二十八、

日が暮れ掛かっていたので、三人は別荘地に行って、その中の一軒の鍵を壊し中に入った。
 食堂兼厨房と思われる部屋に三人は陣取った。
 多賀は工場の様子が知りたい。

 甘粕の話によると、工場の社員寮には家族を含めて四十二人の人質がおり、閉じ込められてからもうほぼ一月になるが、食料の補給が全くないので、辛うじて食いつないできた食料は一週間ほど前から全くなくなっているらしい。

 このままでは全員飢死にしてしまうので、何とかしようと、今朝、やっと工場を脱出してきたのだという。

 そして、最初に裾山の方へ行ったが、途中いたるところにMTAが居り、通り抜けられないので、引き返し、反対側の富士市の方へも向かってみた。ところが、そちらにもMTAが居り、見つかってしまい、林の中を逃げまくって、つい先ほど、やっと奴らの追跡を振り切ったところだった。

「一日中追いかけられました。幸い奴らは木立やしげみの中は苦手らしいので助かりました」

 甘粕が逃げ出す以前に三人が脱出を試みたが、三人とも工場の敷地を出る前にMTAに殺られてしまったらしい。

「誰がやられた」
 甘粕はその三人の名を上げた。その中に資材係の市川がおり、他の二人も多賀は知っていた。

「しかし、よく君だけ逃げ出せたな」
「ええ、昨夜から辛抱して時間を掛けたので逃げ出せました」

 社員寮の人質の監視は三機のMTAで行われており、その中の一機は工場へ通じる通路で頑張っていて、工場へは全く行けない。また残りの二機は社員寮の両側で殆どじっと動かず監視をしているので、寮から外へ出た途端すぐに見つかってしまう。

 失敗した三人は、社員寮から直接逃げ出し、近くのフェンスを乗り越えようとしたので、見張りのMTAに見つかってしまったという。

「階段の脇に配電盤がありますね」
 多賀は知っていると答えた。
「中のパネルを外すと壁の中を通って工場へ行く通路の天井に出られるのです」

 甘粕は通路で監視しているMTAの上を通って工場まで行った。天井はそこまでで行き止まりだったが、壁の中に降りられたので、その中を通り、原料資材の荷受け場に行き、そこから外へ出て給水塔の脇のフェンスをワイヤーカッターで破り逃げ出した。

「壁の中を荷受け場まで行くのに一晩掛かってしまいました」
 壁の中には断熱材が詰めてあるので、狭い壁の中で前の物を除いて後ろに送り、それを繰り返して荷受け場まで行ったのだ。

「大変な作業だったでしょうね」
 脇で聞いていた睦美が口を挟んだ。
「途中で何度もダウンしました」
 ラグビーだったら、ラックで踏みつけられ、もみくちゃにされた状態だと甘粕は笑いながらいう。

 目を輝かして話を聞いている睦美を見て、多賀は何にでも興味を見せる不思議な女だと思った。自分の領域に篭ることなどしないらしく、その点も祐子とは正反対だった。

 睦美は多賀の視線に気付いて、慌てて立ち上がった。

 脇から口を挟んだのを多賀にとがめられたと思ったらしい。コーヒーでも入れてくるといって、薄暗くなったキッチンへ行く。

 ガスも電気も来ておらず、コーヒーなど入れられるわけがない。
「一つはっきりしておきたい。君はどっちの人間なんだ。FGか調査部か」
 突然の問いかけに甘粕は驚いて多賀を見つめた。

「私がまだ知らないうちに、南富士工場に転勤することを祐子に伝え、東京に帰ってしまう原因を作ったのは、君だと言うことは知っている。そのために、私は暫く気持ちが落ち着かなくて、阿南達の見え透いた芝居を見破れず、踊らされていた。その芝居を君も手伝っていたふしもある。皆川を私の部屋に連れてきて、更にMTAについて詳しく私に説明させたことだ。あとで、あの時の内容を思いだしたが、皆川が尋ねたことはMTAの製造をしている途中か、シミュレーションをしなければ、出てこない問題だった。この事実を考えると、甘粕、君はFGグループの一員に思える。しかし、いま君が話したことが本当だとすれば、少なくとも、阿南達の仲間ではない。どっちなんだ」

 多賀の声は静かであったが、有無を言わせない迫力がこもっていた。

「すべてご存じのようですね。確かに多賀さんの言う通りです。奥さんのことは大変申しわけなく思っています。上からの命令で、転勤のことを多賀さんが知る前に、奥さんに知らせろと言われたもので‥‥‥。あんな結果になるとは思ってもいませんでした」

