はやし浩司
実例集
《自閉症の子ども 》
【Q】子どもの心がぞっとするほど、冷たくなったように感じます。私がほうちょう で指先を切っ たときも、無表情のままそれを見つめていました。 ●一人二役の独り言を言うようになったU子さん(二歳児) それまでもU子さんは神経質そうな子どもで、いつも落ち着かない様子でそわそわしている面 がありました。よく大声で泣きわめいたり、かんしゃく発作を起こすこともありました。が、ある日 のこと。風呂からお湯を止めるのを忘れて出てきてしまいました。お母さんが気がついたときに は、隣のじゅうたんの部屋まで、プールのようになっていたといいます。そこでお母さんは泣き じゃくるUさんを逆さづりにして、お尻を何度もたたきました。 その直後からです。Uさんの様子がおかしくなりました。話しかけても自分勝手なことをワーワ ーと言いながら、突然カーテンを引きちぎったり、戸だなの中のものを次々と引き出したりする など。が、何よりもお母さんをびっくりさせたのは、その日を境に、一人二役の独り言を言うよう になったことです。私のところに相談があったのは、その直後のことでした。「気持ちが悪くてな りません。Uの中にまったく別の二人の人格が住んでいるようで……」と。 このUさんは小学校へ入学するまで私の教室へ通ってくれましたが、症状はそのときだけの 一過性のものですみました。ただよく観察すると、どこか言動がちぐはぐで奇異なところは入学 前まで残っていたように思います。 《自閉傾向のある子ども 》 【Q】幼稚園から帰っても、一人静かに紙ちぎりやブロックで遊んでいます。能力的 にはふつう だと思うのですが、どこか心が通じなくなってきました(年少児)。 ●天才児と誤解されたA君(年長児) 最初A君がお父さんとお母さんに連れられて私の教室へ来たとき、お父さんはこう言いまし た。「この子には、無限の可能性があるように思うのです。本人は理解しているかどうかわから ないのですが、テレビでも見る番組は、高校生相手の理科番組だけです。ああいう番組なら、 いつまでもじっと見ています。それにブロック遊びが好きで、幼稚園から帰ってくると、そればか り何時間でもしています。たいへんな根気力で、私はそういう根気力を勉強のほうに向けてくれ たら、すばらしい子どもになると思うのです。ただ私や家内は忙しいため、あの子の勉強をほと んどみてやることができません。そのため、文字や数がまるでだめなんです。そのあたりを集 中的に教えてやってください」と。 そして横にいたお母さんがA君に、「よろしくお願いしますと言いなさい」と言ったときのことで す。A君は、その言葉をそのままオウム返しにして、「よろしくお願いしますと言いなさい」と言い ました。私はA君が、自閉傾向の強い子どもだと判断しました。 こういう場合、私は無力でしかありません。しかも天才児と思い込んでいる親に向かって、「そ うではありません」とは、たいへん言いにくいものです。その子どもの症状と問題点を両親に説 明するのに、そのあと数時間もかかりました。
《かん黙する子ども 》
【Q】家の中ではふつうに会話をしたり、話をしたりしますが、幼稚園ではまったく しゃべりませ
ん。貝殻が閉じたように口を閉ざし、無口になります。 ●怒って出て行ってしまった、M君(年長児)のお母さん M君は場面かん黙児でした。ふとしたことがきっかけで、かん黙してしまうのです。たとえば、 一人ずつ順に意見を発表するようなとき、かん黙してしまうなど。皆と笑ったり、はしゃいだりす るときは、何ともありませんでした。 私は当然M君のお母さんは、M君のそういうむずかしい面を知っているものとばかり思って いました。その日もそうでした。ほかに七、八名のお母さんがいたこと、それにその直前までM 君はしゃべっていたものですから、つい油断してM君をさしてしまったのです。が、M君はとた んにかん黙! まったくしゃべらなくなってしまいました。ジリジリとした緊張感が父兄の間に流 れました。私も参観のお母さんが多かったということもあり、何とかM君にしゃべらせようとしま した。しかしM君は私を見つめたまま、口をますますかたく閉ざしてしまいました。そのときのこ とです。M君のお母さんがうしろから、「M!」と声をかけました。M君はギクッとしました。すか さず私も、「お母さん!」と、M君のお母さんをさえぎりました。そしてその時のお母さんの気持 ちをなだめようと、「今日はどうも気分が悪いみたいですね」と言いました。この一言がお母さん のプライドを大きく傷つけたようです。お母さんは突然立ち上がると、「どこも気分なんか悪くあ りません! M! 一緒に帰るのよ!」と、M君を連れて部屋から出て行ってしまいました。 《過敏な子ども 》
【Q】感覚が繊細すぎて、周囲の人に痛々しいほど神経をつかいます。いつも心のど こかで神
経をはりつめているようで、自分の子ながら、一緒にいると疲れます。 ●いつもオドオドしていたMさん Mさんは年中児のときから、私の教室へ来ていましたが、いつも周囲に神経をはりめぐらして いるかのように、オドオドしていました。能力的にはふつうでしたが、無理な家庭学習が、その 症状を悪くしていました。少し緊張したりすると、声が震えるなど。表情もかたくなり、ときにポロ ポロと涙をこぼすこともありました。 Mさんが年長児になったある日のことです。お父さんから電話がかかってきて、「あなたはう ちの娘を萎縮させてしまった。責任をとってもらう」と。寝耳に水とはまさにこのことです。事情を 聞くと、いつも参観に来ていたおばあちゃんが、どうやらまちがった情報を、お父さんに伝えて いたことがわかりました。Mさんのおばあちゃんは、教室が終わるとすぐ、「どうしてもっとハキ ハキしないの! おばあちゃんは、恥ずかしい」と、Mさんを叱り続けていました。 そこである日、私はそのおばあちゃんに、「Mさんを叱ってはだめだ。叱っていい子と、そうで ない子がいる。Mさんは、その叱ってはいけないタイプの子どもです」と。それに対しておばあ ちゃんは、今でもなぜそのとき、そう言ったのかはわかりませんが、私にこう反論しました。「わ たしゃね、こう見えても、息子を、○○大学 (旧国立一期校) まで出したんですよ!」と。 ●すぐ涙を見せたKさん(年中児) Kさんは、始終笑みを絶やさない、柔和でやさしい子どもでした。人なつっこく、幼稚園で私の 姿を見たりすると、あたりかまわず走ってきて、私の胸に飛びついてきたりしました。やや遅進 傾向がありましたが、穏やかな家庭環境で育ったためです。お父さんもお母さんも心静かな、 やさしい人でした。が、そのKさんは、ちょっとしたことですぐ涙をこぼしました。 たとえば順に子どもをさしていくときでも、Kさんは立っただけで涙をポロポロと流すのです。 その直前までは、ニコニコ笑っていても、です。参観に来ていたお母さんも、そういうKさんの姿 を見て、つらく思ったのでしょう。そのたびにあとで私に「どうしてでしょうか?」と聞いてきまし た。私は、「あれは涙ではありません。緊張した時に出る、冷や汗のようなものです。