二十六、

 多賀と伊滝三佐は御殿場口登山道を下った。途中、何度も無線機がMTAの接近を告げて緊張させられたが、どうにか八合目に到達した。

 八合目の上に、御殿場口からのブルドーザー道と交差する地点がある。
 そこでどちらを行くか迷ったが、結局まっすぐ登山道を下り、長尾尾根の下にある八合目の小屋陰に腰を下ろして一息ついた。

 躯を休めるとたちまち体温が下がってくる。多賀は冷たい手先をあっためるつもりでミトンをはめた手で柏手を打ち始め、指先が痛くなるまでそれを続けた。

 伊滝は自分の不手際で部下を失ったことを後悔していた。もっと早く行動していれば、あんなことにならなかったかもしれなかった。

 最初から荷物を全部持って須走口の頂上を出ていれば、取りに戻ることもなかったし、初めからMTAを叩くことを考えず、ただ頂上に上げて、その隙に南側に下ることにしていたら隊員のほとんどはまだ生きていたはずである。

 MTAと遭遇し対戦した経験が、伊滝の心の何処かに恐怖心を植え付けて、無意識のうちに中途半端な作戦をとらせ、その上、山頂の空気の薄さが頭の回転を鈍らせたのかもしれない。

 多賀は手を叩くのをやめた。
 MTAと味方のフォワード力の差がありすぎたらしく、スクラムを完全に潰された状態だった。今度はバックスの脚力で勝負しなければならないだろうと思っていた。

「どうしますか」
 多賀はぼんやり考え込んでいる伊滝に尋ねた。
 彼は黙って多賀を見ている。
 聞こえなかったらしいので、もう一度いった。
「中継基地です」
「うん」
 伊滝の言葉には力がない。隊員を失ったことがショックらしい。

「見つければ二人だけでも破壊できますよ。まだロケット弾も五発ありますから」
 伊滝は再び多賀に顔を向けたが、ゴークルの中の目は驚きの色を浮かべていた。彼の精神力のタフさ加減に驚いたのだ。

 こんな状態に陥ってもまだ中継基地の破壊を考えている。伊滝は下って来ながら、もう中継基地の爆破はできないと思い、あとはこの地獄のような富士山からどうやって脱出しようかと考えていたのだ。

「村井二曹達がうまく脱出して、何処かにいるかもしれません」

 ブルドーザー道から二人が下へ脱出をするのを見たことをもう一度話し、彼らは自分達より先に南斜面を下って行ったので、この先の何処かに潜んでいるかもしれないといった。

 伊滝はまだできるかも知れないと思いつつも、一度怖気づいた自分の気持ちを立ち直らせることができるか不安だった。しかし、窮地に陥っても平然としている多賀に、戦うことを職業としている自分が負けることは、意地でも認めたくないという意識がとうとう勝った。

「よし、行こう」
 伊滝は立ち上がる。
 二人はMTAと遭遇しないように、登山道を避けて下ることにする。

 御殿場口登山道七合目から八合目にかけては、道沿いに小屋が沢山建っている。迷わないために、その小屋を目標にして、登山道から付かず離れずの距離を保ち、下って行く。

 頃合をはかり、宝永山の方向に見当をつけてルートを右に取り、登山道を横切り更に下った。やがて、お中道に行き着き、砂漠を思わせる細かい砂礫の中を登り始める。

 凍てついた砂礫にアイゼンが小気味良く効く。
 そろそろ宝永山に到着するはずだが、無線機は近くにMTAが居る兆を全く示さない。

 風が強烈になってきた。伊滝と多賀は四つん這いになって飛ばされるのを防ぎながら進んだ。

 この辺りは他の場所より一段と風が強く、こんなところにアンテナを建てたらすぐ吹き飛ばされてしまうかもしれない。
 二人は宝永山の頂上に辿り着いたが、やはり、何もなかった。

 裾野から激しい砲撃の音が聞こえてきており、伊滝の依頼通り牽制のための攻勢が始まっているらしい。

 こんな風の強いところに、いつまでも居られなかった。二人は風を避けて宝永山の東側の斜面に下り、戻り始めた。
 東側の斜面は風が弱い代わりに雪が膝上まであり歩き辛かった。

 赤岩の上に中継基地はなかったが、南斜面の何処かであることは間違いない。早く探して潰さなければ、MTAの勢力は日増しに大きくなってしまう。

 中継基地さえ潰せば、MTAは工場から離れた場所では臨機応変さが必要な細かい戦闘ができなくなる。そして、自衛隊に破壊されるMTAの数が一段と増して、それが生産数より多くなれば次第に勢力は小さくなっていくだろう。工場近辺に押し込んでしまえば、あとは人質を傷つけずに工場を直接攻撃することも可能になる。

 そうなるためには何としても中継基地を見つけなければならない。
 お中道の近くまで戻ったとき、無線機がMTAの接近を知らせてきた。
 砂礫地帯なので隠れるところがなく、二人は慌てて、僅かな窪地を見つけて伏せた。

 MTAは宝永火口の方からくるらしい。
 比較的視界がよくなり、二、三十メートル先が見えるようになっているにもかかわらず、その姿は認めることが出来なかった。

 音が遠ざかるのを待って、二人は立ち上がる。
「今のMTAは火口壁を登ってきたのかな」
 多賀がいう。

「うん、上へ行ったようだ」

 宝永山の火口は上から順に第一、第二、第三と三つあって、大きさも第一火口が最も大きく、下に行く順に小さくなり、その最大の第一火口の中をお中道が横切っている。今のMTAは火口壁についているそのお中道を登ってきたように思えた。

 工場から山頂に向かう最短コースは富士宮口登山道だ。頂上へ行く目的であったら、途中からお中道に入り宝永火口を通って来るのは明かに遠廻りだった。

 自分達が富士山に入り込んでいるのは既に察知されている。その警戒のために遠廻りして来たのかも知れないが、火口内に中継基地があり、今のMTAはそこから来たのではないかとも思える。

 宝永火口は山頂火口と違い、南面に大きく口を開いており、裾野からでも火口内が見える。そのなかは他と較べて風も強くない上に、南側から以外は見えず、また、何か存在しても下からは発見され難い。

 MTAの進出は、現在御殿場の手前の裾野までである。自衛隊の必死の抵抗のためもあるのだろうが、普通なら御殿場の市街地まで進出してもおかしくない。それをしないのは中継基地が宝永山の陰に隠れて電波が届かないからではないだろうか。

