里山仕事・しょんた塾

しょんただより Vol.25



猛暑があっさりと遠のいて秋色。太陽をむさぼって休耕田と土手をぎっしりと覆っていたヨシ、ススキもさすがに成長を止め、地上部の養分を花穂と地下茎に移し始めました。目ざとい篤農家は茶畑の敷き草の支度にかかっています。

もくじ

■ 流されてしょんたにご無沙汰
■ 笹間上に新たなフィールド?
■ 大井川の20世紀を生き終えて


■ 流されてしょんたにご無沙汰 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

7月8日、空模様怪しく草刈り(刈払機実習)も適度に切り上げて引き上げ。8月12日は前夜から朝までの雨で山はビショビショ。降雨再開の兆しもあり紙に「中止」と書いて現地に貼る。問合せもなく、会員はしょんた塾の塾是たる「日和見主義」を能く理解していることが証明された。9月9日、朝から「金谷町町民体育大会は中止」の放送、台風16号が小笠原・八丈島方面から近づいて来ていてやはり中止。という調子で、しょんたにはすっかりご無沙汰。それで済まして恬淡としているしょんた塾もまたよいではないか、カラカラ(笑い)。でもいちおう今後の日程は再掲しときましょう。次項の記事の関連もあって少々変更の可能性も?

 

10月14日 草刈り、田起こし、意地レンゲの播種 ?

11月11日 諏訪原城址間伐第2弾 「小つち」だけど間伐ならいいか ?

12月 9日 資材置場下の孟宗竹林皆伐作戦 ?

 1月13日 草刈り、林床の手入れ

 2月10日 間伐応援 ?

 3月10日 間伐応援 ?

 3月31日 第5回定例惣寄合


■ 笹間上に新たなフィールド? ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

県庁森づくり室が紹介・斡旋するフィールドバンク、つまり「森づくり作業候補地」に、増田肝煎が「発作的」に申込み、スタートしかかっています。肝煎寄合では法人・組織としての関り方こそ研究中ですが、支援を惜しまない方向を確認。植栽樹種の選定・植え付けの地拵えから実際に自分の手で手がけられるまたとない機会。しょんた塾に限定しないでもっと輪を広げられる仕立てを追求しようとしています。

どんな風にやれば関るひとびとが愉しみ、のちのちまで成長を楽しみにできる山づくりができるか?しょんた塾内外の知恵を募集し始めるところ。追ってもう一歩話を進めたところで詳しい紹介をいたします。

 


■ 大井川の20世紀を生き終えて ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

テッポーちゅうだよ。本流じゃぁ、筏ぁ組んで島田まで流してきただけぇが、支流やそのまた支流ったら奥の方は水嵩も少ね。したっけが丸太で堰をこさえるだよ。何丈って高さに木堰を組み上げ、丸太をいっぱいに浮かべておいて貯まった水量と一緒に一気に流しだす。これがテッポーさぇぇ。鉄砲流しとも言うべさ。コトバぁ「鉄砲水」っから来たんだろ。

管流し(くだながし)つって1本1本の丸太をばらばらに流して下流で一本一本拾い上げるのの一種じゃが、流す丸太を傷めないで、本流との出合までひといきにもってかせにゃぁなんね。なにせ割れだの折れだの入れちまった日にゃあがったりだけんな。途中の河道の様子、溜める水量、流す丸太の本数なんぞと恐ろしいくらいの経験が必要だに。しかも、おんなしところに堰を作るだなんてこたぁ、まずねぇ。伐りだす山はどんどん移って、たいがいが新しい沢で新しくテッポーをやわえるこんだ。堰は丸太と藤ヅルで組み上げる。ずんずんと高くしていって、水の圧力と堰が耐えるたわみが最大に張りあったとき。ここで堰の底の要(かなめ)丸太を一本、カーンと引き抜く。おそろしい勢いで堰がバラバラになり、河道を埋め尽くして文字通り堰を切り雪崩を打って木と水が押し流されていく。

堰の木組みを組み付け、最後に要の丸太を引き抜く道具が鳶っつうモンだだよ。猿「マシラ」のごとく駆け上がって逃げなきゃ一緒に流されて命が無い。スローモーションでやれば、丸太組みが底から順に崩れていく一瞬手前で丸太に打ち込み、体(たい)を預けて飛び上がってくる。そのための道具が鳶。

一遍に崩れないような木組みだったら笑いモンで、早く崩れる堰組み、一挙に崩れるところをタタッと上がってくる、これが意気で、粋ってものだな。命を預ける道具っつうモノはそんなに沢山あるもんではねぇ。人切包丁は別にして野良と山の仕事の道具はいろいろあるけぇが、命を預ける現場で実際自分のからだを預ける刃物は鳶口くらいのものだと思うぜぇ。打ってて誇りにする道具を名指しで誂えに来てくれるのは嬉しいこんだ。

鳶口が刃物かって?出初めで梯子を支える、花のお江戸の火消し衆の道具と思われてるかもしれねぇな。火消し衆も、もとはといえば深川の木場の木遣衆だから根っこはおんなじこんだ。したっけが俺ぁが打つ道具は、木場の筏に組まれる前のいっちばん危ねぇ山と川の上流で使われるもんだから多少形も違う。そこに俺ちがした工夫もあったから喜んで使ってくれたかもしれねえ。もっとも、山衆川衆のああしろ、こうしろっちゅう注文に応えてたらだんだんとカタチに落ち着いていっただけぇだがな。

