十九、

 裾山の集落は愛鷹山の北北東麓にあり富士山の南に位置している。集落の中を県道が東西に走っており、東寄りにもう一本、愛鷹山沿いに南下する道路がある。

 いい替えればその三叉路沿いに裾山の集落はあった。

 裾山は最近建てられた工場や別荘を除けば、この付近では最も富士山麓の奥にある、戸数が三百八十戸ほどの孤立した小さな街である。

 昔、富士講の盛んであった時代には富士登山の信者達で賑わったところだ。しかし、明治四十五年、富士の裾野が旧日本陸軍の東富士演習場となった時、登山道がその中に含まれ廃道となり、それと共に富士講の賑わいもなくなってしまった。

 現在、その登山道の復活を地元の有志が働きかけているが、まだ実現していない。登山道そのものは残っているのだが、富士登山の入口として、交通の確保やその他の施設が整備がされておらず、また道の存在すら世間に知られていないので、登山者達は富士宮口や御殿場口に行ってしまい裾山を通って富士登山をする者は稀であった。

 現在の裾山は酪農で生計を立てている人たち以外は、付近の観光施設や工場、会社に勤務する人たちが住んでいる。公共の交通機関は私鉄のバスが日に数本通うくらいで便利とはいえないが、車があれば、御殿場、富士その他の市へ三十分から一時間で行ける位置にあり、冬季の寒さを除けば、住民にとってはそれほど不満のない土地でもある。

 その裾山は長引く罷熊の騒動で住民の大半が避難をしてしまい、ひっそりと静まり返っていて、夜の更けた今はなおさらの感があった。

 報道記者の堀井はテレビ局のスタッフら八人と共に二度目の取材に来ていた。

 前回は乳牛が何者かに不思議な殺され方をしたことや、奇妙な交通事故を取材に来たのだが、今度は、あの事件がまだ解決されないうちに新たに起こった罷熊の脱走事件の取材であった。一行は古い富士講の名残を残す裾山に唯ひとつある旅館に宿泊していた。

 夜半から雪が降り出し、外は物音一つ聞こえてこないほど静かだ。
 ディレクターの相模を中心に明日の取材予定を打ち合わせていた。
 堀井達が取材に来る以前に、既に三頭の罷熊が射殺されており、残り<は二頭となっている。

 ここに来てからの四日間、県警の機動隊の捜索に同行して、射殺するか捕らえるかするところをカメラに納めようとしているのだが、二頭の罷熊の消息はようとしてとして判らないままであった。

「もう二、三日早く来ていれば撮れたのだがなぁ」
 カメラ担当の東がいった。
「富士山の方に一頭いることは確からしい。もう一頭が何処にいるかだ」

 四日連続して機動隊に同行し、山の中を歩いて疲れのたまってきたスタッフの中からそろそろ愚痴がこぼれだしていた。

 堀井は窓のカーテンを開けて、曇ったガラスを手で拭きながら外を見ていた。

 道路には雪が積もり始めている。街灯の光の中、銃を持った機動隊員が四人その上を歩いて行くのが見えた。巡回をしているにしては歩く速度が速い。機動隊は三叉路から南に向かう道路を二百メートルほど行った小学校に詰めている。彼らはそこから来たらしい。

「雪が積もれば罷熊の足跡が見つかるかも知れない」
 堀井はカーテンを閉めて席に戻った。
「うん、その可能性はあるな。明日は富士山の方に三チーム出すそうだ。カメラをそのうちの二チームにつけよう」

 相模は皆を見渡しながらいう。取材の期限は明日までである。だから、なんとしても明日中には映像を撮りたい。

 その時、静けさを破って銃声らしい音が聞こえてきた。そして、更に数発続いた。
 一瞬、皆黙って顔を見合わす。

「熊が出たんだ」誰かがいった。
 堀井は席を立って窓に飛んで行き、外を覗く。
 外は雪が降り続いており、窓からは何も見えない。

「罷熊が腹をすかして山を下りてきたんだ」
「取材の用意だ。高感度カメラにしろ」

 ディレクターの相模が怒鳴り、途端に慌ただしくなる。宿の着物に着替えていた者は着替えに部屋に飛んで行き、カメラ担当は高感度カメラを取り出し始めた。

 堀井と相模が廊下に出た時、宿の照明が全て消えて真っ暗になった。
「停電だ。ライトだ。ライトはどうした」

 誰かが携帯ライトをつけて相模に渡す。
 その間に堀井は靴を履いて外に飛び出した。
 外も真っ暗で街全体が停電している。雪明りの他にまったく明りはない。後ろを振り返るとライトを持った相模が出て来るところだった。

