はやし浩司

子どもを考える
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はやし浩司

子どもを考える

目次




子どもの自我

●自我って、何? 自我を引き出すには、どうすればいいの?

フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると……。

 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望
をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動
できる。

 反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口
にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこ
る)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえ
ばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。見た目の活発さだけで、自我の
強弱を判断すると、子どもを見誤ることになる。静かな子どもでも、自我が強い子どもはいくら
でもいる。反対に、ワーワーと自己主張するからといって、自我が強いということにもならない。
昔の人は、それを「芯(しん)」という言葉で表現した。「あの子は芯の強い子」とか。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。
反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分
からない子どもといった感じになる。

 その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から
考える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、ある
べき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親
の価値感を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関
心(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子
どもの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた
いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳
幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。

 人間は、ほかの動物と同様、数十万年というながい年月を、こうして生き延びてきた。その過
程の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本
質は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思う方がおかし
い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育
ての原点はここにある。

(※参考)フロイト(1856〜1939、オーストリアの心理学者)は、自我の強弱によって、人の
様子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめた表が、次のものである。

自我が強い子ども 自我が弱い子ども
行動能力 ものごとに攻撃的になり、積極的になる。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口からよく出てくる。 ものごとに防衛的になり。消極的になる。「いやだ」「つまらない」という言葉が多くなる。
現実感覚 現実感が強く、ものの考え方が現実的になる。頼れるのは自分だけというような考え方をする。 ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりするようになる。
趣味の方向性 将来に向かって、創造的な趣味が多くなる。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。 一時的な快楽を求める傾向が強くなり、趣味も退行的かつ非生産的になる。たとえば意味もないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。
衝動的行為 ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールができ、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。 衝動性が強くなり、ほしいものに対して、ブレーキをかけられなくなる。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識が生まれない。


自我……意識される客体としての自己に対して、自分を意識する主体(哲学)。個々の心理現
象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)な
ど。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。
 









子どもの自慰

●まだ幼児なのに、もう自慰? うちの子、だいじょうぶ?

(Q)「私が居間で昼寝していたときのこと。六歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせ
てきました。小さいながらもペニスが固くなっているのがわかりました。やめさせたかったので
すが、そうすれば息子のプライドをキズつけるように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をして
いました。こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(三十二歳母親)

(A)フロイト(1856〜1939、オーストリアの心理学者)は幼児の性欲について、次の三段階
に分けている。

(1)口唇期……口の中にいろいろなものを入れて快感を覚える。
(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に興味を示したり、そこをいじった
りする。
(3)男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心を持つようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレ
ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為
をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自
慰もその一つと考える。こうした行為によって、子どもは無意識のうちにも、自分の気持ちをま
ぎらわす。

 つまりこういう行為が日常的に見られたら子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレッサー)
となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさぎこみ、ぐずぐ
ず、イライラ、気分のムラ、気むずかしい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)をともなうことが多
い。

 そのため「してはダメ!」式の頭ごなしの禁止命令は、意味がないばかりか、かえって症状を
悪化させることもあるので注意する。

 さらに幼児の場合、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自分
の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情緒
障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなく、ぐずったり、訳のわからないこ
とを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗する
そぶりをみせるかもしれないが、やがて静かに落ち着く。

 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サ
ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうし
ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが
ある。










右脳教育VS左脳教育

●どこへ行っても、右脳教育! 右脳教育って、幼児に必要なの?

 左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。たとえば右脳を訓
練すれば、記憶力が鋭くなる(直観像化)。漢字や英単語を、見ただけで暗記できるようになる
(フォトコピー化)。あるいは20〜30個のものを、瞬時に数えることができるようになる(高速
処理化)という。こうした事例は、現場でもしばしば経験する。

 たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろば
んを使って、瞬時に高度な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。読むという
よりは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を理解してしまう。し
かし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、「神童」というのは認めない。もう少し
わかりやすい例で言えば、数百種類の動物の、その一部を見ただけで名前を言い当てたとし
ても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。たとえば自閉症の子どもがいる。このタイ
プの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうでないこだわりを見せることが知られている。全国の
電車の発車時刻を暗記したり、音楽の最初の一小節を聞いただけで、その音楽の題名を言い
当てたりする。つまりこうしたこだわりが強ければ強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が
潜んでいるとみる。

 たとえば右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を出し、そうした成果
の陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、変人と
いうイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた人物にしたと考
えられなくもない。

 言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あるべ
き人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(論理)、他人
の心を静かに思いやること(分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもということになる。
その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である※。

 右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。し
かしだからといって、それを脳のシステムが未発達な幼児に応用するのは、慎重でなければな
らない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析を学ぶ。右
脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた「淳君殺害事件」をあげる
研究家がいる(福岡T氏ほか)。

 あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画数
の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、五千円
やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともあります」(「少年
A、この子を生んで」(文藝春秋))と。

 少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の区別
がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。その少年Aについて、「直観像素質者(一瞬見た映像
をまるで目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(そ
れがこの非行の)一因子を構成している」という鑑定結果が出されている。

 要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。子ど
もに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。

(※参考)右脳と左脳の働きについて


右脳 左脳
●顔やものの、形の認識
●直感的、総合的にものを考える
●想像的、創造的な考え
●音楽や芸術など
●情緒的な感情
●話すこと
●言葉の理解
●論理や数学的な考えかた
●分析的な考えかた
●読む、書く
●計算をする

           「脳のしくみ」(日本実業出版社)新井康充より









心をゆがめる子ども

●非行って、何? うちの子は、だいじょうぶ?

よい子(?)も、そうでない子(?)も、大きな違いがあるようで、それほど違いはない。日々の生
活の積み重ねで、よい子はよい子になり、そうでない子はそうでなくなる。

 たとえば非行。盗み、いじめ、暴力、喫煙、性犯罪、集団非行など。親が「うちの子に限って
……」「まさか……」と思っているうちに、子どもは非行に走るようになる。しかもある日、突然
に、だ。それはちょうど、ものが臨界点を超えて、突然、爆発するのに似ている※。

 子どもというのは、少しずつなだらかに成長するのではない。階段をのぼるように、トントンと
段階的に成長する。同じように子どもが悪くなるときも、トントンと悪くなる。が、前兆がないわけ
ではない。

 その一つ。生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない(親のサイフからお金
を盗む。貯金を使ってしまう。時間にルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わ
がままで自分勝手)になり、無礼、不作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つ
ようになる。