 伊滝は地図を取り出した。
「確かにその通りだ。火口内にあるかもしれない」
 二人は宝永火口を下って見ることにした。

 急な火口壁の道をピッケルにすがりながら下って行くと、途中で無線機がMTAの存在を知らせてきた。一瞬、MTAが火口壁を登ってきて鉢合せするのではないかと緊張したが、何事もなく火口底に着いた。

 無線機は近くにMTAが居ることを絶え間なく知らせている。火口底にはMTAが無数に居るような気がした。

 間違いなく中継基地は火口内にあるようだ。
 多賀は中継基地の警護にせいぜい二、三機のMTAが居るだけだろうと想像していたが、そうではないらしい。

 二人は雪の中に伏せて身を隠した。風は弱いが、視界は上と変わらず、火口壁まで見通すことができない。

 中継のアンテナはおそらく火口底より上にあるはずだ。
 突然、視界の中を黒いものが横切った。MTAだ。
 雪の中を這って移動していく。突然、伊滝が多賀の腕を掴んで止めた。

「MTAだ」
 前方に雪を被った滑らかな岩が見える。
 あれはMTAが隠れている姿だと伊滝はいう。

 二段重ねのお供え餅のような格好は確かに不自然だった。
 方向を転換して左の方に進み、暫く行くと、またMTAがかなりのスピードで前方を横切った。

 これ以上進むのは危険だ。二人はそこから元の場所に戻った。
 宝永火口は山頂火口と較べて三倍以上も広い。火口底附近は滑らかな起伏があるだけで、風も弱く、MTAの活動に殆ど制限がないだろう。

 従って、こんなところでMTAと戦うことは自殺するようなものだ。
 せめて中継用のアンテナがある場所が見えれば、ロケット弾を打ち込めるのだが、諦めて火口壁の道を登り返すより他はなかった。

 二人は追われるようにして火口壁を登りきった。
 爆薬があれば、火口壁にそれを仕掛けて岩雪崩を起こし、火口底にいるMTA諸共、中継基地を潰すことが出来るのだが、持ってきた爆薬は頂上の小屋で吹き飛ばしてしまい、手元にはかけらも残ってない。

 また無線機が使えれば、中継基地の位置を指示して、下から砲撃してもらうことが可能だが、それもできない。無反動砲で盲撃ちをしようかという話も出たが、たいした効果も望めないことは判っているので、それも諦め、御殿場口新七合目へ下った。

 そろそろ日暮れが近い。今日は朝食をとったきり、それ以後何も食べていないことを思いだし、急に空腹を覚えた。頂上の小屋ですべて吹き飛ばしてしまったので、二人とも口に出来るものは何も持っていない。

 新七合目の小屋の鍵を壊して中に入ろうとした時、比較的近くから爆発音が聞こえてきた。お中道の須走方面からだった。

「行ってみよう」

 二人は膝下ほどの深さがある雪の中を急いだ。お中道を見下ろす位置を保ちながら進んでいく。
 小銃の音が聞こえ、辺りが光った。誰かがMTAと交戦しているらしい。

 霞む視界の中に人影が三つ現れた。どれも白い戦闘服を着ている。
 続いて四人目、五人目が見えてきた。二人が見下ろすお中道を必死に走っている。

 伊滝が無反動砲を構えるのを見て、多賀もそれに倣う。
 彼らを追いかけてMTAが現れた。一機だけらしい。
 伊滝が多賀をちらっと見て合図をした。同時に撃とうというのだ。

 風のために弾道が流れるので命中させるのは難しい。二人のどちらかが当たるとは限らない。

 付近には、MTAのレーザーを隠れて逃れるような岩陰は全くなく、一発で破壊しなければ、こちらが危なくなる。
 伊滝はドームを狙った。

 多賀は、伊滝が外したとき、MTAの足元を崩し、バランスを失わせて斜面に転がそうと思い、数メートル前方に照準を合わせる。

 MTAは数歩先を予測して足を運んでいるので、予測後足を乗せる位置の地形が変わった場合、対処できずにバランスを崩すはずである。それに、ドームを狙うよりは的も大きくなり外す確率も小さい。

 伊滝が撃った。
 僅かに遅れて多賀も引金を引く。前へ引っ張られるような衝撃がきた。

 伊滝のロケット弾はドームの後ろをかすめて遥か下方に行って炸裂し、多賀の撃った弾は二メートルほど前方に着弾した。

 思った通りMTAはバランスを崩し斜面に転がり、もがきながら下方に滑り落ちて行った。
「うまい手段だ」伊滝は多賀を見て笑った。

 MTAは滑落のスピードを次第に上げて視界から消えて行ってしまった。
 MTAに追いかけられていた五人は、須走口から登ってきた後続隊のメンバーだった。

 五人の中の上官である酒井田一曹に、伊滝は事情を尋ねた。

 彼の話によると、昨日須走口の新五合目まで除雪を行い、車両が通れるようになった。今朝から頂上への弾薬食料の荷揚げが始まっており、現在、六合目附近までいっている。

 自分ら五人はそれに先だって、頂上の援護に向かう後続二個小隊のメンバーで、七合目附近まで登ったとき、突然、MTA数機に襲われ、隊が二分されてしまった。

「我々は三機のMTAに下へ追い落とされました。それで、お中道を廻り、御殿場口登山道から頂上へ向かおうと思って、戦いながら逃げてきたのです」

 上に残った後続隊はそのまま頂上に向かったらしい。

「追いかけてきたのは一機だけだったが‥‥‥」
「あとのMTAは本六合辺りに留まっているのかもしれません。たぶん、荷揚げに気付いているでしょうから‥‥‥」

「これから頂上に向かうのか」
「はい、そのつもりです」
 まもなく日が暮れる。明るいうちにいけるところまで行き、近くの小屋で夜が明けるのを待つという。

 頂上に着いたら、中継基地が宝永第一火口にあることを電話で滝ケ原に伝えて、砲撃を依頼してくれるように、伊滝は頼んだ。

「判りました。三佐はどうされるのですか」
「我々はここに残って着弾を確認する」
 酒井田一曹は四人の部下を連れて雪の中に消えて行った。

 二人は小屋に戻り、酒井田一曹達に分けて貰った食料を食べた。

 パック飯は半分凍っていて、腹がすいているのに非常にまずい。しかし、食べてエネルギーを補給しなければ体力を消耗し、下手をすれば凍死してしまうと伊滝にいわれて無理槍口に押し込んだ。

