三、−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 サンエイ仏商は、伊豆の玄関口、三島市にある。
 新幹線、あるいは東名自動車道を利用して、伊豆にやって来る観光客は、熱海を経由する人達を除けば、ほとんどが三島を通過していく。

 三島から伊豆半島へ入る方法は大別して二通りある。すなわち、三島から修善寺まで走っている駿豆線と呼ばれている電車を利用するか、あるいは、三島が起点になっている国道136号を使うかである。

 伊豆で最も大きな産業は観光であり、それ故この国道は、シーズンともなると、上りも下りも到るところで混雑し渋滞する。サンエイ仏商は伊豆半島のなかに入った三島市のこの国道沿いにあった。

 仏商と名乗っているように、仏事に関する総合商社ということになっているが、実際の業務内容は葬儀屋である。
 しかし、他の葬儀屋と違うところは、仏壇、仏具、贈答品、墓石等の販売、その他諸々の仏事に関する全ての手配や商品の販売と法事の演出請負をすることであった。

 しかも、葬儀の請負価格は他の店の五分の一程度で、葬儀の目玉である祭壇の貸出は殆ど無料である。すなわち、葬儀のディスカウント店なのだ。

 葬儀屋は、非常にマージンの大きい商売で、このくらいの値段でやっても、ある程度、数をこなせば十分やっていけた。価格が安い上に、他の葬儀屋に依頼する場合と劣らない葬儀ができるとなると、遠くからでも客がくる。

 サンエイ仏商は開店して、まだ、二年足らずであったが、いまは伊豆半島全域で商売をしている。だが、この商売のやり方は、当然のこととして、既存の葬儀屋の反発を受け、あちこちで中傷や妨害を受けていた。

 社長の勝間田大介は、二年前に脱サラをして、全く畑違いのこの商売を始めた。勝間田が京都で銀行の営業マンをしていた頃、上得意のお客のなかに葬儀屋がおり、その葬儀屋の儲けの多さに驚かされた。

 そして、普段から相性の悪かった上司と衝突して、銀行を飛び出した時、最初に、その葬儀屋が頭に浮かんだのだ。自分も少し形を変えて葬儀屋をやってみようと思い立ち、郷里に近い三島で店を開いた。

 店は思っていた以上に順調で、既に従業員の数は松崎の支店を入れて十二名になっており、それでも足りないほど、仕事は忙しい。もっと、従業員を増やしたいと思っているが、こんな業種には優秀な人材はなかなかやってこない。

他より給料を高く出しているので、応募して来るものは結構いるが、使えそうな者は滅多にいないのだ。現在いる従業員達は、そんななかから選んで採用した者達である。なかにはちょっと物足りない者もいるが、概して、皆良くやってくれると思っている。

 営業マン達は外に出払っていて、店には社長の勝間田と女子の事務員二人しか残っていなかった。電話が鳴り、勝間田は目を通していた書類から顔をあげた。丁度、店の前に車が止まり、営業マンの渡辺純一が降りて来るのが見えた。

 電話は葬儀の依頼だった。
「はい、承知致しました。えっ、お寺さんですか‥‥‥。はい、判りました。手配できると思います。宗派は?」

 暑い暑いといいながら渡辺がデスクにつこうとしていた。もう九月に入っているが、残暑は厳しく、いっこうに涼しくならない。

「これで六件目ですよ。何処ですか」季節の変わり目はいつも忙しい。
 既に五件の葬儀を請け負っており、営業マン達はその立会いに出払っている。渡辺も、いま、受持ちの葬儀から戻ってきたばかりなのだ。

「伊奈田だそうだ。あっちの方面は初めてだな。寺の手配も頼まれた」
 新しい所帯の多い新興団地で葬式が出た場合、時折、どの寺の檀家にも属していないことがあり、お経をあげる坊さんの斡旋を頼まれることがある。

 珍しいことではなかったが、伊奈田は古くからある西伊豆の集落であり、団地などができるほど交通の便はよくない。
「たぶん、檀家になっている寺の住職が亡くなったかして、いないんだろう。通夜は今夜だそうだ」

