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物理部の歴史 1999年版 物理班冊子
1988・昭和63年〜1999・平成11年の歴史詳細
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物理部の歴史詳細報告1999年版
電気計算機班
物理実験室には1994年2月頃までは卓上電子計算機が存在していたNHKスペシャルの「電子立国日本の自叙伝」で扱われた昭和40年代の東芝などの卓上電子計算機であるその計算機には“電子計算機班”と書いてあった。誰かの悪戯書きの可能性もあり、「マイコン班の一派1ではないか!?」という説がある。“Ah!SKYvol8”にマイコン班のことを“微小電子計算機班”と称しているのが発見されている。この卓上電子計算機は後に“ばんぺいくんRー28号SUPER2”の部品となるためにこの世を去った。
1マイコン班は無線班から派生した班なので関係ありません。もどる
2ばんぺいくんR‐28号SUPER……電子卓上計算機分解参照。
滑空班
朝4時に学校に集まり、ラジコンヘリを使って富士高の航空写真を撮ったりした。しかし、職員住宅に住んでいる先生方から苦情が相次ぎ、職員会議で取り上げられる寸前までいった。ところがラジコンヘリが飛行中に墜落し自動車に轢かれ活動が衰退し後にロケット班に吸収されたようだ。
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古き良き時代
物理部顧問水野先生の元で、物理部が活性化した時代。
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生物物理班
植物と光の関係を調べたりMgを除いた状態でほうれん草を育て、クロロフィルを調べたりした。LlFESClENCE(生命科学)がテ一マであった。
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ロケット班
火薬ロケットによる研究が主だったが、火薬使用が難しくなってから、水ロケットや神飛行機の研究を行っていたようだ。数々の歴史を残した素晴らしい班。現在休班中。
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真理
物理部が繁栄していたときに発行された部誌。論文や、活動内容が載せてある。初期の真理は、生物物理班の論文が中心。
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静岡県理科研究発表会
理科系の部活のとりあえずの目標。ちょうどテスト期間中に重なることが多い。これに出ないとなんとなく肩身の狭い思いをする。
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オーディオ班
高性能アンテナで、他県のFM放送を受信したりしたようだ“十年一日賞”という(よく分からない)賞をもらっていたようだ
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Ah!SKY
マイコン班が、毎年、富嶽祭時に発行及び配布している冊子。本来は、コンピューターについてのエッセイや、プログラム、ハードの作成、MSX、ファミコンの裏話、マイコン班用語(用誤)集等を載せている。一時、ゲ一ムの攻略法が載っていたことがあった。文藝心中をまねて、小説を載せていた時期もある。しかし、専門的(ヲタク3)すぎて一般の生徒には理解しにくい。
3ヲタク……何をとち狂ったのか、自分たちの趣味を素晴らしいと勘違いしている人達の総称。類似品に、マニア、フェチ等が存在する。もどる
物理部暗黒時代
物理部の活動がほとんど行われなかった時代。多くの班が姿を消していった。しかし、マイコン班を中心に細々と活動が行われた。
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火薬製造会社の倒産
これによって、ロケットの推進剤として使用していた市販の火薬“ロケッティー”が使用できなくなり、推進剤を自作しなければならなくなった。しかし、これをきっかけに露血吐班が再活性化することになる。
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自作火薬ロケツト垂直上昇
富士高式黒色火薬{晶石(酸化剤)70%炭素(燃料)20%硫黄(触媒)10%}を使用したロケット“TNB‐4”が垂直上昇した。
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文藝心中
ロケット班の活動記録、論文、小説、詩、歌、等が載った小冊子。実におもしろかったらしい。現存しない。
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8・27事件(物理実験室水浸し事件)
露血吐班員O氏が、金魚(富嶽祭で生物部からもらったもの)の水を替えようとしたが、断水のため水が出ず、蛇口を開けたまま帰ってしまった。そして、29日(月曜日)になって、物理実験室が水浸しになっていたという事件。今でも、椅子や机の足の床から5cm位のところまでシミが残っている。またこの時、先生方に梨を配りお詫びしたことから“梨を配る4”という素晴らしい言葉が生まれた。
4梨を配る……名言集参照。もどる
音波研究帰人会誕生
M先生が天文班から有能な班員を強奪(誘拐)して創設された、糸電話の研究を中心とした女性だけの班。物理班の母である。研究結果はとても良かった。
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Compsite
過塩素酸アンモニウム70%ちょっとに、不飽和ポリエステル樹脂、諸々を混ぜた推進剤。T氏が探し出してきた究極の推進剤。浪決徒班を発展以上に破滅に導いた恐怖の推進剤でもある。
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過塩素酸アンモニウム消失事件
Compsiteの原料である過塩素酸アンモニウムが、棚の上から姿を消した事件。そのため法の網をくぐって再び過塩素酸アンモニウムを入手することとなる。しかし、後日1990年6月中旬にひょっこりと棚の上に姿を現した。物理部七不思議+αの1つ。
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4・7の変(水本氏爆傷事件)
浪決徒班員のM氏が、熱をもつロケットエンジンに、ペットボトルの中に入っていた黒色火薬をふりかけた。火は黒色火薬を伝わって、左手に持つペットボトルの中の黒色火薬に引火し、大爆発を起こしたという事件。M氏は大火傷をして病院に運ばれた。廃班は免れたと書いてあるが、M氏の「その後」は書いてなかった。
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「大島渚賞」受賞
浪決徒班が富嶽祭で流した公開実験ビデオを編集して、旧けんみんテレビ(現静岡朝日テレビ)のコンテストに出したところ、「アットホーム賞」を受賞。そしてどういうわけか、そのビデオがテレビ朝日にも送られ、「大島渚賞」を受賞した出来事。この時、賞金30万円と、副賞として、ハンディーカメラ、ビデオテロッパーを貰った。それにより、けんみんテレビの取材を受けることとなる。
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「朝です!しずおか」の取材
公にされるとやばいことがあり、心から喜んだ者はいなかった。また、そのときのリポータ一の態度の悪さから、“けんみんテレビ爆○計画”が検討された。
