マスクメロンのルーツはここ

 明治時代に入り、勧業寮などの官吏によって他の多くの新作物・野菜などと一緒にメロンと呼ばれる西洋系の果物がイギリスやフランスから導入される様になりました。

これに続いて露地メロンも日本に入ってきましたが、その中でも福羽逸人(下かこみ記事参照)氏の試作、栽培技術の工夫・改良の努力は特記するものがあります。その後、大正の初期から民間でも栽培が始まりました。

 さて、マスクメロン(品種名=アールス・フェボリット)の産地はイギリスで、「アールス・フェボリット」の名は、ラドナー伯爵( EARL of RADONOR)邸の農園長であったH・ワードが温室メロンとして作出した品種で、彼は主人のラドナー伯爵が日頃このメロンをもっとも愛好したので、自分の名をいっさい出さず、「アール=伯爵、フェボリット=愛好物」つまり伯爵の愛好したメロンと言う名称にしたという。これは彼の謙虚さを物語るもので誠におくゆかしい話であります。   



    マスクメロンの産みの親ラドナー伯爵とその邸宅   


そのラドナー邸で育成され、同じイギリスの種苗会社カーター商会から発表されたのが明治29年

現在、一般的になってきました網目メロン、その逸品「アールス・フェボリット」は、その 30年ほど後大正14年(1925)に日本に渡ってきています。

 温室メロンはマスク(芳香をもつの意味)メロンとも呼ばれ、高級果物として高度な技術で栽培され高級青果の女王として、果物界に君臨するに至りました

また、露地メロンはマクワウリともかけ合わせて、日本の風土や日本人好みに合わせて改良し、現在のような大きさ、形、色、食味などの違う、さまざまな網目(ネット)メロンやネットなしメロンが作り出されたのです。

また、本来的には雨を嫌うメロンですが、ビニールハウスやトンネルなど、資材や栽培技術の向上によって、美味しいメロンが年中食べられるようになりました。

福羽逸人のこと  福羽逸人(1856〜1921、子爵、農学博士)は島根県の出身で16才のときに、内藤新宿試験場の実習生となりました。農事修学所勤務を経て、明治12年、新宿植物御苑の発足と同時に雇となり、退官するまで新宿御苑のために力を尽くしました。明治31年には「福羽苺」を作り出す等、温室、フレームを用いた野菜、花卉(かき)の栽培・研究の先験者・指導者として優れた実績を残しました