メーリングリスト[kokkai2]投稿の<外交カードとしての靖国参拝>(「市民ひとりひとり」第104弾に『外交カードとなっている靖国神社参拝』と改題してアップロード)に対する批判記事から始まった論争です。kondo taeko女史の許可を受けて掲載します。読者の判断に任せるために
趣旨を違えない誤字・脱字の範囲に限って、訂正した箇所はあります。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07252] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月22日 16:13
kondo です。
手代木さんの論考は読む方にもかなりの忍耐が必要ですので、論旨を正確に把握して
いなかったらご容赦ください。
私見では、小泉首相の靖国参拝は三権分立の憲法を持つ日本として、好ましいもので
はない。しかし、「靖国参拝も教科書問題も国内問題であって、外国が干渉すべき問
題ではない」これは、国際社会が円滑にいく基本的原則であると思う。
戦後60年、日本は、所謂「歴史認識」の問題でどれほど神経を使ってきたか、私の
書棚には、いまだに小田稔著「教科書をアジア人と考える」というバカバカしい類の
本がありますが、今にして思えば「なぜ、自国の教科書を他国の人と相談しながら書
かねばならないのか」そんな国は日本以外どこにもない。日本は戦後処理の問題を済
ませた後も、強かな隣国の言われるがままに従い、謝ってばかりで、甘やかしすぎ
た。
その甘やかしが「靖国参拝、教科書問題への干渉」という彼らの流儀を作った。中韓
の受け止め方は彼らの流儀だから変えられない。「首相の靖国参拝を二国間の最大案
件にしてしまったのは」、小泉首相ではなく、当の中韓だからだです。
中韓の靖国攻撃は権力維持のため内政問題から国民の目をそらす格好の材料だと思い
ます。手代木さんは、日本には「靖国参拝」一つにしても、様々な意見があるのに、
中韓の国民の100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくることを、異常だと思いませんか。小泉首相の靖国参拝よりも、そのことの方が問題だと私は思い
ます。
靖国のことで中韓関係が悪化しているとは私は思いません。あれは中韓の流儀で、靖国が解決すれば、教科書問題を出してくるでしょうし、それが済めば、歴史認識や尖閣、竹島と、国民の目を反日に向けておくのが、中韓の権力維持のために都合がよいだけのことです。
日本は中韓のそうしたパフォーマンスにむきになる必要もありません。逆の意味で、
中韓の内政問題のようなものですから。権力の前になす術を知らない中韓の国民の真
意を察するのみです。
送信者:
"Hiroyuki.Teshirogi" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07260] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月23日 21:28
手代木です。
kondoさんへ。
最初に断っておきますが、私の言っていることが常に正しいわけではなく、私は私の考えを述べるに過ぎません。
「『靖国参拝も教科書問題も国内問題であって、外国が干渉すべき問題ではない』これは、国際社会が円滑にいく基本的原則であると思う。」との主張について。
政治家の多くもこの手の「内政干渉説」を唱えているようですが、「外国が干渉すべき問題ではない」と結論づけるためには、最初にこれこれの理由で「国内問題であ」ることを証明して、それを前提として初めて可能となる結論のはずですが、kondoさんにしても、最初の証明を行わずに、いわば証明を行っていない前提を使って、いきなり結論に導く乱暴な論理展開となっています。なぜ「国内問題」と言えるのか、ご説明願いたいと思います。
分かり切ったことだから証明を省いているのか、合理的な論理性(「道理に適った思考の形式」という意味で使っています。私のそれはたいしたことはありませんが)を欠くからなのかどちらかと思いますが、合理的論理性というのは非常に重要事柄だと思います。そういった資質が日本人には民族性として欠けているとなったら、重大問題だからです。
私は、「靖国参拝」は「国内問題」ではないという立場に立っていますが、そのことから説明します。問題となっているA級戦犯その他は外国の土地で外国と戦った戦争を担った者たちです。例え当時の中国国民、朝鮮国民が何らかの圧制下や貧困状態にあったとしても、A級戦犯その他は圧制及び貧困からの解放のための戦争を戦ったわけではなく、その戦争が日本という国家が仕組んだ戦争であったとしても、対外戦争を通して相手国民の個々の土地を奪い、生活を奪い、人生を奪い、命を奪う(朝鮮では名前を奪い、言葉まで奪っています、)従来以上の抑圧的な圧制とより一層の貧困と外国領土の蹂躙を恣にしたまさしく実行部隊の位置にいたのです。
これを「国内問題」と取るかどうかです。例え戦時賠償が片付いているとしても、済んだことだとして、「国内問題」に帰着させることはできないと思います。外国との間に起こった戦争であったことの歴史の事実、その酷さは消すことはできず、事実として記録されなければなりません。
以前は政治家は、「国のために殉じた(あるいは、「国のために命を捧げた」)戦没者を追悼するのは残された者の務めだ」といった文脈で参拝の正当化を図ってきましたが、最近は「国のために」といったレトリックに重点を置かなくなったようです。 私が知る限りでは、安倍晋三は今回の小泉参拝で次のように言ってます。
「中国と韓国は誤解している。靖国参拝は冥福を祈り、平和を願う静かな行為です」
小泉は先のメールで書いたように、「心の問題に他人が干渉すべきじゃない。ましてや外国政府が戦没者に哀悼の誠をささげるのを『いけない』とか言う問題じゃない」
両者に共通しているのは精神的行為であり、だから間違っていない(正しい)と見せ掛けていることです。精神的行為だから正しいとは限りません。それが誰から見ても妥当性を持った精神的行為かが問題となります。ここにも合理的な論理性の排除があります。
「国のために殉じた戦没者」、あるいは「国のために命を捧げた兵士」という文言は、それがどのような「国」だったかの証明を省く果たすべき合理的な論理性の排除のもと、そのことを前提として「国に殉じた」、「命を捧げた」としているのです。
「国のために殉じた(命を捧げた)」とは、「国」も、「殉じた(命を捧げた)戦没者」も肯定することによって成り立つ関連性であるから、そこに合理的な論理性を関与させたなら、肯定自体が成り立たなくなるからこその排除なのでしょう。間違った「国のために殉じた(命を捧げた)」としたなら、戦没者の行為だけではなく、追悼行為自体も否定しなければならなくなります。
戦前の軍国主義日本を、肯定を前提とした上で「冥福を祈り、平和を願う静かな行為」とし、「心の問題」として行っている参拝だと言うことです。中国・韓国に対して過酷な戦争を起した戦前の日本という「国」を肯定し、戦争の実行部隊であった兵士を、亡くなっているとはいえ、その戦争行為を肯定しているのだから、中国・韓国が問題にして当然だと私は考えます。
そして、そのような肯定意識を教科書に反映させようと執念すら見せているのだから、当然「教科書問題も国内問題」と見なすわけにはいかなくなります。
> 「なぜ、自国の教科書を他国の人と相談しながら書
> かねばならないのか」そんな国は日本以外どこにもない。日本は戦後処理の問題を済
> ませた後も、強かな隣国の言われるがままに従い、謝ってばかりで、甘やかしすぎ
> た。
ドイツは「他国の人と相談しながら書」いています。ちょっと長いですが、私が説明するよりも分かりやすく理解できるでしょうから、2001年4月4日の『朝日』夕刊に出ていた記事を全文紹介します。面倒臭かったなら、端折って読んで下さい。
<地球時代の歴史教科書(上)>
『被害国と対話重ねたドイツ 国境超え意思疎通する力を』
近藤孝弘・名古屋大学助教授――比較教育学・カリキュラム論
近代世界に於いて、歴史教科書は民族・国民意識の醸成に大きな役割を果たし、ときに植民地支配や侵略戦争を正当化してきた。その事実を考えれば、教科書の記述を巡って、議論が起きるのは必ずしも理解しがたいことではない。大切なのは、こうした近代の負の遺産に、現在に生きる若者がどう対処するかである。
■鉄のカーテンを超えて
このことを問い続けてきた戦後(西)ドイツは、今なお右翼急進主義への対策に苦慮しながらも、その過去への取組みによって、日本の現状を把握する上で、有効な視点を与えてくれる。
敗戦国ドイツの歴史家は、まだ占領下にある頃から、教科書に潜む民族主義・自国中心主義に歪められた歴史記述を摘出するため、西欧諸国の歴史家を主な相手として、いわゆる国際歴史教科書対話を重ねてきた。とりわけナチズムによる最大の被害国の一つであるポーランドとの間で1972年に開始された活動は、鉄のカーテンを超えて行われた最初の本格的な対話でもあり、世界の注目するところとなった。
この対話で重要なのは、参加したドイツの歴史家が、相手のではなく、自分たちの教科書の修正を優先する方針を採用したことである。
言論の自由のないポーランドの歴史家に、彼らの教科書への批判を要求したなら、対話は不可能だったろうとドイツ側代表は後に述べている。
一連の会議を経て公表された『共同教科書勧告』では、ドイツの教科書の近現代史記述に対する修正意見が大半を占めることになった。『第2次大戦を扱う際には、ナチスの占領政策と、それがポーランド国民にもたらした結果が十分に描かれるべきである』。勧告はこう述べる一方、例えば戦後のポーランド政府によるドイツ系住民に対する迫害については、詳述を要求していない。
この勧告は法的拘束力を持たないにもかかわらず、ドイツの歴史教科書に大きな影響を与えることになった。公表された時点でこそ、野党の保守派はそれを不公平で共産主義的と非難していたが、82年に政権に復帰するまでには評価を転換し、対話が両国民の和解に果たした貢献を承認している。この数年来、歴史家たちは、両国関係史に関する教師用ハンドブックシリーズの共同編集という新たな試みを進めている。
さらに、歴史に対する反省的な姿勢の価値が社会的に認知された結果、一部の研究者から、次のような問いも提起されることとなった。
■求められる合理的思考
対話は、他者からの批判によって自国史像を鍛え直すものであり、むしろ国家の統合力を強化してはいないか?真剣に問うべきは、豊かな国の間の緊張よりも、むしろ地球上の富の著しい偏在であり、その不平等な世界システムを構成している近代国家という存在そのものではないか?
国際歴史教科書対話は、今では歪んだ歴史解釈だけでなく、それを生み出した国民や民族という人間集団のあり方を批判の俎上に乗せるよう期待されているのである。
しかし、この欧州の新しい議論を日本に移すと、そのリアリティーは失われてしまう。ここでは自国史を讃える言葉が広範な人々により、ためらいなく使用されている。日本の歴史への自訴を訴える『新しい歴史教科書をつくる会』主導の教科書を出現させたのも、こうした日常である。
主権者としての国民が民族主義を克服せずに存在している以上、国民というあり方を否定するだけで現実的な対応を怠ることは許されない。私たちは政治的な意思決定が独善的な感情論に流されないための装置を必要としている。とりあえず求められるのは、国民としての倫理性と合理的な思考であろう。具体的には、国際的な対話を通して、良好な関係を目指す自制的な歴史認識を獲得できるかが問われることになる。近代国家を徹底して批判する立場からは異論もあるかもしれないが、歴史教育の脱民族主義的な再構築が、今の私たちの課題なのである。
ドイツと日本の問題状況に差をもたらしている原因の一つは、歴史というものについての理解の相違にあるのだろう。両国に於ける歴史教育の目標には、その違いが明らかである。
■非政治的態度の政治性
ドイツのいくつかの州が定める規定を見れば、そこでは民主的な社会を運営する上で不可欠な政治的能力の育成が、歴史教育に期待されていることが分かる。この能力の中には文化や国籍を異にする人々と意思を疎通し、協力する準備も含まれており、ここに教科書対話の必然性も生じるのである。
一方、『我が国』の文化・伝統を尊重し歴史への愛情を育むことを歴史教育の目標に据える日本学習指導要領は、私たちの歴史への姿勢が、社会意識を欠いた教養主義にとどまっている様子を示している。
今日、歴史と政治を切り離すことは不可能である。日本の国民が、文化や伝統といった言葉で歴史認識が持つ政治的側面を隠蔽して過ごす現実もまた、民族主義が温存される、その政治的状況と相互に支え合っている。近隣諸国の人々との対話の可能性を切り開くには、一見非政治的な態度が、実は政治的に機能しているという、歴史を巡る欺瞞性を見定めるところから始めなければならない』
* * * * * * * *
以上の文章から感じ取ることができるのは、ドイツの大人性です。それが日本にはない。
文章中に、「ドイツと日本の問題状況に差をもたらしている原因の一つは、歴史というものについての理解の相違にあるのだろう。両国に於ける歴史教育の目標には、その違いが明らかである」という記述がありましたが、私自身は、<歴史の理解の相違>ではなく、<自己存在証明方式=自己民族存在証明方式の違い>が歴史的感性に反映されているに過ぎない結果ではないかと考えています。
南京虐殺も強制連行も従軍慰安婦も、多くの被害者が証言しているにも関わらず、事実を示す資料が存在しないからと、証言者が多数存在するという事実の記述すら教科書に許可しなかった。資料が発見されてからも、南京虐殺は数が曖昧だからと教科書記述に難色を示し、強制連行は、強制ではない、従軍慰安婦は、自分たちで選んだ商売だ、軍の関与はない、あるいは当時は従軍慰安婦などという言葉は存在しなかったと言い逃れに汲々した。
ここにドイツが示した大人性を感じることができません。日本の歴史に負の箇所はなかったこととしたい欲求は、戦前の戦争を侵略戦争ではなかったとする当初の歴史認識(現在でも否定する日本人が多い)と合わせて、日本民族の無誤謬性を信じ切った盲目的な優越意識(=反合理的論理性)からの発想(=自己民族存在証明)ではないでしょうか。無誤謬な人間など存在しないと同様に、無誤謬な国家など存在しないというごく当り前な事実さえも理解できない合理的な論理性の欠如に侵されているのです。
民族の無誤謬性とは、日本民族は優秀だから過ちは犯さない・過ちは認められないという民族優越意識の言い替えなのは言うまでもありません。そのことは当然なことであるが、天皇という存在にも反映されいます。天皇を過ちある存在としたら(実際はそのとおりだが)、日本も過ちある国、過ちある民族としなければならなくなり、無誤謬性に矛盾が生じるからです。そういった心理が<自己存在証明方式=自己民族存在証明方式>として日本人に意識化されていることです。
上記の文章も触れていますが、自民党改正憲法<前文素案>にまで、日本の歴史・伝統・文化を優越したものと謳い、そのことを根拠として、学校教育にまで愛国心教育を採り入れようとするあからさまな衝動を蠢かせている。なぜこうも優越意識の露出が必要なのか。日本人が真に優秀なら、あれこれ宣伝しなくても自然と現れる資質のはずです。露出を必要とするのは、優秀さが実体として存在していないから、その裏返し意識が表面上の優越性を求めるからではないでしょうか。
いわば、如何なる民族も負の歴史・負の伝統・負の文化を併せ持つにも関わらず、日本民族を優秀とする歴史や伝統、文化で自ら顕彰しなければならないのは、日本を世界に自己実現する(個人のレベルで言えば、自己を社会に自己実現する)優れた実体的な創造性、あるいは社会性を欠如させていて、それを埋め合わせる必要上の見せかけの補完材ではないかと言うことです。
民族優越意識を振りまわす政治家は大抵が、満足な政治ができない政治的創造性欠如の埋め合わせに自己を立派に見せるカモフラージュ、もしくは装飾に利用しているに過ぎないと私は見ています。その政治家が優秀なら、自らが持つ政治的創造性を各政策に反映・実現させ得て、その優秀さが政策の結果に自然と現れるはずだからです。すべての政治家がそのように優秀なら、その原因を民族性に収束できますが、碌でもない政治家の方が多い現実を考慮すると、いやでも民族性には関係ない問題とせざるを得ません。
自分の所属する社会に確かな社会の生きものとして、一人一人が自分なりの世界を持つ――。社会の生きものとして形だけは維持できても、実質性を伴って十分に生き得ない中身のない人間が、自己存在証明の材料に何らかの優越意識に依存する。それが日本民族優越意識であったなら、空恐ろしいことです。「国」を思うこと(愛国心の発露)よりも、如何に「社会に生きる」か、「如何に社会の生きもの足り得るか」を問題にすべきだと思います。社会の生きものとしての生き方が土台となって、その国のありようにつながっていくと考えるからです。政治家を社会の姿として、社会の生きものたり得ている政治家がどれくらいいるのでしょうか。
> 手代木さんは、日本には「靖国参拝」一つにしても、様々な意見があるのに、
> 中韓の国民の100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくることを、異
> 常だと思いませんか。小泉首相の靖国参拝よりも、そのことの方が問題だと私は思い
> ます。
天安門事件は「100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくること」とは正反対の現象ではないでしょうか。今朝(05.120.23)の『朝日』朝刊に、<クールに進む「日本離れ>という記事があります。インターネットで韓国国民の考えを探ったところ、「『韓国の国力が弱いから、こうなる』『日本への内政干渉はそろそろやめたほうがいい』」といった書き込みがあり、「日本に対する非難よりも、韓国政府批判が目立った」という内容です。韓国人の中にも「内政干渉」と把えている人間がいることを示しています。
記事は、インターネットで窺うことができた韓国民の対応を、「倦怠感と歴史の総決算への義務感の交じった、ざらついて冷ややかな『日本離れ』ともいうべき
」状況にあると捉えた結論となっています。
韓国が経済のアップダウンを何度か経験して、確かな自信を持てないでいるのに対して、急上昇のみの局面しか知らない自信過剰が民族主義に反映されかねない中国の危険性を考えないわけにはいきません。経済がうまくいかなくても、アジアに対しては優越意識を前面に出さないでは済まない日本が一番に問題にしなければならない課題であるかもしれませんが。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07262] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月24日 22:42
kondo です。
> 「『靖国参拝も教科書問題も国内問題であって、外国が干渉すべき問題ではな
い』これは、国際社会が円滑にいく基本的原則であると思う。」との主張について。
>
> 政治家の多くもこの手の「内政干渉説」を唱えているようですが、「外国が干渉
すべき問題ではない」と結論づけるためには、最初にこれこれの理由で「国内問題で
あ」ることを証明して、それを前提として初めて可能となる結論のはずですが、
kondoさんにしても、最初の証明を行わずに、いわば証明を行っていない前提を使っ
て、いきなり結論に導く乱暴な論理展開となっています。なぜ「国内問題」と言える
のか、ご説明願いたいと思います。
60年前の戦争のことは、サンフランシスコ条約及び韓国とは2国間条約で「日本は
戦争責任を取って、処罰され、賠償も補償も済ませた。だから、もう、戦争のことは
トヤカク言いません」とお互い約束をしたからです。米政府は従来、日本の首相の靖
国参拝について、その是非を論評したことは全くなく、公式参拝か否かを問わず、問
題視はしないという態度をとってきました。アーミテージ氏も述べているように、日
本の首相による国内での戦没者への心の表明のあり方に、外国政府が要求をぶつける
べきではないと思います。私が小泉首相の靖国参拝を良しとしないのは、隣国からの
圧力があるからではありません。日本国憲法に触れるからです。
中韓が戦後60年経った今でも、靖国参拝、教科書、従軍慰安婦、強制連行、歴史認
識など過去のことばかり蒸し返しているのは、戦後の日本に瑕疵がない証拠です。中国は現在進行形で内外ともに多くの問題を孕んだ国です。軍事独裁国家ですから、自由の概念も民主主義の概念も理解しません。勿論、国民に言論の自由などある筈がありません。メディアは政府の統制下にありますから、政府に都合の悪い報道はしません。今回の小泉首相の靖国参拝の報道も、反日暴力デモの経緯から、かなり抑制したのではない
ですか。市場経済の導入で国内がぐらついている共産党政権は内政問題から国民の目
をそらす為に反日キャンペーンのカードを使って国民を煽動し、それが自らの命取り
にならないように、びくびくしているのです。だから、中国政府にとって政権が保障
されれば、靖国問題など、どうでもよいのです。
外交関係というのは、相互性の問題でもあります。日本は中韓からどんなに罵詈雑言
を浴びせられようと、中韓が国定教科書で反日教育をしていようと、何も言いませ
ん。日本にも現在進行形の問題で中韓に言いたいことは山ほどありますが、それを
言っても決して自国の非を認める国ではありませんし、それが中韓の流儀であること
を承知しているからです。本来なら、相手があれだけ干渉してくるのだから、日本も
相応の干渉するのが、外交関係の相互性の道理です。
手代木さんは日本の戦争ばかり、問題にしていますが、日本の戦争は第二次大戦のひ
とこまに過ぎません。日本は戦敗国であるが故に、理不尽な要求を呑まされました。日本の戦争を責めるなら、欧米諸国の戦時法違反も、中韓を含めた戦後の戦争の賠償や補償も責めるべきです。それが、国際関係の相互性というものです。
以下、あまりに長文ですので、回答は出来ませんが、天安門事件について、云わせて
頂くなら、あれは手代木さんが言われるように、国民の自由の発露の象徴ではなく、中国当局による無謀残虐極まる国民弾圧の象徴です。政府による暴力的弾圧の犠牲者は3000人とも4000人ともいわれています。日本でも60年代東京で12万人の安保反対デモが起こりましたが、日本政府は中国当局のような弾圧は決してしませんでした。
送信者: "Hiroyuki.Teshirogi"
<wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07264] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月26日 7:06
手代木です。
kondoさんへ
靖国参拝がなぜ「国内問題」と言えるのかとの私の問いに対して、
> 60年前の戦争のことは、サンフランシスコ条約及び韓国とは2国間条約で「日本は
> 戦争責任を取って、処罰され、賠償も補償も済ませた。だから、もう、戦争のことは
> トヤカク言いません」とお互い約束をしたからです。米政府は従来、日本の首相の靖
> 国参拝について、その是非を論評したことは全くなく、公式参拝か否かを問わず、問
> 題視はしないという態度をとってきました。アーミテージ氏も述べているように、日
> 本の首相による国内での戦没者への心の表明のあり方に、外国政府が要求をぶつける
> べきではないと思います。私が小泉首相の靖国参拝を良しとしないのは、隣国からの
> 圧力があるからではありません。日本国憲法に触れるからです。
以上の文章は中国・韓国との間の問題となっている事柄について、韓国についてのみ述べていますが、中国についてはどうなるのですか。韓国だけの問題となっているわけではなく、中国だけの問題となっていいるわけではないと思いますが。
次に、「アーミテージ」がどう述べたのか、具体的に説明してください。
アメリカは真珠湾を攻撃され、戦争によって自国兵士を多く失いましたが、中国・韓国、及び東南アジア各国のように国土を蹂躙されたわけではなく、それが国民に対する膨大な<人間の抑圧>と同時並行で行われたもので、人的被害も含めてアメリカの被害の比ではなく、状況からして異なるのだから、アメリカの考えを中国・韓国の考えとすることは土台無理があると思います。
アメリカがそうだから、中国も韓国も倣えというのは、自分の主張を正当化するに都合のいい材料を単に持ってきただけのことで、合理的な論理性の不在を示すものではないでしょうか。
「賠償も補償も済ませた」ことが、単に敗戦国だから仕方なくそうしたことなら、そのような対応は、自分たちの戦争は正しかったと解釈することによって可能となる態度であるから、参拝を「国内問題」だと強弁することはできても、やはり歴史の事実をどう解釈しているかの歴史認識の問題は残ります。
「戦争責任を取って」(=戦争の罪を認めて)「賠償も補償も済ませた」とするなら、「日本の首相による国内での戦没者への心の表明のあり方」に現れる歴史の解釈(歴史認識)次第で、なおさらのこと「国内問題」か否かが問題とされます。
首相も含めてその他の政治家の参拝が「賠償も補償も済ませた」ことを、単に敗戦国だから仕方なくそうしたことで、自分たちの戦争は正しかったと解釈するニュアンスの参拝となっている。それでは中国・韓国は日本の「国内問題」で済まされないだろうということを、言葉は違えても前回のメールで伝えたと思います。
しかしあなたは、「国内問題」だとしている。「日本国憲法に触れるから」「小泉首相の靖国参拝を良しとしない」が、「触れ」なければ、「国内問題」だから、何ら問題ではないといった主張となっている。
しかし上記の文章では十分な説明になっていないように思えますが、あなたはあなたの立場を維持してください。
> 中韓が戦後60年経った今でも、靖国参拝、教科書、従軍慰安婦、強制連行、歴史認
> 識など過去のことばかり蒸し返しているのは、戦後の日本に
> 瑕疵がない証拠です。中国は現在進行形で内外ともに多くの問題を孕んだ国です。軍
> 事独裁国家ですから、自由の概念も民主主義の概念も理解
> しません。勿論、国民に言論の自由などある筈がありません。メディアは政府の統制
> 下にありますから、政府に都合の悪い報道はしません。
これはある意味問題のすり替えです。アメリカは時に応じて中国に対して民主化を要求していますが、歴史認識とは別個に要求すべき民主化問題のはずです。日本は中国に対してだけではなく、ミャンマーに対しても、かつての独裁国家インドネシアに対しても、あるいはその他の独裁国家に対しても、その独裁政治を見て見ぬふりをして、商売にのみ励んできた過去と現在を政治姿勢としています。つまり、外国の民主主義の度合いに関しては殆ど敏感事項としていないのだから、あまり偉そうな口は聞けないのではないでしょうか。日本がアメリカと違って、北朝鮮に向かって直接、その非人権状況にもの申したことがありますか。
「勿論、国民に言論の自由などある筈がありません。」