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市販ゲーム(PLAY)禁止令
マイコン班があまりにも市販ゲ一ムで遊びすぎたために、活動中に市販ソフトで遊ぶことを禁止した法令。破ると廃班になるという恐ろしい法令、のはずである。しかし、自作ゲ一ム、及び同人ソフト(非市販)は可。
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謎の○射性物質で被爆
物理班員のK氏が、富嶽祭に展示してあった“○射性物質”と書かれたシャーレのなかの“石”を手にしてしまった、という事件。この時、この行為がどんなに恐ろしいことか分からなかった。しかし、そのころから彼の友人は「髪の毛が薄いね」といっていた。
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富嶽祭公開実験大爆発事件
富嶽祭の公開実験で、火薬がエンジンをセットした水槽のガラスを割るほどの大爆発を起こした事件。ガラスの破片の一部が天井に突き刺さるほどのものだったので、観客に怪我人がいなかったのが不思議なくらいだった。しかし、これによって火薬の使用が難しくなる。浪決徒班の衰退の原因となった事件でもある。
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部室所有権闘争
本来、部室長屋(今は亡き0棟校舎)の部室は無線班に所有権があるのだが、無線班の班員が減少したため、各班が部室の所有権をめぐって、様々な思惑が飛び交った事件。結局、新しい無線班員が入りいままで道りとなった。
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金魚の全滅
8・27事件にも出てきた金魚。また、物理班の液体窒素の冷凍実験に使われそうになったこともあった。しかし、夏休みになり、誰も水槽の水を替えに来なかった為、水が腐って金魚は死んでしまった。体は溶けて目玉が飛び出すなどの悲惨な最後だった。
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顧問I先生、謎の○射性物質の存在を知る
物理班のS氏がI先生と簡易○射線測定器を使って謎の○射性物質の○射能を測定していた。簡易○射線測定器は購入したばかりだった。S氏は、何か測定できるものということで、謎の○射性物質を引っ張りだしてきた。簡易○射線測定器には測定レベルがHighとLowがあったが、その○射性物質はHighでも針が振り切れるほど物凄いものであり、I先生はこのような○射性物質が無造作に引出しのなかに入っていたのを知って驚いていた。第一、この時この○射性物質の存在を知っていた人間は、富士高で5人ほどしかいなかった。K氏はこの時から○の恐怖におびえることとなる。
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マイコン班富国強兵政策失敗
マイコン班が領土奪回のためにロボットの制作を思い立ったが、難しすぎて結局計画を断念した事件。再び活動不振に陥り、領土奪回どころか領士を失う羽目になる。
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マイコン班、国土回復運動(レコンキスタ)
マイコン班の新入班員にハードウェアを持ってきてもらい、それを並べることで国土を奪回する計画。前提条件として新入班員にそれなりの数が必要だったのだが、9人という稀にみる人数が入班し、計画は成功している。
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“写るんですフラッシユ”分解・感電事件
写るんですフラッシュを元マイコン班のS氏とK氏で分解している最中、K氏が感電した事件。しかし、電気を出きるかぎり抜いておいたので、“ビリッ”と痺れる程度ですんだ。だが、電流が微量だとはいえ、数万ボルトの電圧があるので、真似をしようなどという愚かなことは考えないように。
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秋山事件
流星観測の第一人者A氏は、新入生が大量に(30名ほど)入班したので、「やる気のある新入生だけ入班していただきたい」という話をした。すると次の日、新入生が大量に辞めてしまったという事件。結果的に、7〜8名になってしまつた。
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YCM事件
無線班のK氏(当時無免許)等が、144MHzのメインチャンネル5で「YCM、YCM」等とイタズラ電波を出した。その時、それに腹を立てたハム(無線家)がいて、コールサイン6ブックという本でJA2YCM(富士高物理部アマチュア無線クラブ)を捜し出し、富士高の電話番号を調べ上げ、事務室に電話を入れ、顧問のI先生が謝罪したという事件。
5メインチヤンネル……友人のハムを呼び出したり、CQ(不特定の相手と交信するときに使う通信用語。)を出したりするときの、公共の大切な周波数(ちなみに145.00MHz)。もどる
6コールサイン…無線局の呼び出し番号。
めだか事件
超伝導の実験で余った液体窒素のなかに、生物部から借りたメダカを入れ、瞬間冷凍したのち、解凍して蘇生させる実験をしたところ、メダカが死んでしまった事件。この事件を闇に葬り去るのに苦労した。
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天文班事件
富嶽祭終了後、新入班員や二年生班員が大量に辞めてしまった事件。特に新入班員は、幽霊班員2名を残して、皆辞めてしまった。
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浪決徒班、火薬使用を断念
富嶽祭大爆発事件より火薬使用について様々な話し合いが行われ、やはり、危険物取扱免許を誰も持っていないなどの点を指摘され、火薬使用を断念することになった。
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全国高校生クイズ選手権地区予選ベスト4
浪決徒班のM氏他2名等が富士高始まって以来、全国高校生クイズ選手権で優秀な成績を収めた。
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アセンブリー金魚事件
アセンブリー7で物理班が液体窒素で金魚を凍らせたあと、蘇生する予定の金魚を前に座っていた一年生(当時)の女子に配ったところ、全部蘇生できず、アンケートで入りたくない部活の1位が物理班になったという事件。
7アセンブリー……4月の最初に行われる新入生に対する部活紹介イベントもどる
マイコン班、第二次国土回復運動
新入班員の獲得のために、マイコン班がアセンブリーに出た結果、10人以上の新入班員を得ることができ、その数をもって、領土の拡大を画策した事件。
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ALL JAコンテスト
無線班が毎年位4月28日〜29日にかけて参加する大会。
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Foxハンティング大会
無線班が毎回出展し、自作の部では上位入賞している。
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物理班、浪決徒班より水ロケットの研究を受け継ぐ