 そして、また銃声が聞こえた。
「向こうだ」
 堀井は、先刻四人の機動隊員が行った方向へ、登り坂になっている道路を走りだした。

 雪が積もっているので走りづらく、滑って何度も転びそうになる。道がカーブしている場所まで来たとき、突然、十数軒向こうの家が大きな音をたてて燃え上がった。

 火事だ‥‥‥。罷熊なんかではない。
 炎の熱気が躯の前面に一気に襲いかかってきた。道路に積もった雪が瞬く間に融け始めて流れ出した。凄い熱気だ。

 堀井はその場で立ち止まり、燃え上がる炎を眺めた。火事の現場は何度も目撃しているが、家がこんな燃え方をしたのを見るのは初めてだった。まるで、家全体が爆発し易いニトロ化合物でできているかのように燃え上がったのだ。家の中に人がいたならば、逃げ出す隙などなかっただろう。

 普通の火事ではないような気がする。
 しかし、罷熊でないとしたら、何度も聞こえた銃声は何だったのだ。

 炎の勢いは非常に激しく、道路をなめるように吹き出ている。炎上している家の向こうに裾山の住民達らしい人影が数人見える。行って話を聞きたいと思ったが、前を通って向こうに行けないほど火勢は強い。

 何が起こったのだ。明らかに罷熊の事件とは違う。
 誰か事情を知っている人はいないだろうか。
 数軒手前の路地に人が駆け込むのが見えたので、堀井もそこへ向かった。
 また、大きな音がして右手の家が燃え上がる。やはり爆発的な燃え方だった。

 路地の途中に、先に駆け込んだ男が手に持った銃をこちらに向けて立っていた。機動隊の制服を着ており、燃え上がっている火に照らされて見えた顔は驚きと恐怖で歪んでいた。

「待って下さい。テレビ局の者です」
 堀井は手を挙げて叫びながら、駆け寄った。
「どうしたのですか。罷熊が出たんですか」

 堀井は思わず馬鹿な質問をしてしまった。罷熊が火事など起こすはずがない。それだけ自分がうろたえているのだと気づく。

 機動隊員は頚を振って違うという。
「知らせを聞いて‥‥‥・・白い煙が‥‥‥、‥‥‥横から火花が‥‥」
 途切れ途切れにしか聞こえなかった。

 彼は先ほど堀井が見た機動隊員の一人らしい。
「一緒に行った他の三人は」
「判らない‥‥‥」

 彼は筋立てて話が出来ないほど気が動転しているらしい。
 堀井は路地から出て、また道路に戻った。火勢はますます激しくなっている。相模とスタッフ達が来て火事を見ていた。

 火は三軒目に燃え移ろうとしている。
 近くの家から時々人が出て来るが、ほとんどの家は熊騒ぎで避難をしていて留守らしい。

「どうした。熊じゃないのか」
「そうらしい」堀井は答えた。
 相模は何だというような顔をする。

「只の火事か‥‥‥。でも銃声は何だったんだ」
「わからない」
 相模が堀井の後ろを見ているので、振り向くと、先ほどの機動隊員が道路に出て来て立っていた。まだ完全に自分を取り戻していないらしいが、先刻よりはしっかりしてきたように見えるので、先ほどと同じ質問をしてみた。

 住民から通報があり、行ってみると、その家の裏に何か動くものがいた。同僚の一人が確かめようと近づいていったら、突然火花が走り、吹き飛んでしまった。そして、急に白い煙が立ちこめてきて、火が吹き上がったという。

「消防署に知らせた方がいい」
 堀井が言うと、機動隊員はやっと気づいたらしく、暗い三叉路の方に向かって走り下って行った。

 三軒目の家が燃え始めた。道路に積もった雪は熱で解け、湯気を立てて流れ下っていた。

 坂下の三叉路の方向でガラスの割れる音がしたかと思うと、付近の家が一斉に爆発したかのように炎を吹き上げて燃えだした。一瞬遅れてその音がこもるように響く。

 道路上で何かが素早く動いている。だが、流れる水と熱から生じる水蒸気が濃い陽炎のようにゆらいでいてはっきりと見えない。

 ライフルの銃声が連続して聞こえてきた。
 どうしたのだ。何が起こっているのだ。
 複数の銃から連射されているようで、更に銃声は激しくなった。

 坂の下の方から聞こえてくる。小学校に居る機動隊が何かを撃っているらしい。悲鳴や怒鳴る声も聞こえてきた。

「罷熊か」相模がまたいう。
 何を馬鹿なこといっているんだ。罷熊があちこちの家に火を付けてまわるはずがないではないか。何か別の事件が起きてるのだ。

 こんなチャンスには滅多にお目にかかれない。
 堀井は傍らにビデオカメラを持って立っている東の肩をポンと叩いて路地に走り込んだ。その意味を解して東もあとに続く。

 路地は裏の小さな畑で途切れていたが、堀井は雪がくるぶしの深さほど積もった畑の中を三叉路に向かって走った。そして、畑の境の石垣を二度飛び降り、その度に重いカメラを持っている東に手を貸す。