インターネット上で結構好きなように発言している状況をどう把えますか。中国政府も色々と規制しているようですが、どうもいたちごっこのようです。
全体的に固定観念の囚われ過ぎに思えます。「戦後の日本に瑕疵」があるないの問題ではなく、中国も韓国もつき合っていく態度を問題にしているのです。おそらく東南アジア各国も同じ思いだと思います。戦争であれだけ残酷なことをしているのに、カネを持つようになってからは過去の残酷な行為をケロッと忘れて、自分たちは何でも正しいといった日本の傲慢な態度に自国経済発展のために、平たく言えば、カネのため生活のために我慢してきたが、虚心坦懐につき合える相手ではなかった。
人間が人間とつき合っていくには、過去の姿勢は問題ではありません。過去をどう把え、どう消化させているか、誰もが抱えている過去の姿勢を成長させた現在の態度が問題となると思います。「過去のことばかり蒸し返している」のではなく、中国・韓国は過去の戦争に関わる日本の現在の態度を「瑕疵」と見ているということではないのですか。
>今回の
> 小泉首相の靖国参拝の報道も、反日暴力デモの経緯から、かなり抑制したのではない
> ですか。市場経済の導入で国内がぐらついている共産党政権は内政問題から国民の目
> をそらす為に反日キャンペーンのカードを使って国民を煽動し、それが自らの命取り
> にならないように、びくびくしているのです。だから、中国政府にとって政権が保障
> されれば、靖国問題など、どうでもよいのです。
そのことが事実だとしても、そのような中国とつき合っていかなければならないのも事実です。中国の問題だとするだけで、日本の外交が進展するならまだしも、停滞状況にあります。日本政府に靖国参拝を続けながら、停滞状況にあるアジア外交を進展させるだけの方策、あるいは力量があるか、現状を見る限り疑わしいものです。
日本の安全保障理事国入り問題でも、kondoさんが言うように、統治上、国民をコントロールするための便宜であって、「中国政府にとって政権が保障されれば、靖国問題など、どうでもよい」ことを、反対・阻止の主たる動機へと位置づけていることを世界に向かって既に宣言済みです。当然その事実は日本にとって避けて通ることができない重要な要素となります。韓国も、「歴史を反省しない国が、国際社会の指導的な役割を果たすのは限界がある」と同じ動機付けを行っています。
となれば、日本にとっては安保理入りを果たす超えるべきハードルとなっている「靖国参拝」であって、やはり「中国政府にとって政権が保障されれば、靖国問題など、どうでもよいのです」だけでは片付けられない問題だと思います。
また、中国と国境を接していたり、近隣に位置している国々にとっては、今までは軍事的に近い国であったが、中国が経済発展を遂げた現在、経済的にも日本よりも遙かに近い距離に位置することとなった地政学をも外交上、常に計算に入れておかなければならない常識的事柄だと思います。日本の安保入りに東南アジアの国々に反対する国、反対しなくても、常任理拡大案に反対といった国が少なからず存在するのは、靖国問題や教科書問題等の歴史認識を内側に抱えた中国との地政学が影響していないはずはなく、このことは先のメールでも書いたように、日本のアジアに占める位置、あるいは主導権にも関わってきます。
> 外交関係というのは、相互性の問題でもあります。日本は中韓からどんなに罵詈雑言
> を浴びせられようと、中韓が国定教科書で反日教育をしていようと、何も言いませ
> ん。日本にも現在進行形の問題で中韓に言いたいことは山ほどありますが、それを
> 言っても決して自国の非を認める国ではありませんし、それが中韓の流儀であること
> を承知しているからです。本来なら、相手があれだけ干渉してくるのだから、日本も
> 相応の干渉するのが、外交関係の相互性の道理です。
余っ程中国・韓国を見下しているのですね。これだけ見下せるとはたいしたものだと、却って感心します。日本民族優越意識に根ざした見下しのようにも思えますが、ウサギとカメの諺同様に、見下している間に逆転されないように気をつけることです。
歴史認識に関わる中国・韓国の批判を「罵詈雑言」と把える感覚も見事です。しかしkondoさんの主張は日本では大勢を占めているのではないですか。つまり大多数の日本人には通用する主張だということです。それもこれも一般的に合理的論理性を欠如させているからこその言論風景だとしたら問題です。
> 手代木さんは日本の戦争ばかり、問題にしていますが、日本の戦争は第二次大戦のひ
> とこまに過ぎません。日本は戦敗国であるが故に、理不尽な
> 要求を呑まされました。
「日本の戦争は第二次大戦のひとこまに過ぎません」
日本にとっては「ひとこま」であっても、その「ひとこま」が外国領土の破壊と多くの人命を奪い、回復不可能なまでの人間性の抑圧を演出したのです。そのことを考慮に入れずに「ひとこま」と片付ける感覚は、見事は見事ですが、日本が加害者の立場に立っていたことを忘れたか、あるいは加害者の立場に立っていたと考えもしない意識からの発想であり、そのような発想はまさしく日本民族無誤謬性を土台としていなければ不可能な成り立ちに思えます。
「ひとこま」とするなら、当然広島・長崎の原爆投下も、その中に一括りにすることになります。
「日本は戦敗国であるが故に、理不尽な要求を呑まされました」との把え方は、kondoさんが最初に書いた、「日本は戦争責任を取って、処罰され、賠償も補償も済ませた」とする主張と自己矛盾を犯す内容となっています。つまり、私が言ったように、<単に敗戦国だから仕方なくそうした>のであって、<自分たちの戦争は正しかったと解釈>していることになります。だからこそ、「ひとこま」だと矮小化できるのでしょう。
> 「日本の戦争を責めるなら、欧米諸国の戦時法違反も、中韓を
> 含めた戦後の戦争の賠償や補償も責めるべきです。それが、国際関係の相互性という
> ものです。」
私はすべての戦争を否定する者ではありません。アメリカのイラク攻撃を支持しています。戦争の目的、あるいは戦争の性格に応じて、戦争の良し悪しを判断しています。但し、人間営為に絶対善も絶対正義も存在せず、存在させるとしたら比較善、比較正義のみだと考えています。そういったことをモノサシに物事を判断しています。
日中戦争とそれに引き続いた太平洋戦争に於ける<戦争の目的、あるいは戦争の性格>から比較した場合、「欧米諸国の戦時法違反」は、戦勝国であるとないとに関わらず、下位比較し、当該国が判断、処罰すべきだと考えています。
「中韓を含めた戦後の戦争の賠償や補償」の箇所は意味不明です。戦後、日本は「中韓」と戦争したのですか。朝鮮戦争時、日本はアメリカ軍の基地となりましたが、朝鮮特需によって、ボロ儲けしています。
> 以下、あまりに長文ですので、回答は出来ませんが、天安門事件について、云わせて
> 頂くなら、あれは手代木さんが言われるように、国民の自由の
> 発露の象徴ではなく、中国当局による無謀残虐極まる国民弾圧の象徴です。政府によ
> る暴力的弾圧の犠牲者は3000人とも4000人ともいわれて
> います。日本でも60年代東京で12万人の安保反対デモが起こりましたが、日本政
> 府は中国当局のような弾圧は決してしませんでした。
私は、「国民の自由の発露」とか、「中国当局による無謀残虐極まる国民弾圧の象徴」とかで天安門事件を例に出したのではありません。あなたの最初のメールの、「日本には『靖国参拝』一つにしても、様々な意見があるのに、中韓の国民の100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくることを、異常だと思いませんか」とか、「権力の前になす術を知らない中韓の国民」といった表現に対して、「100人が100人とも、同じ意見」でないこと、「権力の前になす術を知らない
」わけではないことを説明する例として、天安門事件を取り上げたのです。
ご存じのように、天安門事件は民主化を求めて全国から集まった学生が座り込みを行ったもので、戦車まで出動させた弾圧に対しては「なす術を知らな」かったにしても、座り込みを行うに際しては、「権力の前になす術を知らな
」かったわけではない行動です。
さらに現在でも中国各地で反体制運動が小規模ながら散発的に起きているようですし、地区当局の農業政策に反対する農民の反乱もどこそこで起きたといったニュースも耳にするし、ウイグル自治区では独立運動も起きているようですから、決して「100人が100人とも、同じ意見」でないこと、「権力の前になす術を知らない」わけではないことを証明しています。
天安門事件を例に出した後、新聞記事を参考にインターネットへの書き込みから窺った韓国民の反応を例示しておきましたが、「100人が100人とも、同じ意見」とは限らないという文脈で同じく伝えたものですから、理解して貰えるものと思っていましたが。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07265] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月26日 21:12
kondo です。
日本は民主主義国ですし、手代木さんは公人でもありませんから、なに
を言おうと、どう考えようと自由です。ども、手代木さんの論調は日本の
戦争への集中攻撃(ノムヒョン大統領のいう良心的日本人)のあまり、
中国や韓国のメディアを視聴しているような錯覚に陥ります。靖国参拝
問題、教科書問題、従軍慰安婦問題、強制連行問題、歴史認識問題と
戦後60年経ても、未解決の問題としてほじくり出してきます。
私は戦後処理の済んだ政府間の外交問題のあり方を問題にしている
だけなのに、手代木さんは歴史研究をしているようです。
戦争の傷跡は100年経っても消えるものではないことは、私も理解します
が、少なくとも戦争は国家対国家の問題ですから、国家に対する戦後処理
が行われ、平和条約が結ばれた以上、私人ならいざ知らず、中韓のように
政府が内政干渉すべきではないと思います。
> 靖国参拝がなぜ「国内問題」と言えるのかとの私の問いに対して、
>
> > 60年前の戦争のことは、サンフランシスコ条約及び韓国とは2国間条約で「日
> >本は戦争責任を取って、処罰され、賠償も補償も済ませた。だから、もう、戦争の
> >ことはトヤカク言いません」とお互い約束をしたからです。米政府は従来、日本の
> >首相の靖国参拝について、その是非を論評したことは全くなく、公式参拝か否かを
> >問わず、問題視はしないという態度をとってきました。アーミテージ氏も述べてい
> >るように、日本の首相による国内での戦没者への心の表明のあり方に、外国政府が
> >要求をぶつけるべきではないと思います。私が小泉首相の靖国参拝を良しとしない
> >のは、隣国からの圧力があるからではありません。日本国憲法に触れるからです。
>
> 以上の文章は中国・韓国との間の問題となっている事柄について、韓国について
>
のみ述べていますが、中国についてはどうなるのですか。韓国だけの問題となってい
>
るわけではなく、中国だけの問題となっているわけでもないと思いますが。
中国は戦後、日本のB、C級戦犯を中国国内で裁き、財産も没収し、戦勝国
として、国連常任理事国の地位も確保しました。戦勝国というのは、すべて
自国の有利な方法で戦後処理をするので「被害」は取り返している筈です。
1972年、日中国交正常化、1978年、日中平和友好条約に調印し、戦後
処理の件は解決済みです。賠償は「いらない」と言ったのは中国自身です。
しかし、日本はODAを供与しています。
> 次に、「アーミテージ」がどう述べたのか、具体的に説明してください。
数日前の産経新聞の一面記事に載っていたものを引用したので、今は手元に
ありません。14日付けワシントンポストで、米国の著名なコラムニストのロ
バート・ノバック氏が小泉首相の靖国参拝について「軍国主義や戦争礼賛と
は全く関係のない、中国の日本カード」だと論評しております。
アメリカの考え方は国際社会の常識ですし、そうでなければ国際社会は混乱し
収拾がつかなくなります。日本がアジア諸国を植民地にしたのは、隣国の中韓
だけではありません。フィリピン、インドネシア、シンガポール、ビルマ、インド、
台湾等ですが、その前後、欧米が出たり入ったりしました。欧米は知らん振り
ですが、日本はそれらのアジア諸国にも補償をしましたので、民間では何かと
言っているでしょうが、政府は何も言いません。
>
「戦争責任を取って」(=戦争の罪を認めて)「賠償も補償も済ませた」とする
なら、「日本の首相による国内での戦没者への心の表明のあり方」に現れる歴史の解
釈(歴史認識)次第で、なおさらのこと「国内問題」か否かが問題とされます。
詭弁ですね。
> > 中韓が戦後60年経った今でも、靖国参拝、教科書、従軍慰安婦、強制連行、歴
> >
史認識など過去のことばかり蒸し返しているのは、戦後の日本に
> > 瑕疵がない証拠です。中国は現在進行形で内外ともに多くの問題を孕んだ国で
> >
す。軍事独裁国家ですから、自由の概念も民主主義の概念も理解
> > しません。勿論、国民に言論の自由などある筈がありません。メディアは政府の
> >
統制下にありますから、政府に都合の悪い報道はしません。
>
> これはある意味問題のすり替えです。アメリカは時に応じて中国に対して民主化
を要求していますが、歴史認識とは別個に要求すべき民主化問題のはずです。日本は
中国に対してだけではなく、ミャンマーに対しても、かつての独裁国家インドネシア
に対しても、あるいはその他の独裁国家に対しても、その独裁政治を見て見ぬふりを
して、商売にのみ励んできた過去と現在を政治姿勢としています。つまり、外国の民
主主義の度合いに関しては殆ど敏感事項としていないのだから、あまり偉そうな口は
聞けないのではないでしょうか。日本がアメリカと違って、北朝鮮に向かって直接、
その非人権状況にもの申したことがありますか。
問題のすり替えではありません。独裁=悪の根源の論理で、手代木さんはイラク戦争
を支持したのではないですか。中東の民主化といいますが、あれはアメリカの侵略戦争ですよ。
> >今回の小泉首相の靖国参拝の報道も、反日暴力デモの経緯から、かなり抑制したの
> >ではないですか。市場経済の導入で国内がぐらついている共産党政権は内政問題か
> >ら国民の目をそらす為に反日キャンペーンのカードを使って国民を煽動し、それが
> > 自らの命取りにならないように、びくびくしているのです。だから、中国政府に
> > とって政権が保障されれば、靖国問題など、どうでもよいのです。
>
> そのことが事実だとしても、そのような中国とつき合っていかなければならない
のも事実です。中国の問題だとするだけで、日本の外交が進展するならまだしも、停
滞状況にあります。日本政府に靖国参拝を続けながら、停滞状況にあるアジア外交を
進展させるだけの方策、あるいは力量があるか、現状を見る限り疑わしいものです。
停滞しているとは思っていません。今回のことで、韓国はすでに譲歩してきました。
おそらく中国もあちらから歩み寄りを見せると思います。国際社会に知れ渡り、
みっともないですからね。
> 日本の安全保障理事国入り問題でも、kondoさんが言うように、統治上、国民を
コントロールするための便宜であって、「中国政府にとって政権が保障されれば、
>靖国問題など、どうでもよい」ことを、反対・阻止の主たる動機へと位置づけてい
>ることを世界に向かって既に宣言済みです。当然その事実は日本にとって避けて通
>ることができない重要な要素となります。韓国も、「歴史を反省しない国が、国際
>社会の指導的な役割を果たすのは限界がある」と同じ動機付けを行っています。
>
> となれば、日本にとっては安保理入りを果たす超えるべきハードルとなっている
>「靖国参拝」であって、やはり「中国政府にとって政権が保障されれば、靖国問題
>など、どうでもよいのです」だけでは片付けられない問題だと思います。
常任理事国入りの件は靖国参拝や歴史認識の問題がネックになっている
とは思いません。単なる嫉妬です。中国はアジアで覇権を維持したいから
韓国は自国の社会福祉の貧困から、日本からカネを搾り取るため、ドイツ
に行ってまで、日本叩きをしました。
> > 外交関係というのは、相互性の問題でもあります。日本は中韓からどんなに罵詈
> >雑言を浴びせられようと、中韓が国定教科書で反日教育をしていようと、何も言い
> >ません。日本にも現在進行形の問題で中韓に言いたいことは山ほどありますが、そ
> >れを言っても決して自国の非を認める国ではありませんし、それが中韓の流儀であ
> >ることを承知しているからです。本来なら、相手があれだけ干渉してくるのだから
> >、日本も相応の干渉するのが、外交関係の相互性の道理です。
>
> 余っ程中国・韓国を見下しているのですね。これだけ見下せるとはたいしたもの
>だと、却って感心します。日本民族優越意識に根ざした見下しのようにも思えます
>が、ウサギとカメの諺同様に、見下している間に逆転されないように気をつけること
>です。
>
> 歴史認識に関わる中国・韓国の批判を「罵詈雑言」と把える感覚も見事です。し
>かしkondoさんの主張は日本では大勢を占めているのではないですか。つまり大多数
>の日本人には通用する主張だということです。それもこれも一般的に合理的論理性を
>欠如させているからこその言論風景だとしたら問題です。
見下しているのではありません。実際、日本が「物言えば」10倍言い返され
議論でなく、争いになってしまいます。日本が北朝鮮に「言えない」のも話合
いの出来ない相手だからです。
> > 以下、あまりに長文ですので、回答は出来ませんが、天安門事件について、云わ
> >せて頂くなら、あれは手代木さんが言われるように、国民の自由の
> > 発露の象徴ではなく、中国当局による無謀残虐極まる国民弾圧の象徴です。政府
> >による暴力的弾圧の犠牲者は2000人とも3000人ともいわれて
> > います。日本でも60年代東京で12万人の安保反対デモが起こりましたが、日
> >本政府は中国当局のような弾圧は決してしませんでした。
>
> 私は、「国民の自由の発露」とか、「中国当局による無謀残虐極まる国民弾圧の
象徴」とかで天安門事件を例に出したのではありません。あなたの最初のメールの、
「日本には『靖国参拝』一つにしても、様々な意見があるのに、中韓の国民の100
人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくることを、異常だと思いません
か」とか、「権力の前になす術を知らない中韓の国民」といった表現に対して、「1
00人が100人とも、同じ意見」でないこと、「権力の前になす術を知らない」わ
けではないことを説明する例として、天安門事件を取り上げたのです。
こんな例を出しても説得力はありません。
あ送信者: "Hiroyuki.Teshirogi"
<wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07269] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月28日 7:14
手代木です
kondo さんへ
> 日本は民主主義国ですし、手代木さんは公人でもありませんから、なに
> を言おうと、どう考えようと自由です。
このことはあなたに対しても言えることです。まるでいい加減なことを言っているように聞こえます。
> 靖国参拝
> 問題、教科書問題、従軍慰安婦問題、強制連行問題、歴史認識問題と
> 戦後60年経ても、未解決の問題としてほじくり出してきます。
>
> 私は戦後処理の済んだ政府間の外交問題のあり方を問題にしている
> だけなのに、手代木さんは歴史研究をしているようです。
「ほじくり出し」ているわけではなく、継続している問題だと考えています。歴史の事実を否定する発言が閣僚、その他の政治家の口を突いて出る日本の現在を問題にしています。どこをどう読んだのか分かりませんが、「歴史の研究」などしていません。
中国・韓国からすれば、「未解決の問題」としていて、日本との間の障害となっている事実は「公人」であろうがなかろうが、否定できないと思います。
このことが「政府間の外交問題」となっている事実も否定できないと思います。
> 戦争の傷跡は100年経っても消えるものではないことは、私も理解します
> が、少なくとも戦争は国家対国家の問題ですから、国家に対する戦後処理
> が行われ、平和条約が結ばれた以上、私人ならいざ知らず、中韓のように
> 政府が内政干渉すべきではないと思います。
「戦争の傷跡は100年経っても消えるものではないこと、私も理解します」
前のメールの「日本の戦争は第二次大戦のひとこまに過ぎません。」とは大部違います。矛盾してませんか。
「戦後処理」も「平和条約」も、歴史の事実を踏まえた双方の合意によって成り立ち、合意の内意を成す締結時の認識(=歴史の事実に対する踏まえ)は「条約」が効力を有している間は、歴史の事実に関わる双方の姿勢に反映され、その制約を受けます。そうでなければ締結の意味を失うでしょう。「結ばれた」からと言って、それで完結するものではありません。
> 中国は戦後、日本のB、C級戦犯を中国国内で裁き、財産も没収し、戦勝国
> として、国連常任理事国の地位も確保しました。戦勝国というのは、すべて
> 自国の有利な方法で戦後処理をするので「被害」は取り返している筈です。
> 1972年、日中国交正常化、1978年、日中平和友好条約に調印し、戦後
> 処理の件は解決済みです。賠償は「いらない」と言ったのは中国自身です。
> しかし、日本はODAを供与しています。
「戦後処理の件は解決済みです」
このことも、上記の説明同様、「解決済み」だからと言って、それで完結するものではないと思います。
「日本はODAを供与しています」
これは別問題です。ODA(政府開発援助)はすべてが無償援助の形をとっているわけではありません。日本のODAの場合、当初は戦争賠償の形を取ったと言うことですが、借款もあり、技術援助の形を取る場合もあります。日本の無償援助の比率はODA供与国中最低の部類に属して、日本の輸出拡大と結びつき、日本企業の利益により多く貢献してきたと言われています。尤もそのお陰で現在の我々の生活があることになりますが。
しかし、かつて供与を受けていた韓国にしても、東南アジア各国にしても、他のODA供与国から例え直接供与を受けていなくても、それらの供与条件や供与実態と比較しないわけはなく、当然それなりの評価を受けていたはずです。評価は当然のことに信用へと形を変えていきます。このことも、「日本は
ODAを供与しています」だけで完結させるわけにはいかないと思いますが。
> 数日前の産経新聞の一面記事に載っていたものを引用したので、今は手元に
> ありません。14日付けワシントンポストで、米国の著名なコラムニストのロバート
> ノバック氏が小泉首相の靖国参拝について「軍国主義や戦争礼賛とは全く関係
> のない、中国の日本カード」だ論評しています。
「ロバート・ ノバック」は「公人でもありませんから、なにを言おうと、どう考えようと自由です。」
あなたが批判しているニューヨークタイムズの論評は正反対のものです。
つまり「ロバート・
ノバック」が言っていることが公約数的な主張かどうかが問題となります。彼が言っていることが公約数的な意見だとしても、日本政府が「中国の日本カード」の非正当性を公約数的な主張へと変えなければ、その「カード」はカードとしての力を持ち続けることになります。その非正当性を世界に訴え、多くから受入れられたとき、中国は日本の安保入り反対の理由から歴史問題を取り下げざるを得なくなるのではないですか。
昨日(05.10.27)の朝日新聞夕刊に、「靖国参拝で諸国間の対話が疎外されるとしたら残念だ」といった趣旨の書簡が共和党の米下院外交委員長から加藤駐米大使に渡されたとの記事が載っています。これも「内政干渉」ですか。
>アメリカの考え方は国際社会の常識ですし、そうでなければ国際社会は混乱し、
>収拾がつかなくなります。
「アメリカの考え方」と「国際社会の常識」が常に連動しているとは限らないはずです。あなた自身、後の方で、「中東の民主化といいますが、あれはアメリカの侵略戦争ですよ。」と言っている。「アメリカの考え方は国際社会の常識」とすると、「侵略戦争」もアメリカの「国際社会の常識」として行われたことになり、「侵略戦争」は絶対善と価値づけられることになります。
勿論、私はイラク攻撃を「侵略戦争」とは把えてはいません。<京都議定書>をアメリカは反対して署名していませんが、そのことも「国際社会の常識」となっていますか。ハリケーンの襲来で甚大な被害を受けただけではなく、その救援策でブッシュは非難を受け、支持率まで落とした。ハリケーンの従来にない規模の発達が海水温度の上昇に起因しているとのことだから、今後ブッシュも<京都議定書>に署名して、地球温暖化問題に真剣に取組まざるを得なくなるのではないのですか。もしそうなったとしたら、アメリカの常識は覆ったとすることができたとしても、「国際社会の常識」が覆ったとすることはできません。
> 日本がアジア諸国を植民地にしたのは、隣国の中韓
> だけではありません。フィリピン、インドネシア、シンガポール、ビルマ、インド、
> 台湾等ですが、その前後、欧米が出たり入ったりしました。欧米は知らん振り
> ですが、日本はそれらのアジア諸国にも補償をしましたので、民間では何かと
> 言ってるでしょうが、政府はなにも言いません。
「欧米が出たり入ったり」については、「フィリッピン」以下の国と「欧米」の間の問題です。「日本はそれらのアジア諸国にも補償をし」たのは、日本軍が被害を与えた範囲に関してのみではないのですか。日本のODAから判断すると、「欧米が出たり入ったり」した問題にまで日本が補償する程気前がいいとは思えません。少々論旨から外れている事柄に思えますが。
私の「『戦争責任を取って』(=戦争の罪を認めて)『賠償も補償も済ませた』とするなら、『日本の首相による国内での戦没者への心の表明のあり方』に現れる歴史の解釈(歴史認識)次第で、なおさらのこと『国内問題』か否かが問題とされます」に対して、
> 詭弁ですね。
とのことですが、どこがどう「詭弁」なのか具体的に指摘してください。そうでなければ議論になりません。
<責任を取る>と言うことは<罪の認め>を前提とします。<罪の認め>とは<約束事>であり、その制約を受けることになります。それが、俺たちの戦争は正しかった、敗戦国だから仕方なく従ったとする形の上だけの<罪の認め>であろうとなかろうと、<約束事>である以上、それを具体化し、継続させることで、初めて責任を果たすことになります。これは先に書いた「条約」にも当てはまることです。決めた約束事を具体化し、継続させることで、「条約」は生きた体裁を持つことになる。
首相の参拝が<約束事>を反映させているか否かによって、「国内問題」であるかどうかの判断を受けることになるとしたことのどこが「詭弁」ですか?