当時の浪決徒班班長M氏が水ロケットから紙飛行機へ活動方針を変更したため、水ロケットの技術及び機材一式を物理班がいただいた。これによって浪決徒班の活動は後戻りができなくなり、破滅への道を歩んでいくことになる。物理班では、いまだに水ロケットの研究を行っている。
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天文班合宿「ジヤージで来い!」と騙される
天文班の伝統の入班儀式。毎年多くの新入班員が騙される。一時期消滅していたが、めでたく復活した。
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再生紙による紙飛行機大会
浪決徒班が毎年入賞していた大会。浪決徒班はこの大会でシティアのトイレットペーパーを貰っている。一時期物理班も出ていた。
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物理班、金魚の放流
物理班と何かと縁のある金魚であるが、副顧問M先生の「邪魔だから捨てなさい。」の一言で起きた事件。中庭の池8に放流した。
8校舎改築に伴い、消滅している。もどる
大後悔時代
大航海時代ともいう。物理班とマイコン班が、新天地を求めて旅立った時期。物理班は物理準備室を占領し、マイコン班は電算機室で本格的な活動を始めた。
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マイコン班、東インド会社設立・墾田永年私財法施行
創設されたばかりの電算機室をマイコン班が発見。活動予定表を提出することで先生方の許可を得、電算機室の所有権を手に入れた。
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六波羅探題の設置
理数科課題研究の報告書作成のために、当時理数科ばかりだったマイコン班の二年生(掛け持ちは除く)は活動を行えず、さらに電算機室を理数科の人達に占拠されたため、物理班と混じって準備室でダベる9のみであった。西方を監視するこの地を、六波羅探題と呼ぶ。
9ダベる……何をするでもなく、ただ徒然なるままにしゃべること。もどる
電子卓上計算機分解
物理室にあった電子卓上計算機が「ばんぺいくんR-28号SUPER10」の部品となるためにこの世を去った。
10ばんぺいくんR-28号SUPER……マイコン班の3号氏が作り上げた自動判断センサー付きのロボット。このばんぺいくんR-28号SUPERを作ることで始めて、峰村先生が3号氏の非凡さに気付いた。もどる
アセンブリー空振り事件
昨年の汚名を返上するべく、生き物を使わないアセンブリーを応援団のすぐ後にやったところ、アンケートで入りたい部活の1位となったが、4名しか入らなかった事件。
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天文班、新入班員のインフレ
天文班に恐ろしい数の新入班員が集まった。他の班では、「第二次秋山事件」を待ったが、結局起きずじまいであった。しかし、「第二次天文班事件」と言うべきか、その後どんどん抜けてしまった。が、他の班には班員は流れなかった。
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マイコン班、エクソダス計画発動
マイコン班が、実験室の領土のほとんどを物理班に譲渡し、主な活動場所を電算機室に移した事件。マイコン班は「退却ではなく、転進だ」と言い張っている。
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教室破壊工作
物理班が富嶽祭の展示で教室を破壊した事件。二つある。一つは、水ロケットで天井に穴を開けた事件。もう一つは、綿菓子製造機のアルコールランプを倒して火災を起こしかけた事件。
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物理班、奇跡の富嶽大賞受賞
富嶽祭で物理班が富嶽大賞に選ばれてしまったという快挙。一説によれば、「物理部物理班は用紙の一番最初に書いてあったため、何も考えずに○を付けたのでは?」とか、「教頭先生が物理班の説明を気に入っていた」とか言われている。
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班長争奪!?大じゃんけん大会
三年生からの引き継ぎの時期になったが、物理班には3名しか二年生がいなかった。そのうち1人は理数科であったため、課題研究で忙しくならないようにと副班長になった。そこで残った2人が、ジャンケンで7勝したら班長、という条件で、7勝6敗(戦闘回数13回)でM氏が五代目物理班班長となり、打ち上げを大いに盛り上げた事件。
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ペットボトル破裂事件
8月の徹夜実験は、1日目の12時から2日目の12時までという日程で行われた。水ロケットの発射実験をビデオに撮影中、老朽化が原因で、7気圧11まで内部の気圧を上げたペットボトルが破裂した。その時、旧2棟で夏期補講を受けていた三年生と職員が一斉に窓から顔を出した事件。
11正確には7kgw/cm2ではないかとする説もある。もどる
全市全群コンテスト
無線班が毎年10月9日〜10日にかけて参加する大会。94年の大会では、28MHzの部で1位に輝いた。
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物・浪・舞三国軍事同盟
天文班の圧倒的兵力に対し、残り3班は急遽トップ会談を開き、天文班に対し共同戦線を張る内容の条約を締結した。しかし、これといった対抗策が浮かばなかったため、散発的なゲリラ活動にとどまった。
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マイコン班三年生の理数科率が100%
当時、マイコン班の三年生には、普通科からただ1人、S(通称4号)氏が籍を置いていたため、理数科率100%は夢であった。しかし、4号氏は無線班とマイコン班とに二股をかけていたので、マイコン班からフラれ……除名され、卒業アルバムのマイコン班員は全員理数科であったという事件。当時の無線班には三年生がいない事になっていることだけが残された謎である。
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山崎賞
山崎自然科学教育振興会の行っている、顕彰事業。自然科学の教育や研究に顕著な実績をあげている学校や教員及び自然科学に関心を持ち、その研究に優れた成果をあげている児童や生徒を表彰し、今後一層自然科学の振興、充実を期したいと念願して実施している、らしい。ようするに、入賞すれば金がもらえる、理科の全国大会のようなもの。
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地震班
天文班が創設した、異色の班。そのなまえから、地学を研究していたものと推測される。この班が制作したらしい、周辺地形の立体模型が残されている。
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飯島二ューディール政策
顧問I先生が天文班の堕落を見るに見かねて強権を発動、天文班に入班を希望する生徒との面接を行うことにした。しかし、天文班は先に部登録のカードを書かせて先生に事後承諾させるという手段に出た。そのため、結局天文班は20人以上の一年生を得ている。
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5・26事件(物理実験準備室没収事件)
