二俣まつりの歴史
『壬生の郷 二俣まつり(平成4年発行)』より抜粋

二俣諏訪神社の御祭神
神社名 諏訪神社
鎮座地 浜松市(旧天竜市)二俣町二俣 町裏1111番地
祭神 建御名方命
合祀祭神 天照大神 建御名方命 伊那岐命
猿田彦命 須佐之男命 軽津主命

二俣まつりのはじまり
二俣まつりのはじまりはいつの時代かはっきりしていない。明治19年に県に出された旧祭式再興願い
(明神再興の願い)の中には「口伝では天和元年(1681年)に神輿渡御が始まったと伝えられている。」
とあり事実ならかなり昔からのものであるが、若連が組織され余興としての祭典が始まったのはおそらく
江戸後期からで二俣河原で花火を上げたり船屋台を浮かべたり素人芝居を上げたりしたのが最初のようだ。

屋台の登場
二俣まつりに屋台が登場したのもはっきりした年代は明らかになっていないが古文書(田光甚八附込日記)
の慶応元年(1865年)9月1日の記事に「天気よし新町屋台、横町土居まで来る雨降り出す。」との記述が
ありこのとき既に屋台があったことを裏付けている。また口伝では江戸大角力雲竜一行が栄林寺で巡業した
年かそれに近い年とされている。巡業の年は元治元年(1864年)だから、慶応元年より前から屋台が曳かれ
ていたことは確かである。

まつりの発展
明治初年頃の祭礼は帽山、古城、南嶺の三若連があって、今の横町、諏訪町、神明町は古城連に、
吾妻町、西古町は南嶺連に含まれていた。それで祭礼にはこの三若連が回り番で毎年一若連が仮小屋
をかけて素人芝居をやりその頃「二俣の祭り芝居」といえば近郷近在に鳴り響き見物人で賑わったものだという。
明治の中頃になって、町の発展に連れ叉水連、諏訪連、二府連、吾妻連、西古連、が独立して屋台を造り、大正
4年11月15日の御大典奉祝祭から旭連、白糸連が参加し、また、昭和24年から30年にかけて、笹若連、
白山連、城下連、城南連が加わり現在の14連が出揃うわけである。
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