>
問題のすり替えではありません。独裁=悪の根源の論理で、手代木さんはイラク戦
> 争を支持したのではないですか。中東の民主化といいますが、あれはアメリカの
> 侵略戦争ですよ
あなたの次のような主張がありました。
> 中韓が戦後60年経った今でも、靖国参拝、教科書、従軍慰安婦、強制連行、歴史認
> 識など過去のことばかり蒸し返しているのは、戦後の日本に
> 瑕疵がない証拠です。中国は現在進行形で内外ともに多くの問題を孕んだ国です。軍
> 事独裁国家ですから、自由の概念も民主主義の概念も理解
> しません。勿論、国民に言論の自由などある筈がありません。メディアは政府の統制
> 下にありますから、政府に都合の悪い報道はしません。
それに対して私は、「歴史認識とは別個に要求すべき民主化問題のはずで」、「問題のすり替え」ではないかと書いたのです。そのことに具体的に答えずに、「問題のすり替えではありません。独裁=悪の根源の論理で、手代木さんはイラク戦争を支持したのではないですか。中東の民主化といいますが、あれはアメリカの侵略戦争ですよ」という反論は論旨からずれていると思えますが。
日本が「歴史認識とは別個に要求すべき民主化問題のはずで」ありながら、中国以外の国に対しても、その民主度に鈍感であったと例を示して、私の主張を補強したに過ぎません。
イラクはなかなか治安を回復させることができない状態にありますが、既に主体的に憲法制定への行程まで進み、国家の体裁を成した上で主体的に統治を開始すべく準備を進めています。「侵略」された状態では成し得ない国家建設です。いつまでも「侵略戦争」だと掲げるのは教条主義的に思えますが。それとも、現在のイラク政府を米国の<傀儡政権>と見なすとでもいうのですか。
> 停滞しているとは思っていません。今回のことで、韓国はすでに譲歩してきまし
> た。おそらく中国もあちらから歩み寄りを見せると思います。国際社会に知れ渡り、
> みっともないせすからね。
何か根拠があって言ってるのですか。それともあなたの単純な希望的観測で言ってるのですか。
韓国は日本の安保理入り反対の条件としている「歴史認識問題」を取り下げたわけではありません。昨日の(05.10.27)の朝日新聞朝刊によると、「韓国政府は21日に大統領主催の高位戦略会議を開き、、靖国や歴史認識問題では日本に譲歩しない立場を確認した上で、対日外交を6者協議での日韓協調問題など『必須不可欠な交渉』と『選択可能な交渉』に分離、『必須交渉』に限って積極推進する新方針を決めた」と出ています。「譲歩」でも何でもないようです。
昨日行われた日韓外相会談でも、韓国外相は12月の盧泰愚大統領(※盧武鉉大統領の間違いでした。訂正します)の訪日は厳しい状況にあると発言したとテレビで言ってました。
> 常任理事国入りの件は靖国参拝や歴史認識の問題がネックになっている
> とは思いません。単なる嫉妬です。中国はアジアで覇権を維持したいから
> 韓国は自国の社会福祉の貧困から、日本からカネを搾り取るため、ドイツ
> に行ってまで、日本叩きをしました。
「日本は民主主義国ですし」、kondo
さんは「公人でもありませんから、なにを言おうと、どう考えようと自由です」が、中国も韓国も「歴史認識の問題がネックになっている」ことを国の立場として公式発言しているのですよ。これは決して軽いことではありません。
日本政府があなたと同じ考えでいたとしても、外交交渉のテーブルでその通りに口に出して主張したとしても、問題解決にならないのは目に見えています。他の主張を構築することが必要だと言うことです。
> 見下しているのではありません。実際、日本が「物言えば」10倍言い換えされ、
> 議論でなく争いになっています。日本が北朝鮮に「言えない」のも話合いのできない
> 相手だからです。
「話合いのできない相手」を如何に交渉のテーブルに引き出すかも外交術だと思いますが。
> こんな例を出しても説得力はありません。
あなたの「説得力」には敵いません。足元にも及ばないと感心しています。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07271] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月28日 15:47
kondo です。
> > 日本は民主主義国ですし、手代木さんは公人でもありませんから、なに
> > を言おうと、どう考えようと自由です。
>
> このことはあなたに対しても言えることです。まるでいい加減なことを言ってい
るように聞こえます。
政府が外交の建て前も本音もわきまえず、好き勝手を言ったら国際間の
ルールも友好関係も成り立たないでしょう。
> > 靖国参拝
> > 問題、教科書問題、従軍慰安婦問題、強制連行問題、歴史認識問題と
> > 戦後60年経ても、未解決の問題としてほじくり出してきます。
> >
> > 私は戦後処理の済んだ政府間の外交問題のあり方を問題にしている
> > だけなのに、手代木さんは歴史研究をしているようです。
>
> 「ほじくり出し」ているわけではなく、継続している問題だと考えています。
日本は戦後処理を誠実に履行しています。条約上不備だったことに関しては
追加して履行しています。中国に残存する化学兵器の処理などその例です。
> > 戦争の傷跡は100年経っても消えるものではないことは、私も理解します
> > が、少なくとも戦争は国家対国家の問題ですから、国家に対する戦後処理
> > が行われ、平和条約が結ばれた以上、私人ならいざ知らず、中韓のように
> > 政府が内政干渉すべきではないと思います。
> 「戦争の傷跡は100年経っても消えるものではないこと、私も理解します」
これは国民感情の問題であって、原爆や東京大空襲を受けた日本国民の中にも
あると思います。しかし、中韓のように政府が感情的に殊更、国民に恨みを煽る
反日教育をしたり、内政干渉をしていたら、国家間の友好関係など築ける筈が
ありません。
> 前のメールの「日本の戦争は第二次大戦のひとこまに過ぎません。」とは大部違
います。矛盾してませんか。
これは、イイガカリですね。大戦中の社会情勢を大局的、客観的にみれば、欧米
の強かさは日本と比較にならないでしょう。
>
> > 中国は戦後、日本のB、C級戦犯を中国国内で裁き、財産も没収し、戦勝国
> > として、国連常任理事国の地位も確保しました。戦勝国というのは、すべて
> > 自国の有利な方法で戦後処理をするので「被害」は取り返している筈です。
> > 1972年、日中国交正常化、1978年、日中平和友好条約に調印し、戦後
> > 処理の件は解決済みです。賠償は「いらない」と言ったのは中国自身です。
> > しかし、日本はODAを供与しています。
>
> 「戦後処理の件は解決済みです」
>
> このことも、上記の説明同様、「解決済み」だからと言って、それで完結する
ものではないと思います。
「完結した」とは言っておりません。「解決済み」とは「約束した」という意味で、
「約束したことは履行している」ということです。
> 昨日(05.10.27)の朝日新聞夕刊に、「靖国参拝で諸国間の対話が疎外
されるとしたら残念だ」といった趣旨の書簡が共和党の米下院外交委員長から加藤駐
米大使に渡されたとの記事が載っています。これも「内政干渉」ですか。
言葉のニューアンスから内政干渉とまでは言えませんが、事情を知らない一国会
議員がトヤカクいう問題ではないでしょうね。こんな問題を取り上げたのは、朝日
新聞だけではないですか。私は正午のNHKのニュ−スでそれを知って、東京新聞
読売新聞の夕刊を見ましたが、載っていませんでしたし、NHKでもその後、何の
報道もしませんでした。
> >アメリカの考え方は国際社会の常識ですし、そうでなければ国際社会は混乱し、
> > 収拾がつかなくなります。
>
> 「アメリカの考え方」と「国際社会の常識」が常に連動しているとは限らないは
ずです。あなた自身、後の方で、「中東の民主化といいますが、あれはアメリカの侵
略戦争ですよ。」と言っている。「アメリカの考え方は国際社会の常識」とすると、
「侵略戦争」もアメリカの「国際社会の常識」として行われたことになり、「侵略戦
争」は絶対善と価値づけられることになります。
ここの所は、手代木さんが論理を一般化してしまったことの誤解です。
私が「アメリカの考え方が国際社会の常識」といったのは、あくまでも靖国参拝の
ようなことで「政府が他国の内政に干渉すべきでない」とのアメリカの見解について限定的に言ったまでのことです。
> > 日本がアジア諸国を植民地にしたのは、隣国の中韓
> > だけではありません。フィリピン、インドネシア、シンガポール、ビルマ、イ
> > ンド、台湾等ですが、その前後、欧米が出たり入ったりしました。欧米は知ら
> > ん振りですが、日本はそれらのアジア諸国にも補償をしましたので、民間では
> > 何かと言ってるでしょうが、政府はなにも言いません。
>
> 「欧米が出たり入ったり」については、「フィリッピン」以下の国と「欧米」の
間の問題です。「日本はそれらのアジア諸国にも補償をし」たのは、日本軍が被害を
与えた範囲に関してのみではないのですか。日本のODAから判断すると、「欧米が
出たり入ったり」した問題にまで日本が補償する程気前がいいとは思えません。少々
論旨から外れている事柄に思えますが。
「欧米は100年以上もアジアを植民地にしても補償などしない」という意味で日本が
植民地侵略の補償までしたなどと言ってはいません。いくら日本でもそれ程、オメデ
タクはありません。
>
私の「『戦争責任を取って』(=戦争の罪を認めて)『賠償も補償も済ませた』
>
とするなら、『日本の首相による国内での戦没者への心の表明のあり方』に現れ
> る歴史の解釈(歴史認識)次第で、なおさらのこと『国内問題』か否かが問題とされ>
> ます」に対して、
>
> > 詭弁ですね。
>
> とのことですが、どこがどう「詭弁」なのか具体的に指摘してください。そうで
なければ議論になりません。
中韓とは平和条約を結んで、未来志向で踏み出したからには、「靖国参拝や教科書問
題が内政問題か否かは歴史学者の見解ならいざ知らず、政府が干渉すべき問題ではな
い」からです。
> 首相の参拝が<約束事>を反映させているか否かによって、「国内問題」である
>
かどうかの判断を受けることになるとしたことのどこが「詭弁」ですか?
中韓との平和条約締結時、「靖国参拝はしない。教科書は中韓と相談して書く」との
約束を交わしたのですか。
> > 問題のすり替えではありません。独裁=悪の根源の論理で、手代木さんはイラク
> >
戦争を支持したのではないですか。中東の民主化といいますが、あれはアメリカの
> > 侵略戦争ですよ
>
> あなたの次のような主張がありました。
>
> > 中韓が戦後60年経った今でも、靖国参拝、教科書、従軍慰安婦、強制連行、歴
> >
史認識など過去のことばかり蒸し返しているのは、戦後の日本に
> > 瑕疵がない証拠です。中国は現在進行形で内外ともに多くの問題を孕んだ国で
> >
す。軍事独裁国家ですから、自由の概念も民主主義の概念も理解
> > しません。勿論、国民に言論の自由などある筈がありません。メディアは政府の
> >
統制下にありますから、政府に都合の悪い報道はしません。
>
> それに対して私は、「歴史認識とは別個に要求すべき民主化問題のはずで」、
問題のすり替えではないかと書いたのです。そのことに具体的に答えずに、「問題
のすり替えではありません。独裁=悪の根源の論理で、手代木さんはイラク戦争を支
持したのではないですか。中東の民主化といいますが、あれはアメリカの侵略戦争で
すよ」という反論は論旨からずれていると思えますが。
>
> 日本が「歴史認識とは別個に要求すべき民主化問題のはずで」ありながら、中国
以外の国に対しても、その民主度に鈍感であったと例を示して、私の主張を補強した
に過ぎません。
「歴史認識とは別個に要求すべき民主化」なんてあるのですか。アメリカのイラク侵
攻も歴史的事実ですし、それの副産物としての民主化も歴史認識の問題です。イラク
の独裁フセインの人権侵害には武力による打倒には賛成して、なぜ中国の独裁、人権
侵害には口を閉ざすのですか。
>
> > 停滞しているとは思っていません。今回のことで、韓国はすでに譲歩してきまし
> > たおそらく中国もあちらから歩み寄りを見せると思います。国際社会に知れ渡り、
> > みっともないせすからね。
> 何か根拠があって言ってるのですか。それともあなたの単純な希望的観測で言っ
てるのですか。
根拠はあります。韓国政府は小泉首相が靖国参拝したから、17日の外相の
来日は取りやめると公式見解を発表した舌の先も乾かないうちに、予定どうり
来日すると、前言を覆したではないですか。
> 韓国は日本の安保理入り反対の条件としている「歴史認識問題」を取り下げたわ
けではありません。昨日の(05.10.27)の朝日新聞朝刊によると、「韓国政
府は21日に大統領主催の高位戦略会議を開き、靖国や歴史認識問題では日本に譲歩しない立場を確認した上で、対日外交を6者協議での日韓協調問題など『必須不可欠な交渉』と『選択可能な交渉』に分離、『必須交渉』に限って積極推進する新方針を決めた」と出ています。「譲歩」でも何でもないようです。
> 昨日行われた日韓外相会談でも、韓国外相は12月の盧武鉉大統領の訪日は厳し
い状況にあると発言したとテレビで言ってました。
>
> > 常任理事国入りの件は靖国参拝や歴史認識の問題がネックになっている
> > とは思いません。単なる嫉妬です。中国はアジアで覇権を維持したいから
> > 韓国は自国の社会福祉の貧困から、日本からカネを搾り取るため、ドイツ
> > に行ってまで、日本叩きをしました。
>
> 「日本は民主主義国ですし」、kondo
さんは「公人でもありませんから、なにを
言おうと、どう考えようと自由です」が、中国も韓国も「歴史認識の問題がネックに
なっている」ことを国の立場として公式発言しているのですよ。これは決して軽いこ
とではありません。
>
> 日本政府があなたと同じ考えでいたとしても、外交交渉のテーブルでその通りに
口に出して主張したとしても、問題解決にならないのは目に見えています。他の主張
を構築することが必要だと言うことです。
>
> > 見下しているのではありません。実際、日本が「物言えば」10倍言い換えさ
> >
れ、議論でなく争いになっています。日本が北朝鮮に「言えない」のも話合いので> > きない相手だからです。
>
>
「話合いのできない相手」を如何に交渉のテーブルに引き出すかも外交術だと思
いますが。
>
> > こんな例を出しても説得力はありません。
> あなたの「説得力」には敵いません。足元にも及ばないと感心しています。
皮肉ですか。実際、天安門事件を「中国人民の自由」の発露の例に出す人は
いませんよ。
以上、論理的にはスッポンの私に誠実に回答を下さった手代木さんに感謝します。
送信者: "Hiroyuki.Teshirogi" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07274] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月30日 7:54
手代木です。
kondoさんへ
kondoさん曰く
「日本は民主主義国ですし、手代木さんは公人でもありませんから、なに
を言おうと、どう考えようと自由です」
手代木曰く
「このことはあなたに対しても言えることです。まるでいい加減なことを言ってい
るように聞こえます」
kondoさん曰く
「政府が外交の建て前も本音もわきまえず、好き勝手を言ったら国際間の
ルールも友好関係も成り立たないでしょう」
――当り前のことです。私は「政府」のことを言ってません。議論している相手に、
「公人でもありませんから、なにを言おうと、どう考えようと自由です」は失礼だ
と思いませんか。「なにを言おうと、どう考えようと自由です」は、私の議論
が間違っていることを前提とした物言い(自分は正しいとした物言い)となっている
から、ちょっとお返ししたまでです。
最初の返事のメールで次のように断っているはずです。「最初に断っておきま
すが、私の言っていることが常に正しいわけではなく、私は私の考えを述べる
に過ぎません」
kondoさん曰く
「 靖国参拝 問題、教科書問題、従軍慰安婦問題、強制連行問題、歴史認識
問題と戦後60年経ても、未解決の問題としてほじくり出してきます。
私は戦後処理の済んだ政府間の外交問題のあり方を問題にしている
だけなのに、手代木さんは歴史研究をしているようです。」
手代木曰く
「ほじくり出し」ているわけではなく、継続している問題だと考えています。
kondoさん曰く
「日本は戦後処理を誠実に履行しています。条約上不備だったことに関し
ては追加履行してます。中国に残存する化学兵器の処理などその例です。
戦争の傷跡は100年経っても消えるものではないことは、私も理解します
が、少なくとも戦争は国家対国家の問題ですから、国家に対する戦後処理
が行われ、平和条約が結ばれた以上、私人ならいざ知らず、中韓のように
政府が内政干渉すべきではないと思います。
――このことも議論のテーマであった「歴史認識問題」とは別個の事柄です。
日本が「戦後処理を誠実に履行してい」るからと言って、日本の「歴史認識」が
すべて正しいとするわけにはいきません。「歴史認識」に問題を絞って議論し
てください。
言っていることに不備がありますから、一応答えますが、「中国に残存する
化学兵器の処理」は90年の中国側の強い要望が
あって、それに応える形で
91年から日本の調査が開始されたものあり、93年に調印された<化学兵器
禁止条約>の<遺棄化学兵器廃棄条項>の具体化でもあります。「誠実に履
行」は当り前のことで、それでもってすべてよしとするわけにはいかないと思い
ます。
「化学兵器の処理」を取り上げるなら、日本軍の毒ガス兵器開発に伴う中国人
に対する人体実験の問題も取り上げなければ、誤魔化しになります。埋められて
いる毒ガス兵器からのガス漏れで周辺住民に死傷者を出した事故も生じている
と言うことですから、「化学兵器」に関しても、「国家に対する戦後処理が行われ、
平和条約が結ばれた以上」云々、あるいは「戦後処理を誠実に履行してい」る云
々で片付けることができる問題では決してないと思います。
大体が「化学兵器の処理」自体が<原則、条約発効から10年以内(07年
以内)に廃棄する>とする条項を守るには厳しく、中国の同意を得れば、5
年の延長が可能となるということですが、04年に日中で合意した吉林省に建
設予定の燃焼方式の処理施設が05年から稼働したとしても、日本側推定で70
万発、中国側発表では180万発にものぼるということです。処理工場の処理能力
は毎時120発で、日本側推定を正しいとして、完全処理には3年を要すると言う
ことだから、そのことだけでも5年の延長を必要とします。掘削中や運搬中の薬品
漏れ等の不測の事態も考慮しなければなりません。すべての交渉に「歴史認識問
題」は絡んでくることを考えの内に入れておくべきでしょう。
尤も、政府が自らの「歴史認識」が正しいと信じているなら、どこまでも押し通せば
いいことです。
kondoさん曰く
「『戦争の傷跡は100年経っても消えるものではないこと、私は理解します』
これは国民感情の問題であって、原爆や東京大空襲を受けた日本国民の中に
もあると思います。しかし、中韓のように政府が感情的に殊更、国民に恨みを煽
る 反日教育をしたり、内政干渉をしていたら、国家間の友好関係など築ける筈が
ありません。」
――何度でも言うように、私は「内政干渉」だという立場は取りませ
ん。「内政干渉」で先に進むかどうか、見守ることですね。
手代木曰く。
「前のメールの『日本の戦争は第二次世界大戦のひとこまに過ぎません』とは大部
違います。矛盾してませんか」
kondoさん曰く
「これは、イイガカリですね。大戦中の社会的情勢を大局的、客観的にみれば
、欧米のしたたかさは日本と比較にならないでしょう」
――「欧米のしたたかさは日本と比較にならない」としても、そのことが「歴史認識
問題」、それが「国内問題」か否かとどう関係があるのですか。「大戦中の世界情勢
を大局的、客観的にみ」て、日本軍の非人道性・非人権性の「強かさ」は欧米と比較
して、どう見ているか教えてください。
kondoさん曰く
「中国は戦後、日本のB、C級戦犯を中国内で裁き、財産も没収し、戦勝国とし
て、国連常任理事国の地位も確保しました。戦勝国というのは、すべて自国の
有利な方法で戦後処理するので、『被害』は取り返している筈です。1972年、
日中国交正常化、1978年、日中平和友好条約に調印し、戦後処理の件は
解決済みです。賠償は「いらない」と言ったのは中国自身です。しかし、日本は
ODAを供与しています。戦後処理の問題は解決済みです」
手代木曰く
「このことも、上記の説明同様、「解決済み」だからと言って、それで完結するも
のではないと思います」
kondoさん曰く 「『完結した』と言っておりません。『解決済み』とは『約束した』という意味で、『約束してことは履行している』ということです。
――私の言っている「完結」という言葉の意味を取り違えています。締結時の歴
史認識を引き継ぎ、その条約が有効な間はその制約を受けるゆえに、「日中友
好平和条約に調印し、戦後処理の件が解決済み」であっても、日本の「歴史認識
」が違えば完結したことにはならないといった意味で説明したのです。
手代木曰く
「昨年(05.10.27)の朝日新聞夕刊に、『靖国参拝で諸国間の対話が疎外さ
れるとしたれ残念だ』といった趣旨の書簡が共和党の米下院外交委員長から加
藤駐米大使にわたされたとの記事が載っています。これも『内政干渉』ですか」
kondoさん曰く
「言葉のニュアンスから内政干渉とまで言えませんが、事情を知らない一国会
議員がトヤカクいう問題ではないでしょうね。こんな問題を取り上げたのは、朝日
新聞だけではないですか。私は正午のNHKニュースで知って、東京新聞読売新
聞の夕刊を見ましたが、に載ってませんでしたし、NHKでもその後、何の報道もし
ませんでした」
――乱暴な主張ですね。外交を政策の専門にしている立場にある共和党の
米下院外交委員長ですよ。「事情を知らない一国会議員」とどうして言えるの
ですか。
「事情を知らない一国会議員」と断言できる程に彼のことを知り尽くしている
か、自分に都合の悪い他人の主張は「トヤカクいう問題ではない」で片付ける
粗雑な想像力の持主でなければ言えない言葉です。
問題は、報道されたことが事実かどうかです。「正午のNHKのニュ−ス」でも
取り上げたと言うことですから、事実なのは確かです。「東京新聞読売新聞の
夕刊を見ましたが、載ってい」なかったこととか、「NHKでもその後、何の報道も
しなかった」ことによって、その事実が消えるわけではなく、そのことを理由とし
て、書簡内容を排除するのは根拠薄弱としか言いようがありません。
kondoさん曰く
「アメリカの考え方は国際社会の常識ですし、そうでなけれ
ば国際社会は混乱し、収拾がつかなくなります。」
手代木いわく。
「『アメリカの考え方』と『国際社会の常識』が常に連動して
いるとは限らないはずです。あなた自身、後の方で、『中東の民主化と言いま
すが、あれはアメリカの侵略戦争ですよ』と言っている。『アメリカの考え方は国
際社会の常識』すると、『侵略戦争』もアメリカの『国際社会の常識』として行わ
れたことになり、『侵略戦争』は絶対善と位置づけられることになります」