物理班が開拓した新天地「物理準備室」がM先生の「ここは本来生徒のいる場所じゃないんだよ。」の一言で没収された大事件。これにより、物理実験室を統一寸前だった天文班の領上が半分になり、物理4班の領士戦争記、通称“四国志”は急展開を見せることになる。
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浪決徒班、「第4回再生紙による紙飛行機大会」13位
浪決徒班の最後の晴れ舞台。いつもの調子が出ず、入賞を逃した。しかし、M先生は紙飛行機で5mという大会新記録?を出した。浪決徒班、立場無し。
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ロケツト班、事実上休班となる
火薬を使えなくなってからも細々と活動を続けていたロケット班が、20年あまりの活動に終止符を打った事件。休班の直接的な原因は、ただでさえ少なくなっていた新入班員を物理班がすべて奪い取ってしまったことであろう。現在休班中で、復活の兆しはない。しかし最近、物理班が譲り受け、研究を続けている水ロケットを、「新生ロケット班」として独立させようという意見が出ている。
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マイコン班、念願の一部屋獲得
今まで富嶽祭でマイコン班と無線班は相部屋だったが、見事に一部屋ずつ割り当てられた事件。これにより、マイコン班がさらに怠けることが決定した。
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電算機室使用禁止令
マイコン班員T氏他1名が電算機室でゲームをしているところをM先生に見つかり、電算機室がいっさい使用禁止となった事件。
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ローマの休日
物理班、マイコン班で活動が全く行われなかった時期。しかし、物理班では細々と活動が行われていたようだ。理由については、マイコン班が電算機室使用禁止になり、実験室に流れてきた挙げ句、物理班領上を侵蝕したため、という説が有力。
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マイコン班補完計画
マイコン班の三年生を除く班員数が極端に少なく(96年3月の時点で2年生残り人数僅か2名)、このままではマイコン班滅亡になりかねない状況に危機を感じたマイコン班上層部によって発令されたマイコン班生き残り計画のこと。
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マイコン班アセンブリー事件
マイコン班補完計画にもとづき、アセンブリーでマインドコントロール技術を応用し、新入生を洗脳することで24人もの新入班員を獲得するのに成功した事件。
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マイコン班無線班融合事件
副顧問M先生の「マイコン班と無線班は一緒だよ。」の一言で、マイコン班と無線班が融合してしまった事件。これ以後、M先生は“マイコン無線班”と呼んでいた。
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第二次アセンブリー空振り事件
物理班がアセンブリーで発表することが10分前になっても決まっておらず、急遽水ロケットの発射実験を行ったが、全く練習していなかったため、ロケットは1mたりとも上がらず、新入生に何をしようとしていたのか全く分かってもらえなかった事件。
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Mの戯言
物理部副顧問M先生が不定期的に突然、神託の如く発する有り難いお言葉のこと。我々はいつもこれに振り回されていたのである。ちなみに、仰られることが仰られた日によって違われるのもこれに含められる。この時は、物理班に「物理班、今度カオスやってみたら?」と仰られた。
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スラム使用禁止令
富嶽祭を目前に控え、マイコン班員T氏他3名で下校時刻の19:00を過ぎても部室に隠れ富嶽祭準備をしていたところ、ふとした隙にM先生に見つかり、翌日呼び出しを受け、さらに部室使用禁止処分にされてしまったという事件。しかし、M先生に部活をどうしてもやりたかったことを説いたら、余り怒られなかったとのことである。余談だが、翌日の呼び出しにこの中の一人はいなかつた、という記録もある。
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班長争奪!?ババ引き大会
物理班は今まで、新班長をジャンケンやくじによって決めることになっていた。しかし、ジャンケンでは何回やっても決着がつかなかったため、「トランプを裏返して机の上に人数分置き、その中のジョーカーを引いた人が新班長!」という方式が先代班長の0氏から出た。その結果、見事、S氏が7代目班長になったという事件。
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第二次暗黒時代
そのまんま、二度目の暗黒時代。しかし、今度は班の消滅までには至らなかったようだ。
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スピーカー盗難事件
1996年7月某日土曜日物理実験室のが何者かの手によって盗まれたそのため物理班員約100名が容疑者として物理実験室に身柄を拘束された事件。ただでさえ暑い真夏日に、1つの部屋にたくさんの人が押し込められたため、部屋の温度が極端に上がり、灼熱地獄と化していた。結局、犯人は判らなかったが、顧問のI先生は激怒(山にいるときの約0.5倍:物理班調ベ)していたようだ。この時なぜか物理室の大掃除をさせられる。
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マイコン班班長K氏、アマチュア無線4級試験に落ちる
班班長K氏が無線4級試験に落ちた事件。このことによりM先生に「僕の娘(当時小学二、三年生12)だって受かったんだよぉぉ。」と馬鹿にされた。
12Ah!SKYによると四年生。もどる
帝政
M先生が物理部のほぼ全権限を掌握し、独裁を行っていた時期。
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大空位時代
副顧問M先生の不在により、物理部内の規制が緩和され、一時的に秩序が乱れ自由へ走った時代。これにより第一次帝政は幕を閉じ、各班班長たちによる共和制が始まることになる。
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天文班、「ジャージで来い!」消滅
天文班班長の人道的配慮により、「ジャージで来い!」が消滅した事件。
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峰村メモ
物理部副顧問M先生が図書館に行っている間の各班の活動内容についての指示が記された勅書。物理班はM先生が帰ってくる直前にこれを発見して大混乱に陥った。
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無線班、O氏の登場により復活
一旦滅亡したはずの無線班が再結成された事件。しかし、その経緯や動機については謎のままである。1997年の富嶽祭が終わったあとの必修クラブ時に当時二年生の班長であろうと思われる人物が目撃されたのを最後に、消息を絶った。
