二十九、
「本当に、コンピューターの仕業かしら」
睦美は甘粕の腿に包帯を巻きながら言う。多賀達の他に戸川も含め四人の社員が事務所に来ていた。
「間違いないと思う。先ず工場に食料やそのごみが全くないことだ。これは君元達がこんな騒ぎを起こすつもりもなかったことを意味している」
もし彼らが企んだとしたら、途中でMTAに殺されているので、まだ食料が残っていてもいいはずだが、何もなかった。だから、この事件が起こった直後に、彼らは殺されたのに違いない。
片倉の話の中に、MTAの操縦がうまく行かないというくだりがあったのを多賀は覚えている。おそらく、その時既に、MTAはコンピューターの支配下にあったからなのだ。
「彼ら三人は我々にMTAに殺されたくなかったら寮を出るなと警告に来たんですよ」
甘粕が言った。
「いや、警告ではない。彼らは寮の人達に危ないからと注意したんだ。彼らは慌てていたので、細かい説明を省いたのだろう。既にZ5−TAROにコントロールされたMTAが動きまわっていたので、被害が出ないうちに、急いで修正しようとしたのだ」
それがあのプリントアウト途中のソースコードだ。
彼らは自分達の目論だ方向から、プログラミングがそれたことに気付き、それを修正するために、あの逆コンパイルしたソースコードをプリントアウトした。あのプリントされた用紙にはチェックした箇所が赤いペンであちこちに記されている。
彼らはその途中コンピューターにコントロールされたMTAに襲われて殺されたのかもしれない。
「そして、彼ら自身が解剖されていた事実だ」
「どうして人型のロボットを作ろうとしていたのですか」
戸川が尋ねる。
「これは全くの推測だが、MTAを改良しようとしていたのかもしれない」
MTAをもっと機能的に改良しようと、いろいろシミュレーションしていって、最後に到達したのが人の形をしたMTAだったとしたら、身近に同じ型のサンプルが沢山いる。従って、一番手っとり早いのが解剖して参考にすることだった。
「逆コンパイルしたソースコードが全部手に入れば、それは証明される」
皆、信じられないという顔をしている。
「あそこに冷凍されていた人たちは、そのために殺されたのですか」
「どうかな‥‥‥。そのためばかりではないかもしれない。君元達三人はコンピューターの邪魔をしようとして殺されたのだろうし、逃げようとして殺された者もいる。しかし、理由は何であれ、殺した者を人型ロボット製作の参考にするため解剖したことは確かだろう」
人質を飢えるにまかせておいて、いつまでも生きているように見せかけようと言う冷酷な企ても、人間では考えもつかないことだが、コンピューターにとっては合理的なことなのかも知れない。
「でも、コンピューターが意志を持つなんておかしいわ」
睦美は多賀の話に筋が通っていることを認めながらも、コンピューターの意志で、こんな事件が持ち上がったとは信じられなかった。
「私、コンピューターのことはよく知らないけれども、コンピューターと言うのは人間の脳の表面、すなわち大脳皮質の一部の働きを代わってする程度の能力しか持っていないと理解していたんだけど」
「その通り。但し処理能力は人間の比類ではない」
「人間の意志の力は脳のもっと奥深いところから来るものだわ。コンピューターには人間の脳の奥深いところに相当するものはないでしょう」
「ないね」
「それじゃ、コンピューターがこんな事件を起こすのはおかしいわ」
「コンピューターに意志なんかない。この工場にあるZ5−TAROは人間が自由に操れるただの機械だ」
「でも‥‥‥」睦美は理解できない。
風が吹き抜ける音が聞こえる。外は風が強くなってきたらしい。今日は風で雲が吹き払われ、晴れるかもしれない。
もう、そろそろ夜明けが近かった。事務所には直接外の見える窓はないが、誰かがシャッターを開けたらしく、荷受け場に面した窓から夜明けの僅かな光が差し込んでいた。
「おそらく、原因はゴッドL言語にあると思う」
ゴッドLは初期のプログラムさえ与えたら、自己学習しながらどんどん自分でプログラミングを繰り返していく。
プログラムが小さいうちは、その都度、人間がチェックし自分の思う方へ誘導するための取捨選択ができるが、次第に大きくなり、膨大なプログラムになると、人間が管理していても全てを管理しきれなくなって、何処かに見落としが出てくる。
その見落としが今回の事件を引き起こす方向だとしたら、コンピューターに意志があろうとなかろうと関係ない。
その方向にプログラミングが進んだことを見落としたのは、彼らの落度かも知れないが、最初のプログラムを与えたのは彼らであり、そのプログラムの中に彼らが意識しない自身の僅かな願望の芽が入っていたとしたら、コンピューターは彼らの意志通りに動いたとも言える。
「また、彼らの企画を陰から支援した自衛隊、政府の意志を反映したとも言える」
多賀は甘粕を見た。
Z5−TAROは只の機械で、ゴッドL言語の命令するまま微弱な電流を流しただけだ。
そのゴッドLはFG、自衛隊及び政府の意志通り働いたのだ。いや、そればかりでなく、ゴッドLを提供した葵精工、それを使用した富士オートマトンの意志をも代行したのかも知れない。
結局、長い間平和の続いた日本の人たちの潜在的な必要悪への願望を代行して実現させたと言ったら言い過ぎだろうか‥‥‥。
「人間の意志なのね‥‥‥」
「そうだ‥‥‥。しかし、証拠はない。これはソースコードを調べても出る結論ではない」
「結局はゴッドLを使用したことが間違いということですか」
甘粕が助けを求めるように言った。
甘粕は近藤一佐に報告を求められるだろうが、いま、多賀が言ったことなど報告しても受け付けてはくれないだろう。
