はやし浩司

子育てストレスが子どもをつぶす01-5-7
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おかしな時代のまともな子育て
 今どきの「子ども」がわかる「子育て」の本
狂騒時代の子育て革命
  子どもが変わる、子育てが変わる                                     
はじめに

子どもがわかんナ〜イ、
子育てがわかんナ〜イ……と
悩んでいるあなたのための、「わかる本」! 
それが、この本です。
ためしにどの項目でもよいですから、
一つだけ読んでみてください。
あなたはこの本が、今までの育児書とは、
内容も深さも、まったく違うことを知るでしょう。
そうです!
この本は、「はやし浩司の育児論」というよりは、
私の目の前を通り過ぎた、無数の親と子の
知恵と経験をまとめた本だからです。
さあ、あなたもこの本を読んで、
あなたの子どもを変えてみませんか!
あなたの子育てを変えてみませんか!
おかしな時代のまともな、まともな子育て論! 
では、始まり、始まり……!



  子どもの心が燃え尽きるとき   

●「助けてほしい」   
 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、
助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、
してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ
ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。
一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多
いとみるか、少ないとみるか?

●燃え尽きる子ども
 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと
のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減
退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、
強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。
で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとん
どの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環とな
って、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくな
ってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。

●原因は家庭、そして親
 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経
症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ
つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し
て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え
た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、
高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことは
したが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。
「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入
れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」
と。

●休養を大切に
 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者
が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま
すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと
だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう
状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合
っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか
ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。
 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し
や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが
ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。



子どもを溺愛児にしない法(溺愛を誤解するな!)

親が愛に溺れるとき 

●溺愛は、愛ではない
 溺愛は愛ではない。代償的愛という。いわば自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手
な愛のことだと思えばよい。この溺愛がふつうの愛と違う点は、@親子の間にカベがないこと。
こんなことがあった。

参観授業でのこと。A君(年長児)がB君(年長児)に向かって、「バカ!」と言ったときのことで
ある。その直後、うしろに並んでいた母親たちの間から、「バカとは、何よ!」という声が聞こえ
てきた。またこんな例も。ある母親が私のところにやってきて、こう言った。「先生、私、娘(年中
児)が、風邪で幼稚園を休んでくれると、うれしいのです。一日中、娘の世話ができると思うと、
うれしいのです。それにね、先生、私、主人なんかいてもいなくても、どちらでもいいような気が
します。娘さえ、いてくれれば。それでね、先生、私、異常でしょうか?」と。私はしばらく考えて
こう答えた。「異常です」と。

ほかに中学三年の息子が初恋をしたことについて、激しく嫉妬した母親もいた。ふつうの嫉妬
ではない。その母親は、相手の女の子の写真を私の前に並べながら、人目もはばからず、大
声で泣き叫んだ。「こんな女のどこがいいのですか!」と。

 次にA溺愛する親は、その溺愛を、えてして「親の深い愛」と誤解する。ある高校の山岳部の
懇談会で、先生が親たちに向かって、「皆さんは、お子さんが汚した登山靴をどうしています
か」と聞いたときのこと。それに答えて一人の母親がまっ先に手をあげて、こう言った。「この靴
が息子を無事、私のところに返してくれたのだと思うと、ただただいとおしくて、頬ずりしていま
す!」と。

●精神的な弱さが原因
 親が溺愛に走る背景には、親自身の精神的な弱さと、情緒的な欠陥がある。それがたとえ
ば生活への不安や、夫への満たされない愛、あるいは子どもの事故や病気が引き金となっ
て、親は溺愛に走るようになる。が、溺愛に走るのは親の勝手だとしても、その影響は、子ども
に表れる。子どもはいわゆる溺愛児と呼ばれる子どもになる。特徴としては、@幼児性の持続
(年齢に比して幼い感じがする)、A退行的になる(目標や規則が守れず、自己中心的にな
る)、B服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不断)、C柔和でおとなし
く、満足げでハキがなくなる。ちょうど膝に抱かれたペットのように見えることから、私は勝手に
ペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではな
い。

●子どもはカラを脱ぎながら成長する
 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。たとえば
子どもには、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期
を中間反抗期と呼ぶ人もいる。この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行す
る。しかし溺愛児にはそれがない。ないまま、大きくなる。そしてある時、そのカラを一挙に脱ご
うとする。が、簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。子「こんなオレにした
のは、お前だろ!」、母「ごめんなさア〜イ。お母さんが悪かったア〜!」と。しかし子どもの成
長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラをうまく脱げない子どもは、超マ
ザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好き
だった」の主人公)という男性がいたが、そうなる。

●生きがいを別に
 この溺愛を防ぐためには、親自身が子どもから目を離さなければならない。しかし実際には
難しい。このタイプの親ほど、「子離れをしよう」とあせればあせるほど、子育てのアリ地獄へと
落ちていく……。では、どうするか。親自身が、子育てとは別に、別の場所で生きがいを求め
る。ボランティア活動でも、仕事でも。子育て以外に、没頭できるものを別に求める。ある母親
は手芸の店を開いた。また別の母親は、医療事務の講師を始めた。そういう形で、その結果と
して、子どもから離れる。子どもを忘れ、ついで子育てを忘れる。 


子どものウソをつぶす法(過干渉を避けろ!)