 甘粕は申し訳なさそうに視線を下に落とした。

「調査部か」
「そうです。皆川を多賀さんの部屋へ連れて行ったのは、皆川の態度から、何か困ったことが起きて、多賀さんの助けが必要な様子だったからです」

「防衛局の近藤一佐の指図を受けているんだな」
 多賀がそこまで知っていることに甘粕は驚く。

「吉永一尉は」

 多賀はたたみかけるように、質問した。

「同じ課の同僚です」
「君の役目は何だったんだ」

 甘粕はすぐに返事をせず、多賀の質問に答えようかどうしようか迷っている様子だった。

「君の役目はもう終っているはずだ。言っても差し支えないだろう。それに君だって、今度の事件がおかしな方向に行ってしまったことに気付いているだろう」

「そうですね、そうかもしれません。私の役目は彼らの計画の進捗状況を見守って報告することと、計画に支障を来す物の排除‥‥‥。すみません。奥さんのことは結果が出るまで、命令の意図が私には判りませんでした」

 確かに、祐子は計画に支障を来す物に違いなかった。祐子が居たら、南富士工場への転勤を素直に承知したかどうか、多賀自身にも判らなかった。

 甘粕は、自分が祐子に伝えた内容が意図することを、知らなかったと言うのは事実だろう。あの後の甘粕の多賀に接する態度からそれは窺えると思った。

「そのことはもういいさ。何れはこうなるだろうと思っていたことだ。それが少し早くなっただけだ」

 多賀の言葉には多少自嘲気味な響きがあり、甘粕は丸い体を更に丸くして頭を下げた。

「彼らは君のことを知っていたのか」
「阿南や君元がですか」
「皆川もだ」

「おそらく、気付いてないはずです」
 甘粕は自信ありげに首を振る。
「現在、彼らはどうしている」
 多賀はこんなことをしている彼らの目的が知りたいと思った。

「皆と一緒に社員寮に監禁されてから、彼らは一度だけ来たきりで、あとは工場に詰めっぱなしです」

「食事も工場でとっているのか」
「そうでしょう」
「彼らは何を考えているのだ」

 人質に食料を与えず飢死にさせてしまったら役に立たなくなる。人質が居るから爆撃も砲撃もされないのだ。奴らはそのために人質をとっているのではないのか。

「そうですね。時間を稼いでいるのでしょうか。人質はそれまでのつなぎで、その時がきたら、もう人質はいらなくなる状況になるとか‥‥‥」
 甘粕は首を傾げながら言う。

「その時と言うのは」
「判りません」
「私には、そうとは思えないな」

 富士山の中継基地は既になく、現在MTAが縦横に活躍できる場所は工場の周りだけで、ますます人質は重要になってくるはずだ。

「彼らの後ろには誰かついているのかな」

 FGの後ろには、篠山刑事の話では陸幕本部のあの席にいた政務次官の志村がついている。いや、あの席にいたことを考えると逆に政府の立場からFGを操っていたと考えた方が妥当かもしれない。

 このMTAの件では、FGは最初から自衛隊の上層部及び政府に踊らされ、悪者にされる筋書きだったのだ。

「私は命令で動くただの兵に過ぎないので、そこまでは知りませんでした」
 甘粕は言いわけめいた口調で言う。

 FGのリーダー格である片倉も、南富士工場の連中の行動に疑問を抱いていたが、彼らの後押しをしているのは結局どちらでもないように思える。

 しかし、彼ら三人だけで、これだけのことを引き起こしたとは、とても考えられない。準備の仕方が周到過ぎることを考えれば、彼らの後ろには第三のグループがいるのかもしれない。

 何か思い当たらないか、多賀は今までのことを思い返してみたが、何もなかった。

「彼らと話しができていたら、何か判ったかも知れませんがね」
「電話でやらなかったのか。私は一週間ほど前、電話で君元と話をしたよ」

「社員寮の電話は全く使えません」
「使えない?」
「回線を切られてます」
 多賀は何か変だなと思った。

「でも、私が電話した時、通じたではないか」
「工場にでしょう」
「君に電話したんじゃないか」
 甘粕は怪訝な顔をした。

「覚えてないのか。あの時、君は道路が封鎖されているから工場には来られないと言った」

「私が‥‥‥、多賀さんにですか。いつのことですか」
 あれはまだ病院に居るときで、君元と話をした四、五日前である。
「十二、三日前かな。確かその電話を市川が取り次いだはずだ」

「いや、覚えはないですね。だって我々は約一月も外部から遮断されていました。社員寮の電話はその間使えなかったし、今でも駄目です。工場の電話は通じているでしょうが、我々は社員寮から一歩も出られない状態でした」