「うん、そうだったのかもしれない。ゴッドLはプログラマーの潜在的な意志までも正直に具現化してしまうのかもしれない恐ろしい言語だとも言える。いみじくも、以前、君が言った神の言語という言葉がぴったりくる」
「何でもお見通しと言うわけですか‥‥‥。ゴットLはIBMのコンピューターにも載せられていますけど‥‥‥」
「IBMのゴッドLは前にも言ったようにハード自体の性能からいろいろな制限がつけられているから、こんなことは起きないだろう。もしかすると、こういう事態を想定していて、敢えて巨大なコンピューターに載せなかったのかも知れない」
一方、日本の葵精工は技術力に任せて、ゴッドLの恐ろしい一面を見過ごしにしたまま、市場に出してしまったと言える。
風が更に強くなってきたらしく、荷受け場へ通ずるドアがギシギシといっていた。
「誰だ荷受け場のシャッターを開けたのは‥‥‥」
佐野という社員が文句を言いながらドアの方に向かった。
多賀はちょっと変だなと思った。確かに風が強くなったらしいが、いくらシャッターを開けているからと言っても、屋内のドアがきしむほどの強さとは思えない。鉄製のしっかりしたドアであり、事実、同じ荷受け場に面している窓は何の音も立てていなかった。
佐野がドアのロックを外して開けると冷たい風が入ってきた。同時に彼のすさまじい絶叫があがった。
佐野の背中からMTAのはさみが突き出ていた。次の瞬間、彼の躯は部屋の中へ飛んできて、机の上にある端末機などを薙倒した。
MTAがするりと部屋に侵入してきた。
皆は一斉に立ち上がる。
甘粕も立ち上がろうとしたが、腿の痛みに耐えかね、床へ転げ落ちてしまった。睦美が助け起こそうと駆け寄る。
MTAの腕が唸りをあげて部屋の中を横切り、誰かがそれを避けきれず、壁に叩きつけられた。戸川ともう一人は工場の中へ通ずるドアから逃げだしたが、多賀のところからは間にMTAが居り、そのドアから逃げ出せない。
甘粕と島井睦美の姿を探すと、二人が机の陰に隠れているのが見えた。しかし、MTAはそちらに回ろうとしており、見つかったら二人ともやられてしまう。
多賀はパイプ椅子を持ち上げ、MTAに投げつけた。ドームに当り乾いた金属音をあげる。
すかさず、MTAの腕が多賀をめがけて飛んできた。机の陰に素早く身を隠してかわすと、近くにある端末機のブラウン管にはさみ状の爪が突っ込みガラスが飛び散った。
睦美と甘粕はこのままでは逃げられない。
MTAをこちらに引きつけて、広い荷受け場におびき出そうと思った。
椅子を持って再びMTAに立ち向かう。一撃目の攻撃を椅子で跳ね返したが、次の攻撃で椅子を奪われ、荷受け場に通ずるドアまで後退した。
MTAが追ってくる。
多賀はドアをくぐり抜け広い荷受け場に出た。ここなら動きは自由である。MTAにとっても動き易いだろうが、エネルギーの消費量も多くなるはずだ。多賀は奴のエネルギー切れを期待していた。
MTAの動きがぎこちないことに気がつく。一本の脚を引きずるようにしている。
多賀は愕然とした。
富士山で多賀のソリを隠し、執ように跡を追いかけてきたあのMTAなのか。そしてここまで、多賀を追いかけてきたのだろうか。単に工場に戻って来たMTAならば、他のやつのように変電室に直行して、こんなところに来ないだろう。
だが奴もレーザーのエネルギーはなくなってしまっているらしい。
空気を切り裂く音を立てて腕が襲ってきた。後退してそれを避ける。
脚が損傷しているため、他のMTAのように動きは早くなかった。
多賀は奴の攻撃をかわして荷受け場の中を走りまくった。
奴がエネルギー切れになるまで、逃げ続けなければならない。その前に、多賀の方がへばってしまうかもしれない。
このまま工場を逃げだし、森林地帯に逃げ込もうかと思ったとき、ポケットの手榴弾に手が触れた。
いや、ここで決着をつけてやろうと思い直す。
右腕の攻撃をサイドステップしてかわし、奴の右側を走り抜ける。間髪いれず、左腕が追い打ちを掛けてきた。
右へ方向転換し、それをかいくぐる。
耳元をうなりを生じて腕がかすめて行った。わきを走り抜けながら奴の脚に手を伸ばしてみる。簡単に触ることが出来た。
攻撃パターンが次第に判ってきて、腕の攻撃をかいくぐって、奴の近くに行けるようになった。
走りながら荷受け場の中を見回すが、よく整理が行き届いていて、必要なものが何処にも見あたらない。
事務所のドアの側で甘粕と島井睦美が心配してこちらを見ている。
「ガムテープを投げてくれっ」
多賀は攻撃をかわして、叫んだ。
二人は多賀の言っている意味が判らないらしく、顔を見合わしている。
近くまで行って、もう一度言う。
「ガムテープだ。探してきてこっちに投げてくれ」
今度は判ったらしく、甘粕がガムテープのある場所を教え、睦美が事務所の中へ走り込んで行った。
多賀は奴の攻撃をかわしながら待った。
睦美がガムテープを持ってドアに現れたが、多賀と奴の位置が逆になっていて、ドアに近付けない。
「転がしてくれ」
ガムテープは睦美の手を離れ、滑らかな床を転がり、奴の脚の下をくぐって、左にカーブしながら手元に来た。
奴の攻撃は休みがない。
多賀は走りながらガムテープを適当な長さに千切り、手榴弾に張る。
MTAの装甲は手榴弾など受けつけないが、奴の唯一の弱点を伊滝三佐に教えられている。レーザー銃の口に張りつけて爆発させるつもりだ。
レバーを握り締めピンを抜く。
左腕の爪が多賀をめがけてくりだされる。それをかわして左に走ると、もう一方の爪が正面から襲ってきた。頭上をかすめて行くそれを、躯を沈めてやり過ごし、立ち上がりざま奴の横に取りつく。
ドームの正面が回ってきた。
握り締めていたレバーを離し、レーザー口の上に手榴弾を張りつけ、倉庫のゲートの中へ逃げ込もうと方向を変えた。
奴の腕が横に伸び、うねりを作り次の攻撃の始動を終っていた。
それをかわそうと多賀は左へカットインする。