一振りでカンッと食い込み、木口だろうが幹肌だろうがかっちりと捉えて引く力を鳶先が食い込む力に変え、木肌の組織を捲ってしまったり、割ってしまったりしちゃあなんねぇ。要するに抜けちゃいかんわけよ。鳶先に預けて体重を支えるときに食い込み続けてくれなきゃ落ちるしかないって訳だ。いっつも研いで刃先を良く食い込むようにしとかんと、余分な力を振るわなけりゃいかんくなる。だから、切れ味がおちないようにっちゅうのと、研ぎやすいようにというのは本来は矛盾するだけぇが注文と仕事の中身をよっく聞いてひとーり、ひとりに誂えたモンさえぇ。

川仕事の多い衆はよぉく使い込むだから、研ぎ減らして盛りつけを頼みに来たモンだ。アンタが拾ってきたっちゅうその鳶も、そうやって何度か刃先につぎ足しをしてやったもののひとつに違いない。雑な仕事をしたつもりはねえが、みぃーんな忙しいさなかに立ち寄って、出来上がりを待ってキセルを吹かしてたもんだ。だから見かけの仕上にゃぁ多少手も抜いたな。盛り沸し跡がそんなに目立つなぁオラもちっとばかり恥ずかしい。

そーだ、他のところのもンと比べると、少し鳶先の下向きの曲がりが少ないのが特徴かもしれね。太い玉の重量のあるのを斜面や川流しで扱うときは、打ち込み食い込みやすさと同時に「抜けやすさ」も使い勝手のひとつ。急斜面・急流では、丸太のおっきい質量・早い運動量が鳶口を食い込ませてる人間をそのまま持ってっちまう。素早く「抜け」ないと危険が大きい。食い込ませて体重を掛けることより、丸太に正確に方向づけと動きの勢いをつけてやったら、あとは材料の自重と慣性の法則に任せる。素早く鳶を抜いて自分が引っ張り込まれないようにすることが大事だ。テッポーがまさにそれだな。

火床を落としてもう十何年にもなる。鳶口を使う衆がひとっころからすれば比べられんほど減った。久しく川には水も木も流れん。目の前を流れる向谷(むくや)用水のように、みぃーんな本流から取られちまうそうだな。始めは鉄道に切り替わって、次にトラックに替って川仕事の衆がいなくなり、そのうち外材に押されて、木を伐らなくなり、山の衆が減って、わしの仕事も終わった。

この頃でも、ときどき川根から来た、井川から来たと言って年寄が直しやらを頼みに来る。とっくに直しは他に頼むようになっとるし、自分が打ったモンは売り切れて、土佐から仕入れたのを俺が打ったんじゃあないよと断って売るしかない。たまたまあんたが奥から引っ張りだしてきたのは確かにおらが打った在庫だが、はて何年ぶりだろうて。どぉれ、柄をすげてやろかしん。

 

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9月はじめ、炭竃つくりをしている会員から薪割り用のヨキを売っているところはないか、と話があって心あたりを歩きました。島田のシマサク商会さんに寄って物色していると、タナの下に古い鳶口のアタマが転がっているのが目についた。手に取ってみると丸に十字のマークの刻印がくっきりと浮かんでいる。かなり錆びてて柄をすげる円筒部分がゆがんでるし、とても商品には見えない。ちょうどシマサクさんの社長が通りかかったので「これ売りモンですか?」と聞くと、手に取って眺めた揚げ句あっさりと「鍛冶屋に直させんと使い物にならんし、欲しけりゃタダで上げるよ。持ってきな」。念のためにマークを見せて「丸十さんのもんだと思うけど何故ここに?」「誰かが新しいのをウチに買いに来て、いらんからと置いてったか忘れてったかだろうな」「時代モンで記念にはなるわな」と丸十さんをご存知の上でのお言葉。タダでは気が引けてチルホール用のお多福(滑車、\4,500)を購入。

丸十(「まるじゅう」と読む)さんは、大井川筋のあらゆる杣人、川流しの関係者に知られた鳶口の鍛冶屋さん。井川の最上流まで丸十で誂えた鳶口を持ってなけりゃ一人前の木遣とみなされない、くらいのブランドだったようです。3年ほど前、一杯飲んで件のテッポーのハナシを披露していると「その鳶口が欲しいんですっ。すぐにも案内してくださいッ」うら若き乙女にハッシとばかりに詰め寄られ、訳を聞いたところで丸十さんの鳶の評判を教わったのでした。

さて、シマサクさんにダルマのヨキはないし、在庫があるうちは店を開けとくよと言ってたからヨキもあるかもしれん、幸運にも「幻の鳶口」を入手したことでもあり、丸十さんのおじいさん本人にも見てもらお、と極く近くでもあるので出かけました。店を開けてくれたお嫁さんから、昨年おじいさんが鬼籍に入られたことをお聞きしました。米寿を全うされたそうです。

20世紀の最後の年、大井川流域の林業職人たちが命を託した鳶口鍛冶が逝きました。ありがとうございました。どうぞ、ごゆっくりと、お休みください。


編集 特定非営利活動法人 里山仕事・しょんた塾

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