二十五、

 翌朝、未明に隊は頂上を目指して一気に登った。
 天候は相変わらずであるが、隊の登る速度は昨日までより速く、約一時間で頂上に到着した。

 久須志神社があり、両側に山小屋が建ち並んでいる。夏であればこの辺りは登山者で混雑していて、正面の火口を隔てた向こう側に、測候所のレーダードームが見えてくるところだ。

 しかし、今は正面から吹き付ける風雪が濃い雲と共に全てを隠している。
 伊滝三佐は互いに登山道を挟んで建っている二つの山小屋を拠点に選んだ。

 無線機の状態をチェックした上田二曹が全く通話できないという。
 山頂の何処かにMTAが居る明かな証拠だった。

 まず測候所が中継基地であるかどうか確かめなければならない。そこには六人の職員がいたはずであるが、もしMTAに占拠されていれば、全員が殺されているかもしれない。しかし、誰か生き残っている可能性もあるので、それを確かめることが先決である。

 ここから山頂の最高峰である剣が峰の測候所まで、直線距離で七百メートル足らずだが、あいだに火口があるので、お鉢を回って行かねばならない。

 荷物を下ろし身を軽くして、田辺二曹と篠田が左回りで偵察に出て行った。左回りの方が右回りで行くより少し近く、ルートも二つある。

 吉田大沢源頭から山頂第二の高峰白山岳を登り、釈迦の割石を通り雷岩を経るルートと、吉田大沢源頭から金名水に下り、環境庁休憩舎を経て行くルートだ。

 田辺と篠田は後のルートを取るつもりで出て行った。
 伊滝三佐は右回りの偵察も出した。
 右回りは一本道である。千田三曹と大久保が出発した。

 残りの隊員達は二つの山小屋に分かれて偵察の結果を待つことになった。
 風雪の中に消えて行く彼らを見送りながら、多賀はフォワードのサイドアタックがいよいよ始まったと思う。

 昨夜のことは既に伊滝と上田に話してあるが、二人とも、その後それについて何も口に出して言わない。

 多賀の推測では伊滝三佐はたぶん狙われていないはずだ。彼は上田二曹と違いFGグループでもなく、ただ忠実に命令に従っているだけで、上層部もそれは知っているに違いない。

 しかし、こんな危険な任務の指揮官にさせられたということは、MTAとの戦闘経験があるためばかりでなく、三佐の態度を確かめる目的もあったのだ。そしてこの任務を無事果して帰っても、彼が命を落としても、それはそれでいいと上層部は考えているのだろう。

 一方上田二曹は違う。彼はFGの一員であり、上層部としては生きて帰られては困るはずだ。

 しかし、彼は伊滝三佐と共にMTAと戦って二機も破壊し、生きて帰ってきた英雄でもあり、隊内では注目の的であろう。したがって、うかつに抹殺できないので、この任務につけ、殺し屋を送り込み確実に殺してしまおうと企んだに違いない。

 そして、多賀の話を洩れ聞いた殺し屋は、多賀も上田二曹の同類だと思い殺そうとしたのだ。

 今朝になって、あの暗闇の中でピッケルを振り回したとき、金属音がしたのは奴の銃剣をたたき落とした音であることに気が付いた。

 奴が銃剣をなくしてしまった可能性があるので、朝からずっと隊員の腰の銃剣を注意して見ている。このことは上田二曹にも話して置いたが、多賀の見る限り誰もなくした者は居ないようだ。

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 千田と大久保は無反動砲を一門持ち、無線機のスイッチを入れたまま、道なりに大日岳の外側を慎重に進んだ。

 無線機は本来の機能は全く失っているが、視界のきかないこの雲の中で、MTAの接近を知らせてくれるという役割を果たしてくれるはずだ。

 時折、雲が途切れてかなりの距離が見えることもあり、いまも頂上が平たく火口の方に傾いている伊豆岳がちらっと見えて隠れた。

 頂上付近の山腹は傾斜角が四十度を越え、かなりきつい。その斜面に刻まれている道を辿って伊豆岳を巻いて行く。

 地面に雪がないところに出た。
 降る雪が地面に触れると積もらずに溶けていく。
 ここは東サイの河原と呼ばれ、近辺は地熱の高いところだ。

 近くにNTTの建物があるはずである。山頂では無線が使えないことを予め想定していたので、NTTに依頼して富士山の電話回線を開けて貰ってある。

 二人は電話の具合いも調べて来るように命令されていた。
「千田三曹、無線機はどうですか」
 大久保が不安げにいった。

「うん、よくは判らないけど、大丈夫だ」

 千田は無線機に耳をあてたが、かすかな騒音が聞こえるだけである。
 二人はNTTの建物を見つけ、持ってきた鍵で中に入った。
 電話はすべて取り外してあったので、電話機を探し回線につなげた。