 多賀は狐に摘まれたような顔で甘粕を見ていた。
「その電話をしたのは正確にはいつですか」
「たぶん、二月二十八日だ」
 多賀は日数を数えて答える。

「多賀さんの記憶が確かであれば、ますますおかしいですよ。電話を市川が取り次いだと言いましたね」
 多賀はうなづいた。

「市川は二月二十五日に逃げ出そうとして、MTAに殺されました」
 多賀は唖然とする。

 市川の声を聞き間違えるはずはない。日数をもう一度数えてみたが、二月二十八日に間違いはなかった。

「録音テープじゃないかしら」
 睦美がコーヒーを持ってきた。
「電気もガスもないのにどうして」
 甘粕はコーヒーカップを手に持ったまま睦美に尋ねた。

「水を注ぐと発熱するんです」
 発熱剤のついたインスタントコーヒーだという。器はここにあったものを借りたらしい。

 多賀も自分の前に置かれたコーヒーを飲んだ。熱くはなかったがほどよく暖かい。

「録音テープじゃない。確かに話をした」多賀は話を戻す。
「待って下さいよ‥‥‥」
 甘粕は何か思い当たることがあるのか、考えをまとめてる様子をする。

「やはり、録音かも知れません」
「どうして」
「工場の電話を使うとエコー音が聞こえるのを覚えていませんか」

「エコー音」
 甘粕が何を考えついたのか判らないので、思わず反射的に尋ねた。
「そうです。会話が反響しているように聞こえるんです」

 そう言われ、記憶をたぐってみると、社員寮も含めて工場の何処の電話を使っても、会話の声が反響していたことを思いだした。そういうものだと思って使用していたので、気にもとめていなかったのだ。

「反響していた。でもそれがどうした」
 まだ甘粕の言う意味が理解できなかった。
「盗聴されているとあんなエコー音が聞こえることがあります」

「そんな馬鹿な‥‥‥。工場中の電話を盗聴してどうするんだ。それに確か県道沿いのドライブインの電話もエコー音が聞こえた。この辺りの回線の特徴じゃないのかな」

「ドライブインもエコー音が聞こえるのは知っています。私も多賀さんと同じように回線の特徴だろうと思っていました。ドライブインの電話は工場の連中がよく使用します。ですからそれを含めてすべて録音していたのではないかと思うんです」

「しかし、すべての会話を録音してどうするのだ‥‥‥」
 多賀はそこまで言って気が付いた。人質なのだ。外部の者に声を聞かせればいつまでも人質が元気で居ると言う証明になる。

 彼らはたった三人であり、MTAが手足のように働くと言っても、いつまでも人質をとっておくことは相当の負担になる。奴らはいつまでも面倒な人質を生かしておくつもりはなく、だから、社員寮の人達には食料も与えず放置しているのかもしれない。

「きっとそうですよ。なんて奴らだ」
 逃げ出そうとする者は容赦なく殺され、逃げ出せない者もやがては飢死にしてしまう。

「ひどいわね」
 睦美は眉を寄せる。

「でも、テープに録音したものをつなぎ合わせたとしても、あんなに会話がうまくできるものだろうか」

 電話の甘粕の声は何のよどみもなく、会話に応答したことを思いだしていた。不自然さは全然なく、臨機応変に多賀の話に答えていたのだ。

 前もって予想できた内容かも知れないが、用意してあった会話であれば何処か食い違いがでるはずで、またそうではなく、その場で話の内容により会話を組み立てていたのなら、録音テープではあんなに早く応答するのは不可能だ。

 工場のコンピューター、Z5−TAROにも補助コンピューターにも音声発生用のチップスはついていない。例えあとから彼らが取りつけたとしても、個人々々の声色をすべて出せるような音声発生用のチップスもボードも現存していない。

「コンパクトディスクを使っているのかも知れないわ。ランダムアクセスができるから、整理をしておけば取り出しは瞬時にできるのではないかしら」
 睦美が言った。

「コンパクトディスク‥‥‥。ああレーザーディスクか」
 その可能性もあるかも知れない。

 音声はレーザーディスクばかりでなく、磁気記憶装置にだって記憶できる。そして、工場にあるコンピューターの補助記憶装置には大容量のDVDが使われている。

 どちらを使用するとしても、会話を細かく分解してデータとして蓄え、音響装置と接続すれば可能かも知れない。本社で原材料のチェックをしていた時、仕入先に音響メーカーの名前があったような気もする。

 多賀はコンピューターの専門家ではないので詳しいことは判らないが、彼らの技術は不可能と思われる方法で銀行のオンラインに介入したほどであり、そのくらいのことはやれるかも知れないと思った。

