はやし浩司
新聞01-5-7
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中日新聞の連載が
2001年5月で、計120回を超えました!

「混迷の時代の子育て論」
「世にも不思議な留学記」
「子どもの世界・こんな問題」


混迷の時代の子育て論
世にも不思議な留学記
詳しくは、「留学記」をお読みください。
子どもの世界・こんな問題

見本(↓)です。

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さらに新聞記事をお読みくださる方は……子どもの世界へどうぞ! ●

あるいは、中日新聞「子どもの世界」へ、どうぞ!

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「混迷の時代の子育て論」

新聞で発表した原稿のうち、一部を紹介します。

混迷の時代の
子育て論・         

幼児教育家・はやし浩司(ひろし)



親の恩も遺産次第

親のめんどうをみる若者は、一九%

 「老人のような役だたずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そこで私
が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。それにそれまでに
うんと、お金を稼いでおくからいい」と。親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者が
ふえている。
 今年、総理府が、成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後のめん
どうを、あなたはみるか」と。それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たっ
たの一九%!この数字がいかに低い数字かは、たとえばアメリカ人の若者の、六〇数%。さら
に東南アジアの若者たちの、八〇〜九〇%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数
字は、三年前(平成六年度)の数字より、四ポイントもさがっている。このことからもわかるよう
に、若者たちのドラ息子ドラ娘化は、ますます進行している。
 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均一
七万円(九五年度、M新聞調査)。この額は、平均的サラリ−マンの年収(六五〇万円)の、三
割強。だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパ−トに出て働く。そして
それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。が、肝心の大学生諸君は、大学生とは名ば
かり。大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている!先日も京都に住む、自分の息子の生活
を見て、驚いた母親がいた。冬だったというが、一日中、電気スト−ブはつけっぱなし。毎月の
電話代だけでも、数万円も使っていたという。
 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強…と言われてきたん
だから、何をいまさら」ということになる。「親のメンツのために、大学へ行ってやっている」と豪
語する子どもすら、いる。今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、一〇%もいない
のではないか。大半の高校生は、「行ける大学・行ける学部」という視点で、大学選びをする。
あるいはブランドだけで、大学選びをする。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけ
で卒業できたという学生もいた(新聞の投書欄)。
 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、私た
ち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。私の話は、すでに一世
代前の話だというわけである。私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。「今でも、
毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけでも、月に四
万円もかかります」と。しかし…。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。



幼児教育を、一口で言え

いい子にする条件とは何か

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるんだ。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、豪快(?)な、父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。
 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心が養われる。そればかりではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この
忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす。
 その忍耐力。よく「うちの子はサッカ−だと、一日中しています。そういう力を勉強に向けてく
れたら」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけで
ある。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。たとえば台所の生
ゴミを手で始末できるとか、寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができるとか、そういう力
をいう。こんな子ども(年中・女児)がいた。
 その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのおばあさんのめんどうをみるの
が、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、こう話してくれた。「おばあさん
が口から食べ物を吐き戻すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。こういう子ども
は、学習面でも伸びる。なぜか。
 もともと勉強というのは、いやなものだ。中学生でも、高校生でも、「勉強が好きだ」という子ど
もは、どこかおかしいと思ってよい。まともな子どもなら、嫌って当然。そのいやな勉強をする原
動力が、ここでいう忍耐力ということになる。反対に、その力がないと、(いやだ)┳(しない)┳
(できない)┳…の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。
 …こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「使うといっても、やらせることがありません」
と。「部屋といっても、三DK。掃除はあっという間に終わってしまうし、洗濯は、全自動の洗濯
機。食材は、食材屋さんが、毎日、届けてくれます」と。今、ほとんどの幼児にとって、家の手伝
いといえば、靴並べに、箸並べ。その程度ということになっている。「手伝いのメニュ−を書いて
くれ。そのとおりにするから」と言ってきた、母親もいた。
 子どもを使うということは、子どもを家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえば親が、重い
荷物を運んでいたとすると、子どものほうからサッと手伝いにくる。庭の草むしりをしていたら、
やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むことをいう。何をどれだけさ
せればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それが、「いい子にする条件」
ということになる。



