はやし浩司

Q&A-1
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心の問題
はやし浩司


岩手県のMKさん(母親)よりの相談から……

 林先生、はじめまして。いつも HP、メルマガを拝見させていただいております。

さて、小学三年生の息子について相談させていただきます。とにかく、学校での緊張が強くて疲れやすいので困っています。休み時間は、元気に遊んでいるようですが、授業中は、先生に叱られては、いけない、上手く発言したいなどの意識が強いようです。プライドが高くて、結果ばかり気にしているようです。また、気が小さいわりに頼まれると、クラスで応援団の代表の一人に選ばれたりしますが、隣の子が叱られていても、びくびくして涙ぐむタイプです。

 一人目で、四歳下の妹がいますが、小さいときから、神経質に私がなりすぎたせいか、気が小さいです。今も、寝るときは、ぬいぐるみ(ぼろぼろの雑巾状態)を持って、指しゃぶりをしながらでないと眠れません。私が添い寝をすると安心するようです。

 学校から帰ると毎日友達と、ゲームや外遊びをしています。私が専業主婦なので、七人くらいの友達が来ることもあります。いつもは三、四人で遊んでいます。家では、野生のサルのように活発ですが、「宿題は?」というと、ひどく怒ります。家では、私が何も言わないと機嫌よく友達と遊び、寝る前に宿題のみをして、寝るような毎日です。

 私が、あまり温かな家庭に育ってないせいか、子育てに張り切りすぎて子どもをゆがめてしまったようです。私は、進学校で落ちこぼれ、店員をしていました。主人は、月の半分が出張で、働いていますが、腎臓の難病をかかえています。

 私の実の弟は、不登校から心身症になり実家で、療養中です。

 はやし先生、よろしければアドバイスをお願いします。 

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MKさんへ

 心の緊張状態がとれないことを、情緒不安といいます。その緊張状態に、不安や心配が入りこむと、心はそれを解消しようと、一挙に不安定になります。つまり情緒不安は、あくまでも症状にすぎないということです。

 そしてその症状は、子どもによって異なります。攻撃型(乱暴になる、暴力的になる)、固着型(過去にこだわる、クヨクヨする)、固執型(毛布の切れ端や、ものにこだわる)、内閉型(ぐずる、引きこもる)に大きく分けて考えます。

 で、問題は、なぜ心の緊張感がとれないかですが、基本的には、人間関係の結び方ができないとみます。自分の心をさらけだして、自己開示ができない。あるいはそれが不十分ということです。原因は、乳幼児期の、母子関係が不全であったことが疑われます。

 子どもは、対母親との関係で、基本的人間関係を結びます。父親ではありません。母親です。そういう意味では、子どもにとっては、母親は絶対的な存在です。その母親に対して、絶対的な安心感を覚えることで、子どもは、基本的信頼関係の結び方を覚えます。「絶対的」というのは、「まったく疑いをいだかない」という意味です。

 この基本的信頼関係は、その後、父親や家族、園の先生、さらには友人との信頼関係の基本となります。だから「基本」という言葉を使います。が、母親との信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その後、母親以外の人たちとも、うまく人間関係を結ぶことができなくなります。たとえば症状としては、仮面をかぶる。心が遊離するなど。あるいはさらにはひどいケースでは、人格の分離が始まります。「遊離」というのは、心と表情が一致しないこと。このタイプの子どもは、いわゆる何を考えているかわからないタイプの子どもといったふうに、なります。

 全体的にみて、MKさんのお子さんは、この流れの中にあるとみます。恐らく、子どもの側からみて、(MKさんには、その意識はなくても……)、生後まもなくから、乳児期にかけての時期、どこかで母親の冷淡、無視、拒否を感じたのかもしれません。(あるいはひょっとしたら、子どもの誕生について、大きな不安やわだかまりがあった? 望まない子どもであったとか……?)

そのため、お子さんは、いつも不安を基底とした心理状態になったのだと考えられます。このタイプの子どもは、何をしていても不安なのです。そしてその不安を解消しようと、つまりは自分を忘れる行動に走りやすくなります。行動が、どこか享楽的になるのは、そのためです。

 以上が一般論ですが、ではMKさん自身はどうであったかという問題もあります。MKさんご自身が言っておられるように、「あまり温かい家庭に育っていなかった」ということが、「根」にあることは、十分疑ってみてよいと思います。そこでMKさんは、「よい母親になろう」「家庭というのは、こういうものでなければならない」「よい家庭を築こう」という、気負い先行型の子育てをしてしまった。実は、問題の根本は、ここにあります。わかりやすく言うと、子どもが緊張状態から解放されないのは、MKさん自身が、その緊張状態にあるためです。そういう意味で、子どもの心は、カガミのようなものにすぎないということです。

 子どもに何か問題があると、たいていの母親は、子どもだけをみて、「子どもをなおそう」と考えます。しかし問題の根本は、母親自身にあります。まずMKさん自身が、それに気づくことです。

 MKさん、あなたは、子どもに、心を開いていますか。安心して、自分をさらけ出していますか。よい親ぶっていませんか。よい子を求めすぎていませんか。よい家庭を築こうと、気負いすぎていませんか。過大な要求を、子どもにぶつけていませんか。そして子どもの側からみて、あなたやあなたの家庭は、安心感にあふれた、心豊かな家庭になっていますか。子どもにとって、あなたや家庭が、体や心を休める場所になっていますか。あなたの目の前で、子どもが心を全幅に開き、好き勝手なことをしていますか。もしそうならそれでよし。そうでないなら、あなたや家庭のあり方を、まず反省してみてください。それをしないと、あとは、いくら、何をしても、対症療法に終わってしまいます。

 順に考えてみましょう。

(1)とにかく、学校での緊張が強くて疲れやすいので困っています。休み時間は、元気に遊んでいるようですが、授業中は、先生に叱られては、いけない、上手く発言したいなどの意識が強いようです。プライドが高くて、結果ばかり気にしているようです。また、気が小さいわりに頼まれると、クラスで応援団の代表の一人に選ばれたりしますが、隣の子が叱られていても、びくびくして涙ぐむタイプです。

このタイプの子どもは、いわゆる内弁慶外幽霊のタイプと考えます。外の世界で無理をする分だけ、家の中では、粗放化します。そこで大切なことは、「ああ、うちの子は、外でがんばっているから、家の中ではその反動で、粗放化するのだ」と、理解してあげることです。家の中で、乱暴な言葉を使っても、大目に見てあげてください。家の中で、こまごまと、神経質な接し方をしてはいけません。部屋の中が散らかっていても、子どもの好きなようにさせます。また子ども自身は、学校でがんばっているようなので、その点を高く評価してあげてください。応援団の代表に選ばれたら、「すごいわね」と、心底、喜んでみてあげてください。

(2)一人目で、四歳下の妹がいますが、小さいときから、神経質に私がなりすぎたせいか、気が小さいです。今も、寝るときは、ぬいぐるみ(ぼろぼろの雑巾状態)を持って、指しゃぶりをしながらでないと眠れません。私が添い寝をすると安心するようです。

妹さんも、どこかでいつも不安を覚えていると考えてよいようです。こういうケースでは、とにかく、スキンシップを濃厚にしてみてください。ベタベタがよいというのではありません。子どもがスキンシップを求めてきたら、それに対して、良質なスキンシップ(ぐいと、力いっぱい抱くなど)を与えるということです。たいていは一〇秒〜長くて一分程度で満足するはずです。コツは、親側からベタベタするのではなく、子どもが求めてきたら、いとわないということです。


(3)学校から帰ると毎日友達と、ゲームや外遊びをしています。私が専業主婦なので、七人くらいの友達が来ることもあります。いつもは三、四人で遊んでいます。家では、野生のサルのように活発ですが、「宿題は?」というと、ひどく怒ります。家では、私が何も言わないと機嫌よく友達と遊び、寝る前に宿題のみをして、寝るような毎日です。

 「宿題」という言葉が、キーワードになっていることが、これでよくわかります。つまり緊張状態を一挙に不安定にさせる、キーワードになっているということです。こうした反応は、習慣化しているはずなので、この言葉は、子どもの前では使わないようにしてください。

 「家では、私が何も言わないと機嫌よく友達と遊び」というのは、MKさんが、過干渉気味の母親であることを示しています。全体としてみればそうでないかもしれませんが、子どもがかなり不安定な状態のときは、ふつう程度の干渉でも、そのまま過干渉になってしまいますから、注意してください。つまり子どもの側からみて、MKさんは、「小うるさい存在」なのです。私があなたなら、子どもは、学校で、無理をしているので、家の中では、好き勝手なことをさせますが……。

(4)私が、あまり温かな家庭に育ってないせいか、子育てに張り切りすぎて子どもをゆがめてしまったようです。私は、進学校で落ちこぼれ、店員をしていました。主人は、月の半分が出張で、働いていますが、腎臓の難病をかかえています。

 ほとんどの人は、気負い先行型の子育てをしています。だからMKさん、あなただけが、問題があるというのではありません。だからどうか肩の力を抜いてください。あなたはすでに十分、すばらしい母親です。(だから、こうして私のところにメールをくださり、私も返事を書いています。)あなたは今、懸命に自分をさがしておられる。そういう姿勢が、必ず、あなたやあなたの子育てを前向きに引っ張っていきます。

 あなた自身も、言いたいことを言い、したいことをすればよいのです。「落ちこぼれた」などと言っていないで、今、あなたがしたいことをすればよいのです。あなた自身が、こうした挫折感を覚えているから、子どもに向かっては、「勉強は?」「宿題は?」となってしまうのです。つまりあなたは自分の不安を子どもに、ぶつけているだけなのです。それがわかりますか?