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飯島ニューディール政策2
無線班の復活を、顧問I先生が大喜びした事件。無線班の復活を画策したのも、I先生ではないかと思われる。
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物理実験室異臭事件
物理班が実験用に制作した寒天が、4ケ月という悠久の時を越えて現れ、異臭騒動が起こった事件。物理班は証拠隠滅のため「オウム13残党の仕業だ!」と、大嘘の噂を流した。
13オウム……オウム真理教のこと。鳥ではない。もどる
血涙のクリスマス事件
当時の班長S氏が、山崎賞に出す論文を書くため、M先生と二人っきりでクリスマスイヴとクリスマスを物理実験室ですごした事件。奇跡の山崎賞受賞に続く。
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奇跡の山崎賞受賞
物理班が山崎賞を受賞するという快挙(怪奇)を成し遂げた事件。しかし、高校生の部は12校出場したうち、10校が受賞できるものだったので、周囲の反応は冷やかであった。
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2ndゲーム禁止令
市販ゲーム禁止令の改正法令。この法律を破ると即廃班、という厳しいもの。一応言っておくと、1997年11月24日に「電算機室完全封鎖詔」が出たのは、この法令を破ったためではない。
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富士二ュースの取材を受ける
物理班が山崎賞を受賞したため、富土ニュースから取材を受ける事となった事件。しかしこの時、物理班員の対応が無礼極まっていたため、記者の方はかなり御立腹だったようでありました。
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アセンブリーの屈辱
物理班は、直前になってもアセンブリーでやることが決まっていなかったので、数年前と同じく、液体窒索を使う冷凍実験を行った。前回の二の舞を恐れた物理班は生き物を使わずテニスボールを凍らせ叩き割った。アセンブリーは成功したが、割ったテニスボ一ルの後片付けをしなかったため、生徒会から睨まれることとなった事件。
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天文班、新入班員のデフレ
天文班の新入班員が、4人しか入らなかった事件。
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飯島二ューディール政策3
天文班の危機に対する政策。効果は当然の如く無い。
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物理部マイコン班文藝課事件
「マイコン班補完計画」によって得た当時の二年生班員達が大量に辞めていき、そしてその一部が絶滅していた文藝部を復活させた事件。この不名誉なことを誤魔化すため、マイコン班は彼らのことを「物理部マイコン班文藝課」と呼んだ。しかし、誰が見ても文藝部であるため無駄な努力に終わった。
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顧問M先生、実名を明かす
物理部七不思議の一つと認定されていた、M先生の名前を物理班のI氏が決死の覚悟で聞いたことにより明らかになった事件。M先生は「学」という名前を「がく」と「まなぶ」という二種類の読み方で使っていた。文庫本に書いてあるイニシヤルが「G.M.」だったことから「がく」と読む「がく派」。書類などの読み仮名がそうだったことから「まなぶ」と読む「まなぶ派」。この二つの派閥に分かれ、一時期論争が起こったほどだった。しかしこの事件の後、両派とも和解した。このあと、I氏は「物理部七不思議の一つを消した」という理由で先輩に怒られている。
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物理班事件
当時三年生のO氏が4月早々、新入班員に対して「火曜日14だけ来ればいいよ。」といってしまった事件。これにより、次の日から彼らが部活に全く来なくなってしまい、O氏の大後梅時代が始まる。
14当時は火曜日が必修部活動の日だった。平成11年度より必修部活動は金曜日。もどる
救世主と地獄の使いが入班
物理班に当時二年生のO氏と当時一年生のN氏が入班してきた事件。O氏は、他の班員からも好かれ愛想もよく、彼女のおかげで、物理班は活気を取り戻しつつあった。しかし、その全てをぶち壊してくれたのがN氏である。彼はマイコン班で「部費いくら?」などとたわけたことを言い、マイコン班から「いらない」と言われた人物である(この時点で物理部内でかなり噂になっていた)。それが流れてなぜか物理班に入ってしまい、ほぼ全員をキレさせた(この時点で、ほぼすべての物理班員…火曜部員を含む総勢100名近くに名が知れ渡る)。さらには、退部まで考える人が現れる始末。これに困った当時の班長S氏がM先生に相談、数時間に及ぶ説教が2日ほどあり、やっと彼はほんの少しまともになった。彼の部登録カードを受け取った人物は不明。彼の噂を知らなかったのだろうか。ちなみに、なぜかO氏とN氏の誕生目は共に6月14日である。
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Mの戯言(PART2)
マイコン班のK氏がM先生に「富嶽祭でマイコン班は何をやるのか」と問い詰められ、適当にインターネットと答えてしまったため、そこから話が飛躍しすぎて、後には引けなくなった事件。
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0番街スラムが完全封鎖 K氏の狂乱
職員室のある1棟と今は亡き2棟、そしてその間にあったのがやはり今は亡き0棟(通称0番街スラム。1階が昇降ロ、2階が部室長屋であった。)である。その0棟が壊される前に、当時のマイコン班班長K氏他数名がハンマーを持ってキ○ガイの様にそこら中をブッ壊していたところ、事務の方に見つかり、「うるさいからもっと静かにやれ!」と怒られた(そういう間題か?)事件。彼らには破壊活動防止法が適用された。
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物理部ルネサンス
帝政期を終え、物理部が第二期黄金時代を迎えた時期。物理班や天文班の活動が著しく活発化し、多くの新思想、名言、珍キヤラク夕一が飛び出した時期でもある。この時、物理・天文両班では毎日のように活動が行われ、「古き良き時代」の栄光を取り戻したかのようだった。
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徹夜実験の野望、玉砕
何をトチ狂ったのか、物理班内で「徹夜実験をやる」というたわけた目標によって班員達が団結し、M先生に提案した。しかしM先生は首を縦に振らず、S氏、Y氏、T氏が次々と向かっていったが、全て却下され徹夜実験のが儚くも玉砕された事件。
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5・21の変(峰村先生ギャグ空振り事件)
徹夜実験をさせてほしいと物理班のI氏と他数名がM先生に頼んでいたときのこと。I氏が「実験のアタリ15を出したい」というと、その瞬間、M先生の「あたりまえだのクラッカー16」という意味不明のギャグが炸裂し、その場の体感温度を一気に氷点下まで下げた事件。この後、I氏はあまりの寒さにぽつりと「……さぁ行こうか」と咳き、皆も何も言えずにその場を去っていった。