奴の爪は多賀の右肩をかすめ激痛が走った。よろめいて左足を奴の脚に引っかけ転倒してしまった。
次の攻撃が来て、多賀は床を転がってそれを避ける。
もう爆発まで余裕がない。ゲートに逃げ込むのを諦め、近くに放置されている自走運搬車の陰に転がり込んだ。
奴の爪が運搬車に当り、火花を散らす。
手榴弾が爆発し、破片が周囲にまき散らされ、事務所の窓ガラスが割れた。
目の前に、はさみ状の爪がずるっと上から突き出された。そのまま動かない。ゆっくり起き上がり、運搬車の向こうを見ると、奴が動きを止め、うずくまっていた。
睦美が走って多賀の胸に飛び込んできた。躯が小さく震えている。
甘粕も脚を引きずりながら、やってきた。
「佐野も赤井も駄目です。工場に居るより社員寮に戻った方がいいかも知れません」
三人は事務所を後にし、通路に出て角を曲がった。
先ほど多賀を追い回してエネルギーが切れ、ここに立ち往生していたMTAが見あたらなかった。
「別のMTAが持っていったのかな」甘粕が言う。
嫌な予感がするので、足を早めて社員寮に向かった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
冷たい風が吹き込み、誰もいなくなった荷受け場に、時計が時を刻むような音が微かに響いている。それは運搬車を抱くようにうずくまっているMTAから聞こえていた。
長く伸びた腕の先端にある爪がピクッと動き、そして、ゆっくりと開閉し始めた。音は次第に大きくなり、低い安定したそれに変わっていく。
二本の腕がうねるように躍動し始めた。運搬車の表面を撫で回し、カバーを留めてある、ビスを捜し当てると、爪は甲高い金属音をあげて回転し、それを外す。
更に、留めてあるビスを捜しては同じことを繰り返し、ついに運搬車のカバーが取り外され、その中枢が剥き出しになった。
次に二本の腕は自分の透明ドームを外し、LSIボードのチェックをする。傷ついたボードを引き抜き、代わりに運搬車から外したボードを差し込むことを数回繰り返し、更に次の作業に移っていった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
食堂には幾組かの家族も混じって、社員の殆どが集まっていた。
誰もがこの一月余りの間の苦悩を顔に現している。
多賀は電話で滝ケ原の近藤一佐と話していた。
一佐は、この事件がコンピューターの暴走によって引き起こされたことを、多賀から聞かされて、驚いていたが、三人が既に死んでいたことやその他の証拠をあげると、殆ど反論もせず、その事実を受け入れた。
おそらく、一佐も既に君元達三人の仕業ではないことを予想はしていたのかも知れない。
戦況は好転しているが、MTAの抵抗はまだ続いている。一佐もその詳細は把握していないので、戦線からの報告待ちだと言っている。
そして、刻々と戦況報告が入ってくるらしく、彼は通話を幾度も中断した。多賀は近藤一佐との電話を甘粕に渡した。
状況は思っていたほどかんばしくはなく、自衛隊の進撃はエネルギーの切れていないMTAの抵抗で阻まれており、今日、明日に救援される望みはない。
多賀は自分達の現在置かれている状況を全員に説明した。
現在、MTAのエネルギー源は一時的に断ったが、それでも自衛隊の救援がすぐに到着する可能性は期待できない。
そして、ボイラーの火は消えてはいないので、やがて、発電機が回り出すのは時間の問題であり、地熱から蒸気を取り出す装置も修理されてしまうだろう。そうなれば、変電室に集まっているMTAもエネルギーを得て再び活動を始める。
「コンピューターが止まったのだから、MTAは活動しないのではないのか」土井が言った。
「いや、MTAは単独でも行動できるのだ」
MTAはそれ自体でコンピューターであり、そして、既にプログラミングされ、データも与えられている。Z5−TAROのコントロール下のように組織だった働きや臨機応変の対応はできなくなっても、個体としての戦闘はできる。
現に、自衛隊の救援を阻止しているのは単独行動のMTAなのだ。まだ十分な戦闘能力を持っており、エネルギーの切れたMTAが回復したら、更に、自衛隊の救援は遠くなる。
多賀は、富士山で伊滝三佐に問われるまま、MTAの機数を推測したが、あの時の数字は正しくなかったのかも知れないと思っている。
推測以上の数が製造されている可能性が高かった。
資材の残量を調べれば、製造機数が正確に判るはずだが、それは短時間で調べられるものではない。
「我々の助かる道はここからの脱出、即ち、富士山から自分達の力で逃げ出すしかないかも知れない」
多賀は全員を見渡して言った。
「いや、ここで自衛隊の救援を待つべきだ」
我々の三分の一は女と子供なのだ。車を使わずに、こんな時期に広い裾野を徒歩で行くことは無謀だと土井が反対した。
「ここに留まった方が安全だ。いままで、この社員寮にはMTAは入ってこなかった」
土井は賛同を得ようと皆の方を振り返り、何人かがそれにうなづく。
「これまではそうだったかもしれない」
多賀は懸念していることを話す。
今まではZ5−TAROが社員寮の人数は人質として必要だと判断し、MTAをコントロールして社員寮に立ち入らせなかったが、いまは違う。
確かに、何機かのMTAは社員寮に侵入しないようプログラミングされているだろう。
だが、戦闘に参加していたMTAはそうではない。奴らのメモリは、たぶん、戦闘に関するプログラムとデータが満載されていて、余分なプログラムを載せる余裕はなかったはずだ。
従って、Z5−TAROにコントロールされる以外に、奴らには規制はない。そのコンピューターが止まったからには、これからもMTAが社員寮に侵入してこないという根拠は何処にもないのだ。