 ブロック塀のある路地から三叉路の方に向かい、用心しながら塀の陰から道路を窺った。

 燃えているのは三叉路に面している雑貨屋だった。油でもあるのだろう。上の家より更に火勢が激しく、黒い煙も出ている。

 三叉路の南側に人が二人倒れていた。一人は服装から判断して機動隊員らしいが、先ほどの機動隊員かどうかは判らない。そして、もう一人は黒っぽいジャケットを着ていて、裾山の住民らしい。

 銃声は小学校の方でまだ続いている。
 何がどうしたのか堀井には全く事情が判らない。
 東は堀井の脇でカメラを回し始めた。彼の持っているのは普通のビデオカメラだったが燃えている火の明りで十分撮れそうだ。

 黒っぽいジャケットを着た方が少し動いた。まだ生きているらしい。
 堀井がブロック塀の陰から出てそちらに行こうとすると、小学校の方から乗用車が二台、すごい勢いで走ってきて、御殿場方面に向かう道路へスリップしながら曲がって行った。

 二人は道路を横切って倒れている人の傍らへ行く。
 機動隊員は完全に死んでいた。もう一方の黒っぽいジャケットを着た男は足首がなくなっているほどの重傷だったが、まだ生きている。

 出血が酷い。堀井は男のベルトを抜いて血どめをした。
「何があったんですか」東が男に尋ねた。
「無理だよ。出血が酷いんでほとんど気を失っている」

 銃声はもう聞こえなくなっており、小学校の方からも火の手があがっていた。下の方から五、六人の人たちが息を切らして走ってきた。

「手を貸して下さい」
 堀井は立ち上がって呼び止めた。
「早く手当をしなければ死んでしまいます」

 東が先頭を走っている年輩の男の腕をつかまえていう。
「ハマどんのところのせがれだ」
 倒れている男を見て彼がいった。

 男は一緒に来た人達に連れて行こうといって、手伝わせて担ぎ上げた。
「何が起こったのですか」
 堀井は傍らに立った中年の女性に尋ねる。

 彼女は当惑した表情を浮かべて隣の若い男を見た。
「変なものがいるんだ。火を吹いている」
 その男が答えた。

「こんなかっこうして、暗闇の中をすごい早さで動いている」
 両手を前に出し滑らかな曲線を描きながら別の男がいう。
「見たのですか」

 男はうなづいて見たといった。
「小学校の付近が燃えてますけど、機動隊はどうしたのですか」
「どうしたもこうしたもねえよ。鉄砲なんかまるで役にたたねえ。みんな車で逃げだしたよ。俺達もこれから車で逃げるところだ。あんた達も早く逃げたほうがいい」

 彼らはハマどんのせがれを担いで、暗い御殿場に通ずる東側の道に消えて行った。

「どうする」堀井は東にいう。
 東は判断を任せるというように堀井の顔を見てうなづいた。

 坂の上を見ると、既に火は旅館の近くまで届いていて、火勢も強く、道路は通れそうもない。坂を登り返して旅館に帰るのはもう遅かった。

 相模と他のスタッフ達はどうしたのだろうか。彼らが二人の後を追ってきた様子はなく、あのままあそこに居たのであれば、やはり、もう旅館には戻れなくなっているだろう。

 そして、先ほどの男の話だけでは何が原因でこんな騒ぎが起こったのか、まださっぱり判らない。

「行ってみよう」
 堀井は小学校の方に向かって歩き出した。
「用心のため、道を外して行きましょう」
 家並が切れるところで東がいう。

 二人は再び畑の中を行く。墓地があり、そこを過ぎると小学校が見えてきた。校舎は暗い中で明々と燃え上がっている。東はカメラをまた回し始めた。

 ふいに校庭の中から車が飛び出してきて、稲光のように光が閃き、道路に水蒸気が上がった。

 それは機動隊の使っているジープタイプの四輪駆動車だった。
 狂ったように道路に飛び出し、積もった雪の上を横滑りをしながら曲がり、坂の上に向かって走って行く。

 続いて変なものが道路に出てきた。まさに変なものだった。

 それは雪道を全くスリップすることなく方向を変えて、四輪駆動車の後を追い始めた。車の速度に優るとも劣らないスピードだ。

 二人は道路に飛び出しその後を見送った。
 ピカッと閃光が走り、車は蛇行して道路脇の石垣にぶつかり横転した。それは走るのを止め、横転した車の様子を窺うようにじっと立っている。やがて鈍い音を立てて、車が燃え上がった。