15アタリ……M先生がよく使う。[傾向」等の意。もどる
16あたりまえだのクラッカー……意味不明。大昔の某CMの売り文句。
光の雨事件
I氏が棒を振り回し蛍光灯を叩き割った事件。その時、真下にO氏がいて運悪く頭から破片を浴びた。しかし、不思議なことに傷一つ無かった。翌日、O氏は部活に遅刻してくる。その時これのせいだとI氏は責められたが、ただ単に寝坊していただけだったというエピソードがある。
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長物禁止令
光の雨事件の後、二度とそんな事件が起きないようにと制定された法令。しかし、罰則を与えるものではなかったため、在って無きが如しであった。
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富嶽祭展示(予定)物炎上
富嶽祭準備の最中、展示用のおもちゃの一種として、蝋燭の上昇気流で回る「メリーゴーランド」をT氏が制作中、その事件は起こった。プロペラで上昇気流を受けて回るはずなのだが、重いためかなかなか回らなかった。業を煮やしたT氏が、プロペラを蝋燭の炎に近づけていくと、バルサ材でできたプロペラに引火、瞬く間に燃え上がった。そのおかげで、その年の富嶽祭の展示物が一つ減ってしまった。
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部紹介空振り事件
富嶽祭開会式第二部部紹介において、S氏他数名の行ったショートコントが、あまりにも受けなかった事件。このため、この時、一度では分かってもらえず、同じコントをアンコールに応えて二度行ったことが、場を寒くする原因の1つとなった。彼は翌年の部紹介にも出場する決意を固める。
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破砕事件
富嶽祭1日目に、Y氏が持ってきたパソコンが壊された事件。これを直すにはマイコン班OBのT先輩しかいないと、2日目(一般者入場可)に来た先輩に賭けたが、それでも直らなかった。結局、これを直すのに3週間ぐらいかかった。しかし彼の悲劇はさらに続く(涙)。
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会計争奪!?大じゃんけん大会
この年、二年生は2人しか居らず、さらにそのうちの1人は理数科だったため、既に班長と副班長は内定していた。そのため、一年生が会計を決定するため、ジャンケン大会を行った。
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東雲追放(オストラシズム)
H氏を生贄に捧げ、N氏を富士東高に追っ払った事件。しかし、一緒に行ったはずのH氏はN氏を撒いて先に帰宅していたようだ。
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物理部部長兼マイコン班班長Y氏骨折
物理部部長兼マイコン班班長Y氏が足の骨を折った事件。このせいで彼は修学旅行とも言える高原教室に行っていない(涙)。
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マイコン班の危機
科学部I氏の失態により、マイコン班が再び電算機室を追い出されてしまった事件。領土はテーブル2つだけになり、さらに相次ぐ失敗により「M先生がマイコン班の廃班も検討している」などという噂まで囁かれた。結局強権発動には至らなかったが、かなり危ない状態ではあった。
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物理班、天文班、マイコン班の友好度が上がる
天文班が物理班,マイコン班との国交を回復することが出来た事件。今までは先輩たちの仲がよくなかったため断絶状態だったが、先輩たちがいなくなったため国交が回復した。天文班と他の班の仲が悪かったのは昔からの様だったため、何故なのかは不明である。人数の多い天文班を他の班が敵視していただけではないだろうか。
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電算機室の植民地化
電算機室が補講によって使えなくなった事件。いつものことである。「まぁ、部活やってないからいいや。」と気楽に考えていたようだ。しかし、この後本当に電算機室が使えなくなるとは誰も考えもしなかった。
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南下政策
新校舎建設のため物埋実験室の北側の壁が一部取り除かれた時、そこに置いてあった機材とともに天文班が南下してきた事件。これに伴い、四国史に大きな変化が見られると思われた。1998年の2月には壁が元通りになった。
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マイコン班班員S氏、OAナガシマでパンドラの箱を開く
マイコン班員のS氏が、同じくマイコン班員のK氏と、物理班員のI氏、化学部のH氏、文藝部のI氏の5人でOAナガシマ17へ行ったとき、S氏が展示してあるパソコンをいじって、あるフォルダを開くとイキナリ無修正のトンでもない写真が出てきた事件。あまりに唐突なことだったので、かなり慌てたようだ。
17OAナガシマ……富士高南に位置するパソコン専門店。詳しくはAh!SKY参照。もどる
電算機室完全封鎖詔
でんさんきしつかんぜんふうさのみことのり。マイコン班(の先輩)?がパソコンを壊したため、それを直すという名目で今までM先生がマイコン班のために苦労して借りていた電算機室の鍵を御上(学校)に奉還した事件。マイコン班員達は「俺たちがやったんじゃない!先輩か、他の奴らだ!!!」と抗議したが、既に鍵を奉還したあと、マイコン班は(元々そうだったが)事実上休班(廃班)となった。しかし、そんな中マイコン班員のS氏だけは希望を捨てず、物理準備室にあったPCー9801Vm18というめちやめちや古い機種でBASlC19をやり、マイコン班は細々と続くことになる。M先生は「これ(PCー9801Vm)を使って、マイコン班の実力を見せればまた電算機室が使えるようになる」と言った。しかし、マイコン班にそんな実力はないし、もし戻るとしても何年先か分からないし、その前に、新入班員が来なくて潰れてしまうかもしれない。マイコン班はいま、史上最大の危機を迎えていた。
18PC‐9801Vm……NECのPC‐9801シリーズで2番目に古い機種らしい。もどる
19BASlC……Bignner's All-purpose Symbolic Instruction Code の略。詳しくはAh!SKY参照。
電算機室回復運動(レコンキスタ3rd)
電算機室完全封鎖詔によって奉還された電算機室の使用権を取り戻すための活動。最終的には電算機室の使用許可が下りるのだが、別に彼らの働きが認められたわけではない。
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物理実験室前廊下水没事件
物理実験室前の廊下が、物理準備室の手前まで水没していた事件。普通はこのようなことは起こらないはずなのだが、当時は新校舎建設のため物理実験室前の廊下の壁が削られ、風雨を凌ぐために板が貼ってあるのみであった。その隙間を通り水が侵入したのである。最後には、物理準備室の中にまで水が入ってきていた。昔、物理班が物理実験室を水浸しにした時には梨を配って謝ったのだから、今度は我々に何を配って謝ってくれるのだろうと期待した。が、結局何も配ってはくれなかった。
