮮にとっての錦の御旗/「過去の清算」

  朝鮮は 誰もが指摘するように、『拉致問題』を終わりにしたいと思っている。現在以上の真相解明を避けたいからなのは明らかである。いや、真相と言うには余りにも程遠い資料提供から一歩も進んでいない状況での幕引きを熱く熱望している。そのことは、「日本が『拉致問題』を取り上げて、平壌宣言に明示された過去歴史の清算責任を伏せてしまおうと策動しているのは、政治的道徳的に卑劣な処置だ」といったアジテーションを常套手段とした日本に対する非難に姿を変えて現れている。これは誰の目にも明らかであるように、「日本は『拉致問題』をもはや取り上げるな」と言っているのである。

 日本が過去朝鮮人民に犯した残虐行為と拉致問題は比較にもならない」といった趣旨の発言も、同列の意思を示すものであろう。

 の比較は、日本の一部勢力が戦前日本軍が行った南京虐殺を中国側が発表している30万人よりも少ないたいした数ではないとして罪薄めを図るのとは逆の、日本の「残虐行為」を拉致問題と対比させて、その罪を絶対化する作意を含ませたものだろう。だが、いくら数を少なくしようとしても、逆に数の多さを言い募っても、虐殺の事実も、拉致の事実も消すことはできない。勿論日本が北朝鮮に対して犯した「残虐行為」も消えはしない。いわば、「比較にもならない」とすることは決してできない、北朝鮮にとっても日本にとってもどちらも解決しなければならない重要な問題なのである。

 朝鮮がその辺のことを理解できないのは、拉致を解決できない事情(金正日自身が犯した犯罪であるという事情)を抱えているからに他ならない。日本は北朝鮮に対する「過去の清算」を解決できない事情は何も抱えていない。

 朝平壌宣言の第2項は次のように取り決めている。

2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚
  に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。

  双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわた
  り、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、
  また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、こ
  の宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を
  誠実に協議することとした。

  双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民 
  のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に
  協議することとした。

  双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議
  することとした。
 

 
ず日本側の「過去の歴史」について北朝鮮側に対する謝罪があった。 

 
の段階として、国交正常化後、日本が北朝鮮に経済協力行う。その具体的な規模と内容は国交正常化交渉で行う。

 
し、「1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従」うという前提で、正常化交渉は行われるものとするという内容になっている。

 
れは日本側が、北朝鮮に対する「過去の歴史」を韓国との国交正常化で用いた「経済協力方式」を北朝鮮に於いても当てはめるべく交渉して、特に北朝鮮が「1945年8月15日以前」の「すべての財産及び請求権を」「放棄する」ことを交換条件に合意した結果、このような取り決めとなったものであろう。

 
致問題については平壌宣言は一切触れていない。小泉 首相の失敗ではあっても、北朝鮮は「拉致の解決なくして国交正常化なし」の日本の姿勢を最初から了承した対応を取っている。いわば、相手の了承のもと、拉致の解決、それから過去の清算(=経済協力)と順番を決めたの である。「過去の清算」を身代わりとする経済協力は拉致というハードルを越さなければありつけないことを承知して、拉致に関する日本側の要求に応じてきたというわけであるし、 そのことは拉致問題が最初に踏み出した交渉対象であることが明確に証拠立てている。

 のハードルを高くするも低くするも、北朝鮮の対応次第である。実際には、いわゆる「不誠実」とされる数々の対応で自分からハードルを高くしている。最初は高をくくったものの、金正日自身が犯した犯罪だから、日本が真相解明を求めれば求めるほど、ハードルを高くせざるを得なかったのだろう。

 こで持ち出したのが、拉致問題を 小≠ニする日本の過去の「残虐行為」というわけである。いや、小≠ニするだけではない。拉致問題を解決ずみと見なしてと言えば聞こえはいいが、それを跨いで、過去の清算(=経済協力)に入ろうと仕向けているのである。

 かに日本は過去に朝鮮半島で多くの朝鮮人を迫害し、命や財産を奪った。強制連行も行った。その数・被害規模は拉致した日本人の数・被害規模と比較にならない。しかし、その清算方式第1回の日朝首脳会談で取決め、平壌宣言として文書化されているのである。拉致解決を文書化しなかったとしても、議題に上り、解決の順番を決めた以上、拉致に関して、北朝鮮は清算≠フ義務を負ったはずである。その義務を中途半端なままにして、日本の過去の歴史の清算(=国交正常化による経済協力)だけを求めるのは、彼らが常套的に使う非難言葉を借りれば、「政治道徳的に卑劣な行為」と言わざるを得 ない。