 目の前に、使い古されたストーブがある。これで暖かくすればうまく食べられるのにと思ったが、火をつけるわけにはいかない。

 ここはMTAが動き回っている真只中だ。赤外線を遠くから感知され攻撃を受けてしまう。
 二人は小屋の中を探し、湿っぽい寝具を見つけてそれにくるまった。

 既に日は暮れてしまった。酒井田一曹達も何処かの小屋に避難している頃だ。彼らは無反動砲を一門、ロケット弾も多賀達と同じ三発しか持っていなかった。

「彼らは無事に頂上へ着くかな」
 彼らが頂上に到達できなかったら、中継基地の破壊はできない。
 また到達できたとしても、もう電話が通じていないことも有り得る。

 須走口の新五合目へ行けば、爆薬は手に入るだろうが、その途中には酒井田一曹達を追い払ったMTAがいる。

 電話をかけられなかったら、やはり中継基地の破壊を諦めて脱出するしか道はない。
 多賀はあらためて脱出するルートを考えてみた。

 お中道の両方向は駄目なのは判っている。残るは御殿場口だけだが、そこは裾野にいるMTAの勢力圏であり、我々はそのためわざわざ須走口から登ったのだ。

 裾野へ下りたら無反動砲だけでは、おそらくMTAに太刀打ちはできない。それに装甲輸送車が登ろうとして阻止されているので、奴らは注意を払っているに違いない。御殿場口は最も危険かも知れなかった。

 可能性があるのは、やはり様子が判っている山頂を越えて北側に下山するルートかも知れないが、それでも危険度は五十歩百歩である。

 装甲輸送車‥‥‥。多賀は突然思い付いた。
「七三式装甲輸送車が近くにあるはずだ」

 伊滝は多賀の言葉に一瞬驚いたが、最初に派遣された攻撃隊のことをいっているのだと気が付いた。

「そう、この近くのブルドーザー道の何処かで破壊されているだろう」
「装甲輸送車で来た連中は爆薬を持ってきたはずだ。なかに残っているかもしれない」

 多賀は意気込んでいう。

「爆破されて全部吹き飛んでしまっているよ」
「そうか‥‥‥、でも残っている可能性も‥‥‥」
 多賀の声は小さくなった。常識では爆発して吹き飛んでしまった可能性の方が大きいのだ。

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 寝不足と疲れでうとうとするが、すぐ寒さで目が覚めてしまう。分厚い布団にくるまっているので、眠り込んで凍死することはないだろうが、寒くてよく寝られない。

 祐子の顔がふと浮かんでくる。彼女は和服が良く似合い、初めて逢ったときも友禅の着物を着ていた。あの時、祐子は成人式の帰りで大勢の女性の中で一際目だっていた。

 何故こんなことになったのだろう。そして、自分は何故こんなところにいるのだ。知らなかったと言え、MTAを作るという夢は既に実現している。もう、富士マトンにしがみついている理由はない。

 うとうとしては目が覚めるということを幾度も繰り返し、夢うつつに遠い爆発音を何度か聞いた。再び目が覚めた時、小屋の外で人の声がして、入口の戸が開く音が聞こえた。

「伊滝三佐」
 声に窺うような調子がある。
「誰だ」
 伊滝三佐が返事をした。

「村井です」
 入ってきたのは村井二曹と田原であった。
「我々がここにいるのがよく判ったな」

 二人は頂上に向かった酒井田一曹のグループと逢い、伊滝と多賀が新七合目に居ることを教えられたという。

「彼らは無事頂上に向かったか」
「いえ‥‥‥」
 村井二曹はMTAに蹴散らされたといった。

 酒井田一曹達は夜遅くなって、村井達が潜んでいた小屋の隣に入り、二人はそれに気付いて彼らのところに行った。彼らは暗い中を登ってきたので余ほど寒かったのか、二人が危険だからと止めるのにもかかわらず、ストーブに火をいれた。

 そして、心配していたように彼らの小屋はMTAに襲われてしまった。

「奴らは酒井田一曹達がいた小屋ばかりでなく、我々が隠れていた小屋にも火をかけてきました。外に避難して窺っていると、あの辺りの小屋全てを焼き払っていました。たぶん、我々に利用させないためでしょう。奴らには必要ありませんからね」

「酒井田一曹達は全滅か」
「そうだと思います。液体酸素弾でやられましたから」

「ストーブを焚いているところにぶち込まれたらひとたまりもないか」
 伊滝三佐はため息をつくように呼吸した。

「後は装甲車に期待するしかないね」
 多賀がいう。

「装甲車があるんですか」
 二人が同時に尋ねたので、伊滝がそれを説明した。

 村井と田原は無反動砲を持ってはいたが、弾薬は全く所持しておらず、併せて四丁の無反動砲があっても発射するロケット弾はたった三発のみであった。これでは複数のMTAに遭遇したらそれで終わりである。

 装甲車には破壊用の爆薬もさることながら、ロケット弾もあるはずだ。七三式装甲輸送車が爆破されてないことを願うしかない。

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 夜が明けると同時に、四人は小屋を出発した。
 お中道を須走口に向かって、暫く行くとブルドーザー道に出逢う。積もった雪で埋もれているので、うっかりすると行き過ぎてしまうところだった。

「装甲車は出発して二、三時間以内に攻撃されている。だからお中道より上には行っていないだろう」

 多賀の意見を入れて、四人はブルドーザー道を下り始めた。
 雪が次第に深くなり、視界も相変わらずで、四人はゴーグルに張り付く雪を拭いながら、見落とすまいと必死に目を配りながら下った。

「あそこに、何か見えます」
 六合目附近まで来た時、先頭を歩いていた村井二曹が叫んだ。
 進行方向の右側を指している。

 視界が極端に悪い中、辛うじて何かがあるのが認められた。
 辺りを窺いながら近寄ると、雪に埋もれているが、間違いなく七三式装甲輸送車だった。

 炎上した跡は見られない。だが、キャタピラーが切れており、横腹にレーザーで開けられた穴がある。
 なかには隊員の死体が二つあった。

「他はどうしたんだろう」
「外へ出てやられたんだ」
 周囲を見回したが、雪の下になっているらしく何も見あたらない。

 爆薬、起爆装置、無反動砲用のロケット弾、ロープ等殆ど無傷であった。これだけあれば、中継基地の破壊も可能である。

 弾薬類を背負い、その他は装甲車の中にあった小さなソリに乗せてひいて行くことにする。
 帰りは荷物が多くなり辛い登りになった。

 正午前、朝出発した新七合目に帰り着く。
「これはMTAの足跡では‥‥‥」
 小屋の背後から回って入口の側に来た時、田原が雪の上を指していう。

 雪のなかに大きな丸い跡が小屋の回りを巡っている。確かにMTAの足跡だ。
 朝四人がつけた足跡は既に消えて跡形もないが、MTAの足跡はまだ新しい。小屋を調べに来たのかもしれない。

