ドイツと日本の戦争責任の取り方についてインターネット記事から探ってみた。
ドイツは個人補償はしたが国家賠償はしていない、すべての戦争犯罪をナチスがしたこととし、ドイツ民族自体を免責している、対する日本は国交を回復していない北朝鮮を除いて、条約を締結した対象国すべてと国家賠償を済ませている。その際、相手国は個人賠償請求権を放棄している。
中国とは1972年の日中共同声明で、中国側の賠償請求権の放棄を確認している。もはや何ら問題は残っていない。
大体が日本はドイツみたいに国の政策として組織的・計画的、且つ残虐な民族抹殺(ホロコースト)を行なった事実はなく、このことは通常の戦争犯罪を逸脱した悪質な人道的犯罪であって、ドイツが連合国から「人道に対する罪」に問われ、個人補償を避けることができなかったのは当然の成り行きとしてあったものである。
ここで一つ思うことは、通常の戦争行為という概念は成り立つが、通常の戦争犯罪という概念は成り立つのだろうか。
次のようなドイツ重罪説・日本微罪説を見かけた。
『jog(118)戦後補償の日独比較』
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog118.html)
「ドイツは旧西独時代以来、ユダヤ人虐殺などへの個人補償だけでも、円換算で総額約6兆円を支払ってきている。日本がアジア諸国に払った賠償・準賠償はざっと6千億円。
この朝日新聞の挙げる数字は、ドイツは誠実に戦後補償に取り組んでいるのに、日本は逃げている、誠実に謝罪し、賠償しないから、いつまでもアジア諸国から信頼されないのだ、という主張の根拠とされている。
これに対する反論をまとめれば、次のようになろう。
ユダヤ人600万人虐殺などというような犯罪を、日本は犯していないから、補償金額の多寡を比較すること自体、無意味だ。
ドイツはユダヤ人虐殺以外の戦時賠償をまだ完了しておらず、まだこれからの段階。日本は北朝鮮以外のすべての関係国と講和条約、平和条約を結び、正式に国家賠償が完了している」
上記の主張はHPの著者固有の考えではなく、多くの日本人がこのような主張を根拠として、日本の戦後処理の正当性を図っているが、実際に正当化し得るのだろうか。
以下、ドイツの戦後処理をインターネット記事『あるコリア系日本人の徒然草』(http://blog.goo.ne.jp/pontaka_001)から見てみる。
*1955年、西欧諸国と西ドイツとの間で『ロンドン債務協定』締結。
「戦前戦後ドイツの負債借款の清算に関する取り決めが行われ」、「戦争
に起因する賠償・請求権問題は、ドイツ統一後の講和条約に於いて取り決
め」るとされた。
「一方東ドイツにおいては、1953年、ソ連を中心とする東側陣営諸国が、
東ドイツに対して賠償請求権を放棄」。
*1990年9月、東西ドイツと旧連合4ヶ国の間で『最終規定条約』(『2プ
ラス4条約』)を締結。
「この条約において旧連合4ヶ国は、ドイツに対するすべての権利と責任
を最終的に消滅」させるとした。
但し、ドイツ政府がこの条約によって「賠償問題は決着済み」としてい
るのに対して、「例えこの条約に於いて賠償問題が決着済みだとしても、
それは米英仏ソの旧連合4ヶ国のみに対してであって、その他オランダ・
ギリシャなどとはまだ決着していないことが挙げられ」ていて、「最終決
着はついてい」ないと見なす考えが存在するということである。
――このことは今後、ドイツと「オランダ・ギリシャ」等の2国間交渉で解決する問題であろう。
一方、ナチス犯罪に対する個人補償は、
◆<国内法による補償>
*『連邦保障法』 (国内法の中で最大規模のもの)
「ナチス迫害犠牲者を対象として1953年に制定。ナチス迫害により生命、
身体、健康、自由、所有物、財産、職業上経済上の不利益を被った者に対
する補償
」と定義づけている。
*『連邦返済法』(1957年制定)
「ナチスによって没収されたユダヤ人財産に関しては、別途返済ないし損
害賠償を行うことが取り決められた」