 この段階で家庭騒動、家庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一挙
に悪化する。特徴としては、@拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、
「ウッセー」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、A破滅的
態度(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、
無関心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できな
い)、B自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「悪霊」
などという言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも損なのだ」
と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を抜き取って、
それを使い込むなど)、C野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩を
いからせて歩くようになる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」
式の、短絡したものの考え方をするようになる)などがある。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、親は家庭のあり方を猛省しなければ
ならない。しかしこれがむずかしい。このタイプの親に限って、その自覚がないばかりか、さら
に強制的に子どもをなおそうとする。はげしく叱ったり、暴力を加えたりする。これがますます子
どもの非行を悪化させる。こじらせる。

 もっともこうした症状が「表」に出る子どもは、まだよいほうだ。中には「内」にこもる子どもが
いる。前者をプラス型というなら、後者はマイナス型ということになる。威圧的な家庭環境、親
の過干渉、過関心が日常的に続くと、子どもの心は閉塞(へいそく)的になり、マイナス型にな
る。家の中に引きこもったり、陰湿ないじめ、動物への虐待などを日常的に繰り返したりする。
被害妄想をもちやすく、ものの考え方が先鋭化し、凶悪事件を引き起こすこともある。

 要はどの段階で、どの程度、親がその前兆に気づき、子育てのあり方を反省するかというこ
と。が、実際には、これが難しい。このタイプの親に限って、エリート意識が強く、他人の話に耳
を傾けない。あるいは反対に、無責任で無教養。子育てそのものから逃げてしまう。盲目的な
溺愛(できあい)が、子どもの変化を見落としてしまうこともある。

 結局は子どもの言いなりになってしまう。そしてあとはおきまりの独善と独断。私のような立場
の者がアドバイスしても、無駄。「子どものことは私が一番よく知っている」という確信のもと、そ
の返す刀で、「あなたには本当のことがわかっていない」と、はねのけてしまう。そして子どもに
対しては、必要以上にはげしく叱ったりする。あとはこの悪循環。

 本来、そうならないためにも、ほかの父母との交流を多くして、風通しをよくしなければならな
い。が、その交流もしない。あるいはしても形式的。見栄、メンツ、世間体を優先させてしまう。
あとは日々の積み重ね。子どもの非行は、あくまでもその結果でしかない。

(※参考)これについて、二〇〇一年度の「青少年白書」でも、次のように報告している。「いき
なり型非行が増加している」とした上で、「一見おとなしくて、目立たない『ふつうの子』が、内面
に不満やストレスをかかえ、それが爆発して起きる『いきなり型』の非行が新たに生じてきてい
る」と。








スキンシップは魔法の力

●スキンシップって、大切なものなの? どれくらい抱けばいいの?

 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう二十年ほ
ど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の
講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』とい
う方法で、素晴らしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。
が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言いかえる
と、スキンシップを受け付けない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。

 たとえば緘黙(かんもく)児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許
さない。許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何
かしら丸太を抱いているような気分になる。抱かれるとしても、母親など、ほんの限られた人に
しか抱かれない。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと身を寄せる。さらに
肉体が融和してくると、心臓の鼓動のリズムまで同じになる。

 で、この話をある席でしたら、そのあと一人の男性がこう言った。「子どもも女房も同じです
な」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうでないときは悪い、
と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。

 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論として、
濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自
然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることがで
きる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染
み込んでいくのがわかる。言いかえると、甘えることを知らない子どもは、一見、しっかりして見
えるが、心のどこかに大きなキズがあるとみる。たとえば幼いときから親の手を離れ、施設で
育てられたような子ども(施設児)や、育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、
他人に心を許さない。許さない分だけ、人に甘えない。一見、自立心が旺(おう)盛に見える
が、心は冷たい。他人が悲しんでいたり、苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性その
ものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。

 私「これはよい本だね」、子「値段が高い」、私「読んでみたら」、子「表紙がダサイ」と。このタ
イプの子どもは、「信じられるのは自分だけ」というような考え方をする。そのため異常な自尊
心やしっと心、虚栄心をもちやすい。あるいは何らかのきっかけで、ふつうでないケチになるこ
ともある。こだわりが強くなり、お金や物に執着したりする。完ぺき主義から、拒食症になった
女の子(中三)もいた。

 もしあなたの子どもが、あなたという親に甘えることを知らないなら、あなたの子育てのし方の
どこかに、大きな問題があるとみてよい。今は目立たないが、やがて深刻な問題になる。その
危険性が高い※。

 ……と、今回は、皆さんを不安にさせるようなことを書いてしまったが、子どもの心の問題で、
何か行きづまりを覚えたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねたりするよ
うなときである。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたら、やさしく抱いてみる。し
ばらくは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。と、同時に、子どもの情緒
(心)も安定する。

(※参考)こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。「全国各地の保育士などが預かった
〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤
ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸)の実態調査で
判明」と。「……その結果、抱っこした赤ちゃんの『様態』について、『手や足を先生の体に回さ
ない』が33%いたのをはじめ、『拒否、抵抗する』『体を動かし、落ちつかない』などの反応が
二割戦後見られ、調査した六項目の平均で25%に達した。また保育士らの実感で、『体が固
い』『抱いてもフィットしない』などの違和感も平均で20%の赤ちゃんから報告された。さらにこ
うした傾向の強い赤ちゃんの母親から聞き取り調査をしたところ、『育児から解放されたい』
『抱っこがつらい』『どうして泣くのか不安』などの意識が強いことがわかった。またこの数年、
流行している『抱っこバンド』を使っている母親が、東京都内では特に目立った。
 報告した同研究会の松永静子(東京中野区)は、『仕事を通じ、二〜三割はいると実感してき
たが、『新生児のスキンシップ不足や、首もすわらない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原
因があるのでは』と話す』とも。









子どもの発語障害

●言葉の発達を、どうみたらいいの? うちの子は、だいじょうぶ?