プッツンする子どもたち

まじめな子どもの落とし穴

 ある日、突然、無気力になってしまう子どもは、今、珍しくない。以前、ある幼稚園の先生がた
に協力してもらい、無気力になっている子どもを調べたことがある。その結果、何をするにも無
気力な『完全無気力児』が、三〇名中、一〜二名。学習面なら学習面だけというように、『部分
無気力児』が、三〇名中、二〜三名もいることがわかった。
 ここで私は「突然」と書いたが、その前段階としての症状が、ないわけではない。たいていの
子どもは、それ以前から、腹痛や下痢、チック症などの神経症状などを訴える。同時に、はく息
が臭くなったり、顔色が悪くなり、子どもらしいハツラツとした表情が消えたりすることもある。ぐ
ずりや、暴力行為を繰り返すこともある。原因は、言うまでもなく、神経質な子育てに過負担。
こんな子ども(年長男児)がいた。
 おばあさんは、「まじめないい子です」と喜んでいた。聞くと、毎日一、二時間、ひらがなやカタ
カナのワ−クするという。「最近では、漢字も書きます」と。しかしワンパク盛りの子どもが、二
時間も机の前に座っているほうが、おかしい。やがてその子どもは、目にものもらいができ、周
囲にヤニがたまるようになった。眼科でみてもらい、症状は一応消えたが、そのあと、異常なま
ばたきをするようになった。チック症である。が、おばあさんは、それをクセと誤解した。チック
症の意味すら理解できなかった。
 が、ある日を境にして突然。小学校へ入ってまもなくのことだが、その子どもが、大好きだっ
たはずのテレビゲ−ムにも、見向きもしなくなってしまった。学校から帰ってきても、部屋に閉じ
こもったまま、ぼんやりとしはじめた。そこでまたあの眼科の先生に相談すると、「塾が原因で
す」と。その子どもは、音楽教室も含めて、その時、四つの塾に通っていた。そこで塾をすべて
やめたが、その子どもはそのまま完全無気力児になってしまった。いわゆるプッツンしてしまっ
たわけである。
 幼児教育の世界には、いくつかの誤解がある。その一つが、「すなおな子ども」。一般では、
従順で、静かで、親や先生の言うことをハイハイと聞く子どもが、すなおな子どもということにな
っている。しかしこれは誤解。こういう子どもほど、何を考えているかわからない。またそれだけ
にストレスをためやすく、それが情緒障害や精神障害の原因となることもある。幼児教育の世
界では、「自分の思っていることを、すなおに口に出して言える子ども」を、すなおな子どもとい
う。イヤだったら、「イヤだ」と言う。そういう子どもをすなおな子どもという。
 本来、子どもはそういう「すなおな子ども」にしなくてはいけない。いわんや過干渉や強圧で、
子どもが反抗できないほどまでに、抑えこんではいけない。抑えこめば抑えこむほど、子どもが
プッツンする確率は、高くなる。くれぐれもご注意!



子育ては条件反射

息子を殴った親は、手乗り文鳥だった

 手乗り文鳥は、子育てをしない。雛をかえすところまではするが、そのあと、育てない。私の
飼い方がまずいのかもしれないが、いつもそうなる。手乗り文鳥は、自分自身が親鳥に育てら
れた経験がない。だから子育てができない。
 こんな父親がいた。中学一年生になる息子を、げんこつでぶん殴ったという父親だ。理由を
聞くと、「息子が友だちから借りたCDを返さなかったからだ」と。私が「何も、そこまでしなくて
も」と言うと、その父親はこう言った。「私は、まちがったことが大嫌いだ」と。
 極端に甘い親、極端にきびしい親というのは、たいがい不幸にして不幸な家庭で育った人だ
と思って、ほぼまちがい、ない。あるいはそういう親ほど、子育てで失敗しやすい。自分の中
に、しっかりとした『親像』がないため、そうなる。ある父親は子どもをひざに抱きながらも、いつ
も「これでいいのか」「どの程度抱けばいいのか」と悩んでいた。また別の母親は、よい母親で
あろうという気負いばかりが先行して、「自然な子育てができない」と悩んでいた。
 …と考えていたら、身近でもこんなことがあった。大学時代の下宿のおばさんが、何十年ぶり
かで遊びにくることになった時のことである。おばさんは八〇歳近くになっていたが、困ったの
は女房。「何を食べるの?」「ふとんはどうするの?」と。女房は、老人と同居した経験がない。
一方、私は、生まれながらにして、祖父母と同居していた。つまり私は、老人の扱い方を知って
いた。知っていたというより、老人との同居生活が身にしみこんでいた。だからその時、あれこ
れ女房を指導したのは、私のほうだった。
 子育てを一々、考えてする人などいない。どの人も、「頭の中ではわかっているのですが、つ
いその場になると…」と言う。つまり子育てというのは、条件反射のかたまりのようなもの。しか
もその条件反射は何かということになると、自分が子ども時代に受けた、『体験』そのものとい
うことになる。親は子育てをしながら、結局は自分が受けた子育てを再現しているにすぎない。
もう少し具体的な例では、離婚家庭で育った子どもは離婚しやすいということもわかっている。
 そこで結論。もしあなたが、あなたの子どもに将来、幸せな家庭をつくってもらいたいと願って
いるなら、今、この時点で、幸せな家庭というものがどういうものであるか。また立派な父親や
母親がどういうものであるかを、しっかりと見せておかねばならないということ。教えるのではな
く、そういう家庭で包んであげる。もっと言えば、それらを体にしみこませておく。やがて子ども
は自分で家庭をもったとき、子どもはその体験を繰り返す形で、自分の家庭をつくる。子ども
を、決して、手乗り文鳥にしてはいけない。