*「1980年代に入り、『連邦補償法』の対象者が大幅に拡大され、それま
では対象になり得なかったジプシー、同性愛者、兵役忌避者、脱走兵、反
社会分子などにも補償が行われるようになる」
*これら国内法には『居住地条項』が存在し、可能対象者は、
(1)法律制定時に西ドイツに居住している人、
(2)ナチス時代に、法律制定時の西ドイツ領内に居住していた人、
(3)ナチス時代に、第三帝国領内に居住しており、法律制定後西ドイツ
領内に居住地を移した人となっている。
「逆にいえば、ナチス時代に第三帝国領内に居住していても、その地域が
戦後チェコやポーランドに割譲された地域であれば、対象者にならないと
いうこと」らしい。
「この場合には上の(3)に従って、法律制定後居住地を西ドイツ領内に
移さなければ」ならないが、「『居住地条項』にも関わらず、(連邦補償
法の場合)給付先の8割が外国人になっている」という。
*「ドイツ統一後、東欧諸国の(強制収容所への)強制連行労働者のため
の財団が設立され」る。「これら財団による基金により、上記の補償協
定の恩恵に預かれなかった強制連行労働者も、補償を受けられるように
な」る。「またソ連崩壊後、独立したそれぞれの国々(ロシア・ウク
ライナなど)とも独自に補償協定を締結してい」る。
*『民間企業による強制労働者に対する保障』
「戦時中、東欧諸国から民間人や戦争捕虜を別の地域に移送して、強制
労働につかせ」た。「この場合の雇用主は企業であり、上記の強制収容
所とは全く異な」るゆえ、ドイツ政府は、「『強制連行労働はナチス迫
害ではなく、戦争に伴う一般的現象である』との立場を取」り、「法的
義務ではなく人道上の措置」として、「各企業の自由意志に補償を任せ
てい」た。
「ところが1999年米国カリフォルニア州にて、大戦中にドイツ・日本な
どの企業により強制労働させられたすべての人とその遺族が米国で裁判
を起こせるとの州法を公布し」、「この州法に基づき、元強制労働者を
中心に集団訴訟・一括訴訟が行われ、世界ユダヤ人会議を中心に不買運
動が起こ」る。
「このことに危機感を抱いたドイツ企業は政府とともに基金財団を設立
し、『国家社会主義の犠牲者に対する政治的、道徳的責任』から、まだ
生存している『強制労働者』に対して補償を行うことを決定」。
*<連邦援護法>
「戦争公務、平時の軍務、準軍事業務による損傷及び直接的戦争影響に
よる民間人の損傷に対する援護をひとつの法律に一括したもの」
「対象者は、『ドイツ人及びドイツ民族に属する者』の他、『その損傷
とドイツ国防軍下の職務もしくはドイツの機関のための準軍事的業務と
の因果関係が存在し、かつそのものが居所または通常の滞在地を連邦領
域に有する』外国人が適用」範囲で、「外国人に対しては、上述した連
邦補償法の『居住地条項』のようなものが、適用されてい」るとのこと
である。
◆<国際協定による補償>
*『ルクセンブルク協定』
1952年イスラエルとの間で締結。
この協定において、イスラエルに居住するナチス迫害犠牲者にまず保証
金が支給された。
*『ナチスの不法行為に対する包括補償協定』
フランスを初めとする西側12ヶ国と締結。この場合の不法行為と
は、レジスタンス運動弾圧をも含む、上記の国内法の対象行為と同等の
ものだとしている。
*『強制収容所での(主に)生体実験に対する補償協定』(1970年代)
ポーランド・チェコスロバキアなど東欧4ヶ国との間で締結。この補償
協定の代わりに、これら東欧4ヶ国は国家賠償請求を放棄している。
*この東欧諸国との協定により、ドイツはポツダム協定によってポーラン
ド、チェコに割譲され、新たな国境とされていたオーデル・ナイセ線を
受入れて、東側国境を正式に確定させ、領土問題に終止符を打ってい
る。ドイツは固有の領土を約10万3600km2も失ったことになるとい
う。
以上、『あるコリア系日本人の徒然草』に従っ
た。
*****
――『国家賠償』について改て見てみよう。
*1955年、西欧諸国と西ドイツとの間で『ロンドン債務協定
』締結。
