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       第81弾     
中国は一つ・台湾も一つ   

                                      upload 05.03.11 .(土)          


 

 

                                                                  

                                             

 

 

 中国は一つ・台湾も一つ  


 
中国台湾に対して、「一国 二制度による平和統一」を掲げる一方、台湾が独立を目指した場合、「非平和的な方式やその他の措置を取る」と、武力侵攻を選択肢とする内容の『反国家分裂法』なる法案の成立を意図している。
  
 果たしてそのことは中国のみで見た場合であっても、国際的に見た場合であっても、正当なことなのだろうか。

 
台湾の歴史を簡単に振返ってみよう。

オランダ、1622年に明朝領土の澎湖列島を占領。明王朝との合意で澎湖列島からの撤退  
  を条件に、明朝領土ではない台湾を領有。先住民の抵抗に遭う。それ以前は、明朝を含め
  て、中国の如何なる政権も台湾を領有していたわけではなく、台湾自体も国家の体裁を成  
  すまでいかない、複数の部族社会レベルの先住民と、移住してきた少数の漢民族の生活空
  間を形成していたに過ぎなかったという。
◆1661年、
明王朝終焉の後、明の家臣鄭成功が艦船を率い、同年4月に澎湖列島を占領、そ
  の後オランダの城塞を攻め、翌年2月にはオランダが降伏、台湾から撤退。オランダによる
  38年間の台湾支配が終わる。
清国軍の攻撃を受け、1683年9月、三代、23年にわたった鄭氏政権は正式に降伏、清国の
  領有するところとなる。清国の台湾領有は212年間。
◆1841年9月、清と
イギリスアヘン戦争
◆漢族系住民の移住が進み、先住民は少数民族化していく。平地系先住民と漢民族系
 移住民との混血が進む。
◆1874年、台湾住民による日本漁民殺害を理由とした
日本軍の台湾出兵。清国政府から賠
  償金を得て、台湾から撤退。
◆1894年8月
日清戦争勃発
◆1895年3月、下関での日清講和会議のさなかに、日本軍、澎湖列島を占領。
◆1895年4月17日、
日清講和条約調印。台湾と澎湖列島、日本に割譲され、日本の領 有する
  ところとなる。
◆台湾の住民の抵抗。全島鎮圧に5ヶ月要する。
◆1930(昭和5)年
霧社(むしゃ)事件――台湾山地、霧社地区の原住民高山族が日常的差
  別や強制労働などに抗して起こした抗日蜂起。日本人110数名が殺害され、軍隊が出動し
  て2ヵ月後に鎮圧。翌年の報復事件
(第2次霧社事件)などを含めて、住民側は約1000名が
  殺害された。(「大辞林」三省堂)
◆1945年8月15日、
日本敗戦。台湾の中国(国民党政権)への返還。
◆1949年、国共内戦に敗れた
国民党政府が移住、現在に至っている。

  
台湾のそもそもは中国の領土ではなかった。国家の体裁は成していない、主として、漢民族とは異なる先住民の生活空間として存在していた。

 それを
オランダ明の旧臣鄭氏三代清国日本と領有し、1949年に国共内戦に敗れた国民党政府が領有するに至った。このように繰返された台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史そのものを否定するとなると、時計のネジを最初に戻して、台湾は元々の生活権者たる先住民の領有に帰さなければならなくなる。

 譬えて言えば、
アメリカ合衆国を先住民たるインディアンに、その領有権を返還しなければならないとすることと同列のことを意味する。そのような展開は、台湾に関して言えば、先住民以外の殆どが行き場所のない台湾人の、アメリカに関して言えば、インディアン以外の住民に新たな混乱をもたらし、その上社会機能自体を麻痺させ、 世界までも混乱に陥れて、実現は非現実的、不可能そのものである。

 逆に台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史そのものを肯定するとなると、真の領有の正統性は台湾の先住民にのみ所属し、先住民以外の誰の領有物でもなかったゆえに、オランダ以下のそれぞれの領有(支配)と統治に
仮の正統性を与えて、そのような正統性の変遷の上に現況――現在の台湾――を俯瞰する必要が生じる。