砂場の守護霊たち

私は人生で必要なものを、すべて砂場でなくした

 ある晴れた日。どこかの公園。子どもたちが五、六人、そのすな場で遊んでいる。が、子ども
たちだけではない。少し離れたところでは、遠慮がちに母親たちが、守護霊よろしく、それを取
り囲んでいる。どこにでもある見慣れた風景だが、しかし…、
 親が過保護になる背景には、必ず原因がある。そしてその原因に応じて、過保護の内容もち
がう。ある子どもは、生後まもなくから、生きる・死ぬの大病を繰り返した。だからその親は、健
康面や食事面で子どもを過保護にした。また別の親は、子どもを交通事故でなくした。だから
その弟を、一切、外で遊ばせなかった。しかし何が悪いかといって、子どもを精神面で過保護
にすることぐらい、悪いことはない。「近所のA君は、悪い子だから一緒に遊ばせない」とか、
「外でいじめられるのがかわいそうだから、外へ出さない」というのが、それである。こういう環
境で育つと、子どもは社会性の欠落した子どもになる。「社会性が欠落する」というのは、たと
えばブランコを横取りされても、抗議ができないとか、殴られてもそれに反発できないことをい
う。『温室育ち』ともいう。社会のきびしさを知らないから、それだけ何かあると、ストレスをため
やすい。
 幼児の世界は、いわば動物の世界。喧嘩やいじめは、日常茶飯事。喧嘩やいじめを容認す
るわけではないが、そういう経験をとおして、子どもはたくましくなる。喧嘩やいじめがまったくな
い世界などというものはないし、喧嘩やいじめがまったくないほどまでに、子どもの世界を監視
してはいけない。子どもは、ますますひ弱になってしまう。最近いじめの問題がクロ−ズアップさ
れていることもあり、子どもどうしのささいなトラブルですら、「そら、いじめだ!」と言って、保育
園や幼稚園で飛び込んで行く人がいる。しかし子どもどうしのトラブルは、一に静観、二にがま
ん。園に相談に行くのは、そのあとであよい。…というようなことを、以前、ある本に書いたら、
それに猛然と抗議してきた読者がいた。「あなたは教育者として失格だ。いじめの本質がわか
っていない」と。東京在住の読者だった。しかし幼児の世界では、いじめといっても、悪ふざけ
の延長。陰湿かつ執拗ないじめというのは、まだほとんど、ない。とっ組みあいの喧嘩をして、
顔中にひっかき傷をつくってきても、狼狽しないことだ。
 その砂場。平和だ。平和すぎる。ボスもいなければ、子分もいない。スコップの取り合いもな
いし、場所の取り合いもない。何か困ったことがあれば、そのそぶりだけをすればよい。そうす
れば、うしろにひかえている、守護霊たる母親が、サッとやってきて助けてくれる。もちろん喧嘩
などない。ありえない。日はうららか。子どもたちはのどか。しかしこういう環境で、子どもたち
は、ますますひ弱になっていく。「私は、人生で必要な知識をすべて、砂場でなくした」ということ
にならなければ、幸いだが。



やっぱり、あなたは…?

子育て段階論

 子育ては、次の六期に分けて考えることができる。まず第〇期。子どもが生まれてから、保
育園や幼稚園に入園するまでの時期をいう。この時期、子どもは完全に親の保護下にある。
 第一期。子どもが小学校に入学するまでの時期をいう。私はこの時期を、「夢と希望の時期」
と呼んでいる。子どもが少しボ−ルを蹴っただけで、親は、「将来はサッカ−選手に」と思ったり
する。あるいは少しピアノの鍵盤をたたいただけで、「うちの子は音楽の才能がある」と喜んだ
りする。
 第二期。小学校へ入ってから受験期を迎えるまでの時期をいう。私はこの時期を、「期待と、
落胆の時期」と呼んでいる。子どもがたまに、一〇〇点をとってきたりすると、親は子どもに限
りない期待を寄せる。しかし反対に悪い点をとってきたりすると、「そんなはずはない」と思いつ
つも、がっかりしたりする。
 第三期。子どもの受験期をいう。私はこの時期を、「地獄と絶望の時期」と呼んでいる。この
時期、たいていの親は、子どもの壮絶なまでの受験競争に巻き込まれる。血相そのものまで
大きく変わる人もいる。ある母親は、「進学塾の明かりを見ただけで、カッと血が頭にのぼりま
した」と言った。
 第四期。受験期が終わり、子どもの将来像が、ある程度はっきりしてくる時期をいう。私はこ
の時期を、「あきらめと悟りの時期」と呼んでいる。「いろいろやってはみたけれど、あなたは結
局はふつうの子だったのね」と、親は悟る。そして親も我が身を振り返りながら、「なんのことは
ない。私だって、ふつうの人間ではないか」と。
 第五期。子どもが子どもでなくなり、親子が対等になる時期。私はこの時期を、「対等の時
期」と呼んでいる。この時期になって、親子の上下意識は消え、親と子が対等の立場になる。
 この最後の第五期になると、たいていの親はこう思うようになる。「健康で、毎日を元気に生
きてくれればよい」と。もう少し消極的に、「世間に迷惑さえかけなければよい」と思う人もいる。
「健康でありさえすればよい」と思う人もいる。夢も希望もことごとくつぶされると、たいていの親
は、そう思うようになる。親の期待は、そこまで落ちる。しかしそれは悪いことではない。その段
階になってはじめて、親は自分の親の存在を知る。自分の親もまた、自分という人間を育てる
ために、同じような思いでいたことを知る。そしてこう悟る。「自分の子どもによい子になってほ
しいと思うなら、自分がまず、そのよい子になることだ」と。つまり、それまで下しか向いていな
かった目が、上を見るようになる。子どもを育てたいと思うなら、親孝行をする。それが子育て
の結論ということになる。