 世界広しといえども、幼児期に発音教育をしないのは、日本ぐらいなものではないか。私が
生まれ育った岐阜県の美濃地方では、「鮎(あゆ)」を、「エエ」と発音する。「よい味」を、「エエ
味」と発音する。だから、「この鮎は、よい味だ」と言うときは、「このエエうァ、エエ味やナモ」と
言う。方言が悪いというのではないが、こういう発音を日常的にしていて、それを正しい文に書
けと言われても、できるものではない。そんなわけで私は小学生のころ、作文が大の苦手だっ
た。子どもながらに苦労したのを、記憶のどこかで覚えている。まだある。この日本では幼児の
発音に甘く、子どもが「デンチャ(電車)」と発音しても、それをかえって、「かわいい言い方」と、
許してしまう。

 「発語障害」というときは、構音障害(発音、発語障害)、吃音障害(どもる)、音声障害(ダミ
声、鼻声、かすれ声)、それに発音器官に器質的な障害がある場合(口蓋裂)などを総称して
いう。しかし現場で「発語障害」というときは、この中の構音障害をいう。たとえば「机」を「チュク
エ」、「学校」を「ガッコ」、「バッタ」を「バタ」と言うなど。言葉の一部の音を変えたり、ぬかしたり
する。口唇、歯列、舌などの器官を総称して、構音器官という。この構音器官に機能的な障害
があると、子どもはここにあげたように独特の発音をするようになる。幼児は、サ行(猿→シャ
ル)、ザ行(ぞうり→ジョーリ)、ラ行(ロケット→ドケット)が苦手だが、これらが正しく発音できれ
ば、よしとする。さらに発音するとき、舌の位置がずれると、サ行がシャ音化(魚→シャカナ)し
たり、同じくサ行がチャ音化(魚→チャカナ)したりする。ほかにラ行がダ音化することもある。
「ラジオ」を「ダジオ」と言うのがそれである。満五歳を一つの目安として、それまでに正しい発
音ができるようにする。

 以上は比較的なおしやすい構音障害だが、なおしにくいのもある。カ行をタ音化するカ行障
害(五個→ドト)などは、指導がむずかしく、なおすのに数年かかることもある。五、六歳児につ
いていえば、全体の5%前後にその傾向がみられる。しかしあまり神経質に指導すると、子ど
もが自信をなくしたり、さらに失語症になったりするから注意する。少し古い資料だが、アメリカ
言語聴覚学会の報告によれば、指導が必要な構音障害児の出現率は、3%とされる(一九五
一年)。症状にも軽重があり、ふつう児との区別がむずかしいケースもあるが、その傾向のあ
る子どもまで含めると、「つ」を「チュ」と発音するケースが、約20%。何らかの指導が必要と思
われる幼児は、全体の約5〜10%というのが、私の実感である。

 こういう発語障害をふせぐためには、子どもが言葉を話すようになったら、息を子どもの顔に
吹きかけながら、口の動きを正確にしてみせるとよい。幼児語(自動車→ブーブー、電車→ゴ
ーゴー)などは、かえって発語の発達を遅らせることになるので、注意する。言葉の発達そのも
のを遅らせることもある。ある男の子(年長児)は、「三輪車」を「シャーシャー」、「押す」を「ドウ
ドウ」と言っていた。だから、「三輪車を押す」は、「シャーシャー、ドウドウ」と。が、それでも発語
障害が残ってしまったら……。各市町村の保健センター、もしくは教育委員会に相談窓口があ
るので、そちらへ問い合わせてみるとよい。

(※参考)
○この診断シートによって、幼児の発語(発音)の発達程度が診断できます。

【診断方法】

(1)おうちの方が、※1の言葉を、ゆっくりと発音してみせ、続いて、子どもに、それを復唱させ
て診断します。
(2)このとき、子どもがどんな発音をしても、それについてとやかく言ってはいけません。子ども
の発音を聞き、その評価にあてはまる個所(欄)に○をつけてください。

※1…テストする言葉

もとの言葉(※1) よく見られる症状 そのほかの発音
カ行障害 「かき(柿)」を「かき」と発
音できる。
「タチ」と発音する。 「ダヂ」
「かぎ(鍵)が、五個」と言
える
「タヂダ、ドト」
サ行障害 「すし(寿司)」「すし」  「ツチ」「チュチ」
「ソーセージ」 「チョーチェーヂ」 「トーテージ」
「せんせい(先生)」 「シェンシェー」 「チェンチェー」
ザ行障害 「ぞう(象)」 「ジョー」
タ行障害 「つくえ(机)」 「チュクエ」
ダ行障害 「でんわ(電話)」 「レンワ」
「ラジオ」 「ダジオ」 「ナジオ」
ラ行障害 「ロケット」 「ノケット」 「ドケット」


よく観察される発音障害

カ行障害 カキクケコ⇒タチチュテト、ダヂヂュデド
サ行障害 サシスセソ⇒タチツテト、チャチチュチェチョ、シャシシュシェショ
ザ行障害 ザジズゼゾ⇒ジャジジュジェジョ
タ行障害 タチツテト⇒タチチュテト
ダ行障害 ダヂヅデド⇒ラリルレロ
ラ行障害 ラリルレロ⇒ダディデゥデェド
ナニヌネノ、(アイウエオ)……「R」の子音そのものが抜ける。











多動性のある子ども

●ADHDって、何? どう考えたら、いいの?

 集中力欠如型多動性児(ADHD)と言われるタイプの子どもがいる。無遠慮(隣の家へあが
りこんで、勝手に冷蔵庫の中の物を食べる)、無警戒(塀の中にいる飼い犬に手を出して、か
まれる)、無頓着(一階の屋根の上から下へ飛び降りる)などの特徴がある。ふつう意味のない
ことをペラペラとしゃべり続ける、多弁性をともなう※。が、何といっても最大の特徴は、抑(お
さ)えがきかないということ。強く制止しても、その場だけの効果しかない。たいていは乳幼児期
からきびしいしつけを受けているため、叱(しか)られるということに対して免疫性ができてい
る。このタイプの子どもの指導が難しいのは、「秩序」そのものを破壊してしまうこと。その子ど
もだけを集中的に指導していると、ほかの子どもたちが神経質になってしまう。出現率は、二
十人に一人ぐらいだが、症状にも軽重があり、その傾向のある子どもまで含めると、十人に一
人ぐらいの割合で経験する。

 能力的には、遅れが目立つ子どもが、約七割、ある特定の分野に、ふつう程度以上の能力
を見せる子どもが、約三割、と私はみている。が、問題はそのことではなく、親自身にその自覚
が、ほとんどないということ。このタイプの子どもは、乳幼児期には、何ごとにつけ天衣無縫。
言うことなすこと活発で、そのためほとんどの親は、自分の子どもをむしろ優秀な子どもと誤解
する。これがまた指導を難しくする。Mさん(年中児)もそうだった。赤ちゃんのときから、柱にヒ
モでつながれて育った。そのMさん。参観日のとき、突然、「今日のママのパンティーね、花柄
パンティーよ!」と叫んだ。言ってよいことと悪いこととの区別がつかない。が、Mさんの母親
は、遊戯会の日まで、天才児と信じていた。その遊戯会でのこと。Mさんは、一人だけ皆から
離れて、舞台の前で、ほかの子どもたちに向かって、アッカンベーを繰り返した。そこで私に相
談があったので、私はMさんが、活発型遅進児の疑いがあると告げた。もう二十年近くも前の
ことで、当時は多動児という言葉すら、まだ一般的ではなかった。その説明をすると、母親はそ
の場で泣き崩れてしまった。