 出発前、伊滝は壊した鍵を外見上元通りにしておいたので、奴は四人がこの小屋を使っていることに気付かなかったらしい。

「多賀さん、この足跡へんですね。ほらこれも‥‥‥」
 田原が足跡をたどりながらいう。
 見ると確かに足跡の一つが変に歪んでいて、一つ置いて同じ足跡がまた続いていた。

「このMTAは足を一本だけ損傷しているんだ」
 頂上で村井二曹と田原を助けた時、岩を崩してMTAの足に損傷を負わせたことを、多賀は思いだした。

「それじゃ、そのMTAが多賀さんを追いかけてきたのかな」
 田原は多賀の顔を見てにやっと笑った。

 人間なら足をやられたことを恨んで仕返しをしようと追いかけて来ることもあるだろうが、MTAにはそんな感情はない。田原も本気でいったわけではなかった。

 足の故障したMTAが、まだ富士山に配備されたままだということは、彼らは損傷したMTAをすぐ修理にまわすほど余裕がないとみていい。

 おそらく、伊滝が依頼した裾野の攻撃が効を奏しているのだ。
 四人は小屋の中で暫く休んだ後、火口壁を爆破するために出発した。

 バックスのオープンサイドへの攻撃がいよいよ始まる。人数が少ないのでパスラインは一つしかなく、絶対失敗は許されない。

 爆薬は三ヶ所に仕掛けることになった。

 中継基地は宝永火口内の何処に存在するのか判っていないので、伊滝は火口壁全体に渡って岩雪崩を起こして潰してしまうつもりだ。

 爆薬を仕掛ける場所は中央と御殿場口登山道側の十二薬師の真上辺り、そして、富士宮登山道の七合目附近に定めた。

 十二薬師とは宝永第一火口内にある溶岩脈のことで、最初にその上に到

着し、上から覗いた。
 火口内は風雪のため全く見えない。

 ピッケルを二本づつ雪の上から打ち込み、自己確保のピンとする。

 多賀と田原が伊滝三佐と村井二曹を支え、二人は爆薬を持ちロープをつたって降りて行く。
 仕掛けるのに三十分ほど掛かり、伊滝三佐と村井二曹は殆ど同時に上がってきた。

「凍結していて穴が掘れないから、うまく崩れないかもしれん。浮き石を巻き込んで崩壊してくれないと効果がないぞ」
 伊滝が不安げにいう。

「脆いところが多いだろうから、大丈夫、うまくいく」
 火口壁は風化が進んでいて脆いところが多くあるはずだ。

「そうだといいんだが‥‥‥」
 四人は荷物をまとめて次の場所に向かった。

 次は火口壁の中央だ。

 御殿場口登山道は七合目附近から左へ曲がり、宝永火口の上を通過し、七.五号目から方向を変えて頂上に向かっている。
 火口壁の中央はその七.五合目附近の真下にあたる。

 四人は火口壁の上を火口沿いに行き、登山道にぶつかってからは、用心しながら、それを登っていく。

 七.四号、七.五号目の小屋の残骸が目に入ってきた。村井二曹がいっていたように奴らはこの辺りの小屋を焼き払ったらしく、どの小屋も殆ど原型をとどめていない。

 火口壁の中央附近に着いた。
「一つ問題があるんだが‥‥‥」
 伊滝が支度をしながらいった。

 先ほどもいったように穴を掘って爆薬を深く埋めることができないので、各個の爆発では大きな成果は望めないが、三ヶ所の爆薬を一度に爆発させれば浮き石も一緒に落下し、大崩壊につながる可能性がある。

 ところが起爆装置の送信機は一つしかない。
 伊滝はそれを手に取って見せた。

 受信機は各々に付けることはできるが、宝永火口の直径は一キロ以上もあり、起爆装置の送信機の到達距離はそんなに長くない。だから、火口壁の何処から起爆装置を操作しても同時に爆発させるのは無理なのだ。

「だが、同時に二つはできるだろう」
「火口内から操作したら、三つ同時にできないかな」
 多賀がいう。
「火口内で‥‥‥」
 伊滝は距離を計算してみた。

「確かに火口底の奥、火口壁の中ほどまで行ってやったらできるかも知れない。でもそんなことをしたら、操作する本人も助からないな」

 火口壁の上で操作し、先ず二箇所を爆発させ、残りの一つもできるだけ早く爆発させると伊滝はいう。

 それで全体の崩壊が起こるかも知れないし、もし起きなかったとしても中継基地が爆破した壁の真下にあることもあり、あとは運を天に任せるしかない。

 再び、伊滝と村井が爆薬を仕掛けるため、火口壁を下って行き、多賀と田原は先ほどのように別々に二人を確保する。

 多賀は伊滝の体とつながっているロープを支えていたが、体力が消耗してきたせいか先ほどよりだいぶ重く感じられる。

「多賀さん。ちょっと手を貸して下さい」
 田原が助けを呼んだ。確保のピンに使っているピッケルが緩み、抜けそうらしい。

 多賀は自分の使っている二本のピッケルがしっかりしているのを確かめてから、伊滝につながっているロープを巻き付けて縛り、田原のところに行く。

 田原もだいぶ疲れている。もう少し頑張るように励まし、抜けそうになっているピッケルを一旦抜いて別のところにさし直した。

 自分のところに戻り、置いてある無線機に目を留めた。
 昨日の夕方からMTAの接近を全く認めていない。中継基地以外のMTAは、すべて頂上に行ってしまったのだろうか。

 無線機を取り上げ耳の側に持ってくると微かな騒音がしていた。よく聞くと波を打っている。
 多賀はハッとした。バッテリーがあがりかかっているのだ。

 ボリュウムを上げるとはっきりと波を打つ騒音が聞こえてきた。
 いつから無線機は警報を鳴らしていたのだろう。まずい時にMTAがきてしまった。

 無反動砲に手を延ばし、辺りを窺いながら、田原に注意を促そうとした。
 突然、閃光が走り田原の体が吹き飛び、声も上げずに火口の中へ消えて行ってしまった。

 MTAは御殿場口登山道の方から来ているらしい。
 下は火口なので逃げられない。多賀は左上方へ走り、雪の吹き溜りの中へ飛び込んで身を隠した。

 必死に目を凝らしてMTAの姿を求めたが、何処にいるか判らない。
 伊滝達にMTAが上にいることを知らせなければならないが、声をかけても届かないだろう。

 知らずに上がって来たら絶好の目標になってしまう。
 田原に確保されていた村井の身も案じられたが、ピッケルに結んであるロープが切れてなければ、下までは落ちていないはずだった。