気にしな いように」と言いました。事実その通りです。その瞬間を過ぎると、Kさんはすぐもと通りの笑み を取り戻していました。 そのKさんは、小六まで私の教室にいましたが、その傾向は結局、最後まで続きました。静 かにほほえんでいるその向こうに、いつも別の「心」があるといったふうで、そういう点では 時々、教えにくく感ずることもありました。しかし年齢とともに気力も強くなり、涙を見せる回数は どんどん減っていきました。 《夜尿症の子ども 》 【Q】年長児になってからも、週に一、二度、おねしょをします。寝る前に水分をと るのをひか えさせるとか、いろいろしていますが、効果がありません。 ●悪戦苦闘した、S君(年長児)のお母さん 夜尿症の相談は多く、また懇談会の席などでもよく話題になります。その中でも、特に悪戦苦 闘したというのが、S君のお母さんでした。とにかく、できることは何でもしたというのです。「病 院へも何度か足を運びました。薬も飲ませました。日中、汗をかかせるといいと聞いたので、そ れもしました。夜中に、毎晩トイレへ連れていくこともしました。あるいは水分を減らし、夕食後 は一滴も水を飲ませないようにしました。が、すべて無駄でした」と。そして「そこまでしているに もかかわらず、朝、Sがおねしょをしたとわかると、はげしい絶望感に襲われました」と。 S君はやや遅進性があるものの、穏やかな性格の子どもで、遊ぶときには、思う存分遊ぶタ イプの子どもでした。どこか神経質そうなところがあることは気にはなっていましたが、だからと いって問題があるようにはとても見えませんでした。 そしてそれから数年後。私がふとS君のことを思い出して、お母さんに、「それからどうなりま したか?」と聞いたときのことです。お母さんは感慨深そうに、こう話してくれました。「あのあと しばらくしてから、私は腹を決めました。ようし、あと数年は覚悟するぞってね。したければし ろ! って、宣言をしたのです。そうしたら気が楽になったのですが、多分それで子どもも気が 楽になったのでしょう。あとで気がついたら、いつの間にかSのおねしょはなおっていました」 と。 《夜驚症の子ども 》 【Q】真夜中に突然狂ったように叫び出し、顔をひきつらせ、体をけいれんさせて暴 れます。子 どもが何かにとりつかれたようで、こわくなってしまいます。 ●部屋中を走り回る、N君(小二男児) N君はか細い印象を与える男の子でした。顔は透き通るように白く、眉間にはいつも青筋が たっていました。そんなN君のお母さんからある日、「どうしたらいいのかわからないので、助け てほしい」という電話がありました。N君の夢中遊行で悩んでいるというのです。 お母さんの話によれば、N君は一度夢中遊行を起こすと、それから一週間ほど毎夜のように 発作を繰り返すとのこと。それもたいていは就寝後しばらくしてからで、突然ギャーギャー泣き わめきながら、部屋中を走り回るのだそうです。「わけのわからないことを大声でしゃべるの で、気味が悪くてなりません。私が抱きとめ、ほっぺたを何度もパンパンとたたくのですが、そ の私の顔を見て、さらにおびえて泣くのです」と。 そこで様子を聞くと、N君はその最中に、おしっこをもらすということがわかりました。お母さん は「おしっこをしたいという緊張感が、夢中遊行につながるのではないかしら」と言いましたが、 尿意が引き金になることは、夢中遊行の場合よくあります。しかしN君の場合、やはり原因は 日中受けるストレスにあるようでした。N君のお母さんはたいへん神経質な人で、N君自身も過 干渉児ぎみなところがありました。狭い公団住宅に住んでいましたが、そうした住環境も影響し ていたように思います。 《チックがある子ども 》
【Q】年長児になるころから、妙な咳払いを始めました。最初は病気かなと思ってい たのです
が、どこも悪くありません。クセというには、変なクセです。 ●「チックではない」と言い張った、M君(年長児)のお母さん M君は長男でした。お父さんは実業家で、浜松市内でスーパーのチェーン店を経営していま した。当然熱い期待がM君に注がれました。 そのM君が幼稚園でチックを現し始めました。あごを手前に引くようにして、不定期にウッウ ッと喉をならすのです。幼稚園の先生がお母さんに「チックです。何か思い当たることはありま せんか」と連絡しました。が、お母さんは「チックではありません。あれはあの子のクセです」と 言い張りました。そして私のところへ相談に来ました。私は一時間だけ、M君を教室へ座らせ てみることにしました。で、座ったとたん、M君は喉をウッウッとならし始めました。明らかにチッ クです。 私は「やはりチックです」と言ったのですが、お母さんは「チックではありません。あれはあの 子のクセです」と。そこで私はチックについて、その意味などから説明しました。お母さんはチッ クをどうやら誤解していたようです。お母さんはチックというのは、吃音、つまり言葉をどもらせ ることだと思っていました。 お母さんは子育てに神経質な面があったことをすなおに認め、それが原因でチックになった ことを反省してくれました。その後このM君は、小学二年生になるまで私の教室へ来てくれまし たが、最後の最後まで、チックの症状は消えませんでした。 《赤ちゃんがえりをする子ども》
【Q】下の子が生まれてから、妙にネチネチした言い方をし始め、体をすりよせてき ます。指し
ゃぶりをまた始め、最近ではおねしょまでするようになりました。 ●考えることをやめてしまったR子さん(年中児) 最初教室へ来た時もR子さんは、お母さんの体から離れることができませんでした。体をダラ ダラさせ、お母さんの体にぴったりと自分の体をすりよせたままでした。無理にR子さんだけを 前の席につかせようとすると、「ウギャアー」と泣いてしまいます。私はR子さんと、お母さんに並 んで座ってもらうことにしました。 が、R子さんは、ほとんど私のほうを見ません。ひざに抱かれた赤ちゃんがよほど気になると みえて、その赤ちゃんと同じように、お母さんの胸に自分の顔をこすりつけようとしています。い ろいろと何かを訴えているのですが、どれも赤ちゃん言葉で、私には意味がわかりませんでし た。名前を聞いても、「ウニャ、ウニャ」と答えるのみです。 何とか絵をかかせようとしたときのことです。体をななめにして鉛筆をもってくれたところまで はよかったのですが、ぐにゃぐにゃの線だけで、紙をぬりつぶしてしまいました。考えるより前 に、考えることそのものを放棄してしまっているかのようでした。お母さんは、「下の子が生まれ る前は、まだしっかりと絵をかいていました」と、苦しそうに笑って見せましたが、R子さんは能 力そのものまで、赤ちゃんのレベルまで退行させてしまっていました。お母さんはたいへん神経 質な人らしく、そのたびに私の目を盗んでは、きつい顔でR子さんをにらみつけていたのが、私 には印象的でした。 《ストレスをためやすい子どもー内弁慶》
【Q】集団の中にいるときと、家の中にいるときの様子がまるで違います。集団の中 では借りて