 脳の機能変調説が有力で、アメリカでは別の施設に移した上で、薬物治療までしている。こ
の静岡県では、学校ボランティアの付き添いを制度化しているところもあるが、大半は現場の
先生に指導が任されている。しかしこの方法には、おのずと限界がある。仮にこのタイプの子
どもが、一クラス(三十五人)に二〜三人もいると、先にも書いたように、クラスそのものがメチ
ャメチャになってしまう。これには教師の経験や技量など、関係ない。

 ……こう書くと、このタイプの子どもには未来はない、ということになるが、そうではない。小学
三、四年生を過ぎると、それ以後は、自分で自分をコントロールするようになる。騒々しさは残
ることは多いが、見た目にはわかりにくくなる。持ち前のバイタリティーが、よい方向に作用す
ることもある。集団教育になじまないというだけで、それをのぞけば子どもとしては、まったく問
題はない。つまりそういう視点に立って、仮にここでいうような症状があっても、乳幼児期は、そ
れ以上に、症状をこじらせないことに心がける。こじらせればこじらせるほど、その分、立ちな
おりが遅れる。

(※参考)二〇〇一年の春、厚生労働省の研究班は、多動児について、親と教師向けの「子ど
もの行動チェックリスト」を発表した。その中の一つ、「子どもの注意力に関する項目」は次のよ
うになっている。
(チェック項目)
行動が幼い
注意が続かない
落ち着きがない
混乱する
考えにふける
衝動的
神経質
体がひきつる
成績が悪い
10 不器用
11 一点をみつめる


(たいへんまたはよくあてはまる……2点、ややまたは時々あてはまる……1点、当てはまらな
い……0点として、男子で4〜15歳児のばあい、12点以上は障害があることを意味する「臨
床域」、9〜11点が「境界域」、8点以下なら「正常」)
 研究班の上林靖子(国立精神・神経センター)は、「ADHDは、学級崩壊の元凶みたいに言わ
れているが、ほかの子どもに乗せられて騒ぐケースが多い。本当は人懐こく、すなおなため、
まわりのおとなが障害に早く気づいて、治療を受けさせることが必要だ。家庭や学校で適切な
配慮をすれば、よい面が伸ばせる」と話している(中日新聞)。









燃え尽きる子ども

●プッツンしてしまう? もしそうなら、たいへん!

 ある夜遅く、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、助け
てほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、して
ほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校の場合、一年生で、一クラス中、
二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一クラ
ス四十人だから、10%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多いとみ
るか、少ないとみるか?

 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと
のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減
退、朝起きられないなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感と疲労感を訴えるようにな
る※。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。で、一度そうなると、その症状は数
年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとんどの親は、ことの深刻さに気づかな
い。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環となって、症状はさらに悪化する。その母
親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくなってしまう」と泣き崩れていたが、その
程度ですめば、まだよいほうだ。

 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経
症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ
つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し
て、し過ぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え
た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱(しか)り続けた。子どもは子ど
もで、高校へ行けなくなるという恐怖感から、親に従った。が、それにも限界がある。言われた
ことはしたが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐す
る。「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだしと信じ、目的の高校
へ入れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていまし
た」

 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者
が、あれこれとアドバイスをしても無駄。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま
すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと
だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう
状態になっても、たいていの親は、自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が
合っていない」とか言い出す。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれな
かったのだ」と、私を責めた父親もいた。

 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し
や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えて、
一に我慢、二に我慢。あとは静かに子どものリズム※に合わせた生活をし、「子どものやる気」
を待つ。


(※参考)不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症
とは区別する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考え
る学者もいる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあるとみる。

(※参考)このタイプの親子ほど、リズムが合っていない。特に「子どものことは私が一番よく知
っている」と豪語する親ほど、リズムがあっていない。このタイプの親は、おけいこごとでも何で
も、親が勝手に決めてしまう。やめるときも、そうだ。子どもの気持ちや意思を確かめることを
しない。このリズムの不一致が、長い時間をかけて、親子の間に亀裂を入れる。それだけが子
どもが燃え尽きる原因ではないが、ひごろから子どもの心をしっかりとつかんでいれば、子ども
が燃え尽きるのを防ぐことができる。









恐怖症の子ども

●恐怖症って、何? 誰だって、幽霊はこわい……?

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文
を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。
夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じ
たのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、
「学校の怪談」というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児
が続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがあ
る。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警
戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が
欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所で
も、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出る
と、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて
行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。

【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れない
(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレがこ
わくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに
入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑
症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)、お面をかぶった人をこわがる(お面恐怖症)
などもある。ペットの死をきっかけに死を極端にこわがるようになった子ども(年長男児)もい
た。私も子どものころ、暗いトイレでは用を足すことができなかった。こうした原体験があるの
か、今でも暗いトンネルなどに入ったりすると、言いようのない恐怖感を覚える。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教をしたり、しかって
も意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子ども
の視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押しつけは、タブー。無理をすればする
ほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心が風邪をひいたと思
い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。症状だけをみると、神経症と区別
がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車の速度が五十キロ前後を超えると、目
が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分かっていても、あとで見ると、手のひ
らがびっしょりと汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も何度も自分
に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することができた。いや、今でも時々、あのときの
模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう※。恐怖症というのはそういうもので、自
分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症に対処する。

(※参考)さらにこうした恐怖症の原因はということになると、私の場合、飛行機事故が考えら
れる。私は三〇歳になる少し前、東京の羽田空港で飛行機事故を体験している。飛行機はい
くつかの標識灯をなぎ倒しただけで、大惨事にはならなかったが、そのとき感じた恐怖感が、
同じような状況の中で再現されたのではないか。つまり私の頭の中には、一つの思考回路が
できていて、交通事故が引き金となって、飛行機事故で経験した恐怖感が再現された。そして
それが今回ここで書いた恐怖症につながった。……と、私はみている。









ぬいぐるみで育つ母性

●母性、父性って、何? どう育てたらいいの?

