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 二人は甘粕が工場から抜け出た給水塔の側の金網フェンスの近くに身を潜めていた。暫く待つと、明かに砲声とは違う地に篭るような音が響いてきて、二人は顔を見合わせた。

 そのまま数十秒が過ぎて、工場の明りが一斉に消えて暗闇になった。<br> 「成功したみたいね。あそこにMTAはいたのかしら」
「まず、いたと思って間違いないですよ。だから我々を先に帰してから攻撃したんです」

「うまく逃げられたかしら」
 睦美の声は心配そうだ。
「大丈夫、多賀さんの足なら逃げられます」

 MTAは林の中は余り速く走れない。多賀はそれを知っているはずだった。
「多賀さんの体力は超人的だ」

 冬の富士山に登ることは、それだけでも並み大抵ではない。多賀は直前まで重傷を負って病院におり、それなのにMTAと五日間も戦いながら無事下山してきている。普通では考えられない無茶なことだった。

 しかし、多賀は何故戦闘部隊と一緒に富士山に登ったのだろうか。甘粕は、多賀のとった行動の理由の一端は、自分にあるのかも知れないと思っていた。

 奥さんとの行き違いは前からのいきさつがあったとしても、直接の原因は、間違いなく自分が、まだ確定していない多賀の転勤を、奥さんに告げたせいだった。

「ええ、多賀さんは試合の最後までいつも走力は衰えなかったわ」
「以前から多賀さんを知っているのですか」
 暗闇に目が馴れて、彼女の横顔が見えた。目が光っている。

「ええ、学生、社会人時代の試合は全部見てた‥‥‥」
 睦美の声には、昔の思い出を語る響きがあった。
「工場の中がまだ明るいみたい」

 先ほどまでの明るさはないが、確かに工場の中から光が漏れている。
「あれは非常灯です。電源はバッテリーですよ」
「そう‥‥‥」

 暫く沈黙が続いた。
「多賀さんが富士山に登ったり、MTAと戦ったりしているのは、私が奥さんとの溝をつくったせいなんです」

「さっき、別荘で話しているのを聞いたわ‥‥‥。そのために多賀さんがやけになって無茶をしていると言いたいの」

「そうです。今度の事件は多賀さんには何の責任もありません。多賀さんは只利用されただけです。多賀さんもそれは十分知っています」

「それは違うわ。私はそうは思わない」
 睦美の口調が強かったので、甘粕は驚いて彼女を見たが、暗くて表情は見えなかった。

「多賀さんが富士山へ登ったのは、たぶん何か別の理由からでしょう」
 睦美は穏やかに言った。

 彼女がかってスタープレーヤーであった多賀三郎に憧れていた少女であり、分別のある女性に成長した今も、その時の気持ちを持ち続けていることに気がついた。

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 時間が経った。多賀はなかなか戻って来ない。
「遅いですね。ちょっと見てきます」
 甘粕は立ち上がりかける。

「もう少し待ちましょう。行き違いになると時間の無駄になるわ」
 睦美に引き止められ、また座った。多賀の読みでは、停電後二時間以上経てば、工場のMTAは戦線に駆り出されるはずだった。

 間もなく、停電後その二時間になろうとしている。多賀を残してきた場所からは、ここまでまっすぐ来れば、三十分も掛からない。たとえ、MTAに追われて迂回したとしても、もう来てもよさそうだ。

「何かあったのかしら」
 考えたくないことがちらっと頭をよぎり、思わず口から出た。

「やはり、見てきます」
 甘粕は再び立ち上がる。
「私も一緒に行きます」

 二人は配管の出ている方へまわった。フェンスから離れ、林の中を行くと、配管の上に何かが乗っており、微かではあるが蒸気が立ち昇っているのが見えた。

「多賀さん」
 全身から湯気を立ち昇らせている多賀が、配管の上に座っていた。

「ちょっと寒いので、この上であったまろうと思ってね」
 配管には蒸気の残熱がある。

「濡れ鼠だわ。どうしたの」
「思いがけずサウナに入ってしまったんだ」
 多賀は白い歯を見せた。

「蒸気を浴びたんですか」
「火傷は」睦美が多賀の手を取った。
「大丈夫、何ともない。服が濡れていて、ちょっと寒いだけだ」
「よかった」

 多賀は工場に入るのはもう三十分ほど待とうと言う。
「遅かったので心配しました」

「奴らに追いかけられて、また別荘地の方へ逃げたので遅くなった。別荘の管理事務所が襲われていてめちゃくちゃだった」

 だが、電話は無事だったので、管理事務所から滝ケ原に動力源を一時的に断ったことを連絡した。
「一佐はなんと言ってました」

「MTAを引きつけてくれるそうだ」
「エコー音は」
「したよ。今ごろ、奴らは管理事務所をまた襲っているだろう」

 甘粕が破ったフェンスの金網は目立たないようにうまく細工がしてあり、三人はそこから工場に侵入した。一番近い建物への入口は荷受け場の通用口で、荷を運んで来るトラックの出入口もあるが、そちらはシャッターが下りていた。

 多賀を先頭にして通用口から中へ入ると、広い荷受け場には自走運搬車が二台放置されているだけで、他には何も見あたらず、非常灯の明りが床に反射していた。

 多賀は事務所に通じるドアに直接向かったが、そこにも誰もいない。
「彼らはコンソール室だ」
 甘粕はうなづいて、隅の方へ行き何かを手にして戻ってきた。

「なんだい」多賀は甘粕の手元を見て尋ねた。
「スパナです。これで奴らをぶんなぐってやろうかなと思って‥‥‥」
 甘粕はスパナを持った手首を調子を取るように振った。