 
決の順番を決めたことがお互いの足を縛ってしまい、ほどこうにもほどけない袋小路に迷い込んでしまったといった状況だろうか。しかし順番を守らないことには、日本側としても先に進めることはできない。 反故にされる危険が限りなく大だからである。

 
経済制裁は効果足りうるかの議論

 

 「経済制裁は効果足りうるかの議論」が盛んに取り交わされている。もし経済制裁を行うとしたら、アメリカとの共同歩調がなければ、効果足らしめることは不可能だろう。アメリカがイラクで動けないというなら、イラクの選挙が終わるのを待たなければならない。

 但し、単独で行わなければならない状況に立たされたなら、経済制裁の目的を北朝鮮側の不誠実な対応に終始している拉致問題の解決の進展を促すためとしても、対外的な理解を得にくいばかりか、効果自体さして期待が持てないのではないだろうか。後者の理由は、解決の促進は金正日自身の罪を暴くこととなる相互矛盾の関係にあるからである。対日批判と制裁によって生じる経済的な困難に耐える、北朝鮮に可能な限られた対応を引き出すだけで終 る懸念が考えられる。

 単独経済制裁を効果足らしめるためには、第一番に韓国・中国の拒絶反応を回避し、理解を得なければならない。賛成はしなくても、止むを得ないという態度に持っていく必要がある。そのためには、拉致にしても、核兵器といった大量破壊兵器にしても、貧困・飢餓・餓死・脱北にしてもすべて独裁者がつくり出した悪であって、その悪を作り出している大本を取り除かずに、独裁体制を維持する、または擁護する方向に進んだなら、いわば金正日が独裁者でいる限り、必ず悪を引きずらせることとなって、解決を不完全な状態に置くことになるという論理展開が必要となるのではないだろうか。

 例えば金正日が独裁者の地位にある限り、我が身を守るために考えつくあらゆる手段を使って秘密裡に核開発計画を続行する疑いは払拭できずに残るはずである。金正日が94年の米朝枠組み合 意――北朝鮮は5メガトンの原子炉の稼働凍結、プルトニ ウム再処理工場の操業中止、50メガトンと 200メガトンの原子炉建設の停止を約束。アメリカと同盟国は、北朝鮮での軽水炉2基の建設を支援し、アメリカは年間50万トンの重油を供給――後の早い段階でウラン濃縮技術を利用した核兵器開発に乗り出す裏切りの前科を犯していることが、払拭できない根拠となるだろうし、独裁者の排除なくして根本的解決なしの有力な補強証拠ともなり得るはずである。

 北朝鮮に於ける独裁体制の維持とは、それを兄弟子供に受け継がせるための軍事優先の政治の維持をも同時に意味する。もし血縁関係のない第三者に指導者の地位を譲ったとしたら、金正日自身が金日成から息子として受け継いだ権力継承の正統性を失うし、そればかりか自己の失政を糾弾されかねない爆弾を自らつくり出すこととなるからである。

 つまり、政治・経済的に困難な北朝鮮を受け継いだ後継者は、その困難は簡単には改善も克服もできないだろうから、国民の批判をかわして自己を正当化するために、自らがつくり出した困難ではないこととして扱う誘惑に限りなく駆られるだろう。最悪の場合、権力継承者でありながら、その継承を裏切って金正日を悪者に仕立てる恐れさえ生じかねない。

 金正日は、自己の権力継承の正統性と自己の政治の誤りなきを守るためには、血縁者に継承させる以外に道はない宿命を金日成から権力を継承した時点で既に背負ったのである。そのような正統性は継承権力を絶対化するために父親の金日成を神格化したように、自分に代わる後継者に神格化の継承をも受け継がせ、自己の神格化を得て初めて完成する。

 権力の継承がそのような内容と構造になっている以上、独裁者金正日の国家権力からの退陣と、退陣による北朝鮮国家体制の民主化・北朝鮮国民の解放を最終目的とする劇的な変化以外にすべての北朝鮮問題の根本的な解決はあり得ないことを自明の理とすべきである。日本の北朝鮮に対する経済制裁は世界が普遍的価値としなければならない民主主義と自由・人権が保障された人間存在のあるべき姿への転換・誘導を北朝鮮に於いて目指すものであると高らかに宣言して、そのことへの反対は民主主義と自由・人権の保障を否定するものであるとする理論展開のことである。