 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわかる。
しかもそれが、三〜五歳のときにわかる。父性や母性が育っている子どもは、ぬいぐるみを見
せると、うれしそうな顔をする。さもいとおしいといった表情で、ぬいぐるみを見る。抱き方もうま
い。そうでない子どもは、無関心、無感動。抱き方もぎこちない。中にはぬいぐるみを見せたと
たん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三の男女合わせて、約80%の子どもが、ぬ
いぐるみを持っている。そのうちの約半数が、「ぬいぐるみ、大好き!」と答えている。

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオーストラリ
アに限らず、欧米では、子どもの誕生日にペットを与えることが多い。つまり子どものときから、
動物との関(かか)わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通して、心のやりとりを学
ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、父性や母性を学ぶ。そん
なわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが代表
的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。やわら
かい素材でできた、ぬくもりのあるものがよい。日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばない
もの」と考えている人がいる。しかしこれは偏見。こと幼児についていうなら、男女の差別はな
い。あってはならない。つまり男の子がぬいぐるみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思
うほうが、おかしい※。男児も幼児のときから、たとえばペットや人形を通して、父性を育てたら
よい。ただしここでいう人形というのは、その目的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガン
ダムとかいうのはここでいう人形ではない。

 なお日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、これも
偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。そのあらわれが、五月人形。弓矢を
もった武士が、力強い男の象徴になっている。三百年後の子どもたちが、銃をもった軍人や兵
隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさがわからないほど、日本
人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、女は家庭」という、あの日本独
特の男女差別意識も、この出世主義から生まれた。

 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、どこかほっとするようなぬくもりを感ずる。静
かな落ち着きがある。おだやかで、ものの考え方が常識的。それもぬいぐるみを抱かせてみ
ればわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、ス
ーッと頬(ほお)を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならな
い。言いかえると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。

 ついでに一言。子育ては本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじめ
て、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思っ
ているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親に
なるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。

(※参考)私もちょうど小学三年生のころ、ぬいぐるみの人形がほしくてたまらなかったのを覚
えている。「男はそういうものでは遊ばない」という偏見の強い時代で、私はこのことを誰にも言
えなかった。が、恐る恐る叔母にそのことを話すと、叔母は一体の人形を作ってくれた。顔も手
書きで、ゆかたを着たような人形だったが、私はその人形をたいへん大切にした。









分離不安の子ども

●私の姿が見えなくなると、うちの子は、混乱状態になる……?

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストのものだが、いわく、「うちの娘(三歳)を初めて幼稚園へ連れて行った時のこと。娘は激
しく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆(きずな)の深さに感動し
た」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、感動したと言うのだ。とんでも
ない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症状。「別れを
つらがって泣く子どもの姿」ではない!

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
上げて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立
恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四〜六歳児についていうなら、
十五〜二十人に一人ぐらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静
かに落ち着いているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声を張り上げ
て、その後を追いかけたりする。

 原因は……、というより、分離不安の子どもを見ていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのが分かる。激しい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で
入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒
否、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側からみて、
「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわかりやすい。無意
識下で起こる現象であるため、叱(しか)ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、
「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすればかえっ
て症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらく
するとやがて静かに収まることが多い※。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐ
る」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そ
のつど繰り返し症状が表れる※。

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場で優しく丁寧(ていねい)
に説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親
子を観察すると、たいてい親の方が短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしている
のがわかる。「いい加減にしなさい!」「私はもう行きますからね!」と。こういう親子のリズムの
乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます被害妄想を持つようになる。分離不安を神経症
の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が
予定より遅くなっただけで、言いようのない不安に襲われます」と。姿や形を変えて、大人にな
ってからも症状が表れることがある。

(※参考)一般に子どもの「心の問題」では、無理をすれば、表面的には症状が消えたかのよう
になることがある。「仮面治癒」と呼ぶべきものかもしれない。しかし仮面は仮面。症状がさらに
奥にもぐるだけである。このとき注意しなければならないのは、子ども自身に二重人格性が生
まれることである。たとえば分離不安の子どもを無理に親から引き離したようなとき、しばらくす
ると子どもが静かになることがある。しかし同時に、それまでなかったような柔和な表情を浮か
べ、ものわかりのよい子どもになったりする。心(情意)と表情の遊離が始まったためと考え
る。が、この段階で園の教師たちは、「環境に慣れたため」と判断するが、これは誤解である。
分離不安よりも、こうした遊離現象のほうが、より深刻な問題なのである。

(※参考)子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理
的つながりを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識なども見られるよ
うになる。そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期
に、母子の間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考
えられている(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。







アルバムの不思議な力

●子どもの心を、どう育てたらいいの?

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見ながら、成
長していく喜びを知る。それだけではない。子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を
学ぶ。ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お
兄ちゃんだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親
なのだ。一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども
(年長男児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺(ほ)乳ビンを使っていたことを覚えている子
どもは、まずいない。哺乳ビンを見せて、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞
いても、たいてい「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」「妹の○○なら、使っている」と答え
る。

 記憶が記憶として残り始めるのは、満四・五歳前後からとみてよい※。このころを境にして、
子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、
「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長
児にならないとわからない。が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世
界」を広める。その概念を理解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれた
が、このアルバムには、不思議な力がある。

 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバムを見てい
た。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを見ていた。つま
りアルバムは、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやいやなときを、写真
にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。が、そ
れだけではない。冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見
る。やがて父親や母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るように
なる。それは子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だ
が、私はあのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母が少女時代のときの写
真を見たときのことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。子どもはアルバムを通して、自分と
いう「命」が過去から未来へとつながっていることを知る。

 学生時代の恩師の家を訪問したときのこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあ
った。小さな移動型の書庫のようになっていて、そこには百冊近いアルバムが並んでいた。そ
れを見て、私も、子どもたちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、恩師の
まねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバムに見入って
いるのを知った。ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあった。
そしてそのあと、つまりアルバムを見終わった息子たちが、実にすがすがしい表情をしている
のに、私は気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いて
みるとよい。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

(※参考)「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウ
ィーク誌00年12月)。いわく「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけら
れていないためと考えられていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただ
けと考えられている」(ワシントン大学・アンドルー・メルツォフ、発達心理学者)と。これまでは
記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達で、記憶は残ら
ないとされてきた。しかしメルツォフらの研究によれば、記憶はされるが、その記憶を外に取り
出せないだけということになる。現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば乳幼
児期に見景色を、同じ場所に立ったときに思い出すというようなことは、日常生活の中でもよく
経験する。脳の研究には、未知の分野が多いので、この説も含めて慎重でなければならない。









生来の性質、過敏傾向

●うちの子は、神経質かな? もしそうなら……。

 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、
その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、
「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。

 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。そしてその程度がさらに超えた子どもを、過敏児
という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約30%が、そうであるとみる。一般的には、精
神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。ア
レルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という
※。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。

 このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示
に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろく、ちょっとしたこと
で泣きだしたり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、環境になじまず、不適応を
起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん
息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、一過性、反復性など、定型がない。
そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもあるという。A子さんの場合も、原因
不明の発熱に悩まされていた。