 あなたは落ちこぼれでも何でもありません。むしろ受験勉強をして、スイスイと勝ち組になったかにみえる連中のほうが、これからどんどんと落ちこぼれていくのです。だから自分のことを、絶対に、「落ちこぼれ」と言ってはいけません。「私は懸命に生きてきた。そのつど、懸命に最善の道を選んできた。これが私の人生よ。ほかに何があるの!」と。そう居直りなさい。つまりそういう形で、あなたの中に潜む、受験信仰(カルト)と戦うのです。それを克服したとき、あなたは自分の子どもにこう言うようになるでしょう。

 「宿題? そんなもの、適当にすればいいのよ!」と。

この大らかさが、子どもに伝わったとき、あなたの子どももまた、あなたに心を開くことができるようになります。

 今、あなたの子どもは、あなたに対して、心を開くことができず、もがいています。苦しんでいます。そしてあなたはあなたで、それを孤独に感じている。つまりたがいにキズつきあっているだけ。もう、そういう愚劣なことはやめましょう。でないと、今度は、あなたの子どもがいつか父親になったとき、やはり心豊かな家庭作りに失敗するだけです。だから今は、あなたがここでふんばって、それを断ち切るのです。

 まず、自分を子どもの前でさらけ出してみてはどうでしょうか。「宿題なんて、いやなものだったわ。お母さんも、大嫌いだった。いやだったわ。お母さんも、勉強ばかりする高校へ入ったけど、勉強なんて、したくなかったわ」と。もしできればそのとき、一方的に「宿題をしなさい」ではなく、「いっしょに、しようね」と声をかけてみてはどうでしょうか。勉強はさせるものではなく、親子で楽しむもの。テレビやゲームをしながらでも、三〇分かけて、五分程度勉強すれば、しめたもの。そういう大らかさを大切にしてください。

 ご主人のご病気、たいへんですね。まだお若いかと思いますが、どうかくれぐれもよろしくお伝えください。ご健康を念願しています。最後に、家族は、守りあい、助けあい、教えあい、励ましあい、教えあう。そんな心を、これからも大切にしていきましょう。また何かあれば、ご連絡ください。今日は、これで失礼します。

はやし浩司
(030529)※

++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※

みなさんからの相談より……

 I町のT保育園の方たちから、いくつかの相談をいただいた。それについて……

【Aさんより】

 父親の育児態度に悩んでいます。子どものすぐ横で、父親が新聞を読んでいます。そのとき子どもが、「おもちゃが、こわれたア」と言って、台所で食事の支度をしている私のところへやってきます。私は忙しいから、「お父さんになおしてもらいなさい」と言うのですが、父親は、まったく知らぬ顔をしています。私の声が聞こえているはずなのに、です。育児に参加しない父親に、イライラしています。母親として、妻として、どのように考えたらよいのでしょうか。

【Bさんより】

 四歳と、一歳と少しの二人の娘がいます。その下の娘が、最近、「いや!」とばかり言って、反抗ばかりします。「自分でやってほしい」と思うことが多いのですが、自分でしないため、私は怒ってばかりいます。上の子は上の子で、生まれたときから、祖母といっしょに寝ています。そのためか、何か仕事を頼んだりすると、すぐ、「バアバ!」と、祖母のところに助けを求めていきます。私としては助かってはいますが、依存心が心配です。

【Cさんより】

 ついカッとなってしまい、いつも子どもを叩いてしまいます。あとで後悔して、子どもにあやまるのですが、そういう自分が悲しくなります。子どもの気持ちを考えると、申し訳ない気持ちになります。感情をコントロールできない自分が、なさけなくなります。冷静に子どもと向き合うには、どうしたらよいでしょうか。

【Dさんより】

 毎日、仕事と家事で、子どもと接する時間が少なくて、悩んでいます。子どもといっしょにいる時間が、どうしてもとれません。少しの時間をうまく利用して、子どもとじょうずに接するには、どうしたらよいでしょうか。子どもが何かを言ってくると、「家事をしてから」と、すぐ叱ってしまうのが現実です。どうしたらよいでしょうか。

【Aさんへ】

 育児にほとんど参加しない父親は、私の調査でも、約四〇%いることがわかっています(浜松市で、九九年調査)。もちろん家事もしません。「男は仕事、女は家事」と考える、昔風の男尊女卑型の男性とみます。

 一方、欧米では、「育児は権利」と考えます。つまり「育児は、楽しむための権利の一つ」というわけです。今、日本は、その過渡期にあるとみます。同じ調査ですが、同じく約四〇%の父親は、積極的に育児にかかわっています。

 で、育児に参加しない父親ですが、その父親自身が、そういう家庭で生まれ育ったのが原因と考えます。つまり「根」は深く、多少、説得した程度では、改善は望めないということ。あなた自身が生まれ育った家庭の「父親像」や、あなたが考える理想の父親像を、夫に求めても、無理ということです。要するに、あきらめて、「うちはこういう父親だ」という前提でつきあうしかないようです。へたにあなたが無理をすれば、かえって不満やストレスがたまるだけです。

 そういう前提で、これからのことを考えます。何か共通の趣味や、楽しみをもたせる。何か仕事を押しつけてしまう。いろいろなサークルの人とつきあう。園での活動をしてみらうなどがあります。しかし私の経験では、どれもうまくいかなようです。ですからあなたはあなたで、あなたの方法で育児をするしかないようです。

 ただし忘れてはいけないのは、「どんなばあいも、父親をたてる」です。子どもの前で父親の批判や悪口は、タブーです。「あなたのお父さんは、すばらしい人」「私は、お父さんが好きよ」「お父さんを尊敬している」を、口グセにすること。何か重要な決断をするようなときは、必ず、「お父さんに決めてもらおうね」とか、あるいは何か珍しいものが手に入ったら、「お父さんに見せようね」と言います。たとえ父親(夫)が、興味を示さなくても、そうします。決して、短気を起こしてはいけません。五年、一〇年かけて、少しずつ、父親の心を開いていきます。

 こうすることで、今度は、あなたの子どもが、父親や母親になったとき、自分がどうすべきなのか、どうあるべきなのかを学びます。「今は、過渡期」と書きましたが、つぎの世代では、失敗しないように(別に失敗というわけではありませんが)、します。

 子育ては本能ではなく、学習によって身につきます。そういう意味では、あなたの夫は、父親像のない男性とみます。理由は、夫自身も、自分が子どものとき、そういう環境で育てられたということです。「根が深い」という意味は、そこにあります。

【Bさんへ】

 一歳の子どもが反抗するのは、当然の姿です。第一反抗期とみます。この時期の反抗の特徴は、何でも「いや!」と言うことです。「写真をとろうね」「いや」「おでかけしようね」「いや」と。子どもは、相手を否定することで、親や周囲の人たちの、自分への反応を確かめます。いわば乳児期から幼児期への、移行期と考えるとわかりやすいでしょう。子どもは、この時期を通して、親子の密着状態から、自己を分離し始めます。自我が芽生える時期と解釈する学者もいます。つまり、「親の言いなりにはなりたくない」という思いが、「いや」という言い方になるというわけです。

 特徴としては、親の補助そのものを拒否する自立性、何でも自分でやりたがる自発性、新しいものに興味をもつ探索性がああります。こうした現象は、子どもの心身の発育には、むしろ好ましいものです。反抗的な態度だけをみて、「悪いこと」と決めてかかってはいけません。むしろ、それを強引に押さえつけてしまったりすると、子どもの心に深刻な影響を与えますから、注意してください。

 祖父母との同居については、少し前、同じような相談を受けましたので、それをここに転載しておきます。

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●義父母・父母との違い

1 子どものほしがるものは何でも与えてしまう姑。特に、お菓子やおもちゃは、わが家なりのルールを決めて、守らせたいのに。今まで一生懸命に言い聞かせてきたのが無駄になる!

★昔の人は、「子どもにいい思いをさせるのが、親の愛の証(あかし)」「いい思いをさせれば、子どもは親に感謝し、それで絆(きずな)は太くなるはず」と考えて、子育てをしました。今でも、日本は、その流れの中にあります。だから今でも、誕生日やクリスマスなどに、より高価なプレゼントであればあるほど、あるいは子どものほしがるものを与えれば与えるほど、子どもの心をとらえるはずと考える人は少なくありません。しかしこれは誤解。むしろ、逆効果。イギリスの格言に、『子どもには、釣竿を買ってあげるより、いっしょに釣りに行け』というのがあります。つまり子どもの心をつかみたかったら、モノより、思い出というわけです。しかし戦後のひもじい時代を生きた人ほど、モノにこだわる傾向があります。「何でも買い与える」という姑の姿勢の中に、その亡霊を見ることができます。

★また昔の人は、「親(祖父母)にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、いい子」と考える傾向があります。そして独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼の子」として嫌いました。今でも、そういう目で子どもを見る人は少なくありません。あなたの姑がそうだとは言いませんが、つまりこうした問題は、子育ての根幹にかかわる問題なので、簡単にはなおらないということです。あなたの姑も、子ども(孫)の歓心を買うことにより、「いいおばあちゃん」でいたいのかもしれません。そこでどうでしょうか。この私の答を、一度、姑さんに読んでもらっては? しかし子育てには、その人の全人格が集約されていますから、ここにも書いたように、簡単にはなおりません。時間をかけて、ゆっくりと説得するという姿勢が大切です。


2 嫁と舅・姑の違いって必ずあるし、それはしかたないことと割り切っています。でも、我慢して「ノー」と言えないのでは、ストレスもたまるいっぽう。同居するとますます増えそうなこのモヤモヤ。がまんにも限度があると思うから、それを越えてしまったときがこわい!

★もう、同居している? それともしていない? 祖父母との同居問題は、最終的に、「別居か、もしくは離婚か」というところまで覚悟できないなら、あきらめて、受け入れるしかありません。たしかに問題もありますが、メリットとデメリットを天秤(てんびん)にかけてみると、メリットのほうが多いはず。私の調査でも、子どもの出産前から同居しているケースでは、ほぼ、一〇〇%の母親が、「同居してよかった」と認めています。

★問題は途中同居(つまり子どもがある程度大きくなってからの同居)ですが、このばあいも、祖父母との同居を前向きに生かして、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。仕事でも、趣味でも、スポーツでも。「おじいちゃんやおばあちゃんが、いっしょにいてくださるので、助かります」とか何とか言って、です。祖父母の甘やかしが理由で、子どもに影響が出ることもありますが、全体からみれば、マイナーな問題です。子ども自身の自己意識が育ってくれば、克服できる問題ですので、あまり深刻に考えないようにしてください。

★なお、「嫌われるおじいちゃん、おばあちゃん」について、私は以前、その理由を調査してみたことがあります。その結果わかったことは、理由の第一は、健康問題。つぎに「子どもの教育に口を出す」でした。今、日本の子育ては、大きな過渡期にあります。(孫の教育に口を出す祖父母の時代)から、(祖父母は祖父母で、自分の人生を生きる時代)へと、変化しつつあります。そこで今は今で、そのストレスをしっかりと実感しておき、今度は、あなたが祖父母になったとき、(その時代は、あっという間にやってきますが……)、そういうストレスを、つぎの若い夫婦に与えないようにします。


3 何かあると自分の子育て論で迫る母。「昔は8か月でオムツが取れた」とか「昔は○○だったのに」など、自分の時代にことを持ち出して、いい加減なことばかり。時代は進んでいるの! 今のやり方をもっと認めて!