kondoさん曰く
「ここの所は、手代木さんが論理を一般化してしまったこと
の誤解です。私が『アメリカの考え方が国際社会の常識』といったのは、あくま
でも靖国参拝のようなことで『政府が他国の内政干渉に干渉すべきでない』と
のアメリカの見解について限定的に言ったまでのことです」
――都合のいい議論ですね。例え「限定的」であっても、「靖国参拝のような
こと」で「アメリカの考え方が国際社会の常識」だとする基準を説明してください
。説明できなければ、自分の主張に都合のいいこじつけを行ったことになります。
なぜ戦争の庭となった国々の「考え方」が「常識」とはならないのかも説明し
てください。
kondoさん曰く
「皮肉ですか。実際天安門事件を『中国人民の自由』の発露の例に出す
人はいませんよ。」
――「天安門事件を『中国人民の自由』の発露の例に出」した覚えはありま
せん。勝手な解釈はやめてください。
前回のメールでも、「私は『国民の自由の発露』とか、『中国当局による無謀
残虐極まる国民弾圧の象徴』とかで天安門事件を例に出したのではありませ
ん。あなたの最初のメールの、「日本には『靖国参拝』一つにしても、様々な意
見があるのに、中韓の国民の100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返
ってくることを、異常だと思いませんか」とか、「権力の前になす術を知らない中
韓の国民」といった表現に対して、「100人が100人とも、同じ意見」でないこ
と、「権力の前になす術を知らない」わけではないことを説明する例として天安
門事件を取り上げたのです」と断っているはずです。
それを無視して、同じ繰返しをする神経を疑います。
天安門事件のキッカケは主として学生の中国政府、その政治体制に対するノーという意思表示であったはずです。『100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくる』閉塞状況にあったなら、起こり得なかった事件のはずです。
私の反論に対する反論として、的確に答えて戴きたいと思います。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07272] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月29日 2:28
kondo です。
手代木さんとの議論はこれで終止符を打つつもりでしたが、「歴史認識とは
別個に要求すべき民主化の問題」とする手代木さんの論理に私自身納得
のいかない反論をしましたので、訂正させて下さい。
私は歴史認識と民主化の問題を別個に考えていません。もし、中国が日本
のように民主主義国であったなら、歴史認識の点で事情は変わっていたで
しょう。民主主義国は多様な見解を受け入れる器量がありますが、独裁の国
はたった1つの価値観しか認めませんから、何でも、権力に都合のよい歴史
認識を作り上げ、国民を洗脳します。
国民には情報の自由もありませんから、権力がコントロールするメディアが
国民の知る権利ということになります。靖国参拝のことも国民は正しい情報
を与えられているかどうか疑問です。
独裁国家の歴史認識を日本に押し付けるのは間違いです。
中韓、北朝鮮は同類、日本が軍隊をもたない発砲しないおとなしい国である
ことに付け込んで、言いたい放題のことを要求しているとしか思えません。
それから、もう1つ訂正事項。
欧米がアジアを植民地にしたその補償まで日本がしたように、誤解される表現
は取り消します。付け加えて言うなら、大戦中、アジアは日本が植民地にしなくて
も、欧米の植民地になっていた。しかも欧米は日本のように本国と同じようなイン
フラの整備をやった訳ではなく、ひたすら利益を貪っていましたから、その強かさは
日本の比ではありません。欧米が人種のルツボといわれる所以です。
私が最近、イギリスに行った時も、グルカ人の未亡人が赤ちゃんを抱いて、地下鉄
の車両で乞食をしていました。ロンドンの中心街で白人はあまり見かけませんでし
た。
ロスの中心街でも夕暮れともなると、大勢の有色人種が物乞いをしていました。
それから、韓国の外務大臣が前言を翻して来日したのは、27日です。
小泉首相はなかなかの外交通だと思います。
送信者: "Hiroyuki.Teshirogi"
<wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07275] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月30日 7:54
手代木です。
kondoさんへ。
> 私は歴史認識と民主化の問題を別個に考えていません。もし、中国が日本
> のように民主主義国であったなら、歴史認識の点で事情は変わっていたで
> しょう。民主主義国は多様な見解を受け入れる器量がありますが、独裁の国
> はたった1つの価値観しか認めませんから、何でも、権力に都合のよい歴史
> 認識を作り上げ、国民を洗脳します。
こういうのを教条主義的と言わなかったでしょうか。
韓国は民主主義国ですが、そのことによって日本に対する「歴史認識の点で事情は変わっ」たと言えますか。日本に対する「歴史認識問題」でほぼ同じ立場をを取っている韓国と中国を、あなたは都合のいいように使い分けている。
日本は確かに「民主主義国」でありますが、「侵略戦争でなかった。アジア解放の戦争だった」とか、「南京虐殺は中国人が作り上げたお話であり、事実ではない」といった石原慎太郎の発言、自民党麻生太郎の政調会長時代の、「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」といった発言を日本の政治家は繰返しています。
それを「多様な見解を受入れる器量があ」るから、許される発言だと取るか、「歴史認識」は「民主主義国」であろうとなかろうと関係ないと取るかです。
> 国民には情報の自由もありませんから、権力がコントロールするメディアが
> 国民の知る権利ということになります。靖国参拝のことも国民は正しい情報
> を与えられているかどうか疑問です。
> 独裁国家の歴史認識を日本に押し付けるのは間違いです。
> 中韓、北朝鮮は同類、日本が軍隊をもたない発砲しないおとなしい国である
> ことに付け込んで、言いたい放題のことを要求しているとしか思えません。
>
もう少し論理的に議論を進めてください。思いこみが勝ち過ぎていませんか。
「独裁国家の歴史認識」は<悪>で、「民主主義国」の「歴史認識」は<善>だとする硬直したした2元論に立っている。絶対的にそうと言えるのですか。
日本の政治家が犯してきた数々の、いわゆる歴史問題発言をすべて<善>と見なす立場に立つことになります。
北朝鮮は「独裁国家」ですが、韓国は現在は「民主主義国」です。あなたの2
元論を当てはめると、韓国の「歴史認識」は<善>と言うことになりますが、そうはならずに、「同類」と言うことになる。この矛盾を説明してください。
同じ「独裁国家」であっても、中国と北朝鮮を「同類」とするのは無理があるのと思いますが、あなたの目には一緒くたに見えるようです。
中国も市場経済の導入とそのことによる消費社会化が出版文化の発展や衛星放送の視聴機会の増大、インターネットの利用などを促して、情報の選択が拡大し、統制された公式メディアに「国民の知る権利」が必ずしも統一されているわけでもないようです。
また「民主主義国」日本にしても、先の総選挙で見たように、興味本位に偏った情報を流す傾向がマスコミを支配し、そのことが一種の情報統制状態をつくり出して、国民に正しい情報を与えていたかどうか疑問です。
また、情報はメッセージの受け手がどう咀嚼し、どう栄養化するかが重要な要素を成します。単に流されたメッセージを表面的に受取るだけの受容は洗脳の過程を踏むのと殆ど変らず、このことも「民主主義国」、「独裁国家」に関係のない情報伝達の経緯です。
> それから、もう1つ訂正事項。
> 欧米がアジアを植民地にしたその補償まで日本がしたように、誤解される表現
> は取り消します。付け加えて言うなら、大戦中、アジアは日本が植民地にしなくて
>も、欧米の植民地になっていた。しかも欧米は日本のように本国と同じようなイン
> フラの整備をやった訳ではなく、ひたすら利益を貪っていましたから、その強かさは
> 日本の比ではありません。欧米が人種のルツボといわれる所以です。
日本と中国・韓国の間の「歴史認識問題」を議論のテーマに据えたのではなかったのではないでしょうか。靖国参拝は果たして「国内問題」か否か――。「インフラの整備」云々は関係のないことです。
「欧米は日本のように本国と同じようなインフラの整備をやった訳ではなく」ても、日本軍が犯した<残虐非道で集中的な人道の抑圧>は「欧米」の「比」ではないと思いますが。
また、「大戦中、アジアは日本が植民地にしなくても、欧米の植民地になっていた。しかも欧米は日本のように本国と同じようなインフラの整備をやった訳ではなく、ひたすら利益を貪っていましたから、その強かさは日本の比では」ないことと、「欧米が人種のルツボといわれる所以です」とは、どうつながっているのか、さっぱり理解できません。
「アジア」の人間が現在、日本と欧米とどちらを信頼しているか、そのことを問題とすべきだと思いますが。
論理展開が非常に乱暴、教条的で、固定観念に支配されているように受取れます。
> 私が最近、イギリスに行った時も、グルカ人の未亡人が赤ちゃんを抱いて、地下鉄
> の車両で乞食をしていました。ロンドンの中心街で白人はあまり見かけませんでし
> た。
> ロズの中心街でも夕暮れともなると、大勢の有色人種が物乞いをしていました。
>
>
「歴史認識問題」とどう関係があるのでしょうか。「欧米」よりも「日本」の方が優れているから、日本の「歴史認識」は正しいとする論理展開を試みているのですか。
> それから、韓国の外務大臣が前言を翻して来日したのは、27日です。
> 小泉首相はなかなかの外交通だと思います。
>
「来日」と「小泉首相」の「外交通」がどうつながっているのか、これも理解できません。私自身の頭の悪さのせいなのでしょうか。
中国の胡錦涛主席が28日に北朝鮮を訪問しています。中国は日本の敵である北朝鮮を、<敵の敵は友人である>原理を最大限に利用して、北朝鮮を「中国の対日カード」に組み入れることと思われます。そのためには北朝鮮をいつまでも日本の敵である立場に固定する必要があります。そのことの方が「外交通」に思えますが。
日本の拉致問題にも影響しないこともないと思います。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07276] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年10月30日 20:09
kondo です。
長文にて、後半の投稿のみお答えします。
> > 私は歴史認識と民主化の問題を別個に考えていません。もし、中国が日本
> > のように民主主義国であったなら、歴史認識の点で事情は変わっていたで
> > しょう。民主主義国は多様な見解を受け入れる器量がありますが、独裁の国
> > はたった1つの価値観しか認めませんから、何でも、権力に都合のよい歴史
> > 認識を作り上げ、国民を洗脳します。
上記の見解を少しも認めようとしないで、単に『こういうのを教条主義と言う』と
はねのけてしまう手代木さんに何を言っても意味がないようにも思います。
> 韓国は民主主義国ですが、そのことによって日本に対する「歴史認識の点で事情
は変わっ」たと言えますか。日本に対する「歴史認識問題」でほぼ同じ立場をを取っ
ている韓国と中国を、あなたは都合のいいように使い分けている。
韓国の民主主義は未成熟だとおもいます。民主主義国と称していても、その呼称
に相応しくないことが沢山あります。例えば、国定教科書を使って反日教育をしたり
徴兵制が国民の義務であったり、「親日のための弁明」が発禁になったり、つまり
思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている。日本でこんなことが行わ
れたら、それこそ「戦前の軍事独裁主義の復活」だといって大騒ぎになります。
> 日本は確かに「民主主義国」でありますが、「侵略戦争でなかった。アジア解放
の戦争だった」とか、「南京虐殺は中国人が作り上げたお話であり、事実ではない」
といった石原慎太郎の発言、自民党麻生太郎の政調会長時代の、「創氏改名は朝鮮の
人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」といった発言を日本の政
治家は繰返しています。
>
> それを「多様な見解を受入れる器量があ」るから、許される発言だと取るか、
「歴史認識」は「民主主義国」であろうとなかろうと関係ないと取るかです。
私の考えは前者です。
> > 国民には情報の自由もありませんから、権力がコントロールするメディアが
> > 国民の知る権利ということになります。靖国参拝のことも国民は正しい情報
> > を与えられているかどうか疑問です。
> > 独裁国家の歴史認識を日本に押し付けるのは間違いです。
> > 中韓、北朝鮮は同類、日本が軍隊をもたない発砲しないおとなしい国である
> > ことに付け込んで、言いたい放題のことを要求しているとしか思えません。
> >
> もう少し論理的に議論を進めてください。思いこみが勝ち過ぎていませんか。
それをいう前に、上記の見解に対して、手代木さんの回答はありません。都合の
悪いことは、こんな風に、ご自分自身論理の飛躍をするのですね。
> 「独裁国家の歴史認識」は<悪>で、「民主主義国」の「歴史認識」は<善>だ
とする硬直したした2元論に立っている。絶対的にそうと言えるのですか。
手代木さんの思い込みと勝手な解釈がそんな結論に導くのでしょう。
> 同じ「独裁国家」であっても、中国と北朝鮮を「同類」とするのは無理があるの
と思いますが、あなたの目には一緒くたに見えるようです。
「国際法や条約を守らない」「自国の非は絶対に認めない」「絶対に謝らない」
「国民などどうでもよく、権力の安泰だけを考えている」「多様な価値観を認めず
一つの価値観だけが正しいとするから、民主主義国の事象が理解できない」
「中、朝には現在進行形で戦時中の日本が存在する」等、多少の音頭差はあり
ますが、よく似ています。ただし、江沢民から胡錦涛主席になってから少し改善
されて来ていると思います。
> 中国も市場経済の導入とそのことによる消費社会化が出版文化の発展や衛星放送
の視聴機会の増大、インターネットの利用などを促して、情報の選択が拡大し、統制
された公式メディアに「国民の知る権利」が必ずしも統一されているわけでもないよ
うです。
>
> また「民主主義国」日本にしても、先の総選挙で見たように、興味本位に偏った
情報を流す傾向がマスコミを支配し、そのことが一種の情報統制状態をつくり出し
て、国民に正しい情報を与えていたかどうか疑問です。
>
> また、情報はメッセージの受け手がどう咀嚼し、どう栄養化するかが重要な要素
を成します。単に流されたメッセージを表面的に受取るだけの受容は洗脳の過程を踏
むのと殆ど変らず、このことも「民主主義国」、「独裁国家」に関係のない情報伝達
の経緯です。
独裁=悪の根源という手代木さんの持論と矛盾しますね。
> > それから、もう1つ訂正事項。
> > 欧米がアジアを植民地にしたその補償まで日本がしたように、誤解される表現
> > は取り消します。付け加えて言うなら、大戦中、アジアは日本が植民地にしなく
> >
ても、欧米の植民地になっていた。しかも欧米は日本のように本国と同じようなイ
> >
ンフラの整備をやった訳ではなく、ひたすら利益を貪っていましたから、その強か
> >
さは日本の比ではありません。欧米が人種のルツボといわれる所以です。
>
> 日本と中国・韓国の間の「歴史認識問題」を議論のテーマに据えたのではなかっ
たのではないでしょうか。靖国参拝は果たして「国内問題」か否か――。「インフラ
の整備」云々は関係のないことです。
>
> 「欧米は日本のように本国と同じようなインフラの整備をやった訳ではなく」て
も、日本軍が犯した<残虐非道で集中的な人道の抑圧>は「欧米」の「比」ではない
と思いますが。
戦争というのは、みな残酷非道なものです。欧米は植民地の歴史も戦争の歴史も
日本とは比べものにならないほど長いですから、その極悪非道も日本とは比べもの
にならないということです。
> また、「大戦中、アジアは日本が植民地にしなくても、欧米の植民地になってい
た。しかも欧米は日本のように本国と同じようなインフラの整備をやった訳ではな
く、ひたすら利益を貪っていましたから、その強かさは日本の比では」ないことと、
「欧米が人種のルツボといわれる所以です」とは、どうつながっているのか、さっぱ
り理解できません。
なぜ、現在、欧米が「人種のルツボ」になっているか、手代木さんはどう思っている
のですか。私に言わせれば、それは、過去の植民地支配との関係で考えなければ
理解出来ない事柄だからです。欧米は日本のように、インフラを施して独立した
植民地が活用できるものは何一つもなかったし、悪徳非道な植民地支配に陳謝した
訳でも、補償をした訳でもありませんから、国籍を与えて入国を許可せざるを得な
かったのです。
> 「アジア」の人間が現在、日本と欧米とどちらを信頼しているか、そのことを問
題とすべきだと思いますが。
どちらを信頼しているかは過去の経緯もありますし、一概に決められないでしょう
が、中韓、北朝鮮を除けば、アジア諸国は日本を信頼していると思います。欧米におも
ねるのは、国際社会の現実が軍事力の強弱で動いているから、日本のように軍隊
を持たない国は国際社会の現実には即応できず、頼りないのでしょう。
手代木さんに、「関係ない」といわれるかも知れませんが、昨日の新聞に、「韓国は
朝鮮戦争で米国の恩を忘れたのか」とするクリントン・ヒラリー次期大統領候補の怒りの記事が載っていました。因みに、韓国はベトナム戦争の償いもしていません。自国が齎した「従軍慰安婦」の償いもしないで、日本にそれを求める資格があるのですか。
> 論理展開が非常に乱暴、教条的で、固定観念に支配されているように受取れま
す。
これも、人を見下した言い方ですが、ご自分も第二次大戦中の日本の悪徳非道のみを
問題の中心に位置付け、欧米の植民地時代から大局的に戦争の歴史を見ていません。
手代木さんの論理だと、欧米の植民地支配も戦争もすべて免罪されるが、日本は別だ
と日本虐めの中韓に加担しているとしか思えないような誤解を与えます。先に私が国
際関係の相互性の問題を云々したのは、日本の戦争を責めるのなら、欧米の戦争、殊に
国際法違反の原爆も東京大空襲も責めるべきではないですか、ということです。
手代木さんの見解は一見、論理的なようですが、実は非常に教条的(物事を一面からのみ見てあたかも持論が権威のある正論であるかのごとく確信している)な印象を持ちます。
> > それから、韓国の外務大臣が前言を翻して来日したのは、27日です。
> > 小泉首相はなかなかの外交通だと思います。
> >
>
「来日」と「小泉首相」の「外交通」がどうつながっているのか、これも理解
できません。私自身の頭の悪さのせいなのでしょうか。
韓国の外交通商相と小泉首相との会談で、韓国外相はストレートな物言いで
靖国参拝を批判したのに対して、小泉首相は、余裕のある態度で、「理解を求める」
として、建て前外交で応対しました。外交には本音と建て前があり、本音外交で物言
いをしたら、争いになります。さらに、韓国外相は町村外務大臣との会談で、靖国とは
別の追悼施設建設の関連予算を計上することまで要求しました。
予算は、国の主権にかかわる最も重要な内政事項の一つであり、それまでくちばしを
はさもうとする韓国の態度は国政への不当介入です。
送信者: "Hiroyuki.Teshirogi"
<wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07282] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年11月3日 7:23
手代木です。
kondoさんへ
> 韓国の民主主義は未成熟だとおもいます。民主主義国と称していても、その呼称
> に相応しくないことが沢山あります。例えば、国定教科書を使って反日教育をしたり
> 徴兵制が国民の義務であったり、 「親日のための弁明」が発禁になったり、つまり
> 思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている。日本でこんなことが行わ
> れたら、それこそ「戦前の軍事独裁主義の復活」だといって大騒ぎになります。
韓国がそんなに「未成熟」だったとは知りませんでした。私の無智・不勉強でした。すべて訂正して、謝ります。
日本は「民主主義国と称していても、その呼称に相応しくないことが沢山あります」。
「思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている」としても、北朝鮮並みに全体に亘ってのことですか。全体に亘ってそうであるような言い方となっていますが。
「国定教科書」に関しては、日本は「国定」から戦後検定制となりましたが、歴史
問題に関してはその検定が厳しく、<準国定>と言える状況が続いたのは周知の事実です。時代の経過と共に、事実が隠せないことが明らかとなって、最近では歴史に関しての検定は自由度は増したそうですが、学校現場での<国旗掲揚・国歌斉唱>の励行に関わる<思想・良心の自由の侵害性>やその<強制性>に疑義を申立てる記述(こういった意見もあるという記述)は、<法の強制力>を盾に認めない検定が行われているということです。
いわば検定の形を取った「統制」が「歴史認識」から愛国心に対象を変えて存続させている。このことは部分的ながらも「思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている」とは言えないですか。
例えば、今回の第3次小泉改造内閣で法相となった杉浦正健は就任後の記者会見で、死刑執行について「サインしない」と表明したが、1時間後に発言を撤回しています。<死刑>は刑事法で法律として認められている事項で<法の強制力>を持ちますが、<死刑>そのものに関しては<死刑廃止論>など様々な考え方があります。教科書に<死刑廃止論>もあることを紹介する記述に対して、検定で<法の強制力>を盾に認めないといったことをするでしょうか。
要するに<国旗・国歌>に関わる記述だからであって、そこに選択を介在させることで「国定」とさして変らない状況をつくり出しています。この点についても、韓国だけのことは言えないと思います。
「徴兵制」によって、その国の民主度を占うことはできないと思います。2000年の辞典で調べますと、フランスが徴兵制を廃止したのはたった8年前の1997年になってからで、9カ月の志願兵制に移行したと言うことです。イギリスは志願兵制ですがイタリアは
12ヶ月の徴兵制を取っているようです。イタリアがこの5年の間に志願兵制へと移行したとしても、それまでは「民主主義は未成熟」だったとは言えないと思います。フランスにしても同じことが言えます。
韓国には韓国の事情があります。朝鮮戦争では北朝鮮の侵略を受け、一時米韓合同軍は釜山近郊まで撤退を余儀なくされる猛攻撃を受けています。和平が成立したわけではなく、北朝鮮と軍事境界線を接して対立している上に、北朝鮮はビルマのラングーンで韓国閣僚ら多数を爆殺するテロを起し、大韓航空機爆破テロでは多数の韓国人乗客を死なせています。その上、韓国領土内への侵犯事件をたびたび起している危険極まりない敵国関係にあるのです。