最初の一撃で決まる、不登校

学校なんか行かなくても…

 たった一度の強い衝撃が、子どもの心をゆがめる。…というケ−スは、多い。ある女の子(三
歳児)は、一度はげしく叱られたのが原因で、それ以後、一人二役の独り言を言うようになって
しまった。また別の男の子(年中児)は、祖父に強く殴られたのがきっかけで、自閉症になって
しまった。先日もテレビを見ていたら、失語症になってしまった若い女性が出てきた。彼女の両
親は彼女が十歳の時、目の前で惨殺されたという。戦時下のサラエボで起きた、悲惨な事件
だ。彼女が失語症になったのは、それが原因だった。
 私も毎年、一、二名の不登校児をかかえている。そういう子どもをもつ親と話していると、彼ら
には一つ、共通点があるのがわかる。それは「学校とは行かねばならぬところ」という、確信と
も、信念ともいえるものをもっていることだ。私が「いいじゃないですか、学校など。行きたくなけ
れば行かなくても」と言うと、目を白黒させて驚く。不登校児の問題は、まずこの呪縛から親を
解き放つことからはじめる。
 ふつう、教師仲間の間では、「五月、半年。九月、一年」という。五月に不登校を起こせば、半
年。九月に起こせば、一年は覚悟せよという意味だが、親にしてみれば、半年どころか、一ヵ
月でも長い。「自分の子どもが落ちこぼれていくのではないか」という恐怖感の中で、悶絶す
る。しかしあせればあせるほど、逆効果。無理して学校へ連れて行けば行くほど、症状は悪化
する。M君(小一)のケ−スも、そうだ。
 ある朝突然、M君は、学校へ行きたくないと訴えた。トイレに入ったまま出てこなくなってしま
った。そこで母親はドライバ−でトイレの鍵をはずし、M君を外へ連れだした。そしてギャ−ギ
ャ−と泣き叫ぶM君を、「わがまま」と決めつけ、学校の門のところまで連れていった。M君は
車のドアにしがみつき、さらに大声で泣き叫んだ。で、結局その日はあきらめてM君を家へ連
れて帰ったが、母親はその時の様子を、こう話してくれた。「帰りの車の中では、鼻唄まで歌っ
ていました」と。典型的なうつ型児童の不登校である。

 もしこの時点で、つまり、最初にM君が「行きたくない」と訴えた時、「そうね。誰だってそう思う
ことがあるわよ」と、親側が軽く受け流していてあげたら、M君の症状は、それほど悪化しない
ですんだはずだ。たった一度…と思うかもしれないが、その一度が、子どもの心を変えてしまう
というケ−スを、私は山のように知っている。私はM君の母親に、「半年はがまんして、何も言
ってはいけない。学校という言葉も使ってはいけない」とアドバイスしたが、母親はそれを守らな
かった。一週間もすると、また電話がかかってきた。「今日、また学校へ行ってみましたが無駄
でした」と。私は強くその母親を責めたが、こういうことを繰り返すうちに、症状はますます悪化
する。M君は今、小学五年生だが、以後、数年間、不登校を続け、今も断続的にしか学校へ
行っていない。



子どもを愛せない母親たち

あんたさえいなければ!