★『若い人は、老人をアホだと思うが、老人は、若い人をアホだと思う』と言ったのは、アメリカの詩人のチャップマンです。「時代は進んでいる」と思うのは、若い人だけ(失礼!)。数十万年もつづいた子育てが、一世代くらいの時間で変わるはずもないのです。いえ、私は、このことを、古い世代にも、若い世代にも言いたいのです。子育てに「今のやり方」も、「昔のやり方」もないのです。もしそう見えるなら、疑うべきは、あなた自身の視野の狭さです(失礼!)。

★もっともだからといって、あなたの姑の子育て観を容認しているのではありません。子離れどころか、孫離れさえできていない? いや、それ以上に、すでに姑とあなたの関係は、危険な状態に入っているかもしれません。やはりイギリスの格言に、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがあります。これを心理学では、「好意の返報性」と呼んでいます。つまりあなたが、姑を「昔風の子育てを押しつけて、いやな人」と思っているということは、まったく反対の立場で、姑も、あなたのことを、「今風、今風って、何よ。いやな嫁」と思っているということです。

★実のところ子育てでまずいのは、個々の問題ではなく、こうしたギクシャクした人間関係です。つまりこうした不協和音が、子育て全体をゆがめることにもなりかねません。そこでどうでしょうか。こういうケースでは、姑を、「お母さんは、すばらしいですね。なるほど、そうですか!」ともちあげてみるのです。最初は、ウソでもかまいません。それをつづけていると、やがて姑も、「よくできた、いい嫁だ」となります。そしてそういう関係が、子育てのみならず、家庭そのものを明るくします。どうせ同居しなければならないのなら、割り切って、そうします。こんな小さな地球の、こんな狭い日本の、そのまたちっぽけな家庭の中で、いがみあっていても、し方ないでしょう!

【Cさんへ】

 子育てはまさに、条件反射のかたまりのようなものです。いちいち考えながら、子育てをしている人はいません。しかしいつも同じようなパターンで、同じように失敗するというのであれば、あなた自身の中に潜む「わだかまり」、もしくは、「こだわり」をさぐってみてください。何かあるはずです。

 望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとかなど。あるいはあなた自身の乳幼児期を、さぐってみてださい。あなたは心豊かな環境で、親の温かい愛情に包まれて育てられましたか。もしそうならそれでよし。そうでないなら、あなたの心のどこかに、何らかのキズがあるはずだと疑ってみてください。

 しかし問題は、そういうキズがあることではありません。というのも、この種のキズは、だれにでもあるものですからです。問題は、キズがあることではなく、そういうキズがあることに気づかないまま、そのキズに裏から、操られることです。そのためにも、まずキズが何であるかを知ります。いわば自分で自分の心を解剖します。

 少し前、こんな原稿を書きましたので、転載します。

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固着(わだかまり)

 日本人は、「心」を大切にする民族である。おそらく世界一ではないか。もっともデリケートな民族と言ってもよい。たとえば心理学を勉強していると、「こんなこと、日本では常識ではないか」と思うような場面に、よくであう。その一つが、「固着」。

 心理学で固着というのは、何らかの精神的外傷を受けた人が、無意識のうちにも、その外傷に支配されることをいう。たとえば子どものころ、身体のことで、みなにからかわれた人が、その後、自分の容姿を過剰なまでに気にするようになる。あるいは自分の容姿のことで、悶々と悩みつづけ、人との接触を避けるようになる、など。容姿にこだわりながら、自分自身は、どうしてこだわっているのかわからない。あるいはこだわっているという意識そのものが、ない。

 ……と書くと、どこか仰々しいが、日本語では、これを簡単に、「わだかまり」、もしくは、「こだわり」という。「固着」という名前をつけるから、かえって話がわかりにくくなる。「結婚のとき、いろいろありましてね。それが今でも、夫婦の間のわだかまりになっています」などというときの、わだかまりである。

 わだかまりが大きければ大きいほど、それにこだわるあまり、自分の心を解放ですることができなくなる。どこかしら束縛されたような状態になる。そういう状態を、心理学では、「固着」という。

 そこで、その固着、つまり、わだかまりについて……。

 このわだかまりというのは、人間の心を裏から操(あやつ)る。しかし操られるほうは、ふつう、操られていることにすら、気づかない。あくまでも、自分の意思でそうしていると思っている。ときどき、「なぜ、自分はこんなことをしているのだろう」と思うことはあるが、それでも気づくことはない。いろいろな例がある。

 ある母親は、小学一年生の息子が、母親の服のそでをつかんだだけで、その息子を、「イヤー!」と叫んで、手で払いのけていた。ときには、押し倒してしまうこともあった。自分でもなぜそうするかわからないと言っていたが、何度か、カウンセリングするうちに、理由がわかった。

 その母親は、独身時代、一人の男のストーカー行為に苦しんでいた。高校時代の友人たちと東北を旅したときも、その男は、見え隠れしながら、その母親についてきたという。で、いろいろあって、その母親は、その男と結婚してしまった。本来なら、結婚などしてはいけなかったが、その母親はこう言った。「結婚を断ったら、事件になったかもしれません。実家の両親に迷惑をかけたくなかったし、私ひとりががまんすればいいと思い、結婚しました」と。その母親は、心のやさしい人だった。

 が、当然のことながら、それにつづく結婚生活は、味気ないものだった。そこでその母親がつぎにとった方法は、子どもをつくることだった。「子はかすがいといいますから、子どもができれば、何とかなると思いました」と。その子どもが、小学一年生の息子だった。

 この母親のばあい、息子が母親にまとわりついたとたん、無意識のうちにも、独身時代の不愉快な経験が、その母親の中でよみがえったことになる。そしてそれが、その母親を裏から操っていたということになる。そして「いやだ」という思いだけが独走し、子どもを手で払いのける……。

 こうしたわだかまりは、大小さまざま、それぞれの人に無数にある。わだかまりがない人は、いない。もちろん、あなたにもある。しかし問題は、そういうわだかまりがあるということではなく、そのわだかまりに振りまわされ、同じような失敗を繰りかえすこと。そこで今度は、あなた自身のことを振りかえってみてほしい。あなたは、日々の生活のどこかで、いつも同じように、同じようなパターンで、失敗していないだろうか。子育てでだけではない。夫婦げんかにせよ、近隣とのトラブルにせよ、何でも、そうだ。もしそうなら、あなたの心のどこかに潜む、わだかまりを、さぐってみるとよい。この問題は、そのわだかまりが何であるかがわかるだけで、そのあと、しばらく時間がかかるが、それで解決する。

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 自分の心を解剖するというのは、勇気がいることです。しかしこれはあなたと、あなたの子どものためと思い、どうかしてみてください。

【Dさんへ】

 愛情は、量ではなく、質の問題です。ベタベタに量が多いからとよいというものでも、また少ないから心配というものでもありません。少ない時間なら、その少ない時間をうまく使って、濃厚で、質の高い愛情表現をしてみてください。

 ある父親は、子どもが求めてきたようなとき、力いっぱい、子どもを抱いていました。要するに、いかにして子どもに安心感と満足感を与えるかが、重要なポイントということになります。

 同じような相談が多いので、以前書いた原稿を添付します。

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●ある母親の相談
 今日、一人の母親から、こんな相談を受けた。何でも三歳になる娘が、父親になつかなくて、困っているというのだ。「父親は、子どもが起きる前に仕事に行き、いつも子どもが寝てから、仕事から帰ってきます。それで父子が接触する時間がないのです」と。

 しかしこの母親は、大きな誤解している。娘が父親になつかないのは、接触時間が少ないからだと、この母親は言う。これが誤解の第一。

 ずいぶんと前だが、私は接触時間と、子どもへの影響を調べたことがある。その結果、「愛情は、量ではなく、質の問題である」という結論を出した。こんな例がある。

 その子ども(年中男児)は、やはり父親との接触時間がほとんどなかった。母親は、「うちは疑似母子家庭です」と笑っていたが、そういう環境であるにもかかわらず、その子どもには、心のゆがみが、ほとんどみられなかった。そこで母親にその秘訣(ひけつ)を聞くと、こう話してくれた。

 「夫(父親)は、休みなど、たまに顔をあわせると、子どもを力いっぱい、抱きます。そして休みの日などは、いつもいっしょに遊んでいます」と。

 要するに子どもの側からみて、絶対的な安心感があるかどうかということ。この絶対的な安心感があれば、子どもの心はゆがまない。「絶対的」というのは、その疑いすらいだかないという意味。そういうわけで、愛情は、量ではなく、質の問題ということがわかった。

 で、冒頭の母親の話だが、子どもの様子を聞くと、こう話してくれた。

 「私のひざなら、何時間でもじっと座っているのですが、夫(父親)のひざだと、すぐ体を起こして逃げていきます。そこでエサで魚を釣るように、娘がほしがりそうなものを見せて、抱っこしようとするのですが、それでも、うまくいきません」と。

●心を開く
 ふつう子どもがスキンシップを避けるという背景には、親か、子か、あるいは両方かもしれないが、たがいに心を開いていないことがある。このことがわからなければ、男女の関係を思い浮かべてみればよい。夫婦でも、こまやかな情愛が行き交い、たがいに心を開きあっているときは、抱きあうと、体がしっくりとたがいになじむ。しかしそうでないときは、男の側からみると、何かしら丸太を抱いているような感じになる。抱き心地がたいへん悪い。

 子どももそうで、たがい心を開いているときは、子どもを抱くと、子どもはそのままベッタリと親に体をすりよせてくる。さらに心が通いあうと、呼吸のリズム、さらには心臓の鼓動のリズムまで同調してくる。こういう状態のとき、子どもの心は、絶対的な安心感に包まれていると考えてよい。もちろん情緒も安定している。

 が、抱いても、抱き心地が悪いとか、あるいは抱っこしても、子どもがすぐ逃げていくというのであれば、どちらかが心を開いていないということになる。このケースのばあい、子どもが心を開いていないということになるが、実は、その原因は、子どもにあるのではない。父親のほうにある。子どもが心を開けない状態を、父親自身がつくりだしている。もっとはっきり言えば、父親が、心の開き方を知らない。子どもは、それに応じているだけ。

●原因は父親の幼児期に
 このケースでは、私はここまでしか話を聞かなかったので、これ以上のことは書けない。しかし一般論として、こういうケースでは、父親自身の幼児期を疑ってみる。たいてい、父親自身が、何らかの理由で、その親から、じゅうぶんな愛情を受けていないことが多い。そういう意味で、親像というのは、親から子へと、代々、受け継がれていく。よくあるケースは、その親の親が、昔風の権威主義的なものの考え方をしていたようなとき。

 A氏(四〇歳)の父親は、昔からの醤油屋を経営していた。祖父は、旧陸軍の少将にまでなった人だった。そういう家風だから、家族の序列も、厳格だった。風呂でも、祖父が一番、ついで父が二番、そのA氏(長男)が三番が……と。祖父はおろか、父親にさえ口答えするなどということは、考えられなかったという。