きた猫の子のようにおとなしいのですが、家の中では乱暴です。 ●遊具を取られても、なにも言えなかったU君(年長児) U君は、幼稚園の中では、たいへん静かでした。まったく目立たないと言ってもよく、いつも一 人ぼっちで、無言のまま先生の指示に従っていました。が、ある日、その私のところにお母さん から電話がかかってきました。U君が毎晩寝る前になると、「幼稚園へ行くのがいやだ」と、大 声を出して暴れるというのです。 私には思い当たるふしがまったくありません。確かにU君は静かでしたが、U君なりに楽しん でいるように見え、幼稚園をいやがっているようにはとても思えなかったのです。そこで私はU 君をしばらく観察してみることにしました。結果、いくつかのことがわかりました。U君は隣の席 の子どもが、U君のものを取ったり使ったりしても、何も文句を言えなかったのです。私が「U 君、自分のものだから使ってはだめと言いなさい」と指示しても、U君はやはり柔和な表情をす るのみでした。内心ではかなり不愉快に感じているらしいのですが、それすらU君には表現で きませんでした。 園庭で遊んでいるときも、同じでした。ほかの子どもたちはU君がもっているものを、遠慮なく U君から取りあげ、それで遊んでいました。 U君はそのつど、強い不満をもったのですが、それをうまく発散できないため、ここでいうスト レス児になってしまったと考えられます。 《愛情が不足している子ども(育児拒否) 》
【Q】赤ちゃんがえりをした姉(五歳児)が、どうしても好きになれません。妹をい じめているの
を見たりすると、激しい体罰を加えてしまいます。 ●うさぎをすべり台の上から落としたD君 「ふだんは父親らしくできるのですが、D(五歳男児)が何か失敗したりすると、ついカッとなっ て手が出てしまいます」と、H君のお父さんは言いました。「自分の中に二人の父親がいるよう で、どちらが本当の自分なのかわかりません」とも。 お父さんが手を出すときのパターンは、いつも決まっているとのこと。お父さんがD君に何か をしてくれと頼んだとき、瞬間、そのD君がキッとにらみ返す……、とたん「何だ、その目つき は!」……バシッ!、となるのだそうです。 私が「心の中に、何か大きなわだかまりはないですか」と聞くと、「今は家内とうまくいっていま すが、結婚した当時は、いつも夫婦喧嘩ばかりしていました。もともと結婚するつもりはなかっ たのですが、何となく一緒になったという感じで、そのうちDが生まれてしまったというわけで す。それで私にも父親としての自覚はありませんでした」と。 そのD君が小学二年生になったときのことです。これはほかの父兄から聞いた話ですが、D 君が動物当番の日に、学級で飼っていたうさぎを、すべり台の上から落として殺してしまったと いうのです。このことはその学校で大きな事件として問題になり、お父さんが学校へ呼び出され るところとなりました。そのあとお父さんがほかの父兄に、「Dの心がここまでゆがんでいるとは 思ってもみなかった」と話したと、私は聞きました。 ●自転車で体当たりを繰り返した、S君(年長児) S君は、生まれつき遅進傾向があった子どもですが、その上、家庭は崩壊寸前でした。お母 さんは二度離婚を経験し、そのときも別の男性と同居していました。そのS君は幼稚園でも、有 名な乱暴者でした。たとえば握りこぶし大の石を、近くに駐車してある車に向けて投げたり、畑 に植えてある花を棒で叩いてつぶしてしまったりするなど。砂を投げつけて、友だちを泣かすな どということは日常茶飯事でした。 お母さんはたいへんきびしい人で、そのたびにS君をはげしく叱ったのですが、効果はまった くありませんでした。S君は叱られているときでも、視線を相手に合わせようとせず、ふてぶてし い態度をとりました。そしてとうとうほかの子どもに大けがをさせるという事件を引き起こしてし まいました。あろうことか、自転車で体当たりを繰り返し、一人の子どもの腕を骨折させてしま ったのです。 そのS君を見ていた人がいました。その人から話を聞くと、とても遊びでふざけ合っているよう には見えなかったいいます。「あの子はいつも全速で走って、本気で体当たりをしてました。い つかこういうことになるのではないかと心配してました」と。 やがて近所の子どもたちからも嫌われ、親たちからもマークされるようになり、S君はますま すひとりぼっちになっていきました。 《分離不安症の子ども 》
【Q】私が近くにいるときは、穏やかでやさしい表情をしていますが、私が少しでも 離れると、別
人のように泣き叫び、あとを追いかけてきます(年中男児)。 ●半年間、お母さんと勉強したOさん(年中児) Oさんは私の教室へ来たその日から、お母さんのそばを離れませんでした。お母さんが無理 に離そうとすると、体をくねらせ、時にギャーッと泣きだしたりしました。が、だからといって学習 中ずっとそうだったかというと、そうでもなく、お母さんの息を近くに感じている間は、結構楽しそ うに笑ったりはしゃいだりして学習していました。 そのOさんのケースでは、お母さんはたいへん教養が高く、むしろもの静かなやさしい人でし た。そんなお母さんなのに、どうしてそうなるのか、私は最初不思議でなりませんでした。私が 「決して無理をしてはいけません。慣れるまで横で一緒に座ってあげてください。ぐずることにつ いては一切説教をしないように。ただ『穏やかに接する』の一念だけをもって接するように」と言 うと、お母さんは静かにはにかみながら、「よろしくお願いします」と答えました。 そんなOさんでも、集団に慣れ、お母さんの手を離れるまでに半年かかりました。それまでお 母さんはずっといつも横にすわり、Oさんと一緒に勉強しました。参観に来ているほかの父兄 の手前もあり、お母さんもつらかっただろうと思いますが、お母さんはそれに堪えてくれました。 そのOさんは、その後もずっと私の教室に来てくれ、数年前中学に入 りましたが、今ではそういう過去の様子は、まったく見られません。 《神経症の子ども 》
【Q】下痢が続いたので病院へ行きましたら、心因性の下痢だと言われました。私は ふつうの
子育てをしているつもりです。自信がなくなってしまいました。 ●まじめすぎたY君(小一) 最初Y君の異常なしぐさに気づいたのは、おじいさんでした。Y君がさかんに目をまばたきさ せるのです。しかし、おじいさんはそれがチックだとは気づきませんでした。 Y君はたいへんまじめな子どもで、幼稚園児のときは、いわゆる典型的な「いい子」と評価さ れていました。何をさせてもそつがなく、先生に言われたことはきちんと守り、またそれをしたか らです。それにY君はがんばり屋でした。 おじいさんはY君を眼科へ連れて行きました。医師は軽い炎症があることを知って、慢性のも のもらいだと診断し、いくつかの薬を使うようにと指示しました。が、一ヵ月たってもY君の異常 なまばたきはなおりませんでした。そこで再度病院へ行くと、医師は「チックです。過負担が原 因だから、ピアノ教室や英語教室をやめなさい」と。 おじいさんはあわてて、それらの教室をやめさせました。が、とたんにY君に、無気力症状が 出てきました。学校から帰ってきても、部屋の中でぼんやりとしているだけで、何もしようとしな いのです。好きなはずのテレビアニメを見ているときも、上の空といったふうになってしまいまし た。Y君はいわゆるプッツンしてしまったわけですが、まじめな子どもほど、神経症になる確率 が高くなりますから、注意します。