「戦前戦後ドイツの負債借款の清算に関する取り決めが行われ」「戦争に
起因する賠償・請求権問題は、ドイツ統一後の講和条約において取り決
められる」としている。
*「『強制収容所での(主に)生体実験に対する補償協定』(1970年代)
ポーランド・チェコスロバキアなど東欧4ヶ国との間で締結。この補償
協定の代わりに、これら東欧4ヶ国は国家賠償請求を放棄。
*1990年9月、東西ドイツと旧連合4ヶ国の間で『最終規定条約』(「2プ
ラス4条約」)が締結。
「この条約において旧連合4ヶ国は、ドイツに対するすべての権利と責任
を最終的に消滅」させるとし、問題は残るものの、ドイツ政府がこの条約
によって「賠償問題は決着済み」としている。
日本が国家賠償に応じる代りに相手国に個人賠償を取下げさせている、
あるいは相手国自らが取り下げているのに対して、ドイツは「ドイツ統一
後」に先送りするとした「戦争に起因する賠償・請求権問題」は旧連合国
が『最終規定条約』で自ら、「すべての権利と責任を最終的に消滅」さ
せ、他の国は個人補償を受ける代りに、相手国自らが国家賠償請求を放棄
する、日本とは逆の方式を取っていると言えないだろうか。
別の言い方をするなら、ドイツは国家賠償の解決に向けて、極く当然な
ことではあるが、ドイツという政府の立場で責任を果たしてきたと言える。
それは日本に於いても同じ構図を持つ。
国家賠償に関しては、すべての戦争犯罪をナチスがしたこととし、ドイ
ツ民族自体を免責しているといった文脈の批判は当たらないことになるの
ではないだろうか。
個人賠償について見てみると、ナチスのガス室に送ったりのユダヤ人抹
殺を含めた残虐行為は通常の戦争行為(通常の戦争犯罪≠ナはない)を
大きく逸脱し残忍・残虐な非人道的・非人間的な戦争犯罪行為であるゆえ
に、『人道に対する罪』として裁かれるのは当然であり、賠償対象が被害
者個人に特定されるのはごく自然な成り行きであろう。
その前に首謀者に対する処罰を見てみる。
以下、インターネット記事『ドイツにおけるナチ犯罪処罰と「罪の個人
化」』(清水正義)(http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/essay1/essay1-3.htm)に拠
る。清水正義氏のHPは必見の価値がある。
<ニュルンベルク国際軍事裁判>では、被告22名のうち、「帝国元帥
ヘルマン・ゲーリングら12名に死刑、ナチ党総統代理ルドルフ・ヘスら3
名に終身刑、海軍提督カール・デーニッツら4名に有期刑、元首相フラン
ツ・フォン・パーペンら3名に無罪の判決を下し」ている。
「また、ナチ党指導部、ゲシュタポ・保安部(SD)、親衛隊(SS)の
三組織が犯罪組織と認定された。死刑囚12名中、行方不明のマルティン・
ボルマン(後、死亡が確認)、処刑直前に自殺したゲーリングを除く10名全
員が刑の執行を受け、終身刑3名中海軍提督エーリヒ・レーダーと経済相ヴ
ァルター・フンクは1955年と57年、それぞれ病気のため刑の執行を免除さ
れ、一人残ったヘスは1989年獄中で自殺した。有期刑4名中、元外相コンス
タンティン・フォン・ノイラートは1954年に病気のため刑の執行を免除さ
れ、軍需相アルベルト・シュペーアは刑期満了釈放、デーニッツとヒトラ
ー・ユーゲント指導者バルドゥーア・フォン・シーラハの2人が獄死」。
さらに、「ドイツを分割占領統治した米英仏ソ四ヶ国の各占領地区及びそ
の他の地域での反ナチ裁判」としての<占領四ヶ国による裁判>で、「米
地区では、ニュルンベルクにおいて官僚、法律家、医師、軍人、親衛隊幹
部、企業幹部などナチ体制を支えたエリート層を裁く12件の裁判(『ニュ
ルンベルク継続裁判』)が行われた。12件の内訳は(カッコ内は主な罪
状)、・医師裁判(「安楽死」事件、強制収容所での人体実験と殺人)
、・陸軍元帥ミルヒ裁判(強制労働動員計画)、・法律家裁判(民族裁判
所を含むナチ司法機関による殺人)、・親衛隊経済管理本部裁判(強制収
容所での殺人)、・フリック裁判(フリック社での外国人強制労働徴用)