「人質が必要だったというが、Z5−TAROは我々に食料も与えず放って置いたではないか。奴は初めから我々を人質ではなく、邪魔をさせないために閉じ込めておくだけだったのではないのか」
土井が反論した。
だから、これからもこのまま放って置かれるのか。
多賀は暫く沈黙して考えた。
Z5−TAROは人質が必要だと判断しながら、その人質に食料を与えなかった。
その理由は、録音した声で、いつまでも生きていると見せかけられるので、飢えるにまかせておいたと先ほどまで思っていたが、Z5−TAROがそれを合理的と考えていたとしたら、ここにいる全員をひと思いに抹殺した方がもっと合理的だったはずである。何故なら見張りに三機のMTAを使う必要がなくなるのだ。
やはり、ここの人達は人質として閉じ込められていたのだと思う。
すると、食料が用意されなかった理由は唯一つしかない。
「Z5−TAROは人間に食料が必要だということを知らなかったのかも知れない」
この事件が起こってからの経緯を思い返してみると、原材料の入手の仕方、事件の推移の予測、それに対処するための対策、どれをとっても完璧に近いといっていいほどの準備をしていて、ゴッドLに依って培われたZ5−TAROの能力は人間を越えたものと言っていい。それがこんな単純な知識がないとは信じられないことではあったが、そうとしか考えられない。
ゴッドLでのプログラミングは、阿南達が最初の情報のコードを与えた。その中には企業としての富士オートマトンの情報、人間の社会、経済、政治等の機構や状況といったものが入っていただろう。
ゴッドLはそれらを基にしてプログラミングを始め、初めのうちは阿南達三人の与えるデータで学習し成長した。更に、オンラインで結ばれているコンピューターからも学習しただろう。だが、Z5−TAROが情報源としたそれらのルートからは統計的なものは別として、個体としての人間の情報は何も得られなかったに違いない。
従って、Z5−TAROは全ての情報を把握したわけではなく、手に入らないものも多々あった。その一つが生体のエネルギーは食物から得るということだった。
君元達三人を排除した後はMTAの目を通して学習を続け、牛や人間を解剖して生体の情報も得ているが、ここから得た情報は生体の純粋な動く機構のみである。
そして、必然的に、Z5−TAROは人間のマクロ的な面だけを理解していただけで、個性というものの理解は全く無かったというミスも犯していた。
MTAはどれをとっても能力的に同等であるが、人間は個人々々が性格的にも能力的にも異なっており、Z5−TAROのメモリーの中にはその情報が欠如していたために、富士山の中継基地を破壊され、更に、自分自身の活動も止められたのだ。
だが、Z5−TAROの活動が完全に止まったわけではなく、奴の断片と言うべきMTAがまだ活動している。
「多賀さん、一佐が話したいと言っています」
甘粕が呼んだ。
多賀は受話器を持っている甘粕のところへ行く。
全員が二人に注目した。
「攻撃ヘリで発電機を叩くと言っています」
多賀の耳元で甘粕がささやいた。
「そんなことをしたら、我々も危ない」
発電室は工場の建物の陰でここからは直接見えないが、社員寮の北端から直線距離で三十メートルと離れていない。
多賀は受話器を取り上げ近藤一佐と話し始めた。
「工場の近辺にレーザーの撃てるMTAがいないうちに、発電機を潰したい」
更に、攻撃の間、社員寮の人達を外へ避難させてくれという。MTAのエネルギー源を完全に断つには、いまをおいて他にない。この機会を逃せば、ヘリが工場に近づけなくなる。
「同時にヘリボーン作戦も行う。人質はその時使う輸送ヘリで救出するつもりでいる。これから十五分‥‥‥」
電話の信号音が途切れた。
「もしもし、近藤一佐っ‥‥‥」
電話を何度も叩いたが何も聞こえない。
覚えている滝ケ原駐屯地の番号を押してみたが、全く通じなかった。
回線が切れてしまったらしい。
「誰か携帯電話を持っていないの」睦美が言った。
「誰も持っていない。工場では携帯電話は禁止されて居るんだ」
南冨士工場は全体が精密機械であり、僅かな電気信号の雑音でもコントロールされている機械が誤操作する可能性がある。もちろん、外からの騒音に対する対策は十分になされているが、中からのそれには限度があるので、工場内では無線機器を使ってはいけない規則になっているのだ。
「事務所の電話を使ってみる」
多賀は社員寮を出て事務所へ走った。
事務所には佐野と赤井の遺体が放置されたままだった。今の状況ではどうしようもなく、多賀は眼を背けて受話器をとりあげた。
事務所の電話も全く通じず、完全に回線が切れたらしい。
近藤一佐の言葉は確か「十五分」と言って途切れたが、十五分後に発電機を攻撃するのか、十五分で避難しろと言うことか、どちらなのか判らない。とにかくそれだけしか時間が無いということは確かだった。
受話器を置き、外の荷受け場に目を向けた。
運搬車の中身が剥き出しになっているように見える。
気が急いたが、気になるので、窓の近くに行ってみると、運搬車が分解されており、先刻、手榴弾で倒したMTAがいない。
「まさか‥‥‥」
多賀は思わず呟く。
その時、今まで消えていた電灯が一斉に点灯して明るくなり、荷受け場の出入口でちらっと何かが動いた。
人影のようだったが、MTAかも知れない。長居は無用だ。
ボイラーの圧力が戻り、発電機が働きだしてしまった。
急がなければならない。
多賀は事務所を出て通路を走りながら、これも確かめた方がいいと思い、作業場への通路を曲がった。
最初に工場へ侵入した時にコントロールルームを窺った、中二階の階段を静かに登ると、やはり、まさかと思ったことが行われていた。
数機のMTAがコンソールルーム内で動き回っている。考えられることは一つだった。奴らは外部記憶装置の修復をしているのだ。