 二人が爆発音を聞いて上で異常が起こったことを察知するだろうと思い、多賀は無反動砲を見えないMTAに向かって撃った。

 二発目を装填してじっと待っていると、目の前に閃光が閃き、弾けるような音がして白煙が上がった。

 多賀は素早く後退し、斜面を転がり、偶然、側にあった岩陰に身を寄せ

た。少なくとも多賀より赤外線を感知する奴の方が、こんな状態の中では

遠目が効く。

 そして、奴は多賀の隠れている場所を知っている。だが、こちらに無反動砲があるから、うかつには近付いてはこない。
 奴は多賀が岩陰から出るのを待っているに違いなく、動けなかった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 伊滝と村井は爆薬のセットを続けており、あと一つで終わりというときだった。何か光った気がしたと思うと、突然、村井二曹を支えていたロープが緩み、彼の躯が五メートルほど落下した。

 そして、岩が崩れて来る音が聞こえ、村井二曹の数メートル離れたところを何かが落ちて行った。

「大丈夫か」
 伊滝は声をかける。
「大丈夫です。何かが落ちたようです」村井二曹がいう。

 伊滝は作業を急いだ。
 ロケット弾の炸裂音が聞こえた。
「MTAが来たんだ」

 二人はロープを手繰って火口壁を登り、用心しながら縁から覗く。
 人影はなく、五、六メートル先に荷物が見え、無反動砲もそこにある。
 村井二曹が火口壁から出て走った。

 無反動砲に手を掛けようとすると、横から閃光が走り彼の躯を吹き飛ばしてしまった。

 MTAは御殿場口登山道の方にいるらしい。
 続いて誰かが左の方から無反動砲を撃った。
 伊滝はジリジリと火口壁の縁を右へ移動しながら、火口から出るチャンスを窺った。

 無反動砲を取りに出たいが、村井のように狙い撃ちにされる。伊滝の武器は腰のケースに入っている拳銃だけだった。

 多賀は村井二曹がMTAにやられるのを見て、すかさずレーザーが発射された辺りを狙って引金を引いたが、外れてしまった。

 奴の注意を引き付けなければ、伊滝三佐が火口壁から出られない。
 奴を火口から離そうと岩陰を出て上に走った。

 途中、雪の上に別のMTAの足跡を見つけドキリとする。MTAは一機ではなく、他にもいるらしい。
 多賀は吹き溜りの中に転げ込んだ。

 足跡は多賀の近くを上から下へ富士宮口登山道の方へ続いている。明かに御殿場口登山道の方からやって来たMTAとは違う。
 そして、足跡の一つは変に歪んでいた。新七合目で見た足跡と同じものだ。

 うしろを見回したが、雪だけで何も見えない。再び、御殿場口の方を向くと前方に黒い陰が動き、近づいて来る。MTAだ。

 多賀は無反動砲を構えたが、MTAの向こうから伊滝が近付いて来るのが見えたので、すぐ止めて伏せた。
 どうする気なのだ。

 伊滝は身を屈めて静かにMTAに向かっている。右手に拳銃を握っているようだ。信じられないが、それでMTAを倒す気でいるらしい。

 MTAは多賀の隠れた場所を探すのに気をとられ、伊滝が近付くのに全く気付いていない。
「逃げろ」
 多賀は起き上がって怒鳴った。

 MTAのドームがくるっと回り、多賀の姿を認めた。

 その瞬間、伊滝三佐がドームに飛びつき馬乗りになった。MTAは振り落とそうと機体を左右に動かし、伊滝三佐は両足でMTAの足をはがい締めにするような格好で落とされまいとする。

 拳銃の発射音が立て続け三発響いた。
 ドームからMTAの腕がスルスルッと伸び、鞭のようにしなり、先端がS字を描いてドームの上の伊滝三佐めがけて襲った。

 もう一度、拳銃が発射された。
 伊滝三佐の体は串刺しにされ、宙に飛び雪の上に落下した。
 そして、MTAは小刻みに振動してそのまま立っている。

 多賀はあまりの壮絶さに唖然として見ているだけであった。
 やがて、MTAは振動を止め、ドームをストンと雪上に落し、脚を蜘蛛のように立てたまま動かなくなってしまった。

 恐る恐る近付き、見ると、MTAは確実に動きを止めていた。
 伊滝三佐は拳銃でMTAを倒してしまったらしい。
 しかし、彼は雪を血で真っ赤に染めて、既に死んでいた。

 多賀は遺体を目の前にし、そのまま立ち尽くしていた。
 これで一緒に富士山に登った隊員達は、すべて死んでしまった。

 多賀の知っているだけでも、今までMTAに関連して死んだ人の数は五十を越えている。直接、MTAの犠牲にならなかった田上部長、片倉、そして合川も明かに犠牲者であり、そしてまだまだ増えるかもしれない。

 これだけの命を犠牲にして工場の連中は何をしようとしているのだ。
 FGグループも政府も自衛隊の上層部もMTAを手に入れようとしているが、MTAにこれだけの犠牲を払う価値があるのだろうか。

 多賀のMTAはこのように人に恐怖を与え、人を殺しまわる殺人機械ではない。人に安全を与え、安心して生活できる環境を作るためのものなのだ。

 それを人々は全く逆の目的に使おうとしている。
 多賀はMTAの発案者としての責任をこの富士に来て初めて痛感していた。

 MTAと同程度の能力を持つロボットの考案者は他に幾らでもいる。従って、多賀がMTAを発案しなくとも、いずれは他のMTAが現れる。今回は、たまたま多賀のMTAに白羽の矢が立っただけで、この事件は自分とは関係ないと思っていたが、今は改造した者ばかりでなく、発案者としての多賀も責任を負わなければならないことに初めて気が付いたのだ。

 いつの間にか座り込んでしまっていた。
 まだ近くに他のMTAがいるはずだ。いつまでもこうしては居られない。多賀は立ち上がった。

 伊滝三佐の倒したMTAを調べてみた。
 彼は拳銃弾をレーザーの発射口附近に撃ち込んで、なかのLSIボードに損傷を負わせたらしい。それで、このMTAは動きを止めたのだ。

 だが、このMTAの脚はどれも損傷しておらず、先刻、足跡を見たMTAではなかった。
 多賀は荷物をまとめて次に爆薬を仕掛ける富士宮口七合目に向かった。

 とうとう一人になってしまい、残る攻撃手段は、フルバック、たった一人のカウンターアタックしかない。絶対負けられないと自分を奮い立たした。

 登山道まで見通せないので、およその見当を付けて場所を決める。
 手際よく短時間でやらなければならない。火口壁を下っている時、先ほどのように、またMTAに襲われたら手の打ちようがない。