兵力を比較した場合でも、韓国が「徴兵制」を敷いていても、正規兵にしても予備役兵にしても人口が約半分の北朝鮮の半分強しか維持していない状況にあります。過去の苦い経験と現状を考慮したなら、韓国政府に主権確保の責任がのしかかっている以上、「徴兵制」は止むを得ない事柄ではないでしょうか。
日本にしても北朝鮮の攻撃を受け、日本の領土内に侵略された場合、米軍の支援を受けたとしても、戦況によっては「徴兵制」が復活しないと言いきれないと思います。「徴兵制」を復活させたくてウズウズしている保守派もいますし、全体主義がお好きな国柄です。<国家総動員法>が息を吹き返さない保証はないと思います。
「『親日のための弁明』が発禁」ということですが、そのような書物があることを知らなかったものですから、インターネットで調べてみました。
正式名は『親日派のための弁明 』のようです。「韓国で事実上の発禁(青少年有害図書指定)となった衝撃の書!」と紹介されていました。
<扶桑社>のHP(http://www.fusosha.co.jp/senden/2004/048331.html)では、<韓国政府による反日教育は誤りだ! 韓国で発禁処分を受けた話題の書>とキャッチコピーでは「発禁処分」と紹介していますが、説明文では、<2002年、韓国人自身によって、日本統治時代の歴史を積極的に肯定・評価する書籍が刊行され、大きな衝撃を与えた。「日本の統治によって、民衆は初めて文明を経験し、幸福を享受した。」とするその主張は、韓国政府によって、有害図書指定された。日本でもベストセラーとなった、話題の書を文庫化!>と、「有害図書指定」だけの説明になっています。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
「発禁(はっきん)とは、発売禁止・発行禁止の略。
一度は一般に発行され、世に送り出された(またはその準備が整った)出版物であるにもかかわらず、内容に公共性に耐えない部分がある場合には、それが取りやめになる。
戦前戦中の検閲で、この発禁命令を受けたものは、思想的に危険視されたものがほとんどだった。
現代では法制度上の発禁は存在しないが、『事実上の発禁』と呼ばれるものはある。
人権侵害(プライバシーを本人に断りなく記述していたり、差別的な表現が多用されている場合)や著作権の侵害が見つかった場合が中心である。」と出ています。
Wikipediaが言う「一度は一般に発行され、世に送り出された(またはその準備が整った)出版物」という解説から、「準備」された段階で「発禁」となったのか、「一度は一般に発行され」てから、「発禁」処分を受けたのか知りたくて、韓国大使館に問い合わせたところ、詳しい返答は得られなかったのですが、販売はされていたが、著者に対して賠償命令を出したといったことを言っていたから、「一度は一般に発行され」てから、「発禁」処分にされたのではないでしょうか。
多分、<扶桑社>が本の紹介で述べている、「日本の統治によって、民衆は初めて文明を経験し、幸福を享受した」とする主張が、韓国からしたら名誉毀損と受止められたのではないかと考えられます。著者には従軍慰安婦も強制連行も存在しないから、あるいは植民地国の下位国民としてバカにされたり、怒鳴られたりの人間扱いされなかった事実は存在しなかったから、「幸福を享受した」とすることができたのだと思います。
それが韓国民の人権侵害に当たることを理由に「事実上の発禁」を命じたものなら、日本でもあることですから、その一事を以て「民主主義は未成熟」だと断定することはできないと思います。
* * *
手代木曰く
「日本は確かに『民主主義国』でありますが、『侵略戦争でなかった。アジア解放の戦争だった』とか、『南京虐殺は中国人が作り上げたお話であり、事実ではない』
といった石原慎太郎の発言、自民党麻生太郎の政調会長時代の、『創氏改名は朝鮮の人たちが「名字を呉れ」と言ったのがそもそもの始まりだ』といった発言を日本の政
治家は繰返しています。
それを『多様な見解を受入れる器量があ』るから、許される発言だと取るか、
『歴史認識』は『民主主義国』であろうとなかろうと関係ないと取るかです」
kondoさん曰く
「私の考えは前者です」
――事実に反する「歴史認識」をも「多様な見解」の内に入れると言うことですね。だとしたら、確かにあなたは「器量があ」る人間とすることができます。それとも事実に反していないと見ているのですか。
* * *
kondoさん曰く
「 国民には情報の自由もありませんから、権力がコントロールするメディアが
国民の知る権利ということになります。靖国参拝のことも国民は正しい情報
を与えられているかどうか疑問です。
独裁国家の歴史認識を日本に押し付けるのは間違いです。
中韓、北朝鮮は同類、日本が軍隊をもたない発砲しないおとなしい国である
ことに付け込んで、言いたい放題のことを要求しているとしか思えません。
手代木曰く
「もう少し論理的に議論を進めてください。思いこみが勝ち過ぎていませんか」
kondoさん曰く
「それをいう前に、上記の見解に対して、手代木さんの回答はありません。都合の
悪いことは、こんな風に、ご自分自身論理の飛躍をするのですね。
――次のように答えているはずです。よく読んでください。
「中国も市場経済の導入とそのことによる消費社会化が出版文化の発展や衛星放送の視聴機会の増大、インターネットの利用などを促して、情報の選択が拡大し、統制された公式メディアに『国民の知る権利』が必ずしも統一されているわけでもないようです。
また『民主主義国』日本にしても、先の総選挙で見たように、興味本位に偏った情報を流す傾向がマスコミを支配し、そのことが一種の情報統制状態をつくり出して、国民に正しい情報を与えていたかどうか疑問です。
また、情報はメッセージの受け手がどう咀嚼し、どう栄養化するかが重要な要素を成します。単に流されたメッセージを表面的に受取るだけの受容は洗脳の過程を踏むのと殆ど変らず、このことも『民主主義国』、『独裁国家』に関係のない情報伝達の経緯です」と。
* * *
手代木曰く
「『独裁国家の歴史認識』は<悪>で、『民主主義国』の『歴史認識』は<善>だ
とする硬直したした2元論に立っている。絶対的にそうと言えるのですか」
kondoさん曰く
「手代木さんの思い込みと勝手な解釈がそんな結論に導くのでしょう」
手代木曰く
「同じ『独裁国家』であっても、中国と北朝鮮を『同類』とするのは無理がある
と思いますが、あなたの目には一緒くたに見えるようです」
kondoさん曰く
「『国際法や条約を守らない』『自国の非は絶対に認めない』『絶対に誤らない』
『国民などどうでもよく、権力の安泰だけを考えている』『多様な価値観を認めず一つの価値観だけが正しいとするから、民主主義国の事象が理解できない』
『中、朝には現在進行形で戦時中の日本が存在する』等、多少の音頭差はあり
ますが、よく似ています。ただし、江沢民から胡錦涛主席になってから少し改善
されて来ていると思います」
――上記の説明は矛盾があります。
「独裁の国 はたった1つの価値観しか認めませんから、何でも、権力に都合のよい歴史認識を作り上げ、国民を洗脳します」とか、「国民には情報の自由もありませんから、権力がコントロールするメディアが国民の知る権利ということになります」、「中韓、北朝鮮は同類、日本が軍隊をもたない発砲しないおとなしい国であることに付け込んで、言いたい放題のことを要求しているとしか思えません」、あるいは前のメールで、「100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくる」と散々決めつけておいて、「江沢民から胡錦涛主席になってから少し改善されて来ていると思います」と、これまでの決め付けに反する、一度も言及していなかった事実をいきなり持ち出して、私の返答に辻褄を合わせている。
* * *
手代木曰く
「『民主主義国』日本にしても、先の総選挙で見たように、興味本位に偏った
情報を流す傾向がマスコミを支配し、そのことが一種の情報統制状態をつくり出し
て、国民に正しい情報を与えていたかどうか疑問です。
また、情報はメッセージの受け手がどう咀嚼し、どう栄養化するかが重要な要素
を成します。単に流されたメッセージを表面的に受取るだけの受容は洗脳の過程を踏
むのと殆ど変らず、このことも「民主主義国」、「独裁国家」に関係のない情報伝達
の経緯です」
kondoさん曰く
「独裁=悪の根源という手代木さんの持論と矛盾しますね」
――いいえ、「矛盾」していません。再び言いますが、よく読んで下さい。「情報伝達」に関して、「同じ経緯」、あるいは「同じ」構図を持つケースがあることを言っているに過ぎません。「民主主義国家」でも、「独裁国家」と同じように政治権力者に都合のいい情報を流し、国民を騙すといった情報操作もよくあることです。過去の外交文書を公開せずに秘密にしておくことも、情報操作に入るでしょう。この点についても「民主主義国」、「独裁国家」に関係のない情報伝達・情報操作と言えると思います。「民主主義国家」のメディアもときには同じ手を使います。いわば「民主主義国家」の、「独裁国家」に通じる否定的側面を指摘したに過ぎませんが、あなたには通じなかったようです。
* * *
kondoさん曰く
「それから、もう1つ訂正事項。
欧米がアジアを植民地にしたその補償まで日本がしたように、誤解される表現
は取り消します。付け加えて言うなら、大戦中、アジアは日本が植民地にしなく
ても、欧米の植民地になっていた。しかも欧米は日本のように本国と同じようなイ ン
フラの整備をやった訳ではなく、ひたすら利益を貪っていましたから、その強か
さは日本の比ではありません。欧米が人種のルツボといわれる所以です。
手代木曰く
「日本と中国・韓国の間の『歴史認識問題』を議論のテーマに据えたのではなかっ
たのではないでしょうか。靖国参拝は果たして「国内問題」か否か――。「インフラ
の整備」云々は関係のないことです。
『欧米は日本のように本国と同じようなインフラの整備をやった訳ではなく」て
も、日本軍が犯した<残虐非道で集中的な人道の抑圧>は「欧米」の『比』ではない
と思いますが」
kondoさん曰く
「戦争というのは、みな残酷非道なものです。欧米は植民地の歴史も戦争の歴史も
日本とは比べものにならないほど長いですから、その極悪非道も日本とは比べもの
にならないということです」
――「戦争というのは、みな残酷非道なものです」
侵略した側と侵略された側を区別せずに、等しく一般化してもいいのですか。殺人を犯した人間が被害者の家族に「私は残酷な人間でした」とは言えても、「人間とは残酷な生きものです」と一般論化することはできないでしょう。
かつて、「アメリカはたかだか200年の歴史しかない。日本は2000年の歴史がある」と、歴史の長さを日本がアメリカに優越する根拠としていた日本人が少なからずいました。歴史の長さが民族の、もしくは国家の優越性の根拠となるなら、中国は日本の上をいく優越国家となります。
「長い」短いで判断するなら、欧米の「植民地の歴史」や「戦争の歴史」の長さから比べたなら、日本は日韓併合前後から
4、50年の短い期間に日本刀の試し切り・虐待・虐殺・人体実験・強制連行のための情け容赦のない人狩り・強制売春等々、人道・人権の抑圧を集中的、且つ残虐に行い、その上戦場とした国々の民間人と兵士の膨大な死者を出した、「極悪非道」国家という逆説も成り立ちます。ドイツに次いでという但し書きを入れなければなりませんが。
* * *
手代木曰く
「また、『大戦中、アジアは日本が植民地にしなくても、欧米の植民地になってい
た。しかも欧米は日本のように本国と同じようなインフラの整備をやった訳ではな
く、ひたすら利益を貪っていましたから、その強かさは日本の比では』ないことと、
『欧米が人種のルツボといわれる所以です』とは、どうつながっているのか、さっぱ
り理解できません」
kondoさん曰く
「 なぜ、現在、欧米が『人種のルツボ』になっているか、手代木さんはどう思っているのですか。私に言わせれば、それは、過去の植民地支配との関係で考えなければ
理解出来ない事柄だからです。欧米は日本のように、インフラを施して独立した
植民地が活用できるものは何一つもなかったし、悪徳非道な植民地支配に陳謝した
訳でも、補償をした訳でもありませんから、国籍を与えて入国を許可せざるを得な
かったのです」
――私の認識では、アメリカの黒人はアメリカ自体の植民地とは殆ど関係なしに、人身売買で連れてこられたものですし、その他の移民は不法移民も含めて、戦前からの移民政策等で入ってきたもので、イギリス、ドイツ、フランスなどは戦後の民族自決と人種平等の思想の高まりを受けてのことと、イギリスもフランスも似たような状況にあったと思われますが、ドイツなどは経済発展を受けて、3Kの仕事を自国民が嫌ったためにトルコからの不法・合法を含めた移民が担うために、主にそれぞれの被植民地国から宗主国に向けて流入したと受止めています。間違っているでしょうか。「悪徳非道な植民地支配に陳謝した訳でも、補償をした訳でもありませんから、国籍を与えて入国を許可せざるを得なかったのです」とする関係性は少し単純化し過ぎではないですか。
* * *
手代木曰く
「『アジア』の人間が現在、日本と欧米とどちらを信頼しているか、そのことを問
題とすべきだと思いますが」
kondoさん曰く
「どちらを信頼しているかは過去の経緯もありますし、一概に決められないでしょう
が、中韓、北朝鮮を除けば、アジア諸国は日本を信頼していると思います。欧米におもねるのは、国際社会の現実が軍事力の強弱で動いているから、日本のように軍隊
を持たない国は国際社会の現実には即応できず、頼りないのでしょう。
――言葉の関係があったとしても、海外からの受入れ留学生数が日本が先進国と比較して極端に少ないのは、信頼度がその継続性から言っても、低いことを意味していませんか。このことも「国際社会の現実が軍事力の強弱で動いているから」、「欧米におもね」ているからであり、「日本のように軍隊を持たない国は国際社会の現実には即応できず、頼りない」からということですか。
日本の受入れ留学生が中国からが圧倒的に多いのはなぜなのでしょうね。留学とは名ばかりで、出稼ぎ目的が多いと言うことですか。中国には「留日反日」という言葉のあるそうです。「日本に留学すれば、反日になる」という意味だそうです。このことは、留学する前は反日ではなかったと言うことです。
中国・韓国だけではなく、シンガポールもインドネシアも台湾・フィリッピンも歴史教科書に日本の侵略と、その残酷な行動を記しているそうです。
* * *
kondoさん曰く
「手代木さんに、『関係ない』といわれるかも知れませんが、昨日の新聞に、『韓国は朝鮮戦争で米国の恩を忘れたのか』とするクリントン・ヒラリー次期大統領候補の怒りの記事が載っていました。因みに、韓国はベトナム戦争の償いもしていません。自国が齎した『従軍慰安婦』の償いもしないで、日本にそれを求める資格があるのですか」
――アミテージ、ロバート・ノバックに続いて、今度はヒラリーですか。もう一つのメールで、「『靖国参拝のようなこと』で『アメリカの考え方が国際社会の常識』だとする基準を説明してください」とお願いしたはずです。それに答えないで、また別の人間を持ち出すのはちょっとおかしくないですか。
大体が、ヒラリーはどのような事柄に対して、あるいはどのような経緯があって、そういったことを言ったのですか。それが分からなければ、答えようがありません。説明に論理性が欠けています。日本に関係したことで言ったのですか。韓国にのみ関係したことで言ったのですか。
言ったとする言葉から受ける印象を述べると、「米国の恩を忘れたのか」はバカに露骨な言い方で、ヒラリーらしくないように思えます。それともヒラリーらしい言い方なのでしょうか。<恩を忘れたのか・忘れていない>とかの言葉は、少なくとも外交上、公の場では使うべき言葉ではないように思えます。
それともkondoさんは韓国が恩知らずな国だと証明したいがためにヒラリーを持ち出したのですか。だとしても、何がどう恩知らずなのか、理解できません。
朝鮮戦争当時、マッカーサー国連軍最高司令官の後任となったリッジウェイ将軍は自作の『朝鮮戦争』(恒文社刊)でこう述べています。
「1882年、米国と朝鮮との最初の条約が天津に於いて締結され、ここに我が国と朝鮮との通商関係は樹立された。
この条約の特に興味深い特徴は、『両国のうちいずれかの国が第三国によって不法に取り扱われた場合の援助』を約束した条項であった。この『不法な取扱い』という表現は後々の70年間を通じて、むしろ限定された解釈をされやすかったように思える。
朝鮮関係のその後の殆どの条約、文書、決議、宣言の中で、<独立>という言葉はいくどもいくども使用されている。しかし天津条約締結以来今日まで、独立は単なるおとぎ話であった。我々は条約を締結しながら、我々が行ったことは貿易協定を朝鮮に守らせることばかりで、他国がこの<朝静かなる国>(朝鮮国)を占領し、搾取する権利を要求したとき、それを阻止する努力は全く行われなかった」
朝鮮に対するアメリカの背信行為はこれだけでなかったようです。同じく『朝鮮戦争』から引用します。
「日露戦争の初期に、日本が朝鮮を保護国としたとき、セオドー・ルーズヴェルトは朝鮮に次のような手紙を送った。即ち『我々は朝鮮のために、日本に対して有効に干渉することはできない。朝鮮人は自国の防衛のために敵に対して一撃さえ加えなかった』と述べた。朝鮮はその五、六年前から我が国に対し、我が国が協定に基づき、大国の不法干渉から朝鮮の保全を保障する措置をとるよう要請していたが、我が大統領のこの手紙がそれへの<返答>であった。我々の朝鮮の放棄政策は、1905年のタフトー・桂協定で公式のものになった。我が国はその協定で、極東の我々の新しい植民地フィリッピンに対して、日本が侵略的意図を放棄する代償として、朝鮮に対する日本の保護権に同意した」
キム・ウイルソンは元々侵略欲求を抱えていたのでしょうが、北朝鮮の南朝鮮への侵略行為の引き金役も、ある意味米国は果たしたようです。
(『朝鮮戦争』)「1948年9月に全米国軍隊の撤退を開始して、再び不介入論への伝統的傾倒を示した。一方ソ連は、これより先、朝鮮から年末までに全軍隊を引き上げると発表し、その期日までに撤退を完了したと報ぜられたが、その結果の状況を厳密に調査したならば、我々は新生共和国(李承晩を大統領とする大韓民国)を裸のまま祭壇に供えたことが分かったろう」
「その結果の状況」とは、ソ連が撤退に備えて北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に当時のソ連軍が使用していた近代兵器を北朝鮮軍に装備させ、その装備した兵器を使いこなせる訓練を施していたこと
を言います。米軍はそのことに反して南朝鮮の軍隊に装備も訓練を施さずにいたと言うことです。
「このような状況下で、朝鮮は我々の防衛戦から外れているというディーン・アチソンの言明(1950年1月)のタイミングは、確かに誤りであるかも知れない。韓国軍の脆弱さと、全米国軍隊を帰国させよという政府への国民の強い圧力はソビエトによく知られていたし、我々は朝鮮を防衛する意図を持っていないという表明は、敵に束の間の躊躇もさせなかった。朝鮮を除外した防衛線の作成は、ディーン・アチソンの仕事でも、トルーマン政権だけの仕事でもないことは、勿論真実である。早くも1947年9月に、トルーマン大統領の指示によって創設された統合参謀本部(レイヒイ、アイゼンハワー、ニミッツ、スパーツ)の研究結果が国務省に送られたが、その中には、軍事的安全保障の観点から見れば、米国は朝鮮に現在の軍隊と基地を維持することに殆ど戦略的利益を持っていない・・・・という見解が含まれていた。この4人の偉大な軍事的権威者の思慮深い見解が大統領の承認を得たことは、確かに驚くべきことではない」
もしヒラリーがアメリカと朝鮮との間の歴史的経緯を知っていたなら、「朝鮮戦争で米国の恩を忘れたのか」といったことは、少なくとも簡単には言えなかったと思います。
「韓国はベトナム戦争の償いもしていません」ということですが、ベトナムはベトナム戦争に関わる戦争賠償を韓国に求めているのですか。最近枯れ葉剤製造の米企業に賠償請求する訴訟がベトナムの元兵士や民間人被害者を原告として起したが、棄却されたということです。散布したのは米軍ですから、本来は米国政府に求めるべき賠償請求を枯れ葉剤製造企業に求めたのは、ベトナム政府が米政府に求めていないからではないのですか。米政府に求めずに、単なる軍隊派遣国である韓国に求めたとしたら、二重基準を犯すことになります。
「自国が齎した『従軍慰安婦』の償いもしないで、日本にそれを求める資格があるのですか」は、ちょっと意味不明です。
* * *
手代木曰く
「論理展開が非常に乱暴、教条的で、固定観念に支配されているように受取れます」
kondoさん曰く
「これも、人を見下した言い方ですが、ご自分も第二次大戦中の日本の悪徳非道のみを問題の中心に位置付け、欧米の植民地時代から大局的に戦争の歴史を見ていません。
手代木さんの論理だと、欧米の植民地支配も戦争もすべて免罪されるが、日本は別だ
と日本虐めの中韓に加担しているとしか思えないような誤解を与えます」
手代木さんの見解は一見、論理的なようですが、実は非常に教条的(物事を一面からのみ見てあたかも持論が権威のある正論であるかのごとく確信している)な印象を持ちます」
――「欧米の植民地支配も戦争もすべて免罪される」などと一言も言ってません。比較した場合、どちらが罪が重いかを論じているに過ぎません。ここにもあなたの勝手な解釈がある。
大体が、『日本虐めの中韓に加担している』などと、『日本虐め』と受止めている感覚が私には理解不能です。本当にあなたは『中韓』が『日本虐め』のために『歴史認識』を持ち出していると信じているのですか。一般的には『虐め』とは強い立場にある者が弱い立場の人間に対して行う不当な優越的行為なのですが、あなたは日本と『中韓』が強国の立場を変えたと受止めているようです。
* * *
kondoさん曰く
「先に私が国際関係の相互性の問題を云々したのは、日本の戦争を責めるのなら、欧米の戦争、殊に
国際法違反の原爆も東京大空襲も責めるべきではないですか、ということです」
――日本も中国各地で無差別爆撃を行っていたようです。特に重慶に対する無差別爆撃は各国から非難されたそうです。
『南京爆撃は国際法違反か?』(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page017.html)なるインターネット記事で知り得た知識ですが、
「都市爆撃を制限する国際法としては、『ハーグ陸戦
法規』と『ハーグ空戦法規(案)』(条約としては発効せず)の二つがあ」り、「陸戦法規の規定には『防守せざる都市、村落、住宅又は建物は如何なる手段に依るも之を攻撃又は砲撃することを得ず』とあります。条文を厳密に解釈すれば、軍事力の存在しない都市であれば、そこに武器弾薬などの軍需物資があっても攻撃できないことになります。
これでは不合理なので、各国とも空爆についてはハーグ空戦法規(案)で示された、『軍事目標主義』が準用されると考えていました。
『軍事目標主義』を簡単に説明すると、軍事目標(食料や弾薬も軍事目標となりえる)があれば、防御の有無にかかわらず攻撃の対象としてもいいが、無駄に市民を殺傷するような爆撃は止めましょう、という思想です。
違法な爆撃とは何か?