「死んでしまうぞ」
「構うもんですか」と甘粕は言う。
 三人は通路へ出た。ずっと先まで見通せ、動くものは見あたらない。多賀の読み通り、MTAは外へ出払ったのかも知れないが、全部が出て行ったとは限らず、出逢わないよう注意しなければならない。三人にはMTAに対抗する武器はないのだ。

 倉庫への通路を右にみて、工場の作業場に向かった。
 物音は全く聞こえてこない。

 多賀は地下通路の入口を通り越し、作業場の周囲にある中二階へ行く階段を指して、後ろからついて来る二人に昇ると合図する。

 中二階へ行けば作業場が見渡せ、そこからコンソールルームの様子を見ることができるはずだ。

 途中から腹這いになり、階段の一番上から作業場を覗くと、薄暗い非常灯の光の中で全てが見渡せた。

 動いているものはなく、静かだ。
 コントロールルームとコンソールルームを眺めたが、遠いので非常灯の明りだけでは、中がよく見えない。

「多賀さん、見えますか」
「いや」多賀はかぶりを振る。
「行ってみるしかないな。あそこに必ず居る」

 三人は階段を下りて通路に戻った。
 多賀は作業場の下を通る地下の通路から行くつもりである。
「私は作業場を通って行きます」
 甘粕が言った。

「上から見つかるぞ」
「大丈夫、機械の陰をつたって行きます」

 甘粕は背中を丸めて素早くオートマトンの陰へ走って行く。多賀は睦美と共に地下通路の方へ戻り、階段を下った。

 コンピューター室の前を通り、コントロールルーム、コンソールルームへ通じる階段を足音を忍ばせて上っていく。

 睦美を階段の途中に止めて、ドアの取っ手を掴み、そして一気に中に飛び込んだ。

 誰もいない。
 部屋の中の二台の補助コンピューター、外部記憶装置、プリンター、その他コンソールのパワーランプはすべて消えていた。

 電源が完全に落ちており、非常灯だけが緑色の薄暗い光を投げかけている。

 皆川が何時も座っていたディスプレイの前には、ノートとシャープペンシル、君元の机の上には、ソースコードをプリントアウトした連続用紙、定規、電卓、ボールペンが乱雑にのっていて、阿南の席も変わりはない。

 彼らが居ないことを除いたら、以前に見た部屋の様子となんら変わっていなかった。

 甘粕が作業場の方から飛び込んで来た。
「奴らはいない」甘粕に向かって言う。
「隣は」

 甘粕がコントロールルームを覗くが、やはり居なかった。
「何処へ行ったんだろう」
 睦美が入ってきて珍しそうに部屋を見回す。

 多賀は君元の机の上の連続用紙に手を延ばしペラペラとめくった。
「随分あるな」

 ところどころ赤いボールペンで印がしてあり、なかには大きく×印がしてあって、削除と書いてあるところもあった。多賀の全く知らないプログラム言語だった。

 プリンターにはまだプリントアウト仕掛の用紙が床に積み重なっている。出力の途中で電源が切れたのだ。

「作業の途中だったようですね」甘粕が言った。
 多賀が地熱の蒸気発生装置を破壊したとき、作業中だったらしい。
「後は発電室か変電室ですね。それともボイラー室かな」

 発電室と変電室は作業場の北側になり、別棟なので北側の出口から一度外に出なければならない。

 三人は作業場の中を通ってそちらに向かう。オートマトンはすべて作業の途中で止まっていて、明かにMTAの製造ラインだった。

 殆ど出来上り、今にも動きだしそうなMTAもある。彼らはここで一日につき約三機のMTAを作っているのだ。

「これは何だろう。以前からあったかな」
 予備室の前に来たとき、中を覗いた甘粕が言った。
 黒っぽくて、長径が五十センチほどあるラグビーボールを少し平たくした形の物が沢山積んである。

 その奥に高さが人間の背丈ほどの電気炉が目に入った。
「例の液体酸素を入れる器だ。ここで作っているのだろう」
 三人はそのままそこを通り過ぎる。

 彼らは発電室にも変電室にも見あたらなかった。残りはボイラー室しかない。三人は再び工場の作業場に戻り、その中を行く。

 ボイラー室も別棟になっていて、東側にある。外を回っても行けるが、作業場の中を通った方が近い。

 多賀を先頭に睦美、甘粕の順で機械の間を東の出口に向かった。
 工場の静けさは三人の歩く音だけを響かせ、それが不気味さを演出している。睦美は多賀に遅れまいと必死について行った。

 突然、睦美が息を呑んで立ち止まった。
「どうしたんですか」
 後ろから来た甘粕が言った。

「あれ、あそこ‥‥‥、人の脚ではないかしら」
「何処に」
 多賀も戻ってきて睦美の指さす方を覗く。

 薄暗いので輪郭だけであるが、二台置いた東側の端の作業台の上に確かに人の脚のようなものが突き出ている。
 甘粕が小走りに近づいて行った。

「何ですかこれは‥‥‥」
 黒光りしている金属製で、全体として人の形をしていたが、製造途中らしく配線や機械がむき出しのままだった。

 多賀は周りを見たが、他はどれもMTAの製造ラインで、目の前の作業台だけにしかない。

「MTAを改良して、人型のロボットを彼らは作っていたのかな」
「そうかも知れない。この作業台だけで試作をしていたみたいだ」
「無駄なことをする‥‥‥」
 甘粕が呟く。多賀もその通りだと思った。