 千田が滝ケ原に通ずるダイヤルを回すと、待ち構えていたように、相手がすぐに出た。

「山頂からです‥‥‥。いえ、偵察の千田三曹です‥‥‥。三佐は吉田口の小屋で攻撃の準備中です‥‥‥。はい、はい、今朝山頂に着きました‥‥‥。天候はどうですか‥‥‥。そうです。殆ど視界がききません‥‥‥。それは伊滝三佐が来てから報告すると思います」

 窓際で無線機を持って外を窺っていた大久保が激しいゼスチャーで無線機を指さすのが見えた。
「なに?」
 千田は尋ねた。

 大久保は声を出さずに口の形だけでMTAという。電話を切って窓際に行くと、無線機から微かだが波うつような音が聞こえている。

「見えるか」
 板を打ちつけてある窓の隙間から覗いたが何も見えない。
 音だけが次第に大きくなってくる。

 無線機の音が奴に聞こえるとまずいと思い、千田三曹は無線機のスイッチを切った。そのままの姿勢で暫く様子を窺う。

 長い時間が経った。恐る恐る無線機のスイッチを入れてみると、もう波うつ音は聞こえてこない。MTAは遠ざかったらしい。

「戻りましょう」大久保がいう。
「いや、馬の背の近くまで行かなければいけない。そこまで偵察しろと命令されている」

「でも、こんなにMTAがうろついていたら無理ですよ」
 大久保はおびえており、千田も恐ろしかった。二人ともMTAと戦った連中から、MTAの不死身のような戦いぶりを聞いて知っているのだ。

「どっちに行ったと思う」
「判りません」
 大久保は首を振った。

「我々の来た方向にはいなかった。ということは向こうから来て我々の来た方に行ったかも知れない。戻れば奴にぶつかるかもしれんぞ」

 二人はNTTの建物を出た。東サイの河原を出ると道は下りで、御殿場口の銀明水に降り立つ。

 更に、駒ケ岳への急傾斜を喘ぎながら登り、浅間神社奥宮に到達する。付近を調べたが、何の異常もなく、MTAもおらず、中継基地らしきものも見あたらなかった。

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 左回りに出た田辺二曹と篠田は何事もなく環境庁休憩舎にたどり着いた。赤い屋根の休憩舎が目の前に現れ、二人は建物の陰に身を寄せた。

「何も居ませんね」
 篠田がいう。
「そうだな‥‥‥、やはりこの上だ」
 田辺二曹は頭の上を指さす。

 濃い雲に隠されているが、二人のいる休憩舎の建物のすぐ上に測候所があり、ここからなら無反動砲で攻撃が十分できる距離だ。

「ほんとに測候所が中継基地だと思いますか」
「あの多賀という人がそういっているし、伊滝三佐もそう思っているから、そうなんだろう」

「多賀さんという人‥‥‥。何故こんなところまで我々と一緒に来たのですか」
 田辺は知らないとかぶりを振った。

「MTAを考え出した人だといっていましたけど‥‥‥」
「そうらしいな。頭の良い人は困り者だな。彼がMTAを考え出さなければ俺達だって今こんなところにいなかったはずだ」

「そうですね」
「多分、責任を感じて来たのかもしれないな」
「でも、MTAを造って操っているのは別の連中でしょう」

「そうだ、富士オートマトンの工場にたてこもっているらしい」
「クーデターでも起こそうとしているのですか」
「知らないな」

 田辺二曹は無線機のアンテナを測候所の方向に向け左右に振る。変わった音は聞こえない。

「おかしいな」
 田辺は呟く。

「長野は何故死んだのですかね」
 田辺二曹は篠田の質問を聞いていなかった。

「行ってみよう」
 田辺は建物の陰から出て登りだす。篠田もその後に続いた。

 火口壁の上へ出たので急に風が強くなり、雲がものすごい速さで流れていく。たちまちゴーグルに雪がへばり着いてきて前が見えなくなった。

 大沢崩れで有名な大沢の源頭だ。飛ばされないように四つん這いになり更に登ると、細いリッジ状の溶岩帯になった。

 ここは親知らず子知らずと呼ばれている場所である。
 火口側を見ると、時折、雲が途切れて底まで見える。
 二人は殆ど腹這いの状態で、そこを通過し、測候所にたどり着いた。