 親だから、子どもを愛しているはずだと考えるのは、正しくない。今、夫にも言えず、子どもを
愛せないで悩んでいる母親は、多い。十人に一人は、いる。「子どもを愛していない」と口にす
ることは、母親としての自分自身を否定することになる。だからこのタイプの親は、葛藤する。
(愛さねばならない)という気持ちと、(愛することができない)という自分の間で、悩む。いろい
ろなケ−スがある。
 ある母親は、今の子どもを妊娠したため、いやいやながら結婚した。だから子どもに何かあ
るたびに、「あんたさえいなければ!」と、子どもに怒鳴りちらしていた。また別の母親は、自分
の長男が、大嫌いな義父そっくりな顔をしていたので、「どうしても好きになれない」と訴えた。さ
らに別の母親は、酒乱で毎晩あけくれる祖父が原因で、子どもへの愛情をなくしてしまった。
「子育てが、わずらわしくてしかたない」という人もいる。中には、愛していないということに気づ
かないまま、子育てを続ける人もいる。子どもにはげしい暴力を加える人は、たいていこのタイ
プの親だと思ってよい。
 そういう母親から相談を受けるたびに、私はこう言うことにしている。「無理をしないで、居直り
なさい」と。つまり「愛していないことを、隠したり、それを悪いことだと思わないこと。それはそ
れとして前向きに受け入れることです」と。この居直りが、母親の心に穴をあける。そしてそれ
が子育てを正常にする。まずいのは、その穴をあけないまま、自分の中に、ダブル構造をつく
ってしまうばあいだ。
 二重人格という言葉がある。一人の人間の中に、まったく別の人格が宿ることをいう。ある母
親はこう言った。「ふだんは、自分の子どもをかわいいと思います。しかし一度、私のほうが怒
りだすと、心底、子どもが憎くなるのです。それでどちらが本当の自分か、わからなくなってしま
います」と。子どもが小さいうちならまだしも、このダブル構造は、子どもが大きくなるにつれて、
ますますはっきりとしてくる。そしてそれが原因となって、親子の間に、大きな亀裂をつくる。親
子が断絶してしまうケ−スもある。
 そうならないためにも、まず「わだかまり」を取る。あるいはその前に、何がわだかまりかを知
る。それがわかるだけでも、問題の半分は解決したとみる。ふつうわだかまりは、心の奥底に
潜んでいて、なかなか姿を見せない。そして人間を、裏からあやつる。子どもを愛せない原因
をさがしていったら、どうやら妊娠した時の、妊娠恐怖症が発端ではなかったかという人もい
た。
 子どもを愛せないなら愛せないで、それはそれとして、そのエネルギ−をほかのことに向け
ればよい。「私は私。あなたはあなた」という考えは、むしろ子どもには歓迎すべきことかもしれ
ない。そのほうが、子どもはたくましく育つ。



幼児期に決まる、国語力

幼児教育とは、幼稚教育?

 以前…と言っても、もう二〇年以上も前のことだが、私は国語力が基本的に劣っている子ど
もたちに集まってもらった。そしてその子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどうちがうかを
調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。
・使う言葉がだらしない。ある男の子(小学二年)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」とい
うような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま戦国自衛隊と
いう映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこう言っ
た。「先生、スゴイ、スゴイ。バババ…戦車…バンバン。ヘリコプタ−、バリバリ」と。映画の内容
は、まったくわからなかった。
・使う言葉の数が少ない。ある女の子(小学生)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウフン」だけで会
話が終わるとか。何を聞いても、「マアマア」と言う、など。
・正しい言葉で話せない。そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの子も
外国語を話すように、照れてしまって、できなかった。
 原因はすぐわかった。その中の一人の母親に、そのことを告げると、その母親はこう言った。
「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ…」と。
 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんづく母親の言葉能力によって決まる。毎
日、「帽子、帽子!ハンカチ!ハンカチ!バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい
て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうばあいは、たとえめんどうで
も、「帽子をかぶりましたか。ハンカチをもっていますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあげ
ねばならない。…と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読
んであげているから」と。
 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水
がごとく、ペラペラと本を読む子どもが現れる。しかしたいてい、文字を音にかえているだけで、
内容はまったく理解していない。そういうときは、本を読んであげるときも、また本を読ませると
きも、一頁ごとに、その内容について質問してみることだ。「クマさんは、どこへ行きましたか」と
か、「ウサギさんは、どんな気持ちですか」と。そういう問いかけが、子どもの国語力をみがく。
 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人も多い。しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本は、幼児期に決まる。それ
を私は言いたかった。