 そういう家庭でA氏は、生まれ育ったから、「親子の間で、心を開きあう」ということなどということは、ありえなかった。この話を私がA氏に話したときも、A氏は、「心を開く」という意味すら理解できなかった。そればかりか、自分自身も、そういう権威主義的なものの考え方にどっぷりとつかっていて、「父親には、父親としてのデンとした権威が必要でではないでしょうか」などと、私に言ったりした。

 たしかに権威主義は、「家」の秩序を守るには、たいへんうまく機能する。しかし「人間」を考えると、権威主義は、弊害になることはあっても、利点は何もない。

 だからA氏の子育ては、いつもギクシャクしていた。A氏の妻が、現代的な女性で、権威を認めないような人だったから、ときどき夫婦ではげしく対立したこともある。A氏は家事はもちろんのこと、子どもの世話も、まったくといってよいほどしなかった。子どもの運動会や遊戯会、さらには父親参観会にも、一度も顔を出したことがない。それはA氏の体にしみこんだ「質」のようなものだった。「父親がそんなことするものではない」という意識があったのかもしれない。いや、その意識以前に、そういう親像そのものが、頭の中になかった。

●親像がない?
 これは私の推察だが、冒頭にあげた父親にしても、父親としての親像の入っていない親とみてよい。不幸にして、不幸な家庭に育ったのかもしれない。あるいは今の年代の親の親たちは、日本がちょうど高度成長期を迎え、だれもかれもが、仕事、仕事で、子育てなどかまっているヒマさえなかった。そういうことがあったのかもしれない。ともかくも、親像がないため、どうしても子育てが、ギクシャクしてくる。(これとは反対に、自然な形で親像が入っている親は、これまた自然な形で子育てができる。)

 こういうケースでは、「子どもが親になつかない」という視点で考えるのではなく、親自身が、子どもに対して、いかにして心を開くかという視点で、問題を考える。とくにここに書いたように、心のどこかで権威主義的なものの考え方をする人は、つい「親に向かって」とか、「私は親だ」という親意識を出してしまう。その親意識が、子どもの心を閉ざしてしまう。

 ……と書いても、この問題の根は深い。本当に深い。日本人が、民族の基盤としてもっている土台にまで、その根がおよんでいる。だから、そんなに簡単にはなおらない。「では明日から、権威主義を捨て、対等の立場で、子どもには心を開きます」とは、いかない。私もその母親と別れるとき、一応言うべきことは言ったが、内心では、「むずかしいだろうな」と思った。ただ最後にこう言った。「今度、父親を相手にした講演会で、そういう話をしてください」と。

【みなさんへ】

 では、近く、みなさんの保育園へおうかがいできることを楽しみにしています。

                        はやし浩司

(030529)


親の愛情不足?

Q:私がテレビを見ていると、四歳の娘がすぐひざの上にのってきます。どう対処したらいいでしょうか。(父親、IセンターA保育園での講演後の質問より)

A:よく誤解されるが、親に愛情がないから、子どもが愛情不足の症状(欲求不満など)を示すのではない。子ども側から、働きかけがあり、そのとき、親が拒否的な態度に出たりすると、子どもは愛情不足の症状を示すようになる。もう少しわかりやすく説明すると、こうなる。

 親子の愛情(愛着行動)は、相互的なものである。親は子どもに対して、愛着行動を示す。たとえば子どもを抱きあげ、「かわいい、かわいい」と言って、頬ずりするのがそれ。一方、ここで重要なのは、子どもも、親に対して愛着行動を示すということ。最近の研究では、生まれたばかりの新生児ですら、親に対して、愛着行動を働きかけていることがわかっている(イギリス、ボウルビー、ケンネル※)。親に微笑みかけたり、手足をバタつかせたり、あるいは泣いて甘えたりするなど。

 この子どもからの愛着行動の働きかけがあったとき、親がそれを受け止めてやるかやらないかで、愛情不足かどうかが決まる。つまりこのとき、子どもの側から見て、それを親に受け入れてもらえないとき、その時点で、子どもは「不満足感」を、欲求不満症状に変える。このことは、つぎの点で重要な意味をもつ。

(愛情表現)子どもを抱きながら、「かわいい、かわいい」と言って、頬ずりするのは、ここにも書いたように、親側から子どもへの愛着行動ということになる。しかしそのとき、子どもがそれを望んでいないとしたら、子ども側からみれば、それは迷惑な行為ということになる。親は、「子どもは喜んでいるハズ」「うれしがっているハズ」と考えてそうするが、それは親の身勝手というもの。またそういうことをしたからといって、子どもが満足したり、深い親の愛を感ずるということにはならない。それがわからなければ、あなた自身のことで考えてみればよい。

 もしあなたが妻で、今、部屋を掃除していたとする。そのとき夫がうしろからやってきて、あなたにその気もないのに、あなたを抱き、「愛している、愛している」と、体中をさわり始めたとする。そのとき、あなたは夫に愛されていると感じ、それを喜ぶだろうか。喜ぶ人もいるかもしれないが、しかし大半は、それを迷惑に思うに違いない。

 しかしあなたが反対に、体の中に燃えるものを感じ、それとなく夫の体に触れたとする。そのときあなたの夫が、「うるさいな……」というような表情をして、あなたの体を払いのけたとする。つまり夫に拒否されたとする。そのときあなたはどう感ずるだろうか。

 つまり子どもも同じで、子どもが愛情不足を感ずるのは、子ども側から何かの働きかけをし、それが親に拒否されたときである。言いかえると、子どもが何らかの形で、親に対して愛着行動の働きかけがあったときこそ、親側の愛情表現の見せどころということになる。いくつかの例で考えてみる。

●子どもが親のひざの上に座ろうとするとき
●子どもが親に甘え、体をすりよせてくるとき
●子どもがぐずり、わけのわからないことを言って、ダダをこねるとき
●何か新しいことができるようになて、それを親に見せにきたようなとき

こうした働きかけは、必ずしも平和的なものばかりではない。中には、わざと親を困らせたり、あるいは攻撃的、暴力的な方法で表現する子どももいる。こういうときどのように対処したらよいかは、また別に考えるとして、基本的には、子どもの心を大切に受け止めてあげること。つまり相談(冒頭)のケースでは、父親は、ある程度子どもが満足するまで、そのままの姿勢を保つのがよい。

 というのも、こうしたケースでは、子どもが親のひざに抱かれたいと思うのは、あくまでも症状とみる。もっと言えば、情緒を安定させるための、代償行為と考える。だからこの段階で、父親が、娘を拒否すれば、その時点で、子どもの情緒は一挙に不安定になる。言いかえると、子どもはこうした代償行為(よく知られた例に、指しゃぶりなどがある)を繰りかえすことで、自分の情緒を安定させようとする。もっと言えば、「なぜ抱かれてくるか」という原因をさぐってみることこそ大切。その原因を放置したまま、症状だけを攻撃しても意味はない。それはたとえて言うなら、肺炎で熱を出して苦しんでいる子どもに、「熱をさます」という理由で、水をかけるようなもの。

(愛情は量ではなく質)よく「私は子どもを愛せない」と悩む親がいる。しかし問題は、愛せないことではない。問題は、子どもが親に対して何らかの愛着行動を働きかけてきたとき、それに答えることができるかどうかである。つまりその答え方ができれば、それでよし。しかしそれができないときに、問題が起きる。たとえば子どもが、母親の服のゾデを引っぱりながら、「ママ〜」と甘えてきたとする。そのとき大切なのは、その瞬間だけでもよいから、子どもの甘えを受け止めてあげること。そして子どもの側からみて、「絶対的な安心感」を覚えられるような状態にすること。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。

 そういう意味では、愛情は、量の問題ではなく、質の問題である。ベタベタの愛情が、好ましいわけではない。先にも書いたように、親側の一方的な愛情は、子どもにとっては、迷惑ですらある。つまり愛情が多いからよいというのでも、また少ないから悪いというのでもない。要は、子どもがそれで安心感を得られるかどうかである。その点だけ注意すれば、「子どもを愛していない」ということに悩む必要はない。(愛していれば、それに越し
たことはないが……。)

 結論から言えば、子どもが親のひざのなかに入ってきて、甘えるしぐさを見せたら、子どもがある程度満足するまで、抱いてあげる。子どもにとって、父親のひざは、まさにいこいの場。体を休め、心をいやす場。それだけではない。親子の情愛も、それで深めることができる。また親の立場からしても、子どもの体のぬくもりを感ずることは、とても大切なことである。こういう時期は、その渦中にいると、長く見えるが、終わってみると、あっという間のできごと。あとあと人生の中で、光り輝くすばらしい瞬間となる。だからそういう時期は、そういう時期として、子育てとは別に、大切にしたらよい。
(03−1−21)

※……母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これはよく知られた現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」があることがわかってきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互作用が、新生児の発育には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情緒的、精神的欠陥が現れるという。


Q:ものに固執する子ども

群馬県T市に住む母親から、つぎのような相談をもらった。

我が家には五歳の息子と三歳の娘がいます。
二人とも幼稚園に通っていて、幼稚園の先生に伺うと二人とも別に問題もなく、
友だちの面倒などをみてくれて、いいお子さんですよと言われています。
二人とも夜眠るとき、上の子は枕カバーの端っこを、
下の子は決まった布団の端っこを触りながら寝ます。
洗濯などしてないときはブーブー文句を言いますが、ないならないで眠れるようです。
なぜ触るのかを聞くと気持ちよいからと言う答えが返ってきます。
二人とも心に何かさびしさみたいなものがあるのでしょうか?
それと上の子は近所に同級生(Y君)がいて、同じ幼稚園に通っているのですが、その子と遊ぶときは時々、下の子をのけ者にして遊ぶことがあります。
二歳違いなので体力的に下の子が付いていけないから面白くないのかなとも思うのですが、私は、親として、見ていてムカッとすることもあります。
上の子はY君の事が大好きです。
妹とY君とどっちが好きと聞くとY君だと答えます。
それを聞くとドット疲れがきます。
頻繁(ひんぱん)ではないのですが、
以前から時々家族なのだから、皆が一人一人を守っていかなくてはいけないんだと話しています。
その時は涙を流して聞いているのですが、
まだ幼稚園なので兄弟より友だちのほうが、大切なのでしょうか?
それとも私が……?
私が長女で、子どものころ、「よくお姉ちゃんでしょ」と言われていて、それがいやだったので、上の子には、なるべくお兄ちゃんでしょとは言わないようにしています。
どうかよきアドバイスをお願いします。

(ものいじりする子ども)