「それじゃ、すぐ出かけなければ‥‥‥」
 渡辺は、分厚いカタログ写真帳等の入った営業鞄を持って、立ち上がった。
 伊奈田までは道路が混んでいなくとも、片道一時間半はみなくてはならず、通夜・葬儀の支度や供物の注文などをきいて、夜までに、何度も往復をしなければならない。

「仏さんの名前は萩田修三だ。わかるかな」
「大丈夫ですよ。あそこは戸数が少ないから、行けば判るでしょう」
「すまんな。帰ってきたばかりのところなのに‥‥‥。お寺さんの手配は私がする」
 依頼主は宗派は問わないといった。こんなことは初めてである。最近、伊奈田に住み着いた所帯なのかも知れない。
 勝間田はいつも依頼する住職に電話をした。
 しかし、伊奈田だというと、檀家の葬儀が入っているので掛持ちは無理だといわれた。

 更に二つのお寺に電話をして、依頼してみたが、同様に断わられてしまった。
 季節の変わり目には葬式が多く、どこのお寺さんも忙しいらしい。たぶん、喪家では仏さんの枕経も済んでいないはずだ。

 そして、通夜も差し迫っている。間に合わなければ、客の依頼を素早く処理することを売りものにしているサンエイ仏商の信用にかかわる。
 勝間田は直接お寺を回ることにして店を出た。

 修善寺町の北東端に修明寺という曹洞宗の寺がある。
 曹洞宗のお寺の例にもれず、檀家数は六十に満たない小さなお寺で、住職は地元の中学校の教師もしている小林重全という兼業住職であった。
 この寺の檀家の葬儀を、過去に二回ほど請け負っており、盆暮れの挨拶も欠かさずしている。
 本堂の前に大きな枝垂れ桜があり、毎年、季節には見事な花が咲く。その奥に庫裏がある。

 既に午後一時をまわっており、土曜日なので、住職は学校から帰ってるはずだった。
 座敷に通され、勝間田は急いでいるのでと断わって、早速、用件を言う。

「ウーン、伊奈田か」
 住職は教壇に立つため、頭を丸めていない。短めに延ばしている頭の脇を掻きながら、苦笑いに似た笑みを浮かべた。

「行ってやりたいのだけど、伊奈田は駄目だ」
「どうしてですか」
「私のところが最初かい‥‥‥。そうではないだろう」

 勝間田はそうだと正直に答える。
 しかし、直接お願いに上がったのはここが最初だとも言う。
「理由を聞かなかったのかな」

「きいてません。何かあるのですか」
「うん、ある・・・。あそこはね。初七日まで葬儀が続くんだよ。だから、泊り込まなければならない。私は学校があるからね」

「泊り込む?」勝間田は問い返した。
「そうだ。この辺の葬儀は祭壇を初七日まで飾る習慣があるだろう。あんたのところも、初七日まで貸し出しているはずだ」

 この地方の葬儀は、すべてではないが、初七日まで祭壇を飾るのが普通で、そのせいで、葬儀屋は高価な祭壇を数多く持っていなければ、一度に多くの葬儀を請け負えない。この習慣が、サンエイ仏商のような商売をしている店にとっては、かなりの負担になっている。

「昔は、この辺りの葬儀は何処も初七日までやる習慣があったようだ。ところが次第に簡略化され、祭壇だけを初七日まで飾るという習慣が残ったらしい。しかし、伊奈田だけは未だにそのしきたりが続いている」

「それじゃ、今回から祭壇だけ飾るということにしたら、どうでしょう」
「しきたりはそう簡単に変えられない」
「今まで、伊奈田のお寺さんはどこが受け持っていたのですか」

「うん、これは又聞きだけと、沼津から大瀬崎へ行く途中にある真言宗のお寺で、確か麻生(あさお)寺とかいったようだ。既に無住になって、二十年くらい経っているかもしれん」