学校なんて、壊れてしまえ

学歴制度の陰でゆがむ心

 インドのカ−スト制度を笑う人も、日本の学歴制度を笑わない。どこかの国の、カルト信仰を
笑う人も、自分たちの学校神話を笑わない。その中にどっぷりとつかっていると、自分の姿が
見えない。
 少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商制度にかえて、学歴制度をおい
た。最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。明治一一年の
東大の学生の七五%が、士族出身だったという事実からもそれがわかる。そして明治政府
は、いわゆる『学校出』と、そうでない人を、徹底的に差別した。当時、代用教員の給料が四円
(明治三九年)。学校出の教師の給料が一五〜三〇円。県令(県知事)の給料が二五〇円(明
治一〇年)。一円五〇銭もあれば、一世帯がまあまあの生活ができたという。そして今に見
る、学歴制度ができたわけだが、その中心に居すわっていたのが、官僚たちによる官僚制度
である。たとえて言うなら、文部省が、総本山。各県にある教育委員会が、支部本山。そして学
校が、末寺ということになる。
 こうした一方的なものの見方が、決してすべてだとは思わない。教育は誰の目にも必要だっ
たし、学校はそれを支えてきた。しかし盲信はいけない。ミソもクソも、ありがたがってはいけな
い。どんな制度でも、行き過ぎたとき、弊害を生む。日本の学歴制度は、明らかに行き過ぎて
いる。学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができるし、そうでない人は、何か
につけて損をする。この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。多すぎる。
親たちは、日常の生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。だから子どもに勉強を
強いる。もし文部省が本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が学歴に関係
なく、人を採用してみることだ。
 過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育はにっちもさっちもいか
ないところまできていると、私は思う。東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで
授業を終了しようという、午後閉鎖論まで、公然と議論されるようになってきている。それだけ
公教育の荒廃が進んでいるということだが、問題はこのことでもない。学歴信仰にせよ、学校
神話にせよ、犠牲者はいつも子どもたちだということである。今の、この時点においてすら、受
験という人間選別のふるいの中で、どれだけ多くの子どもたちが苦しみ、そして傷ついているこ
とか。そしてその時受けた傷を、どれだけ多くのおとなたちが、今もひきずっていることか。そ
れを忘れてはならない。ある中学生はこう言った。「学校なんて、爆弾か何かで、こっぱみじん
に壊れてしまえばいい」と。これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。嘘だと
思うなら、あなたの、あるいは近所の子どもたちに聞いてみることだ。子どもたちの心は、そこ
まで痛んでいる。



ズル休みは、心の風穴

明日は、父と旅行をします

 私が子どものころは、何かにつけて、「学校、学校…」と言われた。耳にタコができるほどだっ
た。「学校の先生の言うことを聞くのですよ」「学校で、しっかり勉強するのですよ」と。学校は絶
対であるという、学校神話が、日本中を覆っていた。そして今も覆っている。そしてそれが息苦
しいほどまでに、子どもたちの心を押しつぶしている。
 そこで私はもう二〇年も前から、親には「ズル休み」を勧めている。あちこちの本にも書い
た。つまり「幼稚園や学校を休ませ、子どもと一緒に遊べ」と。
 私もなんどとなく、このズル休みを実行したが、あのとき私が感じた解放感を、今でも忘れる
ことができない。美術館へ行っても、遊園地へ行っても、どこもがらあきだった。動物園へ行っ
たときには、入口から出口までに、一人しか行き会わなかった。私はそのときほど親として、子
どもを教育しているという実感を味わったことはなかった。
 もちろん問題はある。休ませるときは、先生に、「法事だ」とかなんとか、最初は嘘を言わさせ
ていた。が、そのうちそれがいやになり、子どもたちには本当のことを言わせるようにした。「明
日は、父と旅行をしますから休みます」と。しかしそういう連絡をすると、幼稚園や学校の先生
は、自分が否定されたかのように反発する。「そんなことをすれば、学校に遅れます」とか、「集
団教育ができなくなります」とか。一人、「義務教育なのだから、そういうことは困ります」と言っ
てきた先生もいた。しかし念のため申し添えるなら、二〇歳未満の子どもに「法的義務」は、そ
もそも存在しない。義務教育の「義務」というのは、「親は、親がもつ子どもの教育権を、国に預
ける義務がある」という意味での義務である。私はその義務まで、否定しているわけではない。
 こういう姿勢が、日ごろからあれば、たとえ子どもがある日突然、「学校へ行きたくない」と言
いだしても、親は狼狽しないですむ。「ああ、そう。誰だって、時には、学校へ行きたくないことも
あるよ」と言って、すますことができる。つまりこういう「いいかげんさ」が、子どもの心に風穴を
あける。そしてその風穴が、子どもの心を正常にする。
 …と私が言うと、たいていこんなことを心配をする親がいる。「ズル休みをさせると、それが休
みぐせになることはありませんか」と。しかし心配、ご無用。休んだ次の日というのは、子どもは
晴々とした顔で、幼稚園なり学校へ行くもの。嘘だと思うなら、一度でよいから、試してみること
だ。そうそうこんな子ども(小三)がいた。なんでも月曜日の朝早く、よく父親と魚釣りに行くとい
うのだ。だから月曜日の朝は、そのたびに学校に遅刻する、と。そこで私が、「先生に叱られな
いか」と聞くと、その子どもは笑ってこう言った。「だって、いつも魚を一匹、もっていくもん」と。
実にさわやかな感じがした。
 まじめに生きるだけが人生ではない。人生にはズル休みも、時には必要だ。