 情緒が不安定な子ども(心の緊張感がとれない子ども)は、その緊張感をやわらげるために、いろいろな行為を、代償的にすることが知られている。指しゃぶり、髪いじりなど。ものいじりもその一つ。

 したがって、こういう行為(代償行為)を、禁止しても意味がないばかりか、無理にやめさせると、ますます情緒が不安定になるから注意する。問題なのは、なぜものいじりをするかではなく、なぜ心の緊張感がとれないか、である。まず疑ってみるべきことは、愛情不足、愛情不安。子どもの側からみて、どこかに不安を感じていないかを反省してみる。親の完ぺき主義、過干渉、過関心など。親の情緒不安も反省してみる。あるいは親自身にわだかまりはないか? そうしたわだかまりが遠因となって、子育てが不安先行型になっていないか、心配過剰になっていないか、など。また子どもによっては、外での生活(このばあいは、幼稚園での生活)で、精神的に疲れやすく、同じような症状を示すことがある。

 あとは濃厚なスキンシップをふやし、一方で、カルシウム分やマグネシウム分の多い食生活にこころがける。家庭が、子どもにとって、ほっと心の休まる場所であるかどうかも、あわせて反省してみる。こまごまとしたしつけ、神経質なしつけは、ひかえる。

(兄弟の問題)

 親は「兄と妹は仲よく……」と思っているが、これほど、身勝手な「思い」はない。仲のよい兄弟も多いが、たいていは上の子は、下の子を嫌う。下の子が生まれる前は、一〇〇%の愛情を受けていたのが、下の子が生まれることによって、それが五〇%に減ることによる。親は、「平等にかわいがっています」と言うが、上の子にしてみれば、平等ということ自体が不満なのだ。

 子どもの世界では、嫉妬(しっと)がからむ問題は、慎重にあつかう。原始的な感情であるだけに、扱い方をまちがえると、子どもの心に大きなキズを残すことになる。

 で、この相談のケースだが、五歳の子どもに、「兄弟、仲よくしなさい」は、ない。親が子どもの心の中身まで干渉してはいけない。まさに典型的な過干渉ということになる。いわんや、子どもに、「妹とY君とでは、どっちが好き」などという質問は、乱暴すぎる(失礼!)。これは妻に向かって、夫が、「お前の実家の親と、オレの親と、どっちが好き」と聞くようなものである。わかっていても、またわかっていなくても、そういうことは、聞くべきことではない(失礼!)。

(いい子の問題)

 幼稚園の先生は、「いいお子さんですよ」と言っているのだから、まずそれを信じて、そして先生を信頼してよいのでは。先生というのは、子どもをほめるときは、本音でほめる。ただ問題なのは、無理にいい子ぶるケース。子どもによっては、先生の歓心を買うため、無理にいい子ぶったり、あるいは反対に、いい子ぶることで、自分をガードしようとしたりする。これを「仮面」という。こうした仮面性がみられたら、注意する。このケースでは、メールからだけでは、その点がよくわからない。が、ふつうは参観日での様子を見て、判断する。家での様子とそれほど違わなければ問題はないが、どこか無理をしているように感じたら、その仮面性を疑ってみる。

 仮面をかぶるようになると、(仮面をかぶることを、悪いことと決めてかかってはいけないが……)、子どもは外の世界で無理をする分だけ、精神疲労を起こしやすくなる。そのため反対に家の中では、暴れたり(プラス型)、ぐずったり(マイナス型)しやすくなる。もしそうであるなら、なおさら、家庭は、いやしの場、いこいの場であることを最優先にする。ゆるめるところは、思いっきり、ゆるめる。「うちの子は、外の世界でがんばっているから……」と、あきらめるところは、あきらめる。

(「お姉ちゃんでしょ」という「だから論」)

 親としては、子どもに自覚をもたせたいがため、よく「だから論」を使う。しかしこの「だから論」ほど、子どもを苦しめるものはない。この母親自身も、「いやだった」と述懐している。

 考えてみれば、この「だから論」ほど、意味のない論法は、ない。「親だから……」「子どもだから……」「親子だから……」と。もし私がだれかに、「お前は、長男だから……」と言われたら、多分、私はこう反論するだろうと思う。「だから、どうなの? それがどうしたの?」と。

 言うまでもなく、こうした「だから論」の背景にあるのは、「ワク」。人間関係を、ワクでしばろうとする考え方である。たいていは上下意識を柱とした権威主義をともなう。この相談をしてきた母親は、無意識のうちにも、その権威主義をふりかざしていることになる(失礼!)。

こうした権威主義がこわいのは、それ自体が子育てをゆがめることもあるが、やがて親子の間にキレツを入れ、さらには断絶の原因となっていくこと。この母親のばあいも、子どもの前に立って、子どもをぐいぐいと引っぱっていこうという姿勢ばかり目立つ。友として横に立つという姿勢が弱いように思う。言うなれば悪玉親意識(親風)が強すぎる(失礼!)。もっと肩の力を抜いて、子育てを楽しむという姿勢を大切にしたらどうかと、私は思うのだが……。かなり失礼なことばかり書いたが、どうか許してほしい。



Q:「はじめまして。
場面かん黙で検索をして先生のHPに辿りつきました。

10月で4歳になる娘は、両親以外の人と話をしません。
3歳5ヶ月から保育所に通っていますが、先生やお友だちとは
ゼスチャーや首振り、手を引っ張るなどの意思表示をしています。
大人を動かそうとし、頼ろうとすることが多いです。
お友だちとの関わりは、誘われれば一緒に遊びます。
ただ、笑っても声は出ません。「ご機嫌だね」と保母さんに声を
かけられると、「しまった!」という顔をして無表情になります。
どうしてもの要求は「ママ、〜って言って」と言います。
少人数で遊んでいる時は良いのですが、人数が多くなってくると
逃げ出してしまいます。小さい頃は滑り台の順番など
うしろに誰かが来ると避けて誰もいなくなるまで滑れませんでした。
また、音の出るおもちゃは慣れるまで時間がかかり、
100円を入れて動く遊具(デパートの上にあるような)は、乗れません。
財布を出しただけで脅えてしまいます。

お家で遊ぶ時は、自分の家でないと安心できないのか、
お友だちの家へ行くのは嫌がります。
何かをしている時、うまくいかないとすぐに「キー!」となってしまい、
「こうやってみたら?」等のアドバイスは届かないようです。
これは、家だけで、保育所では何も言わずにあきらめるようです。
保育所では、年少の頃は「言わないとわからないよ」といった方向で
指導されていました。今は「甘え」だけではないと思って下さったようで
お尻を叩く程度で声がけをして下さっています。

身辺自立は、夜間のオムツがまだ取れていません。
食事は自分でしますが、箸はにぎり箸です。(左きき)
着替えは、ボタンを親または保母に頼ります。

現在、言葉の遅い子供たちを集めた少人数制の母子通所(札幌市)に
通っています。約3ヶ月が経ちます。
そこではじめて「場面かん黙」ではないか?と言われました。
理解については、できている部分とできていない部分があり、
本人がこうと思い込んだらそれを変えるのが難しいと言われました。
母子通所は、5名の子供たちで娘以外は自閉傾向のお子さんで、
言葉を獲得していくという段階のようです。
そこの先生は、このままここで「お話するのは楽しい」ということを
 教えていったほうがよいのか、言葉を話さなくてもコミュニケーションが
とれてしまうここにいてよいのか迷っているようです。
また、いろいろな要素が入り乱れ、場面かん黙に対するケアで
あっているのかどうかも判断しにくいと言われました。

先天性の病気と関わりがあるかどうかわかりませんが、
今まで相談したところでは、先天性の病気のことを話すと
「じゃあ、仕方ないね」みたいな対応なので、
あまり書きたくはないのですが、全く関係ないわけでも
ないと思いますので、書きます。

娘は22q11.2欠失症候群という染色体起因障害児です。
口唇裂と心臓病等があり、知的発達は3歳程度と言われています。
身体障害者手帳1級と療育手帳B2を所持しています。
(ただし、療育判定の際は話しませんでした)

3歳までは、心臓の治療で長期、短期入院など病院で過すことも
多かったです。病院は完全看護で、親は付き添いができません。
また、口唇の手術は心臓との兼ね合いから3歳時に行いました。

単語の話し始めは2歳半、2語文は3歳。
原因はわかりませんが、言葉が不明瞭な部分が多いです。
口唇裂で通っている病院では、口蓋裂ではないので、
顎治での訓練などの対象にはならないと言われました。

知的な面では軽度の遅れなので、理解はできている部分が多いようです。
発達を診てもらっている医師に勧められ、保育所に入所しました。
健常のお友だちの影響を受け、運動面では、かなり成長してきたと思います。

こういった経過から、児童相談所や発達外来では
母子の関わりが薄いせいではないかと言われました。
今までの経過から容易に想像できる発言とは思います。

また、保母さんは逆で、入院が長かったせいで、母親が
過保護になっているのではないかと言われました。
動作がみんなに追いつけば、自然と言葉もでるのではないかと。

過保護、過干渉については私も認めるところがあり、
保母さんに指摘されてからは「待つ」ことと、
「早くしなさい」を禁句にするようになりました。
それからまだ半年ですし、待ちきれないことも多々あります。
生活動作などは「やってもらおう」という気持ちが大きいようで、
母子で根競べです。

病気について、私は隠すことをしていません。
本人も年齢に応じて、理解できる説明をしていこうと思っています。
染色体の病気についてサークルをやっていますので、
「病気や障害なんかに負けないぞ!」という気負いは
人一倍大きく、娘にも無理をさせていたのかも知れません。

娘は娘でいいじゃないと病気に甘えて、
させるべきことをさせていなかったからかもしれない。
逆にそう思われるのがいやで、娘に1度にたくさんの要求を
してしまったような部分があるかもしれない。
病気を見て娘を見ていなかったのかもしれない。
挨拶やごめんなさいが言えないのも、世間体を気にして
強制していました。(でも、絶対に言いません)
何が問題でどうしたらよいのか、というのがつかめないでいます。
もう自分1人では、どうすることもできなくなってきました。

私はこれからどんなことに気をつけて行くべきなんでしょうか?
長文になり、申し訳ありません。ご指導宜しくお願いします。

            札幌市  FSより」

A:はやしより、FSさんへ

メール、ありがとうございました。
 
22q11,2の問題と、かん黙性、恐怖症は
切り離して対処します。かん黙症については、
とにかく無理をしないこと。なおそうと思って
なおるものではありません。心がいつも緊張
していて、外部からの接触を、自ら拒絶する
(これを防衛機制という)という働きによるも
のです。私の経験でも、5〜6歳までは、無理
をしないという対処のし方が最善かと思い
ます。無理をすればするほど、立ち直りが
遅れます。
 