違法な爆撃の要件を簡単に説明すれば、軍事目標主義に反する爆撃と言うことができます。軍事目標が存在しない都市に対する爆撃は違法となります。しかし銀行や鉄道、幹線道路、政府関係施設なども軍事目標となり得るので、実際にはほとんどの都市が軍事目標となりうると考えられます。
軍事目標があれば何をやってもいいかというと、そうではありません。戦争法は軍事的必要原則と人道原則のバランスで構成されていますから、爆撃により得られる軍事的利益と、民間人、民間施設に及ぶ被害などを考慮して、明らかに民間人の犠牲が大きいと考えられる場合は違法行為になると考えられています。
例えば、東京大空襲は町工場を狙った爆撃ということですが、爆撃の手法が市街地を含んだ都市の焼却を狙ったものであり、一夜にして10万人もの死者が出たことを考えると、違法性が強いと言えるでしょう。」
――それでも、日本の軍人軍属の戦死230万人+原爆被害者を含めた国内での民間戦死者50万人以上=合計300万人余の被害から比較したアジア・太平洋各国の2000万人以上の犠牲を考えた場合、簡単には「責める」ことはできないと思います。
特に原爆は戦いを続行する余力もないのに、国体護持(天皇制維持)のためにのみ本土決戦の強がりでしかない拳を振り上げて、ポツダム宣言を拒絶した愚かさが招いた結果としてあるのもだと考えています。天皇制維持と広島・長崎市民の命を交換したようなものです。
アメリカ軍にしても、本土決戦となれば、それ相応の戦死者を覚悟しなければならなかったはずです。原爆投下によって、日本が天皇制維持と広島・長崎市民の命を交換したのとは逆に自軍の兵士の命を救い、日本に降伏を決意させたとも言えます。
* * *
kondoさん曰く
「それから、韓国の外務大臣が前言を翻して来日したのは、27日です。
小泉首相はなかなかの外交通だと思います」
手代木曰く
「来日」と「小泉首相」の「外交通」がどうつながっているのか、これも理解できません。私自身の頭の悪さのせいなのでしょうか。
kondoさん曰く
「韓国の外交通商相と小泉首相との会談で、韓国外相はストレートな物言いで
靖国参拝を批判したのに対して、小泉首相は、余裕のある態度で、『理解を求める』
として、建て前外交で応対しました。外交には本音と建て前があり、本音外交で物言
いをしたら、争いになります」
――ここにもあなたの教条主義が現れています。それとも自分に都合のいい解釈ですか。
「外交には本音と建て前があり、本音外交で物言いをしたら、争いになります」とは限らないと思いますが。必要に応じて「建て前」と「本音」を使い分けるものと相場は決まっています。「建て前」だけで、交渉事の核心に行き着くことができるのですか。大体がなぜ「小泉首相」は靖国参拝の問題で「建て前外交で応対」しなければならないのです。公式的に表明している姿勢を韓国外相にも繰返す形で示した上で、「理解を求め」たということではないのですか。そうでなければ矛盾します。
* * *
kondoさん曰く
「さらに、韓国外相は町村外務大臣との会談で、靖国とは
別の追悼施設建設の関連予算を計上することまで要求しました。
予算は、国の主権にかかわる最も重要な内政事項の一つであり、それまでくちばしを
はさもうとする韓国の態度は国政への不当介入です」
――私にはそう思えません。「靖国参拝」をあなたは「国内問題」と見ているから、「国政への不当介入」と見るのでしょう。韓国は日本の「国内問題」と見ていないから、「要求」したのではないのですか。複数の国が関わる政策に関して、他国が関係国に対して国会承認を急がせたり、予算の計上を促すと言ったことはあると思います。
あなたが「不当介入」とする「追悼施設建設の関連予算」の「計上」に対して、「町村外務大臣」は「本音」対応して「国政への不当介入」だと「争い」になったのか、「建て前」で対応し、その場凌ぎしたのか、知りたいですね。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : [kokkai2][07277] 事後承諾
日時 : 2005年11月1日 16:21
kondo です。
手代木さんへ
手代木さんとの論争「外交カードとしての靖国参拝」に関して、私の
意見を纏めてホームページへ載せました。手代木さんのお名前が数箇
所出てきますが、ご了承下さい。
送信者: "Hiroyuki.Teshirogi"
<wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07283] 事後承諾
日時 : 2005年11月3日 7:23
手代木です。
kondo
さんへ
普通は「事後承諾」ではなく、<事前承諾>するものだと思いますが、構いません。名前が出るなど、名誉なことです。
私もHP化するする予定で、論争が終わったなら、<事前承諾>を得るつもりでいました。
但し私の場合は「意見を纏め」たものではなく、メールの内容を一字一句違えずにそのまま載せて、より多くのに人に批評の俎上に供したいと考えています。
HP化まで、少し時間がかかりますが、許可が頂けたなら、メールアドレスも載せる予定でいます。不都合でしたなら、削除した形にします。仮名にするかどうかも含めて、知らせてください。
----- Original Message -----
From: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
To: <kokkai2@yahoogroups.jp>
Sent: Tuesday, November 01, 2005 4:17 PM
Subject: [kokkai2][07277] 事後承諾
>
> kondo です。
>
> 手代木さんへ
>
> 手代木さんとの論争「外交カードとしての靖国参拝」に関して、私の
> 意見を纏めてホームページへ載せました。手代木さんのお名前が数箇
> 所出てきますが、ご了承下さい。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07286] 事後承諾
日時 : 2005年11月3日 20:10
kondo です。
事後承諾で申し訳ございませんでした。ご承諾を頂けましたことを
感謝致します。このMLに公開した以上、私の件は手代木さんのご
自由になさってください。誤字脱字、基礎知識の欠如等、お恥ずか
しい限りですが、それが自分の能力ですから取り繕ってみても仕方
がありません。
----- Original Message -----
From: "Hiroyuki.Teshirogi" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
To: <kokkai2@yahoogroups.jp>
Sent: Thursday, November 03, 2005 7:22 AM
Subject: Re: [kokkai2][07283] 事後承諾
>
手代木です。
>
> kondo さんへ
>
> 普通は「事後承諾」ではなく、<事前承諾>するものだと思いますが、構いませ
ん。名前が出るなど、名誉なことです。
>
> 私もHP化するする予定で、論争が終わったなら、<事前承諾>を得るつもりでい
ました。
> 但し私の場合は「意見を纏め」たものではなく、メールの内容を一字一句違えずに
そのまま載せて、より多くのに人に批評の俎上に供したいと考えています。
>
> HP化まで、少し時間がかかりますが、許可が頂けたなら、メールアドレスも載せ
る予定でいます。不都合でしたなら、削除した形にします。仮名にするかどうかも含
めて、知らせてください。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07289] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年11月4日 1:36
kondo です。
手代木さんへ
> 「思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている」としても、北朝鮮並
みに全体に亘ってのことですか。全体に亘ってそうであるような言い方となっていま
すが。
韓国の「民主主義は未成熟」とは言いましたが、北朝鮮が「未熟な民主主義国」だ
などと言っていません。それこそ、out of the quetionです。
> 「国定教科書」に関しては、日本は「国定」から戦後検定制となりましたが、歴
史問題に関してはその検定が厳しく、<準国定>と言える状況が続いたのは周知の事
実です。時代の経過と共に、事実が隠せないことが明らかとなって、最近では歴史に
関しての検定は自由度は増したそうですが、学校現場での<国旗掲揚・国歌斉唱>の
励行に関わる<思想・良心の自由の侵害性>やその<強制性>に疑義を申立てる記述
(こういった意見もあるという記述)は、<法の強制力>を盾に認めない検定が行わ
れているということです。
「国定教科書」と「検定教科書」とは全く違った概念だと思います。
戦前から戦中にかけて日本も国定教科書でしたから政府が決めた一種類の教科書
しか使えませんでしたが、戦後は検定制度をとって、日本には歴史教科書だけでも
8種類はあります。それこそ、左から右までありますよ。最近では、教科書問題で
中韓の内政干渉が煩いので、アメリカのように検定制度を廃止しようか、との意見も
政府内から出ているようにも聞いています。
手代木さんは中韓の歴史教科書を読んだことがありますか。私は以前、ソウル発
黒田特派員の報告で韓国の歴史教科書が何を子供達に教えているか、産経新聞
の記事を読んだことがあります。例えば、「韓国の歴史教科書は日本に対する
独立戦争、抵抗闘争の結果、自ら解放、独立したと教えている」とのことです。
日本としては、先の大戦の際、韓国と戦争をしたわけでもなく、韓国の解放、独立
は日本がアメリカなど連合国に敗戦した結果というのが史実です。だから、韓国は
戦勝国の連合国の一員ではなかったのです。
最近では、NHKの特集番組で「中国の教科書」が取り上げられたのを聴きました。
日本の記述は全体の2%位だそうですが、戦後の日本の記述は皆無で、戦中の
日本への恨みの記述ばかりだそうです。それも捏造された史実が多く、特に酷い
のは、指導要領で「教室に入る前に、日本への恨みを全身に込めて指導に当る」
と記述されているそうです。
中韓は、まず自らの教科書を省みるべきで、闇雲に、日本の歴史教科書を批判する
資格などないと思います。
> 「徴兵制」によって、その国の民主度を占うことはできないと思います。200
0年の辞典で調べますと、フランスが徴兵制を廃止したのはたった8年前の1997年に
なってからで、9カ月の志願兵制に移行したと言うことです。イギリスは志願兵制で
すがイタリアは12ヶ月の徴兵制を取っているようです。イタリアがこの5年の間に
志願兵制へと移行したとしても、それまでは「民主主義は未成熟」だったとは言えな
いと思います。フランスにしても同じことが言えます。
>
> 韓国には韓国の事情があります。
もし、日本が韓国のように軍隊を持ち、徴兵制を強いたら、手代木さんは「日本には
日本の事情があります」と言えますか。国旗、国歌法ですらガタガタいうのに、中韓
には甘いですね。
それから、「親日派のための弁明」について: 2002年、日本語の翻訳本の発売
で私も買い求め、読みました。
手代木さんもお調べになったとのことですので、お分かりかと思いますが、この本を
初めて日本に紹介したのは、毎日新聞です。次に産経新聞が一面トップで紹介しま
した。当本で著者が述べているように、「100年前の日本統治を肯定的に評価したと
いうだけで、一介の物書きが身の危険を感じなければならない現実はいろいろな意味で慨嘆すべきものです」 「親日派というレッテルはときにその人を社会的に抹殺するほどの力をもっているから、怖くて公の場で発言することができない」国が、韓国なのです。こんなこと、日本の戦時中でもなければ有り得ないことです。
私が読んだ限りでは、「歴史認識」の違いであって、これは思想信条の部類に入る
類のもので手代木さんのいうように、「韓国民の人権侵害」に当るとは到底思えませ
ん。日本では、手代木さんのように、「従軍慰安婦や強制連行の事実があったから、日本政府は個人補償せよ」という見解から、「そのような事実はなかった」とする説に至
るまで、様々な「歴史認識」の本が出回っていますが、政治思想信条に関して、どんなに日本人を貶めることを書いたとしても政府が発禁にする本はありません
> kondoさん曰く
> 「私の考えは前者です」
>
> ――事実に反する「歴史認識」をも「多様な見解」の内に入れると言うことです
ね。だとしたら、確かにあなたは「器量があ」る人間とすることができます。それと
も事実に反していないと見ているのですか。
何度も言うようですが、「歴史認識」というのは歴史の事実をどう捉えるかで様々な
見解が出てきます。必ずしも手代木さんの見解が事実に反することなく、正しいとは
言えません。
> kondoさん曰く
> 「国民には情報の自由もありませんから、権力がコントロールするメディアが
> 国民の知る権利ということになります。靖国参拝のことも国民は正しい情報
> を与えられているかどうか疑問です。
> 独裁国家の歴史認識を日本に押し付けるのは間違いです。
> 中韓、北朝鮮は同類、日本が軍隊をもたない発砲しないおとなしい国である
> ことに付け込んで、言いたい放題のことを要求しているとしか思えません。
>
> ――次のように答えているはずです。よく読んでください。
>
>
「中国も市場経済の導入とそのことによる消費社会化が出版文化の発展や衛星放
送の視聴機会の増大、インターネットの利用などを促して、情報の選択が拡大し、統
制された公式メディアに『国民の知る権利』が必ずしも統一されているわけでもない
ようです。
>
> また『民主主義国』日本にしても、先の総選挙で見たように、興味本位に偏った
情報を流す傾向がマスコミを支配し、そのことが一種の情報統制状態をつくり出し
て、国民に正しい情報を与えていたかどうか疑問です。
>
>
また、情報はメッセージの受け手がどう咀嚼し、どう栄養化するかが重要な要素
を成します。単に流されたメッセージを表面的に受取るだけの受容は洗脳の過程を踏
むのと殆ど変らず、このことも『民主主義国』、『独裁国家』に関係のない情報伝達
の経緯です」と。
メディアコントロールに関して言えば、独裁の国は国営放送のみで、権力に都合の
悪い情報は国民に知らせない。森内閣の時、「瀋陽の日本領事館事件」が起きました
が、中国の日本領事館侵入による主権侵害のビデオテープが世界中に流れていた
時、何も知らされなかったのは中国国民だけでした。
自由に情報が流れる民主主義の国と国民が知る権利を持たない独裁の国とを類似
比較する手代木さんの見識が理解出来ません。
> kondoさん曰く
> 「『国際法や条約を守らない』『自国の非は絶対に認めない』『絶対に誤らな
い』
> 『国民などどうでもよく、権力の安泰だけを考えている』『多様な価値観を認めず
一つの価値観だけが正しいとするから、民主主義国の事象が理解できない』
> 『中、朝には現在進行形で戦時中の日本が存在する』等、多少の音頭差はあり
> ますが、よく似ています。ただし、江沢民から胡錦涛主席になってから少し改善
> されて来ていると思います。
>
>
――上記の説明は矛盾があります。
>
> 「独裁の国 はたった1つの価値観しか認めませんから、何でも、権力に都合の
>
よい歴史認識を作り上げ、国民を洗脳します」とか、「国民には情報の自由もあ
>りませんから、権力がコントロールするメディアが国民の知る権利ということにな
>ります」、「中韓、北朝鮮は同類、日本が軍隊をもたない発砲しないおとなしい国
>であることに付け込んで、言いたい放題のことを要求しているとしか思えません」
>、あるいは前のメールで、「100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返っ
>てくる」と散々決めつけておいて、「江沢民から胡錦涛主席になってから少し改善
>されて来ていると思います」と、これまでの決め付けに反する、一度も言及してい
>なかった事実をいきなり持ち出して、私の返答に辻褄を合わせている。
手代木さんも思い込みの激しい人ですね。単に、江沢民主席よりも胡錦涛主席の方
がマシだと言ったまでで、中国の軍事独裁政権に対する私の見解には変りありませ
ん。
> kondoさん曰く
> 「戦争というのは、みな残酷非道なものです。欧米は植民地の歴史も戦争の歴史
>
も日本とは比べものにならないほど長いですから、その極悪非道も日本とは比べもの
> にならないということです」
>
> ――「戦争というのは、みな残酷非道なものです」
>
> 侵略した側と侵略された側を区別せずに、等しく一般化してもいいのですか。
「いい」とか「わるい」の問題ではなく、帝国主義の時代の論理は、力のある国は
多くの地域をわがものとし、力がなければ領土を奪われるという時代だったのです。
過去、何度かの論争で感じたのですが、手代木さんの特徴は、今日の価値観で
100年前の歴史を眺め、裁くことです。軍国主義時代の日本は未成熟で、侵略戦争
をしましたが、敗戦後は人権が保障される文明国になりました。
> kondoさん曰く
> 「なぜ、現在、欧米が『人種のルツボ』になっているか、手代木さんはどう
>
思っているのですか。私に言わせれば、それは、過去の植民地支配との関係で考えな> > ければ理解出来ない事柄だからです。欧米は日本のように、インフラを施して独立し>
> た植民地が活用できるものは何一つもなかったし、悪徳非道な植民地支配に陳謝した
> 訳でも、補償をした訳でもありませんから、国籍を与えて入国を許可せざるを得な
> かったのです」
>
> ――私の認識では、アメリカの黒人はアメリカ自体の植民地とは殆ど関係なし
に、人身売買で連れてこられたものですし、その他の移民は不法移民も含めて、戦前
からの移民政策等で入ってきたもので、イギリス、ドイツ、フランスなどは戦後の民
族自決と人種平等の思想の高まりを受けてのことと、イギリスもフランスも似たよう
な状況にあったと思われますが、ドイツなどは経済発展を受けて、3Kの仕事を自国
民が嫌ったためにトルコからの不法・合法を含めた移民が担うために、主にそれぞれ
の被植民地国から宗主国に向けて流入したと受止めています。間違っているでしょう
か。「悪徳非道な植民地支配に陳謝した訳でも、補償をした訳でもありませんから、
国籍を与えて入国を許可せざるを得なかったのです」とする関係性は少し単純化し過
ぎではないですか。
その通りかも知れません。
> ――言葉の関係があったとしても、海外からの受入れ留学生数が日本が先進国と
比較して極端に少ないのは、信頼度がその継続性から言っても、低いことを意味して
いませんか。このことも「国際社会の現実が軍事力の強弱で動いているから」、「欧
米におもね」ているからであり、「日本のように軍隊を持たない国は国際社会の現実
には即応できず、頼りない」からということですか。
留学生数と国の信頼度とはあまり関係がないと思います。
下記、「中国の留学生が圧倒的に多い」という理由からも、そのことは根拠になりま
せん。
> 日本の受入れ留学生が中国からが圧倒的に多いのはなぜなのでしょうね。留学と
は名ばかりで、出稼ぎ目的が多いと言うことですか。中国には「留日反日」という言
葉のあるそうです。「日本に留学すれば、反日になる」という意味だそうです。この
ことは、留学する前は反日ではなかったと言うことです。
そんな話は初耳です。逆に、反日教育を受けた中国人が日本に来て、中国政府の
言っていることが、ウソであった、との感想を持つ、という話は聞いております。日本は「軍国主義の国」だと教えられたが、軍人の姿が何処にも見えない。「あのセラー服を着た女子達が軍隊なのかしら?」との会話を耳にした話も聞きました。但し、思っていても、決して言葉に出すことはできない状況が中国にはある、ということです。
> kondoさん曰く
> 「手代木さんに、『関係ない』といわれるかも知れませんが、昨日の新聞に、
>
『韓国は朝鮮戦争で米国の恩を忘れたのか』とするクリントン・ヒラリー次期大
> >統領候補の怒りの記事が載っていました。因みに、韓国はベトナム戦争の償いもし
> > ていません。自国が齎した『従軍慰安婦』の償いもしないで、日本にそれを求める
> > 資格があるのですか」
>
> ――アミテージ、ロバート・ノバックに続いて、今度はヒラリーですか。もう一
つのメールで、「『靖国参拝のようなこと』で『アメリカの考え方が国際社会の常
識』だとする基準を説明してください」とお願いしたはずです。それに答えないで、
また別の人間を持ち出すのはちょっとおかしくないですか。
アーミテージもロバート・ノバックも同じような発言だったと思います。ノバックは
東京での小泉首相との単独インタビューを基に「中国の日本カード」と題する
評論記事を書き、中国の靖国参拝反対を含む日本への姿勢について「60年前
の戦争のために日本をなお脅威とみなし、日本を封じ込めておくためには中国
内部に反日の感情を保っておくことが共産党指導部にとって望ましいのだ」と
解説していました。上記の質問には、その都度、答えていると思います。
クリントン・ヒラリーですが、朝鮮戦争でアメリカの援助がなければ韓国は独立国
になれなかったのに、その恩も忘れて、反米に傾いているノムヒョン政権に批判を
浴びせたものです。私も産経新聞を読んで知りましたので、当然、誰でも読んでいる記事かなと思い、詳細は出しませんでした。
> 「韓国はベトナム戦争の償いもしていません」ということですが、ベトナムはベ
トナム戦争に関わる戦争賠償を韓国に求めているのですか。最近枯れ葉剤製造の米企
業に賠償請求する訴訟がベトナムの元兵士や民間人被害者を原告として起したが、棄
却されたということです。散布したのは米軍ですから、本来は米国政府に求めるべき
賠償請求を枯れ葉剤製造企業に求めたのは、ベトナム政府が米政府に求めていないか
らではないのですか。米政府に求めずに、単なる軍隊派遣国である韓国に求めたとし
たら、二重基準を犯すことになります。
>
> 「自国が齎した『従軍慰安婦』の償いもしないで、日本にそれを求める資格があ
るのですか」は、ちょっと意味不明です。
ベトナム戦争で当時の韓国軍がいかに残酷だったか、「タイハン」が来たといえば
泣いていた赤ん坊もピタリと泣き止んで恐怖に震えたそうです。韓国軍の残虐さを
記録した資料は計りしれないほどあるそうですから、手代木さんご自身で調べてみ
てはいかがですか。当然、「慰安婦」、手代木さんの所謂「従軍慰安婦」も戦争には
付きものですから、お調べ下さい。ベトナム戦争はわずか30余年前のことですよ。
その反省も償いもしないで、60年前の日本の戦争を責める資格などあるのですか。
> 手代木曰く
>
――「欧米の植民地支配も戦争もすべて免罪される」などと一言も言ってませ
ん。比較した場合、どちらが罪が重いかを論じているに過ぎません。ここにもあなた
の勝手な解釈がある。
>
>
大体が、『日本虐めの中韓に加担している』などと、『日本虐め』と受止めてい
る感覚が私には理解不能です。本当にあなたは『中韓』が『日本虐め』のために『歴
史認識』を持ち出していると信じているのですか。一般的には『虐め』とは強い立場
にある者が弱い立場の人間に対して行う不当な優越的行為なのですが、あなたは日本
と『中韓』が強国の立場を変えたと受止めているようです。
一時期、同和問題が話題になりましたが、国民のだれもが、「同和」を口にすること
は禁句であることを承知していました。「同和だ!」といえば、税務署も震え上がり、
平身低頭になるそうです。同和は虐げられた人達の筈なのに、物凄い権力を行使します。日本に居る「朝鮮総連」もそうではなかったですか。中韓、北朝鮮は戦後、丸裸にされた日本を恫喝する存在になりました。
>> ――ここにもあなたの教条主義が現れています。それとも自分に都合のいい解釈
ですか。
>
> 「外交には本音と建て前があり、本音外交で物言いをしたら、争いになります」
とは限らないと思いますが。必要に応じて「建て前」と「本音」を使い分けるものと
相場は決まっています。「建て前」だけで、交渉事の核心に行き着くことができるの
ですか。大体がなぜ「小泉首相」は靖国参拝の問題で「建て前外交で応対」しなけれ
ばならないのです。公式的に表明している姿勢を韓国外相にも繰返す形で示した上
で、「理解を求め」たということではないのですか。そうでなければ矛盾します。
何度もいうように、小泉首相の靖国参拝問題は「国内問題」です。韓国外相から
「行くな」といわれて「国内問題に外国が口をはさむな」とは言えないでしょう。私
ははっきり言ったほうがいいのかなとも思いますが、小泉首相としては、良識ある
態度で臨みたかったのだと思います。中韓が国際良識を欠いているのです。
> 「さらに、韓国外相は町村外務大臣との会談で、靖国とは
> 別の追悼施設建設の関連予算を計上することまで要求しました。
> 予算は、国の主権にかかわる最も重要な内政事項の一つであり、それまでくちばし
>
をはさもうとする韓国の態度は国政への不当介入です」
>
>
――私にはそう思えません。「靖国参拝」をあなたは「国内問題」と見ているか
ら、「 国政への不当介入」と見るのでしょう。韓国は日本の「国内問題」と見てい
ないから、「要求」したのではないのですか。複数の国が関わる政策に関して、他国
が関係国に対して国会承認を急がせたり、予算の計上を促すと言ったことはあると思
います。
>
>
あなたが「不当介入」とする「追悼施設建設の関連予算」の「計上」に対して、
「町村外務大臣」は「本音」対応して「国政への不当介入」だと「争い」になったの
か、「建て前」で対応し、その場凌ぎしたのか、知りたいですね。
手代木さんも新聞を読んでいるでしょうから、私から情報提供すべき問題ではない
と思いますが、町村外相は「国内や与党でも意見が分かれている。そうした状況を
踏まえて検討したい」と答えました。本来なら、「受け入れられない」と答えるべき
ところだが、韓国に配慮し、控えめな表現にとどめたようです。
あ送信者: "Hiroyuki.Teshirogi"
<wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07296] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年11月6日 10:53
手代木です。
kondo さんへ。
* * * * * * * *
>>
「思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている」としても、北朝鮮並
> みに全体に亘ってのことですか。全体に亘ってそうであるような言い方となっていま
> すが。
>
> 韓国の「民主主義は未成熟」とは言いましたが、北朝鮮が「未熟な民主主義国」
> だなどと言っていません。それこそ、out of the questionです。
――これは詭弁か、自分に都合のいい解釈か、そのいずれか、その両方なのか。あなたの読解力を疑います。
あなたは「中韓の国民の100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくる」とか、「権力の前になす術を知らない中韓の国民の真意を察するのみ」
とか、「中韓」を同じレベルで扱い、双方の「国民」がさも完璧な独裁体制下にあるような文脈で議論を進めてきた。その上、「中韓、北朝鮮は同類」とまで断言しています。まさか自分が言ったことを忘れてしまったわけではないと思います。