「死」があるから「生」がある

ペットがはぐくむ、心の教育

  子どもがペットを飼うというのには、特別の意味がある。オーストラリアには、子どもの誕生日
にペットを贈るという習慣があるくらいだ。ペットを飼うということを、いわゆる情操教育の柱にし
ている。子どもの本といえば、たいていは動物の本で、しかもその写真集が多い。子どもはペ
ットを通して、ほかの生物との共存のしかたを学ぶ。ペットの生死を通して、生物の生死を学
ぶ。ペットを愛することによって、心のつながりを学ぶ。そればかりではない。ペットが、子ども
の心をいやしたり、子どもの心を育てることもある。ある母子家庭の子どもは、ネコを飼ってい
たが、もしそのネコがいなかったら、その子どもの心はゆがんていたかもしれない。私自身も、
高校時代から手乗り文鳥を飼っているが、その文鳥のおかげで、いろいろな面で、たいへん救
われた。そんなわけで、もし場所と、機会があれば、私はためらわず子どもには、ペットをもた
せることを勧める。ネコや犬が一般的だが、ほかにもいろいろな小動物がいる。こんな子ども
(五歳児)がいた。
 ある日のことである。教室の中に、一匹のクモが迷い込んできた。そのクモを見て、ほとんど
の子どもは悲鳴をあげ、教室の中で逃げ回っていた。が、そのH君だけは、そのクモのところ
へ行き、両手で抱くようにしてクモをつかまえた。そしてそのクモをそっと外へ逃がした。これに
は私も驚いた。で、数日後、私はそのH君のお母さんと話し合う機会があったので、その理由
をたずねると、こう教えてくれた。なんでもH君の家は、家中、ペットだらけだというのだ。鳥、
犬、ネコは言うにおよばず、トカゲにイモリ、ヤモリなど。虫という虫は、ほとんどいるとのこと。
お父さんが大の動物好きで、散歩に行ってはいろいろな動物をつかまえてくるという。こういう
環境が、H君のような動物好きの子どもを育てた。
 私も雑種だが、犬を飼っている。その犬を見て、友人のアメリカ人はいつも「かわいそうだ、
かわいそうだ」と言う。なんでも犬を、庭先の犬小屋で飼うなどということは、アメリカ人には想
像もつかないことだそうだ。で、私が、「日本ではこうして犬を飼うのがふつうだ」と言うと、「それ
はまちがっている。犬は友だちだ」と。犬の飼い方にも、国民性というものがあるらしい。
 最後に一言。「死」があるから、「生」のすばらしさがわかる。だから「死」をそまつにしてはい
けない。もし死んだペットを、ゴミのように捨てれば、子どもは「死」というものは、そういうものだ
と思う。つまり生きるということは、そういうことだと、子どもは思う。それは子どもにとって、とて
も不幸なことだ。…だから、ペットが死んだ時は、「これが教育だ」と思い、その死をていねいに
弔うこと。これは子どもにペットを飼わせる時の、原則だと、私は思う。



子育ては許して忘れるの連続

ふつうの価値

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。
 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま国体の元水泳選手という人が、近くで魚釣りを
していて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられながらも、
「生きていてくれるだけでよい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解
決するから不思議である。特に次男は、ひどい花粉症で、春先になると、決まって毎年、不登
校を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も
女房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでよい」と考えることで、乗り
切ることができた。
 私の母は、いつも「上見てきりなし、下見てきりなし」と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。朝起きると、子どもがそこ
にいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをして
いる…。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中には、すばらしい価
値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決す
る。
 子育てというのは、つまるところ、『許して忘れる』の連続。聖書の言葉らしいが、英語では、
「Forgive and Forget」という。私はこの言葉が大好きだ。フォ・ギブ(許
す)というのは、「与えるため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得るため」とも訳せ
る。つまり「許して忘れる」というのは、「相手に愛を与えるために許し、相手から愛を得るため
に忘れる」ということになる。これは私の勝手な解釈によるものだが、子どもを愛するということ
は、そういうことではないだろうか。
 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。先日もこんな相談をしてきた若い母親がいた。東京在住の読者だが、
「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。この先、将来が心配で
ならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭をかかえてしまう。(幼児
教育家・浜松市在住)



家庭で暴れる子ども

よい子がクセもの!