《拒否症の子ども 》
【Q】「字を書こうね」と言っただけで、体をこわばらせてしまいます。無理に書か せようとする
と、それにはげしく抵抗し、泣きだしたりします(年中児)。 ●「名前を書こうね」と言ったら、涙ぐんだS君(年中児) S君は遅進性のある子どもでしたが、お母さんはそれを認めず、「みんなに遅れるから」とい う理由で、かなり無理な学習をS君に強いていました。夏休みも近くになったころ、私がそのS 君に名前を書いてもらおうと思ったときのことです。私が「名前を書いてごらん。きっとじょうず に書けるよ」と声をかけたのですが、S君は鉛筆を強く握ったまま、体をこわばらせてしまいま した。紙をじっとにらみつけたままです。明らかに拒否症状です。そこで私がそのことを参観に 来ていたお母さんに告げると、お母さんは即、「そんなはずはありません。うちではちゃんと書 いています。うちの子が今、字を書かないのは、私が幼稚園へ迎えに行くのが遅れたたからで す」と。そしてそのS君に向かっては、「そうでしょ! あんたが字を書かないのは、お母さんが 迎えに来るのが遅れたからでしょ! ちゃんと先生にそう言いなさい!」と。S君はそれに応じ て、力なくウンウンとうなずいているだけでした。典型的な過干渉ママの会話です。 そのS君は、その少し前までは、たどたどしいながらも、自分の名前を書いていました。そこ で私が、「あまり書き順などにはこだわらないほうがいいですよ」と、お母さんに言うと、お母さ んは「先生のような人がそういう指導するとは信じられません」と一言。お母さんは書き順や字 体を教えるのが、文字学習だと思っていたようでした。 《情緒が不安定な子ども 》
【Q】毎日様子が変化し、自分の子どもながら、腫れ物にふれるかのような不安感を 覚えま
す。ちょっとしたことでカッとなったり、反対に機嫌がよくなったりします。 ●始終ニヤニヤ笑い始めた、Nさん(年長児) Nさんのお父さんは、ずっと単身赴任で、隣の県で仕事をしていました。お母さんは洋装店を 経営していたため、Nさんは伯母さんの手で育てられていました。Nさんが二歳半のとき、お父 さんが赴任先から戻ってきたのですが、お父さんはうつ型気質の人で、ささいなことでNさんに 八つ当たりをし、Nさんを蹴ったり殴ったりしました。年に一、二度、Nさんはそのために大けが をし、救急車で病院へ運ばれることもあったといいますから、ふつうではありません。 が、一方、伯母さんはNさんを猫かわいがりしました。私の教室へはその伯母さんが連れて きました。「何とか本物の父親像を、先生を通して見せてあげたい」というのがその理由でし た。 しかしNさんが教室でみせた様子は、明らかに異常でした。ニヤニヤしていたかと思うと、突 然ギャーと泣きだし、伯母さんのほうへ走っていったりしました。やっとの思いで席につかせる と、今度は何がおかしいのかわからないのですが、やはり突然ゲラゲラ笑い出したり、隣の子 どもにおおいかぶさったりしました。私も注意したかったのですが、こわくてそれもできませんで した。伯母さんはその様子に強いショックを受け、まっ青な顔で体を細かく震わせていました。 《欲求不満の子ども 》
【Q】何を考えているかわからないようなところがあり、「思っていることを言いな さい」と言って
も、ぐずぐずして言いません。はがゆくてたまりません。 ●強度の過干渉で、ぐずになってしまったU君(年長児) 年中児の時、U君は私の教室へ来ましたが、一見してU君が過干渉児であることがわかりま した。性格が内閉し、言動が萎縮していました。人前では覇気がなく、顔色もどんよりと曇って いました。 ある日のことです。ちょっと先に帰った別の子どもが、忘れ物をしました。私はすかさず近くに いたU君に、それを持って追いかけさせようとして、「U君! これを○○君に渡してください!」 と叫びました。 が、U君はノソノソと私のところへやってきて、やはりノソノソとその忘れ物を受け取り、そして 同じようにノソノソと教室を出ていきました。私は内心「これでは追いつけない」と思いました が、案の定しばらくするとU君はその忘れ物をもったまま戻ってきて、「もう帰っちゃった……」 と。 私は意を決してU君のお母さんに事情を説明しました。しかし開口一番お母さんは、「あの子 はああいうぐずな子どもです。ビシビシと叱ってやってください」と。私はお母さんに反論しなが ら、「原因はお母さんにあると思うのですが……」と言ったのですが、お母さんは、「いえ、うちの 子は生まれたときからぐずでした」と主張して、一歩もゆずりませんでした。 ●小学校入学時に急変したF君(小一) F君はたいへん性格の安定した子どもで、お母さんも「こんなに子育てが楽でいいのかしら」と 思うほど、いい子でした。伸びやかで、明るく、幼稚園でもいつもリーダーでした。が、そのF君 が小学校へ入学してから急に変わりました。 学校から帰ってくると、ソファに体を沈めたまま、話もしなくなってしまったのです。お母さんが 心配して「どうしたの?」と聞いても、黙っているのみ。幼稚園のときの先生に相談すると、「入 学時には多かれ少なかれ、どの子もそうなりますよ」とのこと。 しかしその症状は六月になっても消えませんでした。いつもイライラしているふうで、時にお母 さんにつっかかってくることもありました。注意すると、そのまま外へプイと出て行ってしまうので す。 そのうち毎朝F君がぐずるようになりました。お腹が痛いとか、気持ちが悪いとか。友だちの ことをあれこれ言いながら、ああだこうだと不平を言うこともありました。で、近所の子どものお 母さんに相談すると、その子どももそうだというのです。どうやら原因は学校の先生にあるよう でした。若くてやる気満々の先生だったのですが、たいへん神経質な先生で、自分の設定し た、ある一定のワクからはみ出る子どもを、徹底的に叱っていました。F君は、先生の考える、 そのワクに入らない子どもだったようです。 《伸びる子ども 》
【Q】教えたわけでもないのですが、うちの子どもは小三ぐらいまでの漢字なら自由 に読み書き