、・IGファルベン裁判(戦争捕虜、強制徴用労働者、強制収容所収容者
の経済的搾取)、・南東戦線将官裁判(バルカン半島での人質殺害)、・親
衛隊人種植民本部裁判(人種計画、ユダヤ人根絶)、・行動部隊裁判(占領
地住民の殺害)、・クルップ裁判(クルップ社での強制労働徴用)、・ヴィ
ルヘルム街裁判(占領地の略奪、強制労働徴用)、・国防軍最高司令部裁判(捕虜殺害)である。法廷は被告 184名(うち7名が審理中死亡)中、有罪
者
142名、うち死刑24名、終身刑20名、有期刑98名、無罪35名の判決を言
い渡した。死刑24名の内訳は、医師裁判で7名、SS経済管理裁判で3名、
行動部隊裁判で14名であり、死刑を執行されたのは12名である。
同じく米地区のダッハウ裁判では強制収容所関係者の裁判が、マルメディ
裁判では米兵捕虜殺害事件の裁判が行われた。米地区裁判全体で、被告1941
名中、有罪者1517名、うち死刑
324名、終身刑 247名、有期刑 946名であ
り、無罪
367名、審理除外57名がいる。有罪者の多くが1951年1月31日の米
高等弁務官J・マクロイの恩赦布告により減刑措置を受けている」ものの、
全体として厳しいものとなっている。
「英地区だけでなく、イタリア、オランダでも行われた」「英軍の裁判」
では、「全体として1085名が有罪、うち死刑 240名」
「仏地区では」「有罪者2107名、うち死刑 104名。」
「ソ連は戦争捕虜の多数を強制労働に投入するとともに、その多くを戦争
犯罪人として処罰した。1965年2月26日の西ドイツ司法省発表によれば、
1950年5月の時点でソ連収容所内に1万3532名の戦争犯罪人が収容されてい
る。1955年9月ソ連は生存している9155名のドイツ人戦争捕虜を釈放し
た。」
ベルギー・デンマーク・ルクセンブルク・オランダ・ノルウェー・イスラエルといった<その他の連合諸国による裁判>での合計の有罪者数は500人を超え、そのうち死刑の判決を受けた者は65名となっている。
その他に、鉄のカーテン越しの東ドイツとオーストリアでも、反ナチ裁判が行われ、相当数の有罪・死刑の判決を下しているらしい。
あれだけの大量虐殺を行ったのだから、そのことに比例する有罪者数であり、死刑数と言える。
問題は西ドイツ自身による徹底的なナチス犯罪の司法を通じた追及である(教育を通しても)。「1949年12月31日の刑免除法により禁固6ヶ月以下の軽懲役のナチ犯罪についての裁判が中止され、続いて1950年5月、5年以下の重懲役の犯罪について時効が成立、以後、ナチ犯罪は謀殺罪、故殺罪、重傷害罪に限定」したが、「1965年、謀殺罪の時効(20年)が迫り、時効起算時点を敗戦時(1945年)から西ドイツ成立時(1949年)に移行し」、年に再びその時効が迫」ると、「時効期間を20年から30年に延長した。1979年、三たびその時効が迫り、西ドイツ議会はついに謀殺罪についての時効を廃止」するといった反ナチス裁判を契機としたナチス否定の徹底に向けた執念である。
このことは多くの日本人が言うように、戦争犯罪の責任をナチスに転嫁し、ドイツ民族自体を無罪とする関係式を成立させるべく装置したものだろうか。
ドイツ人によるナチス犯罪の追及とは、ドイツ人自身によるドイツ人自身に対する個人の罪の追及である。
既に連合国、その他が多くの首謀者・積極的同調者を裁き、死刑にも処しているのである。にも関わらず、そこで幕を降ろさずに、個人補償の進展とドイツ人自体の罪を問う反ナチス裁判の継続を推進している。
このことが、個人補償と罪のナチス転嫁を印象として突出させている原因ではないだろうか。
翻って、日本はナチスのユダヤ人・その他の虐殺には規模の点では及ばないものの、個々の事例に関しては本質的には同質の非人道的行為である中国南京、その他での虐殺や虐待・強制連行(従軍慰安婦)・強制労働、さらにフィリッピンやシンガポール、インドネシアといった占領地での虐殺・虐待・拷問・強制労働といった戦争犯罪を犯しながら、東京裁判の判決と、条約締結で個人賠償と引替えに負った国家賠償終了をすべての幕引きの契機とし、ドイツのように加担した者の個人の罪は問わなかった。あるいはウヤムヤにした。
