教育を語る ひとりひとりが 政治を・社会を語る そんな世の中になろう
戦後ドイツは自分たちが犯した戦争に関わる犯罪の負債を可能な限り決済すべく努力した。誠意を持ってそうすべく、自ら意志した。
日本は戦後を、日本が犯した戦争の性格そのものを否定する意志の発動から出発した。侵略戦争だったことの否定である。植民地独立のための戦争だったと。強制連行も、南京虐殺もなかったと。従軍慰安婦は軍の関与と無関係に民間業者の仕業だと。
西ドイツだった頃のシュミット元西独首相が新聞に次のように語っている。「ドイツ軍は周辺諸国へ侵略した。我々は占領した国への犯罪を深く反省した。とりわけ、強制収容所に於ける殺戮が近隣諸国の土地で執行されたことについて、その生き残りの人々、残された人たちの家族に多くの補償を支払った。
日本はこうしたことを実行していない。中国にも、韓国に対しても。むしろ長期間にわたって占領時代の犯罪を否定してきた」(1995年1月7日「朝日」)
これは政治家が止むを得なく口にする上辺だけの言葉ではない。日本では歴史を歪曲する発言が罷り通っているのに反して、ドイツは民族煽動罪として処罰してきた「アウシュビッツのウソ」発言をより厳しく取り締まるための改正案を1994年に可決させてい
る。罰則は最高禁固3年である。
このことはドイツにも戦争や戦争中の行為を肯定する人間がいることを示している。だが、国家としてのドイツは過去≠ニ真正面から向き合い、それを厳格且つ真摯に受け止めようとしたのに対して、日本は真正面から向き合おうとはせず、過去≠ゥら目をそむけたたでけはなく、あまつさえ、過去≠肯定しようとしたのである。
そのような態度を一つ取っただけでも、外国人が、特にアジアの国々の人間が見た場合、シュミット元西独首相が「日本はこうしたことを実行していない」と言明した言葉の裏に含まれている信用の置けなさ≠日本人の性格と断じたとしても不思議はない。
侵略戦争とその過程で行った強制連行や南京虐殺、従軍慰安婦等、すべての否定は、過去≠フ肯定のための否定として行われた。肯定のための否定への衝動は戦後恒常的に抱えてきた心の疼きとなっている。
否定すべき項目を否定し去ることによって、過去≠ヘ肯定可能となる。正義の戦争だったと。
しかし心の疼きは、それが表立ったとき、否定すべき項目が否定不可能なため、当初から印象付けられた信用の置けなさ≠強め、印象を限りなく確信に近づける働きを担ったに過ぎない。多くの政治家・多くの日本人がそのことに気づいていなかった。
アジアの国々が戦後経済復興した日本のカネを必要とし、その援助を受けながらも、日本の再軍国化を警戒したのは、過去≠フ肯定のための否定が止むことがなかったからではないだろうか。不誠実な信用の置けなさ≠感じながらも、自国発展のために背に腹は変えられなかったから、信用の置けなさ≠ノは目をつぶった。
1994年6月23日の朝日新聞が、それまでは「戦時中の閣議決定による契約とされており、強制だったかどうかは分からない」し、「全部焼却され外務省にはない」としてきた中国人労働者に関する報告書が東京華僑総会(東京・銀座)に保管されていたことが判明して、当時の羽田内閣の柿沢外相が参院外務委員会で、外務省の作成によるものと認めたとする内容の記事を、「強制連行公式に認める」と題して伝えている。
1994年とは、ドイツが「アウシュビッツのウソ」発言を厳しく取り締まる改正案を可決したのと同じ年である。片や戦争のウソ≠より厳しく取り締まる意志を国家の意志として示したのに対して、日本は強制連行否定のウソ≠取繕うことを余儀なくされる醜態を演じていたのである。それも証拠を突きつけられて、しようことなしに。
しようことなしなのは柿沢外相の、「半強制的だった事実は否定できない。多くの中国人が半強制的な形でわが国に来て、厳しい労働につかされた。多くの苦難を与えたことはまことに遺憾だ」という発言に現れている、この場に及んでも「半強制的」だとする潔くない罪薄め・往生際の悪さが証明している。そのことも信用の置けなさ≠
