十七、
「富士マトンに居る連中は何かを企んでいるのですか」
合川が尋ねた。
「たぶんな‥‥‥。そうでなければあんな無茶なことをするわけがない」
片倉が答えた。
二人は篠山が考えついたように、強羅にある昭興生命の社員寮に泊まっていた。そして、今日一日ゆっくりして、夕方東京に帰るつもりでいる。
シーズンオフなので昨夜の泊り客は彼らともう一組女性の二人連れがいただけだった。その女性達も朝のうちに出て行き、今は片倉と合川しか客はいない。
二人はロビーのソファに座り話している。管理人室がすぐ脇にあるが管理人は厨房の方へ行っていた。
「富士オートマトンの南富士工場に行って問いただしてみたらどうです」
「それはできない」
片倉は陸幕の調査部がFGの動きに気づいていることは知っていた。しかし、FGが何処で何を計画しているか判っていまいと思っている。
当然、隊外にいる片倉達の行動に彼らは目を光らせている。現在、片倉と合川がここにいることも調査部は知っているかもしれない。
だから、片倉が南富士工場に出向けば、当然、調査部はそれを調べるだろう。計画の実行場所が判れば、FGの企画も彼らに知れてしまうと考えなければならない。万が一企画が調査部に洩れたとしても、彼らに阻止する力があるかどうかは疑問であるが、安全を期するにはこしたことはない。それ故、今までも富士マトンの仲間とは電話でしか連絡をとっていないのだ。
「連中はどうする気でしょう」合川は脚を組替える。
「どこかにMTAを売る気かもしれないな」
片倉はそんなことがあって欲しくないと思っている。
「何処へですか、共産圏へですか」
「さあ‥‥‥、共産圏は金がないからな。アメリカあるいはEC諸国、いやアラブ諸国も考えられるな」
共産圏の国はいまや自国の体制維持に精一杯であり、そんなものに手を出す余裕などがあるわけがない。
「考え過ぎですよ」
合川は信じられないと頸を振った。
確かに考え過ぎかも知れない。
何処かへMTAを売ろうと思っても、あんな騒ぎを起こして何のメリットがあるのかという疑問がある。富士マトンの外にいる我々に対して、企画はうまく行かないというデモンストレーションかとも考えられるが、その後でMTAを秘かに何処ぞへ引き渡すためにも、余りにも危険すぎると思うのだ。
如何なる理由があろうと、君元や阿南がそんな危険を犯すとは考えられない。やはり、彼らのいうように不慣れなための操作ミスなのかもしれなかった。
人の足音が聞こえたので、二人は会話を中断した。管理人が廊下の奥から姿を見せ、電話がかかっていると告げた。そしてこちらにつないだと植木鉢の脇の電話を指さした。
片倉は受話器を取り上げた。
「警察が合川を捕まえに行く。早くそこを出ろ」
聞きなれない男の声が何の前置きもなくいった。
「えっ、何故‥‥‥」
「心当たりがあるだろう。早くした方がいい」
そういって電話は切れた。
片倉は一瞬考えを巡らした。事故を装った田上殺しがばれたのだろうか。
しかし、今の声は誰なんだ。片倉と合川がここに居ることを知っているのは矢沢陸将補と宿泊の手続きをした昭興生命の係の社員だけだった。
「なんですか」
「田上をトラップにかけたことがばれたらしい。いまここに警察が来るそうだ」
「ほんとですか」
合川は顔色を変えて立ち上がった。
片倉は窓から外を覗く。
玄関から門へ続く石畳が見え、外の道路にも人影はなかった。
本当に警察は来るのだろうか。
「とにかくここを出よう。別々の方がいい」
しかし、電話を掛けてきたのは誰だろう。全く聞き覚えのない声だった。
「先に行け、俺は管理人に断わってから行く」
片倉は合川に命令した。
合川はそのまま玄関から外へ出て行く。
電話の声は合川を警察が捕まえに行くといっていたが、二人を捕まえにいくとはいっていなかった。合川がやったことだけが露見したのだろうか、すると自分は逃げなくともいいのかもしれないと思ったが、合川が捕まれば同じことだ。田上洋介殺しの作戦は片倉が指揮をとって実行したのであり、実際に現場で合川の支援もしていたのだ。
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篠山と富沢は湯本まで行き、役場で昭興生命の保養所が強羅にあることを確かめて再び戻ってきた。昭興生命の保養所は強羅の早雲山にあると教えて貰った。
小涌谷から湖尻に向かう道を車は登った。
「ここですよ。ここから入るみたいですね」