なぜあのような人道に反する罪を犯し得たのか問わなかった。問うどころか、ドイツのように国の政策として計画的・組織的、大量な虐殺ではなかったと、規模の性格・大小で免罪を図っている。あるいは、純粋に戦争犯罪行為でありながら、通常の戦争犯罪行為とすることで、戦争といった異常な状況下では誰でも犯してしまうことだと一般化・希釈化の煙幕の中に隠してしまっている。
このような光景は、日本人の多くが敗戦の責任を国に騙された、国に騙されたと国に負わせ、戦争の遂行に同調・加担した自らの罪、騙されたとしても、騙されたことの自らの愚かさ・不明を自問自答すらしなかった敗戦直後以降の日本人の姿をそのまま反映させ、一本につながっている、日本人の自己存在性がつくり出した自己無罪化ではないだろうか。
つまり、ドイツ人が戦争の罪をナチスに転嫁し、ドイツ人は無罪だとしているという批判は実は幻像でしかなく、日本人は戦争の原因と結果を戦前の大日本帝国政府と軍部に責任転嫁し、日本人自身は無実だとしているといったことの方を実像とすべきではないだろうかということである。
前出の『jog(118)戦後補償の日独比較』にあった「ワイツゼッカー大統領」の演説を例にして、ドイツ民族免責説を見てみる。
「『罪のある者もない者も、老若男女いずれを問わず、我々すべてが過去に責任を負っている。
人は自分に罪がないことにも、責任をとることができる。例えば、私の自動車を他人が運転して事故を起こしても、私は賠償責任を負う。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい、無実といい、集団的ではなく個人的なものであります』
しかし、それほどドイツは誠実に謝罪しているのだろうか。
ワイツゼッカーの演説の『罪のある者もない者も』という部分を見落とすべきではない。『罪』と『責任』を厳密に区別している。
ワイツゼッカーの回りくどい主張はこう要約できよう。当時のドイツは、ヒットラーに乗っ取られた車のようなものだ。それが暴走して事故を起こした、その罪はヒットラーとナチス党員の個人的なものである。車の所有者たるドイツ民族には、賠償責任はあっても、罪はない。
ナチスの犯罪はヒットラー個人の罪で、ドイツ民族の罪ではない、という主張はやや強引だ」
かくこのように、「ワイツゼッカー大統領」の演説を根拠とした、このドイツ民族免責説(=責任転嫁説・無罪説)は正当性を持ち得るのだろうか。
「ワイツゼッカー大統領」の演説をHP『ドイツにおけるナチ犯罪処罰と「罪の個人化」』(清水正義)からなるべく詳細に記載してみる。
「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。人間の罪には露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人びとり自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。」
――『ドイツにおけるナチ犯罪処罰と「罪の個人化」』の清水正義氏は上記の文章を次のように解説している。
「ヴァイツゼッカー演説のこのくだりは『過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります』という、有名な割には内容的に陳腐な一節よりもはるかに重要な意味を持つ。ナチ体制はそれを支えた諸個人によって成り立っていたのであり、ユダヤ人虐殺をはじめとする無数のナチ暴力犯罪はナチ国家という抽象的機構によってではなく、そこに座を占めていた具体的個人によって犯されたものである。ナチ的過去を克服する重要な核に司法的手段によるナチ犯罪者の処罰があげられるのは、以上のような文脈と切り離しては考えられない」