  日本政府は北朝鮮への経済制裁の発動と同時に万が一の北朝鮮の攻撃に備えて、アメリカ政府と連携の上で自衛隊に北朝鮮に対する第一級の警戒態勢を取らせる。勿論日米安全保障条約に従って、在日米軍も警戒態勢に入るだろう。韓国も警戒態勢を取らざるを得ないし、在韓米軍も応じる。解決の促進は金正日自身の罪を暴くこととなる相互矛盾の関係にあるからである。

 日本政府は北朝鮮への経済制裁の発動と同時に万が一の北朝鮮の攻撃に備えて、アメリカ政府と連携の上で自衛隊に北朝鮮に対する第一級の警戒態勢を取らせる。勿論日米安全保障条約に従って、在日米軍も警戒態勢に入るだろう。韓国も警戒態勢を取らざるを得ないし、在韓米軍も応じる。

 少なくともこのようなシナリオをつくり、米韓中ロに了解を取り付けるところまで持っていかなければならない。北朝鮮の軍事的反撃が人命の犠牲を誘発することも十分に考えられる。だが、民主主義・自由・人権は全世界が共通の価値・財産としなければならないすべての人間社会に亘っての原則とすることが民主主義国家に生き、自由と人権を曲がりなりにも享受している人間の務めであろう。自分たちだけが享受し、人間らしく生きられればいいというのはあまりにも利己主義に過ぎる。あまりにも独善的に過ぎる。経済的利益が享受できる経済のグローバル化だけで、民主主義・自由・人権のグローバル化は不必要だと言うのと等しい。

 まだまだ偏った未成熟・未完なものとは言え、経済のグローバル化に於いても、経済的利益と損失のより平等な世界的共有が欠かせないと同じく、民主主義・自由・人権のグローバル化に於いても、より平等 ・公正な世界的共有と享受と 、それと同時に、実現のための人的犠牲をも共有しなければならないはずである。アメリカ・イギリス、その他の民主主義国家がそのために人的犠牲を払いながらイラクで戦っている。北朝鮮に対する民主主義・自由・人権のグローバル化に於いても、当然起こり得る人的犠牲は共有しなければならないし、共有なくして、そのグローバル化は実現し得ない。独善国家に陥るか否かが試される。

★4小泉首相の靖国参拝    

 本の対北朝鮮経済制裁発動に関わる中韓の理解の取付けに小泉首相の靖国参拝は障害にならないのだろうか。小泉首相の靖国参拝理由は被侵略国に対しても普遍性・正当性を持ち得るのだろうか。小泉首相の参拝理由を見てみる。

 「二度と戦争を起こしてはならないという意味を込めて参拝した」

 A級戦犯に関して、「死者に生前の罪まで着せて、死んでも許さないというのは、日本人にはあまり馴染まない。こういう気持ちも外国の方には理解してほしい」

 「日本人の国民感情として亡くなるとすべて仏様になる。死者をそれほど選別しなければならないのか」

 「二度と戦争を起こしてはならない」という理由は聞こえはいい。しかしどの理由を検証しても、「起こしてはならない」戦争」がどのような戦争だったのか、 参拝時に一言も言っていない。日本軍が侵略地で何を為したのかの説明もない。朝鮮戦争・ベトナム戦争では日本は発進基地・補給基地・補修基地として戦争」に協力・加担しているばかりではなく、その戦争から特需という名で多大な経済的利益まで得ている。その利益が戦後日本の復興の原動力となったのは否定できない事実であろう。

  1991年の湾岸戦争では総額130億ドルもの戦費を拠出して、米国を主体とした多国籍軍の戦闘・戦争を資金面から支え、遂行に協力・加担している。日本が起こした「戦争」ではないし、カネは出しても何もしていないというのは許されないだろう。多国籍軍と共助の関係にあったのであ り、間接的にではあっても、共助の立場から「戦争」に臨んでいたのである。今回のアメリカのイラク攻撃には人道支援なる名目であっても、自衛隊を直接戦地に送り、精神的・心理的に側面から米英軍を支援している。

 「二度と戦争を起こしてはならない」とする考えと現実とのこのような 乖離・矛盾は、「戦争」を 一般論化する誤魔化しを働いていることから起こっている。

 日本が起こした「戦争」とは 一般的な戦争ではなく、具体的には侵略戦争であって、従って、「起こしてはならない」「戦争」とは侵略「戦争」なのである。小泉首相が「二度と侵略戦争を起こしてはならないという意味を込めて参拝した」と、正確且つ正直に日本が自ら犯した侵略「戦争」への戒めとしたなら、中韓の理解を得ることができただろうし、日本が戦後関わった朝鮮戦争とベトナム戦争 、さらに湾岸戦争とイラク攻撃に至る戦争協力に乖離と矛盾を犯さずに済んだはずである。朝鮮戦争もベトナム戦争も、民主主義と自由・人権の獲得を目指す戦争であった。朝鮮戦争 後、紆余曲折はあったが、韓国は民主化を果たした。ベトナム戦争ではアメリカの敗北が言われているが、ベトナムはドイモイとそれを受けたアメリカとの国交回復によって、勝利をアメリカに一歩譲った。ベトナムは民主化を果たさないではいられないだろう。民主化を果たしたとき、 多大な犠牲を払ったものの、アメリカの勝利が決定的となる。

