一、−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 戸倉は商品見本の入った重いトランクを下げて列車を降りた。
 駅舎を出て、額の汗をハンカチで拭いながら、懐かしく辺りを眺める。
 この街を去ったのは、今から五年前の一ヶ月後だった。

 工兵隊の小隊長として要塞造りの任務についていて終戦を迎えた。
当時、米軍は九十九里海岸から上陸し、首都東京を目指すと予想されていたので、砂岩の露出した崖の存在するこの辺りが、彼らをくいとめる絶好の場所だと首都防衛軍の司令部は考えていたのだ。

 駅前の広場は、戸倉達が要塞造りに汗を流していた頃と変わりはなく、ただ、広場の隅に米軍のトラックが二台とまっているのが時代の流れを感じさせた。

 戸倉は復員して間もなく、ふとしたきっかけで、手に染めた刃物の商いをしている。戦時中の供出で鉄が不足しており、ある程度の品質があれば、刃物商品は飛ぶようにとはいかないまでも、引合いは幾らでもある。

仕入は戸倉自身が泉州堺、越前武生といった刃物の産地に直接出向き、品質を見極めて行うので、一度取引が成立すると継続して取り引きしてくれる店も少しづつ増えてきている。

 今日は、知人の紹介で近くまで商談に来たついでに、ここ迄脚を伸ばした。
 懐かしさもあったが、あの終戦時に起きた部隊内での殺人事件が、その後、どう決着したのか、ずっと気にかかっていたので、誰かに尋ねてみようかと思いやってきたのだった。

 戸倉は最宝寺を訪ねた。
 この寺は、戸倉達が要塞の坑道を掘っていた崖のすぐ後ろにある。住職とは小隊長当時、数回顔を会わせており、事件が起きた時も死体の安置所としてお寺を使わせて貰った経緯もある。

捜査は憲兵隊と警察がすることになっていたが、それが始まる以前に終戦となり、戸倉達はそのまま復員してしまったので、遺体の処置がどうなったかも知らなかったのだ。

 境内には数百年経た杉の大木が欝蒼と茂っていて、降るような蝉の鳴き声も当時と変わらない。
 住職は健在で、戸倉を覚えていてくれた。無沙汰の詫びを述べ、持参した手土産を渡し、問われるまま、戸倉は現在の身の上を話した。

 そして、次第に話はあの当時のことに戻って行った。
「警察も軍のなかに入って、捜査するのをいやがっていたようです。だから、憲兵隊が来るまで、待つようにと言っていました」

「それで、憲兵隊は?」
「来ると言う連絡はありましたが、結局は誰も来ませんでした」
 あの混乱時には、あちこちで人が大勢死んだ。彼らにとって、あの二人の仏さんもその一つに過ぎず、もうそんなことに構ってはいられなかったのだろうと住職は言う。

 死んだ二人のうち、一人は畑中という兵率で、喉を掻き切られており、明らかに殺人だった。彼は夜の歩哨勤務中に、何者かに坑道の中で襲われたのだ。事件発生後、直ちに戸倉達は出入口をかため坑道の中を捜索したが、蟻の子一匹出てこず、その捜索中に、更にもう一人死人をだしてしまった。

 死んだのは別の小隊に所属する小杉という班長だった。
一緒に捜索していた兵の話しでは、第三通路と称していた坑道を通過中、先頭を歩いていた小杉班長が、突然、何かに驚き、そして、倒れたという。

結局、何に驚いたのか判らずじまいだったが、小杉の死因は心臓まひだったのだろうと戸倉は思っている。
「それで、遺体はどうなったのですか」

 住職は一瞬躊躇するような素振りを見せた後、
「役場と相談しまして、こちらで荼毘にふして、お骨を御遺族に渡しました」と続けた。
 住職が何か言おうとしてやめたのだと思ったが、戸倉は敢えて尋ねなかった。

「本当は、私が残って始末をつけなければ、いけなかったことだったと思っています」
 戸倉は詫びた。
「いや、あなたも家族がおありなさった。あの当時は、誰もが自分のことで、精いっぱいだったのだから‥‥‥」と言って住職は笑った。

「おっ、そう言えば‥‥‥」住職は何かを思いだしたらしい。
「帰るところが無かったのか、あなたの部隊の一人、木之元さんという方が暫くこの寺に残っていましてね。荼毘にするとき手伝って貰いました」