 ピッケルをビレーピンにして、多賀は爆薬を持ち、火口壁の斜面を下った。
 短時間でセットし、思っていたより早く上に戻れた。しかし、伊滝達はもっと時間を掛けてやっていたのだ。

 おそらく、できるだけ効果が出るようにセットしたのだろう。だが、素人の多賀には、これ以上、どのようにすればよいか判らない。

 この際、ここに仕掛けた爆薬の効果が小さくとも仕方がない。伊滝達の爆薬はしっかりと仕掛けられているはずだから、それを補助する程度に爆発すればいいと思った。

 ソリを引いて火口沿いに下る。
 多賀は火口内に入って起爆装置を操作するつもりだ。

 彼らが命を掛けて仕掛けた爆薬を無駄にできない。そのためにも、三ヶ所の爆薬を同時に爆破させるには、必ず火口内で起爆装置のスイッチを操作しなければならない。

 MTAにカウンターアタックをかけるにはそれしかなかった。バックスは走りまくるのが役割なのだ。フルバックの独走になるから、死にものぐるいで走らなければならないだろう。

 お中道を横切り、二、三十メートル下った雪の多いところに穴を掘り、背負っていた無反動砲と弾薬を放り込んで、その上にソリごと荷物を乗せて埋めた。火口内に行っている間、隠して置くつもりである。

 身を軽くするため武器も持たず、手に起爆装置とピッケルを持っただけで、お中道へ登り返した。

 富士宮口方面から火口底への下りは、昨日下った御殿場側からより短かった。
 昨日と同様、火口の中は風は弱いが、視界がよくない。
 よくもこんなに雪が降り続くものだと思った。

 だが、その割には積雪量は増えていない。降った雪は風に吹かれて、また空に戻って行ってしまうのかもしれなかった。
 火口の中央を避け、火口壁沿いに用心しながら進む。

 昨日、伊滝と共に来た時の様子からすると、この火口内に、MTAは少なくとも五機くらいは居るはずだ。うっかりすると鉢合せしてしまうおそれだってある。

 そうなったら武器を持たない多賀には手も足も出ない。
 全身の感覚器官を働かせ、慎重に進んでいく。
 雪を被った岩にぶつかる度に、MTAの擬態ではないかと用心し、遠くを迂回する。

 傾斜がだいぶきつくなってきた。火口壁の奥までもう一息らしい。
 ここまでは幸いにもMTAの姿は一度も見かけていなかった。

 もしかすると今日はMTAの数が少ないのかも知れない。そう思った途端、本当にこの宝永火口内に中継基地があるのだろうかという疑問が浮かんできた。

 昨日、ここが中継基地だろうと判断したのはMTAが沢山居たからで、中継用のアンテナや設備を見たわけではない。もし、中継基地があるならばこんなに簡単に近付けないのではないだろうか。

 爆破する前に、アンテナや設備があることを確認しなければならないと思った。

 更に奥へ進んでいくと雪の上にMTAの足跡を見つけた。火口内に入って、今日初めて見つけたMTAの痕跡だ。

 火口壁に向かって下から上へまっすぐに登っていて、まだ新しい。そして、この辺りはよく踏みならされているように見える。積もっている柔らかい雪を払いのけると、下から足跡が出てきた。

 MTAが何度も通っている場所らしい。たぶん、奴らの通り道だ。この下の火口底にMTAが沢山居るのかも知れない。

 多賀は上を見上げた。
 何も見えないが、この上に何かがあるらしい。
 左へ迂回して、登っていくと何かが見えてきた。

 一瞬、雪雲がさっと薄れ、直径三メートルほどのパラボラアンテナが二基、裾野に向かって立っているのが目に入った。

 すぐ脇に、MTAが一機うごめいている。奴は多賀に気付かず、アンテナに降り積もる雪を払いのける作業をしている。

 我々が全滅したと思って、警戒を怠っているのか、それともこの天候のため攻撃されないとふんでいるのかもしれない。

 多賀は起爆装置を取り出した。
 この辺りは、おそらく、火口壁の中央附近であろう。ここで起爆送信機を操作すれば三ヶ所の爆薬は同時に爆発するはずだ。

 多賀は爆破と同時に駆け下り、火口内から逃げ出すつもりでいる。あとは岩雪崩と自分の足との競争だ。

 もっと上で操作をすれば更に確実だと思うが、それでは多賀自身が危ない。この位置でも、逃げられる保証はないのだ。
 大きく息を吸い込んだ。

 いよいよフルバックの出番だと気力を奮い立たした。パスするラインはなく、ただMTAのディフェンスをかいくぐり、インゴールへ飛び込まなければならない。

 多賀はスイッチに指を掛けて身構え、全神経を指先に集中する。
 火口内に轟音が響き、降る雪が一瞬横に揺れたように見えた。
 起爆装置を投げ、更にピッケルも投げ捨て、火口の出口の方向に斜めに駆け降り始めた。

 一歩一歩飛ぶように駆け降りる脚に、とてつもない重力が掛かってくる。多賀の鍛えられた脚はそれを持ちこたえた。

 うしろから、地鳴りに似た不気味な音が聞こえ出した。
 振り返ってみたい誘惑に駆られる。
 だが、そんな余裕はない。

 落下するような速度で、駆け降りる躯を支えるためには全神経を足に集中させなければならず、振り向けばたちまち転んでしまう。

 幸い雪の下は細かい砂礫で、浮き石に足を取られることもない。
 腿の筋肉が悲鳴を上げそうになって、やっと火口底に着いた。
 勢い余って腰が砕けそうになる。

 だが、辛うじて転ぶのは避けられた。周りにうなりを上げて石が落下し始めた。
 うしろから迫ってくる地鳴りの音も、間近に聞こえてくる。

 必死に走った。
 左の方向から、突然、MTAが現れた。
 カットアウトして前を駆け抜ける。

 レーザーを撃つなら打て、立ち止まったらそれで終わりだ。
 だが、MTAはレーザー銃を撃ってこなかった。
 その代わり後ろから突風が駆け抜けて行く。すぐうしろに、岩雪崩が追い付いて来たらしい。

