千古の昔、孝謙天皇眼病の砌、油山寺の薬師如来に祈願をかけられ滝の水を加持祈祷し、その霊水にて洗眼され、眼病全快された所以の滝であります。薬師如来にちなんでるりの滝と呼ばれ、祠には、波切不動明王がおまつりされております。
 わが国へ初めてお茶を伝来した栄西禅師は山門北西の高台におまつりしてあります。
 禅師は建久2年(1191年)中国よりお茶の種3粒を持ち帰り、九州博多と背振山、栂尾山の明恵上人に送られ、それぞれお茶の起源となりました。
 静岡県はお茶の産地である為、禅師の功績をたたえ、茶業の繁栄を祈り喫茶養生記と茶の種を携えたお像は高さ三十三尺の大尊像であります。
 建久元年(1190年)京都今熊野より勧請された観世音菩薩をおまつりしてあります。古来より、諸難退散、厄除に特にご利益があるとして広く信仰を集めております。
 油山寺公園の中、放生池の中心にお奉りされ、毎日元気に遊ぶ子供達の姿を見守っておられます。闇から闇あるいは不慮の事故、思わぬ病等で自らが死んだと言う事を理解できない幼い子供達を極楽へと導いてくださる慈悲深いお地蔵様です。
 この六角堂は油山寺とご縁故の佐藤祐豪先生、靄子ご夫妻により寄進されたものです。ご夫妻はわが国書道界の重鎮としてご活躍されておりました。安置されるところの十一面観世音菩薩は日展審査員同理事の佐藤助雄先生の手によるものです。六角堂は宮大工河原崎八栄氏によるものです。
 
 わが国近世書道界の第一人者にして、日本芸術院会員故川村驥山先生は油山寺の山内に生まれ当山墓所に永眠されております。
 13歳にして明治天皇の御前にて孝経を書かれ、神童と呼ばれました。長じては狂草の三聖とうたわれました。この驥山門には先生の書「遺教経」(お釈迦様が御入滅の折、多くの弟子、信者に最後のお説教をなされたもの)を刻み、この尊い正法が転変限りなき現代社会に広く普及され、世界平和と人類福祉の光明として永遠に輝きつづけるように建立されたものです。
 三方原開拓の祖、気賀林大人宅の元正門で大人の徳をたたえ、子孫である気賀祥太郎氏のご寄進と十方信者の協力により当山に移築、修理されたものであります。棟上の双龍と十六大菩薩は陶芸家大橋貞華先生の傑作であります。
 本坊正面の仏殿です。本尊は智証大師御作と伝えられる不動明王であり、その東西に高祖弘法大師をはじめ山内に安置するところの諸天善神の御本地をおまつりし、十方信徒の祈祷、大護摩供秘法修法の道場、あるいは御法話、阿字観(座禅)等の宗教儀式に用いられ、外陣の格天井には日本画の名匠中村華告謳カの傑作「四季花鳥」がおさめられております。
建造物 宝生殿礼拝門驥山門六角堂、、観音堂、稲荷社、滝堂、金龍弁財天
その他 川村驥山先生生誕之碑、西国三十三観音霊場、水子地蔵尊茶祖栄西禅師像、四国八十八ヶ所御霊地、るりの滝、るりの珠、虎ふの松、、村松梢風文学碑、松島十湖翁句碑、月鼠句碑、日限地蔵尊、弘法大師銅像、紅葉、心の体験修行、法話拝観、大念珠大祭