します。兄から教わり、掛け算も覚えてしまいました(年長男児)。 ●最初、問題児と誤解したH君(年長児) 頭のいい子どもは少なくありませんが、その中でも特に頭のいい子どもというのは、いつも静 かに落ちついています。時に周囲の人すべてを見くだすかのような、落ちつきさえ見せます。最 初年中児でやってきたH君を、私は、そのあまりの静けさゆえに、何か問題のある子どもだと 誤解してしまいました。が、日を追って、それがとんでもない誤解であることを思い知らされまし た。H君は、彼にしてみればあまりにも幼稚っぽい環境に、自分をなじませることができなかっ ただけでした。 H君は年長児になるころには、小二で学習する二桁の足し引き算を、ほぼ暗算ですることが できましたし、漢字もやはり小二程度のものなら自由に読み書きできました。が、私がなにより も驚いたのは、箱の立体図を、平気でかいていたことです。この時期、箱の立体図をかける子 どもはほとんどいません。まねをしてかかせても、つぶれたような箱をかくのがふつうです。私 はH君を二年飛び級させ、小二のクラスへ入れましたが、H君はそこでもいつも最上位の力を 示しました。 現在H君は、小学二年生ですが、小学六年生と一緒に学習しています。「天井がない子ども」 とは、まさにH君のような子どもをいいます。こういう子どもに接していると、遺伝子そのものが 違うのではないかとさえ思ったりします。 《勉強が苦手な子ども・学業不振 》 【Q】勉強というと嫌がり、無理にさせるとダラダラと時間ばかりつぶします。学習 意欲がまる でなく、気が散るのか、五分もじっとすわっていません。 ●時間つぶしをする、S君(小一) はじめてS君が私の教室へ来たのは、小一の夏休みのときでした。もともと遅れが目立つ子 どもでしたが、カバンの中のワークを見て私はびっくりしました。算数だけで三、四冊も入ってい ました。しかも難解なものばかりです。 が、教室の席にすわったとたん、S君はソワソワするばかりで、まったく落ちつきません。勉 強がいやでたまらないといったふうでした。私の説明はいつも上の空。プリントを与えても、考 えているふりをするだけで、まったく手をつけようとしません。いわゆる時間つぶしの名人といっ たふうでした。時々強く注意をしてみたのですが、効果はその瞬間だけ。次の瞬間には、もとに 戻ってしまいました。明らかに無理な学習が、S君のやる気をつぶしてしまっていました。 お母さんに、家庭学習のあり方を根本から考えなおしたほうがよいとアドバイスしましたが、 お母さんは「学校の勉強に遅れるから」と、それに強く抵抗しました。実際、小学校へ入学する までに一度勉強嫌いにしてしまうと、以後立ちなおるということはまずありません。家庭のリズ ムそのものがそうなっているからです。仮に多少できるようになっても、その段階で、お母さん はまた無理をします。この繰り返しの中で、子どもはますます無気力になっていきます。S君は まさにそういうタイプの子どもでした。 《知的な遅れが目立つ子ども》 【Q】年齢に比して、文字、数の理解が遅れ、年中児になったのですが、名前はおろ か数字も 書けません。絵をかかせても、グニャグニャな絵になってしまいます。 ●「ぼく、勉強、嫌いだもん」と言ったS君(年長児) S君は、早産で生まれたこともあり、全体に発育が不良で、弱々しい印象を与えました。顔も 青白くて、行動も鈍く、幼稚園でもよくいじめられました。 ただお母さんがたいへん愛情深い人で、そんなS君を見ながらも、いつも温かくS君を包んで いました。少なくとも幼稚園へ入ったころには、遅進傾向があるのは別として、S君にはまだ明 るく伸びやかな面が残っていました。が、年中児の中ごろになると、いろいろな面で遅れが目 立ってきました。お母さんはそれを知ると、次第にあせり始めました。そこで学習雑誌を購入 し、続いていくつかの教材を買い込んで、特訓を始めました。とたんS君の顔から明るさが消え ました。私がお母さんに、「無理してませんか?」とたずねると、お母さんは、「小学校へ入って からのことを考えると、心配で心配で……」と。 しかしやがてS君に無気力症状が出てきました。文字や数に興味を示さないばかりか、ほか の子どもたちがワイワイと作業しているようなときでも、一人、ぼんやりとしていることが多くなり ました。明らかに(できない)┳(逃げる)┳(できない)の悪循環に陥っているのがわかりまし た。 そしてある日、年長児になったS君は、か細い声で私にこう言いました。「ぼく、学校へ行きた くないもん」と。S君の心は、明らかに傷ついていました。 《睡眠不足の子ども 》
【Q】学校の参観日でのこと。うちの子は授業中大きなあくびばかりを繰り返し、集 中力もなく、
体をもてあましていました(小一男児)。 ●慢性的な睡眠不足から、遅進児になってしまったSさん(年長児) Sさんは、家庭の事情で、おばあさんの手だけで育てられました。街でみかけても、いつもお ばあさんと手をつないで歩いていましたが、このSさんは、年中児で私の教室へ来たときには すでに、完全な睡眠不足児になっていました。生活のリズムそのものが、おばあさんのそれと 同じだったからです。 最初私はSさんを、ぼんやり型の遅進児と誤解しました。顔に生彩がなく、始終ボーッとして いたからです。が、そのうちSさんは瞬間的には、鋭いひらめきを見せることがあるとわかり、 ここでいう睡眠不足児だと知りました。私はおばあさんに、睡眠時間を守るようにとアドバイスし ました。が、そのおばあさんには、事の重大さが理解できなかったようです。口先では「はいは い」と言いながら、それに続く言葉で、「でも私の言うことなんか、きかないのですよ……」と、こ ぼしていました。 Sさんは友だちと遊ぶようなときは、むしろ興奮状態になり、活発に遊ぶのですが、机に向か ったとたん、ボーッとしてしまいました。そして年長児になるころには、そういう症状に合わせ て、口を半開きにし、うつろな目で、周囲を意味もなく見回すという症状が出てきました。もちろ ん学習効果はほとんどありません。教えても教えても、それがそのままどこかへ消えていってし まうような、そんな感じになってしまいました。 《虚言癖のある子ども 》 【Q】嘘を嘘と自覚しないまま、嘘をつきます。問いつめてもどこまでも嘘をつき、 それがあた かも現実であるかのように話をします。静かでいい子なのですが……。 ●月謝をなくしたというSさん(小三) Sさんは年中児のときから私の教室へ来ていましたが、そのころから虚言癖があるのに私は 気づいていました。が、とりたてて大きな問題にはならなかったので、それはそれとして、黙認 してきました。しかし年齢とともに嘘が多くなり、たとえばこんな会話をしたのを覚えています。S さんが宿題を忘れたときのことです。Sさんはその理由として、「おじいちゃんのお葬式があっ たから」と言いました。私は同じ理由をその半年ぐらい前にも聞いたことがあったので、「おじい ちゃんが二度も死んだのか」と言うと、今度はことこまかに葬式の様子を説明し始めました。 が、事件はその後しばらくして起こりました。Sさんが、「月謝をバスの中で落とした」というの です。で、話を聞くと、その月謝袋の中にあったアンケート用紙だけは、カバンの中に残ってい るというのです。アンケート用紙をカバンの中に残したまま、月謝だけをバスの中で落とすとい うことはありえない状況でした。そこでいろいろ問いつめていくと、落としたときの様子をこと細 かく説明し始めました。Sさんは明らかに嘘を言っていました。落としたら落としたで、落としたと きの様子など覚えているはずはないのです。 お父さんに電話をかけると、お父さんは激怒し、「私の子はそんな娘ではない。あんたは教師 のくせに自分の生徒を疑うのか!」と。反対に私のほうが叱られてしまいました。 《自慰をする子ども 》