 田辺二曹は無線機の音に聞き耳をたてたが、やはり何も聞こえてこない。ボリュームを上げても雑音が入って来るだけで、波を打つような音は聞こえてこなかった。

 頚を傾げた。無線機は出て来る前には正常だったし、壊れているはずはないのだ。もしかするとMTAがいないのだろうか‥‥‥。

 田辺二曹は、行くぞと手で篠田に合図して、二号館の入口まで走った。ドアに鍵は掛かっておらず、二人はそのまま測候所へ飛び込んだ。

 なかは風がないだけ外より暖く感じる。
 しかし、暖房をやっている気配はなく、二号館には誰もいなかった。

 アイゼンをはずし、田辺二曹は無反動砲を篠田は銃を構えて進んだ。レーダー室、その他の部屋どこにも誰もいない。

 更に三号館へ行く。測候所職員の居室及び寝室があるところだ。
「田辺二曹」
 篠田が呼んだ。壁に掛かっている温度計を見ており、田辺も戻って脇に立ちそれを眺めた。

「マイナス十九度です」
 篠田の言いたいことは判っている。人間が居室として使うには快適な温度とは言えないのだ。しかし、念のため探してみたがやはり誰も見つからなかった。

 六人の職員はMTAに殺されて何処かへ捨てられてしまったのかもしれない。二人は二号館の方へ戻りかけた。

「何か聞こえませんか」
 篠田が立ち止まっていう。
「いや」
 後ろを歩いている田辺は耳を澄ましたが何も聞こえない。
「そうですか」

 篠田がドアを開けるとモーターが回転するような低い音が聞こえてきた。数メートルと離れていないところに透明ドームが二つゆっくりと回転しながら動いており、ドームの下部から出ている細くて長い腕は何かを支えていた。

 篠田は息を飲んで立ち止まった。
「どうした」
 田辺が篠田の肩を押しながらのぞき込む。

 人間が物音に驚いて顔を振り向けるように、透明ドームがくるっと回転し、二人の方を向いた。見るのは初めてだが、それがMTAであることは一目瞭然だった。

 勢いよくドアを閉め、二人は三号館に逃げ戻った。
 すぐ追いかけて来る気配はなかった。
 奴らは外から何かを運び込んでいた。たぶん、中継基地の資材だろう。おそらく、それを置いてから二人を追って来るに違いない。

「無線機はどうしたのですか」

 無線機を見るとスイッチが切れていた。測候所の中に入る前は確かにスイッチは入れてあったはずで、田辺は切った覚えがない。たぶん、なかに入った時、いつもの習慣で無意識にスイッチを切ってしまったのかもしれない。

 スイッチを入れると無線機から波を打つような騒音が聞こえてきた。
「どうするんですか」
 篠田が非難するような目付きで田辺をにらんだ。

「外へ出よう」
 なかで奴らが来るのを待っていたら袋の鼠になってしまう。
 三号館は一段低いところにあるので、外へ出て崖をよじ登った。

 建物沿いに姿を隠して進み、様子を窺っていると、馬の背にかかっている雲が一瞬途切れ、火口側から別のMTAが登って来るのが見えた。

 いま飛び出して、来た道を戻ろうとすればと、途中で、あのMTAと鉢合せするおそれがある。といって、やり過ごす時間を待っていれば、さっき逢ったMTAが、二人がもう建物の中にいないことに気付き、外へ出て来るかも知れない。

 二人は、偶然、MTAが外に出払っている間に、中へ入り込んでしまったらしい。

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 多賀は向いの小屋へ行こうと外へ出た。
 手を風避けにかざすと、瞬く間に細かい雪が張り付いてきた。
 今まで雲だと思っていたものが、全て細かい氷の粒子であることに気が付き、下界では想像もできないことなので、もう一度手を前に出して手袋に付く細かい氷を眺めた。

 その時、向いの小屋から上田二曹が走って出てきた。
「何をしているのですか」
「そちらへ行こうと思ってたんだ」

 上田は行こうとする多賀を引き留めて、銃剣の話を始めた。
「全員、銃剣は持っていた」
 多賀がいうと上田もそうだと答えた。それで上田はみんなの銃剣を一本一本見せて貰ったらしい。

「何故」
「ピッケルでたたき落としたのでしょう。刃こぼれしているかもしれないじゃないですか」

 成るほどと思ったが、あの時ピッケルがうまく銃剣の刃にあたったかどうかは判らない。
「それで‥‥‥」多賀は先を促す。

「ありませんでした。でも、まだ全員の銃剣を見たわけではありません」
「千田三曹は‥‥‥」
「まだです。偵察に出たので、その暇はありませんでした」

「そうか‥‥‥。あとは誰が残っている」
 偵察に出ている田辺二曹と篠田、それに伊滝三佐と金窪二尉が残っているらしい。

 あとの二人はちょっと調べにくいと上田はいう。
 上官の二人には気軽にちょっと見せてくれとは言い難いのだろう。あとで多賀自身が調べてみようと思った。

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 千田三曹と大久保は虎岩の上を通り、三島岳の内側を通過した。虎岩とは火口壁の途中にある、丁度虎が火口をめがけて飛び込むような格好をしている岩棚である。