 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児(心理反応が敏感児とは逆の子ども。い
わゆる「寅さん」タイプ)であるにせよ、それは子どもがもって生まれた性質であり、なおそうと
思ってなおるものではないということ。無理をすればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。
が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特
殊な分野で、並外れた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなこと
でも、しっかりと見ることができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの十数分でも緊張さ
せると、それだけで神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なの
で、そういう前提で理解してあげる。……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてあ
る。が、こんなタイプの子どももいる。

 見た目には鈍感児だが、たいへん繊細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言
いあっていたりすると、思わぬところでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけ
ているから、「パンツにウンチがついているなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家に帰
ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な
感覚をもちつつも、それをちゃかすことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言
えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わ
ぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプだ。その子ども(小三男児)のときも、
夜になってから、父親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「パンツのウンチのことで、息子
に恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけ
ではわからない。

(参考※)過敏児と鈍感児はふつう対比して考える。それをまとめたのが、次の表である。

過敏児 鈍感児
外見 タイプ見るからに繊細な感じがして、動作もどこか痛々しい感じがする。ハツラツとした覇気がなく、静かで穏やか。 映画の『寅さん』(渥美清)タイプ。(ただし寅さんには、渥美清という名優のデリケートさが混在しているので注意。)
情緒 刺激に対する反応先生の指示などに対して、ピリピリと反応し、教える側のほうが気が抜けない状態になる。本人もささいなことをクヨクヨと気にすることが多い。 どことなくガサツな感じがして、存在感がある。その子どもがいるだけで、雰囲気が変わるということがよくある。
精神 精神的疲労精神的疲労に弱く、ほんの少しの時間だけ神経を使っただけで、神経疲れ(腹痛、頭痛、下痢、息が臭くなる)を起こしやすい。 精神的疲労に強く、ものごとにあまりこだわらない。「バカ」と言われても、「お前ほどでもないよ」と言い返し、その場で笑ってすますことができる。
行動 方向性集団行動が苦手で、ひとりでいることを好む。繊細な感覚を生かした趣味、職業に向いている。 集団行動を好み、統率力もある。ものごとを万事、おおざっぱに考える傾向が強く、こまかい作業や神経を使う作業が苦手。










誤解だらけの幼児教育

●うちの子は、外では別人のように静かだけど……。

 この世界には、無知と誤解が、充満している。たとえば緘黙(かんもく)児。家の中ではふつう
に話したり、騒いだりする。しかし外の世界では貝殻を閉ざしたかのように、緘黙してしまう。重
度の緘黙児は、千人に四人(小学生)といわれているが、軽度の子どもも含めると、二十人に
一人ぐらいの割合で経験する。軽い場合は、気難しい子ども、人見知りする子ども、というよう
な評価を受けることが多い。このタイプの子どもは、無言を守ることにより、自らを保身する。
つまりそのために緘黙する。心理学ではこれを、防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園した
ときをきっかけとして、発症することが多い。過度の身体的緊張が、引き金になると考えるとわ
かりやすい。症状としては、無表情になる。視線をそらす。口をキッと結ぶなど。抱こうとすると
体をこわばらせて、はげしくそれに抵抗する。柔和な表情を浮かべたまま、緘黙する子どもも
いる。心と感情表現が遊離するために起こる現象である。

 M君(年長児)もそうだった。ふとしたきっかけで、まったくしゃべらなくなってしまった。が、こう
いうケースでは、教える側が親に、子どもの問題点を指摘するということは、実際にはしない。
親に与えるショックには、はかり知れないものがある。親が「おかしい」と察知し、親の側から質
問があったときをとらえて、それとなく話す。教育には、はっきりわからなくてもよいことは山ほ
どある。あるいは知っていても、知らぬフリをして教えるということもある。私はM君を、そういう
目で見ながら指導していた。が、その日はたまたま父親が参観に来ていた。私はよい機会だと
思い、あるがままのM君を見てもらった。M君が緘黙したときも、そのままにしておいた。が、こ
れが父親を激怒させた。数日後の朝のこと。その日は日曜日だったが、突然電話がかかって
きた。そしていきなりM君の父親はこう怒鳴った。「お前は、うちの息子を委縮させてしまった。
ついては責任をとってもらう」と。この続きは長い。そのあといろいろあった。

 こんなこともあった。自閉症という、よく似た情緒障害がある。初期症状としては、感情の鈍
化、自分勝手な行動、情意(心)の疎通ができないなどがある。症状が進むと、いわゆるカラに
閉じこもってしまい、衝動的な行動(外部の者からは理解できないような恐怖感やおののきか
ら、突発的に暴れる)が目立つようになる。ある特定の物やことがらに、異常にこだわることも
ある。数表、カレンダー、列車の時刻表、数式など。そういう特殊な分野にふつうでない興味と
関心を示す。その分野では、天才的な能力を発揮するため、親自身が「天才児」と誤解するケ
ースが多い。K君(年中児)もそうだった。ある日、父親と母親に連れられて私のところへやって
きた。そして父親はこう言った。「うちの息子は、幼稚園から帰ってくると、高校生が見るような
科学ビデオを、毎日じっと見ている。私にはよくわからないが、うちの息子には無限の可能性
があるように思う。ついては先生のところで、一度、小学生の勉強を教えてみてくれないか」と。
父親はある研究所の研究員だった。こういうケースでも、私のほうから子どもの問題点を口に
することはない。初対面であれば、なおさらだ。私は父親の申し出を、ていねいに断るしかなか
った。








キズつく子どもたち

●離婚は、子どもに影響を与えるの? どうしたらいいの?

 ある日、F君(年長児)の母親が、幼稚園へやってきた。そして私の授業をどうしても、参観さ
せてほしいと言った。私がそれを断ると、母親は泣き崩れて、ドアのところで身をかがめてしま
った。つき添ってきた女性(母親の姉)も、「一度でいいから」と、私に迫った。が、私にはどうす
ることもできなかった。F君には、そのとき、新しい母親がいた。その母親は母親で、F君の心
をつかもうと必死だった。F君の祖母からも、「仮にそういうことがあっても、決して、前の母親に
は会わせないでほしい」と、何度も念を押されていた。しかし私が母親に参観させることができ
なかった理由は、ほかにあった。

 離婚するのは離婚する人の勝手だが、そこに至る騒動が、子どもの心をキズつける。こんな
ことがあった。ある日J君(年中児)に、「絵を描いてごらん」と紙を渡したときのこと。J君はクレ
ヨンで真っ黒に塗りつぶしてしまった。そこでもう一度、紙を渡すと、その紙も同じように塗りつ
ぶしてしまった。軽く叱ると、今度は足で机をひっくり返してしまった。あとで母親にその理由を
聞くと、「実はその前夜、夫が蒸発しまして…………」と。