【Q】私が眠ったふりをしていると、年長児の息子がペニスを、おしりのあたりにこ すりつけて
きます。明らかに固くなっているのがわかります。 ●お母さんのおしりにペニスをこすりつける、D君(年長児) 最初その相談は私のほうではなく、女房のほうにありました。D君のお母さんからのもので、 「最近、息子の様子がおかしい」と言うのです。話を聞くと次のようでした。 ある夕方疲れて横になって寝ていると、D君が横に並び、そっと触れるか触れないかぐらい の微妙な手先で、お母さんの胸やお腹をさわりだしたというのです。お母さんはそれにすぐ気 づきましたが、動いて拒否すると、何だか子どもの心を傷つけるようで、それもできなかったと いいます。で、我慢していると、今度はお母さんのうしろからD君は、ペニスをお母さんのおしり にこすりつけてきました。小さいながらも、勃起しているのがわかったそうです。 ますますお母さんはそれを拒むことができなくなり、ずっとがまんしていたのですが、そのうち 耐えられなくなり、グズグズと起きるふりをしてみせたところ、D君はパッと体を離し、その場か ら走って逃げていったというのです。お母さんは「こういうことがたび重なるようになり、悩んでい る」と。 お母さんは溺愛ママタイプのお母さんで、その上、少し過干渉ぎみでした。D君は、人前でま ったく目立たない子どもで、やや遅進傾向のある子どもでした。D君の家庭は、いわゆる疑似 母子家庭。お父さんは仕事で、ほとんど家にいませんでした。 ●明るく活発なのに、指しゃぶりを続けたNさん(年長児) Nさんは年長児になってから私の教室に来ましたが、その時でも指しゃぶりをしていました。 が、Nさんには指しゃぶりする子どもにありがちな、遅進性はまったく見られませんでした。明る く活発で、反応もはやく、たとえば私が「今日は元気そうだね」と言うと、ケラケラと笑いながら、 「先生は、元気がないわ。どうして」と言い返したりしました。 が、このNさんは、いつも指しゃぶりをしていました。最初のころは一時間の授業の間に、そ れこそ五分おきぐらいにたしなめたのですが、まったく効果がありませんでした。私がふと気を 許すと、スーッと指を口の中に入れるのです。何かの作業をしているときも、私の話を聞いてい るときも、です。 そのNさんにも意外な面がありました。一人ずつ皆の前に立って歌を歌うことになったときの ことです。Nさんは、ふざけるだけで、前には立ったものの、まったく歌を歌おうとしないのです。 何度か私はきびしく注意しました。しかしNさんはケラケラと笑いながら、最前列にすわっている 子どもとふざけ合っていました。が、その夜のことです。お母さんから電話がありました。いわ く、「うちの子が今日、先生に、歌を歌うとき叱られたと、寝る前になってふとんの中で泣いてい ました。今やっとなだめて、寝かしつけたところです」と。Nさんの別の面を見せつけられたよう で、私は驚きました。 《発語障害のある子ども 》
【Q】カキクケコを、「タチチュテト」と発音します。そのため幼稚園でも話が通じ ないらしく、友
だちにからかわれているようです (年長児)。 ●なおすのに数年かかった、S君 S君のお母さんが、S君の発音異常に気づいたのは、三歳ぐらいのときでした。カキクケコを 正しく発音できず、いくら教えても、タチチュテトになってしまうのです。能力的にはふつうの子ど もで、幼稚発音をする子どもにみられがちな遅進性は、ありませんでした。 そのうちなおるだろうとお母さんは思っていたのですが、年中児になってもなおりませんでし た。そこで幼稚園の先生の紹介で、その地域の言葉教室に通うことになりました。その地域で は、元学校教師たちが集まり、ボランティア活動の一つとして、週一回の言葉教室を開いてい ました。S君とお母さんは熱心にその教室へ通いました。お母さんの話では、少しずつ効果が 現れてきたものの、その効果はその教室の中だけだったとのこと。外の世界では本人も油断 するためか、相変わらず幼稚発音で話していました。 私の記憶では、S君の発音障害が気にならなくなったのは、小学校二年ぐらいのころではな かったかと思います。いつなおったかという時期は明確ではありませんが、少しずつなおってい きました。 その後私はS君を小六の終わりまで指導しましたが、よく注意すれば、どこかおかしいと思っ たことはありましたが、ふつうの会話をする範囲では気になりませんでした。 《左利きの子ども 》
【Q】生まれた時から左利きです。文字だけは右手で書くように指導したのですが、 失敗しまし
た。かえって、書き順や字体がメチャメチャになってしまいました。 ●漢字がまったく書けなくなってしまった、S君(小一) S君のお父さんは「万事自然に任す」という主義の持ち主で、S君が左利きの傾向を見せ始 めたときでも、「子ども次第だ。持ちたいほうで持てばいいのではないか」と気楽に考えていまし た。結果、S君は、完全な左利きになってしまいました。 最初の関門は幼稚園へ入ったときにやってきました。先生が「何とかなおしたいから、家庭で も協力してほしい」と言ってきたのです。お父さんは、先生がそこまでわざわざ言ってくるのだか らと、一時は先生に協力しようと思ったそうですが、S君がつらがることもあり、そのままで終わ ってしまいました。 そして次の関門は小学校入学時にやってきました。運悪く担任の先生が書道の先生で、「左 利きは困る」と言うのです。で、指導を先生に任すことにしたのですが、一年ぐらいたってから お父さんはS君のノートを見てびっくりしました。悪筆なんていうものではありませんでした。漢 字がメチャメチャ。はねやはらいが、反対を向いているのはまだいいほうで、漢字の部分部分 が左右反対な上に、位置まで左右反対に入れかわっていました。S君は先生が見ていないと きは左手を使っていました。 それからしばらくした夜、お父さんは先生に手紙を書き、「うちの子は今後、左利きで通します から、よろしくお願いします」と。S君の左利きを公式に宣言しました。 《かんしゃく発作のある子ども 》
【Q】デパートでもスーパーでも、自分の要求が通らないと、大声を出してギャーギ ャーと暴れま