 しかし、まだ疑問がある。
「盗聴はどのくらいの期間行われていたのだろう」
「電話のエコー音は初めは聞こえてなかったように思う」
 甘粕が言った。

 二人が南富士工場へ来てから、事件が起こるまでたった五カ月余りしかない。それだけの期間であんなに流暢に応答できるほど語彙を集められるのだろうか。

「私の場合、報告のため毎日長い電話をかけてました。だから、十分集められたはずです」

 それに電話での会話は、普通はそんなに語彙の種類を必要としないと甘粕は言う。

「そうだな‥‥‥」

 病院から電話した時、とりついだ市川はひどく事務的だった。あれが録音したものであったとしたら、うなづける気がする。

「確かめてみよう」
「どうするんですか」
「工場に電話をかけるんだ」

「その必要はないですよ。奴らが盗聴して録音していたことは確実です」
 甘粕は自信ありげに言った。

「そうかな。それじゃ奴らは、何故、君を他の人質と一緒に扱ったんだ」
「さっきも言ったように奴らは気付いてなかったのです」

「電話が盗聴されていてもか」
「あっ‥‥‥」初めて気がついた。

 甘粕は報告をすべて電話で行っていたので、電話が盗聴されていたのであれば、当然、正体は奴らに知られていたことになる。

「君は奴らにとって、あまりありがたくない存在のはずだ。知っていれば特別扱いされているかもしれない」

「特別扱い?」睦美が尋ねた。
「もう、殺されているはずだということです」
 甘粕が答えた。だが、今から思い起こすと、盗聴され録音されていたことは間違いない。

「でも、彼らが言葉を集めるために録音していたとすれば、内容に注意していなかったかも知れないわ」

「そういうことも有り得る。だから確かめてみよう」
 そう答えたが、例え言葉の分類に熱中していても耳で聞けば、無意識にその意味を解釈してしまう。甘粕の正体を彼らが知ることの方が自然なのだ。

 幸いこの別荘には電話があり、回線はつながっていた。多賀は睦美に会話の内容を言い含めて工場に電話をかけさせた。甘粕を呼び出すつもりである。

「私はMTAに一日中追いかけられていました。工場を逃げだしたことがばれていますよ」

「いや、君の話では彼らは社員寮には近づかない。またMTAと交信していても個人の識別まではしていないはずだから、彼らは君が逃げだしたことは知らないだろう。外からこの地域へ入ってきた人間だと思っているに違いない。事実、彼女と私はそうだからな」

 睦美は多賀が入院していた病院の看護婦を装った。
 多賀と甘粕は睦美の持つ受話器に顔を寄せ、会話を聞いていた。
 最初に電話に出たのは阿南だった。睦美は多賀に依頼されたと言って、甘粕を呼んでくれるように頼む。

 ちょっと間を置いて、甘粕が出た。三人はお互いに顔を見合わせる。間違いなく甘粕の声であった。

「多賀さんに頼まれたのですが、お部屋に銀行のキャッシュカードを置いたままなので、そちらに帰るまで、お預かり願いたいとのことです」
 電話の甘粕は承知したと答えた。

「お願いいたします」睦美は電話を置いた。
「気持ち悪いわ。目の前に居る人と電話で話をするなんて‥‥‥」
 睦美の顔は緊張したままだった。

「間違いなく録音ですよ」甘粕が言う。
 多賀もそれを認めた。

 すると甘粕が無事だったのは、釈然としないが、睦美の主張する理由からだと考えるしかなく、彼らが人質を見殺しにするつもりであることも事実として認めねばならない。

 自衛隊がMTAの戦線を破って、工場まで来るのはどのくらいかかるのだろう。三日、いやもっと早いかもしれない。

 中継基地がなくなった現在、大野原や裾山附近では自衛隊の方が優勢になったはずだ。時折、聞こえてくる砲声はだいぶ近くなっている。人質にはもう一、二日我慢して貰えば救い出されるだろう。

「そうですね。そのくらいならもつでしょう」
「土井さんの下の子は幾つだったかな。五才か」
 多賀は同僚の土井の子どもがまだ小さいことを思いだした。

「はい、でも宮坂さんのお子さんはまだ三つです」
「経理の宮坂‥‥‥、彼の子供はまだそんなに小さいのか。大丈夫かな」
「後一日、二日が限度ですね」

「そんなに小さな子が人質になっているの。かわいそうに‥‥‥」
 睦美は眉をひそめた。

 多賀は滝ケ原を呼び出した。自分の名前を言うと待っていたように近藤一佐が出た。

「新五合目からの電話が途中で切れたので、てっきりMTAにやられたのかと思っていました。いま何処からですか」

「工場の近くの別荘地に居ます。状況はいかがですか」
「中継基地を破壊した効果は確かに出た」

 自衛隊は裾山を取り返したと一佐は言う。しかし、その先でまたMTAの攻勢が始まり、それ以上進めず膠着状態らしい。また、富士山の方は、須走新五合目とは連絡がついたが頂上とはまだつかず、状況ははっきりしていないという。