 彼らは自分達が置かれている状況をはっきりと認識しているのだろうか、こんな物を試作している余裕などなかったはずだ。

 彼らは、一方では、自衛隊と戦闘をしており、富士山の中継基地も多賀が破壊してしまった。他に対策を考えることなど、エネルギーを注ぐことが山ほどあるのだ。

「こつちにも変なものがありますね」
 甘粕が窓際の作業台にまた違うものを見つけた。ノルデイックのスキージャンプ台をミニチュア化したような物がのっていて、下の部分にはコイルがびっしりと巻きつけられている。

「これがさっき見た液体酸素の容器を飛ばす装置かもしれない」
 たぶん、これに電流を流すと強力な電磁石となり、超電導体で作られた液体酸素の容器を飛ばすカタパルトの役目をするのだ。

「このコイルもおそらく超電導物質でできているのだろう」
 ボイラー室に近づくと、地に篭ったようなボイラーのバーナーの音が聞こえてきた。

 工場に潜入してから初めて何かが動く音を聞く。
 多賀が考えていたように、現在、重油バーナーを焚いてボイラーの圧を上げている。後一時間もすれば、発電用のタービンを回せるだけの圧力ができ上がるだろう。

 彼らはボイラー室に居るに違いない。
 甘粕は手に持ったスパナに素振りをくれて、鉄製のドアを静かに開け、するりと中へ入っていった。続いて多賀も入ろうとすると、慌てて出て来る甘粕にぶつかってしまった。

「MTAがいます」
 甘粕は声を潜めて言う。
「MTA‥‥‥。彼らは?」
「見えません」

 ドアの隙間から覗いてみた。コントロールパネルの前にMTAが一機じっと動かずに頑張っており、人影は何処にも見えない。

「いないな」
 もう他に彼らが居そうな場所はない。

「何処にいるんでしょう。残っているのは社員寮だけです。しかし、彼らは社員寮には顔を出したこともない、逃げだしたのかも知れませんよ」

 MTAには用はない。見つからないうちに三人はボイラー室から引き返した。
 まだMTAがいるかも知れないが、社員寮へ行くことにする。
 その途中もう一度コンソール室に寄った。

「多賀さんの読み通り、MTAは出払ってしまったようですけど、彼らも逃げてしまったみたいですね。これを見て下さい。彼らはつい先ほどまで、ここで作業をしていたのですよ」

 コンソール室の様子は、確かに、それを物語っているように見える。
 自分の職場だったコントロール室の方に行くと、何処か変わっているような気がした。

 パネルの脇に厚さ十センチ、縦横三十センチくらいの箱が置いてあるのに気付いた。配線がパネルの中につながっている。
「何ですか」甘粕が尋ねた。

「通信装置かも知れない。おそらく、屋上の何処かに設置されたアンテナとつながっているのだろう。もう一つ出ているから一方はコンピューターに行っているかもな」

「MTAとの交信用ですか」
「たぶん、そうだ」
 甘粕は配線を掴み無造作にパネルの中から引き抜いてしまった。

「こいつのお蔭で、一日中MTAに追いまくられ、へとへとに疲れました」
 甘粕は持っていたスパナで箱を殴りつけ、壊してしまった。

 MTAは単独でも状況判断をして行動するから、彼が追いかけられたのは、通信装置のせいばかりではないことを知っていたが、敢えて口には出さず、笑ってみていた。

「電話の装置はどこでしょう。ここにはないようですね」
「電話か‥‥‥。たぶん、事務所の電話交換機の近くにあるんじゃないか。ここになくともコンピューターの端末は工場中にあるからな」
 甘粕は後で壊してやると言う。

「誰かいる」窓から作業場を眺めていた睦美が言った。
「右から二番目の機械の陰に隠れたわ」
「よし」甘粕はスパナを握り直して、地下通路から出て行く。

「何人いた」
 一人しか見えなかったと睦美はいう。二人も後に続いた。
 地下通路から出ると、甘粕が、オートマトンの陰からコンソールルームを遠目に窺っている人影に、襲いかかるところだった。引き倒された人影が叫び声をあげ、甘粕が振り上げたスパナを途中で止めた。

「甘粕さん、‥‥‥多賀さんも、どうして」
 倒されたまま、その人影は三人を交互に見上げていう。
 多賀と一緒にコントロールルームに勤務する戸川貞雄だった。

「MTAはどうしたんだ」
 戸川は、見張りのMTAがいつの間にかいなくなったのに、気がつき、工場の様子を見に来たらしい。

「他の人達は」多賀が尋ねる。
「部屋にいます。まだMTAがいなくなったのを知りません」
「寮にいきましょう」甘粕は多賀に言う。

「でも、あそこに君元さん達がいます。ここから見えました」
 戸川がコンソールルームを指して言った。
「あそこにいたのは我々だ。工場には誰もいない。ボイラー室にMTAが一機居るだけだ」