す。時に床に寝ころんで手足をバタバタさせて泣きます。 ●床に寝ころんで暴れたS子さん(三歳) S子さんは、自分の要求が通らないとわかると、突然泣き出します。ふつうの泣き方ではあり ません。耳もつんざかんばかりの金切り声をあげ、ギャーギャーと泣くのです。しかも時と場所 を選びません。先日もお母さんとデパートへ行ったとき、その発作が始まりました。お母さんが おもちゃ売り場を出ようとしたときのことです。突然S子さんが暴れ出しました。「ギャー、ママ ア! 帰っちゃ、ダメエ!」と。 そこでお母さんが「勝手にしなさい! あんたなんか、ここで捨ててしまうからね!」と、S子さ んを無視して歩き始めると、さらに激しくS子さんは泣き出しました。そしてS子さんはあの金切 り声で、「ギャーギャー」とわめきながら、床に座りこんでしまいました。周囲の人の視線を鋭く 感じ、お母さんがS子さんのそばに戻ってくると、S子さんは今度は床の上に寝ころんでしまい ました。お母さんは私にこう言いました。「どこへ行ってもこうなので、もうあの子とは外出したく ありません、もうこりごりです」と。 お母さんは何かにつけて、S子さんを脅していました。「捨ててしまう」とかなど。お母さんとし ては、ただ単なる脅しのつもりなのですが、そういう脅しが、S子さんのかんしゃく発作の引き金 になっていることに、お母さんは気づいていませんでした。 《過剰行動性のある子ども 》
【Q】遊んでいても興奮すると耳もつんざかんばかりの金切り声をあげ、突発的に乱 暴になりま
す。情緒が不安定で、行動に節度がなく、静かな落ちつきがありません。 ●強度の愚鈍性が残ったJ君(年中児) J君のおばあさんはジャムづくりが趣味で、毎週土曜日になると、おばあさんはJ君の家に大 ビン一杯のジャムを届けてくれました。お母さんは「あまるともったいないから」と言っては、パ ンにつけ、さらに紅茶にまで溶かして、J君に大量に与えていました。 J君がふつうでないということは、お母さんも早くから気づいていたようです。あとになってか ら、「そう言えばJの周辺は、いつもクモの巣のようでした」と話してくれました。あらゆるもの が、雑然と散乱していたからです。 年中児になって私の教室へ来たその日に、私はJ君の過剰行動性に気づきました。突発的 な興奮性があり、一度興奮し始めると、際限なく興奮したからです。私はJ君の食生活の異常 さを知り、お母さんに砂糖断ちをすすめました。お母さんは驚いて、即日、私の指導に従ってく れました。が、それからがたいへんでした。J君は幼稚園から帰ってくるやいなや、「ビスケッ ト! ビスケット!」と泣きわめきました。明らかに禁断症状です。しかしお母さんは砂糖断ちを 続行しました。そしてちょうど二週間目。J君は別人のようにおとなしくなりましたが、反対に強 度の愚鈍性が出てきてしまいました。顔に生彩がなくなり、ボーッとしているだけで、反応がま るでなくなってしまったのです。お母さんは、その姿を見て、自分がJ君をそんな子どもにしたの だと、泣き崩れてしまいました。 ●お母さんを足蹴りにしたA君(年中児) A君は最初お母さんに手を引かれて私の教室へやってきましたが、おとなしく座っていたのは 最初の数分間だけでした。私がふと目をはなしたその瞬間、突然お母さんのバッグを手ではら いのけるかのように机から叩き落とし、続いて泣き声とも怒号とも言えないもの凄い声をはりあ げて、お母さんに向かって突進していきました。そして両手両足を激しく動かし、足でお母さん をパンパンと蹴りました。 お母さんはそんなA君をあやしながら、懸命に自分の体で抑えようとしましたが、無駄でした。 A君はお母さんの顔を平手打ちし、パッと振り返ると、次にそばにあった机をひっくり返してしま いました。時間にすれば一〇秒足らずのできごとだったと思います。私がA君を抱き込むよう にして、それを抑えました。A君の息は荒く、顔は青ざめ、体は小刻みに震えていましたが、ふ と我に返ると、「帰る! 帰る!」と泣きだしました。 私がA君をお母さんに手渡すと、お母さんはつらそうに苦笑いを繰り返しながら、「この子は 短気なものですから」と言いました。そしてA君に向かって、「静かにしなさい」と叱ったその瞬 間、再びA君は大声をはりあげて、お母さんを足で蹴り始めました。今度はお母さんがA君を抱 き込んで、それを抑えました。 《多動性のある子ども 》
【Q】乳幼児のときから無謀で、高いところから平気で飛びおりたりしました。今で も近所の家
に勝手にあがりこみ、冷蔵庫の中のものを飲んだり食べたりします。 ●柱にしばられて育った、M子さん(年中児) M子さんは、歩けるようになるころから、体にひもを巻いて育てられました。何をしでかすかわ からなかったからです。四歳の時には、二階の小屋根から飛びおりるというようなことまでし て、お母さんをあわてさせました。 が、お母さんはそんなM子さんを、私の教室へ入れるまで天才児と信じていました。言うこと なすこと、まさに天衣無縫。ふつうのワクの中には収まらない子どもだったからです。しかしM 子さんの奇行はますますひどくなってきました。ある日のことです。授業の途中でM子さんが、 突然、「私のママのパンティは、花柄パンティ!」と叫んだのです。うしろで見ていたお母さんが あわてました。私もあわてました。そしてそれを私が強くたしなめると、再び、「きれいなきれい なピンクのお花!」と。 M子さんのような子どもに対峙すると、とことん神経をすり減らします。過度に注意を繰り返す と、ほかの子どもが神経質になってしまいます。しかし放置すればクラスはバラバラになってし まいます。 そこである日、私は意を決してM子さんのお母さんに事実を話しました。お母さんが「遊戯会 でうちの子だけ、前でふざけて遊んでいたが、どうしてですか」と聞いてきたからです。私は「と にかく今は時期を待つしかない」と、話の最後につけ加えました。 ●軽い独り言を言い続けたW君(年中児) W君は年中児の時に私の教室へ来ましたが、当初からその多弁性が気になりました。とに かくよくしゃべるのです。たとえば、教室へ入るやいなや、「Wちゃん(自分のこと)のパパは、 車を買ったよ。大きな車だよ。Wちゃんのパパは、運転するよ」と。このタイプの子どもは、誰 かに話しかけているようで、それでいて誰にも視線を合わせないまま、勝手にしゃべり続ける のが特徴です。「静かにしようね」と声をかけても無駄です。「静かに」という言葉の意味すら、 このタイプの子どもには理解できません。ですから勢い、「口を閉じなさい」と注意することにな りますが、そう注意すればしたで、「Wちゃんは、口を閉じるよ。口を閉じたよ。お口をね」と、し ゃべり続けます。 数度目の授業のあとW君のお母さんと話し合ったのですが、お母さんは、むしろW君のそう いう症状を、「言葉の発達した頭のいい子ども」と、とらえているのがわかりました。多弁児は言 葉の反応が早いため、えてしてこの時期、優秀児と誤解されがちです。が、一年もすると、W 君の遅進性が誰の目にも明らかになってきました。ペラペラと調子がいいのですが、意味のな い独り言が多く、何を話しても表面的で、つかみどころがないのです。私は再度お母さんに相 談しました。「しゃべる前に考えるという習慣を、大切にしてほしい。でないと、考えのたいへん 浅い子どもになってしまいますよ」と。 《ツッパル子ども 》
【Q】最近言動が荒っぽくなり、何かにつけて反抗的で、ささいなことで暴力をふる ったりしま