「工場までは後一両日中に到達できますか」
 多賀は工場の人質の状態を説明し、大人はいいが小さな子どもがもたないだろうと話す。

 近藤一佐は、MTAの抵抗は激しく、一両日中にはとても無理であり、ことによると一週間掛かっても到達できないかもしれないと言う。

 駒門の戦車大隊は壊滅状態にあり、他の駐屯地から派遣された少数の戦車で辛うじて戦線を保っている状態で、さらに東部方面隊の各隊から応援は来ているが、戦車の輸送が間に合わないので進撃できないらしい。

「富士や富士宮方面からは攻撃しないのですか」
「もちろん、やっている」

 富士、富士宮方面からは車両で進撃すると、樹林帯の中の道を行くことになり、待ち伏せているMTAの格好の標的となるのは経験済みだ。

 そこで、無反動砲を持った普通科部隊が樹林帯の中を徒歩で行っているが、例の液体酸素弾が樹林帯の中では威力を発揮し、思うようには工場に進めないのだと言う。

 その話を聞いて、多賀は、今日睦美と二人で、ここまで来たルートは幸運にも空白地帯であったことを知った。

 戦闘の音を全く耳にしなかったが、おそらく、その時、二人の採ったルートの僅か西の方では、普通科部隊とMTAがお互いを求めて樹林帯の中をさまよっていたのではないだろうか。

 近藤一佐は人質を連れ出すことはできないかと言う。
「難しいと思います。逃げだしてきた甘粕がいますから聞いて下さい」
 多賀は甘粕と替わり、心配そうな顔をしている睦美のそばに座った。

「大変なことに巻き込んでしまった」
「一緒に来てよかったと思っているわ。営林署の小屋に一人でいるときMTAに襲われたらと思うとぞっとするもの」

 睦美は僅かに笑うが、その表情には恐怖の色が見え、次第にMTAの恐ろしさを感じているようだ。

 甘粕は人質の救出は人数も多いし、小さな子どももいるから現状ではできないと説明している。

「動力源‥‥‥」
 甘粕の声が大きくなったので、多賀はそちらを見た。

「多賀さん、これ‥‥‥」
 甘粕は受話器を耳から離し、幽霊を見たような顔をしている。
「どうした」また立ち上がる。

「この電話‥‥‥、エコー音が聞こえます」
 甘粕から受話器を受け取り、耳に当てると聞こえて来る近藤一佐の声は確かに反響していた。

「奴らに見つかったらしい」
 多賀は受話器に向かって言い、近藤一佐の声を無視して受話器を置く。甘粕が走って行き、窓から外を窺った。

 何時から聞こえていたのだろうか。おそらく最初からエコー音はしていたのかも知れない。
 まさか、別荘の電話まで奴らが盗聴しているとは考えてなかった。

 奴らはドライブインだけでなく、工場の周りの電話、すべてをコントロールしているのだ。工場だけでなく、附近の住民も人質になっているのかもしれない。

 明かに爆撃や砲撃を避けるために仕組まれたものだ。
 工場やその周りに人質となった人達が沢山居るとなると、自衛隊もむやみに攻撃は仕掛けられない。

 彼らは最初からそれを読んでおり、しかも長期に渡って、人質が飢えて死んでしまった後でも、そう見せかけられるように企んでいるのだ。
 奴らの考え方に何とも言えない冷やかさを感じて、多賀の背筋に悪寒が走った。

「見えるか」
 外はすでに暗く何も見えなかった。

 電話をかけ始めてから相当時間は立っている。奴らが多賀達の所在を知って、MTAを派遣する時間は十分あった。すでに、MTAが近くに来ていてもおかしくない。

「とにかくここはもう駄目だ。早く出よう」
 弾薬が一発だけ残っている無反動砲を持ち、多賀が先に外へ出て、あとに二人が続く。別荘地から離れるために暗い林の中を急いだ。暫く、そのまま進んでいると、後ろで甘粕が呼んだ。

 振り向くと、空が明るくなっていた。
「別荘の方です」甘粕が言う。
 爆発音は聞こえなかったが、別荘が燃えている。

 液体酸素弾で攻撃をしたのだろう。間一髪のところだった。甘粕がもう少し気付くのが遅かったら、三人ともあの別荘の中で焼け死んでいたかも知れない。

 別荘地から離れるため、潅木の中を更に行く。密集して生えているスズ竹が風を遮るところで小休止した。

「一佐が動力源を断ち切れないかと言ってました」
 人質を早く助けるにはそれしか方法がないかもしれない。多賀はいい考えだと思ったが、それができるかどうかは別である。