 お中道の火口の出口はまだ見えない。足が上がらなくなってきた。
 右手前方が、わずかに登りの傾斜が掛かってきた。
 上がらなくなった足を懸命に動かす。もうすぐだ。

 右に方向を変える。その瞬間、耳元をかすめて大きな岩が飛んで行き、雪煙が多賀の姿を飲み込んだ。

 岩雪崩は轟音と共に、第二火口へなだれ込んで行き、雪煙は更にお中道の火口出口附近まで届いてきた。

 多賀は間一髪巻き込まれるのを逃れ、這うようにして火口壁上のお中道にたどり着いた。
 トライは成功だ。しかし、ゴールを試みるのは無理だ。

 体力の限界まで使い果たし、暫く起き上がれず雪の上に転がっていた。
 火口壁の崩壊は想像以上の規模で起こり、MTAの中継基地は間違いなく崩壊した。

 これで裾野に出ているMTAからの通信は工場に届かなくなったはずだ。
工場からの指令は、中継基地の存在に関わらず、MTAに届くだろうが、現場の状況が判らず盲同然で、奴らは判断を下さなければならなくなったのだ。

 MTAの戦力が落ちることは確実であった。
 多賀はようやく起き上がり、よろめきながら荷物を埋めて隠した場所に向かう。

 先ほどの場所に来て、掘り返された跡を呆然と眺めた。
 疲労の極致に達していて思考の回路がよく働かず、何が起こったのか暫く理解できなかった。

 大きな円形の中に小さな円が無数に接している模様が、雪上に幾つもある。しかも、その中の幾つかは完全な円形でなく妙に歪んだ形をしている。

 MTAだ。それも脚を一本損傷しているMTAだった。
 これで奴の足跡を見るのは三度目である。
 最初は新七合目の小屋の側、次は火口壁の中央部に爆薬を仕掛けた時、そして今ここで‥‥‥。

 荷物がソリごとなくなっていた。奴が持って行ってしまったらしい。

 新七合目で、田原が冗談にMTAが多賀を追いかけてきたといったが、そうではなく本当なのかもしれない。富士山に、脚を損傷したMTAがそんなに沢山いるはずがない。

 脚を損傷させたのが多賀であるから、それを恨んで追いかけてきているとは思えないが、何故か追いかけてきているのは間違いない。

 広い富士山で、偶然に三度も短期間に同じMTAの足跡を見かける確率は限りなくゼロに近いはずだ。明かにこのMTAは多賀の跡を追いかけてきているとしか解釈できなかった。

 だから、多賀の隠した荷物を見つけて持ち去ったのだ。
 奴は何処かこの近くに潜んでいるのかもしれない。
 まわりは白と灰色の世界が見えるだけで他は何もなかった。

 隠して置いた武器を総て持ち去られてしまったので、今襲われたら多賀には何の抵抗手段もない。

 掘り返された跡の雪を足で蹴飛ばすと、下に黒っぽい物がちらっと見えた。膝をついて手で掘り返してみると無反動砲だった。更にロケット弾二発と手榴弾二発が出てきた

 先ほどまで、多賀が身につけて持っていたものだ。
 ソリの下に埋めたので奴は気が付かなかったらしい。
 多賀はそれを急いで身につける。弾薬の量は少ないが、ないよりはましである。

 そろそろ日が暮れかけている。何処か夜を過ごすところを探さなければならない。

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 富士宮口新五合目はすぐ近くだった。

 広い駐車場もあり、五月になれば道路も除雪され、ここまで車で来られるようになる。だが、ここの標高は二四〇〇メートルを越えており、いまは深い雪で覆われ、鉄筋コンクリートでできた建物も雪の下にある。

 多賀は雪を掘り、窓を破って中に入った。MTAに悟られないよう、できるだけ跡を消す。多少の跡は残ったが、降り続く雪と風がそれを消してくれるはずだった。

 なかの売店の近くで公衆電話を見つけ、受話器を取り上げてみた。回線はつながっているはずだが、やはり、硬貨を入れなければ通話できない。多賀は小銭を全く持っていなかった。

 腹もすいていたが、とにかく眠りたい。
 建物の中は広かった。階段を登ったり降りたりして、寝具のあるところをようやく探し、それにくるまって横になる。

 吸い込まれるように眠り込んだ。だが、寒くてすぐ目が覚めてしまい、それからは、うとうととしては目が覚める繰り返しであった。

 祐子は富士山麓にきて、二年の間に随分変わってしまった。内気で人見知りはするが、以前はあんなに神経質ではなかった。東京にいる頃は、酒を飲み過ぎた翌日など、わざと怒ったふりをして多賀の健康を気遣ってくれたりするような、優しい心を持っていた。

 祐子は二年間寂しさに耐え、必死に我慢をしていたのかも知れない。そして、彼女の繊細な心は持ちこたえられなくなったのだ。

 いま思い返すと、病院に見舞いにきた祐子は以前の彼女を取り戻していたように思える。祐子には、やはり生まれ育った東京の空気が合っているらしい。そして、見舞いが遅れたのは、祐子の内気な性格のせいだったのかも知れない。

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 静かであった。

 あの足を損傷したMTAは、この近くを排廻して、多賀を探しているはずだ。しかし、この雪の下に埋もれた建物の中に潜んでいることは知らないだろう。

 多賀が荷物を隠した場所で、何故、奴は待ち伏せをしなかったのだろうか。いや、待ち伏せていたところ、火口内の大崩壊に気付き、そちらへ様子を見に行ったのかもしれない。その隙に運よく多賀があの場所に戻ったのだ。

 もし、そうとすれば、まだ運は付いている。この地獄のような富士山から無事逃げ出すことができるかも知れない。

 何処かでベルが鳴っているような気がした。幻聴が起こるほど参ってしまったらしい。
 頭を振って、もう一度よく聞く。確かに、ベルは鳴り続けている。

 電話だ。下からだ。おそらく滝ケ原からに違いない。
 山頂からの連絡が途絶えたので、富士山の電話全てに呼び出しを掛けてるのかも知れなかった。

 多賀は起き上がり、荷物を持ち階段を駆け上がって、食堂へ行く。
 電話が鳴り続けている。受話器に飛びついて取り上げた。

「もしもし‥‥‥」
「あっ、新五合目ですか」
 電話の向こうの声は驚いたというような含みを持っていた。
 たぶん、誰も出ないだろうと思っていたのだろう。

「こちらは滝ケ原です。そちらは誰ですか」
「多賀です」
「多賀‥‥‥。あっ、伊滝隊と一緒に登った多賀さんですか」

 向こうの声はちょっと待ってくれといった。誰かと替わるらしい。
「多賀さん、一人ですか」
 近藤一佐の声が聞こえてきた。

「そうです」
「伊滝三佐はどうしたのです」
「死にました。一緒に来た隊員は全員MTAにやられました」

 近藤一佐は暫く無言のままだった。
「それで‥‥‥、中継基地はどうしました」
「破壊しました」

 多賀は状況を説明し、近藤一佐は一つ一つ確認しながらそれを聞く。宝永火口での爆破は下でも聞こえたらしい。

 何処かで音がした。
 受話器を耳から離し様子を窺った。だが、もう聞こえてこない。

「多賀さん、多賀さん」
 近藤一佐が繰り返し多賀を呼んだ。
「はい」
「速やかにそこから脱出して下さい」

 脱出しろといわれても、簡単にはいかない。下へ降りる富士宮口も御殿場口も危険なのだ。また、上へ戻る手段もあるが、その途中も安全ではなく、しかも、いま頂上がどうなっているか全く判っていない。