 もし「二度と侵略戦争を起こしてはならないという意味を込めて参拝した」という言葉を口にすることができたなら、例え「死者に生前の罪まで着せて、死んでも許さないというのは、日本人にはあまり馴染まない」としても、「日本人の国民感情として亡くなるとすべて仏様になる」としても、侵略「戦争」に重大な罪を以って関わったA級戦犯は、その事実によってA級戦犯として扱わなかったなら、新たな自己矛盾 をつくり出すこととなる。

 逆説するなら、小泉首相の言う「戦争」は侵略の意識がないから、A級戦犯の合祀に無感覚でいられるのである。

 果たして小泉首相の言う、また多くの日本人がそうと信じている「亡くなるとすべて仏様になる」という「日本人の国民感情」なるものは事実としてある 感覚なのだろうか。

 子供の頃、ウソをつくと、親や学校の先生、近所の年配者に「閻魔様に舌を抜かれる」と注意された。悪いいたずらをすると、「地獄に落ちるぞ」と注意された。いや、それらの注意は諭しを超えて、ある種の威しが含まれていた。「悪いことをしても、死ねば、人間はみんな仏様になるのだからね」などと言われた試しは一度としてなかった。もし誰かが言ったとしたなら、それは安心してウソや悪事を働くことのできる奨励する言葉となっただろう。

 これらの事実は、少なくとも子供時代は、ウソをついたり悪事を働いたりした人間は死後地獄に落ちて苦しめられるということを植えつけられたことを示している。親を含めた大人たちは、死ねば許されるという感情を抱いていながら、子供には、「閻魔様に舌を抜かれる」とか、「地獄に落ちるぞ」と 二重基準を働いていたのだろうか。いわば子供に善き行いをさせる方便として使い分けていたということなのか。

 だとしたら、仏教の地獄思想は何のために存在するのだろう。キリスト教にも地獄がある。ウソや悪事を働くのは子供に限っていない。大人も働く。言い換えるなら、人間は悪事を働く生き物であることを存在の一つの姿としている。だからこそ、宗教は地獄の思想で威して、悪事に走るのを押しとどめようとしたのだろう。

 仏教の地獄を『大辞林』(三省堂)で見てみる。地獄とは、「六道(すべての衆生が生死を繰返す六つの世界。迷いのない浄土に対して、まだ迷いのある世界。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道。前の三つを三悪道、あとの三つを三善道という。)の最下位。閻魔が主宰し、死者の生前の罪を審判して、それに応じた責め苦を与える。八熱地獄・八寒地獄など136種類ある。」

 同じ『大辞林』によれば、キリスト教の地獄とは、「神と神の言葉を拒む者が落とされる最も恐るべき運命、または世界」と解説されている。

 日本の仏教に136種類も地獄があるとは驚きである。136種類もの地獄を用意して戒めなければならない程にも人間は始末に終えない生きものだということだろう。餓鬼道とは、「飲食が自由にならず、飢えに苦しむ世界」 (同)となっている。北朝鮮国民の多くは愚かな独裁者金正日と一握りの同類によって、生きながらに餓鬼道に苦しめられているのである。畜生道とは、「悪行の結果、死後生まれ変わる畜生(鳥獣虫魚)の世界」(同)だそうだ。

 このような仏教の地獄思想に反して、死後「仏様になる」のは目出度いことではあるが、日本人の感覚から言ったなら、金正日にしてもその死後、「仏様になる」ことになる。

 宗教は地獄を設けて、人間の行いの戒めとし、天国や極楽浄土を設けて、仏教に関して言えば、修羅道・人間道・天道などと段階まで設けて、善行を奨励しなければならなかった。人間 が始末に終えない生きものであるのは、政治家と言う人種だけを見ても、十分過ぎるくらいに理解できる。

 仏教の地獄思想は、悪行を悔い改めて善行を積まなければ、「死んでも許さ」れないことを教えている。「許さ」れるどころか、「生前の罪」に応じて、責め苦を負わされることを教えている。