「ほんとですか」戸川は信じられないという顔をする。
 社員寮に行くと、食堂に皆が集まってきたが、誰もが焦燥して疲れきった表情をしていた。

 睦美は持っていた僅かな食べ物を全員に配った。四十二人も居るので腹の足しになるほどいき渡らない。

 甘粕が君元、皆川そして阿南は動力源を壊されたので、工場から逃げ出したことを皆に告げ、夜が明けたら救援隊が来るだろうと話した。

 コントロールする者がいなくなったMTAは、いずれ総てエネルギーがなくなり立ち往生するだろう。

 多賀は食堂のいつもの席に座ると、疲れがどっと出て来た。
「彼らは何処へ逃げるつもりなのかしら」
 隣に座った睦美が言った。

「えっ」多賀は聞いていなかった。
「阿南とかいう人達のこと。何処へ逃げてもいずれ捕まるわ」

 彼女の言うとおりだ。これだけの事件を起こした彼らには、日本中何処にも隠れる場所はなく、それどころか、この富士の裾野から抜け出すことも難しいだろう。

 周りは自衛隊に囲まれており、彼らがそれを知らないはずはない。
 まだ工場の何処かに潜んでいるのだろうかと考えてみたが、まずありえなかった。それなら、人質は解放しないはずだ。

 人質を見張っていたMTAを戦場に持って行ったのは間違いないが、彼らが工場に残っているなら、一機くらいは人質の見張りに残すだろう。
 飢えて弱っているとはいえ、人数は人質の方が圧倒的に多いのだ。

 やはり、動力源を断たれたとき、自衛隊が近くまで来たと思い、彼らは工場もMTAも放棄して逃げたのかも知れない。

 しかし、そうは思いながらも何処か引っかかるものがある。
 この事件の起こった過程を考えると、彼らは粘り強く慎重に、そして入念に準備をしている。ところが動力源を一時的に断たれたと言うだけで、工場を簡単に放棄してしまった。

 あれだけの準備をしながら、こんな簡単に放棄するものだろうか。これは矛盾しているような気がする。

 多賀の破壊した地熱からエネルギーを得る装置は、たやすくはないにしろ、修理できるはずである。MTAの本来の機能を考慮すれば、たぶん一両日も要しないだろう。

 また、ボイラー室に残っているMTAは何と説明する。
 今、ボイラーの圧力を上げているが、暖房のためではないはずで、地熱発電が復元されるまで、エネルギーを臨時に得るための処置ではないのか。

 多賀は破壊する前に必ず彼らがボイラーを焚くと予想した。彼らはそのつもりでボイラーに火をいれたが、途中で考えを変え工場を放棄したのだろうか。

 彼らは作業の途中で電源が切れたので、そのままにして逃げてしまっているが、コンピューターには瞬断防止装置がついていて、電源が切れても暫くは正常に動くのだ。慌てる必要はない。

 この工場にきた当初に、阿南から説明を受けた内容を思いだしてみると、確か、停電後一時間したら、プログラムと処理中のデータが自動的に外部記憶装置にバックアップされるはずであった。するとコンピューターだけばかりでなく、周辺装置も瞬断防止装置が働いていることになるだろう。

 プリンターは何故途中で止まっていたのだろうか。電源が切れても動いていたはずだ。しかし、スイッチを切ればいつでも止まるのだから、何かの都合で止めたのかも知れない。

「彼らの残した食料が工場にあるかもしれません。ちょっと探してきます」
 甘粕がそう言って、まだ元気そうな若い連中を連れて、食堂を出て行った。
「でも、あのコンソールルームには食べ物のかすもなかったわ」

 多賀は睦美の顔を見た。確かにその通りだ。あそこで約一ヶ月も彼らは生活をしていたはずであり、食べ物の包やゴミがあって当然だった。

「どうしてだろう」
「他で食べていたんでしょう。寝泊まりしていた部屋でね」
「そんな部屋はない」

「こんなに広い工場ですもの一部屋くらいはあるでしょう」
「まったくないんだ」
 工場は無人工場として作られているので、宿直室とかそれに類似した部屋はない。

「会議室もない。人間がいる部屋は事務所と呼ばれている大部屋とコンソールルームとコントロールルームだけなんだ」

「それじゃ、彼らは余ほどのきれい好きだったんだわ」
 何かおかしい。先ほど議論した甘粕のことも納得がいかなかった。
 電話を盗聴していて甘粕の正体を知らないと言うことはないはずで、彼が調査部の手先であるかどうかは、彼らにとってどうでもいいことではない。

「盗聴装置は何処にあるのかしら」
「さあ、判らないな。盗聴は工場だけでなく、この辺り全てがされていたのなら、工場の外にあるはずだ。しかし、再生装置は工場の中かも知れない」

「どこにあるの」
 社員寮にあるはずはないのに、睦美は周りを見回す。
「たぶん、事務所だ」
「いってみましょう」

 二人が事務所に行くと、確かにそれらしい物が電話交換器に接続されていた。外見はコンピューターの外部記憶装置に似ている。多賀が怪我をして入院する前にはこんな物がここにあったという記憶がない。

 おそらく工場を占拠後ここに取りつけたものだろう。
「中を調べてみたいわね」
「電源が来ていない。今は無理だ」

「ここにも食べ物なんかないわね」
 事務所の中を見渡したが、各机の上には端末用のディスプレイとキーボードが並んでいるだけだ。

「おかしなことはまだある」多賀は呟いた。
 最大の謎は彼らが何の目的でこんな騒ぎを起こしたのかであった。彼らは何の要求もしなかったらしい。MTAの実力を示してから要求しようと考えていたのかもしれないが、その要求をする前に姿を消してしまった。結果としては、ただMTAを暴れさせたというだけである。

「彼らが捕まるのは時間の問題だ。そうすれば何もかも判る」
 彼らが逃げ延びる確率は殆どないといっていい。

「捕まらないとしたら、彼らが逃げる計算までしていたとしたら‥‥‥」
「逃げる計算?」
「そうよ。本当は電源を切られたつい先ほど逃げたのではなくて、もっと前に逃げだしていたら‥‥‥」