多賀はレーザーディスクの一枚でも引き抜いてこなかったことを後悔した。だが、エネルギー源の発電室が破壊されれば、修復しても何の意味もない。
社員寮に戻ると甘粕と土井が言い争っていた。土井は数人の社員と共に社員寮を出るのは危険だと言っている。
「十五分後には工場は攻撃される。ここに居ては危険なんだ」
多賀は土井に言った。
「攻撃の対象は発電室だそうじゃないか。ここではない。工場の外にはMTAが沢山居るぞ。社員寮を出たら襲われる」
土井は言い張った。
発電室を破壊するためのロケット弾の裂薬は非常に高性能で、ここと発電室との距離は安全な距離とは言えず、それに爆撃は正確に発電室だけに限られる保証はない。
「社員寮も直撃弾をくらう恐れだってある」
甘粕が必死にいう。
「嘘をつけ、知ったようなことを言うな」
誰かが後ろの方でいった。
「嘘ではない。甘粕は現役の自衛官だ。だからよく知っているんだ」
多賀が大きな声で言うと一瞬沈黙が走り、全員が甘粕に注目した。
更にたたみかけて、ヘリボーン作戦のことを話し、我々は輸送ヘリで救出されることになっていると説明すると、ようやく納得してくれた。
だが全員がここに集まっているわけではなかった。女子供のほとんどはまだ自室にいるので、五分以内に全員をここに集めるよう指示した。
振り返ると島井睦美がすぐ後ろの椅子に疲れはてたように座っている。
昨日の昼から今朝まで一睡もせず、動きっぱなしだったのだから無理もなかった。
「何処かに無線機はないかな」
甘粕に尋ねた。
「ハンディスキャナーなら持ってますよ」
側で聞いていた戸川が答えた。
「何だそれ‥‥‥」
「受信専用の無線です。送信はできません」
「自衛隊の使っている無線も聞けるのか」
「周波数はいくつですか?」戸川は甘粕を見た。
甘粕が周波数を告げると、
「それなら大丈夫です」という。
戸川は二十五から一千三百メガヘルツの範囲だったら受信可能だと言って、階段を駆け上がって行き、小さな無線機を持って戻ってきた。
社員達は家族を連れて食堂に集まりつつある。
甘粕が階段の下で、早くするよう声を張り上げていた。
「やはり、駄目だ」
周波数を合わせていた戸川が言う。
戸川はここに閉じ込められてから、これまで何度か無線を傍受しようとスキャンしたが、全くできなかったのだ。そして、今も同じだった。
「それでいいんだ」
多賀はMTAが近くに来た時、無線が警報を鳴らしてくれることを説明した。
「MTAが近づいて来るとどうなるの」
睦美が座ったまま尋ねた。
「聞こえて来る雑音が波を打つようになるんだ」
彼女はすぐ脇に立っている戸川の無線に耳を寄せて、音を聞いている。
「この音がそうかしら‥‥‥。もう少しボリュームをあげてみて」
戸川が音量を上げる。
多賀の耳に何度も聞いたあのMTAの音が聞こえてきた。
「そうだ。この音だ」
思わず周りを見回す。だが、工場にはMTAが数多くいるので、この音が聞こえてきても不思議はない。
騒がしく立ち回っていた人達が、戸川の無線機に注目し始め、そして、潮が退くように誰もが動くのを止めた。
「どうした」誰かが言った。
「しっ」
波打つ音が次第に大きくなってきている。
多賀はまわりが静かになったので、大きくなったのかも知れないと思い、もう一度聞き耳を立てた。だが、確かに音は大きくなってきている。
戸川の手から無線機をひったくるようにして取り上げ、工場へ通じるドアへ走った。
通路には何も見えない。
「窓の外を見てくれっ」
戸川が窓へ走り、外を見て首を振る。
どこから来るのだ。調理場の窓にも行ってみたが、何も見えなかった。
「MTAが来る」
誰かが叫ぶと、それをきっかけに数人が階上へ駆け上がった。
続いて殆ど全員が階段に殺到した。
「上へあがっては駄目だ。もうすぐ攻撃が始まる」
多賀はとめようとしたが、誰も言うことを聞かなかった。
食堂に残ったのは六人だけになってしまった。
「あと何分ある」
「七、八分ですね」
甘粕が腕時計を見て言う。
再び全員を下へ呼び戻して、工場から離れるのにギリギリいっぱいの時間だ。
無線機はまだ波打つ音を出していたが、先刻より小さくなっている。
「何処に居るんだ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
滝ケ原駐屯地の前を通る道路をはさんで、向い側には米軍のキャンプがある。とはいっても部隊が駐屯しているわけではなく、ここは米軍の資材置場になっていて、小人数の管理部隊が居るだけである。
その一角、道路際の日米両軍共有のヘリポートの上空に、軽観測ヘリ、ヒューズOH−6が軽快な音を立ててホバリングしていた。
やがて、重装備の攻撃ヘリ、ベルAH−1Sヒューイコブラが二機、重い爆音を轟かせて、ゆっくりと機首を南に向けながら離陸していく。続いて2ローターのスリックス(輸送ヘリ)、チヌーク二機が普通科部隊を乗せて後を追い始めた。
空飛ぶおたまじゃくしを連想させる軽観測ヘリを先頭に、五機のヘリボーン部隊は富士の裾野と箱根の山々の狭間を低空で南下して行く。
上空から見える東名高速道路には一台の車も走っていない。
天候は今朝も回復しておらず、富士山側一帯は厚い雲に覆われていた。
AH−1Sのパイロット北口一尉は操縦かんを握る手の掌が、冷たく濡れているのに気付いていた。今まで何度もヘリボーンの演習は経験しているが、この出撃は演習ではなく実戦なのだ。そう意識しただけで躯中が熱くなって震えてきそうだった。
AH−1Sのコクピットはタンデム式(乗員二名を前後に配置)である。前の足元にいる副パイロット兼ガナー(射撃手)の福井三尉も同じ思いであった。
数分後、五機のヘリは駿河湾上空に出て、編隊を組んだまま百八十度旋回し、北に向かい始めた。