 近ごろは坊さんになろうという人が少ない。檀家の少ないお寺ばかりでなく、かなり檀家数のあるお寺でも、跡継ぎがおらず、無住になり、廃寺になっていく例が多い。

「その間の葬儀に、何処のお寺さんがお経をあげたのですか」
「たぶん、あそこからは葬儀が出てないだろう」
「二十年間も‥‥‥」勝間田は不思議に思った。

「いやいや、そんな意味ではない。二十年間に、伊奈田から死者が全くでなかったわけじゃない」
 いまは病院で亡くなることが多い。伊奈田の人たちはその場合、近くの斎場を借りて葬儀を営むようだ。だから、伊奈田の住民も、この二十年間、伊奈田という場所では死んでないという意味だ。

「その場合も、葬儀は初七日までですか」
「いや、その場合は普通とかわりない。私の友人が読経を頼まれて行ったことがあるそうだから、間違いない」

「すると、伊奈田で死んだ場合のみ、初七日まで葬儀が続くわけですか。何故です」
「さあ、しきたりだからというしかないな」
 小林住職もそれ以上は判らないらしい。勝間田は、電話で依頼したお寺さんに、申し合わせたように断わられた理由が判った。こうなると、引導をわたしてくれるお寺さんを探すのに苦労することが予想される。

「過去に、おたくは伊奈田の近くで商売しているの」
「いえ、今回がはじめてです」
 小林住職は、そうだろうと頷く。

「あんたのサンエイ仏商は他の葬儀屋に憎まれているからな」
 古くからある葬儀屋は、伊奈田のことは、皆知っている。あそこから出す葬式は手間がかかり面倒であり、その上、お寺が無住になっていて、引導をわたす坊主がいない。

代わりを探すにしても、他のお寺は敬遠する。だから、葬儀屋も嫌がって、引受手がいない。
「たぶん、他の葬儀屋があんたのところへおっつけたんだ。普段客を取られる意趣返しにね」

 勝間田は憮然とする。
 そういえば、伊奈田の近辺ではサンエイ仏商の宣伝は過去に一度もしていない。サンエイ仏商の宣伝は新聞の折込広告でやっている。
 以前、伊奈田の付近を担当している新聞販売店に、折込広告を依頼にいって、断わられたことがあったのを思いだした。

 あの辺りは、沼津にあるこの地方最大の葬儀屋の縄張りでもあるので、あの時、そこが手をまわしたのかもしれないと考えていた。あまり大きな地域ではないので、無理して衝突することもないと思い、その後は何の宣伝活動もしてない。

 電話で依頼を受けた時、そのことは全く忘れていた。伊奈田へは口込みで伝わった可能性もあるが、住職の推測が当たっていることの方が大きいような気もする。恐らく、あの電話はサンエイ仏商に来る前にたらい回しにされたものだろう。

 その折り、何処かの葬儀屋が下心を持って、サンエイ仏商の名前を囁いたのかもしれないし、互いに相談して、仏さんの家族に教えたのかも知れない。そうであれば、他の葬儀屋がサンエイ仏商の伊奈田での振舞いを見つめていることになる。

 葬儀のしきたりなどは大雑把なもので、多少の手違いがあっても、普段なら、幾らでも繕いが効くのだが、サンエイ仏商が伊奈田の葬儀を引き受けたことに他の葬儀屋が注目しているとなると、そうはいかない。
 僅かなミスも、サンエイ仏商の信用を落とす道具に使われるだろう。

「真言宗ですね。同じ宗派のお寺なら引き受けてくれますかね」
「うん、他の宗派の寺より可能性はあるだろう」
 近くに、真言宗の寺はいくつかあるといいながら、その寺名を二、三あげた。

 勝間田は、伊奈田の葬儀を引き受けてくれる寺が見つかるまで、真言宗のお寺を片端から回る気になっていた。既に葬儀は引き受けてしまったのだ。しかも、渡辺は伊奈田へ行って注文を聞いている頃だ。後へは引けなかった。

 小林住職に教えて貰った寺を回ってみたが、すべて断わられてしまった。伊奈田の風習は、皆知っていた。知らなかったのは新参者のサンエイ仏商だけだったらしい。見事に罠に填められてしまったようだ。