「我々の後から頂上に行った隊はどうなりましたか」
「わかりません。現在、富士山と連絡できたのは多賀さんだけです」
「頂上にも電話がありますよ」

「それが‥‥‥、回線が切れてしまったようです」
「須走の方は‥‥‥」
「あちらも連絡は取れません。須走の方へMTAが立ち回ったらしく、無線がきかなくなりました」

 頂上も須走方面も状況が判らず、危険がいっぱいだ。残るは、お中道を西に行くしかないらしい。
 冷たい風が階段の方から吹き込んでくる。

 暗い穴のような階段を見つめると、白い雪が舞い込んでいた。鍵の掛かっていた出入り口のドアが開いているらしい。
 何かが階段を降りてくる気配がする。

「多賀さん‥‥‥多賀さん‥‥‥、どうしたんですか」
 多賀が沈黙したので、近藤一佐が心配して呼ぶ。
「どうやらMTAに見つかったらしい」

 近くにいたMTAが電話のベルの音を聞きつけたのかもしれない。
 先ほど聞こえた音は鍵を壊す音だったのだ。
 近藤一佐が電話を切らずにいてくれというので、多賀はそのまま受話器を脇に置いた。

 後退して食堂のドアを開け、そこで片膝をついて無反動砲を構えた。
 洞窟のようになっている階段は、途中から右に曲がっており、上の方は見えない。

 壁に赤い点が映り動いている。レーザーの照準だ。
 暗い中で微かに奴の足が見え、ゆっくり階段を降りてくる。
 足の運びが少しぎこちない。やはり奴だ。多賀の後をつけ廻し荷物を盗んだ奴らしい。

 赤い光の光源が見えてきた。
 多賀はそれをめがけて引金を引いた。ロケット弾は階段の暗闇に吸い込まれて行く。

 奴が一瞬身を引いた。
 建物いっぱいに轟音が響き、揺れた。多賀の近くまでコンクリートの破片が飛んできた。

 目を凝らして階段の中を窺う。
 赤い光がチラッと瞬いた。
 多賀は素早く転がって、食堂の中に逃げ込む。

 閃光が二回立て続けに走り、前にあるガラスが粉々に弾け飛んだ。
 弾は奴にではなく階段の壁にあたっただけらしい。
 残りは一発しかない。ここで全部使うわけにはいかなかった。

 富士山を脱出する途中で、まだ何があるか判らず、その時のためにとって置かねばならない。

 多賀は入った時の窓に向かって走った。
 昨日、火口壁を走り下った疲れが溜っていて、思うように躯が動かない。どうにか窓際にたどり着き、窓に飛び込み、雪の中をめちゃくちゃに転がって外に出た。

 外は相変わらず風と雪であり、暗くて方向がよく判らない。見当を付けて斜面を必死に登る。

 足が重く思うように出ず、何度も足を滑らせて転んだ。
 暫く登ってから方向を斜め左に取り、何処かでお中道にぶつかるはずだと思って、そのまま進む。

 MTAが後を追ってくる気配はなかった。だが、奴は必ず追って来る。
 ノーサイドはまだ遥か遠い先らしい。せめてハーフタイムを取りたい思う。

 手探りでアイゼンを着ける。もう何度も着脱をしているので最初の時のようにもたつかない。無反動砲を杖替わりにして重い体を持ち上げ、西を目指して歩き始めた。

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 潅木帯の中を歩いていた。いつの間にか夜も明けていて、風雪の強さも心持ち弱くなっている。積雪は腰辺りまであり、周りの背の低い木はすべて雪の衣をつけていた。

 多賀は今まで何処をどうやって歩いてきたのか全く記憶していなかった。つい今しがた新五合目でMTAに追われて逃げだしたように思われるのに、もう完全に夜が明けており、明かにあれから相当時が経っている。

 寒さと空腹と疲れのため、意識がもうろうとしながら逃げていたらしい。だいぶ下ったようだが、斜面の傾斜からするとまだ富士山の中腹にいる。

 あのMTAはまだ追って来るのだろうか、それを知りたかったが、確かめるために、来るのを待っているわけにはいかない。

 弾薬は一発しかないのだ。
 待ち伏せして、一発でしとめられればいいが、今までの経過からすれば、外す可能性の方が大きい。

 別の方法を思い付いた。荷物の中から手榴弾を取り出す。

 フードに付いている紐を引き抜き、左側の木の雪を払いのけ、手榴弾をそれに縛り付ける。両足のオーバーシューズの紐を解き、一本につなげてから、手榴弾のピンに縛った。もう一方の端を右側の木の根元にもって行き、渡された紐は雪の中に隠し、手榴弾の上にも雪を乗せた。

 これで奴が後から来れば紐に引っかかり、手榴弾が爆発する。
 奴を手榴弾で破壊できるとは思わないが、跡を追いかけて来るかどうかはっきりするはずだ。

 大沢崩れの端に着いた。ここから下に降れば、何処かで林道に出られる。無反動砲を杖替わりにして下り始めた。

 疲労と寒さが更に重なり、躯が思うように動かず、何度もアイゼンを引っかけ、バランスを崩して転がり落ちた。

 多賀の体力は限界に来ていた。下の林道にたどり着いたとしても、原生林の真っ只中で、人のいるところまで行くには、そこからまだ十キロも二十キロも歩かねばならない。

 またアイゼンの爪を引っかけて十メートルほど転がり落ちた。
 起き上がろうとすると上の方で爆発音が響いた。奴が仕掛けた罠に引っかかったらしい。

 距離はだいぶ離れているが、やはり、奴は跡を追って来ている。
 人間を追いかけると今のような罠が待っていることを学習しただろう。

 たぶん、二度と引っかからないように、データを記憶素子の奥にしまいこんだに違いない。以後は注意しながら跡を追って来るはずだ。その分だけ速度が遅くなるかもしれない。

 しかし、逃げる先はまだ遠く、残っている体力で、逃げ切れる望みがあるか判らない。多賀は起き上がり、再びよろめきながら歩き出した。

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