 一般論として、子どもというのは引っ越しなど、環境の変化には、たいへん強い適応力を見
せる。しかし愛情の変化には、もろい。夫婦喧嘩も、ある一定のワクの中でするなら問題はな
いが、そのワクを超えると、子どもに大きな影響を与える。ものの考え方が粗雑化する。感情
のコントロールができなくなる。育児拒否児、家庭崩壊児に似た症状を示すこともある。ある子
ども(年長男児)は、いくら先生に叱られても、口をキッと結んだまま、涙一つこぼさなかった。
自然な感情表現そのものも、自ら押し殺してしまう。そしてそれが慢性化すると、俗にいう、「ひ
ねくれ症状」が出てくる。私「誰だ、このクレヨンをバラバラにしたのは」、子「体がひっかかっ
て、落ちた」、私「だったら、拾っておきなさい」、子「先生がそんなところに置くから悪い」、私
「置いても、落としたのは君なんだから、拾うべきだ」子「先生だって、この前、落としたクセに…
………」、私「…………」と。

 それにもう一つ一般論。たった一度でも、その衝撃が大きければ大きいほど、子どもの心に
は、取り返しがつかないほどの大きなキズがつく。以前だが、NHKの報道番組の中で、失語
症になってしまった女性(二〇歳ぐらい)が紹介されていた。彼女は一〇歳ぐらいのとき、両親
が目の前で惨殺されるのを目撃してしまった。以来、声が出なくなってしまったという。戦時下
のサラエボで起きた悲劇だが、これに似たケースはいくらでもある。実は冒頭にあげたF君も、
そうだった。会ったときから、強度の自閉傾向を示していた。勝手にあちこちを動き回り、自分
からは決して心を開こうとしなかった。意味のない独り言をボソボソと言い続けるなど、話しか
けても、会話そのものが、かみあわない。私「今日はいい天気だね」、F「冷蔵庫の上に、トン
ボ!」と。突然、奇声をあげて教室の中を走り回ったり、私の手にかみつくこともあった。そんな
姿を母親が見たら、その母親はどう思うだろう。私にはそれを見せることができなかった。私は
別れぎわ、その母親にはこう言った。「心配しなくても、いいですよ。F君は、今、元気にやって
いますから」と。









学校恐怖症の子ども

●不登校児になったら、たいへん!? どう考えたらいいの?

 子どもが不登校を起こす背景や原因は、決して一様ではない。いじめや暴力が原因で不登
校を起こすケース、あるいは集団教育になじめず不登校を起こすケースなど。私の息子の一
人はひどい花粉症で、毎年春先になると、決まって不登校を繰り返した。花粉症による睡眠不
足が、その引き金になった。が、こうした不登校の中でも比較的多く、また期間が長期化する
のタイプの不登校に、不安障害による不登校がある(長崎大・中根允文氏ほか)。「登校拒否」
という言葉は、イギリスのI.T.ブロードウィンが、1932年に最初に使い、1941年にアメリカ
のA.M.ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。

ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三
期に分けて、学校恐怖症を考えた。私はそれをさらに四期に分け、次のようにした。

第一期・不調期 登校時刻になると、身体的不調を訴える。頭痛や腹痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると静かに収まってくる。床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と答えたりする。この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」とか言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。
第二期・パニック期 登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだりする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。しかしいったん、学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せる。あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。
第三期・自閉期 親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自分の世界に閉じこもるようになる。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ち着く。ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある。この状態で症状は、数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。
第四期・回復期 少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。


 第一期で注意しなければならないのは、たいていの親はこの段階で、「わがまま」とか、「気
のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。あるいは子どもの言う理
由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見落としてしまう。しかし
このタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。ある母
親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。そ
して泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。その母
親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。
が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しが
つかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくない
ときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくて
すむかもしれない。

 要は子どものリズムで考えるということ。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えるこ
と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を、未然に防ぐことができる。









子どもの情緒不安

●情緒って、何? 情緒不安って、何?

 子どもの成長は、おおまかに分けて、@知能の発達度、A運動能力の発達度、B情緒の安
定度、それにC精神の完成度の四つの分野からみる。このうち、子どもの情緒の安定度は、
子どもが体力的に疲れていると思われるときをみると、わかる。

 たとえば運動会や遠足のあとなど。そういうときでも、不安定症状(ぐずり、ふさぎ、イライラな
どの精神的動揺)がなければ、情緒の安定した子どもとみる。あるいは子どもは寝起きをみ
る。不機嫌なら不機嫌でも構わないが、毎朝様子が同じというのであれば、やはり情緒が安定
した子どもとみる。

 子どもは二〜四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に動揺しやすいことがわかっ
ている。経験的には、乳幼児から少年少女期への移行期にあたる満四〜五歳、および小学二
〜四年生にかけて不安定になることがわかっている。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。

 情緒が不安定な子どもは、心がいつも緊張状態にある。外見にだまされてはいけない。柔和
な表情を浮かべながら、心はまったく別の方向を向いているということは、よくある。このタイプ
の子どもは、気を許さない。気を抜かない。他人の目を気にする。そのため表面的には、よい
子ぶる。そういう状態の中に、不安や心配が入り込むと、それを解消しようと、一挙に緊張感
が高まり、情緒が不安定になる。

 症状としては、(1)攻撃的、暴力的になるプラス型と、(2)周囲に溶け込めず、ひきこもった
り、怠学、不登校を繰り返したりするマイナス型に分けて考えるとわかりやすい。プラス型は、
ささいなことで激怒したり、さらに症状が進むと集団的な非行行動をとったりする。マイナス型
は慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることが多い。

 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。親の放任的態
度、無責任で無教養な子育て、神経質な子育て、親の拒否的な態度、家庭騒動、家庭不和、
恐怖体験など。子どもというのは、絶対的な安心感のある家庭で、豊かな情緒をはぐくむ。「絶
対的」というのは、疑いをいだかないという意味である。「私は絶対的に守られている」という安
心感が、子どもの心を安定させる。

 子どもが情緒不安症状を示すと、親はその原因を外の世界に求めようとする。しかし原因の
第一は、家庭にあると考えて反省する。過干渉、過関心、過負担、過剰期待など。心を束縛し
ているものがあれば、解きほぐす。一番よいのは、子どもの側から見て、親の存在を感じさせ
ないほどまでに、子どもが一人になれる時間と場所を用意すること。あれこれ気をつかうの
は、かえって逆効果。あとはスキンシップを多くして、温かい家庭作りに努める。