若いころは、「なおそう」という意識ばかりが
先行して、失敗の連続でした。しかしある時期
から、「あきらめる」という方法をとりました。
「なおそう」と思うのではなく、「認め、受け入れ
る」のです。そうすると、指導する側も余裕が
でき、その分、子どもの心に近づくことができ
ました。(親のほうが、あせるケースが多くて
そちらを指導するのが、かえってたいへんな
くらいです。)
 
かん黙しているからといって、知的な活動が
停止しているわけではありませんから、症状
や表情は、無視して、教えるべきことは教え
るという姿勢を大切にしますが、もっとも効
果的なのは、やはり母親のやさしい、愛情
あふれる指導です。母親がイライラしたり、
子どもを突き放すと、子どもは行き場をなく
してしまいますね。
 
また恐怖症については、同じように、心が緊
張状態にあるとみます。私自身も恐怖症に
なりやすい精神構造をしていて、お子さんの
気持ちがよく理解できます。本当にこわいの
ですよ。(私は飛行機恐怖症、閉所恐怖症
などがあります。)
 
22q11,2については、お母さんの姿勢は
すばらしいと思います。隠さねばならないよ
うなことではありませんし、だからといって、
どうということはありません。お母さんにして
も、つらい時期はあったと思いますが、文面
から察するに、すでに受け入れられておられ
るようですから、そういう姿勢を前向きに、
貫くことこそ、お子さんを守ることになります。
応援します。もうご存知かと思いますが、い
ろいろな会がありますから、何かあれば
相談なさるとよいと思います。
http://mama22112.soc.or.jp/
など。

全体に「気負い型」の子育てをなさって
おられるご様子、しかしそれにもお気づき
のご様子。それでよいと思います。親が気負え
ば気負うほど親も疲れますが、子どもも疲れ
ます。そしてその疲れが、親子の間にキレツ
を入れることになります。そうなれば、それこそ
本当に大失敗ということになります。

問題のない子どもというのはいないし、その
ため問題のない子育てはないのです。要は
どこまで「許して忘れる」かの問題に行き当
たります。親は、これを繰り返しながら、
子どもに育てられるのですね。すでに
お母さん自身の中に、そしていただいた
メールの中に、神々しさを感ずるのは
私だけではないと思います。どうか自信を
もって前に進んでください。心から応援します。

はやし浩司


Q:「この4月より、4歳の長男が保育園に通い始めました。
その長男の事で、少しお話を聞いて頂きたいと思います。
初めは喜んで通っていたのですが、連休明けくらいから、
 ちょっと様子がおかしくなり、行くのを拒むようになりました。
今のところ、なんとか嫌々ながらも通園しています。
その原因を、少しずつ探っているのですが、なかなか解決の兆しが見えません。
もうすぐ1歳になる弟がいるのですが、 兄の邪魔をすると、
兄が突き飛ばすことが多くなってきました。

息子は、とても明るく、物怖じしない、のびのびとしていて、
おっとりした性格です。
その反面、神経質で、繊細な面も持っています。

ことばが遅く、3歳を過ぎて、やっと自分の要求を
ことばで言えるようになりました。
今でも、言いたい事がさっと言葉に出来ず、
 嫌な事を言われても、ある程度は、グッとこらえているようです。
それでも、それにも限度があるようで、口より先に手が出てしまい、
取っ組み合いになってしまいます。
言われたら言い返すのが、筋だと思うのですが、それが出来ない息子は、
どうしても手が出てしまうのです。
そして、大抵、相手を泣かせてしまいます。
息子の方は、涙目になりながらも、泣き喚くことはなく、
'自分は悪くないんだ!'と、訴えてるかの目をしています。
飛び抜けて体が大きいので、相手に怪我をさせないかヒヤヒヤしてしまいます。
園での出来事など、詳しい事は何も教えてくれないので、
先生から聞いた話でしか、分かりません。
口が達者な子供が多いようで、初めての集団生活に戸惑いを感じているようです。
このような事も登園拒否の原因の一つかなと、勝手に解釈してしまっています。

外でも、大人にぶつかられた時、"痛いっ!"と言えば良いものを、
『あーーーーーーーーっ!!!』などと、大きな声を出すだけで、
相手の大人には、通じないことが多々あります。
先日も、スーパーで、レジに並んでいた息子の前に、
年配の女性が割り込んで来ました。というか、来たんだと思います。
 私はよそ見をしていたので、定かではないのですが、
そのときも、大声をあげただけで、周りには'うるさいガキ'だとしか、
見えてなかったと思います。

最近、かなり心にストレスを抱えているように思えて仕方ありません。
どうすれば、言われても手を出さずに、言い返せるようになれるのか?
親として何が出来るのか、悪戦苦闘しています。

このまま黙って様子を見ていて大丈夫なのか?
うまく集団生活に馴染んでいけるのか?
ストレスで、体に異常が出てきたりしないか?
 とても、心配です。

何か良いアドバイスがあれば、頂けると嬉しく思います。
こちらの状況が、うまくお伝えできたかどうか分かりませんが、
よろしくお願い申し上げます。
(兵庫県 SKより)

A:メール、ありがとうございました。

いただきましたメールから、まず疑われるのは、
(1)情緒不安です。つぎにその原因は、(2)下の子が生まれたことのよる
赤ちゃんがえり(プラス型)です。(3)激怒するのは、かんしゃく発作もしくは、
過剰行動性です。

心の緊張感をうまくほぐすことができず、そこへ不安や心配が入り込むと
パニック状態になると考えてください。そのため、まず第一に考えるべきこ
とは、いかにして心の緊張感をとるかということです。4歳の長男の方は、
愛情飢餓の状態(その根底に嫉妬)にあると考え、いま以上の(あるいは
下の子が生まれる前の状態の)愛情復帰をします。「お兄ちゃんだから」
と突き放すのではなく、温かい愛情で包んであげてください。濃厚なスキン
シップ、添い寝、手つなぎ、抱っこが有効です。

また激怒については、白砂糖の多い、甘い食生活を断ち、カルシウム、
マグネシウム分の多い食生活にこころがけてください。一週間、徹底し
てすれば、かなりみちがえるほど、改善するはずです。

また言葉の問題は、症状からすると、パニックになったとき、@興奮して
暴力的にでてくるタイプと、A混乱状態になっておどおどするタイプがあり
ますが、長男の方は、後者かと思われます。言葉の発達とは直接結び
つけないほうがよいかと思います。


Q:はやし先生へ

こんにちは、4歳男児の母です。
先日の授業のことです。息子が突然、幼稚園で泣き出してしまいました。先生が宇宙人
の話をしたためです。
普段から、UFOの存在をものすごく信じていて、以前お菓子のおまけに葉巻型UFOが
入っていた時にもとても怖がっていました。私に甘えたいという欲望が、UFOのモ
チーフをきっかけに、爆発したんでしょうね。他にも前々から、色々なことに感情移
入しやすくて、2〜3歳の頃は、「さるかにがっせん」のサルがかにに柿をぶつける
シーンになると烈火のごとく怒って、「こんな本やぶって捨てる」と叫んだり、TVで
スポーツ珍プレーなど見ていて、失敗シーンが繰り返し流れると、自分のことではな
いのに、ゴーゴー泣いて、「馬鹿ヤロー、こんなTVすててやる!!」となったり・・
・。ちょっと喜怒哀楽が激しすぎる感があります。
また、最近では、幼稚園に行きたがらないのですが、理由を聞いてみると、「新しく
入った女の子が、頭が良くて、僕はもう押しつぶされそうだ」って、言うんです。
「?」と思い、「どうして頭が良いって思うの?」と聞いたところ「終わりの挨拶の
後、先生は女の子を先に帰すでしょ!あれは、女の子のほうが頭が良いからだよ。」
と、勝手な解釈をしているんです。
プライドが高い割りに、自分に自信が無いので、そう思い込んでしまうのでしょう
か。
年中さんになったばかりの頃、幼稚園でこんなこともありました。遠足を後日に控え
たある日、家に帰るなり「ママ、僕遠足行けれないの?」と聞くんです、もしや私が
出欠の届出に間違えて、欠席の丸をつけてしまったのでは・・・と不安になり、先生
に確認を取ったところ、「朝、『いい子だけが遠足に行けるんだよ。』と生徒たちに
話した後、休み時間にY君が『先生僕は遠足行けるかなー?』と聞いてきたので、
先生はふざけて、『どうかな〜』と答えてしまったので、それで自分は行けれないと
思ったのでしょう」と言うお返事が返ってきました。その時は、「Yも色々考えて
るんだなー。面白いなー。」と思っただけだったのですが、いまはデリケートすぎる
のかなとちょっと不安を覚えます。
朝ごはんをおひざの上で食べさせてもらっている。だけでなく、晩御飯も3歳の次男
と、私のひざの取り合い、寝る時もどちらがママと寝るかで、けんかです。最後は結
局次男の強引さに負けてしまうので、とても不憫に思います。主人も三男が生まれて
から子育てにとても協力的で、なるべくYとスキンシップを取ろうと努力している
のですが、やはり父親より、私と2人でべったりしたいようです。最近では、次男三
男が寝た後もまだ起きていて、雑誌の付録などで、私と主人を誘って遊んでいます。
成長のためにも、早く寝かしつけたいのですが、いつもより、目をきらきらさせて、
幸せそうに遊んでいるのを見るとついつい夜更かしを許してしまいます。なかなかYにとって、
ベストな状態に持っていくのは難しくどうしたものだろうと考えてしま
います。アドバイスをよろしくお願いします。(兵庫県、Yの母親より)
 