前回のメールでも、「韓国の民主主義は未成熟だとおもいます」とは言っているものの、その前置きに反して、「民主主義国と称していても、その呼称に相応しくないことが沢山あります」として、その例として、「国定教科書」や「徴兵制」、「親日のための弁明」の「発禁」を挙げて、「思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている」とまで言っている。
これって、「未成熟」どころか、完璧に<韓国は独裁国家である>と言っているのと同じではないですか。
「思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている」
「民主主義」は「未成熟」だとする解説自体の二重三重の自己撞着に気づきもしない。
民主主義を政治体制としてスタートした国が「その呼称に相応しくな」く次第に独裁化していく例もあります。民主化したはずのロシアの右傾化の懸念が最近取り沙汰されてもいます。北朝鮮にしたって、正式呼称は<朝鮮民主主義人民共和国>と、「民主主義」を掲げていますが、「その呼称に相応しくな」い独裁国家だと言えないことはないと思います。当然「韓国」も独裁化したのかと思ったわけです。
そこで、「『思想、信条、表現の自由が政府によって統制されている』としても、「北朝鮮並みに全体に亘ってのことですか。全体に亘ってそうであるような言い方となっていますが」と、確認のために問い質したのです。
つまり、あなたが「中韓、北朝鮮は同類」とまで断言している「韓国」の<独裁化>の程度が北朝鮮並みなのか、どの程度の「同類」なのかを確認のために尋ねただけのことです。勿論そう尋ねたのは、それは間違っているという私自身の意識を前提とした質問なのは当然のことです。
そのことにYESかNOで答えるべきを、「北朝鮮が『未熟な民主主義国』だなどと言っていません。それこそ、out of the questionです」などと的外れな批判を浴びせる。
私の前回のメールのどこに、「北朝鮮が『未熟な民主主義国』」だと受止めたような文言が、例え直接的ではなくても、ニュアンスとしてであっても、あるというなら、その箇所を指摘してください。
議論を進める意味がないですね。
* * * * * * * *
>> 「国定教科書」に関しては、日本は「国定」から戦後検定制となりましたが、歴
> 史問題に関してはその検定が厳しく、<準国定>と言える状況が続いたのは周知の事
> 実です。時代の経過と共に、事実が隠せないことが明らかとなって、最近では歴史に
> 関しての検定は自由度は増したそうですが、学校現場での<国旗掲揚・国歌斉唱>の
> 励行に関わる<思想・良心の自由の侵害性>やその<強制性>に疑義を申立てる記
> 述(こういった意見もあるという記述)は、<法の強制力>を盾に認めない検定が
> 行われているということです。
>
> 「国定教科書」と「検定教科書」とは全く違った概念だと思います。
> 戦前から戦中にかけて日本も国定教科書でしたから政府が決めた一種類の教科書
> しか使えませんでしたが、戦後は検定制度をとって、日本には歴史教科書だけでも
> 8種類はあります。それこそ、左から右までありますよ。最近では、教科書問題で
> 中韓の内政干渉が煩いので、アメリカのように検定制度を廃止しようか、との意見も
> 政府内から出ているようにも聞いています。
>
――これも的外れな意見です。読解力不足からの的外れですか。
「概念」通りに世の中が動くわけではありません。それともあなたは「概念」通りに世の中が動くと思っているのですか。
「概念」が「違っ」ていても、権力側からのある決まった意図のもとに「検定」が行われたなら、「国定」と同じ構図を持つに至る例を、これまでの「歴史認識」検定や、現在の<国旗掲揚・国歌斉唱>問題で<準国定>という言葉で説明したはずです。
「概念」の問題ではなく、方法論の問題です。「概念」など、人間の操作によって、どのようにも変身します。あなたも、<名ばかり>という言葉を知っているはずです。民主主義とは名ばかり、国民主権とは名ばかり、正当な裁判とは名ばかり、民営化とは名ばかり、改革とは名ばかり等々――これは「概念」への裏切りを示す言葉でもあります
。
戦後日本の平和主義の概念は憲法9条が基本的な原則を成しているはずですが、世の中が「概念」通りに動いていたなら、自衛隊は存在させ得ないはずです。それも世界有数の軍事力を保持するに至っている。
男女平等、男女共同参画も然り、ちっとも「概念」通りに世の中は動いていないじゃないですか。人種平等と言いながら、有色人種に限って日本人は優越民族意識を覗かせて、彼らを一段低く見る。
* * * * * * * *
> 手代木さんは中韓の歴史教科書を読んだことがありますか。私は以前、ソウル発
> 黒田特派員の報告で韓国の歴史教科書が何を子供達に教えているか、産経新聞
> の記事を読んだことがあります。例えば、「韓国の歴史教科書は日本に対する
> 独立戦争、抵抗闘争の結果、自ら解放、独立したと教えている」とのことです。
>
> 日本としては、先の大戦の際、韓国と戦争をしたわけでもなく、韓国の解放、独
> 立は日本がアメリカなど連合国に敗戦した結果というのが史実です。だから、韓
> 国は戦勝国の連合国の一員ではなかったのです。
――「中韓の歴史教科書を読んだことがありま」せんが、あなたは自分の言っていることの矛盾に気づいていないようですね。私に「読んだことがあ」るかと問いながら、あなた自身は新聞の解説記事を「読んだことがあ」に過ぎない。これって、矛盾ではないですか。ご自身が「歴史教科書」を直接読んでいないなら、私が読んでいる・読んでいないは関係ないことだと思います。
日清戦争前後の日本の朝鮮進出と1910年の日韓併合を経て1945年の日本の敗戦まで、朝鮮人は座して「解放、独立」を待っていたのですか。最初は朝鮮政府の圧制に反対して起した叛乱だったが、日本の進出以後、日本軍にも矛先を向けた<甲午農民戦争>、日韓併合後の日本の植民地政策に反対し、朝鮮民族の独立を目指した<三・一独立運動>等を朝鮮人は自らの歴史としています。
『日本史広辞典』(山川出版社)からの引用ですが、<三・一独立運動>では独立宣言までソウルで発表していると出ています。その運動が<独立万歳(まんせい)>を叫ぶ民衆の大示威運動として朝鮮全土に拡大したということですが、たいした武器を持っていなかったから、示威運動の形を取ったのだと思います。
しかし、インドのガンジーの無抵抗主義の例もあります。<三・一独立運動>をあなたの言う「独立戦争、抵抗闘争」とは言えないと頭から否定はできないと思います。
日本は<三・一運動>に対して武力鎮圧でもって臨み、「死者7500人、負傷者45000人、検束者46000人」の一大成果を挙げて、鎮圧に見事成功したと言うことです。この鎮圧は朝鮮人にとって、日本に仕掛けられた戦争そのものと言えます。少なくとも戦争状態だったはずです。
<三・一運動>を契機として、上海に<大韓民国臨時政府>を樹立したということも、「独立戦争、抵抗闘争」の状況をつくり出していたことを示す光景のはずです。
臨時政府初代大統領は李承晩だったが、<弾劾免職され、以後は金九(きんきゅう)が中心となった。彼が指導した抗日テロは蒋介石の注目を引き、33年(昭和8)対日戦線協力協定を結んだ。しかし40年、重慶に移ることを余儀なくされ(蒋介石政権が重慶にあった関係からか)、本国進撃ができぬまま解放を迎え、帰国後も民衆の大きな支持を得ることはできなかった>と解説しています。
<帰国後も民衆の大きな支持を得ることはできなかった>としても、ただ眺めていたわけではないことを伝えています。朝鮮の国民が効果ある「独立戦争、抵抗闘争」をなし得なかったのは、日本の引き締めが過酷だったからという見方もできます。
その過酷な例として、同じく『日本史広辞典』からの引用ですが、<義兵運動>を参考のために紹介しておきます。
<日本の侵略に対する朝鮮在野勢力による武装闘争。初期義兵は日清戦争以降の日本の内政干渉を背景とし、直接には1895年(明治28)の閔妃(びんぴ)殺害事件や断髪令などを契機として起こった。1896年国王がロシア公使館に脱出し、日本勢力が後退したために解散した。
後期義兵は日本の韓国保護化を契機として起り、1907年に韓国軍の解散によって(武器を持ち出した兵士によって)戦闘力が強化されると、全国に拡大した。初期義兵が儒者中心であるのに対して、後期義兵は軍隊出身者中心であった。日本は焦土戦術などで弾圧し、1909年には大規模な掃討を行い勢力を衰退させた。義兵はやがて中国東北部に移動していく>
そして翌年の1910年に日本は朝鮮を併合して、植民地化したというわけです。頓挫したものの、<義兵運動>はまさに「独立戦争、抵抗闘争」の部類に入ると言えると思います。
「だから、韓国は戦勝国の連合国の一員ではなかった」ということについて。
――朝鮮半島がヤルタ会談で南北分割管理されたことと、サンフランシスコ講和条約が1951年に締結される前年の1950年に朝鮮戦争が勃発していたことが、南北いずれの政府を締結国とするか正統性を決めかねたから、「連合国の一員」として招聘されなかっただけのことではないのですか。
ラオスもカンボジアもベトナムもフィリッピンも「一員」に加えられていることからすれば、当然朝鮮が一つの政府だったなら、「一員」となっていたはずです。
韓国と北朝鮮は国連に同時加盟したのは1991年9月17日です。日本の加盟は1956年12月18日。日本よりも35年も遅れたのは、やはり二つの政府が存在していたことと関係ないことはないと思います。同時加盟はソ連・中国、対するアメリカ・イギリスの拒否権発動を相互に封じる意味からものではなかったでしょうか。
上記の主張を以て、個人的推測に過ぎないという批判が返ってきそうですが、単独、あるいは複数の事象を読み解くのも事実の解釈につながります。解釈の妥当性は他人に委ねるしかありません。
* * * * * * * *
> 最近では、NHKの特集番組で「中国の教科書」が取り上げられたのを聴きました。
> 日本の記述は全体の2%位だそうですが、戦後の日本の記述は皆無で、戦中の
> 日本への恨みの記述ばかりだそうです。それも捏造された史実が多く、特に酷い
> のは、指導要領で「教室に入る前に、日本への恨みを全身に込めて指導に当る」
> と記述されているそうです。
>
> 中韓は、まず自らの教科書を省みるべきで、闇雲に、日本の歴史教科書を批判する
> 資格などないと思います。
――「恨みの記述ばかり」、あるいは「捏造された史実が多」いと、それだけ言われても困ります。それだけで、ああ、そうかと信じたなら、自らを一つの考えに意味もなく服従させることになります。どのような歴史の事実に対して、その解釈が客観性から離れて、どのような「恨みの記述」となっているか、あるいは「捏造された史実」となっているか、具体的な提示と説明があって、初めて判断できることです。
ただ言えることは、あなたの言うとおりに事実その通りだとしたなら、日本政府も認識しているでしょうから、中国政府にその「歴史認識」を抗議すべきです。
抗議しないのは、あなたが以前のメールで言ったように、「民主主義国は多様な見解を受け入れる器量があ」ることからなのか、それとも自らの「歴史認識」を「国内問題」としていて、中国の抗議を「内政干渉」としている手前、中国の「歴史認識」をも「国内問題」とせざるを得ず、抗議できないのか、そのどちらかではないのですか。
私は中国と日本の戦争で生じた<歴史>だから、そのことによって発生した事象、及びその解釈(=認識)は決して「国内問題」とは見ていないから、中国の「歴史教科書」問題も、歴史の事実と異なるというなら、抗議すべきだとは思っています。
「教室に入る前に、日本への恨みを全身に込めて指導に当る」のも、彼らの教えと歴史の事実とを対比させて、客観的に正当性ある教えかどうかを先ず論ずる必要があります。正当性ある教えなら、「日本への恨みを全身に込めて指導に当」らなければならない程に日本を警戒しなければならないと、過去の歴史と現在の対応から考えていることからの態度であったなら、決して間違っているとは言えないし、正当性がないと言うことなら、やはり後々の日本と中国の交流を考えて、それを正す抗議を日本政府は行うべきだと思います。
北朝鮮がミサイルを日本列島越しに太平洋に撃ち込んだとき、日本の高校生だかがチマ・チョゴリ姿の朝鮮人学校の生徒に嫌がらせを働いた事件が起きました。日本では学校で北朝鮮を警戒する教育は行っていないことを考えると、マスメディアの流す北朝鮮情報が意図的、あるいは結果的に<危険>や<警戒>を指示するイメージに色づけされていることを受けた過剰反応と思われます。
小・中・高生の学校では教えていない自殺や殺人、異常な性的犯罪も社会の情報の影響が無視できない衝動とすると、マスメディアの情報次第で学校で教えたのと同じ状況をつくり出すことになります。
中国人はチマ・チョゴリのような朝鮮人だと特定する目印しを身につけているわけではなく、中国語を話してさえいなければ日本人と区別ができないために、中国で激しい反日デモが起こったとき、在日中国人に対する嫌がらせは事件となる程には目立って起こらなかったのかも知れません。意識調査で日中、日韓とも、相手に対して<嫌い>が増えている傾向は、学校の教育だけの問題でないことを示しているのではないですか。
朝日新聞社・韓国の東亜日報・中国社会科学共同世論調査(05.4.27朝刊)によると、中韓とも<日本嫌い>は6割超、<日本が好き>は8%と言うところを見ると、「100人が100人とも」ではないようです。<6割超>が「反日教育」の成果だとしても、少なくとも情報を自分の頭で確かめる人間は存在すると言えると思います。
* * * * * * * *
>> 「徴兵制」によって、その国の民主度を占うことはできないと思います。2000年
>> の辞典で調べますと、フランスが徴兵制を廃止したのはたった8年前の1997年に
> なってからで、9カ月の志願兵制に移行したと言うことです。イギリスは志願兵制で
> すがイタリアは12ヶ月の徴兵制を取っているようです。イタリアがこの5年の間に
> 志願兵制へと移行したとしても、それまでは「民主主義は未成熟」だったとは言えな
> いと思います。フランスにしても同じことが言えます。
>>
>> 韓国には韓国の事情があります。
> もし、日本が韓国のように軍隊を持ち、徴兵制を強いたら、手代木さんは「日本には
> 日本の事情があります」と言えますか。国旗、国歌法ですらガタガタいうのに、中
> 韓には甘いですね。
――日本は自衛隊という<軍隊>を既に持っているはずです。ただ、軍隊でないとゴマカしているだけの話です。今回の自民党憲法改正案では、自衛隊を軍隊と認める案を示しています。
海外派兵とか集団的自衛権は禁止していますが、そんなのは特措法でどうにでもなるでしょう。憲法で<戦力の保持を禁止>していながら、自衛隊をつくり出すマジックに長けているのだから。
「徴兵制」に関しては、あなたが<韓国の事情>に疎かっただけの話で、「徴兵制」に移行せざるを得ない「日本の事情」が生じて、それが国民の目にも外国の目にも了解できる性質のものなら、合意を得るのはそんなに難しくないはずです。「事情」が先に来て、「徴兵制」は後の問題です。そのような「事情」を生じさせないために、謙虚、且つ有効に機能させた政治・外交が前提条件となるのは言うまでもありません。
それから「ガタガタいう」といった粗雑な片付け方はしないで欲しいですね。ここのところは単に「ガタガタい」っているに過ぎないのではないかと具体的に指摘してください。そうでなければ、議論の体裁を成さなくなるからです。
* * * * * * * *
> それから、「親日派のための弁明」について: 2002年、日本語の翻訳本の発売
> で 私も買い求め、読みました。
> 手代木さんもお調べになったとのことですので、お分かりかと思いますが、この本を
> 初めて日本に紹介したのは、毎日新聞です。次に産経新聞が一面トップで紹介しま
> した。当本で著者が述べているように、「100年前の日本統治を肯定的に評価したと
> いうだけで、一介の物書きが身の危険を感じなければならない現実はいろいろな> > 意味で慨嘆すべきものです」
「親日派というレッテルはときにその人を社会的> > に抹殺するほどの力をもっているから、怖くて公の場で発言することができな> > > い」国が、韓国なのです。こんなこと、日本の戦時中でもなければ有り得ないことです。
――その手の「身の危険」は日本にもザラに転がっています。
「天皇に戦争責任を今問うことの意義」についてどう考えるを問う出題を大学入試に採り入れたとろ、右翼が抗議し、街宣車による示威行動、面会に応じた学長に「命を取るぞ」と恐喝。少なくとも学長以下、主立った関係者が心理的には「身の危険を感じ」ないはずはなかったでしょう。
市議会で侵略戦争反省決議を賛成多数で一旦採択しておきながら、右翼の街宣行動と抗議で撤回させた議会関係者が何らかの「身の危険を感じ」なかったとしたら、生まれつき神経が鈍感にできていたと思われても仕方がないと思います。
戦争に関わる平和展や講演が右翼の抗議で、開催者自身の辞退からではなく、民間や自治体の施設会場所有者が屈服して、その中止申し入れで断念するケース。右翼の抗議を無視した場合の「身の危険」を考えなかったはずはありません。
奈良県の村立中学校が1994年から続けていた中国への研修修学旅行を右翼の偏向教育だとの抗議で、国内旅行に切り替えたケース。
「身の危険を感じなければならない現実」は日本では社会全般に亘る現象ではありませんが、日本の右翼は、逆らった場合は生命の危険まで覚悟しなければならない思想統制・言論抑圧の隠然たる勢力として、その存在感を日本人の意識の中に居座らせています。韓国に於いては、社会全般に亘る現象なのか、それとも右翼的な存在による特殊な状況なのか、どちらですか。その違いによって、状況は異なります。
* * * * * * * *
(「親日派のための弁明」を)
> 私が読んだ限りでは、「歴史認識」の違いであって、これは思想信条の部類に入る
> 類のもので手代木さんのいうように、「韓国民の人権侵害」に当るとは到底思えませ
> ん。
――「認識の違い」が人権侵害に発展するケースは全然無いのですか。例えば、女は口で言っても分からない、痛い目にあわせなければ気がつかない、という「認識」を持った男が、女性を実際に殴って言うことを聞かせた場合、単に一般社会とは「認識の違い」から生じたことでは済まされず、当然人権侵害問題となるはずです。
<扶桑社>が紹介するように<「日本の統治によって、民衆は初めて文明を経験し、幸福を享受した。」>
鉄砲を構えて、相手の弾に当たって戦死したならまだしも、従軍慰安婦にされたり、強制連行されたり、人間として屈辱的な扱いを受け、あるいはそのことで惨めな死を遂げた人間、その家族、あるいは抗日運動の疑いで捉えられて、拷問を受けたり、拷問で殺されたりした人間、その家族が、<扶桑社>が紹介するように<「日本の統治によって、民衆は初めて文明を経験し、幸福を享受した。」>とされたなら、ハイ、「『歴史認識』の違い」です、「これは思想信条の部類に入る類のもので」すで片付けることはできない、人それぞれの独自性の否定・侵害に当たる「人権侵害」問題ではないのですか。
従軍事案婦にしろ強制連行にしろ、虐殺にしろ、それら自体が<人間が持つ独自性の否定・侵害>だと言うことです。それらの事実の上に立って、「日本の統治によって、民衆は初めて文明を経験し、幸福を享受した。」と言えるかどうかという問題です。
大体が、<文化・文明>は強制されるべきものではありません。自らが選択して馴染んでいくものです。強制は<人間否定(独自性の否定)>につながります。
* * * * * * * *
> 日本では、手代木さんのように、「従軍慰安婦や強制連行の事実があったから、日本
> 政府は個人補償せよ」という見解から、「そのような事実はなかった」とする説に至
> るまで、様々な「歴史認識」の本が出回っていますが、政治思想信条に関して、どん
> なに日本人を貶めることを書いたとしても政府が発禁にする本はありません
>
――まさに詭弁です。
「政治思想信条に関して」、これ程までに「日本人を貶めることを書い」ているが、「政府」は「発禁」していないという証拠、あるいは例を示してから、主張してください。
* * * * * * * *
>> kondoさん曰く
>> 「私の考えは前者です」
>>
>> ――事実に反する「歴史認識」をも「多様な見解」の内に入れると言うことです
> ね。だとしたら、確かにあなたは「器量があ」る人間とすることができます。それと
> も事実に反していないと見ているのですか。
>
> 何度も言うようですが、「歴史認識」というのは歴史の事実をどう捉えるかで様々な
> 見解が出てきます。必ずしも手代木さんの見解が事実に反することなく、正しいとは
> 言えません。
――その通りです。事実というものは解釈次第で、どうにも変ります。だから「歴史認識問題」が起こっているのであって、あなたに指摘されるまでもなく、承知していることです。
しかし、私は「
侵略戦争でなかった。アジア解放の戦争だった」とか、「南京虐殺は中国人が作り上げたお話であり、事実ではない」といった石原慎太郎の発言、自民党麻生太郎の政調会長時代の、「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字を
くれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」と具体例を示して、そのことに関して、あなた自身の「見解」を聞いたのであって、世間一般の「様々な見解」があることを聞いたわけではありません。
あなたの「私の考えは前者です」という回答に対して、<――事実に反する「歴史認識」をも「多様な見解」の内に入れると言うことですね。だとしたら、確かにあなたは「器量があ」る人間とすることができます。それとも事実に反していないと見ているのですか>という私自身の最終的な質問に、<事実に反している>とも<事実に反していない>とも答えずに、今回同様に一般論化して誤魔化している。
* * * * * * * *
> メディアコントロールに関して言えば、独裁の国は国営放送のみで、権力に都合の
> 悪い情報は国民に知らせない。森内閣の時、「瀋陽の日本領事館事件」が起きました
> が、中国の日本領事館侵入による主権侵害のビデオテープが世界中に流れていた
> 時、何も知らされなかったのは中国国民だけでした。
>
> 自由に情報が流れる民主主義の国と国民が知る権利を持たない独裁の国とを類似
> 比較する手代木さんの見識が理解出来ません。
――あなたが理解できないからと言って、私の言っていることが間違いだとは限りません。北朝鮮なら国際世論を気にせずに何でもできるでしょうが、中国の政治体制では,いくら一党独裁と言っても、今では知ろうとすれば、インターネットで知ることもできます。携帯電話、インターネットが口コミの量と速度を速めているという事情もあります。固定観念に縛られ過ぎではないですか。
「自由に情報が流れる民主主義の国と国民が知る権利を持たない独裁の国とを類似
比較する手代木さんの見識が理解出来ません」について
何度でも例に出す1994年10月19日の朝日新聞の記事を紹介します。日本の超党派、と言っても5人の国会議員が「1991年に約200人の虐殺事件が起きた東ティモールの人権問題調査のために」「現地を訪れた」。議員団は調査後現地で記者会見を開いたが、現地の新聞の報道内容を見て、人権状況に問題があると指摘したことが抜けていて、インドネシア政府の東ティモールでの<開発>を容認するだけの、自分たちが喋ったことと違う内容となっていることに驚いた。「帰国後、議員団は東京でも現地と同じ趣旨の記者会見をした。これが『発言がまるで違う』とインドネシアで問題にな」り、天下の日本の国会議員が「現地の新聞に『二枚舌』扱いされ」た。
この食い違いは在ジャカルタ日本大使館の一等「書記官が、政府のインドネシア政策に沿うようにその場を取り繕」う情報操作そのものでしかない「意訳」によって発生したということです。
このことは、援助大国日本の国会議員が人権問題は問題ないとしてインドネシアの東ティモール<開発>にゴーサインを出したと思わせる、インドネシア国民を騙すための「意訳」です。「権力に都合の悪い情報は国民に知らせない」ことを、「民主国」の日本の大使館の一等書記官はやらかしたというわけです。
決して「民主主義の国」は「自由に情報が流れる」とは限らないということです。「自由に情報が流れ」ていたなら、談合もなければ、裏ガネ問題もなければ、虚偽報告も起きないはずです。「民主主義の国」にも存在する「情報」の遮断・操作・誘導がもたらす悪事の数々です。
外交でも国内政治でも、交渉事は国民には密室と言える場所で行われます。当事者の発表だけが頼りですが、「民主国家」といえども、その発表自体が捏造されたり、都合の悪い箇所は隠されたりする場合もあります。そう言ったことも政府による<言論統制>に当たります。例えそれが部分的な「統制」であっても、社会全体に影響を与えない保証はないと思います。
1970年、当時の佐藤政権の中曽根防衛庁長官が訪米時に、<沖縄返還時の「有事の核持込み」容認発言>をしていたことが、米国の情報公開法を利用した朝日新聞の調査で、当時の米政府より在日米大使館宛秘密電文の中から確認されたという記事が2002年12月12日の夕刊に出ています。
記事によると、72年に当時の不破共産党書記長が衆議院予算委員会でその疑惑を質問したところ、「江崎真澄防衛庁長が『そう言う正規の報告書はないと承知している』と答弁し」て、やはりkondoさんの言う「権力に都合の悪い情報は国民に知らせない」ことを「独裁の国」ではない日本政府の防衛長官が国会議場で堂々と演じたのです。
これだけ説明すれば、理解して貰えると思いますが。
* * * * * * * *
>> kondoさん曰く
>> 「『国際法や条約を守らない』『自国の非は絶対に認めない』『絶対に誤らな
>> い』『国民などどうでもよく、権力の安泰だけを考えている』『多様な価値観を認
>>めず一つの価値観だけが正しいとするから、民主主義国の事象が理解できない』
>> 『中、朝には現在進行形で戦時中の日本が存在する』等、多少の音頭差はあり
>> ますが、よく似ています。ただし、江沢民から胡錦涛主席になってから少し改善
>> されて来ていると思います。
>>
>> ――上記の説明は矛盾があります。
>>
>> 「独裁の国 はたった1つの価値観しか認めませんから、何でも、権力に都合の
> よい歴史認識を作り上げ、国民を洗脳します」とか、「国民には情報の自由もあり
> ませんから、権力がコントロールするメディアが国民の知る権利ということになり
> ます」、「中韓、北朝鮮は同類、日本が軍隊をもたない発砲しないおとなしい国であ
> ることに付け込んで、言いたい放題のことを要求しているとしか思えません」、あ
> るいは前のメールで、「100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってく
> る」と散々決めつけておいて、「江沢民から胡錦涛主席になってから少し改善され
> て来ていると思います」と、これまでの決め付けに反する、一度も言及していなかっ
> た事実をいきなり持ち出して、私の返答に辻褄を合わせている。
>
> 手代木さんも思い込みの激しい人ですね。単に、江沢民主席よりも胡錦涛主席の方
> がマシだと言ったまでで、中国の軍事独裁政権に対する私の見解には変りありませ
> ん。
――とてもそうとは読み取れませんでしたが、いいでしょう。あなたの主張を受入れます。
但し、何がどう「マシ」なのか説明する責任を負うはずです。説明の責任を果たさないのは、粗雑の謗りを免れないと思いますが。
* * * * * * * *
>> kondoさん曰く
>> 「戦争というのは、みな残酷非道なものです。欧米は植民地の歴史も戦争の歴史
