はやし浩司

親の老後
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自分の老後をどう考える……?

はやし浩司


老人ホームをどう考える?

何ともわびしいテーマですが、これから10年くらいをかけて、ゆっくりと考えてみたいですね。
今、日本の若者で、「どうしても親のめんどうをみる」と考えている子どもは、20%もいない(総
理府調査)です。子どもはアテになりませんから。

ある退職者

 退職してからも、現役時代の肩書きや地位を引きずって生きている人は多い。とくに「エリート」と呼ばれた人ほど、そうだ。そういう人にしてみれば、自分が歩んだ出世コースそのものが、自分の人生そのものということになる。Y氏(六七歳)もその一人。

 私に会うと、Y氏はこう言った。「君は、学生時代、学生運動か何かをしていたのかね? それでまともな仕事につけなかったのかね?」と。

 彼は数年前まで、大手の都市銀行で、部長をしていた。この浜松へは、生まれ故郷ということで、定年と同時に、移り住んできた。彼の父親の残した土地が、あちこちにあった。そこで私が、「本も書いています」と言うと、「いやあ、こういう時代だから、本を書いてもダメでしょ。本は売れないでしょ」と。たしかにそうだが、しかしそういうことを面と向かって言われると、さすがの私でもムッとくる。

 問題は、なぜY氏のような人間が生まれるか、だ。仕事第一主義などという、生やさしいものではない。彼にしてみれば、人間の価値まで、その仕事で決まるらしい。いや、それ以上に、なぜ、人は、そこまで鼻もちならないエリート意識をもつことができるのか。自尊心という言葉があるが、その自尊心とも違う。肩書きや地位にしがみつくのは、自尊心ではない。自尊心というのは、生きる誇りをいう。肩書きや地位とは、関係ない。彼のような人間は、戦後の狂った経済社会が生みだした、あわれなゾンビでしかない。

 もっとも彼にしてみれば、過去の肩書きや地位を否定するということは、自分の人生そのものを否定することになる。最後は部長になったが、その部長をめざして、どれほど身を粉にして働いたことか。家庭を犠牲にし、自分を犠牲にしたことか。それはわかるが、「では、Y氏は何か?」という部分になると、実のところ何もない。何も浮かんでこない。少なくとも私には、ただの定年退職者(失礼!)。

 別れぎわ、「今度、また自治会の仕事をよろしくお願いします」と言ったら、こう言った。「ああ、県や市でできることがあれば、私に一度、連絡してください。私のほうから口をきいてあげます」と。そうそう、こうも言った。「林君は、カウンセリングもできるのですか。だったら、国のほうでも、そういう仕事があるはずですから、今度、私のほうで、話してみてあげますよ。知事とも、懇意にしていますから……」と。

 おめでたい人というのは、Y氏のような人をいう。が、私は心の中で、Y氏とは、完全につながりを切った。「何かの仕事の話になっても、(そういうことはありえないが)、断ろう」と心に決めた。
(02−12−2)


老後

 おととい、Pペイントという、日本でも一、二を争うペンキ会社で、会長をしていたというT氏が、久しぶりに我が家へ寄ってくれた。一五年ぶり? 玄関で会ったとき、「お元気ですか」と言いかけたが、思わず、その言葉がのどの奥に引っ込んでしまった。T氏は、すっかり老人ぽくなってしまっていた。

 居間でしばらく話していると、やがて年齢の話になった。私が「五五歳になりました」と言うと、「いいですねえ、これからですよ」と。私が驚いていると、こうつづけた。「ちょうどバブルのころということもありましてね。私が本当に自分の仕事ができたと思うのは、五六歳から六三歳までのときでした。頭も体も、すこぶる快調で、気持ちよく仕事ができました」と。

 実のところ、私は、自分でも実感できるほど、体の調子がよい。昨日も講演先の小学校で、階段を三段とびにのぼっていたら、あとから追いかけてきた校長が、「足がじょうぶですね」とほめてくれた。「はあ、自転車で鍛えていますから」と答えたが、そのおかげというか、健康には、これといって、不安なところはない。ダイエットしたおかげで、どこか頭の中もスッキリしている。

