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さった峠は由比町の西端、興津との境をなし全長約2K海抜100mくらいの峠です。東海道五十三次でも通行の難所として知られた。
「由比町史」によると中世に桜野、さった山合戦とあり、「このも合戦は足利氏とその弟直義との兄弟喧嘩である。由比の郷を中心として西はさった山から寺尾の秋葉山、西山寺上の立田峠、大平山と桜野を結ぶ所謂浜石連山での三里に及ぶ山岳合戦ではあったが・・・」と記述され古代戦場の舞台にもなった。
また、一方では万葉の歌人山部赤人が詠んだ「田子の浦ゆうちい出でてみれば真白にぞ不尽の高嶺に雪はふりける」という有名な詩は、当時としては今の田子の浦がここさった峠、興津周辺も含んでいたのではないかということが明治の文豪高山樗牛の「清美潟日記」の一文にあり、山部赤人もここさった峠に立ち寄ったのかもしれません。
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