日本人の性格として刻印する一因となる態度であろう。
信用の置けなさ≠ヘ、「朝鮮半島から日本へ動員された朝鮮人に対して、拉致同然の強制的な連行を繰返していたことを示す旧内務省の公文書が、外務省外交史料館から発見された。『強制連行』ついてはこれまで被害者の証言が中心で、その実態が公式に裏付けられたのは初めてと見られている」(1998年2月28日朝日新聞)事実が公に判明したにも関わらず、その史料を「東京都内の出版社から復刻出版しようとしている。だが、外交資料館は『外務省に著作権がある』と不許可を通告した。」(同)自己に不都合な展開を阻止する態度にも如何ともし難く発揮されている。
尤も強制労度に関してはドイツにしても、十分に国家としての誠意を示したわけではなかった。それまでの「戦後補償は『ナチス犯罪』による心身の被害への補償が主体で、強制労働は『通常の戦争行為』として戦後の協定で棚上げ、補償の対象外としてきた」(1998年10月23日『朝日』)ことに加えて、「シュレーダー次期首相」がその方針を転換して「強制労働に関わった関係企業」と合意の上、「資金拠出を求め」て、「基金か、財団を創設」し、補償する政策を打ち出した
が、それは「実質的に政府の姿勢を転換する動き」ではあるが、あくまでも「人道支援の枠組みを超えない」、「国家補償の責任」にまで踏み込まない、それを避ける形式のものだからだ。
但し、 関係9会社のうち「フォルクスワーゲンとシーメンスはそれぞれ独自にユダヤ人に限定せずに補償、政治犯ら広く強制労働に従事した生存者に対し2000万マルク(約14億6000万円)の『人道基金』を設置し、金銭補償を始める方針を9月に相次いで表明している」(同)ということだから、その誠意の点に関して日本の比ではない。
国連安保理の常任理事国入りを目指す日本の方針に中国が真っ向から反対し、韓国が自らの非常任理事国入りを表明したものの、日本に支持の言質を与えなかったことで、暗黙の不支持としたのは、日本の過去≠フ肯定のための否定が際限もなく繰返されることによって否応もなしに醸成された信用の置けなさ≠ェ原因していることは間違いない。
従軍慰安婦に関しては、自らの意志で志願したなら、経済行為に属する売春なのだから問題はないが、軍が関与して相手の意志に反して強制的に従事させた形態を含む構造のものだったなら、いくら軍国主義体制下にあったとしても、批判は免れまい。
強制的例として、日本軍がインドネシアを占領したとき、インドネシアを植民地としていた宗主国オランダの捕虜とした未成年を含む女性(18歳から〜30歳迄)を軍が強制的に慰安婦としている。現地日本軍が自らの判断で慰安婦狩りしたもので、軍中央の知れるところとなり、2ヵ月後に閉鎖され、戦後
オランダによってアンバラワ抑留所事件として裁かれたという。
橋本元首相は、通産省時代、朝鮮半島に対しては、「今の歴史観からすれば当然のことながら植民地主義といわれても仕方がない行動を、我々の先輩方はその時点において選択された」(1994年10月26日『朝日』)が、「第二次世界大戦に限定した場合、当時の日本は米国と戦い、英国と戦い、オランダと戦いという要素を持ち、戦争を行ったことは事実だが、侵略戦争と言い得たかどうかとなれば、私には疑問が残る」(同)と自らの戦争観を述べている。
戦後50年間近まで経ての、この「戦略戦争疑問論」は正当性ある考察なのだろうか、それとも往生際の悪さに連なる悪足掻きに過ぎないものなのだろうか。
侵略とは土地・国土を奪うことだけで終わらない。土地・国土に付随する人間の自由・精神への侵略を表裏一体とする。美辞麗句を散りばめたどのような大義名分を掲げようと、人間の自由・精神を侵し、踏みにじる性格の事件を伴った戦争行為なら、それは侵略と言えるはずである。