 睦美が言いたいことが判ってきた。
「電話に出た阿南も録音だと言うのか」

「そうよ。他の人も総てそうかもしれないわ。だって人質になっていた人は彼らの誰とも会っていないし、工場に食べ物もない。彼らが逃げだして工場にいなかったとしたら、それはあたりまえだわ」

 多賀は睦美の発想に驚いたが、まったく否定するわけにもいかなかった。
「有り得ないことではない。すると彼らが居なくなった後、コンピューターがMTAに指示を与えていたことになる‥‥‥」

 多賀は考えてみた。たとえ彼らが工場に居たとしても、MTAへの指示はコンピューターを通して行う。事前にプログラミングとデータが与えられていれば、人間の手はいらないかもしれない。

「そうすると私が東京から電話で話した君元さんも録音か‥‥‥」
 あの時のことを思い浮かべる。

 多賀の質問に君元は沈黙して答えなかった。そうしたくないから沈黙したと思っていたが、もしかすると応答が用意されてなかったからだったのかも知れない。

「三人は今頃MTAのノウハウを持って国外にいるのかも知れないわ」
「国外か‥‥‥」
 これだけの騒ぎを起こした実績を持つMTAのノウハウは高く売れるだろう。証明つきであり、もし彼らの目的がそこにあったのであれば、何の要求も出さなかったこともうなづける。

 FGも政府も近藤一佐も、そして多賀も、よってたかって彼らの援助をしたことになってしまう。

「でも、コンソールルームにあったプリントアウト途中のソースコードはなんだろう」
 あのコードは、たぶんゴッドL言語だ。

 おそらく、実行コードから逆コンパイルしてプリントアウトしたのだろう。君元の机上にあったリストには、あちこち赤いボールペンで書き込んであり、明かにソースコードのチェック、すなわち、プログラムの見直しをしていたものだ。

 プログラムを修正しようとしていたのかも知れない。
「その途中で彼らは逃げだしたのか‥‥‥。それに君の見つけた人型の機械も製作の途中だ」

「逃げ出す期限が来たので、やむをえず放棄したのでは‥‥‥」
 国外へ逃げ出すには誰かの援助が必要で、その援助者に期限を切られたので、途中で放棄して逃げだしたのだろうと睦美は言う。

 そうかも知れないが、そうでないかも知れず、すべて推測で何の証拠もない。
「彼らが早いうちに逃げだしたという証拠は、この音声再生装置を調べれば判るわ。早く電源が戻らないかしら」

 電源が戻るのは、あと三十分もかからないだろう。
 もし、睦美の言うことが正しいとして、電源が戻ったらどうなるのだろうか。

 その時、電話が鳴った。一番近くにある受話器を取ると甘粕からだった。もうエコー音は聞こえてこない。
「大変です。わけが判りません」
 甘粕の声は興奮している。

「皆川を見つけました。他の連中も居るかも知れません」
「本当か。何処だ」
 甘粕は液体窒素の製造室だと言う。

 多賀は受話器を置いて、事務所を飛び出した。
 製造室へ行くと部屋の中は白い煙で一杯で、甘粕と一緒に工場へ食べ物を探しに来た社員達がタンクの中から何かを引き上げていた。

「窓を開けろ。窒息するぞ」多賀は怒鳴った。
 タンクから多量の窒素が蒸発しており、部屋の中に充満して酸欠になってしまう。甘粕が多賀の側にきた。

「阿南も居ました。たぶん、君元も居ると思います」
 白煙を上げて床に転がっているものを指して言う。
「死体です」
 床の上に六体あり、まだタンクの中にあるらしい。

 甘粕達は工場の中を食べ物を探して歩いた。何も見つからないので、諦めて寮に戻ろうとしたが、MTAに殺された市川達三人が、こちらの方に運ばれて行くのを見たと社員の一人が言うもので、ついでに探してみることになった。そして、佐伯が死んだ時を思いだして、タンクの中を探ってみると、この通り次から次へと冷凍死体が出てきたと言う。

 多賀は死体の側に行き一つ一つ確認したが、全く顔を知らないものもある。そして、皆川の死体を見て思わず息を呑む。両足の肉がそぎ落とされ大腿部から下は骨だけになっており、内臓がすっかり取り除かれている。阿南も市川もいた。

「ドライブインの人ですよ」
 多賀の知らない顔を指して甘粕が言った。
 そして、また一つタンクから引き上げられ床に置かれた。

「酷いな。これは半分ですよ」
 頭から股にかけて左右に真二つ切断された片割れが転がされた。切口はスライスされたようにきれいで、体の中が人体模型のようにはっきり見て取れたが、みるみる白い霜が付着して、それを覆い隠してしまう。

「君元さんですよ」
 引き上げた一人が言った。
「確かにそうだ」
 のぞき込んで確認した甘粕が言った。

 多賀はこれ以上見たくないと思い目をそらす。

 睦美は何も言わず脇に立ち、恐怖の表情を浮かべているが、その目はしっかりと死体を見ている。

「これをやったのはMTAですね」
 甘粕が確認するように言う。
 当然、そうとしか考えられない。

「何故こんなことを‥‥‥」
 多賀は頚を振る。富士山を登っているとき、七合目の小屋で田辺二曹がMTAは人間をばらばらに引きちぎる、と言ったことを思いだした。

 あの時、自分は機械がそんな無意味なことをするはずがないと思ったが、現実にそれをここで見せられてしまった。何の目的でやったのか、判らないが、やはり、MTAの仕業としか思えない。