「木之元‥‥‥」覚えている。名前は仁一郎と言ったはずだ。小柄だが、頭がよく機転のきく男だった。戸倉の記憶では、彼は伊豆の何処かの出身だった。

伊豆は戦火に見舞われておらず、彼の家族は健在のはずである。住職の言うように、帰るところがないということはない。
「いつ頃まで、こちらにお世話になっていたのですか」

「そう、この寺を出て行ったのが、九月の末でしたか‥‥‥。あなた達が掘った坑道に、よく行っていたようですよ。何か陰気で取っつき難い方で、あまり人と話をしたがりませんでしたね」

「そうですか」変だなと思った。
 戸倉の知っている木之元はどちらかと言うと気さくで如才なく、誰とでもよく話をする方だったと記憶している。別人ではないかと思い、詳しく容貌などを尋ねたが、やはり木之元らしい。

「妙なものを作るのを頼まれましてね」
 木之元は住職に石屋を紹介してもらい、蓋のついた石櫃を注文した。でき上がった石櫃は墓石によく使われる黒御影石製だったという。木之元は石櫃ができてくると、何処からか手にいれてきたリヤカーに、それを載せて寺を出て行ったそうである。

「石櫃に何かを入れて行ったのですか」
「はい、近くで手にいれたらしい魚や貝などを入れているのを、一度だけ、ちらっと見ました」

 あの頃でも、他所とは違いこの辺りでは、新鮮な魚介類ばかりでなく、他の食料でさえも、比較的たやすく手に入った。だから、石櫃を冷蔵庫代わりにして、持っていくのだなと思ったという。

 木之元は、その石櫃を作るために、寺に滞在していたらしい。
 戸倉は帰りの列車のなかで考えていた。あの第三通路のことが妙に頭に残っていた。

あの坑道は戸倉の小隊が銃眼に続く坑道と主坑道をつなぐために掘ったものだ。掘っている途中、妙なものがあると、兵達が言ってきたことがあり、戸倉が行ってみると、堀り進む先に坑道を斜めに横切るように土管らしいものが露出していた。

継目の無い奇妙なものだった。例え土管であっても場所と地上からの距離を考えたら、使われているものではなさそうだったが、万一を考えて、迂回して堀り進むことにした。

ところが兵の一人が振り上げたつるはしをぶつけ、誤ってそれを割ってしまった。
なかには何も入っておらず、内面は磨かれたように滑らかで、そして、カンテラで覗いた穴のなかは何処までも続いていた。結局、その土管を取り除き、穴は砂岩の砕片で塞いでしまった。

 その後、そのことは忘れてしまっていたが、あの第三通路は他の坑道と違い、通る度にひんやりと肌に冷たく感じたことを思い出す。小杉の死とそのことが関係あるとは思われず、ましてや、畑中の殺人とはどうやっても結び付かないが、いまになってみると気になることであった。

 あの殺人事件は、結局、一度も捜査されずに忘れられてしまっていた。
 あの時、隊の責任者である自分が残り、警察の捜査を強く要請していたら、犯人が挙がっていたかも知れない。

そう考えると、死んだ畑中の遺族に申し訳ないという気持ちで、いっぱいだった。しかし、五年も経った今となっては何も残っておらず、どうすることもできない。

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 更に七年後、戸倉は箱根の湯本にいた。
 相変わらず、商品見本の入った重いトランクを持ち、商売を続けている。いまは以前と違い、東京の小岩に店を構えてもいるので、地方廻りをしなくとも十分商売はできるようになっていた。

しかし、戸倉は地方に出かけて行くのが好きなので、場所を限って現在でも足を運び、昔のように商売を続けている。この箱根湯本の旅館組合の事務長、城島とは古い馴染みで、数カ月に一度顔を見せる戸倉への注文を、いつも、纏めて待っていてくれる。

 注文を控え、品物を揃えた後、いつもいる数人の事務員が誰もいないことに気が付いた。
「保険所の立入検査でね。それにつきあってるんですよ」
 城島は首を振りながら、霜月館で食中毒が出たんだと言う。

「何が原因ですか」
「まだはっきりしないが、あそこの見習い板が指に傷を作ったまま、盛りつけをしたのが原因らしい」霜月館は前にも一度騒ぎを起こしていると言って、城島は顔をしかめた。

「以前にも、食中毒を‥‥‥」
「いや、食中毒までにはならなかったのだけど、おかしな騒ぎだったのでよく覚えている」城島は苦笑いしながら、聞きたいかいと言い、戸倉が頷くと話し始めた。

「あれは終戦後、間もなくだった‥‥‥」
 夕食に出した鯉のあらいが腐っていると苦情が出て、それに対する宿の対応が悪いと客が怒ってしまい、みんな宿替えをしてしまった。当時は、ほとんどが湯治客だったので馴染みも多かったのだが、その人達までも、宿を替わってしまったらしい。