その罪を問うとき、ドイツ民族全体の問題であり(ドイツ民族全体が罪を負っているとすると、戦後生まれのドイツ人も罪を負わなければならなくなる)、その全体性からは罪を犯していない者も逃れることはできない。罪を犯していない者も含めて、ドイツ人に何が起こったのか、あるいはあのような事態をなぜ招いたのか、問い続ける責任はある、その責任は
戦後生まれを含めたすべてのドイツ人が負わなければならない、常に今在るドイツ人全体の責任である、という文脈で語られたものではないだろうか。
そう、100年経過しても200年経過しても問い続ける。そのための歴史教育であろう。
ドイツ民族全体の罪としたら、日本軍が犯した虐待・虐待も、日本民族全体の罪となる。この点に関しては、前出のHP『jog(118)戦後補償の日独比較』の「『罪』と『責任』を厳密に区別している」という
指摘は間違っていない。
さらに、HP『ドイツにおけるナチ犯罪処罰と「罪の個人化」』から、「ヴァイツゼッカー演説」を見てみる。
「この犯罪に手を染めたのは少数です。公の目にはふれないようになっていたのであります。……しかし現実には、犯罪そのものに加えて、あまりにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります」
一人一人が傍観することでナチス犯罪の恣の横行を許した、その罪は負わなければならないということだろう。
「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」
民族の有機体としての個人が、傍観、積極的加担、主導的加担、便宜上の同調、主導的遂行、あるいは全然無関係であり得たか――それぞれに個人差を持ってであるが、関わっていた。それぞれがどう在ったか、どう存在していたか、明らかにする必要を説いたのではないだろうか。
「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされているのであります」
「われわれ全員」、つまり
戦後生まれも含めたドイツ人全体として、責任を負うことの不可避性――何と潔い決意表明ではないか。
こう見てくると、戦前、ドイツ人はこう存在した。現在、どう存在すべきか、その存在様式を問い質したのであって、ドイツ民族免責・無罪を主張する内容とはなっていない。
となると、前出のHP『jog(118)戦後補償の日独比較』の記事の「ドイツは旧西独時代以来、ユダヤ人虐殺などへの個人補償だけでも、円換算で総額約6兆円を支払ってきている」云々の朝日新聞記事内容に対して、「補償金額の多寡を比較すること自体、無意味だ」とする指摘は、的を射ていると言えるだろうか。
ヴァイツゼッカーが望むドイツ人像・その存在様式を厳密な形で実現させるとするなら、集団に引きずられない強い個人を形成しなければならない。
このことは日本人についても同じように言えることで
あろう。但し、上官の命令に異議申し立てした場合の懲罰を恐れて、命ぜられるままに戦争犯罪行為(=人道に反する罪)を犯し、犯すことに順次神経を麻痺させていった兵士たち、あるいは日本人たちの行動原理を誰も問わずに免罪してしまった経緯と、そのことを学校教育でも問題にしてこなかったゆえに、内側に同じ行動原理を抱えたまま、そのことに無知な状態で大人となり、日本人として行動する受け継がれたままの存在様式は、それが戦争ではなく、日常生活の場面であっても、無自覚な状態で集団に引きずられて行動する習性を演じることにならないだろうか。
面白おかしく仕立てた似たり寄ったりの場面を繰返し目に焼き付かせて、洗脳の形で一つの方向に同調を強いるテレビ報道の誘導に無自覚・無考え従って、投票に走る光景は、集団に引きずられる行動原理の核を成す無考えに支配された同じ存在様式としてあるものだろう。
会社上司や幹部の言いなりに、会社ぐるみの不正行為を仕事だからと自分を誤魔化して、協力・拡大していく。
となると、すべての戦争犯罪をナチスがしたこととし、ドイツ民族自体を免責しているといったことを批判する前に、ナチスの罪をドイツ人自身の責任問題として徹底的に問う、いわゆる「過去の克服」をこそ見習うべきではないだろうか。