子どもの自我
●自我って、何? 自我を引き出すには、どうすればいいの?
フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると……。
自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、ものの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動できる。
反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。見た目の活発さだけで、自我の強弱を判断すると、子どもを見誤ることになる。静かな子どもでも、自我が強い子どもはいくらでもいる。反対に、ワーワーと自己主張するからといって、自我が強いということにもならない。昔の人は、それを「芯(しん)」という言葉で表現した。「あの子は芯の強い子」とか。
一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみどころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分からない子どもといった感じになる。
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価値感を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子どもの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがたいへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。
人間は、ほかの動物と同様、数十万年というながい年月を、こうして生き延びてきた。その過程の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思う方がおかしい。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育ての原点はここにある。
(※参考)フロイト(1856〜1939、オーストリアの心理学者)は、自我の強弱によって、人の様子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめた表が、次のものである。
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自我が強い子ども |
自我が弱い子ども |
行動能力 |
ものごとに攻撃的になり、積極的になる。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口からよく出てくる。 |
ものごとに防衛的になり。消極的になる。「いやだ」「つまらない」という言葉が多くなる。 |
現実感覚 |
現実感が強く、ものの考え方が現実的になる。頼れるのは自分だけというような考え方をする。 |
ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりするようになる。 |
趣味の方向性 |
将来に向かって、創造的な趣味が多くなる。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。 |
一時的な快楽を求める傾向が強くなり、趣味も退行的かつ非生産的になる。たとえば意味もないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。 |
衝動的行為 |
ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールができ、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。 |
衝動性が強くなり、ほしいものに対して、ブレーキをかけられなくなる。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識が生まれない。 |
自我……意識される客体としての自己に対して、自分を意識する主体(哲学)。個々の心理現象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)など。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。
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