目の前に愛鷹山群が迫り、雲がかかっている。視界は百パーセント良好とは言えないが、飛行には殆ど障害はなく、高度八百メートルに保ち進入の指示が出るのを待って、ホバリングを開始した。
富士オートマトンの工場は愛鷹山の北、この位置から丁度山の反対側にあり、作戦は愛鷹山の陰に隠れて進入し、一気に攻撃する予定である。
攻撃開始の指示が入ってきた。
「進入開始」
北口一尉はマイクに向かって怒鳴った。
軽観測ヘリが跳ね上がるように上昇を始め、続いて二機の攻撃ヘリが、そして、最後にゆっくりと輸送ヘリが上昇する。
一気に愛鷹山の上に出る。高度一千五百メートルを越えたところで水平飛行に移り雲の中を飛ぶ。雲が切れ、右側に位牌岳が流れて行く。機の高度と殆ど変わらない。
「作戦は予定通り、各自打ち合せに従って行動せよ」
各機から了解の返事が返ってくる。
鋸岳、呼子岳の上空を通過し、眼前に愛鷹山群の最高峰越前岳が迫ってきた。あの越前岳を越えると富士オートマトンの工場が見え、そして、無線が使えなくなる。予定の変更はできないので、攻撃の手順は打ち合せ通り正確に行わなければならない。
前を行く軽観測ヘリの機体がまた跳ねるように上昇する。
北口一尉も続いて上昇に移った。
眼下に広大な緑が広がってきた。
手前に白く舗装道路が横切っており、二時の方向にはあばたのように別荘地が見える。目指す淡いグリーンの富士オートマトンの工場は十二時の方向、真正面に在る。
先行した軽観測ヘリは左に旋回し、編隊から離れて行く。打ち合せ通り二機の攻撃ヘリと輸送ヘリはそのまま直進を続けた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
多賀が二階へ駆け上がると、踊り場の近くに、経理係の宮坂が妻子と共に立っていた。
「他の連中は?」
宮坂は上へ行ったと言う。
多賀は恐がっている三人をなだめて一緒に階段の途中まで下り、
「先に避難した方がいい」
と階段の下に来ていた甘粕と睦美に言った。
「多賀さんは」
「上の連中を連れて来る。すぐ後から行くよ。大丈夫だ」
甘粕と睦美は、戸川や食堂に残った社員と共に宮坂の家族を連れて工場へ続く通路を出て行った。
多賀は一気に階段を駆け上り、三階へ行く。
通路にいた数人に早く逃げないと攻撃が始まってしまうと言って、下に降ろそうとしたが恐がって誰も下りようとしない。
「MTAは来なかったんだ。恐らく寮の近くを通ったんだろう」
多賀は安心させるために言った。
「やはり、MTAは社員寮には入ってこない。ここに居た方が安全だ」
土井がいつの間にか、廊下に立っていた。
「とにかく、早く避難しろ」
そう言い残して、階段のところに駆け戻った。社宅は四階建てで、もう一階上がある。
手に持ったスキャナーからの波打つ音が大きくなっている。
階段に足をかけた途端、階上で悲鳴があがった。
「どうしたっ」
何かが落ちたか、叩きつけられたような音が幾度も響いてくる。
二、三段飛ばして駆け上がっていくと、すぐ上の踊り場で大きな音がして、何かが落ちてきた。それを危うくかわす。
三階の踊り場に落ちたのは、血だらけの人間だった。
上から、まだ悲鳴が聞こえている。
階段を登りきって壁を背にして通路を覗くと、床に五、六人、血塗れになって倒れている。壁にも血が飛び散っていた。酷い有様だ。
廊下の向こうにMTAがいる。
残った数人が奥の方に追いやられ、両わきの部屋に逃げ込むのが見えた。
何処からきたのだろう。
屋上に続く階段を見上げるとドアが開いている。屋上から侵入してきたらしい。MTAは垂直の壁でも障害にはならない。考案した多賀がそれを忘れていた。
先刻、無線機が大きく鳴ったのは、たぶん、奴が社員寮の外壁を登っていたからだ。
MTAが近くのドアを壊し始めた。
各部屋のドアは、社員寮の外側のドアのように鉄製ではなく、木製なので、レーザーがなくとも簡単に破って中へ侵入してしまう。
踊り場の壁に屋内消火栓があり、なかにホースが二本と破壊用の斧があった。多賀は両方とも取り出し、階段を駆け上がって屋上に出た。
空調装置の鉄骨にホースを結びつけ、手すりから下を覗く。
ベランダが直接見えないので、見当をつけて声を掛けてみる。
一つ右のベランダから声が返ってきた。
「大丈夫か。何人居る」
「一人だ。MTAがドアを破っている。もうすぐ入ってきそうだ」
多賀は上からホースを落とした。
「躯に縛れ。引き上げてやる」
ベランダから手が伸びるのが見えたが、僅かに届かない。
「もう一度、やってみろ」
今度は頭が見え、ベランダから身を乗り出している。
ホースを躯に縛ったという合図があった。
多賀はホースを躯に巻きつけ、渾身の力を込めて空調機の方へ歩いて引っ張った。
人間一人の重さとホースの摩擦でとんでもない重さだ。
上がってきたのは液体窒素製造装置を管理している芹沢だった。
重いはずである。彼は多賀ほど上背はないが、筋肉質で骨太のがっしりした体格をしていて、体重も相当ある。
しかし、彼を最初に釣り上げたのは運がいい。これから他の連中を引き上げるにはいい手助けになる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
目標の発電室は配置図上で何度も確認をしたので間違えようがない。発電室の南西にある社員寮も確認した。
ロケット弾の近接航空支援は七十ヤード(六十四メートル)であり、それ以内に味方が居るときは攻撃できない。
社員寮までの距離は約三十ヤードしかないが、人質は避難しているはずだからその心配はなかった。
北口一尉は無線が使えないので、機体をバンクさせ、後続のヘリにこれからダイブに入るということを知らせた。
進入速度は一一〇キロ/時、ダイブの角度はシャロー(十度以下)。ダイブリカバリーの時、スピードがつきすぎて、目標の上を通過しないよう角度を小さくする。