 その変なもののシルエットがはっきり見て取れた。四本の蜘蛛のような脚があり、まん中にお供え餅のような二段になった胴体がある。

 何なのだ。生物のようには見えない。
「ロボットみたいだ」
 東が独り言のように呟いた。

 そういわれればロボットのように見えるが、見たこともない形だった。

 堀井の知識では、ロボットといえば工場で組立作業などをしている機械だという程度の認識しかなく、独力で行動し、車以上のスピードで走るようなロボットが存在するという話は聞いたことがない。

 だが、いま目の前にしているのはどう見ても生物とはいえない。もし、あれが本当にロボットだとすれば、何処から来て、何故こんなところに現れたのだろう。

 胴体が回転し、赤い光がちらっと見えた。
 危ない‥‥‥。

 堀井はそんな予感がして、突差にカメラを回している東の腕をとって畑の石垣の陰に引っ張り込んだ。その瞬間、二人が隠れた石垣の角が激しい閃光と共に弾け飛んだ。

「見つかった。逃げるんだ」
 堀井は畑の中を走り出す。前方に真っ黒に見える桧林があり、雪に足を取られながら、それをめがけ必死に走った。

 東が後に続いてるかどうか判らなかったが、とにかくしゃにむに走って林の中に飛び込み、更に奥へ逃げた。

 なかは真っ暗で何も見えず、何度も木にぶつかり、転んだりしたが、それでも懸命に奥へ奥へと逃げ込んだ。

 だが、余り大きな林ではなく、すぐに反対側へ抜け出てしまった。
 そこも畑だった。暫く、畑の中に立ったまま耳を澄まし後ろの林の中を窺った。いつまで経っても何の音も聞こえてこない。

 東がくる気配もなく、あの変なロボットも後を追って来る気配もない。東は別の方角に逃げたらしい。

 既に旅館を出てからかなりの時間が経過している。とにかく、スタッフのところに戻ろうと思い、堀井は林に沿って畑の中を上へ歩き出した。

 だいぶ走り下ってしまったらしく、いつまで経っても道路に出会わない。上へ行けば、間違いなく御殿場に通ずる道路にぶつかるはずだと思いながらも不安になってきた。

 前方にまた桧の林が黒々と現れた。左右どちらも真っ黒で、どの方向へ向かっても林の中に入らなければいけないらしい。

 再び、林の中を手探りで進んだ。
 前方、すぐ近くを車が走って行く音がしたので、慌てて前進する。
 突然、林が終って道路に出た。

 車の音が遠ざかる方を見たが、ライトの光は見えなかった。車はライトを付けずに走っていったらしい。

 反対の方を見ると集落が燃えている明りで夜空が紅くなっている。どうしようか一瞬迷ったが、裾山の集落を目指して戻り始めた。

 急に寒さが身に感じられてきた。
 溶けた雪で、靴の中が濡れていて気持ちが悪い。
 集落の東端まで戻って来ると、火は先ほどより広がり、集落全体が燃え上がっているように見えた。

 道端に人が立っていた。近づく堀井に気が付いて手を振っている。東だった。

「大丈夫か」
 東は寒そうに震えており、よく見ると全身泥だらけだった。堀井と同じように夢中で逃げ回り何度も転がったらしい。だが、カメラはしっかりと持っていた。

「奴はどうした」
 あの変なもののことを尋ねる。
「判らない。堀井さんの後を追いかけて行ったと思っていました」

 寒いので、東は小さく足踏みをしている。
「いや、こっちには来なかった」
 東は林の中で堀井と反対に上の方に逃げたので、堀井より早くここまで戻ってきたらしい。

「そんなことより、見て下さい。車がありませんよ」

 東は道路の反対側を指していう。旅館の近くに駐車場がないので、そこの空き地に、乗ってきたテレビ局の車を駐車してあったのだが、何処にも見あたらない。

「うちの連中が乗って逃げたんですよ」
「おいてけぼりをくったか」

 堀井は時計を見る。先ほど旅館を飛び出してからもう三時間近く経っていた。既に皆逃げてしまって、もう裾山には誰もいないのだ。たぶん、先ほどの車が最後だったのかもしれない。

「歩くしかないな」
「御殿場までですか。夜が明けてしまいますよ」
 しかし、ここに残ってあのロボットか怪物か判らないものに襲われるよりはいい。

 二人は今来た雪道を戻り始めた。

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