 馬の背は目の前で、天候がよければ測候所のレーダードームも間近に見ることができる位置だ。

 無線機がMTAの接近を知らせてきた。だが、この辺りは隠れるところがなく、またMTAがどちらから来るのかも判らない。

 大久保が慌てて戻る方角に走った。
「おい、待て」
 千田は後を追ったが、すぐその姿を見失ってしまった。

 無線機の音が次第に大きくなってきた。MTAは大久保が走り去った方から来るように思える。

 無反動砲で攻撃するには上からの方がいいと思って三島岳の方へ登ろうとしたが、間に合いそうもない。しかたなく、火口側の斜面を、たぶんこの先は虎岩の上へ出られるのかもしれないと思いながら下り始めた。

 上の方で岩の崩れる音が聞こえた。
 まさか、大久保が落ちたのでは‥‥‥。
 立ち止まり、聞き耳をたてると、更に落石の音が続いた。

 これ以上下るのは危険らしいと判断して、ちょっと足場が悪かったがそこで身を伏せ、MTAをやり過ごすことにした。

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 篠田と田辺二曹は前後からMTAに挟まれて逃げようがなくなり、建物の脇に身を伏せていた。
 田辺は顔だけ上げて、登って来るMTAを見た。

 話に聞いていたよりスピードがない。これなら一発でしとめられるかもしれないと思った。

 振り返り、手真似でやるぞと伝えると、篠田は後ろを指さし手を振っている。
 怖気づいたらしい。田辺がそれを無視して立ち上がろうとすると、篠田が服を掴み引き戻した。

「どうせやるんなら‥‥‥なかの奴を‥‥‥」
 篠田の言葉は風雪に消されて小さかったが、ハッキリ聞こえた。
 彼はなかのMTAを先にやろうといっているらしい。

 その言葉で、田辺は自分の方が怖気づいて逆上していることに気が付いた。

 攻撃隊の目的は中継基地の破壊である。測候所が中継基地であることは二人の偵察で明らになり、職員もなかには居ない。従って、あとはロケット弾を一発たたき込めば目的は達せられる。そう思って篠田は田辺を引き留めたのだ。

 田辺は建物沿いに、最初に入った二号館の入口へ走った。篠田も続く。そして、再びなかに侵入した。

 MTAの姿はなく、二人はレーダー室に通ずる通路を慎重に進んだ。

 通路のドアはどれも開け放されたままで、レーダー室の前に銀色の布に包装された荷物が置いてあった。先刻、来たときにはこんな物はここにはなく、先ほど出くわしたMTAが運んで来た物だ。

 二人はMTAの姿を求めて、各部屋を覗いたが、何処にも見あたらなかった。おそらく、二人を追って三号館の方へ行っているのだろう。

 どの部屋にもいろいろな装置があり、どれが測候所の機器でどれがMTAの中継基地用のものか二人には区別がつかない。

「早く、やっちゃいましょう」
 篠田がいう。
「手榴弾だ」
 胸にぶら下げている破砕性手榴弾を取りながら田辺はいった。

 各部屋毎に破壊しなければならず、ロケット弾でやるには弾の数が足りないのだ。それにロケット弾はMTAをやるのに残して置かなければならない。

 手榴弾では破壊力が弱いかもしれないが、精密機械は僅かな損傷でも致命的な効果があるはずである。

 二人は各機器の上に手榴弾を置いて爆破して回った。
 手持ちの手榴弾を使い尽くしてしまい、最後にMTAの運んで来た機材に篠田が六四式小銃の連射を浴びせた。

「さあ、行こう」
 二人は急いで引き上げにかかった。
 通路を駆け抜け二号館に出ると、そこで、丁度ドアを抜けて来るMTAと出くわしてしまった。

 やはり、奴は二人を追って三号館の方へ行っていたらしい。
 狙いもつけずに田辺二曹は無反動砲を撃った。
 大音響が室内に響き渡り、二人は爆風でなぎたおされてしまった。着弾距離が近すぎたのだ。