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みねむぅ事件
物理室の清掃中にI氏が突如「みねむぅ」と口走った事件。「みねむぅ〕とは、当時物理部の顧問だったM先生のことである。今まではイニシャルに由来する「GM」という呼び方が一般的だったが、これを機に新しい呼び名が増えた。
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S氏、偽“Ah!SKY”独断配布
マイコン班のS氏が物理部部長兼マイコン班班長のY氏の了解を得ずにMAGlC:The Gatheringについて書かれたAh!SKYに似て非なる物を制作・配布した事件。しかし、二月祭の期間中に制作が終了しなかったため、終了後に仲間内で配布したという悲しい最後を迎える。余談だが、この時二月祭は1月31日(土曜日)までだった。でも「二月祭」である。
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峰村皇帝、静高に亡命
長年の間、富士高物理部のほぼ全権限を掌中に収め、1997年4月よりI先生に代わり正顧問となり名実共に物理部の支配者として君臨し続けたM先生が静岡高校に転任することになった事件。帝政の後、共和制、民主制をすっ飛ばして衆愚制になるのは火を見るよりも明らかであった。
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アセンブリーまぐれ当たり
1998年度アセンブリーで、物理班は前回富嶽祭部紹介において大敗を喫したS氏発案によるショートコントを応援団の直後に行ったところ、以外にも好評で、10人もの新入班員を得ることが出来た事件。このまま富嶽祭部紹介も受けを取れることが期待された。
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歴史は繰り返す
前年、T氏が蝋燭の上昇気流で回るプロペラを作ったが、富嶽祭の前に蝋燭の炎が燃え移り、炎上した。そしてこの年、K氏らが同じことに挑戦し、全く同じ終わり方をした事件。余りの間抜けさに、皆言葉を失った。
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第二次部紹介空振り事件
富嶽祭開会式第二部部紹介において、S氏他数名が再び行ったショートコントがやはり受けず、場を大いに盛り下げた事件。彼は、1999年度に最後の戦いに挑むことを誓った。
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展示物故障事件
一年生は、富嶽祭まででは当然大きな研究は出来ない。そこでこの年行われたのは“トイレの模型”の展示であった。アクリルで、トイレの水槽の模型を作ったのであるが、案の定失敗し、ある程度で止まる予定だった水が流れつづけ、割り当てられた部屋を水浸しにしてしまった事件。
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「存在しないはずの部」
生徒会が、富嶽大賞の投票用紙に物理部物理班の欄を作らなかった。これは100%生徒会側の責任であり、物理班に非は無い。怒り狂った物理班は生徒会を敵と認識し、報復を宣言、徹底交戦の決意を固めた。生徒会に対し様々なテロが計画され、左翼調の声明まで発せらるるに至った。結局、生徒会が投票用紙を再発行することで事態は収拾されたが、物理班はどの賞も取ることが出来なかった。
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物理部時期部長兼物理班次期班長H氏脱走
物理部時期部長兼物理班次期班長が内定していたH氏が、富嶽祭2日目に逃亡し、吉高に行っていた事件。それからの彼の振る舞いを暗示するかのようであった。
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H氏、大金を落とす
OB会からの補助金が、空気砲に8000円、水ロケットに5000円出たが、H氏は空気砲の分を落としてしまった。親切な方が届けてくださったため、無事発見されるが、危うく貴重な財源を失うところだった。親切な方には、空気砲の8000円から1000円の謝礼金が送られた。ちなみに、天文班は3000円貰ったが、マイコン班に至っては1円たりとも貰えなかった。
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副班長及び会計争奪!?ババ引き大会
物理班次期班長はかなり昔(H氏が一年生の頃)からH氏に内定していたため、班長争奪ではない。この時は、S氏が副班長、I氏が会計に任命された。実は副班長より会計の方が仕事が大変なため、I氏はかなり嫌がっていた。
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水ロケット行方不明事件
3連式ロケットの発射実験を学校で行ったところ、民家に突入。行方不明となった事件。付近の住民に発見され翌日届けられるも、高圧二酸化炭素を充墳した弾頭部分は破裂、圧力タンクは潰れ、ロケットは大破していた。負傷者、及び民家への被害は確認されていない。
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顧問K先生面接
なかなか実験テーマを決めない一年生達に対し、K先生が招集をかけ、研究テーマを決定し、それについて研究を始めるように指示した事件。その時、締めの言葉として「じゃあ、try。」と言ったのだが、その言葉について議論を始めてしまい、研究テーマのことは後回しになってしまった。
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猛暑暴走事件
その日は暑かった。論文を書きながらパソコンに正弦を7998回ほど計算させたところ、熱暴走を起こした(一般保護違反連発後フリーズ、再起動不可)。熱対策が必要になってしまった。
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サティアン強制排除事件
悠久の時を経て、サティアンが遂に物理班員(H、N両氏)の手で開放された事件。体験入学準備の際、実験室を清掃中のことであった。マイコン班の管轄下であり、部外者は見ることさえ許されない聖域であったが、I先生の命により撤去作業が行われた。鍵が掛かっていたが、鍵を持つマイコン班員(S氏が最有力侯補)不在のため、鍵は強制排除された。聖域とされてきた内部は一気に暴露され、劇○多数、一応マイコン班らしい本数冊、漫画、図書館の本、針金、紙やすり、TRPGのルール、骨董ノートパソコン、フロッピーディスクなどが発見された。フロッピーディスクの内容は未解析。消去及び閲覧は禁止、封印中。コンピューターウィルスをマイコン班が所持しているとの噂もあるため、迂闊に手が出せない。生ディスクは配布された。内容不明の薬物(油のようなもの)も多数あったため、処分された。改めてマイコン班の危険さを認知させられた。最終的には、サティアンの中身の一部が物理班、学校の管轄で保存され、本体は破棄された。
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資材盗難事件
理数科課題研究の奴らに、買っておいた資材、苦労して作った部品を盗まれた(というか、いつのまにか無くなっていた)事件。用途は不明。この頃から、理数科の傍若無人ぶりが目につくようになる。