 私は年配の人が、私に向かって、「若くていいですね」と言うときは、いつもそれを疑ってしまう。「本当にそうかな?」「なぐさめてくれているのかな?」「お世辞かな?」と。五五歳になった私の印象としては、「先が読めない」という不安感のほうが強い。「これからはガンになる確率がぐんと高くなる」とか、「これからはすべてが先細りになる」とか、そんなことばかり考える。よくワイフは、「あなたは、見かけは若々しいけど、中身は老人ぽい」と言うが、本当にその通りだと思う。

 ルソー(フランスの思想家、一七一二〜七八)が、『エミール』の中でこう疑問を投げかけている。多分、これを書いたとき、彼も今の私と同じ、五〇歳代だったのだろう。

 「一〇歳では菓子に、二〇歳では恋人に、三〇歳では快楽に、四〇歳では野心に、五〇歳では貪欲に動かされる。人間はいつになったら、英知のみを追うようになるだろうか」と。

 あのルソーですら、「貪欲に動かされる」と。いわんや私をや……と、居なおるわけではないが、五五歳というのは、ちょうど、「そうであってはいけない」「しかしそういう自分も捨てきれない」と、そのハザマで悩む年齢かもしれない。まだ野心の燃えカスのようなものも、心のどこかに残っている?

 T氏はさかんに、「まだまだ、これからですよ」と言ってくれたが、「これから先、何ができるのだろうか」という思いも、また強い。またそういう思いとも戦わねばならない。「貪欲さ」がよくないとはわかっているが、しかしそれがなくなったら、生活の基盤そのものが、あやうくなる。働いて、仕事をして、稼ぎを得て、それで生きていかねばならない。私のばあい、悠々自適(ゆうゆうじてき)の年金生活というわけにはいかない。いわんや「英知のみを追う」などというのは、夢のまた夢。

 そうそうT氏は別れぎわ、こうも言った。「林さんは、いいねえ。道楽が多くて……。私なんぞ、人間関係のウズの中で、自分を支えるだけで精一杯でした」と。しかしこれは、T氏一流の、私への「なぐさめ」と理解した。


アンビリーバブル

 世の中には、信じがたい人たちというのは、たしかにいる。ふつうの常識では、考えられない人たちである。実は、先日も、こんなことがあった。

 その男性は、現在、八五歳。子どもはいない。大手の自動車会社の研究所で、研究員を長年したあと、筑波(つくば)の国立研究所で、一〇年ほど研究員をした。そのあと、しばらく私立大学の教壇に立ったあと、今は、退職し、年金生活を送っている。が、そのあといろいろないきさつがあって、このH市に住んでいる。

 ここまではよくある話だが、実は、その男性は、がんを患っている。もう余命はそれほど、ない。手術も考えたが、年齢が年齢だからという理由で、抗がん剤だけで治療している。が、私が「信じがたい」というのは、そのことではない。その男性は、莫大な資産家でもある。市内だけでも、大きなビルを、三か所もっている。それに大地主。市の中心部と郊外に、一〇〇〇坪単位の土地をいくつかもっている。ハンパな金持ちではない。

 が、だ。その男性、今、別の男性(五二歳)と、わずか一〇坪の土地について、民事調停をしている。本来なら、話しあいでどうにかなった問題だが、関係が、こじれてそうなった。先日も、その土地をはさんで、二人が道路で、大声で怒鳴りあう喧嘩(けんか)をしていたという。

 私はこの話を聞いて、「へえエ〜」と言ったきり、言葉が出なかった。

 もし私ががんを宣告されたら、それだけで意気消沈してしまうだろう。何もできなくなるだろう。しかも八五歳といえば、私より三〇歳も年上ということになる。そういう人生の大先輩が、その上、大金持ちが、わずか一〇坪の土地のことで、言い争っている? 人間の「生」への執着心というか、はっきり言えば、愚かさというか、それが私には信じられなかった。あるいは何がそうまで、その男性を、駆り立てるのか?