>>も 日本とは比べものにならないほど長いですから、その極悪非道も日本とは比べもの
>> にならないということです」
>>
>> ――「戦争というのは、みな残酷非道なものです」
>>
>> 侵略した側と侵略された側を区別せずに、等しく一般化してもいいのですか。
>
> 「いい」とか「わるい」の問題ではなく、帝国主義の時代の論理は、力のある国は
> 多くの地域をわがものとし、力がなければ領土を奪われるという時代だったのです。
> 過去、何度かの論争で感じたのですが、手代木さんの特徴は、今日の価値観で
> 100年前の歴史を眺め、裁くことです。軍国主義時代の日本は未成熟で、侵略戦争
> をしましたが、敗戦後は人権が保障される文明国になりました。
>
――戦争当時の「価値観」では、南京虐殺も、強制連行も、従軍慰安婦も侵略戦争自体が正しかった、ということですか。当時でも人道に反する行為は禁止されていたはずです。
では、なぜ日本政府はアジアに向かって、しかも天皇の「お言葉」なるものまで使って、口先だけでも謝罪しなければならないのですか。
だったら、アスベストが政府によって製造禁止されていなかった時代の被害は、例えその政策が企業利益優先からであろうと、怠慢や不作為からのものであろうと、補償する必要はないと言うことになります。ハンセン病の隔離政策でも、隔離規定を見直す立法措置を怠ったとする不作為行為で国会と旧厚生省の責任を裁判が認めたことに国は当時の「価値観」では隔離は日本では常識としていたとはせずに上告は断念して、<ハンセン病損失補償法>などなぜつくったのでしょうかね。
* * * * * * * *
>>
kondoさん曰く
>> 「 なぜ、現在、欧米が『人種のルツボ』になっているか、手代木さんはどう
> 思っている
>> のですか。私に言わせれば、それは、過去の植民地支配との関係で考えなければ
>> 理解出来ない事柄だからです。欧米は日本のように、インフラを施して独立した
>> 植民地が活用できるものは何一つもなかったし、悪徳非道な植民地支配に陳謝した
>> 訳でも、補償をした訳でもありませんから、国籍を与えて入国を許可せざるを得な
>> かったのです」
>>
>> ――私の認識では、アメリカの黒人はアメリカ自体の植民地とは殆ど関係なし
> に、人身売買で連れてこられたものですし、その他の移民は不法移民も含めて、戦前
> からの移民政策等で入ってきたもので、イギリス、ドイツ、フランスなどは戦後の民
> 族自決と人種平等の思想の高まりを受けてのことと、イギリスもフランスも似たよう
> な状況にあったと思われますが、ドイツなどは経済発展を受けて、3Kの仕事を自国
> 民が嫌ったためにトルコからの不法・合法を含めた移民が担うために、主にそれぞれ
> の被植民地国から宗主国に向けて流入したと受止めています。間違っているでしょう
> か。「悪徳非道な植民地支配に陳謝した訳でも、補償をした訳でもありませんから、
> 国籍を与えて入国を許可せざるを得なかったのです」とする関係性は少し単純化し過
> ぎではないですか。
>
> その通りかも知れません。
>
>> ――言葉の関係があったとしても、海外からの受入れ留学生数が日本が先進国と
> 比較して極端に少ないのは、信頼度がその継続性から言っても、低いことを意味して
> いませんか。このことも「国際社会の現実が軍事力の強弱で動いているから」、「欧
> 米におもね」ているからであり、「日本のように軍隊を持たない国は国際社会の現実
> には即応できず、頼りない」からということですか。
>
> 留学生数と国の信頼度とはあまり関係がないと思います。
> 下記、「中国の留学生が圧倒的に多い」という理由からも、そのことは根拠になりま
> せん。
>
>> 日本の受入れ留学生が中国からが圧倒的に多いのはなぜなのでしょうね。留学と
> は名ばかりで、出稼ぎ目的が多いと言うことですか。中国には「留日反日」という言
> 葉のあるそうです。「日本に留学すれば、反日になる」という意味だそうです。こ
> のことは、留学する前は反日ではなかったと言うことです。
>
> そんな話は初耳です。逆に、反日教育を受けた中国人が日本に来て、中国政府の
> 言っていることが、ウソであった、との感想を持つ、という話は聞いておりま
>す。日 本は「軍国主義の国」だと教えられたが、軍人の姿が何処にも見えない。
> 「あのセラー服を着た女子達が軍隊なのかしら?」との会話を耳にした話も聞きまし
> た。但し、思っていても、決して言葉に出すことはできない状況が中国にはある、と
> いうことです。
>
――考えてみれば、「中国の教科書」が「戦後の日本の記述は皆無で、戦中の
日本への恨みの記述ばかり」で、「指導要領で『教室に入る前に、日本への恨みを全身に込めて指導に当たる』」
「反日教育」を小中高と徹底的に叩き込まれて、「100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくる」情報伝達構造からして「反日」意識一辺倒となっているはずの中国人が受入れ留学生の50%を超えているというのは何を意味するのですかね。例えカネ稼ぎが目的であっても、<日本?とんでもない、あんな国に行きたくもない>という反応が「反日教育」の成果でなければならないはずです。
中国からの日本への旅行者も増えていると言うことです。日本政府は今回中国からの訪日観光団体へのビザ発給対象地域を中国全土に拡大したということですが、あなたの言う「反日教育を受けた中国人が日本に来て、中国政府の言っていることが、ウソであった、との感想を持つ」という状況が支配的な傾向を示すものならば、中国政府は「反日教育」をより徹底させなければならないでしょうね。それより以前に、「反日教育」を無化する危険性を孕む日本への渡航をなぜ許しているのでしょうか。
* * * * * * * *
>> kondoさん曰く
>> 「手代木さんに、『関係ない』といわれるかも知れませんが、昨日の新聞に、
>
『韓国は朝鮮戦争で米国の恩を忘れたのか』とするクリントン・ヒラリー次期大
> 統領候補の怒りの記事が載っていました。因みに、韓国はベトナム戦争の償いもし
> ていません。自国が齎した『従軍慰安婦』の償いもしないで、日本にそれを求める
> 資格があるのですか」
>>
>> ――アミテージ、ロバート・ノバックに続いて、今度はヒラリーですか。もう一
> つのメールで、「『靖国参拝のようなこと』で『アメリカの考え方が国際社会の常
> 識』だとする基準を説明してください」とお願いしたはずです。それに答えない
> で、また別の人間を持ち出すのはちょっとおかしくないですか。
>
> アーミテージもロバート・ノバックも同じような発言だったと思います。ノバックは
> 東京での小泉首相との単独インタビューを基に「中国の日本カード」と題する
> 評論記事を書き、中国の靖国参拝反対を含む日本への姿勢について「60年前
> の戦争のために日本をなお脅威とみなし、日本を封じ込めておくためには中国
> 内部に反日の感情を保っておくことが共産党指導部にとって望ましいのだ」と
> 解説していました。上記の質問には、その都度、答えていると思います。
>
> クリントン・ヒラリーですが、朝鮮戦争でアメリカの援助がなければ韓国は独立国
> になれなかったのに、その恩も忘れて、反米に傾いているノムヒョン政権に批判
> を浴びせたものです。私も産経新聞を読んで知りましたので、当然、誰でも読んでい
> る記事かなと思い、詳細は出しませんでした。
>
――朝鮮が独立したのは日本の敗戦によって植民地支配から解放されたからですが、南北分割管理時代の1948年に国連臨時朝鮮委員会監視下で南だけが選挙を実施して、大韓民国を成立させています。それに対抗して北朝鮮が同じ年に朝鮮民主主義人民共和国を建国させ、その2年後に朝鮮戦争が勃発しているのですから、「朝鮮戦争」と「独立」とは直接的には関係ないと言えます。「独立国」を維持できたのはアメリカの軍事、その他の援助が貢献したでしょうが、韓国防衛は相互利益に基づくもので、「恩を忘れたのか」といった問題ではないと思います。日本にとっても、韓国の存在は地政学の点からも経済の点からも国益に適ってきたのですから。どのような政権を選択するかは、国民の意思にかかっている問題です。
韓国はイラク派遣兵力はアメリカ・イギリスに次いで3番目の規模だと言うことです。ベトナム戦争でも、韓国は軍隊を送っています。但し韓国もベトナム特需で、自国経済の発展という利益を得ています。日本は基地を提供しただけで、同じ特需の恩恵を受けていますが。
「私も産経新聞を読んで知りましたので、当然、誰でも読んでいる記事かなと思い、詳細は出しませんでした」
朝日新聞に掲載されていたが、私が読み過ごしたのかもしれませんが、「産経新聞」が取り上げたからと言って、他のすべての新聞が取り上げるわけではありません。意味の汲み取りによって、情報として価値があるかないかは各新聞社の判断に任されるからだろうからです。
* * * * * * * *
>> 「韓国はベトナム戦争の償いもしていません」ということですが、ベトナムはベ
> トナム戦争に関わる戦争賠償を韓国に求めているのですか。最近枯れ葉剤製造の米企
> 業に賠償請求する訴訟がベトナムの元兵士や民間人被害者を原告として起したが、棄
> 却されたということです。散布したのは米軍ですから、本来は米国政府に求めるべき
> 賠償請求を枯れ葉剤製造企業に求めたのは、ベトナム政府が米政府に求めていない
> からではないのですか。米政府に求めずに、単なる軍隊派遣国である韓国に求めたと
> したら、二重基準を犯すことになります。
>>
>> 「自国が齎した『従軍慰安婦』の償いもしないで、日本にそれを求める資格があ
> るのですか」は、ちょっと意味不明です。
>
> ベトナム戦争で当時の韓国軍がいかに残酷だったか、「タイハン」が来たといえば
> 泣いていた赤ん坊もピタリと泣き止んで恐怖に震えたそうです。韓国軍の残虐さを
> 記録した資料は計りしれないほどあるそうですから、手代木さんご自身で調べてみ
> てはいかがですか。当然、「慰安婦」、手代木さんの所謂「従軍慰安婦」も戦争には
> 付きものですから、お調べ下さい。
――なぜ私が調べなければならないのですか。あなたが自分の主張の中に採り入れた情報なのです。情報を具体的に提供して、自己の主張の妥当性を問うのがあなたの責任です。
* * * * * * * *
> ベトナム戦争はわずか30余年前のことですよ。
> その反省も償いもしないで、60年前の日本の戦争を責める資格などあるのですか。
>
――枯れ葉剤の訴訟を例に、既に答えています。
* * * * * * * *
>> 手代木曰く
>> ――「欧米の植民地支配も戦争もすべて免罪される」などと一言も言ってませ
> ん。比較した場合、どちらが罪が重いかを論じているに過ぎません。ここにもあなた
> の勝手な解釈がある。
>>
>> 大体が、『日本虐めの中韓に加担している』などと、『日本虐め』と受止めてい
> る感覚が私には理解不能です。本当にあなたは『中韓』が『日本虐め』のために『歴
> 史認識』を持ち出していると信じているのですか。一般的には『虐め』とは強い立場
> にある者が弱い立場の人間に対して行う不当な優越的行為なのですが、あなたは日本
> と『中韓』が強国の立場を変えたと受止めているようです。
>
> 一時期、同和問題が話題になりましたが、国民のだれもが、「同和」を口にすること
> は禁句であることを承知していました。「同和だ!」といえば、税務署も震え上がり
> 平身低頭になるそうです。同和は虐げられた人達の筈なのに、物凄い権力を行使しま
> す。日本に居る「朝鮮総連」もそうではなかったですか。中韓、北朝鮮は戦後、丸裸
> にされた日本を恫喝する存在になりました。
――それで日本は「震え上がり、平身低頭」しているわけですか。何だかんだとのらりくらり日本民族優越意識の虚栄を振りまくばかりで、「丸裸にされ」ているようにはとても見えません。
譬がピント外れと見るのは私だけでしょうか。「同和」のすべての人間が「物凄い権力を行使し」ているのですか。
* * * * * * * *
>> 「外交には本音と建て前があり、本音外交で物言いをしたら、争いになります」
> とは限らないと思いますが。必要に応じて「建て前」と「本音」を使い分けるものと
> 相場は決まっています。「建て前」だけで、交渉事の核心に行き着くことができるの
> ですか。大体がなぜ「小泉首相」は靖国参拝の問題で「建て前外交で応対」しなけれ
> ばならないのです。公式的に表明している姿勢を韓国外相にも繰返す形で示した上
> で、「理解を求め」たということではないのですか。そうでなければ矛盾します。
>
> 何度もいうように、小泉首相の靖国参拝問題は「国内問題」です。韓国外相から
> 「行くな」といわれて「国内問題に外国が口をはさむな」とは言えないでしょう。私
> ははっきり言ったほうがいいのかなとも思いますが、小泉首相としては、良識ある
> 態度で臨みたかったのだと思います。中韓が国際良識を欠いているのです。
>
>> 「さらに、韓国外相は町村外務大臣との会談で、靖国とは
>> 別の追悼施設建設の関連予算を計上することまで要求しました。
>> 予算は、国の主権にかかわる最も重要な内政事項の一つであり、それまでくちばし
> をはさもうとする韓国の態度は国政への不当介入です」
>>
>> ――私にはそう思えません。「靖国参拝」をあなたは「国内問題」と見ているか
> ら、「国政への不当介入」と見るのでしょう。韓国は日本の「国内問題」と見てい
> ないから、「要求」したのではないのですか。複数の国が関わる政策に関して、他国
> が関係国に対して国会承認を急がせたり、予算の計上を促すと言ったことはあると思
> います。
>>
>> あなたが「不当介入」とする「追悼施設建設の関連予算」の「計上」に対して、
>
「町村外務大臣」は「本音」対応して「国政への不当介入」だと「争い」になったの
> か、「建て前」で対応し、その場凌ぎしたのか、知りたいですね。
>
> 手代木さんも新聞を読んでいるでしょうから、私から情報提供すべき問題ではない
> と思いますが、町村外相は「国内や与党でも意見が分かれている。そうした状況を
> 踏まえて検討したい」と答えました。本来なら、「受け入れられない」と答えるべき
> ところだが、韓国に配慮し、控えめな表現にとどめたようです。
>
――そうでしょうね。「中韓、北朝鮮は戦後、丸裸にされた日本を恫喝する存在にな」ったのだから、「控えめな表現」しかできないのは当然です。それで日本の外交が成り立つとしたら、日本という国はたいした「民主国家」です。
今回の日朝協議でも、拉致問題は何ら進展を見なかったと言うことです。きっと「控えめな表現」に終始した要求しか出さなかった、あるいは「建て前」しか述べなかったからなのでしょうか。
* * * * * * * *
――永遠に平行線を辿るだけでしょうし、あなたとの議論に意味を見い出すことができません。あなたも同じだとは思いますが、反論したいことがたくさんあるとするなら、反論してください。但し、自分の書いたこと、私が返事したことをもう一度よく読んでからにしてください。
例え反論があっても、意味を見い出せないのだから、私自身はこれで議論を打ち切りにします。議論内容の妥当性は読む人間に任せます。
どうもありがとうと言うべきか、とにかく疲れました。喜びを見い出せる議論でありたいと思います。
送信者: "kondo taeko" <kondot@orion.ocn.ne.jp>
宛先: <kokkai2@yahoogroups.jp>
件名 : Re: [kokkai2][07297] 外交カードとしての靖国参拝
日時 : 2005年11月6日 20:17
kondo です。
手代木さんへ
10月21日から11月6日まで続いた、長い議論、お疲れさまでした。
>
――永遠に平行線を辿るだけでしょうし、あなたとの議論に意味を見い出すこと
ができません。あなたも同じだとは思いますが、反論したいことがたくさんあるとす
るなら、反論してください。但し、自分の書いたこと、私が返事したことをもう一度
よく読んでからにしてください。
>
>
例え反論があっても、意味を見い出せないのだから、私自身はこれで議論を打ち
切りにします。議論内容の妥当性は読む人間に任せます。
>
> どうもありがとうと言うべきか、とにかく疲れました。喜びを見い出せる議論で
ありたいと思います。
こんな結論になるのではないかと思い、私は10月28日の時点で、
手代木さんとの議論に終止符を打ちたいと思い、お礼の言葉を
述べましたが、自分に納得出来ないところの修正意見を出したら
手代木さんから、2通の長文の回答が寄せられていました。
そして、2通とも私の回答を求めるものでしたので、「大変だなあ…」と
思いましたが、1通だけ、2時間以上かけて回答を書きました。
兎に角、手代木さんの論考は読む方にもキツイので、失礼ながら、つい
斜め読みになってしまいます。「私が読解力がない」と手代木さんに批判
されても、しかたがありませんが、言いたいことをもっと手短に、誰にでも
分るように纏めて下されば、このMLでも手代木さんとの議論に参加できる
と思います。
最後に、議論の内容に関して少し言わせて頂きたいと思います。
「中韓、北朝鮮は同類」であることを、手代木さんとの議論で再確認しました。
「同類」とは、「同じような仲間」ということで、「全く同じ」という意味ではあり
ません。つまり、中朝韓に共通していることは、「反日」です。「反日的言動」は
社会から抹殺されます。「親日派のための弁明」は政府が発禁にし、著者は
「身の危険を感じ、韓国内では生きられない」と述懐していました。
言い換えれば、日本の戦時中、「反戦を臭わせるような」ことを言ったら、
社会から抹殺され、投獄という身の危険を感じたとのと似ています。
「国定教科書と検定教科書とは、概念が違う」というのは、次元が違うものを
類似比較することは出来ない、という意味です。因みに、国定教科書で教育
をしている民主主義国は、私の知る限り、ありません。
「民主主義の国と独裁の国」も同様、次元が違いますから、類似比較は出来
ません。
以上、不毛な議論で、手代木さんに時間と労力の浪費をさせてしまいました
ことをお詫び致します。
最後のメールに対しては「打ち切る」と宣言したとおりに返事を送りません。感想を「後書き」として簡単
(?)に述べ、全体の議論の内容に関わる是非は読者各位の判断に任せたいと思います。
----------------------
★「中韓、北朝鮮は同類」であることを、手代木さんとの議論で再確認しました。
「同類」とは、「同じような仲間」ということで、「全く同じ」という意味ではあり
ません。中朝韓に共通していることは、「反日」です。「反日的言動」は社会から抹
殺されます。
つまり、「反日」という点で「中韓、北朝鮮は」「同じような仲間」であると言っている。この関係式からだけで言えば、矛盾はないとも言えるが、「反日」の点でのみ「100人が100人とも、同じ意見で同じ回答が返ってくる」程に都合よく国民をコントロール可能とする、あり得るとは思えない「統制」を前提とさせていること自体に矛盾はないだろうか。「思想、信条、表現の自由
」の徹底的な「統制」を以てしても、「北朝鮮」に於いては脱北や亡命を防ぎ得ていないのである。
まあ、「
『中韓、北朝鮮は同類』であることを、手代木さんとの議論で再確認しました」と言うことだが、「全く同じ」から「同じような仲間」に罪一等を減ぜられたものの、「中韓」にとっては、「反日」だけのことであっても、「北朝鮮」と「同じような仲間」にされたのでははた迷惑に感じ
るのではないだろうか。少なくとも感謝していないことだけは確かだろう。中国の一党独裁と「北朝鮮」の個人崇拝による独裁とは異質のものである。ましてや普通選挙で大統領を選出する韓国とは似ても似つかない国家体制である。
★「反日的言動」は社会から抹殺されます。「親日派のための弁明」は政府が発禁にし、著者は「身の危険を感じ、韓国内では生きられない」と述懐していました。
「『身の危険を感じなければならない現実』は日本では社会全般に亘る現象ではありませんが、日本の右翼は、逆らった場合は生命の危険まで覚悟しなければならない思想統制・言論抑圧の隠然たる勢力として、その存在感を日本人の意識の中に居座らせています。韓国に於いては、社会全般に亘る現象なのか、それとも右翼的な存在による特殊な状況なのか、どちらですか。その違いによって、状況は異なります」という私の問いに、ついに答えて貰えなかった。
「その(右翼の)存在感を日本人の意識の中に居座らせています」と書いたが、右翼はその存在
形式が天皇の存在形式と同じ程度に日本人全般の意識に埋め込まれていて、その存在が姿を現して関わってきたとき、不合理なまでにその恐怖に支配されてしまう暗黙の
一大権威として日本人に君臨している。
日本が<思想・信条・言論の自由>を憲法で保障している民主主義国であるだけに、そのような存在は決して軽く扱える問題ではないと思うのだが。
★「国定教科書と検定教科書とは、概念が違う」というのは、次元が違うものを
類似比較することは出来ない、という意味です。
「国定」とは国家の一機関が教育内容を選別・指定して著作し、それを強制的に使用させる。「検定」は、同じく国家の一機関が基準を設けて、民間が著作した教科書の正当性を取捨選択する選別を行う。両者共にそこに国家意志の反映を
関与させる機会を持つ。「民主主義の国」だからと言って、「独裁の国」と同じ国家意志の反映=i特定の思想の押しつけ)を
関与させない保証はどこにもない。
国家意志の反映≠関与させる点で「次元」を同じくしていると言えるのだから、「類似比較することは出来ない」とは決して言えないと思うのだが。
例えば政府が制定を目指す<人権擁護法>はメディア規制≠盛り込む意見に懸念を介在させざるを得ないのは、それがマスコミの過熱取材や報道による人権侵害の抑制に機能する間はいいが、思想・言論の抑圧の方向に国家権力が悪用とまでいかなくても、転用されない保障がないだらだろう。
kondo氏は「検定」を絶対的なものと把えている。国家権力次第で、「検定」制度を通して、「国定」と同じこともできることに思い至らないらしい。
★因みに、国定教科書で教育をしている民主主義国は、私の知る限り、ありません。
「教科書問題」(http://www.jtu-net.or.jp/library/zissen/kk/kk04/kk4001_14.htm)からの引用です。
タイの教科書制度
初等学校の教科書はすべて国の教育省が作成・発行している。
前期中等学校の教科書には、@. 国が作成するものと A. 民間出版社と国が共同で作成するものとがある。
後期中等学校の教科書は、国語・国史・道徳の教科書のみ国の作成。他は民間の出版社の作成、国が検定
韓国
国民学校の教科書はすべて国が作成・発行。
中学・高校の場合は、
@国語・社会・道徳の教科書及び大半の実業教育の教科書は国が作成。
A他の教科――理科(物理・化学・生物・地球化学)、数学、英語、第2外国語、音楽、美術、体育等の教科
書は民間の出版社が作成。国の教育部の検定の上発行。
B高校の地理と世界史の教科書、民間の出版社が発行。(国の教育部の検定なのだろう)
マレーシア
国民学校の教科書はすべて国の教育省が編集・発行。
中等教育の教科書は国語、イスラム教教育、道徳、歴史およびアラビア語の教科書は国が作成。
他の教科の教科書は民間の出版社が作成、国の検定。
こう見てくると、「タイ」も、「韓国」も「マレーシア」も「国定」と「検定」を使い分けてい
て、すべて「国定」と
いうわけではない。
但し、「検定」が国家意志を反映させ得る構造のものである以上、「国定」もどきに変質しない保証は
日本と同じ状況にあるとも言える。
この関係性から言って、「国定」と「検定」の使い分け
を以てして、「検定」に限った日本と比較して「未成熟な」「民主主義国」と言えるだろうか。言えるとしたら、検定制度の一切ない<オーストラリア>、<イギリス>あるいは、「道徳や憲法・法律に違反しているとみられる場合にのみ審議を必要とし、小学校の教科書は各県ごとの教科書認定委員会を通
じて認定教科書のリストを作成する」限定を除いて「国は、教科書の著作・発行については、直接の規制を行っていない」<フランス>等の国は日本よりも、国家意志の反映不可能、もしくは
反映困難という点で、遙かに「成熟」した「民主主義国」と位置づけなければならなくなる。
★「民主主義の国と独裁の国」も同様、次元が違いますから、類似比較は出来
ません。
先に例を挙げた日本の<人権擁護法案>は、施行以降の人権侵害に対する調査・是正指導・是正勧告の機関は法務省の外局に置
くことを策しているそうだが、その<独立性>に対する疑問を表明する動きもあると言う。
それに対して、日本と同じく人権擁護に関わる機関として機能させている韓国の<国家人権委員会>は司法・立法・行政から独立していて、その独立性の評価が高いと新聞報道(05.4.10.朝日朝刊)にあるが、この一事を以てしても、「中韓、北朝鮮は同類」なる評価は疑わしくなるばかりか、「『身の危険を感じ、韓国内では生きられない』と述懐し」たは、それを事実とすると、新聞報道に反して、独立性を維持していないばかりか、<人権擁護>の機能すら果たしていない名ばかりの機関ということになる。
果たしてどちらなのか知りたいが、韓国をも、「中韓、北朝鮮は同類」とした上で、「『民主主義の国と独裁の国』も同様、次元が違いますから、類似比較は出来ません
」ということなら、回答を望むことは不可能と諦めるしかない。
「類似比較は出来」ないということは、<差異比較>は許されると言うことだろうから、「独裁の国」を常に悪く言うことは許されるが、「民主主義の国」を「独裁の国」と同じレベルに置いて「比較」することは許されないと言うことだろう。
いわば、「民主主義の国」を固定的に絶対善と把え、「独裁の国」を固定的に絶対悪と把えているからこその「比較」拒否ではないだろうか。「独裁の国」を絶対悪と位置づけたとしても、だからと言って、「民主主義の国」を絶対善と価値づけることはできないはずだが。
★手代木さんの論考は読む方にもキツイので、失礼ながら、つい
斜め読みになってしまいます。「私が読解力がない」と手代木さんに批判
されても、しかたがありませんが、言いたいことをもっと手短に、誰にでも
分るように纏めて下されば、このMLでも手代木さんとの議論に参加できる
と思います。
「長文」や「難解」を理由に「斜め読み」して他人に論争を仕掛ける神経の持主に、人生65年を経て初めて出会った。
「読む方にもキツイ」とか、「言いたいことをもっと手短
に」、あるいは「誰にでも
分るように纏めて下されば」といったことよりも、適確な情報提供と適確な回答を果たし得たかどうかがより重要ではないだろうか。
自己の主義主張に反するMLの議論に反論を心掛けなければならないという規則はないのだから、「読む方にもキツ
」ければ、相手にしなければいい
のだが、反論を仕掛けておきながら、テーマに関係のない上記のような意見を持ち出すのは、自身が適確に反論し得なかった手抜かりを欺き、目を別の方向に逸らそうとする無意識が働いてのことではないかとの疑いは邪推に過ぎないだろうか。
邪推だとしても、「思いこみが激しい」とか、「詭弁ですね
」、「説得力はありません」、「都合の悪いことは、こんな風に、ご自分自身論理の飛躍をするのですね」、「手代木さんの思い込みと勝手な解釈がそんな結論に導くのでしょう」、「手代木さんの見解は一見、論理的なようですが、実は非常に教条的(物事を一面からのみ見てあたかも持論が権威のある正論であるかのごとく確信している)な印象を持ちます」といった批判は、「斜め読み」ではなく、例え「キツ」くても、適確に読んで発すべき批判
が常識だと思うのだが、彼女には望むべくもない常識と言うことかも知れない。
すべては読者の判断に任せるしかない。