目標がぐんぐん大きくなってきて、周りの景色、木々の梢が後ろに流れて行く。MTAの抵抗は全くなく、これも予定通りだ。
発電室と変電室の周りにMTAの姿が目視できた。
最初の一ペアのロケット弾が発射され、そして次の一ペア、更に一ペアと計六発が発射された。瞬時に、白い光と煙の線が発電室と変電室に吸い込まれて行き、着弾を確認と同時に、右に旋回しリカバリー操作に移った。
続いて後続の攻撃ヘリがダイブに入る。
スリックスのLZ(着陸地帯)支援は後続の攻撃ヘリがやることになっているので、北口一尉は次の目標のため高度を上げた。先行した軽観測ヘリが目標に発煙弾を投下しているはずだった。
「十一時の方向に白煙が見えます」
福井三尉が言い、北口は機首をそちらに向けた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
多賀と芹沢は既に五人ほど屋上に助け上げていて、子供と母親を引き上げている時だった。
突然、すごい轟音と共に爆風が襲ってきた。手を離しそうになって、ホースを必死に握りなおす。子供が泣き叫び、芹沢が手すり越しに母親の腕を掴んで一気に引き上げた。
自衛隊の攻撃が始まったのだ。早くここから避難しなければならない。助け上げた八人に非常階段を使って下りるようにいう。
工場の北角が火を吹いて飛び散り、更に至近距離で数回爆発が続き、社員寮が大きく揺れた。砕け散った破片が雨のように降ってくる。この建物が直接攻撃されているような激しさだった。
爆撃が途切れた隙に、非常階段へ全員が走る。
非常階段は北側に位置しているので、次の攻撃の前に下りなければ危ない。
先頭の芹沢が勢いよく階段を下り始めたが、慌てて手すりにつかまってブレーキをかけた。
「階段がない」大声で喚く。
芹沢は勢い余って半身を空中におよがせ、必死にしがみついている。
四階付近から先の階段がなくなっており、壁に大きな穴が開き、鉄骨がむき出しになっていた。
近くの二人が手を貸して芹沢を引き戻す。
非常階段からは下れないので、発電室から離れるため、全員屋上の南端に行く。残る道は屋内の階段しかないが、四階にMTAが居る。
しかし、多賀が上へあがって来たときのように、奴が廊下の奥に居れば、下れる可能性がある。
多賀は様子を見るため、先ほどホースと一緒に持ってきた斧を持ち階段を下っていった。中ほどまで行き、姿勢を屈めて四階を覗く。
すぐ目の前にMTAの足が見えたので、思わずギクッと躯を硬直させる。
円形の足が歪んでいた。その歪んでいる形に見覚えがある。間違いなく、多賀を富士山から追いかけてきた、あのMTAだった。
運搬車が分解されていたのを見て、もしやと考えていたが、やはり、奴は運搬車の部品を使って自分を修理し、しぶとく蘇ったのだ。
MTAは階下に降りようとしている。多賀は後向きのまま静かに階段を登って戻ろうとした。
「まだ居ますか」
誰かが上から声をかけてきた。
こんな時になんてことだと思ったが、もう遅い。
階段を降りかけていたMTAのドームがクルッと回ってこちらを向く。
明らかに、階段の途中にいる多賀に気がついた。
多賀は素早く階段を駆けあがり、屋上に出てドアを閉めた。
「MTAが上がって来る」
多賀の言葉に全員が顔をひきつらせた。
屋上の出入口のドアは中から鍵はかけられるが、外からはかけられないので、押さえても、MTAの力で押し返されれば、開いてしまうだろう。しかし、奴が屋上に出るのを防ぐには、他に方法はない。
「このドアを押さえてくれっ」
多賀は全体重をかけてドアを支え、芹沢ともう三人が多賀に重なるようにして手を貸した。
ドアのノブが回転しズシンという衝撃がきた。鉄製のドアだからレーザーのないMTAに破られることはない。
だが、ドアがジリッ、ジリッと少しずつ開いてくる。
「みんな、来いっ、全員で抑えるんだ」
全員が重なってドアを押すと、少し開いていたドアが元に戻り、ノブがかちっといって閉まった。
全員の力でなんとかMTAの力に勝ったらしい。
しかし、いつまでも続くものではない。MTAはエネルギーが切れない限り、常に同じ力を出し続け、一方人間は疲れてくればどんどん力が落ちてくる。
ドアを抑える方法が何かないか探すと、先ほど皆を引き上げるのに使ったホースが目についた。
この出入口の建物は余り大きくなく、ホースを二本つないだら、四、五回まわせるかも知れない。
「もう少し、頑張っていてくれ」
多賀は扉から離れて、鉄骨に縛ってあるホースにもう一本のホースをつなげ、出入口の周りを回り始めた。
「もうちょっと、屈んでくれ」
多賀はノブにもホースを絡めた。思惑と違って、ホースは建物の周りを三周しかできなかったが、それでも人間がおさえているよりは強力なはずだ。最後に、爆撃で飛んで来たコンクリートの破片をドアとホースの間に挟んでたるみをとった。
ドアから手を離し全員後ろに下がった。
ドアが再びドスンと音をたてて揺れる。そして、また少しづつ開いてきたが、隙間ができるほどは開かない。
近くでまたロケット弾が炸裂したので、空調機と出入口の建物の陰に避難する。
攻撃ヘリが旋回しながら上昇して行くのが見える。
「多賀さん、早く来てっ」
ドアの前に一人残った芹沢が呼ぶ。彼が指さすドアの位置を見るとその部分が中から外に盛り上がってきている。ドア全体が振動している。
何という力だ。
「破りますかね」
「うん‥‥‥」
時間の問題かも知れない。鉄の板が柔らかい粘土のように、盛り上がってきた。多賀は先ほどの斧を手に持った。
突然、小さな弾けるような音。続いて耳障りな金属の擦れる音が響く。
誰かが悲鳴をあげた。
多賀は斧を振りあげ、鉄のドアを突き破って伸びたMTAの腕をめがけて振りおろした。激しい火花が散り、腕に強烈な痙れのような手ごたえを感じ、勢い余ってドアの鉄板を削った。