子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ
 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにして
つくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。
 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇
示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚
がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさ
い」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。
 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思
い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言とい
う。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども
 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)
が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではあり
ませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」
と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、そ
の母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなこと
を言ってもらっては困ります!」と。

 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中
で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあ
とA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそ
らすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。

●「お前は自分の生徒を疑うのか!」
 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で
落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの
明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常
識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情
のまま、やはりことこまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それで
そのときカバンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚え
ているというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……?

 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞い
た。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落とした
という金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことが
たびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、その
つど、どこかつじつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親
にその女の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒し
て、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の
部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その
女の子はニヤリと笑った。

ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引き
さがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」とい
くら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。

●空中の楼閣に住まわすな
 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせて
はならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世
界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間
に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りない
リアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実
であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自
覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる
 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「も
うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子
どもはますますウソがうまくなる。

 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのい
い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か
ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない
子ども」といった感じになる。

 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。
原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。
とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまう
ことになるから注意する。


子どものチックを考える法(クセと誤解するな!)

子どもがチックになるとき

●チックの子ども 
 チックと呼ばれる、よく知られた症状がある。幼児の一〇人に一人ぐらいの割合で経験す
る。「筋肉の習慣性れん縮」とも呼ばれ、筋肉の無目的な運動のことをいう。子どもの意思とは
無関係に起こる。時と場所を選ばないのが特徴で、これをチックの不随意性という。たいてい
は首から上に症状が出る。首をギクギクと動かす、目をまばたきさせる、眼球をクルクル動か
す、咳払いをする、のどをウッウッとうならせるなど。つばを吐く、つばをそでにこすりつけると
いうのもある。上体をグイグイと動かしたり、さらにひどくなると全身がけいれん状態になり、呼
吸困難におちいることもある。稀に数種類のチックを、同時に発症することもある。七〜八歳を
ピークとして発症するが、おかしな行為をするなと感じたら、このチックを疑ってみる。症状は千
差万別で、そのためたいていの親は、それを「変なクセ」と誤解する。しかしチックはクセではな
い。だから注意をしたり、叱っても意味がない。ないだけではなく、親が神経質になればなるほ
ど、症状はひどくなる。

●回り道をして賢くなる?
 ……というようなことは、私たちの世界では常識中の常識なのだが、どんな親も、親になった
ときから、すべてを一から始める。チックを知らないからといって、恥じることはない。ただ子育
てには謙虚であってほしい。あなたは何でも知っているつもりかもしれないが、知らないことの
ほうが多い。こんな子ども(年長女児)がいた。その子どもは、母親が何度注意をしても、つば
を服のそでにこすりつけていた。そのため、服のそでは、唾液でベタベタ。そこで私はその母親
に、「チックです」と告げたが、母親は私の言うことなど信じなかった。病院へ連れていき、脳波
検査をした上、脳のCTスキャンまでとって調べた。異常など見つかるはずはない。そのあとも
う一度、私に相談があった。親というのはそういうもので、それぞれが回り道をしながら、一つ
ずつ賢くなっていく。

●原因は神経質な子育て
 原因は神経質な子育て。親の拘束的(子どもをしばりつける)かつ権威主義的な過干渉(「親
の言うことを聞きなさい」式に、親の価値観を一方的に押しつける)、あるいは親の完ぺき主義
(こまかいことまできちんとさせる)などがある。子どもの側からみて息が抜けない環境が、子ど
もの心をふさぐ。一般的には一人っ子に多いとされるのは、それだけ親の関心が子どもに集
中するため。しかもその原因のほとんどは、親自身にある。が、それも親にはわからない。完
ぺきであることを、理想的な親の姿であると誤解している。あるいは「自分はふつうだ」と思い
込んでいる。その誤解や思い込みが強ければ強いほど、人の話に耳を傾けない。それがます
ます子育てを独善的なものにする。が、それで悲劇は終わらない。

チックはいわば、黄信号。その症状が進むと、神経症、さらには情緒障害、さらにひどくなる
と、精神障害にすらなりかねない。が、子どもの心の問題は、より悪くなってから、前の症状が
軽かったことに気づく。親はそのときの症状だけをみて、子どもをなおそうとするが、そういう近
視眼的なものの見方が、かえって症状を悪化させる。そしてあとは底無しの悪循環。

●症状はすぐには消えない
 チックについて言うなら、仮に親が猛省したとしても、症状だけはそれ以後もしばらく残る。子
どもによっては数年、あるいはもっと長く続く。クセとして定着してしまうこともある。おとなでもチ
ック症状をみせる人は、いくらでもいる。日本を代表するような有名人でも、ときどき眼球をク
ルクルさせたり、首を不自然に回したりする人はいくらでもいる。心というのはそういうもので、
一度キズがつくと、なかなかなおらない。

(参考)
●チックの症状
 チックの症状は、千差万別だが、たいていは首から上の頭部に症状が表れる。ふつうでない
と思われるようなクセが続いたら、このチックを疑ってみる。




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                     リヨン社