「三人とも自分達の作ったMTAに殺されたのですか。哀れというか」
 多賀はまた頚を横に振った。

 作業場で見た人型のマシンが頭に浮かんだ。プリントアウト途中のソースコード、工場に食料が全くないこと、甘粕の正体がばれていたにもかかわらず無事だったこと、それらが一本の線上で結びつくにはこれしかない。

「そうではない。コンピューターだ」
 甘粕はびっくりして多賀の顔を見た。
「コンピューターがMTAを作り、そして、動かして今度の事件を引き起こしたのかも知れない。阿南達三人も他の人達と同じ犠牲者なのだ」

「そんな‥‥‥、ありえないわ」
 睦美が脇から言った。

「さっき君も言っていた。彼ら三人はずっと以前に逃げてしまい、コンピューターがMTAを動かしていたんだと」

「あれは違うわ。プログラムもデータも彼ら三人がお膳立てすれば可能だと思ったのよ」
「それじゃ、この惨状をどう説明する」

 多賀は目の前に白煙を上げて横たわる死体を指さす。死体は全部で十一体あり、工場の人間だけでなく、附近の住民も含まれている。

「解剖されているんだ。これはさっき作業場で見た人型のマシンを作るためにされたのかもしれない。彼ら三人があれを作っているのなら、人間の構造を知っているから、こんな解剖は必要ない。ところがコンピューターは人間の仕組みを知らない。学習する必要がある。またあの人型マシンを作っているのが彼ら三人でない証拠に、彼ら自身が解剖されている」

「まさか‥‥‥」
 甘粕は信じられないという。
「コンピューターが意志を持つはずはないわ」
 睦美が呟いた。

「意志なんか持つ必要はない‥‥‥」
 多賀がそう言いかけた時、突然、照明がつき明るくなった。ボイラーの圧が上がりタービンが回りだしたのだ。

「大変だ。コンピューターが動きだしてしまう」
 まだ、誰もが多賀の話を信じられないらしく、顔を見合わせているだけだった。

「コンピューターを止めなければ、また元に戻ってしまうぞ」
 そういって、多賀は部屋を飛び出した。コンソールルームへ行くつもりだった。

 コンピューターは外部記憶装置からプログラムとデータを読み込まなければ始動しないから、コンソールルームにある大容量DVDをコンピューターから切り放さなければならない。

 後ろを振り返ると甘粕と睦美がついてきており、やや遅れて戸川が続いていた。
「変電室の電源を切りに行ってくれ」
 多賀は立ち止まって叫ぶ。

 戸川が判ったという合図をして、変電室の方へ走って行く。
 地下通路を通り、コンソールルームへの階段を駆け上り、ドアを開けて中に飛び込もうとすると、すぐ目の前にMTAのドームがあった。

 多賀はとっさに踏みとどまり、ドアを閉める。
 甘粕と睦美が階段を上ってきた。
「駄目だ。なかにMTAがいる」

「何処から来たんですか」甘粕が言う。
「わからん」
 多賀は二人を押し退け、階段をおりて、コンピューター室の前に行き、ドアを押した。簡単に開いて中のドアが見える。

 この部屋は低温に保つため二重ドアになっているが、たやすくなかへ入ることはできる。しかし、コンピューター室に入っても分厚い耐圧ガラスとコンクリートに守られていてZ5−TAROに直接手を触れることはできない。

「作業場の方にまわりましょう」
 階段を下りてきた甘粕が言った。
 作業場から近づき、なかを覗いた。コントロールルームとコンソールルームのさかいのドアは開いたままで、MTAはコントロールルームの方に移動していた。しかし、コンソールルームへ侵入すれば、すぐ見つかってしまうだろう。

 パネルのランプがすべて点灯している。レーザーディスクのランプも動作中の点滅をしていて、既に読み込みが始まっていた。

 コンピューターは動きだしており、もう遅い。多賀は二人を促し、そこを離れて通路へ戻った。

「あのMTA、新しい通信装置を持ってきて接続をしてたな‥‥‥」
 甘粕が言った。コントロールルームにいるMTAは、先ほど甘粕が壊した通信装置を直していたのだ。あの装置が直れば、全く元の状態に戻ってしまうだろう。時間はあまりない。

 戸川が他の社員達と一緒にきて、変電室にはMTAが沢山集まっていて、近寄れないと言う。

「エネルギー切れのMTAだ。前線から補充に帰ってきたんだ」
「しかし、本当に‥‥‥」
 甘粕はまだ半信半疑らしい。

「このままだったら、今に判るさ。しかし、そうなったら遅いんだ」
 ボイラー室、コンソールルーム、そして変電室と要所には全てMTAがいるが、こちらには対抗する武器は何もない。エネルギー切れでレーザーが撃てないMTAでも素手で立ち向かうわけにはいかない。