 だが、ギブアップするわけにはいかない。そんなことしたら、仏さんの家族も困ってしまうだろう。
 いま出てきた寺で、近くにある他の真言宗の寺を教えて貰った。一つは達磨山の南側の山中にあり、もう一つはそこから下った戸田村にある。どちらのお寺も伊奈田に近く、頼めば、どちらかの住職が承知してくれるかもしれないという期待がないこともない。

 修善寺の温泉場から山を上り、達磨山の南にある真木寺の山門を車に乗ったままくぐった。
 左側に墓地が広がり、道との境に大きな槙の木が並んでいる。葉が普通の槙より長くて細い。高野槙だ。正面に、本堂へ続く石の階段が見える。

 両わきには桧の木が欝蒼と茂り、強い日差しを遮っている。
 車を下に置き、石段を駆け上がった。
 真木寺の住職は、五十年輩の精力的な感じのする人であった。身体は大きくはないが、大きな目は相手の背中まで見透すような鋭さがある。いかにも、真言宗の坊さんといった感じを受けた。

そして、貰った名刺には、権中僧正木村大洪とあった。勝間田が依頼の件を話すと、住職は簡単に承諾した。あまりにも簡単に引き受けたので、伊奈田のことを知らないのかと思い、そのことを話すと、全て承知していると言う。

「伊奈田のことについては、あなたが知らないことも、知ってますよ」
 木村住職は砕けた調子でいった。
「といいますと‥‥‥」

「伊奈田は、来年から、うちの寺の檀家になります」
「なんだ。それじゃ、最初からこちらに伺えば、よかったのですね。檀家と話がついていたのですか」

 そういってから、おかしいなと思う。依頼主は電話でお寺さんの依頼もしてきたのだ。だから、こうしてお寺を回って来た。住職は勝間田の怪訝そうな顔を見て、更に言った。

「伊奈田の檀家と話がついていたわけではありません。七十年も経てば、誰も覚えていないということです」
 住職の言っていることが、判らない。
「説明しましょうか」と言って、住職は話し始めた。

 伊奈田は七十年毎に所属するお寺が替わってきた。戸田にある間聞寺(かんもんじ)、沼津の麻生寺、そして、当寺の間でたらいまわしにされていたらしい。らしいと言うのは、私も、つい最近まで、このことを知らなかったからだ。

 私は、昨年の春、本山からの伝達で当寺の住職になった。先代の住職は三年前に亡くなっており、私は逢ったことはない。
「その間は、このお寺も、無住だったのですか」

「そうです。しかし、無住の間、檀家の人たちが寺の手入れをしていてくれましたので、全く荒れてはいませんでした」
ここに来て、まず過去帳に目を通した。古いものは無くなっていたが、この寺は御大師様が延暦年間に開山したと伝えられているので、それでも膨大なものだった。

私は新しい方から目を通していき、そして、変なことに気づいた。或年以降、現在まで百年以上も死者のない檀家が幾つかあるのだ。数えてみるとそれは三十数軒あった。長い年月の間には檀家数の増減はあって当然だが、短期間に、これだけの檀家が減るということは何かなければ、普通は有り得ない。

更に、おかしなことに、その三十数軒の檀家は全て伊奈田であった。そこで、その伊奈田の檀家だけ昔に遡ってみたところ、過去にも同じように、仏さんのある時期とない時期が繰り返し出てきた。

仏さんのある時期が七十年、ない時期がその倍の百四十年あった。もちろん、七十年間、伊奈田の檀家から、毎年、仏さんが出ていたわけではないので、過去帳の記録はきっちり七十年の区切りがあったのではない。

およその見当をつけて、七十年毎に区切ってみると、過去帳の記録のあるところと空白部がきちっと別れて当て填ったのだ。最初は、これが何を意味しているのか、見当もつかなかったが、檀家となるお寺が七十年毎に替われば、こんな過去帳になると気が付いて、近くのお寺を回ってみた。

そして、同じような過去帳を戸田の間聞寺で見つけた。間聞寺の過去帳は、当寺の過去帳の空白部、百四十年間の半分の七十年間をきっちり埋めていた。残る七十年は、現在、伊奈田が檀家になっている麻生寺だということが簡単に推測できる。