眼の前の床に三十センチほどの腕がついたMTAのハサミが転がった。
多賀は斧を構え直して、ドアに開いた穴を見つめる。振動はなくなっていた。
大きな爆音が聞こえてきた。
「自衛隊のヘリが着陸する」
輸送ヘリが工場の北側に在る芝生の空き地に向かって降下して行くのが見えた。
気付けばこの屋上から助けだしてくれるかも知れないと思い、全員がヘリに向かって手を振る。
階下にいた連中が、パラパラと十数人、社員寮から出てきて、ヘリに向かって走りだしていた。土井の姿も見える。もう先頭はヘリが着陸する地点へ到達している。
その時、白い影が空を走って行くのを多賀は目の端に捉えた。それはいま輸送ヘリが着陸しようとしている地点に落下して破裂した。
白い煙があがる。液体酸素弾だ。
更に、一すじ、二すじと白い煙りが空中を走ってくる。
工場の東側から飛んでくるらしい。次から次へと液体酸素弾は飛んできて、芝生の上に炸裂する。
走っている先頭が異常に気がついて立ち止まった。
輸送ヘリのローターの風が白煙を芝生の上にローラーで伸すように広げ、後の方から走って行く連中もその白煙の中に飲まれていく。
「危ないっ。戻れっ」
多賀は大声で叫んだが、爆音に消され届かない。
輸送ヘリも液体酸素弾に気付いたらしく、着地寸前まで降下した機体を上昇させようとした。
その瞬間、白煙の一つがローターに激突して砕け、ターボエンジンが過剰の酸素を吸い込み、咳こむような音をたてて火を噴いた。
火は瞬く間に、芝生上を広がっていく。
追い打ちをかけるように輸送ヘリが大爆発を起こす。熱気が屋上まで届いてきた。
走って行った者達は、全員一瞬のうちに、衣服が燃え上がり、そして、次々と倒れていった。
屋上の九人は眼を覆うのも忘れて、ただ呆然と、下の惨状を見おろしていた。階下にいた者達、そして、輸送ヘリから降りようとしていた自衛隊員達は一瞬のうちに全滅してしまったのだ。
見ると、もう一機の輸送ヘリが高度を上げて離脱して行く。
ヘリでの脱出は失敗だ。あのヘリが残っているが、もう一度試みられることはないだろう。
多賀はドアの向こうに居るMTAを思いだし、慌ててドアの前に戻ったが、もう一度、破ろうとしている様子もなかった。
どうしたのだ‥‥‥、諦めたのだろうか。
いや、富士山からずっと多賀を追ってきた奴が諦めるはずがない。
多賀はドアを離れ、屋上の縁沿いに歩いていく。西側をなかほどまでいったところで、それが見えた。
奴の足がベランダから伸びて外壁に吸いつこうとしている。
「MTAが壁を登ってくる。早く階段から逃げろ」
多賀は出入口に駆け戻りながら叫ぶ。
きつく結んだホースの結び目がなかなか解けない。早くしないとMTAが登ってきてしまう。
駆けつけた芹沢に解くのを任せて、多賀は斧を持って、再度西側の縁に走った。奴の前足が屋上の縁にかかっていた。
上へあげてはならない。渾身の力を込めて斧を振り下ろす。
斧は足に食い込んだが、縁から離れない。
奴は残った片腕で攻撃してくる。耳元を唸りがかすめて行った。
斧を持ち直し、手すりから身を乗り出してドームに打ち込む。だが、刃が滑り、勢い余って落ちそうになった。
金属の手すりから、ガラガラという振動が伝わってくる。奴が手すりに乗せた腕を滑らせて横殴りに襲ってきた。態勢が崩れていて、かわす隙がない。躯を支えていた左手を離し、斧を両手に持ち替え、それを受けとめた。
強烈な衝撃が伝わり、奴の曲がった腕が、多賀の右腕と背中を叩いた。
呼吸が止まりそうな痛みが走る。
「多賀さん早く」
芹沢が叫ぶのが聞こえた。ドアが開いて皆が階段を降り始めたらしい。
奴のドームが屋上の縁に上がってきた。
上にあげたら、例え奴の足が一本故障していても、逃げ切れない。
多賀は奴の足を横に払った。手ごたえはあったが、びくともしなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
北口一尉の攻撃ヘリは、攻撃目標である修理中の地熱から蒸気をとる装置を破壊して工場に戻ってきた。
LZ予定地が火の海になっており、その中央で輸送ヘリの残害が燃えているのを目撃した。
「なんてことだ。作戦は失敗だ」
周囲を見渡したが、何処にも他の機は見あたらず、炎上しているのは一機だけだった。他の機は引き上げたらしい。失敗したら直ちに作戦中止も予定の行動である。
北口は福井に引き上げることを告げ、機首を南に向ける。
「社員寮の屋上に人がいます。MTAが屋上の縁にいる」
福井が言った。誰かがMTAと闘っているらしい。
「よし、彼を助けよう」
北口は機首を下げ、機を社員寮に近づける。
福井三尉はチンターレット(機首下部砲塔)の二十ミリ機関砲をMTAに向けた。だが、人間が近すぎて撃てない。彼はMTAとの戦いに気を取られ、攻撃ヘリが近くに来たのに気付かないのだ。
福井は狙いを外して機関砲を数発撃った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
多賀は腹に響くような低い炸裂音を数発聞き、音のした方をちらっと見る。間近まできてホバリングしている攻撃ヘリが眼に入った。
ヘリの爆音が初めて耳に聞こえてきて、パイロットがしきりに手を振っているのが見える。離れろと言っているらしい。
斧をMTAに投げつけ、素早く出入口のドアまで走った。
奴は屋上の手すりを乗り越えようとしていた。
攻撃ヘリの機関砲が火を噴く。
至近距離なので全弾がMTAに命中している。弾が当たる度にMTAがその衝撃でグラッグラッと揺れる。
ドームに白いひび割れが放射状に走り始め、高機能プラスチックの破片がパッと弾け散り、ドームががくっと下に落ちた。そして手すりにのっていた足が力なく上を向き、そのままずるずると落ちて行った。
多賀はパイロットに手を挙げて、ドアの中へ駆け込んだ。