「MTAは電力で動くそうですね」
「うん」
「この辺りの送電は切られているのにMTAのエネルギーは切れる気配がない。工場の自家発電で補充しているに違いないと言っています」

「そうだろう」
 当然それしか考えられない。

 工場の発電機は、あの工場全体がフル操業した時、消費する電力量を賄えるほどの発電力があり、そして、発電量が多いだけ消費燃料も莫大である。

 彼らは送電を切られることも考慮して、その燃料も十分に用意しただろうと、多賀は漠然と考えていた。そして、他の用意周到さを考えても、それは当然なのだが、本社でチェックした資材の購入リストに燃料などどこにもなかったことを覚えている。

 燃料は他の手段を使って手にいれたのかもしれないが、どんなに沢山用意してもいつかはなくなる。その時はどうするつもりだったのか。なくなる頃にはもっと勢力圏を広げていて、新たに手に入ると思っていたのだろうか。

 だが、そうならなかった時はどうなる‥‥‥。
 MTAの勢力範囲は狭くなっており、現在の形勢はまさにその時ではないのだろうか。

 エネルギーこそ奴らの力の根源で、それがなくなれば終わりである。エネルギー保存の法則によれば無から決してエネルギーは生まれない。

 今までの彼らを知る多賀は、彼らがそんな根本的なことを希望的な予測をして、実行するはずがないと思った。

「工場に発電用の燃料をストックしている形跡はなかったかな」
「私の知る限りではなかったようです」
 甘粕は首を傾げながら言った。

 工場にある燃料タンクの容量は多寡が知れていて、ストックしているとすれば、重油のドラム缶等が山積みされているはずだ。
 工場にいた甘粕が気付かないわけがなかった。

「そうだ。MTAが発電室の附近で工事をしているのが、社員寮から見えたことがあります」

 社員寮から直接発電室は見えないが、その附近で資材を持ったMTAがうろついていたのを、閉じ込められた当初に見たという。

「それだ。奴らは発電の方法を変えたのかも知れない」
「変えた。どんな方法に‥‥‥」
「原子力発電にかしら」

「それは判らない。工場に行って見よう」
 三人は再び歩き出し、工場の方へ向かった。
 工場に着くと、明りがあかあかとついていた。三人はフェンスの手前二十メートルほどのところにある茂みに身を隠す。

 これ以上近付くと明りに照らされて発見されるおそれがあるので、茂みに沿って発電室が見える方へ移動する。

「何か見えるか」
「いや、でも発電機が回っているのは確かですね」甘粕が答える。
「原子力発電じゃなさそうね」睦美が言った。

「原子力発電なんて簡単にはできませんよ」
「しっ、MTAだ」
 三人はしげみの中に身を埋める。

 MTAが二機芝生の上を走ってきて、発電室の隣の建物に入って行った。
「変電室ですね」
「うん、あそこで充電してるのかもしれない」

「すると今のMTAは戦場から戻ってきた奴か」
「たぶんそうだ。ここから無反動砲で撃ったらどうだろう」
「無駄ですよ。壁に穴を開けるだけでおしまいです」

 やはり、動力源を断つのは無理らしい。
「爆薬があったら吹き飛ばせるのにな」
 多賀は宝永火口で使った爆薬を残しておいたらよかったのにと思った。

「会社を首になりますよ」
 甘粕は真面目な顔をして言う。
「あれ何かしら‥‥‥」
 睦美が指をさして多賀に尋ねた。

 指の先をたどると、芝生の上に迷彩色に塗られた直径三十センチくらいの円筒が複数本横たわっているのが見えた。

 一方は発電室の方へ、そして、もう一方は三人がいる右側のフェンスまで届いている。

 そちらへ移動してみると、円筒は四本あり、フェンスの外に出て林の中に入っていた。

「以前からあったかな」
「いいや、なかったと思います。暖かいですね」
 触った甘粕が言った。

 厚い断熱材に被われた蒸気の配管であることに間違いない。
「発電機は蒸気タービンで回転させるのかな」多賀が尋ねる。
「知りません」甘粕は首を振った。

 二人とも自分の会社の発電機がどんな型なのか全く知らない。
「行ってみよう」
 多賀が先頭に立ち配管をたどりだした。

 それは目立たないよう林の中を縫っていた。暗い上に配管が迷彩色なので時々間違った方向に行ったりしたが、見失うようなことはなかった。

「これ寄生火山の方向に向かっているのかもしれないわ」
 十分ほど行った時、睦美が呟くように言う。
「寄生火山」
「そう、この先に寄生火山があるはずだわ」

 富士山附近には、山頂の火口を中心に、南東から北西にかけて大小七十余りの寄生火山がある。多賀の爆破した宝永火口もその一つだ。そして、この附近にある火口は殆どが延暦大噴火の時のもので、それほど大きくないが数は沢山ある。