A:赤ちゃんがえりを甘く見ない

 幼児の世界には、「赤ちゃんがえり」というよく知られた現象がある。これは下の子ども(弟、
妹)が生まれたことにより、上の子ども(兄、姉)が、赤ちゃんにもどる症状を示すことをいう。本
能的な嫉妬心から、もう一度赤ちゃんを演出することにより、親の愛を取り戻そうとするために
起きる現象と考えるとわかりやすい。本能的であるため、叱ったり説教しても意味はない。子ど
もの理性ではどうにもならない問題であるという前提で対処する。
 症状は、おもらししたり、ぐずったり、ネチネチとわけのわからないことを言うタイプと、下の子
どもに暴力を振るったりするタイプに分けて考える。前者をマイナス型、後者をプラス型と私は
呼んでいるが、このほか情緒がきわめて不安定になり、神経症や恐怖症、さらには原因不明
の体の不調を訴えたりすることもある。このタイプの子どもの症状はまさに千差万別で定型が
ない。月に数度、数日単位で発熱、腹痛、下痢症状を訴えた子ども(年中女児)がいた。ある
いは神経が異常に過敏になり、恐怖症、潔癖症、不潔嫌悪症などの症状を一度に発症した子
ども(年中男児)もいた。
 こうした赤ちゃんがえりを子どもが示したら、症状の軽重に応じて、対処する。症状がひどい
ばあいには、もう一度上の子どもに全面的な愛情をもどした上、一からやりなおす。やりなおす
というのは、一度そういう状態にもどしてから、一年単位で少しずつ愛情の割合を下の子ども
に移していく。コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、根気よく子どもの症状に対
処すること。年齢的には満四〜五歳にもっとも不安定になり、小学校入学を迎えるころには急
速に症状が落ち着いてくる。(それ以後も母親のおっぱいを求めるなどの、残像が残ることは
あるが……。)
 多くの親は子どもが赤ちゃんがえりを起こすと、子どもを叱ったり、あるいは「平等だ」という
が、上の子どもにしてみれば、「平等」ということ自体、納得できないのだ。また嫉妬は原始的
な感情の一つであるため、扱い方をまちがえると、子どもの精神そのものにまで大きな影響を
与えるので注意する。先に書いたプラス型の子どものばあい、下の子どもを「殺す」ところまで
する。嫉妬がからむと、子どもでもそこまでする。
 要するに赤ちゃんがえりは甘くみてはいけない。



Q:はじめまして。この2月3日で、3歳になります女児の母です。
娘は、私の姿が見えなくなると大声で泣き、探し回ります。トイレにも、付いてき
ます。同年代の子供たちは、お母さんがちょっと見えなくなっても、平気で遊んで
 いるのに、娘は、いないと気が付いたとたんに泣き出す状態です。一駅離れている
 実家には、手伝いもあり、毎日行っています。祖父母達がいれば、一緒に遊んだり
 して、私一人でも買い物に出掛け手も平気です。原因をいろいろ考えても見るので
 すが、1つに、2歳1ヶ月の頃に、風邪をこじらせて、1週間入院してしまったこと(
 夜は、付き添い不可であったので、随分泣いたらしいのです。)もあるのかなと考
 えています。又、親も、私も通った、私立の幼稚園に是非通わせたいと、退院後
1ヶ
 月ほどで、幼児教室に、週に2回3時間ほど通わせました。そこでも、親とはなれる
 ことが出来ずに、毎回、ついに半年間泣き続けました。そこの先生には、親が焦ら
 ずに、通い続ければ慣れますと言われ、それを信じて続けました。いろいろな方に
 相談しても見たのですが、まだ早すぎたのだとか、週に2日では、足りない、毎日

 うところにすれば良かったとかのご意見をいただきます。時期がくれば、大丈夫と
 は、思いながらも、今年こそは、合格したいと思ったり、でも無理強いするのは良
 くないことなのかと悩みどうしたら、良いのか分からない状況がすっと続いていま
 す。たまたま、昨日テレビで、分離不安と言う言葉を聞き、インターネットで調べ
 ていたところに、先生のホームページを見つけましたので、ご相談させていただき
 ました。よろしくおねがいします。(石川県 Rより)


A:メール、ありがとうございました。
このパソコンは出先からのノートパソコンなので、原稿などは
転送できませんが、簡単に結論から先に申しあげます。
(1)分離不安は、子どもの自意識でコントロールできるよう
になるまで、なおらないという前提で対処します。
(なおそうと思わないこと。心の問題は、一年単位で考え
ます。入試に間に合わなければ、しかたないでしょう。
そういう前提で考えます。)
(2)無理をすれば、一見症状がおさまったかのように見える
こともありますが、なおったのではなく、もぐったとみます。
ですからそのつど症状は繰り返しでてきます。
(3)原因については、R様、ご指摘の通りです。
幼いころの異常な体験が子どもの心にキズをつけたとみます。
「捨てられるのでは……」という本能的な不安発作が原因で
すので、簡単にはなおらないということです。学者によって
は、小児うつ病の一つに考える人もいます。年齢的には
満六歳前後まで、続くと覚悟してください。それ以後は
少女期へと移行し、精神的にも落ち着いてきます(自意識が
育つからです)。
幼児教室では、お母さんが同伴し、許してもらえるなら隣に
座るなど、子どもを安心させることに心がけてください。少し
ずつ様子を見て、手を抜いていきます。(席を離れて
いきます。)
(4)無理をしないことに心がけてください。ここで無理をすると、
さらにやっかいな情緒不安症状を訴えるようになります。
「週2回では少ない」などという乱暴な対処法には耳を貸して
はいけません。子どもの心の問題は、より症状が悪くなって
はじめて前の症状が軽かったことを知るということを繰り返しながら、
泥沼へと落ちていきます。
(5)心静かな、穏やかな家庭環境を大切にしてください。
スキンシップは濃厚に与え、カルシウム、マグネシウムの
多い食生活を大切にしてください。
(6)詳しくは私のサイト
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の中のあちこちに書いておきました。
メニューから、(中日新聞)→(分離不安)か、
サイトの中にもあります。
どうか参考にしてください。
メール、ありがとうございました。



Q:小学3年生(長男)の母です。

 早速ご相談ですが、私のおっぱいを触りたがってしかたありません。
 いろんな本を読んでも触らせてあげてと書いてあるので
 わかっているのですが、その触り方が激しいというか
 恥ずかしくなるのですが私は我慢するべきなのでしょうか?

 我慢してさわらせているのですが、余りしつこくて困る時もあって
 どうすればいいのか迷っています。

 言葉も急にきつくなって、反抗期と自立の兆しが見られる今日この頃です。

 他にもおねしょや自分から進んで出来ないところなどどうして?
 と思う事はいっぱいありますが、このおっぱいに関しては
 母親に対するシグナルなのか、ただエッチなのかどうなのでしょうか?

 宜しくお願いします。(福井県Kより)


A:先週、小3男児と小1女児をもっている母親から、同じような相談がありました。
お母さんのおっぱいを取り合って、いつも喧嘩しているというのです。そこで
右はお兄ちゃん、左は妹というふうに、分け合って(?)いると笑っていました。
この方のケースでは、おもしろおかしく、何というか、あっけらかんにとらえて
おられました。

お子さんの件ですが、かなり心の中が緊張状態にあるとみます。それがささい
なことで、不安発作となり、その不安を解消しようと、情緒が不安定(プラス型
……暴力的になったり、攻撃的になる)になると考えてよいようです。お母さん
のおっぱいを求めるのは、その代償的行為(心を休めるためにする行為。よ
く知られているのに指しゃぶりがある)と考えてよいでしょう。性的な快感を
もとめるというよりは、あくまでも代償的行為です。ですから無理につきはなし
たりすると、かえって情緒が不安定になり、お子さんのケースでは、攻撃的
態度が大きくなると思われます。時と場所を決め、そういうときはお母さんの
ほうがぐんと抱き込むようにして、ある程度は容認してあげます。乳首を口
に含むとか、そういうことではないと思いますので。(ただいじるだけなら、
代償的行為。口に含んでおっぱいを吸うような様子を見せれば、赤ちゃん
がえりか、幼児がえりということになります。そのあたりはどうですか?)

また性的な快感かどうかは、お子さんのペニスの状態を見て判断しますが、
勃起しているようであれば、それが疑われますが、もしそうであれば、また
別の対処法を考えます。(多分、それはないと思います。)あるいはこういう
ケースでは、お母さん自身が、まったく何も感じないようにして、淡々と対処
します。お子さんが早熟であれば、そろそろ性的なものに興味をもつことも
考えられますが、小三というのは、たいへん微妙な時期です。下にお子さんが
いらしゃいますか。家庭環境は不安定ではないですか。父親の愛情はじゅう
ぶん受けていますか。そういうところも一度、客観的にながめてみてください。

子どもにとっては、おかあさんのおっぱいは、特別の存在です。昔
オーストラリアの友人が、こんな話をしてくれました。ベトナム戦争のとき、
サイゴンへ帰ってきた兵隊は、皆、一斉に「女」を買うのだそうです。そして
セックスをするのではなく、一晩中、その女性たちのおっぱいを吸うのだ
そうです。生死を分けるような戦争の中で、心が極度に緊張するのですね。
そこでおっぱいを吸って、気を休めていた、と。一つの参考にはなります。

ではまた何かわかれば……。



Q:小学5年生のときトイレで滑って汚いと思うようになり、何とか頑張って6年生にな
りましたが、3学期の終わりごろより不登校にな
りそれからは学校に関係する全てのこと(人や物・・・)あらゆるものに恐怖があ
り、中1の5月に強迫神経症の不潔恐怖症だと診断されました。性格は幼い頃より何で
も自分の納得のいくようにしなければ気が済まず、親が手を出すのを嫌う子供でし
た。保育園では園の下の子供の世話が良くでき、全く手のかからない子供でした。小
学1年生になって自分の納得のゆく字がかけなくてノートが破れても破れても書き直
すという子供でした。
病気になってから本人が苦しくて家庭の中で暴れたこともありましたが、今では家族
がこの病気を勉強し、子供に寄り添いながら支えていこうと決めていますので、症状
の為のパニックが起きても本人なりにコントロールをしていっています。九州の行動
療法の専門病院で3ヶ月入院治療をしたこともあります。強迫行為の方は良くなりま
したが強迫観念のほうは変わりませんでした。むしろ今のところは前よりも学校に関
するものを毛嫌いしているようです。家族としては子供の興味のあることや、楽しい
と思える時間を協力出来るようにと生活しています。これからはどのようなことに気
をつけていけばいいのか教えていただきたいです。
                        高知県のMより

A:メール、ありがとうございました。

いくつか気になるところがあります。
「何とかがんばって、6年生になりました」……この段階で、
何か、お子さんの側から見て、無理をなさいませんでしたか?
強制したり、威圧したりなど。症状からみて、「強迫神経症」ということですが、
それが転じて、「学校恐怖症」ではないかと思われます。このタイプの
恐怖症は、いろいろ姿を変えて表われてきますので、お子さんの心を全体として
考えないと、お子さんの心をつかめなくなります。学校恐怖症については、
ここに私が書いた原稿を添付しておきます。どうか参考にしてください。

私の印象では、つまりいただいたメールの範囲では、おうちの方が「なおそう」と
あれこれ努力なさっても、かえって逆効果だと思います。「心の風邪」は、そんな
ことでなおるはずもないし、またなおそうと思えば思うほど、(親側に「それは悪いことだ」
という意識があり、子ども側に「悪いことをしている」という意識がある限り)
かえって症状がこじれます。この問題だけは、少なくとも1年単位で子どもをみな
ければなりません。「去年とくらべてどうか」とです。