「鯉のあらいというのは、生きている鯉をしめてつくるのでしょう」
「そうだ。前日にしめた鯉を出したんじゃないか、という噂もあった。あの頃の冷蔵庫は氷で冷やすものしかなかったからね」

 戸倉は、何処かで、同じような話を聞いた覚えがあるような気がした。
「しかし、客が宿替えしたのは腐った鯉の洗いのせいばかりじゃないんだ。霜月館に化物が出たと言う者がいた」城島はにやっと笑う。

「それじゃ、いまでも、霜月館には‥‥‥」
「いや、その化物の話はそれっきりで、後は噂もない。しかしね。その時、一人だけ宿替えせずに、残った者がいるんだよ」

 復員兵が一人だけ残り、泊まっていったらしい。
 戸倉は、同じような話を何処で聞いたか、思いだした。三年ほど前、藤沢の宿に泊まったとき、夕飯のおかずにしめたばかりの鶏を出そうとしたらもう腐っていて、たった一人宿泊していた復員兵に出す料理がなくなってしまい、困ってしまったという話を、そこの主人から聞いたことがある。

宿の主人は不思議なことがあるものだと言っていたが、戸倉は手違いで古いものが混ざったのだろうと思って聞いていた。確か、その話しも、終戦の年だったと言っていた覚えがある。

「その復員兵はどうしました」
「翌日、リヤカーをひいて、箱根山を登って行ったそうだ」
「リヤカー‥‥‥」最宝寺の住職に聞いた木之元の姿を想像し、あまりの偶然に、戸倉はまさかと思った。しかし、木之元の故郷は伊豆である。リヤカーをひいて、箱根山を登って行った復員兵と同じ方向なのだ。

「リヤカーに、石櫃を積んでいませんでしたか」

「さあ、そこまでは‥‥‥。私は話を聞いただけで、見たわけではないからね。何かい、その復員兵は戸倉さんの知っている人かね」
 戸倉は、自分と同じ部隊にいた男かも知れない、その男の故郷は伊豆で、リヤカーをひいて復員したはずだと答えた。

「あの当時、リヤカーはなかなか手に入らなかった。リヤカーをひいた復員兵なんて滅多にいなかったものなぁ。そうかも知れないよ。霜月館に宿帳が残っているから見せて貰えばいい」

「そんな古いものでも、残っているのですか」
「残っているよ。旅館のなかには創業以来の宿帳を残しているところもあるくらいだからね。そうだ、私から電話で言っておくよ。商売が一通り済んだら行ってみるといい」

 もし、復員兵が木之元であっても、別に不思議ではない。彼が箱根を通って、故郷の伊豆へ帰るのは当り前なのだ。
城島から霜月館の話を聞いて、それと似たような話を思いだし、更に木之元と思われる男が復員して、故郷へ帰った道筋を偶然知ったので、ただ驚いただけである。それを確認しても、別にどうなるものでもない。それに、当時は復員兵など何処にでもおり、藤沢の宿に泊まったのも木之元とは限らない。

 そうは思ったが、城島が親切に電話を入れてくれたので、戸倉は商売を済ませた後、霜月館に出向いた。間違いなく、宿泊した復員兵は木之元仁一郎だった。

宿泊日は十月二十四日となっていた。彼は、最宝寺からここまで、二十四日もかけてきている。随分とゆっくりきたものだ。おそらく、リヤカーと積荷のせいだろう。

 霜月館に泊まった復員兵を木之元だと確認したら、藤沢の宿に泊まったのも彼だったような気がしてきたので、今度、藤沢に行ったとき確認してみようと思った。

もし、どちらの復員兵も木之元だったら、彼が泊まったところで、新鮮な物が腐ってしまうという変なことが起こったことになるが、どちらも古いものを勘違いしたのかもしれない。

 戸倉は、最近になり、いずれ暇をみて、最宝寺を再訪しようと思うようになっていた。歳をとるに連れて、あの時、果たさなかった義務を、遅蒔きながら、果たそうという気持ちが、大きくなってきている。

畑中の供養のためにも、あの殺人事件を調べてみるつもりになっていた。偶然、箱根湯本で見つけた木之元が事件と関わりがあるのか、どうか判らないが、もう一度、最宝寺の住職に詳しく尋ねてみたいと思うし、以前、訪問した時、住職は何か話すのを躊躇したことがあったようにみえたので、それも尋ねてみたい。

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