はやし浩司
今どきの「子ども」がわかる「子育て」の本 狂騒時代の子育て革命 子どもが変わる、子育てが変わる はじめに 子どもがわかんナ〜イ、 子育てがわかんナ〜イ……と 悩んでいるあなたのための、「わかる本」! それが、この本です。 ためしにどの項目でもよいですから、 一つだけ読んでみてください。 あなたはこの本が、今までの育児書とは、 内容も深さも、まったく違うことを知るでしょう。 そうです! この本は、「はやし浩司の育児論」というよりは、 私の目の前を通り過ぎた、無数の親と子の 知恵と経験をまとめた本だからです。 さあ、あなたもこの本を読んで、 あなたの子どもを変えてみませんか! あなたの子育てを変えてみませんか! おかしな時代のまともな、まともな子育て論! では、始まり、始まり……!
子どもの心が燃え尽きるとき
●「助けてほしい」 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、 助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、 してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。 一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多 いとみるか、少ないとみるか? ●燃え尽きる子ども 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減 退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、 強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。 で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとん どの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環とな って、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくな ってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。 ●原因は家庭、そして親 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経 症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、 高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことは したが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。 「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入 れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」 と。 ●休養を大切に 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者 が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう 状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合 っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。 子どもを溺愛児にしない法(溺愛を誤解するな!) 親が愛に溺れるとき ●溺愛は、愛ではない 溺愛は愛ではない。代償的愛という。いわば自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手 な愛のことだと思えばよい。この溺愛がふつうの愛と違う点は、@親子の間にカベがないこと。 こんなことがあった。 参観授業でのこと。A君(年長児)がB君(年長児)に向かって、「バカ!」と言ったときのことで ある。その直後、うしろに並んでいた母親たちの間から、「バカとは、何よ!」という声が聞こえ てきた。またこんな例も。ある母親が私のところにやってきて、こう言った。「先生、私、娘(年中 児)が、風邪で幼稚園を休んでくれると、うれしいのです。一日中、娘の世話ができると思うと、 うれしいのです。それにね、先生、私、主人なんかいてもいなくても、どちらでもいいような気が します。娘さえ、いてくれれば。それでね、先生、私、異常でしょうか?」と。私はしばらく考えて こう答えた。「異常です」と。 ほかに中学三年の息子が初恋をしたことについて、激しく嫉妬した母親もいた。ふつうの嫉妬 ではない。その母親は、相手の女の子の写真を私の前に並べながら、人目もはばからず、大 声で泣き叫んだ。「こんな女のどこがいいのですか!」と。 次にA溺愛する親は、その溺愛を、えてして「親の深い愛」と誤解する。ある高校の山岳部の 懇談会で、先生が親たちに向かって、「皆さんは、お子さんが汚した登山靴をどうしています か」と聞いたときのこと。それに答えて一人の母親がまっ先に手をあげて、こう言った。「この靴 が息子を無事、私のところに返してくれたのだと思うと、ただただいとおしくて、頬ずりしていま す!」と。 ●精神的な弱さが原因 親が溺愛に走る背景には、親自身の精神的な弱さと、情緒的な欠陥がある。それがたとえ ば生活への不安や、夫への満たされない愛、あるいは子どもの事故や病気が引き金となっ て、親は溺愛に走るようになる。が、溺愛に走るのは親の勝手だとしても、その影響は、子ども に表れる。子どもはいわゆる溺愛児と呼ばれる子どもになる。特徴としては、@幼児性の持続 (年齢に比して幼い感じがする)、A退行的になる(目標や規則が守れず、自己中心的にな る)、B服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不断)、C柔和でおとなし く、満足げでハキがなくなる。ちょうど膝に抱かれたペットのように見えることから、私は勝手に ペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではな い。 ●子どもはカラを脱ぎながら成長する 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。たとえば 子どもには、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期 を中間反抗期と呼ぶ人もいる。この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行す る。しかし溺愛児にはそれがない。ないまま、大きくなる。そしてある時、そのカラを一挙に脱ご うとする。が、簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。子「こんなオレにした のは、お前だろ!」、母「ごめんなさア〜イ。お母さんが悪かったア〜!」と。しかし子どもの成 長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラをうまく脱げない子どもは、超マ ザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好き だった」の主人公)という男性がいたが、そうなる。 ●生きがいを別に この溺愛を防ぐためには、親自身が子どもから目を離さなければならない。しかし実際には 難しい。このタイプの親ほど、「子離れをしよう」とあせればあせるほど、子育てのアリ地獄へと 落ちていく……。では、どうするか。親自身が、子育てとは別に、別の場所で生きがいを求め る。ボランティア活動でも、仕事でも。子育て以外に、没頭できるものを別に求める。ある母親 は手芸の店を開いた。また別の母親は、医療事務の講師を始めた。そういう形で、その結果と して、子どもから離れる。子どもを忘れ、ついで子育てを忘れる。 子どものウソをつぶす法(過干渉を避けろ!) 子どもがウソをつくとき ●ウソにもいろいろ ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにして つくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇 示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚 がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさ い」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。 「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思 い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言とい う。こんなことがあった。 ●空想の世界に生きる子ども ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児) が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではあり ませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」 と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、そ の母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなこと を言ってもらっては困ります!」と。 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中 で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあ とA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそ らすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。 ●「お前は自分の生徒を疑うのか!」 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で 落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの 明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常 識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情 のまま、やはりことこまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それで そのときカバンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚え ているというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……? で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞い た。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落とした という金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことが たびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、その つど、どこかつじつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親 にその女の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒し て、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の 部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その 女の子はニヤリと笑った。 ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引き さがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」とい くら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。 ●空中の楼閣に住まわすな イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせて はならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世 界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間 に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りない リアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実 であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自 覚しないのが、その特徴である。 ●ウソは、静かに問いつめる 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「も うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子 どもはますますウソがうまくなる。 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのい い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない 子ども」といった感じになる。 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。 原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。 とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまう ことになるから注意する。 子どものチックを考える法(クセと誤解するな!) 子どもがチックになるとき ●チックの子ども チックと呼ばれる、よく知られた症状がある。幼児の一〇人に一人ぐらいの割合で経験す る。「筋肉の習慣性れん縮」とも呼ばれ、筋肉の無目的な運動のことをいう。子どもの意思とは 無関係に起こる。時と場所を選ばないのが特徴で、これをチックの不随意性という。たいてい は首から上に症状が出る。首をギクギクと動かす、目をまばたきさせる、眼球をクルクル動か す、咳払いをする、のどをウッウッとうならせるなど。つばを吐く、つばをそでにこすりつけると いうのもある。上体をグイグイと動かしたり、さらにひどくなると全身がけいれん状態になり、呼 吸困難におちいることもある。稀に数種類のチックを、同時に発症することもある。七〜八歳を ピークとして発症するが、おかしな行為をするなと感じたら、このチックを疑ってみる。症状は千 差万別で、そのためたいていの親は、それを「変なクセ」と誤解する。しかしチックはクセではな い。だから注意をしたり、叱っても意味がない。ないだけではなく、親が神経質になればなるほ ど、症状はひどくなる。 ●回り道をして賢くなる? ……というようなことは、私たちの世界では常識中の常識なのだが、どんな親も、親になった ときから、すべてを一から始める。チックを知らないからといって、恥じることはない。ただ子育 てには謙虚であってほしい。あなたは何でも知っているつもりかもしれないが、知らないことの ほうが多い。こんな子ども(年長女児)がいた。その子どもは、母親が何度注意をしても、つば を服のそでにこすりつけていた。そのため、服のそでは、唾液でベタベタ。そこで私はその母親 に、「チックです」と告げたが、母親は私の言うことなど信じなかった。病院へ連れていき、脳波 検査をした上、脳のCTスキャンまでとって調べた。異常など見つかるはずはない。そのあとも う一度、私に相談があった。親というのはそういうもので、それぞれが回り道をしながら、一つ ずつ賢くなっていく。 ●原因は神経質な子育て 原因は神経質な子育て。親の拘束的(子どもをしばりつける)かつ権威主義的な過干渉(「親 の言うことを聞きなさい」式に、親の価値観を一方的に押しつける)、あるいは親の完ぺき主義 (こまかいことまできちんとさせる)などがある。子どもの側からみて息が抜けない環境が、子ど もの心をふさぐ。一般的には一人っ子に多いとされるのは、それだけ親の関心が子どもに集 中するため。しかもその原因のほとんどは、親自身にある。が、それも親にはわからない。完 ぺきであることを、理想的な親の姿であると誤解している。あるいは「自分はふつうだ」と思い 込んでいる。その誤解や思い込みが強ければ強いほど、人の話に耳を傾けない。それがます ます子育てを独善的なものにする。が、それで悲劇は終わらない。 チックはいわば、黄信号。その症状が進むと、神経症、さらには情緒障害、さらにひどくなる と、精神障害にすらなりかねない。が、子どもの心の問題は、より悪くなってから、前の症状が 軽かったことに気づく。親はそのときの症状だけをみて、子どもをなおそうとするが、そういう近 視眼的なものの見方が、かえって症状を悪化させる。そしてあとは底無しの悪循環。 ●症状はすぐには消えない チックについて言うなら、仮に親が猛省したとしても、症状だけはそれ以後もしばらく残る。子 どもによっては数年、あるいはもっと長く続く。クセとして定着してしまうこともある。おとなでもチ ック症状をみせる人は、いくらでもいる。日本を代表するような有名人でも、ときどき眼球をク ルクルさせたり、首を不自然に回したりする人はいくらでもいる。心というのはそういうもので、 一度キズがつくと、なかなかなおらない。 (参考) ●チックの症状 チックの症状は、千差万別だが、たいていは首から上の頭部に症状が表れる。ふつうでない と思われるようなクセが続いたら、このチックを疑ってみる。
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