 耳がガーンと鳴っている。
 顔を拭うと手袋に血がついてきた。何処か怪我をしたらしいが、痛いところは何処にもない。かすり傷である。篠田も起き上がってきた。

 MTAのいた辺りの壁に穴が開いて、雪が舞い込んでいる。
 奴をやったかどうか判らなかった。

 たとえ破壊したとても、もう一機居るはずだった。確認している暇はない。二人はそのまま出口に向かって走った。

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 千田はMTAをやり過ごし、火口壁の斜面を登り返した。

 MTAが来た方向へ逃げた大久保が心配だった。あの岩崩れの音は何だったんだろう。

 彼が火口に落ちた音ではないのだろうか‥‥‥。
 突然、右手の方から爆発音が聞こえた。更に連続して聞こえてくる。測候所の方からだった。

 千田はまだ偵察に出てそれほど時間が経っているとは思っていなかったが、伊滝三佐が偵察の帰りを待ちきれず攻撃命令を出したのだろうかと思った。

 馬の背、吊り尾根の末端まで行けば見えるかも知れないと思って、お鉢巡りの道を横切り、更に斜面を登って行った。

 突然、近くでロケット弾が炸裂した。

 千田はすぐ撃てるように無反動砲を用意したが、弾を大久保が持って行ってしまったので、二発しか残っていない。

 辺りが数回明るく光った。MTAがレーザーを撃っているらしい。

 雲が薄れ吊り尾根が見えてきた。その上を誰か二人、強風に煽られながらよろめいて走って来る。向こう側を回った田辺二曹と篠田らしい。

 そして、その後方に四本足の蜘蛛のような格好をしたものが姿を現した。
 MTAだ。

 動きは話に聞いていたより早くない。どうやら吹いている強風のせいらしい。風に煽られバランスを崩すため、早く動けないようだ。

 MTAがレーザーを発射し、前を走る二人の近くで白煙が上がった。
 一人が弾かれたように転び、火口側の斜面を滑り落ちていった。
 千田は慎重に照準をMTAに合わして引金を引いた。

 弾道が右の方にそれて行くのが見え、雲の中へ消えてしまった。
 爆裂音は測候所付近から聞こえてきた。強風のせいで弾道がそれてしまい、照準を合わせるのが難しい。

 二発目を装填して、今度はMTAの左の方を狙う。また雲が濃くなってきてMTAの姿がかすれ始めた。

 二発目を発射した。ロケット弾は濃くなってきた雲に隠れ、すぐ見えなくなってしまったが、今度の爆裂音は吊り尾根の上から聞こえてきた。

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 田辺と篠田は必死に吊り尾根の上を走った。今にも風に飛ばされそうである。
 下に降りて、火口側を行けば風も弱く走り易いだろうが、先ほど見たMTAとぶつかるおそれがあるので、上を行くしかない。

 後ろを振り返ると、MTAが一機追って来るのが見えた。
 奴もこの強風のせいで早く走れないらしく、もたついている。いまが逃げきるチャンスだ。浮き上がりそうになる身体を必死に前へ倒し走った。

 レーザーがすぐ脇の地面に白煙を上げ、小石が弾け飛び、篠田の頬にあたった。一瞬、それに気を取られた篠田は突風に煽られ、バランスを崩して転んでしまい、斜面を滑り落ちていった。

「大丈夫か」
 田辺は斜面を駆け降り側へ行った。
 その時、後方で爆裂音がした。ロケット弾の着弾音だ。

 誰かが二人を援護してくれているらしい。
 篠田はすぐに立ち上がり、田辺の後に続いて、お鉢巡りの道まで駆け下った。
 上の方でまたロケット弾が炸裂した。

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 多賀が向いの小屋から戻り、ドアを開けようとした時、測候所の方から爆発音が聞こえてきた。
 伊滝三佐が真っ先に外へ飛び出してきた。

 更に、続いて二回、爆発音が続く。
「MTAにぶつかったんだ」
 全員が外へ出て測候所の方角を眺めた。僅か七百メートルの距離に過ぎないのに何も見えない。

「どうします。助けに行きますか」
「うん、そうするしかない」
 不意撃ちをするつもりであったが、こうなっては仕方がない。躊躇して時間をくっても何の利もないのだ。

「戦闘用意」
 金窪二尉が叫んだ。
「無反動砲と小銃だけ持て」
 隊員達は小屋に駆け戻った。
「破壊用の爆薬はどうしますか」
 金窪二尉が尋ねた。

 伊滝はちょっと考えてから答える。
「ここに置いて行く。測候所を破壊することになっても無反動砲で足りるだろう」

 伊滝が同意を求めるように視線を向けたので、多賀は黙ってうなづいた。測候所の建物を破壊する必要はなく装置だけで十分だ。測候所はこの後も使われるのだから必要以上の破壊は避けるべきである。

