手話歌についてライン

 昭和50年代からか、手話歌(コーラス)が流行した時期があった。

 歌に手話を乗せて、歌を手話で表そうというものだ。これはかなり健聴者に大好評で、リズムに乗って手話の単語を表す。その単語を覚えさえすれば簡単。分かりやすい。見栄えもよい。どの手話サークルでも手話歌をやっていた。

 しかし、それを一緒にやらされるろうあ者、それを見るろうあ者はどうだったのだろうか。

 健聴者がわざわざ手話を覚えようとしているんだから、合わせなければならない。

 本当は嫌だけど、健聴者が楽しそうにしているから、そういう雰囲気を壊したくない。

 何やってるのかよく分からないけど、一生懸命やっているから見てあげないと。

 本当は興味ないけど、そうしたら仲間はずれにされそうなので黙っている。

 手話歌が流行していた時期は、ろうあ者はじっとそれが過ぎ去るのを待っていた。「健聴者のために」という、自分の要求とは裏腹に、ぐっと我慢していた。ろうあ者たちの人生は、我慢の連続だったから、手話歌もじっと我慢していた。

 昭和から平成に入り、あれほど流行していた手話歌は見かけなくなった。我慢しきれなくなって「手話歌をやめろ」と爆発したろうあ者。「本当にろうあ者たちは楽しんでいるのだろうか」と疑問を持ち、手話歌を止めた健聴者たち。やっと「手話歌は健聴者だけが楽しむもの」ということに、「手話はだれのためなのか」ということに気づき、手話歌はなくなっていった。

 「手話歌」、もうこの言葉は過去のものとなってしまったような感がする。「歌を手話でやりたい」と言われたら、怪訝そうな顔をする。

 手話啓蒙の一つに、手話歌がある、という意見もあるだろうが、どうしてそういう手段でしか選べないのだろうか。歌じゃなくても他に方法はあるはずなのに、どうして手軽な手話歌を選ぶのだろうか。見栄えが良いから?とっつきやすいから?簡単だから?

 私は、そういう理由で手話歌を選ぶのが一番嫌いだ。

 今は「手話歌が良いか悪いか」ということで議論する時代ではない。「良い悪い」という次元の話し合いではないのだから。

「手話歌をやるのなら、もっと他にやるべきことがあるのではないか?」

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