 なお一般的には、情緒不安は神経症の原因となることが多い。摂食障害(過食、拒食、異
食、小食、偏食など)、睡眠障害(不眠、夢中遊行、夜驚症、寝言、早朝覚醒、寝起きボケ、悪
夢、就寝拒否、寝る前のぐずりなど)、言語障害(かん黙、吃音(どもり)、あがり性、失語症な
ど)、習慣性の問題(指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものいじ
り、ものをなめる、ものを口に入れる、手洗いグゼ、臭いかぎなど)、性行動(自慰、早熟、肛門
刺激、異物挿入など)、感情障害(かんしゃく、嫉妬、恐怖、不安発作、激怒、ぐずり、抑うつ、
拒否症、嫌悪症、分離不安、強迫傾向、ヒステリー、高所恐怖症、赤面恐怖症、閉所恐怖症、
潔癖症、対人恐怖症など)、表情の問題(無表情、しかめっ面、無感動、涙もろい、口をとがら
す、ため息など)、行為障害(反抗、盗み、破滅的行為、残虐性、乱暴、帰宅拒否、いじわる、
いじめ、仲間はずれ、家出、虚言、火遊び、散らかし、収集グセ、無気力、怠学、かみつき、引
きこもり、緩慢行動、行動拒否、凶暴行為など)。ほかに頭痛、心拍増加、呼吸異常など、症状
は千差万別で定型はない。

(※参考)
あなたのお子さんを、診断してみませんか?
(子どもの神経症診断)

方法は簡単……思い当たる症状に丸をつけてみてください。
                                                     
   
【このテストでわかること】

 心だって、風邪をひきます。ごくふつうのお子さんが、ごくふつうのご家庭で、ある日突然、心
の風邪をひくということも珍しくありません。その一つが、子どもの神経症です。心が何らかの
原因で変調すると、その症状は、さまざまな「様子」となって外に現れてきます。その様子をて
がかりに、お子さんの心の状態を診断してみようというのが、このテストです。
                                                        
    
【診断のし方】 該当する項目に、(○)をつけてください。あとで、その欄にある点数を合計しま
す。
   ●複数項目あるときは、一つでも該当すれば、(○)をつけます。
   ●症状があっても、「軽い……」と判断されるときは、点数を2で割ってください。
   ●今、症状が出ているときには(A)欄に、以前にその症状があったときには(B)欄に  
  (○)をつけます。 

  お子さんに見られる症状 (A)今、そういう症状が見られる                   
                   (B)以前にそういう症状が見られた  

(A) (B)
食事・睡眠・
言語の問題
過食、拒食、異食、偏食             
好き嫌い、小食、食事がのろい         
不眠、悪夢、早朝起床、寝言、うわごと     
夜驚症、夢中遊行(ねぼけ)                         
就寝拒否、寝る前のぐずり、夜泣き               
緘黙(外の世界では無言)                           
自閉傾向(心の疎通ができない)                  
吃音(どもり)、失語症、あがり症 
2点






1点






習慣の問題 指しゃぶり、爪かみ、髪いじり
歯ぎしり、唇なめ、つば吐き                     
ものをなめる、鼻ほじり、ものいじり              
固着(特定のものをいつも持っている)         
潔癖症(手洗いグセ)                               
疑惑症(臭いかぎ)                                  
自慰、異物挿入、肛門刺激、早熟 












感情・行動の問題
かんしゃく発作、激怒                        
不安発作、ぐずり、恐怖症、嫉妬深い         
抑うつ(ふさぎこみ)、取り越し苦労               
拒否症、嫌悪症、分離不安                        
対人恐怖症、人見知り、内弁慶外幽霊          
高所恐怖症、閉所恐怖症                           
赤面恐怖症、赤面症、声を震わす               
生活習慣がだらしない、無秩序                    
強迫傾向、取り乱し、混乱しやすい                
無表情、しかめっ面、無感動                       
涙もろい、ため息、すぐ泣く         
赤ちゃんがえり、下の子いじめ      
反抗、盗み、乱暴、暴力、火遊び      
破壊的行為、残虐性、いじめ        
動物虐待、いじわる、仲間はずれ     
虚言、妄想、うそつき、言い逃れ       
収集グセ、特定物へのこだわり       
家出、帰宅拒否、行動拒否           
散らかし、無頓着、無気力、無関心     
かみつき、凶暴行為、野獣的行為      
緩慢行動(動作が鈍い)           
怠学、不登校、引きこもり、燃え尽き     










































身体の問題 自家中毒(慢性的な嘔吐)、腹痛、便秘  
興奮すると心拍増加、呼吸異常    
ぜん息、仮性ぜん息      
心因性のじんましん、アレルギー    
チック、貧乏ゆすり           
夜尿、遺尿、頻尿          
慢性的な頭痛、下痢、筋肉痛      
排尿、排便障害、トイレが長い       
口臭、口乾(水をよく求める)    
慢性的な眼病、ものもらい          
脱毛症、円形脱毛症    
慢性的な原因不明の発熱        

























Aの合計 Bの合計 A+Bの合計
2歳児の平均点 3.5 1.5 5.0
5歳児の平均点 4.8 3.1 7.9
8歳児の平均点 3.0 3.0 6.0


注意●ここに表示したのは、あくまでも平均点です。従って、平均と比べて、どうだというような判断をしてください。
   ●このテストでは、得点の高い人は、極端に高い点(10点以上)が出ることが多いです。
   ●A+Bの合計点が、7〜8点の範囲であれば、それほど問題はないとみます。
   ●協力:静岡県・有玉南小学校、庄内幼稚園、大阪・育和学園幼稚園、男児78名、女児57名の皆さん

(※参考)

【子どもの神経症について】
心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症といいます。子どもの神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考えます。
(1)精神面の神経症 精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎこむ)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもあります。
(2)身体面の神経症 夜驚症、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝起床、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警戒します。
(3)行動面の神経症 神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面に現われてきます。不登校もその一つですが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになります。パンツ一枚で出歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもあります。
こうした神経症が現われると、親は、子どもを包む家庭環境を猛省しなければなりません。たいてい親は、その原因を外の世界に求め、「いじめが原因だ」「先生の指導が悪い」などと言ったりしますが、まず反省すべきは、家庭環境です。子どもの側から見て、神経質な環境(こまごま言う)、威圧的な環境(ガミガミ言う)、過干渉的な環境(上から何でも押しつける)、過関心的な環境(気が抜けない)になっていないかを反省します。子どもが家の中で、のんびりと、くつろげるような状態を大切にします。今回の診断テストで、高得点だった人ほど、注意してください。