 ここまで考えて、私はしばらく、あちこちの本を読みなおしてみた。で、最初に目についたのが、ミルトン(一六〇八〜七四、イギリスの詩人)の『わめく女』。その中でミルトンは、こう書いている。「老人が落ち込む、その病気は、貪欲である」と。これだけを根拠にするわけではないが、どうも年をとればとるほど、人間的な円熟味がましてくるというのは、ウソのようだ。中には、退化する人もいる? そういえば、ギリシャのソフォクレスも、「老人は再び子ども」という有名な言葉を残している。

 私はこの男性の話を聞いたとき、「老年とは何か」、それを考えてしまった。あるいはこういう人たちは、その年齢になっても、まだ人生は永遠につづくとでも、思っているのだろうか。仮にあの世があるとしても、あの世まで、財産をもっていくことができるとでも思っているのだろうか。さらに「死」を目前にして、我欲にとりつかれることの虚しさを覚えないのだろうか。さらにあるいは、老年には老年の、私たちが知る由もない、特別の心理状態があるのだろうか。

 これは近所の男性(八〇歳)のことだが、こんな話もある。ある夜、隣の家の人に、その男性が「助けにきてほしい」と電話をしてきたという。そこでその隣の人が、その男性の家にかけつけてみると、その男性は玄関先で倒れていたという。隣の人がそれを見て、「救急車を呼びましょうか?」と声をかけると、その男性は、こう言ったという。「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」と。

 この話を聞いたときも、私はわが耳を疑った。その男性は、だれに対して、何を恥ずかしいと思ったのだろうか。

 さてさて、人はだれしも、老いる。それは避けることのできない未来である。末路と言ってもよい。そういうとき、どういう心理状態になり、どういう人生観をもつか。私は私なりに、その準備というわけでもないが、それを知りたいと思っている。で、こういう人たちが一つの手がかりになるはずのだが、しかし、残念ながら、私には、まったく理解できない。冒頭に書いたように、どれだけ、また何回、頭の中で反芻(はんすう)しても、理解できない。信じられない。つまりアンビリーバブルな話ということになる。この問題は、ひょっとしたら、私自身がもう少し年をとらねば、わからない問題なのかもしれない。

 ただここで言えることは、老人のなり方をまちがえると、かえってヘンな人間になってしまうということ。偏屈でがんこになるのならまだしも、邪悪な人間になることもある。そういう意味では、人間は、死ぬまで、前向きに生きなければならない。うしろを向いたときから、その人間は、退化する。釈迦も、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、それを説明した。「死ぬまで精進せよ(前向きに生きろ)」と。
(02−12−4)

●老人が、人生の大家であるというのは、まったくの幻想である。何と醜い老人が多いことか。またこの世の中に、のさばっていることか。……と書いて、私たちはそうであってはいけない。またそういう老人になってはいけない。一方的に老人を礼さんする人というのは、その人自身がすでに、その老人の仲間になっているか、前向きに生きるのをやめたということを意味する。本当にすばらしい老人というのは、自らが醜いことを知っている老人である。安易な老人美化論には、注意しよう!

●私の観察では、人間は、早い人で、もう二〇歳くらいから進歩することをやめてしまう。あるいは三〇歳くらいから、それまでの人生を繰り返すようになる。毎年、毎月、毎日、同じことを繰り返すことで、そのときどきを、無難に生きようとする。あるいは考えることをやめてしまう。が、なおさらに、タチが悪いことに、自らを退化させてしまう人もいる。そういう意味で、人間にとっては、「停滞」は、「退化」を意味する。それはちょうど、川の流れのようなものではないか。よどんだ水は、腐る。

●自らを輝かせて生きるためには、いつも前向きに生きていかねばならない。恩師は、一つの方法として、「新しい情報をいつも手に入れることだ」と教えてくれた。また別の恩師は、「いつもトップクラスの人とつきあうことだ。新しい世界にチャレンジすれば、自然と、自分が磨かれる」と教えてくれた。方法はいろいろある。山に登るにも、道は必ずしも一つではない。

●そこで考えてみよう。あなたのまわりには、老人と呼ばれる人がたくさんいる。あなた自身も、すでにその老人の仲間になっているかもしれない。そういう老人や、あなたは、今、輝いているか、と。実は、これは私自身の問題でもある。私は今、満五五歳。このところとみに気力が衰えてきたのがわかる。何かわずらわしいことが起きると、それが若いころの何倍も気になるようになった。チャレンジ精神も薄れてきたように思う。できるならひとり、のんびりと暮らしたいと思うことも多い。つまり私自身、輝きをなくしつつあるように思う。

●そこで、考える。どうすればいいのか、と。逃げるわけではないが、この問題は、これから先、私にとっては、大きな問題になるような気がする。今は、ここまでしか書けないが、この問題は、近々、決着をつけなければならないと思っている。