はやし浩司

ある親子の崩壊
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一緒に考えてみませんか?

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今、古い世代と新しい世代の間で、互いの子育て観が激突している。

一つのケースを参考に、考えてみたい。


(ケース1)親をだます子どもはいる。しかし中には子どもをだます親だっている。Tさん(七五歳女性)は、言葉巧みに息子氏(四五歳)から土地の権利書を取りあげると、それを転売してしまった。もともとはその土地の権利書は、祖父のものだったが、息子氏が実家を建てなおすとき、その担保として息子氏が母のTさんから預かったものだった。ほかに息子氏は、二三歳のときから、母のTさんに、収入の何割かを毎月仕送りしていた。その額は総額で、一億円をくだらない額になっていた。また家の建てなおしのためには、二〇〇〇万円ほどかかった。が、Tさんが転売した土地は、土地といっても、実際の額は八〇〇万円足らず。しかも当時の税制で、約四割は税金で取られ、手取りは五〇〇万円前後であった。

 が、そのあとTさんが息子にとった方法は、実に日本的な方法だった。怒った息子氏に対して、Tさんは、「ほとぼりを冷ます」とやり方に出た。が、その間、約一〇か月の月日が流れた。Tさんは、ほとぼりを冷まそうとしたのかもしれないが、その一〇か月の間に、息子氏の母親に対する「思い」は消えた。事実、その一〇か月の間、息子氏は毎晩、母に裏切られた悔しさからか、熱にうなされた。息子氏の妻が、その看病(?)をした。

 が、こうした関係を修復しようとしたのは、息子氏のほうだった。八か月ほどたった夏の夜のことだった。「一度冷静に話し合って、問題を解決しよう」と、Tさんに電話をした。しかしここでまたTさんがとった方法は、実に日本的な方法だった。Tさんは、とぼけるという方法に出た。息子「お母さんは、なぜぼくが怒っているか、わかるか?」T「……」息子「ぼくがお金を取れなかったから怒っていると思っているだろ?」T「そうではないか」息子「そうでない。ぼくが怒っているのは、あなたにだまされたからだ」T「私がいつだましたかね?」と。そこで息子氏がもう一度いきさつを説明しようとすると、Tさんは電話の向こうで、混乱状態になってしまった。そしてギャーギャーと泣きわめきながら、「そんな聞いたら、今夜は眠れない、眠れない。親に向かってひどいことを言う!」と叫んだ。息子氏はそれを聞いて、電話を切った。



 このケースでは、意見が二つに分かれる。一つは、たとえ悪いことをしても親は親だから、息
子氏はそれに耐えるべきだという意見。もう一つは、たとえ親でも、悪いことをしたら、息子にあ
やまるべきだという意見。そこであなたはどうかを考えてみてほしい。あなたならこういうケース
では、どのように判断するだろうか。数人の人の意見を参考までにここにあげる。



息子氏の義理の兄(六〇歳)の意見

 親は親だから、Tさんは、息子氏にあやまるべきではない。自分を産んでくれた親を責めるというのは、子どものすべきことではない。老後の親のめんどうをみるのは、子どもの義務ではないか。そのために払った費用だと思えばよい。親の寿命もそれほど長くはないのだから。

息子氏の叔父(Tさんの弟、七一歳)の意見

 親子の縁は、切って切れるものではない。Tさんがしたことは、必死に「家」を守ろうとした行為であって、正しい行為である。もともとは祖父からの財産なのだから、息子氏が文句を言うのはおかしい。今の若い者は、先祖を大切にしない。この争いの原因は、すべてここにある。

息子氏の姉(六〇歳)
 
 母(Tさん)も歳なのだから、許してやってほしい。

息子氏の意見

 「覆水、盆に帰らず」と言うが、親子の情でも冷えるときは冷える。やさしい母(Tさん)を知らないわけではないので、つらい。が、この冷え切った気持ちは、もうどうにもならない。もう早くこの問題から解放されたい。それからもう六年になるが、今でも母は、いろいろな人物を使って、私に言い寄ってくる。しかし私が聞きたい言葉は、母の謝罪の言葉だ。私は母の「かわりに貯金しておいてあげるから」という言葉を信じて、若いころは収入の約半分を、母に送りつづけてきた。しかし今にいたるまで、一円も返してもらっていない。そればかりではない。長男が生まれたとき、私たちは六畳と四畳のアパートに住んでいた。そういう私たちからも、母は、そのときですら二〇数万円のお金を受け取って実家へと帰っていった。一週間ほど寝泊まりして、女房のめんどうをみてくれるという約束だったが、母が泊まってくれたのは、二晩だけだった。私がお金を渡すと、その翌朝にはもう帰っていった。母にしてみれば、私という存在は、母の所有物でしかなかったのか。今にして思うと、そう思う。事実、この三〇年間で、私は母からもらったものは何もない。子ども時代の写真一枚すらもらっていない。「写真がほしい」と私が言うと、母はいつも、「死んだらやる」と言っている。それに母はいつもこう言っている。「親の悪口を言う子どもは、必ず地獄へ落ちる」と。





(考察)
 この問題を考えるとき、日本全体がかかえる封建体質というものを無視することができない。
江戸時代においては、個人という存在そのものがなかった。きびしい身分制度の中で、その身
分は「家」によって決められていた。その後、日本は明治、大正、昭和と時代が過ぎたが、この
間、日本政府があの封建時代を清算したという事実はどこにもいない。ないばかりか、日本は
いまだにあの江戸時代そのものを引きずっている。それがこのTさんと息子氏の関係に見るこ
とができる。
 「親は絶対」と、自ら考えるTさん。「親だって親である前に人間」と主張する息子氏。「先祖を
大切にするのは、子どもの義務」と考えるTさん。「もうこの世界にいない先祖のために、子ども
が犠牲になるのはおかしい」と考える息子氏。この問題の奥深いところで、こうした二つの価値
観がはげしく対立している。
 さて、あなたはこの問題を、どう考えるか。実のところこの問題は、今の国際問題にも関係し
ている。いまだに日本政府は、中国や韓国に対して、あの戦争の責任について、正式には一
言も謝罪していない。しないで、経済援助という形で、いわばナーナーの形ですませてしまって
いる。この日本国内においては、戦争責任者の責任追及すらしていない。こうした日本政府の
姿勢の背景にあるのは、やはり「親がしたことについては、責任を問わない」という考え方であ
る。国そのものを、日本人は一つの大きな「家」として考える。あるいはそういう意識から抜け
出ることができない。Tさんと息子氏の問題は、決してその家族の個人的な問題ではないの
だ。