 伊滝は隊を右回りで進めることにした。二つに分けないのは人数が少ないせいと、無線で連絡が取れないので連携ができないからだ。

 MTAに小銃は通用しないらしいが、ないよりはましであると多賀は思い、持ってきた長野の銃を手にして後に続いた。

 伊豆岳の外側を廻り、東サイの河原に到達した。

 地熱のため雪が積もっておらず、白茶けた地肌が出ているところもあり、アイゼンに土が挟まって凍結した雪の上より歩き難い。

 伊滝三佐はNTTの建物に向かった。
 千田と大久保が歩いて行ったアイゼンの後がはっきりと残っており、彼らの進行方向が歴然としていた。

 伊滝が突然立ち止まる。
 大きな円形の中に小さな円が接して無数にあるMTAの足跡が目に入ってきた。

 一瞬、二人がここでMTAと遭遇したのかと思ったが、そうではないらしく、足跡は何事もなくNTTの建物の方へ続いている。

 MTAはどちらに行ったのか判らないが、彼らの足跡を横切っているだけらしい。

 上田二曹の手にある無線機は沈黙しており、近くにMTAは居ない。伊滝は千田が用意した電話で滝ケ原に報告を入れた。

「これから測候所を攻撃します」
 電話に出た一佐にいった。

「‥‥‥そうです。たぶん、測候所が中継基地に使われていると思われます。‥‥‥確認します。‥‥‥いえ他にもあるようです。はい判りました。我々だけで見つかるかどうか‥‥‥。後続隊ですか‥‥‥。はい連絡終ります」
 伊滝は受話器を置いた。

「後続隊がもう新五合目を出たそうだ。明日の朝までには頂上へ来るらしい」
 伊滝は隊員達を促して外へ出た。

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 田辺二曹と篠田は一気に走って浅間神社奥宮まで来て止まった。呼吸が苦しく、空気が薄い上に気温も低いので肺までも痛い。

 二人とも頭からすっぽり被っている目出帽の口の部分に、氷がへばりついており、氷の髭がはえているような顔をしている。

 石積みで区画され、山小屋が建っており、ここには、冬季は当然閉鎖されているが、郵便局もある。

 篠田は鳥居の側にへたり込み、躯を柱にあずけるように寄りかかった。躯を動かさないとすぐ冷えてきて非常に寒い。

 風の来ないところで休みたいと思い、入れそうな小屋を見て回った。
 小屋は強風のため、何れもエビの尻尾と呼ばれている横に延びたつらら状の氷で覆われていて、まるで鎧を着ているように見える。

 鍵の外れている山小屋を見つけた。窓や他の出入口はしっかり板などが打ちつけてあるのに、そこだけ板が外され鍵がなくなっている。

 誰かが夏のシーズン後に、こじ開けて利用したらしい。
 氷を砕いてなかへ入った。薄暗いが、風もなく、外と較べると格段に居心地がよい。

 二人が測候所を攻撃した音は本隊に聞こえたはずだ。今ごろはこっちに向かって来るところだろう。

 田辺は本隊をここで待つつもりだった。二人はほっとした気分になり、座り込んだ。
 全く無傷でここまで来たのだ。幸運としか言いようがない。

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 千田三曹は三島岳の斜面を田辺と篠田が下った方角へ降りて行った。二人と合流しようと思い、お鉢巡りの道にぶつかったところで、暫く待ったが、なかなか現れない。

 千田は二人が既に駆け抜けて行ったのを知らなかった。
 もっと下の火口内に逃げたのかも知れないと思い、更に下り、先ほどMTAをやり過ごしたところを過ぎて、虎岩の上に出た。

 岩棚の付け根に沿って行くと誰か倒れていた。顔を覗くと、大久保だった。首筋に手を当ててみたが、既に脈はない。

 やはり、あの岩崩れの音は彼が落ちた音だったのだ。
 周りを探したが、彼が持っていた装備は何処にもない。

 千田はそこで引き返し、お鉢巡りの道に出て奥宮の方へ戻り始める。 少し行くと無線機がまた鳴りだした。

 いま千田の居る場所の火口側は崖になっていて、下ることはできないので、三島岳の方へ登り、岩陰に身を隠した。

 先刻、NTTで電話をかけた時から、頻繁にMTAが接近して来る。
 きっと同じ奴かもしれない。おそらく、自分の跡をつけまわして居るのだ。

 千田にはもう無反動砲の弾がなく、あるのは小銃だけだ。
 小銃ではMTAに歯がたたないと聞かされていたが、上田二曹の話しでは、伊滝三佐は小銃でMTAを倒したらしい。