 ある日の午後。一人の母親がやってきて、青ざめた顔で、こう相談した。「娘(年長児)が、包
丁を投げつけます!どうしたらよいでしょうか」と。話を聞くと、どうやら「ピアノのレッスン」という
のが、キーワードになっているようで、母親がその言葉を口にしただけで、その子どもは豹変し
た。「その直前までは、ふだんと変わりないのですが、私が『ピアノのレッスンをしようね』と言っ
たとたん、別人のようになって暴れ回るのです」と。
 典型的なうつ型児童の家庭内暴力である。このタイプの子どもは、幼稚園などの『外』の世界
では、信じられないほど「よい子(?)」を演ずる。柔和でおとなしく、静かで、その上、従順だ。
しかもたいてい繊細(せんさい)な感覚をもっていて、頭もよい。ほとんどの先生は、「ものわか
りがよい、すなおなよい子」という評価をくだす。しかしこの「よい子」というのが、クセものであ
る。子どもはその「よい子」を演じながら、その分、大きなストレスを自分の中にためこむ。そし
てそれが心をゆがめる。
 子どもの(そしておとなの)人格というのは、さまざまな経験や体験。それに苦労を通して完成
される。つまり生まれながらにして、人格者というのはいないし、いわんや幼児では、さらにいな
い。もしあなたが、どこかの幼児を見て、「よくできた子」という印象を受けたら、それは演技だ
と思ってまずまちがいない。つまり表面的な様子には、だまされないこと。
 ふつう情緒の安定している子どもは、外の世界でも、また家の中の世界でも、同じような様子
を見せる。裏を返せば、もし外の世界と家の中の世界と、子どもが別人のようであると感じた
ら、その子どもの情緒には、どこか問題があると思ってよい。一つの例として、かん黙児と呼ば
れる子どもがいる。このタイプの子どもは、家の中ではふつう以上によくしゃべる反面、外の世
界では貝殻を閉ざしたように、まったくしゃべらない。
 そこで私はこの母親にこうアドバイスした。「カルシュウムやマグネシュウム分の多い食生活
にこころがけながら、スキンシップを大切にすること。次に、これ以上、症状をこじらせないよう
に、家では抑えつけないこと。暴れたら、『ああ、この子は外の世界ではがんばっているのだ』
と思いなおして、あたたかく包んであげること。叱ったり、怒鳴ったりしないで、言うべきことは冷
静に言いながらも、その範囲にとどめること。このタイプの子どもは、スレスレのところまではし
ますが、しかし一線をこえて、あなたに危害を加えるようなことはしないので、暴れたからといっ
て、あわてないこと。ピアノのレッスンについては、もちろん、もう何も言ってはいけません」と。



進む男児の女性化

パンツは花柄パンツ

 この話とて、もう一五年も前のことだ。花柄模様の下敷きを使っている高校生がいたので、
「おい、パンツも花柄か?」と冗談のつもりで聞いたら、その高校生は、ま顔でこう答えた。「そ
うだ」と。
 その当時、男子高校生でも、朝シャンはあたり前。中には顔面パックをしている高校生もい
た。さらにこんな事件があった。市内のレコードショップで、一人の男子高校生が、白昼堂々と
強姦(?)されたというのだ。その高校生は店内で五、六人の女子高校生に囲まれ、パンツま
でぬがされたという。こう書くと、軟弱な男子を想像するかもしれないが、彼は体格も大きく、高
校の文化祭では一人で舞台でギター演奏したような男子である。私が「どうして、声を出さなか
ったのか」と聞くと、「怖かった」とポツリと答えた。
 それ以後も男子の女性化は明らかに進んでいる。今では小学生でも、いじめられて泣くの
は、たいてい男児。いじめるのはたいてい女児という構図が、すっかりできあがっている。先日
も一人の母親が私のところへやってきて、こう相談した。「うちの息子(小二)が、学校でいじめ
にあっています」と。話を聞くと、小一のときに、ウンチを教室でもらしたのだが、そのことをネタ
に、「ウンチもらしと呼ばれている」と。母親はいじめられていることだけを取りあげて、それを
問題にしていたが、ウンチもらしと呼ばれたら、相手の子どもに「うるさい!」と、一言怒鳴って
やれば、ことは解決するはずである。しかもその相手というのは、女児だった。
 女子が男性化するのは時代の流れだとしても、男子が女性化するのは、どうか。私はなに
も、男女平等論がまちがっていると言っているのではない。男子は男子らしく、女子は女子らし
くという、高度なレベルで平等であれば、それはそれでよい。しかし男子はいくらがんばっても、
妊娠はできない。そういうちがいまで乗り越えて、男女が平等であるべきだというのは、おかし
い。いわんや、男子がここまで弱くなっていいものか。
 原因は言うまでもなく、『男』不在の家庭教育にある。保育園でも幼稚園でも、教師は皆、女
性。家庭教育は母親が主体。小学校でも、女性教師の割合が、六〇%を越えた(浜松市教育
委員会調べ)。現在の男児たちは、『男』を知らないまま、成長し、そしておとなになる。あるい
は女性恐怖症になる子どもすら、いる。しかももっと悲劇的なことに、限りなく女性化した男性
が、今、新時代の父親になりつつある。「お父さん、もっと強くなって、子どもの教育に参加しな
さい」と指導しても、父親自身がそれを理解できなくなってきている。そこでこういう日本が、今
後どうなるか。
 かつてフランスは、第一次大戦後、繁栄を極めた。パリは花の都と歌われ、芸術の町として
栄え、同時に男性は限りなく女性化した。結果、ナチスドイツの侵略には、ひとたまりもなかっ
た。果たして日本の未来は?