麻生寺にも行ってみたが、あいにく、二十二年前に廃寺となっていて、管理するものもなく朽ち果てており、過去帳も紛失していた。しかし、麻生寺の過去帳を確認するまでもなく、伊奈田は麻生寺、真木寺、間聞寺の間で七十年毎にたらい回しにされていたことは間違いない。

「何故このようなことをするのかと思い、当寺の古文献を調べましたが、このことについては、全く記述がありませんでした」
「間聞寺の住職も知らないのですか」

「はい、私がお尋ねするまで、このことを、全く知らなかったようです。と言うのは、いまの間聞寺さんは十二年前にあそこの住職になられた。私と同じように先代が亡くなった後に来られたので、やはり、何も聞いてなかったようですな」

 麻生寺の七十年が今年で終り、順序として、次は真木寺になる。だから、伊奈田は来年から当寺の檀家になる。
「伊奈田の住民は、誰も、このことを知らないのですか」

「知らないでしょう。前に、伊奈田が真木寺の檀家だったのは、百四十年も昔のことですし、七十年前の間聞寺の檀家だったことも、覚えている人はいないかもしれません」

 実は来年に備えて、伊奈田の現在帳を既に作ってあり、それによると、現在の戸数は四十二で、最高齢者は八十一才である。
「七十年前に十一才だった子供が、自分の家がどのお寺の檀家だったかを知っていると思いますか」

 勝間田は頷いた。近くにある寺ならともかく、戸田にある間聞寺は子供には遠い。現在、八十一才の老人でも知らなくて当然だろう。
「麻生寺は二十年以上前に無住になっていますね。何故、真木寺の先代は、代わりをやらなかったのですか。先代も知らなかったのですかね」

「いや、知っていたでしょう。間聞寺さんや私の場合のように、昔は、一時的にでも、寺が無住になるということはなかったでしょうから。先代が、何故、このことを伊奈田に言わずに静観していたかは、私にも判りません。そういうしきたりになっているのかもしれないと、私なりに思い、このことは来年まで黙っているつもりでおりました」

「ところが、私が伊奈田のお願いにあがった‥‥‥」
「そうです。御大師様のお導きでしょう。御大師様が、私に伊奈田の死者に引導をわたすようにと、御命じなさったのです」

 勝間田は真木寺を後にした。
 変な話を聞かされたが、ようやく、依頼されたお寺さんの手配ができたことに、ほっとする。車を西に向けた。伊奈田の近くに来ているので、ちょっと寄って行こうと思う。

 西伊豆の海を眼下に見ながら、達磨山を下った。伊奈田へ行く道は二通りある。海岸まで下り、戸田に出て海岸沿いの道を北上するか、この下り道の途中から右折して真城(さなぎ)峠を経て、山道を伊奈田に向かって下るかである。

 勝間田はどちらの道も初めてだった。後のルートを採った方が早いかも知れないと思い、沼津方面と道標の示す方向へハンドルをきる。道はくねくねと細かく曲がりながら登っている。視界が開けてから、暫く走ると真城峠に着く。

 峠の空き地に白い車が止まっていた。その隣にとめて外へ出た。強い日差しの下にもかかわらず、冷たい風が吹き抜けていき、気持ちがいい。見渡す限り桧林だが、背が高くないので、遥か彼方まで見通せる。

 道は三叉路になっていて、いま走ってきた道をそのまま行けば、内浦湾沿いの道路に出て沼津に行く。勝間田は桧林のなかに続く伊奈田への道が未舗装であることを知って、戸田を経由して行くべきだったと後悔した。

 突然、薮のなかから人が現れた。
「なんだ、勝間田さんじゃないか」見慣れた顔が笑いながら側にきた。
「変なところで、出逢いますね。見たことがあるような車だと思いましたよ」

 サンエイ仏商の一つ置いた隣で、不動産屋の店を出している坂江庄一だった。昼飯時に、近くのラーメン屋で、よく顔をあわせる。
「これの帰りだよ」そう言いながら、人差指を立てて上下させた。