 コンピューターはもう読み込みを終ってしまい、今からコンソールルームに行っても何にもならない。

 また、変電室にはMTAが沢山おり、中へ入って電源のスイッチを切ることなど不可能である。

 しかし、ボイラー室にはMTAは一機しかいなかった。
「ボイラーを何とかできないかな」

 多賀はボイラー担当の関根信二を思いだした。彼はこの工場の最年長者の四十八才であり、今日ここに来てから彼の姿を一度も見ていない。

「関根さんは衰弱が激しくて部屋で寝たきりです」
「話ができないほどか」
「いや、それほどでも‥‥‥」

 関根は妻子を東京に置いて、単身赴任であった。
 部屋へ行くと彼は寝ていた。頬がげっそりと痩けて、僅かの間に十才も老けたように見える。

「ボイラーを外から操作する方法はありませんか」
「ありませんね。ボイラーの操作はボイラー室の中にあるコントロールパネルで全て行いますからね」

 関根は力のない声で答えた。
「それは電気が来ている時のことでしょう。停電している時はどうするんです」
 停電している場合は、バルブなど全て手動で行うが、それも全て室内にあると言う。室内で全てできるように便利に作られているのだ。

「燃料を遮断できませんか」
「外からはできない」
 燃料タンクは地中に埋め込まれていて、送油管も地中を通ってボイラー室に届いている。燃料タンクの近くにもバルブはあるが、外から直接はいじれない。

「何故です」
「鍵が掛かっている。その鍵はボイラー室にある」
「何だ。それなら事務所にもスペアーがあるはずですよ」甘粕が言った。

「しかし、燃料バルブを閉じれば、ボイラー室からはすぐ判りますよ。そうだ、屋外にバルブがもう一つある」

「何のバルブですか」
 緊急注水用のバルブで、ボイラーが故障し、異常に圧力が上がった時など、水を注入して圧を下げるためのものだという。

「そいつはいい。それを使いましょう。圧力が一気に下がってタービンが止まるはずだ」
「いや、簡単にはそうなりません」
 電磁弁が働いていて、正常圧力になると注水は止まってしまうのだという。

「しかし、ボイラー室の中にバイパスのバルブがある。それを開ければ無制限に注水できます」

「ボイラー室の中ですか‥‥‥」
 甘粕はがっかりしたように言う。

 やはり、燃料バルブを閉めるのがよさそうだが、それを閉めても、すぐには圧力は下がらない。でも、ボイラー室のMTAが燃料バルブを閉めたことに気付かなければ、やがては圧力が下がり発電はストップするかもしれない。

 多賀と甘粕は事務所に行ってスペアキーを見つけ、地下タンクのところに行った。

「これかな」
 コンクリートの床に三十センチ四方の蓋が埋め込まれている。

 甘粕が持ってきた鍵で開けると、なかにバルブがあった。右に回してしっかり閉じ、蓋を閉めて、再び鍵を掛ける。

 簡単であった。このまま、奴が気付かなければ、バーナーが消え、三十分もすればボイラーの圧力も落ちるだろう。

 ボイラー室へ行くと、まだバーナーの音は聞こえている。すぐには燃料切れにならないようだ。二人は近くの配管の陰に隠れて様子を窺う。

 突然、ボイラー室からMTAが出てきた。そして、奴はまっすぐ燃料タンクの方へ走って行く。

 たった今、二人がいたバルブの場所で止まり、収納されている腕を伸ばし、鍵の掛かっている蓋を無造作に剥して、バルブを操作し戻ってきた。やはり、関根の言うようにすぐ判ってしまうらしい。

「あのバルブ、手榴弾で壊せないかな」
 多賀はポケットにある手榴弾を触った。

「無理でしょう。管の部分はコンクリートの中だし、バルブのハンドル部分が曲がる程度しか効果がないですよ」

 バルブを再度閉めることはできるが、またMTAに開けられてしまい、それでは圧力を下げる効果は全くない。

 水の配管は水色に塗られている。配管を目で追うとボイラー室に入っている一つに、胸の高さくらいの位置に直径三十センチほどのハンドルのついたバルブがあった。

 あれが関根の言った緊急注水用のバルブに違いない。
 しかし、室内のバルブも開けなければ役に立たないのだ。
「あのバルブを開けよう。もう一度燃料バルブを閉めれば、ボイラー室のMTAは、またバルブを開けに出てくる。その隙に室内に入りバイパスのバルブを開けるんだ」

「でも、すぐにバルブを閉められますよ」
「燃料を止めるより、即効性があるはずだ。短時間にできるだけ注水されるようバルブを全開にすればいい」

 多賀は緊急注水用のバルブのところに行き、ハンドルを回して全開にした。シュッという水の流れる音が聞こえた。

 しかし、それきりで後は水の流れる音はしない。やはり、室内の電磁弁が働いているらしい。

「多賀さんは室内のバルブが何処にあるか知っていますか」
「知らない」
「それなら私がボイラー室に行きます。多賀さんは燃料バルブの方を頼みます」

「よし、わかった」

 多賀は燃料バルブのところへ走って行く。
 再びバルブを閉め、ボイラー室のそばの配管の陰にいる甘粕に閉めたと合図を送った。

 戻ろうとするとボイラー室のドアが開き、もうMTAが出てきた。先ほどより反応が早い。

 多賀は作業場への入口の方へ逃げ、ドアのところで立ち止まり振り返った。MTAは多賀の姿を認めているが、まっすぐ燃料バルブの方へ向かっていく。

 甘粕は既にボイラー室に入ったらしく、その姿はもう見えなかった。
 MTAは燃料バルブを開くと、多賀の方にドームを回転して、じっと見ている。多賀も姿を隠さずそのまま立っていた。

 甘粕のために時間を稼がなければならない。
 MTAは明らかにレーザーのエネルギーがない。あればとうにレーザーを撃ってきているはずだった。

 挑発してみたが、このMTAはボイラーを最優先に守るようにプログラミングされているらしく、何の反応も示さない。

 甘粕はまだボイラー室から出てこなかった。
 うしろから低いモーター音が聞こえてきた。工場の機械はまだ始動していないので、もしやと思い、作業場の中を覗くとドアの向こうに別のMTAが迫っていた。コンソールルームにいた奴らしい。