 千田は空の無反動砲を置いて小銃を握りしめた。
 無線機の音が大きくなってきたのでスイッチを切った。ゴーグルに張り付く氷雪を拭って周りに気を配る。

 奴はどちらから来るのだ。
 吹き荒れる風雪のなか、左下の斜面にちらっと何か動くのが認められた。距離として七、八メートルある。

 黒いものが動いている。MTAの足のようだ。
 ドームがあると思われる部分に引金を引きっぱなしで小銃弾をぶち込んだ。素早く腰から替えの弾倉を取り差し替えて、更に遊底を操作し次の弾を送り込む。

 動く黒いものは見えなくなった。
 何処に行ったんだ。今の射撃でやっつけたのだろうか‥‥‥。
 腰を浮かして立ち上がった。
 その瞬間、風雪の中から閃光が走り、千田は吹き飛ばされた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「田辺二曹、誰か居るみたいですよ」
 奥の方を覗いていた篠田が呼ぶので、暗い奥の部屋へ入って行くと、更に一段と暖かく感じた。しかし、暖かいといっても外と較べてであって、寒いことには変わりない。

 そして人息れとまではいかないが、人の呼吸した空気の臭いがするような気がして、あれっ、と思った。

「ほら、あそこ」
 篠田の指さす先を見ると、窓に打ち止めた板の隙間から入る僅かな明りの中に布団が見え、人が寝ているように盛り上がっていた。

 田辺は側に行ってのぞき込んだ。若い男が寝ており、声を掛けたが返事はない。揺すると僅かに反応があった。

 生きて居るらしいが、相当弱っている。
 おそらく、測候所の職員だろう。そうとしか考えられない。

「他にいないか」
「いません」
 小屋の中を見て回った篠田が答えた。

 男は昏睡状態でいくら揺すって呼んでも返事はなく、既に手足の指が黒ずんで倍くらいに膨れ上がっており、完全に凍傷にかかっていた。

 MTAの殺戮から逃れて一週間近くここに潜んでいたに違いない。
暖房をしたくとも見つかるのを恐れたのですることもできず、食料も水もなしで過ごしたのだろう。

 こんな極寒の中で何も食べずに、そして、暖房もなしにいたら、凍傷になるのは当然で、凍死していなかったことだけでも奇跡に近いことだ。しかし、男の様子からそれも時間の問題のように思えた。

 ストーブの燃料は残っているかもしれないが、火をつけるわけにはいかない。そして、二人は何も持っておらず、何もしてやれないのだ。

気休めにしかならないと思ったが、布団をもう一枚上に掛けて入口の方に戻った。
 伊滝の率いる本隊が浅間神社奥宮に到着した時、田辺と篠田は小屋を出て迎えた。

 伊滝に経過報告をした。
「千田と大久保はどうした」
「一度も姿を見ていません。しかし、我々の援護をしてくれたのは確かです」

 伊滝は測候所の生き残りと思われる男を見たが、話を聞ける状態ではないことが一目で判り、楠木にできるだけの手当をするよう命じた。

 田辺の報告に依れば、MTAはまだ機材を頂上に運び上げている段階らしい。そして、頂上にいるMTAは田辺が測候所で破壊したと思われるものも含めて三機確認されている。思っていたより少ない。

「おそらく、他のMTAは機材を下から運び上げているところです」
 多賀がいった。
 この一週間続いている悪天候のため奴らも作業が遅れているのかもしれない。

「そうかもしれんな。それで奴らの留守中に田辺と篠田が入り込めたのだ。奴らは何処から登って来るのかな」

「工場から来るのなら富士宮口でしょう」
 金窪二尉がいった。
「でも奴らなら何処でも登ってこられるのでは‥‥‥」

「普段であれば、その通りです。しかし、この天候ではMTAも安定して歩行できないかもしれません。まして荷物を持っていては何処でも自由にとはいかないでしょう。ですから、MTAは登山道を登って来ています」

 多賀は田辺にMTAの動きを尋ねた。
「奴は風が強いため、余りスピードを出して走れないように見えました」

 MTAの登って来る登山道は富士宮口に間違いない。
 そして、現在、攻撃隊の居る場所は富士宮口の頂上だった。
「それなら、ここで待ち伏せて奴らを機材もろともやっつけられる」

「MTAは中央制御されているから、測候所が襲われたことも我々がここにいることも、工場の連中はもう知っていますよ」
 多賀がいうと隊員達は顔を見合わした。

「待ち伏せることも‥‥‥」
「いや、そこまでは知らないと思う。でも我々が頂上に居ることは知ってるから、予想はするでしょう。たぶん、我々を排除するため機材を運んでいないMTAが来ますよ」