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顧問K先生再び面接
一年生に対し、またもやK先生の招集がかかった事件。一年生も、今度こそ話し合いを始めたかと思いきや、実はダベっているだけだった。
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ぬいぐるみ惨殺事件
理数科の天上天下唯我独尊ぶりの極めつけがこれである。昔から、なぜか物理実験室にはぬいぐるみがあった。我々はこれを物理班の物として扱っていた。しかし、理数科の山本未央(仮名)は、ぬいぐるみを自分の暇つぶしのために破壊したのである。コアラの人形だったのだが、耳はちぎれ、両腕がもげ、腹を裂かれた無残な姿となっていた。後に、別の方が山本未央(仮名)の破壊したぬいぐるみの代わりに、別のぬいぐるみを持ってきてくださった。親切な人がいたものである。
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忘却之彼方事件
本来、山崎賞の応募は冬休み中にやっておかなければいけないのだが、それを怠った挙げ句、〆切目になっても原稿を書いていなかったため、山崎賞に応募できなかった事件。原稿を書かなかった張本人のH氏は「〆切を忘れていたのであって、やる気が無かったわけではない」と言い張っている。
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アセンブリーの不覚
物理班のS氏のショートコントが余り受けなかった事件と、天文班のプラネタリウムが失敗した事件。ショートコントは物理班とほとんど関係がないものだった。少ししつこかったので、途中で飽きてしまったのではないかと思われる。天文班の失敗は、周りが明るすぎたためであった。
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天文班二年生、下克上
新入生の部登録の日のこと。天文班は、新入(予定)班員に説明をしていた。その際、三年生と二年生の間で富嶽祭のことなどで対立、険悪な雰囲気が漂った。ただ一人の三年生班員であったK氏は、二年生の相手をするのが嫌になったのか、全権限を二年生に譲り渡し、傍観者となった。
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物理班、新入部員0の危機
今年、物埋班にはほとんど仮入部の人間が来なかった。部登録のときも誰も来ないので、もしかしたら一年生が入らないかもしれないと思っていた。しかし、しばらくして「思っていたものと違う」と天文班から二人流れてきたので、最悪の事態は避けられた。
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無線班復活
前年の富嶽祭時には三年生しかいなかったため休班となるはずの無線班だったが、マイコン班の一部の新人班員が「新生無線班」を結成したという噂が流れている。先生方によると、たしかに存在しているようだ。しかし、活動を見たことがないのだが。これによってマイコン班にとってより恐るべき存在になったのが天文班である。何人も流れているはずなのに、まだ20人以上の新入班員がいるのである。このままでは、四国史は天文班が他国を支配して終わりそうである。
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物理班員N氏、H氏を襲撃
物理班員N氏がH氏をデザインナイフで襲撃、H氏の髪止めゴムを切った事件。それ以来、H氏はゴムの予備を持ち歩くようになった。また、反撃してN氏を倒すことにも成功している。
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天文班班長(兼唯一の三年生)K氏脱班・退部宣言
余りに三年生と二年生の仲が悪くなったため、K氏が退部を決意した事件。残り1ケ月もすれば引退だというのに退部を決意するとは、相当なものである。この時は、I先生に「良く考えるように」と返事を保留された。
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顧問I先生、K氏の脱班・退部を許可
I先生も説得は無理だと思ったのか、K氏の退部をあっさり承認している。K氏はこの後、化学部に入部した。
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前部長Y氏の誕生日
前部長Y氏の誕生目。自称16歳。
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顧問K先生全学年面接
もはや恒例の顧問K先生の面接。この年は物理班は2人しか新入部員がいなかったので、おいおい部員を減らさないでくれとか思っていたら、実は全学年とも面接をした事件。
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前部長氏登場
卒業したY氏が、ゴールデンウィークの休みに入ったからといって、何故か富土高へ遊びにきた事件。その時、「28日:俺の誕生日」と紙に書いていったので、「前部長Y氏の誕生日」などという項日があるのです。
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O氏より届いた手紙公開
卒業したO氏から物理部宛で届いた手紙が公開された事件。「富嶽祭の発表を期待している」とか、「大学でも富士高でやっていた研究をやっている」とか、一緒に研究をやっていながらやめてしまったH氏の心に突き刺さる言葉が並んでいた。
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光の霧事件
水ロケット分離機構の室内実験中、ロケットが暴発し、蛍光灯を直撃し、粉砕した事件。目撃者の証言によると、「あれを木っ端微塵と言わずして、何を木っ端微塵と言うのか。破片じやなくて粉が降ってきた。洒落にならない」とのことである。これを受けて急遽「ロケット室内発射禁止法案」が提案されたが、ロケット研究者らの「ある程度室内で実験しないと研究が進まない」との反論にあい、否決された。
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「ジャージで来い!」復活
天文班班長S氏の非人道的悪意により一時消滅していた「ジャージで来い!」が復活した事件。一年生のほとんどは騙されたとのことである。
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真面目の極み
富嶽祭文化の部の第一日目、例年になく、マイコン班の二年生が独自に冊子を発行した。冊子の内容も展示物もクソ真面目であり、いまだにAh!SKYも出さない二年生とは似ても似つかない。この意外な出来事に、我々は驚きを隠すことができなかった。マイコン班が真面目になるなど前代未聞である。しかし、この冊子、あまり人気がなかつたようで、かなり余っていた。
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Y氏馬と化す
Y氏は馬20を気に入っていた。部紹介でかぶっていたほどである。そんな彼は、吹奏楽部の演奏を聞いていたためか、部活動写真の撮影に遅刻した(こなかった)。そのために、彼のかわりに彼の愛用の馬を写真に写したのである。後にやってきた彼は、たった一人で写真を撮られた。隅のほうに、枠が作られることであろう。
20馬のゴムマスク。もとは生徒会のものだったが、S氏が強奪してきてH氏が譲り受けた。血走ったような目とざらざらした皮膚とぬれたような鼻と口が生々しい。かぶると中はゴム臭い。もどる