「地熱発電か」
「断言できないけど、そうかもしれないわ」
 多賀は大きくうなづく。思い当たることがあるのだ。彼らの購入した資材の中に穴を掘るボーリングの装置があった。

「考えたな。奴ら‥‥‥」
 地熱を利用するならエネルギーは無限に等しい。
「温泉を掘ったのか」
 甘粕が呟いたが、そうとは限らない。

 地熱の高いところに、水を注げば蒸気は幾らでもつくれる。地熱の高いところを掘り当てるのは温泉を掘り当てるより確率が高いだろうし、また、この辺りは地下水脈があって、水も豊富である。

「火山の近くを掘れば、確実に地熱の高いところに行き当たる。この配管のどれかは水が流れているかもしれないな」

「それじゃ、この配管を壊せば発電を止められる‥‥‥。でも駄目か。これは鉄製だし無反動砲は一発しかないから全部は無理ですね」

甘粕の言うとおりだった。弾薬一発で四本のパイプを破壊するのは無理だろう。また、配管は継目を見れば判るとおり、鉄製であり、素手で壊すことなどできない。

 たとえ何か道具を使って壊せるとしても、壊した瞬間、なかの高圧蒸気が吹き出し、側にいる人間は無事ではすまない。

 木立の間から夜空を背景に小高い円錐形の丘が見えてきた。
 頂上までもみの木と思われる背の低い木に覆われている。そして、雪が斑模様に残っていた。

 配管はそちらの方へと伸びている。
 三人は音を立てないように注意しながら近付いて行く。
 暗いのに雪の反射光のせいで、以外に遠くまで見通すことができた。

 丘の高さは十五メートルほどあり、頂上に近い中腹から白い蒸気が漏れているのが見える。蒸気の出ているところに何か構築物があった。考えていた物より簡素で小さいものだ。

 多賀が無反動砲を取り上げ、これで撃つというゼスチャーを見せると、甘粕は側にやって来た。

「MTAが見えませんね」
「そうだな」
 周りをゆっくり見回した。こんな重要なところに見張りのMTAがいないわけがなく、何処かに必ずいると考えて行動した方がいい。

「二人とも先に工場まで戻ってくれ」
「私より多賀さんの方が足が速いから、MTAに追いかけられても逃げられる可能性は大きいということですね。判りました」

 甘粕は素直に頷いて立ち上がる。
「ちょっと待て、工場の暖房はしてたか」
 戻りかけた甘粕に尋ねた。

「いいえ」
「それならいい」
「暖房がどうかしましたか」

「うん」発電機は蒸気タービンで発電していると考えていいだろう。工場の暖房はボイラーからの蒸気で行われていて、それは一つしかなく、発電用の蒸気も本来はそこから供給されるようになっているはずだ。

 ここからの蒸気を止めても、ボイラーの圧力が上がっていれば、すぐそちらに切り替えられてしまい、その間にこちらを修理されたら何にもならない。

 しかし、暖房がされてなければ、現在ボイラーの火は落とされているとみていい。

「ボイラーの圧力を上げるまで、時間はどのくらいかかると思う」
「二、三時間ですか。この前ボイラーの掃除で暖房が止まった時、半日くらい寒い思いをしましたから」

「それなら、その倍の四、五時間かかるとみていいな」
 なぜなら、タービンを回すには、ボイラーの出力を抑える暖房と違い、最大圧力にもっていかなければならないからだ。そして、地熱で蒸気を発生させる方の修理はそれより時間が掛かると思っていい。

 したがって、ボイラーの圧力が上がるまで、MTAの中にはエネルギーが切れるものが出て来るはずだ。

 自衛隊と交戦しているMTAの勢力が弱まって、工場まで来られたらおしまいだから、彼らはエネルギーの残っている工場及び周辺のMTAを交替に前線へ差し向けるだろう。

 その時、工場は無防備になる。
「そこで、工場に乗り込んで、我々二人で、阿南、君元、皆川の三人を抑えれば終わりだ。それで人質も助かる」

 甘粕は多賀の言うことに一つ一つ納得がいった。
 MTAのエネルギーが地熱発電だと知ってからのほんの短時間のうちに、多賀がこれだけの状況判断をしたことに驚いている。おそらく、自分一人であったらどうしていいか途方にくれていたかも知れない。多賀が富士山で一人生き残り、帰ってきたのは偶然ではないと思った。