道路脇の案内板を見て富沢がいう。保養所の名前が約二十ほど並び、上の方に昭興生命社員寮という字が見える。
脇道は急な下り坂で、曲がるとき空中に飛び出すような感じがする。昭興生命の保養所は道を下りきった最奥にあった。
車がやっと通れる幅の門を入ると、男が一人玄関から出てきてとめてある車に向かって行くのが見えた。
「合川だ」
男は立ち止まりこちらを見た。そして、急に走りだした。
車の脇を走り抜け裏の方に向かって逃げて行く。
篠山と富沢はそのまま庭を車で走り抜け後を追った。
裏門から合川が道路に出るのが見えた。裏門は、業者が車で乗り付けるためか、表門より広くできており、富沢は殆ど速度を緩めずに道路へ走り抜けた。
合川が角を曲がって行く。その先は急な上り坂が七、八十メートルほどつづいているはずで、二人が、たったいま、昭興生命社員寮を探して車を走らせたところだった。
人間と車では競争にならないだろう。富沢は坂の途中で合川に追いつけると思いながら、ハンドルを切りアクセルを踏む。
曲がった途端、突然、目の前に白っぽい乗用車が現れた。丁度、坂を下ってきたらしく、その車は急激にブレーキを踏みスリップして道幅いっぱいに横向きになってしまった。二人の乗った車はその車の横腹にもろに突っ込んで止まった。衝撃はたいしたことはなかったが、車の男は驚いたらしく何か大声で喚いている。
篠山はあとを富沢に任せて坂を駆け登る。
合川は既に坂を登りきって右へ曲がって行った。
懸命に後を追う。ようやく登りきった坂の上で、篠山は止まってしまった。口から心臓が飛び出しそうだ。
合川が逃げた方向は更に登り坂が続いていて、もう坂を登りきって上の道に出てしまったらしく、姿はなかった。
富沢が追いついてきた。
篠山は呼吸が苦しいので、手で合川の逃げた方向を示す。
若い富沢は休まずに坂を駆け登って行った。
坂の上は、先ほど富沢と篠山が車で走ってきた湖尻へ向かう道路で、位置は二人が入った脇道より上であった。既に合川の姿はなく、他にも人影は全くない。
道路を挟んだ向こう側にアイススケート場がある。そして、道路脇の駐車場に観光バスが二台止まっていた。
合川はどちらに逃げたのだろうか。上を見ても下を見てもそれらしいものは見えない。小涌谷の方へ下ったとすれば、観光バスの前を通ったはずだと思い、富沢はバスの運転手に尋ねたが、気が付かなかったらしい。
戻って湖尻方面へ駆け登った。道が左に曲がり、更に大きく右に回り込むと、谷を挟んで木立の間から先が見通せる場所になった。立ち止まって眺めたが、合川の姿は何処にも見えない。どんなに彼の足が早くともここから見えないところまで距離が離れるはずはない。
丁度、下ってきた車に警察手帳を見せて尋ねてみたが、返事はノーであり、富沢は引き返した。
戻ると、篠山が肩で呼吸をしながら上の道に出ていた。
「見失いました」
富沢は首を振っていった。
「スケート場は‥‥‥」
篠山は目の前の建物を見上げていった。
二人が道を横切りスケート場の入り口へ登ろうとした時、突然銃声のような音が聞こえてきた。
「銃声のようですね。下の方らしい」
「確かめてきてくれ。こっちは私が調べる」
富沢は道路を渡り返し、坂道を戻った。下っている途中、先ほどは夢中で駆け登っていたので目に入らなかったが、なかほどに踏み跡のような脇道があるのに気づいた。
道は潅木の生えた急な斜面を横切りながら、僅かに下り気味で先の方へ続いている。
もしやと思い、富沢はその道を降りてみることにした。
日陰になっているところに霜柱が残っていて、一部が踏みつけられ潰れている。最近誰かが通った跡だ。
滑りそうになる足元に気を使い、木につかまりながら先に進む。道が少し広くなって歩き易くなり、ちょっとした台地に出たが、道は更にその先へ続いている。
富沢はそこでぎくっと足を止めた。木の陰からおかしな格好で、靴を履いた足が出ているのが見えたのだ。用心しながら近づいて木の幹を廻ると目の前に人が倒れていた。頭から血を流している。顔が見える方へ移動し、のぞき込むと合川であった。
篠山と富沢はその日は東京へ帰らず、神奈川県警に協力するため箱根に泊まった。
合川は至近距離から銃弾を頭部に受けて即死であった。おそらく口ふさぎのために殺されたのだろう。
犯人は片倉ではないかと最初に考えたが、二人が合川を追いかけている間、片倉は管理人と一緒にいたと管理人自身の証言があった。実際、篠山は電話を借りに昭興生命の社員寮に戻った時、片倉が管理人と一緒にいたのを見ている。