 多賀は建物沿いに走った。奴の方が速度が早い。瞬く間に距離が縮まる。奴が腕を振り上げ、多賀をめがけて振り出そうとした瞬間、作業場の南端の出入口に到達して、躯を横倒しにして中に飛び込んだ。

 爪が鉄製のドアに当って、激しい音をたて、火花を散らす。
 すぐに立ち上がり、できるだけ狭い場所を選びながら、作業場の中を走って逃げた。

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 MTAがボイラー室から出て行くのを甘粕は見ると、すぐに中へ入った。
 なかはボイラーの熱でもの凄く暑い。バーナーの燃える音が部屋一杯に響いている。緊急注水のバルブは何処だろうと見渡した。

 多賀にあんなことを言ったが、甘粕も目的のバルブが何処にあるか知らない。外の配管の位置から見当をつけて、その近くに行ったが、水色の配管は三本ある。それを目で追うと、どれにもバルブがついていた。

 どれが目的のバイパスのバルブか判らないので、三本とも全開にして、パネルのところへ行き圧力計を見る。だが、針は殆ど動かない。

 どうしたんだ。他にも水の配管があるのだろうか。
 部屋のなかを見まわしたが、他には見つからない。

 もう一度圧力計を見ると、僅かに圧力が落ちてきている。だが、こんな下がり方では、バルブを閉められたらすぐ元に戻ってしまう。

 甘粕はパネルのスイッチを片端から切った。バーナーの音が小さくなって、圧力計の針がスーッと落ち始めた。

 その時、ドアが開いてMTAが戻ってきた。
 甘粕は、そばにあった先の曲がった鉄棒を取って、配管の陰へ逃げ込んだ。奴はドームの下端から二本の腕をスルスルと伸ばし、左の腕をピシッと鳴らし襲ってきた。

 瞬間、脇へ飛んで逃げたが、右の腕が間を置かずに、正面から襲ってくる。避ける余裕がなく、持っている鉄棒でそれを払った。手にとてつもないショックが伝わり、鉄棒が跳ね飛んで行ってしまった。

 手がジーンとしびれている。

 ドアに近い縦に走る配管の後ろへ逃げた。MTAの腕が鉄製の配管に当たって金属音をあげ、頭の上を唸りをあげてかすめていく。

 配管の陰に隠れて、攻撃を何度か凌いだが、いつまでも避けきれるものではない。
 ドアが目の前なので、思い切って飛びついて開けた。

 MTAの腕が空気を切り裂く音をあげて迫って来る。鉄製のドアに当り火花を散らした。甘粕は脚に激痛を感じながら、そのまま、開けた勢いで外に転がり出た。

 左脚がいうことをきかない。必死に這って逃げる。
 MTAのスピードにかなうわけがない。観念して後ろを見ると、奴は追って来てはおらず、ドアがバネで静かに閉まるところだった。

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 多賀は追って来たMTAをようやくまいて、作業場の東側に戻ってきた。ボイラー室から甘粕がうまく逃れたかどうか気がかりだ。

 突然、工場の照明がまばたいたかと思うとスーッと消えた。甘粕がうまくバイパスのバルブを開き圧力を下げたらしい。

 コンソールルームを見上げた。
 今ならあそこにMTAはおらず、停電の合間に外部記憶装置のレーザーディスクを壊してしまえば、次に通電された時、コンピューターは立ち上がらない。

 オートマトンの間を抜けてコンソールルームへ行く。
 全部で五台あるレーザーディスクが何れも動作中を示すランプの点滅をさせている。一瞬、何故だろうと思ったが、すぐその疑問は解けた。

 短時間の通電だったので、バッテリーの充電が十分でなく、普通なら一時間後にバックアップするものを直ちに行っているらしい。

 バックアップが終るまで待つことにする。
 窓から作業場を見渡したが、動くものは何もいない。ここにいたMTAは、まだ多賀を探して、工場の中をさまよっている。

 数分後、動作中のランプが総て消えた。

 多賀は外部記憶装置の配線を引きちぎり、後ろにまわって力一杯押した。記憶装置は大きな音をたてて横倒しになり、中で何かが外れる音が続く。レーザーディスクはショックに弱い。これで十分使用不能となるはずである。

 残る四台も同じようにして、これですべて終りだ。
 東側の出口で、甘粕が脚から血を出して倒れているのを見つけた。腿が切り裂かれていて出血がひどい。上着を切り裂き血止めをして、肩を貸して立ち上がらせる。

 救急セットがある事務所へ行こうと思い、作業場を抜け通路に出る。
見通せる限り誰もいない。MTAが工場内に戻ってきているので、全員、社員寮へ戻ったらしい。

 事務所へ通ずる角を曲がって、二人はぎょっとして立ち止まった。
 通路の真ん中にMTAがいた。蜘蛛のような低い姿勢でじっとこちらを窺っている。暫くにらみ合いが続いたが、動く気配が全くない。

「動力のエネルギーが切れたんだ」
 多賀はほっとして肩の力を抜いた。
 先ほどのMTAらしいが、戦場から戻ってきたMTAはエネルギーを消耗しており、多賀を追いかけて最後のエネルギーまで消費してしまったようだ。

 二人はMTAの脇を通り抜け事務所に行った。

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