 釣りの帰りらしい。彼が釣り好きなのはよく知っている。
「どうでした?」
 駄目々々と手を振って、ボウズだと言う。

「あんたはどうして‥‥‥。今日は休みかい」
「私も、坊主に会ってきた帰りですよ」これから、伊奈田へ行くつもりだと言って、目の前の道を指さす。

「この道はよした方がいい」
 この道は未舗装の部分は僅かで、殆ど舗装されているが、あまり車が通らないので、道に草が覆いかぶさっているし、大きな石が転がっていることもある。車を傷つけるからやめた方がいいと言う。坂江はこの辺りに詳しいらしい。

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 咲畑は田川浩二と霊媒師の風祭陽子を乗せて、海岸沿いの道を走っていた。
 昨日、旭日屋の木部から連絡を受け、予め話をつけてあった二人にそれを知らせた。幸い、大学の夏休みが、まだ十日ほど残っているので、すぐ行動に移れたのだ。

 田川は、いつも発掘に同行する場合と同じように、勤務先に休暇の届を出してやって来た。勤務先の社長は咲畑の友人なので、その点は自由がきく。風祭陽子はプロの霊媒師であり、半年以前に話はついていたので、すぐ呼び出しに応じて来た。

 今朝、咲畑の車で東京を出てきたが、道が混雑し、既に午後も遅くなっていた。
 旭日屋の会長の故郷は西伊豆の伊奈田というところである。伊奈田の近くには、海のすぐ脇に、松江(すんごう)古墳群と呼ばれる横穴式遺跡が存在していることが知られている。

 しかし、あの辺りは、まだ観光開発がされておらず、伊豆のなかでは珍しい地域だ。
 海に突き出た大瀬崎(おせざき)から、井田、伊奈田、そして、戸田と続く駿河湾に面した地域は、観光ガイドブックの大げさな表現を借りれば、伊豆に残った唯一の秘境である。

 この方面へ向かうバスは、沼津からだと大瀬崎が終点になり、修善寺からだと、戸田までしか来ていない。従って、大瀬崎、戸田間の公共の交通機関としては、沼津から出る小さな船が日に数回あるだけである。

 車は海岸を離れて山道に入った。道は蜜柑畑のなかを縫い、やがて、欝蒼と木の茂る自然林のなかに続いていた。
 突然、視界が開け峠に出る。峠の広場に車が二台止まっていた。地図によれば、ここから伊奈田へ行く道が別れているはずだった。

 咲畑は、二人の男が立っている近くに車を寄せて、道を尋ねた。
「この道はやめた方がいい」坂江は勝間田に言ったように答えた。
「沼津から来たのだったら、そのまま、海岸沿いに大瀬崎を回って行けばよかったのに‥‥‥。しかし、ここまで来てしまったのだったら、戸田まで行って、海岸沿いに行った方がいい」坂江は親切に道順を教えた。

 礼を述べて、車は、勝間田がやって来た方向に、走り去って行った。
「我々も退散しましょう」そう言って、勝間田は自分の車に乗り込む。
 伊奈田に寄るのは諦めて店に帰るつもりだ。坂江が先に出て、勝間田は後に続いた。

 店に帰ると、渡辺が待っていた。
「お寺さんの手配はできた。真木寺の坊さんに頼んできた」
 勝間田は、お寺の手配ができたいきさつを、渡辺に話した。

「もしそうなら、他の葬儀屋はいい商売を逃したことになりますね」
 葬儀の費用は大手スーパーの旭日屋が持つようだからと渡辺は言う。

「旭日屋の課長だと言う人がいて、祭壇、施主花、供物、その他注文は、全てその人がだしました。そして、請求書は旭日屋に送ってくれともいっていました。うちに電話してきたのも、その木部という課長さんです。仏さんは八十一になるお年寄りです。旭日屋との関係は聞いてません」

 伊奈田の最高齢者が死んだらしい。仏さんが年寄りなら、お通夜も湿っぽくならないし、供物も沢山出る。商売として悪くないと思った。

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