 多賀は自分でそう言いながら、本当にそう簡単にいくのだろうかと、ふっと不安になった。彼らは武器を持っているかもしれないし、こちらには何もない。

 だが、不意を襲えば甘粕と二人なら何とかできるだろうとすぐに思い直した。

「エネルギーが切れたと言っても動力の方は残っているだろう。しかし、レーザーのないMTAなんか恐れることはない。見つかったら逃げればいいんだ」

「私が逃げだした給水塔の近くで待ってます」
 甘粕は島井睦美を連れて、来た道を戻って行く。
 多賀は二人が工場に戻るまで、待つつもりだった。

 何処かにMTAが隠れているはずだが、何も見えず、時折、砲声が聞こえるだけで、全く静かである。
 MTAは宝永火口で見たように雪を被ってその中に隠れているのかもしれない。

 木立の合間に積もっている雪の上を丹念に見て探ったが、夜の暗さのため凹凸が全く判らなかった。

 そろそろ二人が工場に着く頃だ。
 弾薬は一発しかなく、外さないためにもっと近づく必要がある。多賀は雪の積もっていないところを選びながら接近していく。

 標的の構築物が木や枝に邪魔されずに見通せる場所を選び、片膝をつき、狙いを定めて引金を絞った。ロケット弾は推進力の光の尾をひいて標的に吸い込まれて行き、爆発した。

 だが、何も起こらない。
 失敗だ。残っているのは手榴弾が一個だけである。無反動砲で駄目なものがそれで破壊できるはずがない。

 漏れている蒸気が先ほどより大きくなっているような気がする。
 右の方で何かが動き、目の端に入ったが、蒸気の漏れが次第に大きくなってくるので、目が離せず、じっと見つめていた。

 次の瞬間、大音響が鳴り響いた。配管が自らの高圧蒸気を吐き出しながら空中をのたうちながら飛び跳ねた。

 そして、構築物のあった辺りの地中から大量の蒸気が吹き出し、周りの木々を揺るがして、枝に積もった雪を振り落とした。

 蒸気は雲のように、全てを覆い隠しながら周囲に広がって行く。
 突然、辺りがザーと言う音で包まれ、顔に暖かい水が降り注いできた。瞬く間に、全身がびしょ濡れになってしまった。

 硫黄の臭いがしている。
 ハッと気がつくと、右手でMTAが蜘蛛のような四本の足を立て、ドームの雪を払いながら多賀の方に向かおうとしている。

 後ろを向くと、もう一機いた。
 多賀は知らずに、MTAの居るまっ只中に踏み込んでいたのだ。
 もう走って逃げても間に合わない。確実にレーザーで狙い撃ちにされてしまう。

 蒸気の雲が目の前に迫っていた。
 前に行けば、MTAが更にいるかも知れないが、この際、選択の余地はない。

 無反動砲を放り出し、蒸気の雲の中に転げ込んだ。
 ほとんど同時に閃光が二度閃き、木片が弾け跳び、すぐ脇のモミの木が折れて、多賀の上に覆いかぶさってきた。

 葉の刺が顔を刺して痛い。それを両手で払いのけて立ち上がり、蒸気の奥へ駆け込んだ。めちゃくちゃに走り、何度も木にぶつかって転がる。

 蒸気の雲の中は暖かく、凝縮する水滴は躯から滴り落ちている。
 幸いMTAと一度も鉢合せすることもなく、寄生火山の頂上まで登った。頂上も蒸気で覆われ、何も見えない。

 一歩踏み出すと何もない空間だった。多賀は四、五メートル転げ落ち、雪の上で止まった。摺り鉢状の火口の底らしい。

 底には冷たい空気が溜っており、蒸気の雲はまだ届いておらず、暗いながらも、識別できる程度に視界はきく。

 小さな火口だった。上を見ると手の届きそうな高さまで蒸気が降りてきている。蓋をされた鍋の底に居るような妙な気分だ。

 その蓋の中から何かが火口壁に沿って降りてくる。金属製の蛇腹状の細長い棒が、くねりながら、ゆっくりと火口壁を撫で回している。

 先が鋭く小さなはさみのようになっていた。MTAがドームに収納している腕だ。
 縁に立ち火口底の中を探っているのだ。
 多賀は反対側を登り火口の縁に出た。

 十メートルと離れていない向こう側の縁に、MTAがいる。しかし、赤外線感知装置を備えたMTAにとって、この暖かい蒸気の雲は、強いて人間の目から見た物に例えたら、光輝く金色の雲であり、その中に居る多賀の姿はまぶしくて見えない。

 寄生火山の反対の斜面を下った。

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