老ヶ谷
 老ヶ谷区は、旧氣賀村の最東端で江戸時代の旅人はここより旧氣賀村へ入りました。旧油田村から明治の時代に分離し、老ヶ谷區となり、現在に至ります。しかし、老ヶ谷区は、旧氣賀村内で唯一、お神輿が通りません。(伊目区・寸座区は湖上で解釈)その為か、昭和の戦後30年代位から出引の参加を取りやめ、現在に至ります。しかし、出引・船屋台は、そのまま残っており、七夕豪雨で船屋台を流失してしまった清水区・船屋台を持っていなかった跡川区が老ヶ谷区の船屋台を借りていました。(その後両区とも新造)そんな中で最近、区の夏祭りで出引を引き廻すようになり、嘗て祗園祭を経験した人達と区内の若者が中心となってお囃子の保存会を結成し、お囃子を絶やさないよう努力しています。この機運が元となり、祗園祭に出引の復活をしていただるようになれば、益々、細江神社の祗園祭が隆盛となることでしょう。
 今年、出引の存在をを確認しましたが、現在、出引のある地区でではもっとも小さく、提灯は赤色・区名を表示する飾りは、ありませんでした。また、幕に付いている紋も確認できませんでした。