す。神経質にいらだったり、流し目で人をにらんだりします。 ●小一でツッパリ症状をみせた、N君 N君は幼稚園の卒園式で、代表で答辞を読んだほど優秀な子どもでしたが、小一の夏ごろ から急に変化しはじめ、秋になると典型的なツッパリ症状を見せるようになりました。言動が粗 雑になり、何かいやなことがあると、プイと露骨に不愉快な顔をして、「うっせえなあ」と。 お母さんに相談したところ、そのお母さんはN君の実の母親でないことがわかりました。お父 さんは土木作業員をしていて、ある新興宗教の熱心な信者でした。私は「何か家庭の中に愛 情問題があるはずですが……」と言ったのですが、そのことがお母さんからお父さんに伝わる うちに、どこかで歪曲され、翌日お父さんから抗議の電話がかかってきました。いわく「わしらに は、わしらの育て方というものがある。わしらの家庭のことについて干渉するな!」と。お父さん の宗教が、問題をますます複雑にしました。私の電話を、「魔王のしわざだ」と言うのです。そし て「わしの師はG先生だ。お経を毎日あげないようなヤツの意見は、たとえ相手が教師でも、従 う必要はない」と。 私はN君が優秀な子どもであっただけに残念で、再三、私のところへよこすように言ったので すが、無駄でした。お母さんもあれこれ努力はしてくれましたが、実の母親でないという遠慮も あり、結局はお父さんに従うしかなかったようです。 ●静かな落ちつきをなくしたK君(年長児) 最初K君が私の教室へ来たとき、私はK君を、多動児と誤解しました。静かな落ちつきがな く、始終ソワソワとし、感情の起伏がはげしかったからです。が、そのうちK君が多動児にあり がちな遅進性はなく、むしろ頭のよい子だとわかりました。私はK君をどう判断していいのか、 わからなくなってしまいました。私が知っている子どもの、どのパターンにも、K君はあてはまら なかったからです。そこでお母さんから話を聞きました。 K君のお父さんはアル中で、当時二日に一度は浴びるように酒を飲み、家の中で大暴れを 繰り返していました。K君とお母さんはそれにおびえ、二階の物干し台で体を寄せ合って、お父 さんが静かになるのを待ったこともあるそうです。ただK君の家は、昔からの旧家で、やさしい おじいさんとおばあさんが近くにいたため、離婚するということまではお母さんも考えなかったよ うです。お母さんはK君には、「お父さんが悪いんじゃないのよ。お酒が悪いのよ」と話していま した。 K君には気になる性格がいくつかありました。その一つが、常識に欠けていること。たとえば 隣の女の子に向かって平気で、「おい、デブ!」と言うなど。言ってよいことと悪いことの判断が できず、平気で相手を傷つけるような言葉を口にしました。落ちついた環境の中で、静かにも のを考えるという習慣がなかったためと思われます。 《意地っ張りな子ども(我の強い子ども) 》 【Q】一度こうだと言いだしたら、最後まで自分の意思を貫こうとし、親の言うこと を聞きませ ん。とにかく意地っ張りで、手を焼いています(年長児)。 ●ピザを一人前食べた、E君(年長児) E君は三人兄弟の末っ子として育ちましたが、親が放任したのがかえって幸いして、たくまし い子どもになりました。日曜日でも親がまだ寝ていても、一人で朝食をすまし、身じたくを整える と、遊びにでかけて行くなど。友だちも、同年齢の子どもというよりは、年上の小学生ばかりで した。 そのE君が家族でレストランへ行ったときのことです。兄弟が三人で一枚ずつピザを食べた のですが、長男(小五)が「もう一枚食べたい」と言いだしました。それを聞いたE君も「もう一枚 食べたい」と。で、お母さんが、「二人で一枚にしなさい」と言ったところ、E君は「ぼくもどうしても 一人前、食べる!」と言って、お母さんの言うことを聞こうとしませんでした。 そこでお母さんはしかたなく、兄とE君の分の二枚を注文したのですが、E君は表面的にはお いしそうに、しかしヒーヒーと言って、その二枚目を食べたそうです。お母さんは笑いながら、 「あの子ったら、そら見ろと言われるのがいやで、無理をして食べたのです。おとなだって二枚 は、たいへんなのに……」と話してくれました。 そのE君は今、小学五年生です。六年生とバトンタッチする形で、最近、彼の学校の児童会 の会長になったという話を聞きました。 《ドラ息子タイプの子ども 》 【Q】自分勝手で自分本位。好き嫌いがはっきりしていて、忍耐力がありません。機 嫌をそこ ねやすく、その上ものの考え方が衝動的です。家の手伝いもしません。 ●ドラ息子になったK君(高校生) K君は昔からの裕福な幡屋の長男でした。お母さんはきびしい人だったのですが、おじいさん とおばあさんの寵愛を一身に集め、甘やかされました。だからK君はいつもお母さんに叱られ るたびに、おじいさんのところへ逃げていったといいます。一方お父さんは教育にはまったくと 言ってよいほど無関心で、夜もほとんど家にいなかったとか。 そのK君が高校に入ったときのことです。K君はお母さんに、「(学費が安い)公立高校に入っ たのだから、その分で夏休みにアメリカへホームステイさせろ」と要求しました。お母さんはそ れに従いました。そしてある日、私とこんな会話をしました。K君が「老人はどれも役立たずだ から、みんな早く死んでしまえばいい」と言ったのです。そこで私が、「君だっていつかは老人に なるんだぞ」と言うと、「ぼくはいい。人に迷惑をかけることがないよう、それまでにうんとお金を 稼いでおくから」と。そこでさらに私が、「どんな人でもそう思ってがんばっているんだけれど、う まくお金が稼げないのだ」と言うと、彼はニンマリと笑いながら、「ぼくは老人になる前に死ぬ。 だから若いときはうんと遊んで、人生を楽しもうと思っている」と。 なんともさみしい高校生でした。こういう高校生を実際に見せつけられると、続く言葉はもうあ りません。私は黙ってうなずくしかありませんでした。 ●春先だというのに、電気ストーブをつけっぱなしにしていたK君(大学生) 大学へ入ってから二年目の春。お母さんがK君のマンションを訪れてみて、びっくりしました。 春先だというのに、一日中、電気ストーブがつけっぱなしにしてあったからです。それに携帯電 話の料金も、毎月二万円を超えていました。K君の家は決して裕福な家ではありません。K君 が大学へ入学すると、お母さんは近くのスーパーへパートの仕事に出ていました。その上、バ イクの代金としてお母さんはK君に三〇万円も渡していました。私が「安いソフトバイクだった ら、一〇万円もあればいいのが買えたのに」と話すと、お母さんは「知りませんでした」と。 そのK君はヨット部に属していましたが、そのためほとんど授業には出ていませんでした。し かも遠征だ、合宿だと、結構費用がかさみました。そのつどお母さんは爪に灯をともすようにし て学費(?)を送っていました。が、そんな親の苦労はどこ吹く風。K君は相変わらず遊び続け ていました。 そのK君。数年前に卒業しましたが、その年には就職できず、一年間、カナダへ語学留学す ることになりました。もちろん費用は親が出しました。そのK君いわく。「ぼくたちは言われるま ま、まじめに勉強してきたのだから、就職先を用意するのは社会の役目だ。社会がだらしない から、就職先がないのだ」と。 |