オランダもインドネシアを植民地として領土を支配・統治する過程でインドネシア人の自由・精神を侵略した侵略者だったとしても、だから日本軍がオランダ人の自由と精神に対して侵略者であってもいいという理屈は成り立たない。日本軍はオランダ人女性を強制的に慰安婦に駆り立てたばかりではなく、ジュネーブ条約に反して、暴力や食事を満足に与えない虐待を行い、多くの病死者や餓死者を出している。戦争末期に向かってインドネシア現地の日本軍も食糧不足に陥っていて、満足に食べ物にありつけなかったとしても、インドネシアジャワ島でオランダ人7万人の収容者のうち、6300人が2年の間に死亡しているのである。
日本軍はインドネシア人に対しても、その自由と精神に対する侵略を行ったていなかっただろうか。
大日本帝国政府は1943(昭和18)年5月31日、御前会議を開き、「大東亜政略指導大綱」を決定している。内容は、「ビルマ・フィリッピンを独立させることと同時に、『マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスハ帝国領土ト決定シ、重要資源ノ供給地トシテ極力コレガ開発ニ努メル』」(1993年11月9日朝日新聞)というものである。
「アジア開放」の大義名分を自ら裏切る、インドネシアとマレーシアの植民地化の決定である。この御都合主義から判断するに、ビルマ・フィリッピンの独立も、傀儡政権下の独立に過ぎないのは容易に想像できることであるが、インドネシア支配が植民地を目的としたものである以上、侵略以外の何ものでもなく、国民であるインドネシア人の自由と精神に対する侵略でもあったと断言できる。
日本軍によるオランダ女性に対する強制的慰安婦化はインドネシアのみの氷山の一角に過ぎない事態だったのか、この件に限った場面だったのか。後者だったとしても、否定すべき項目が否定不可能となるたびに繰返される止むを得ない肯定のパターンからの学習によって、性犯罪者が再犯率が高いことが原因して、再度性犯罪を犯すのではないかと疑われるように、信用の置けなさ≠払拭することは困難だろう。ウソつきがたまに本当のことを言ったとしても、事実だと信用されないように、いとも簡単に信用の置けなさ≠ノ置き換えられるだけである。
例え中川農水相(当時)が従軍慰安婦に関して、「大半の専門家の方が納得できるような歴史的事実として教科書に載せるということに、まだ疑問を感じている。つまりないともあるともはっきりとしたことがいえない」(1998年7月31日朝日新聞)と言っているのが妥当性ある主張だったとしてもである。
中川氏は同じ記事で次のようにも言っている。「強制性があったかどうか我々が判断することは政治家として厳重に慎まなければならない」
事実の認定は、例え検証が中川氏の言う「大半の専門家」の手によるものであったとしても、最終的には政治家である中川氏自身が判断を下さなければならない事柄であろう。そうであるのに政治家の判断外だと「判断」を回避するのは、
そもそもから「強制性」を認めたくない立場にいる関係上、その方が都合がいいからであって、「強制性」の透明化を図る言説に過ぎないと見なされても仕方がない。
少なくとも、自ら検証してみようという意志・誠実さはそのかけらさえも発言からは感じ取れない。
麻生政調会長の「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」と発言して、発言自体は撤回しなかったが、「『言葉が足りず、真意が伝わらなかったことは誠に残念だ。遺憾な発言であり、韓国国民に対して率直におわびを申し上げる』と謝罪」(2003.06.02朝日新聞)する前言撤回の経緯も、過去≠フ肯定のための否定が否定不可能となって否定を止むを得ず肯定する範囲のもので、自身は気づかずに
日本人の信用の置けなさ≠自ら増殖する過ちを犯しているに過ぎない。
石原新太郎も言っている。日韓併合は、「当時の政治家たちが合議して決めた。どちらかといえば、当時の彼らの先祖の責任」だと。