他にFGの仲間がいたのかもしれないとも思ったが、ちょっとそれも不自然なような気がする。仲間なら一緒にいるのが普通だろうと思うし、合川の逃走経路に偶然いたことも納得できない。その上とっさの判断で仲間である合川の口を塞ぐことなど考えられないことだった。
同じ仲間のうちで、そんなにたやすく非情になれるものではない。
合川は二人の姿を見てすぐ逃走したが、我々が行くのを知っていたのだろうか。もしかすると矢沢が連絡したのかもしれない。そして、矢沢が殺し屋を差し向けたのか‥‥‥。
いや、それではあまりにも手際が良すぎると思う。常識的に考えたら、我々が矢沢宅を出た後、一時間足らずのうちに合川殺しの手配を出来るはずはないのだ。
合川の殺しは一見突発的な出来事のように見えるが、もしかすると前もって計画されたものであり、篠山と富沢はその計画の途中に飛び入りしたのかも知れなかった。
篠山は床の間の電話を取り上げ、昭興生命の寮につないで貰った。
その時、富沢が浴衣姿で風呂から戻ってきた。二人は神奈川県警が用意してくれた宿に泊まっている。
「何ですか」富沢が尋ねてきた。
篠山はそれを手で制して、電話に出た管理人に合川が寮を出る前電話がかからなかったか尋ねた。管理人は男の声でかかってきたと答えた。篠山は礼をいって受話器を置いた。
やはり、思った通りだ。電話の内容がどんなものだったか片倉から聞き出す手段もあるが、おそらく本当のことはいわないだろう。
「合川は我々が行くのを知っていたんだ。だから我々を見て逃げた。おそらく、誰かが知らせたんだろう」
そして、合川は計画的に殺されたのだといった。
「知らせたのは矢沢ですか」
富沢は濡れた手拭いを広げながらいう。
「かもしれない。しかし殺しは違うな」
「仲間割れかも知れませんね。談合坂サービスエリアで聞いたトラブルというのはそのことではないのですか」
座りながら篠山は首を傾げた。
「私が車をぶつけた相手、合川を追っている間に居なくなってしまいました。我々が刑事と知って逃げてしまったようです」
篠山はハッと気が付いた。もしかすると、あの車は、我々が合川を追いかける邪魔を故意にしたのではないだろうか。そうでなければ、姿をくらます理由がない。あの場合、明かにスピードをつけて角を曲がったこちらが悪いのだ。
「車種は‥‥‥、色は白っぽかったな」
「車種はちょっと覚えていません。私も合川を追いかけるのに気がせいていたもので‥‥‥。でも色は確かにアイボリーホワイトでした」
富沢は濡れた手拭いを衣紋掛けにぶら下げた。
「それだ。談合坂サービスエリアで我々の車を邪魔した車もアイボリーホワイトの車だ。同じ車かもしれん」
「でも最近は白い車は多いですよ」
富沢は篠山の前に来て座った。
「そうかもしれないが、二度とも合川を追いかけている時、車に邪魔をされている。偶然にしてはおかしいと思わないか」
せめて車のナンバーでも見ておけばと思うと、篠山は自分が情けなくなってきた。もしそうだとすれば、目の前で二度とも重大な手がかりを逃していることになる。
「そうですね。でも誰が‥‥‥。我々が合川を追いかけているのを知っているのは、昨日の時点では吉永一尉だけですよ。まさか吉永一尉の調査部がやったというんじゃないでしょうね」
確かに、富沢のいうとおりだった。
吉永一尉の所属している調査部はFGの企画を阻止しようとしており、篠山の見るところ合川は大事な突破口なのだ。その合川を殺すはずがない。
すると誰がということになる。篠山や富沢が知らない第三者がいるのだろうか‥‥‥。それとも富沢のいうように仲間割れだろうか‥‥‥。
そして、彼らは篠山と富沢の動きを監視していたことになる。本当にそうだろうか‥‥‥。
篠山は考え込んでしまった。
田上洋介を殺したのは複数の人間であることは確かなのだが、合川以外は誰なのか判っていない。おそらく、片倉も一枚噛んでいると思われるが、証拠がない。尋問しても知らぬ存ぜぬで通されたらそれまでである。
合川が殺されたことで、田上殺しの犯人を直接挙げる手段はなくなってしまったようだ。
しかし、FGの実行している企画に何かトラブルが発生している。吉永一尉もその情報は入手しているに違いない。おそらく、それを利用してFGの企画阻止に動くだろう。
田上殺しの犯人を挙げる手段は、それに便乗してやるしか方法がないかも知れないと思った。