「そうだな、そう考えた方がいい。そうすると空身のMTAだから何処から来るか判らない」
 伊滝三佐がいった。

「いや、それでもやはり登山道を来るかもしれません」
 多賀は慎重に考えていう。

 MTAは確かに原理的にはどんなところでも歩行でき、傾斜が垂直以上になっても平地と何等変わりなく行動できるのだが、それには一つだけ大前提が必要である。それはMTAの足と接する面が堅固でしっかりしていること、MTAの体重が乗っても壊れたり剥離しないことが必要なのだ。

 硬い岩やコンクリートでできたところでは、どんなに傾斜がきつくなっても障害とはならないが、富士山のように砂礫や風化された溶岩からなっているところでは、頂上付近の四十度を越える傾斜はMTAの行動に制限を与えている。その上、強い風が吹いていることが、更なる制限を助長していることは間違いない。田辺と篠田がMTAのスピードがないといっているのは、その証である。

「すると、ここではMTAと我々の力の差が縮まるという意味にもとれますね」
「ある程度は‥‥‥」と多賀は慎重に答えた。

「奴にあのスピードがなければ、こっちも対等以上に戦えますよ」
 上田二曹が隊員達を見回しながらいう。

「MTAが頂上に来るルートは登山道しかないわけですね」
 伊滝が確認するように言った。

「絶対にとは言えませんが、九分九厘はそう考えていいでしょう」
 MTAが現在使っているルートは富士宮口登山道と見て間違いはない。

 しかし、頂上で攻撃隊が待ち伏せしていると予想した場合、強行突破を試みるかもしれないが、他の登山道を使うこともありうる。

 奴らが使えるのは南側の登山道だけだろう。もしそれ以外の登山道を使うなら、富士山の陰になって電波が一方通行になり、細かい臨機応変の戦闘ができなくなるからだ。

 南側の登山道は西から大沢左岸道、執杖流し道、富士宮口登山道、そして、御殿場口登山道がある。

 大沢左岸道と執杖流し道は直接剣が峰に出られるが、途中まで富士宮口登山道を来てお中道を西に回って来なければならない上、現在は殆ど使われておらず荒れている。

 たとえMTAでも、この天候では危険が大きすぎるので、このルートは考えなくともいいだろう。
 残るは今攻撃隊がいる富士宮口と御殿場口であった。

「まだブルドーザー道があります」
 誰かがいう。
「そうだ。ブルドーザー道の頂上は何処だ」

 地図を見るとブルドーザー道の頂上は二つあり、一つは攻撃隊が登ってきた須走口と同じ場所で、もう一つは三島岳の測候所側の下にあった。

 須走口は富士山の陰になるし、現在後続隊が登って来つつあるので、考慮に入れなくていいだろう。

 MTAが来ると考えられるルートはブルドーザー道を含めて三つであり、その三つの道はお中道を使わずとも、もっと頂上に近いところで自由に行き来できるので、富士宮口登山道を登って来ても途中からその三つを自由に選択できる。

 伊滝は三つの道から来るMTAを阻止するのには人数が少なすぎると思った。

 測候所のある剣が峰に最も近い頂上はブルドーザー道のそれであり、奴らは現在それを利用している可能性が大きい。当然、そこに待ち伏せの隊を配置させなければならないだろう。

 そして、もう一つこの奥宮付近に配置すれば、御殿場口から登ってきたMTAが逆廻りしないかぎり、富士宮口から来るそれと両方待ち伏せることができる。

 隊を二つに分けることは戦力を落とすことになり、果して奴らをくい止めることができるかどうかは疑問であるが、混乱させることは可能だろう。

 MTAを頂上から排除できたら、それに越したことはないのだが、この戦力では望めそうもない。新たに頂上に来るMTAは、現在須走口から来つつある後続隊に任せた方がよさそうだ。

 伊滝の目的はMTAを頂上に来させないということではない。現在、南側からMTAが登ってきていることは間違いなく、このまま隊が下って行けば何処かで鉢合せする危険があるので、奴らが頂上まで来るのを待って混乱させ、その隙に南側を下り、もう一つの中継基地を探すつもりなのだ。

 その前にすることがあった。測候所の破壊状況の確認と須走口の頂上に置いて来た爆薬と食料などの荷物を持って来ることである。

 伊滝は矢継ぎ早に次々と命令を出した。
 急がねばならない。

 荷物の移送のために村井二曹、楠木、加藤、そして田原が須走口の頂上に引き返し、測候所には金窪二尉と篠田が多賀と共に行くことになった。上田二曹と田辺二曹は伊滝三佐とここに残り待ち伏せの準備に取り掛かった。

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