すっかりパターン化したこのしぶといまでの過去≠フ肯定のための否定は日本人を否定したくないため――いわば、戦前に打ち上げた日本人は優秀であるとする自らがつくり出した事実≠変えたくないための優越感情からだろうが、そのような論理を理解し、肯定できるのはほぼ日本人に限定されるゆえに、日本人をベースとした独善性を必然的に宿命とするメカニズムを自ずから持つこととなる。
その独善性こそが、信用の置けなさ・いかがわしさの原因となる資材となっているものだろう。韓国の有力紙である朝鮮日報が、「日本の常任理事国入りは道徳的障壁を乗り越えねばならない」と題した社説を掲げたそうだが、警告の裏にある「乗り越え」ようとする姿勢の欠如、あるいは意志の欠如こそが、日本が過去の戦争で抱える全体的な信用の置けなさ・いかがわしさに発展している、一見隠れていて見えないが、危険な初期的ガン細胞といったところではないだろうか。
その社説は言う。「日本の国力や国連への金銭的な寄与だけでなく、道徳的な姿勢が問題にならざるを得ない」
当然、小泉首相が、「二度と戦争を起こしてはならない」ことを祈る靖国参拝だといくら言い張ったとしても、過去の戦争をきっちりと検証してから、そう誓うべきで、事実あったことを曖昧にする姿勢を変えないことには、その誓いは過去≠フ肯定のための否定の線上で把えられ、信用の置けなさ≠新たに重ね着するだけで終わるだろう。
殺人を犯した人間が、法の裁きも受けず、当然社会的に罪の償いもせず、「二度と殺人は犯しません」と誓うようなもので、結果として例え実際に二度と殺人を犯さなかったとしても、信用はできないのと同じである。
いわば、小泉首相の靖国参拝は、いや他の首相や閣僚の参拝にしても、過去≠ノ対するこれまでの全体的な前科と度重なる累犯性から、「死ねば仏様になる」とかならないとかの問題を外れて、日本を信頼できない象徴としての一風景となっている可能性は否定できない。
小沢一郎が「(過去の植民地支配や侵略戦争について)反省している。(経済面などで)協力している。これ以上地べたにはいつくばったり、土下座する必要があるのか」と発言して、韓国の反撥を受けて両国関係がギクシャクしたため、「政府・自民党首脳会議の場で迷惑をかけた」(1994年5月7日『朝日』)と陳謝したことがあった。
小沢一郎は「反省」とか、「土下座」とかの問題ではなく、そもそもの出発点とそれ以降の姿勢が問われていることに気づいていないから、そのような発言ができたのだろう。
例え小沢一郎が実際に「土下座」して謝ったとしても、日本の多くの政治家、その他のこれまでの行動と発言パターンから、口先だけのこと、そうしなければならなくなったことからの上辺だけの態度と取られるだけでしかない確率は高い。
必要とされているのは、ドイツの態度なのである。独善性に災いされて、そのことに気づかない。従軍慰安婦の問題で軍の関与も強制性もなかったとしても、南京虐殺が石原慎太郎が、「米紙のインタビューに『日本人が南京で大虐殺をしたといわれるが、事実ではない。中国人が作り上げた話であり、ウソだ』」(1994年5月7日『朝日』)と発言したとおりに、事実「ウソだ」ったとしても、ドイツと同様に
真摯な態度で過去と向き合
う誠実さと、否定が否定不可能となって謝罪や前言撤回を繰返すような不用意な歴史認識を断ち切り、無縁とする誠実さの提示こそが第一番に必要としなければならない態度・姿勢であろう。
そうするためには、何よりも公正・誠実な過去の検証・公正・誠実な史料公開が必要となるのは言うまでもないことである。自分が撒いた言葉で閣僚の辞任に追い込まれるなど、最低のことである。政治家の資格さえないが、政治家でございますと、辞任後も居座る図々しさは持ち合わせているから、なおさら近隣諸国から信用の置けなさ≠纏うことになる。
日本が日本の国の中だけで通用させている独善性は、中国や韓国、その他のアジアの近隣諸国が経済的に力を得て、日本の経済力・日本のカネの力が相対的に低下したとき、その神通力を失うだろう。
日本からの経済援助を必要としなくなったとき、背に腹は代えられないどのような態度も必要なくなるからである。中国・韓国がそのような状況に近づきつつある。