 では、「死者に生前の罪まで着せて、 死んでも許さないというのは、日本人にはあまり馴染まない」とか、「日本人の国民感情として亡くなるとすべて仏様になる」といった 感覚はどこから出てきたのだろうか。イスラム過激派テロ集団が民間人を人質としたとき、テレビ局のマイクを向けられたバグダッド市民の「イスラムは民間人を人質にしない」といった、平気で事実と矛盾させた言葉や、イスラムだけに限らないし、民主化のための期間限定なものと決定されていながら、聖職者の「イスラムは外国の占領を許さない」といった合理性に欠ける言葉が、イスラムなるものをダシにしてイスラムを持ち上げ、 持ち上げたイスラムを虎の威にして、自己の正当化を図るご都合主義の綺麗事でしかないのと同様に、あるいは自分に都合のいい世論調査は、世論の支持があるとし、都合の悪い世論調査は、世論が常に正しいとは限らないとするご都合主義と同様に、「仏様」をダシにして靖国参拝を自己正当化する 綺麗事のご都合主義に過ぎないのだろうか。あるいは自分たちが起こした侵略戦争から侵略性を払拭するために戦争遂行の当事者である戦死者を「亡くなるとすべて仏様になる」(=善となる)とすることで、その仏性・善性で戦略性を覆い隠すための綺麗事 であり、ご都合主義だということなのだろうか。だとしたら、A級戦犯を追悼の対象に含めているのも頷けるだけではなく、一般兵士に優る追悼の対象にすべきであろう。

 百歩譲って、「亡くなるとすべて仏様になる」としよう。オウム真理教の狂った殺人鬼麻原彰晃も、死刑が執行された時点で、「仏様になる」。 大阪は池田小事件の残酷な殺人者宅間守は死刑執行され、既に「仏様にな 」っている。「仏様にな 」った宅間守はどんな「仏様」の姿をしているのだろうか。死刑が執行された場合の麻原彰晃は、どんな「仏様」になるのだろうか。麻原彰晃の場合は逮捕される前は尊師を名乗り、 もっともらしげに座禅を組んでいたりしたから、「仏様」になった姿は生前の姿とさして矛盾なく思い浮かべることができるかもしれない。結構なことではないか。

 だが、池田小事件の被害者の遺族、松本サリン・地下鉄サリンの被害者の遺族は麻原彰晃や宅間守が「仏様」になるのを素直に抵抗もなく受入れることができるのだろうか。いや、中国や韓国、その他のアジアの国々の戦争被害者の遺族と違って、快く受入れるに違いない。 何と言っても、「日本人の国民感情として亡くなるとすべて仏様になる」のだし、「死者に生前の罪まで着せて、 死んでも許さないというのは、日本人にはあまり馴染まない」のだから。被害者の遺族ではない小泉首相にしても、宅間守や麻原彰晃、その他の悪辣な同類が「亡くなるとすべて仏様になる」のを快く受入れるに違いない。いたずら目的で奈良の罪もない小1女児を誘拐し殺害した小林薫の罪が確定したのち、どんな形で死を迎えようと、「仏様になる」のを何ら抵抗もなく認めることができるだろう。「日本人」であるなら、できないはずはない。

 しかし、しかしである。だからと言って、宅間守や麻原彰晃が犯した犯罪が抹消されるわけではない。「生前の罪」「生前の罪」として、その事実は記憶され、日本の社会がかつて抱えた姿として語り継がれなければならない。それと同様に、日本がかつて犯した侵略戦争も記憶され、かつてあった日本の歴史の姿として語り継がなければならない。「二度と戦争を起こしてはならない」といった単純な戒めのためだけではなく、過去を検証して、世界の検証に寄与するためである。当然、虐殺・虐待・強姦 ・強制連行といった「生前の罪」の精細な検証も必要となってくる。

 小泉首相の靖国参拝にはその姿がない。「二度と戦争を起こしてはならない」と将来に視線を向ける自分たちに都合のいい姿勢のみで、検証に痛みを伴う日本という国と国民が犯した歴史的事実としてある「生前の罪」から目を背けて捨象する新たな「罪」を犯している。だから、「戦争」なるものを 一般論化して、平気でいられるのだろう。

 日本と日本国民が犯した「生前の罪」を誤魔化しなく検証し、世界の検証に役立てたとき、日本と日本人は信頼の置ける大人として猜疑心なく近隣諸国に受入れられのではないだろうか。そのような姿となるのを今まで放っておいただけに、その道は到達に時間がかかるだろうが、少なくともそうする姿勢を表明して、誠実な態度で着手したなら、北朝鮮に対する経済制裁も理解を受けやすくなるのではないだろうか。

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