 もしオランダの
領有(支配)と統治の仮定的正統性を否定するなら、明の旧臣鄭氏三代、清国、日本、さらに、国民党政府の領有(支配)と統治の、同じく仮定的正統性をも否定して、さらに進んで、中国が台湾を領有することになったとしても、その正統性をも仮定的としなければならず、最終的には台湾先住民の領有に回帰させなければならないという堂々巡りを犯すこととなり、肯定という前提そのものが崩れる。

 台湾が当初から中国の領土であったなら、このような面倒な詮索は不必要なのだが、今となっては歴史の推移を受入れ、オランダ以下のそれぞれの領有(支配)と統治に仮の正統性を与えて、台湾に於ける領有(支配)と統治に関する歴史の全体そのものを肯定するしか道はないのである。

  当然、
現在の台湾の領有(支配)と統治は、現在の台湾国民と彼らが選択した政権の管轄にあり、そこに仮の正統性を与えなければならなくなる。

 いわば、そもそもからして台湾は中国の領土ではなかったばかりか、中国に於ける正統政府であった清国が1683年から212年間、台湾を領有(支配)・統治する仮定的正統性を確保していたが、その仮定的正統性は日本によって奪われたのである。

 さらにそのような正統性は国民党政府の後継たる現政権と台湾国民によって受け継がれ、その領有(支配)と統治は彼らに帰属することとなった。

 厳密に言うなら、現在の台湾に関しては、中国は中国から出ることなく一つを形成し、台湾がそれ自体で一つを形成しているのである。それが現在までの歴史の帰趨であり、現在までの歴史の厳然たる事実なのである。

 それを、中国は台湾は中国の領土だという。中国の領土とするには、現在台湾に帰属する仮定的正統性を譲渡させるか、奪うかして、中国の所有とするしかない。

 具体的に言うなら、交渉によって現在の台湾の住民とその政府の許可を受けるか、許可を受けることができなければ、過去の台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史的性格に則って、武力で侵攻し、領有(支配)と統治の権利を確立することで台湾の現在の仮定的正統性を打ち砕き、自らの獲得物とするか、二つのうち一つしか道はない。

 しかし、現在の台湾に於ける領有(支配)と統治の正統性が、それが仮定的なものであっても、現在の台湾政府と台湾国民に所属する以上、話し合い・武力、いずれの方法によっても、その領有(支配)と統治の権利を中国に委譲するとは思えない。特に中国の言う
「非平和的な方式」(=武力)による台湾に於ける領有(支配)と統治の確立は、かつてのサダムイラクがクウェートに武力侵攻したように、国際社会の承認を得るどころか、反撥を招き、武力に対抗するに武力によって侵略を打ち砕かれることになる。

 
世界はグローバル化が進んでいる。グローバル化とは、市場経済と民主主義を柱とした国家の存在形式に、それぞれが独立国家でありながら、国境を超え、国を超えて、国際的な相互性を持たせることを言う。

 現在の台湾に於いても、 独立した国家の体裁のもと、その存在形成に既に十分に国際的な相互性を持たせているのである。

 独立国家としての体裁を既に備え、なおかつグローバル化に応じた国際的な相互性を十分に備えた台湾が、国民の意思として独立を望むなら、と言うよりも、独立国家としての扱いを世界に求めるなら、中国領土とするといった仮定的正統性の新たなページをめくるまでもなく、台湾領有の正統性を、仮定的であることの条件を外して、真正なものと認知して、独立国家として国際社会に迎えることをしてもいいのではないのか。

 
中国がそれに反対するとしたなら、中国が経済活動に関してはグローバル化を果たしていたとしても、民主主義に関しては未だグローバル化を果たしていないことによる、国家存在の国際的相互性に無理解であることと、台湾が元々中国の領土ではなかったという歴史的事実を認めない誤魔化しを働かせているからだろう。