こう書くと、多分「それではうちの子はダメになる」と思われるかもしれませんが、
そう思うのは、親の勝手な価値基準によるもので、子ども自身の価値基準ではない
ことに注意してください。遠い原因としては、スキンシップ不足、愛情不足、
子どもの側からみて安心できない家庭環境が、乳幼児期にあったものと思われます。
あるいは下の子どもがいたりして、愛情不足を感じていたのかも。さらにその原因
はといえば、あなたがた自身の子ども時代の問題が疑われます。つまりこの問題は
もっと根が深いということ。言いかえると、今のお子さんの症状だけをみて、あれこれ
なおそうと判断しても、あまり意味がないということです。

大切なことは、あなたやあなたの妻(夫)よりも、お子さん自身のほうが
悩み苦しんでいるということ。それをまず理解してあげることです。この問題
だけは、より症状が重くなって、以前の症状が軽かったということを繰り返しながら、
そして何かを子どもに対してすればするほど、裏目、裏目に出て悪くなっていきます。
今は不登校程度ですが、こじらせると、拒食症や行為障害、引きこもり、あるいは家庭内
暴力へとつながっていきます。ご注意ください。

ではどうするか。いいですか、私もこう書くのはつらいですが、
「あきらめなさい」。風邪で熱を出している子どもに向かって、「泳げ」とは
いえないでしょう。そういうあきらめをもつことです。そして重要なことは
何も言わない、何も指示しない、無視する……ということで、あなたのお子さんが
あなたの目の前で、のんびりとくつろげるようになればしめたものです。また
そういう状態をつくります。今の状態であれこれお子さんに対してすればするほど
泥沼の悪循環に入りますから、くれぐれもご注意ください。
「がんばれ」ではなく、「気を楽にね」という言い方で、接します。

以上が私からあなたへのアドバイスですが、これはあくまでも一つの意見に
すぎません。今、あなたの愛情はお子さんに試されています。あとはCA,MG
の多い食生活にこころがけ、濃厚なスキンシップをお子さんに与えます。
お子さんが望むようであれば、(少し年齢的に難しいかもしれませんが)、
手つなぎ、抱く、一緒に長湯に入る、一緒に寝るなどの方法を試してみて
ください。

またアメリカでは、ホームスクーラーが200万人を超えました。
日本独特の受験制度や、学歴意識ともどうかあなたの心の中で
戦ってください。「学校なんかくそくらえ」(尾崎豊「卒業」)と思うことも
どこかで大切なことです。
また何かあれば連絡ください。
今日はこれで失礼します。


子どもの不登校を防ぐ法(前兆を見落とすな!)
子どもが学校恐怖症になるとき
●四つの段階論  同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の
二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。が、その中
でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を「怠学
(truancy)」といって区別している。これらの不登校
は、症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パ
ニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが次であ
る。 @前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠
感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴え
る。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声
で答えたりする。これを症状の日内変動という。学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君が
いじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだした
りする。理由となる原因(ターゲット)
が、そのつど移動するのが特徴。 Aパニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車
に乗せようとしたりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日
は休んでもいい」などと言うと、一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰
ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていまし
た」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と思うことが
多い。 B自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻
撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこか
ピリピリした感じは続く。そのため親の不用意
な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害)。この段階で回避性
障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこ
ともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいてい
の親は、自分の子どもをどうとらえたらよ
いのか、わからなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。 C回復期
……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くよう
になる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校でき
るようになる。日に一〜二時間、週に一日〜
二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。
●前兆をいかにとらえるか  要はいかに@の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるか
ということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をす
る。この無理が症状を悪化させ、Aのパニック期を招く。この段階でも、もし親が無理をせず、
「そうね、誰だって学校へ行きたくないとき
もあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の
問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、症状
はこじれる。悪化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、@学校生活起因型、A遊び非行型、B無気
力型、C不安など情緒混乱型、D意図的拒否型、E複合型に区分して考えられている。
 またその原因については、@学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、A家庭生活起因型(生活環境の
変化、親子関係、家庭内不和)、B本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本
教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は
、あくまでも教育者の目を通して、子どもを外の世界から見た区分のし方でしかない。

(参考)
●学校恐怖症は対人障害の一つ 
 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、
睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加
わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこ
の時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでも
その一つと考える。
●ジョンソンの「学校恐怖症」
「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最
初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始ま
る。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期
の三期に分けて、学校恐怖症
を考えた。
●学校恐怖症の対処のし方
 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこの段
階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。
あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの心の問題を見
落としてしまう。しかしこのタイプの子ど
もが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。ある母親はトイレの中に
逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。そして泣き叫んで暴
れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。その母親は「このまま不
登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子
どもをはげしく叱り続けた。が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほ
ど、子どもの心に取り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、
誰だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症
状はそれほど重くならなくてすむかもしれ
ない。
 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、「三
か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」
と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに
電話がかかってきて、「今日、学校へ連れてい
ってみましたが、やっぱりダメでした」と。親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ち
はわかるが、こういうことを繰り返しているうちに、症状はますますこじれる。
 第三期に入ったら、@学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けること。
A前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、子
どもの様子をみる。B最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあ
まし、身をもてあますまで、何も言わない、何
もしないこと。C生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしな
いこと。とくに子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にいない間に、
子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。
 回復期に向かう前兆としては、@穏やかな会話ができるようになる、A生活にリズムができ、
寝起きが規則正しくなる、B子どもがヒマをもてあますようになる、C家族がいてもいなくいて
も、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。こうした様子が見られたら、
回復期は近いとみてよい。
 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。そ
ういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。
●不登校は不利なことばかりではない
 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされてい
る。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児
だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という。不
登校はマイナスではないと答えた人、三九%
、マイナスだったと答えた人、二四%など。そして学校へ行かなくなった理由として、
友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転校などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  


こわがる子どもを考える法(恐怖症を軽く考えるな!)
子どもが恐怖症になるとき
●九死に一生
 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして
文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れ
た。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように
感じた。私は少し走っては自転車からおり、少
し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。子どもはふとしたきっか
けで、この恐怖症になりやすい。
 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたく
ない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがあ
る。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続
出した。これは単なる恐怖心だが、それが高
じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものば
あい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。
@対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程
度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注
意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所
でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその
警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤
面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れ
る。さらに症状がこじれると、外出できない、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れる
こともある。
A場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れ
ない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男児)
のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談があ
ったので調べてみると、原因はどうやら学校へ
行くとちゅうにある、トンネルらしいということがわかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実
は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足すことができなかった。それと関係があるかどうか
は知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。
Bそのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、
先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけで、
ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子どものば
あい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであ
り、問いただしてもなかなか原因がわからないことが多い。また症状も、そのとき出るというより
も、その前後に出ることが多い。これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で
飛行機事故を経験した。そのためそれ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛
行機には乗ることはできるが、いつも現地ではひ
どい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。また一
度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。高所恐
怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パターン)ができるためと
考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼
いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられ
る。
●忘れるのが一番
 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意
味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほ
ど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわが
るようになる。いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるようにする。症
状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私のときも、その事故から数日間は、車の速度
が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっ
ていても、あとで見ると、手のひらがびっしょり
と汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言
いきかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出す
と、夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理で
はどうにもならない。そういう前提で、子ど
もの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学
不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者も
いる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりや
すい。



Q:2才4ヶ月の男の子と4ヶ月の女の子のママです。上の子の赤ちゃん返りがひどくて困ってい
ます。私も最近上の子をかわいいとは思えなくなり、すぐ怒鳴ったりたたいたりしてしまいます。
上の子はもともと小食ですが、下が生まれてからはほとんど食べなくなり牛乳ばかり飲んでい
ます。体重は今9.8kgしかありません。イヤイヤ期も重なって1日中イヤイヤです。だんなが
泊り勤務なのでいない日はもう虐待しそうなくらい私はイライラしてしまいます。最近はいつも行
っていた公園にも行きたくないと言い出しました、人がいるのが嫌みたいで人がいない公園は
行くこともあります。人がいても主人となら公園にも行けます。主人が言うには、私がかわいい
と思っていないことを子供なりに感じ取っているからだ、と言います。私も冷たい態度しか取れ
なくなった上の子に悪いと思います。でも、いやいやで泣き叫ばれると、だめなんです。このま
まだと私も上の子もだめになってしまう気がします。主人に言っても、おまえが我慢するしかな
い、としか言ってくれません。頭では私が上の子を優先して生活していけば上の子も落ち着い
てきて私も楽になる、とわかっているのですが・・・私の我慢が足りないのでしょうか?

A:赤ちゃんがえりについては、
小生のHPの「赤ちゃんがえり」のところで
書いておきましので、よろしかったら
お読みください。
ヤフーのサーチエンジンから、
「はやし浩司 赤ちゃんがえり」で
検索できるはずです。
また
http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
の中にも、「赤ちゃんがえり」について書いておきました。
 
対処方法は、かなりこじれていると思われますので、
(1)100%の愛情と関心を一度、兄のほうに
向けなおしてみる。
(2)スキンシップを濃厚にする。
(3)食生活をCa、Mgの多いものに切り替える、です。
そして様子を見て、一年単位で少しずつ、兄から愛情を
下の妹に移行していきます。
 
兄ししてみれば、いままで100%の愛情が50%になったことが
不満なのです。親から見れば50%ずつの平等と考えるかも
しれませんが、それはあくまでも親の論理でしかありません。
 
あなたが「兄を好きになれない」というのは、
心のどこかに、「男の子」「男の人」に対して何らかの
わだかまりがあるものと思われます。心の奥をさぐってみてください。
あなたと父親の関係はいかがでしたか?
今のご主人と、電撃に打たれるような恋をして、相思相愛で
結婚し、今の長男を、心から望んで生みましたか?
など、一度、心の奥底をさぐってみてください。
何もなければそれで結構です。
何かわだかまりがあるようなら、しっかりと自分を
みつめなおしてみます。
それでたいてい、少し時間はかかりますが、
解決するはずです。
 
赤ちゃんがえりについては、これ以上
こじらせないこと。それだけを考えて対処します。
なおそうとあせると、失敗します。
 


Q:はじめまして、2児(4才の年中児男児、2才女児)の母親です。長男のこと、お伺いします。
今年の4月に幼稚園に通いはじめ、最初の一ヶ月は通園バスに乗る
のがイヤで大変な騒ぎでした。今ではそれ程では無いのですが、心配しているのは幼
稚園の生活のことです。なかなか友だち関係が出来ないようで、いつも一人で園庭の
隅で見ているだけのような毎日だそうです。家に帰ってくると下の子と仲良く遊ぶの
ですが、どうも幼稚園では出来ないようです。運動会の様子なども見てみましたが、
お友だちとはほとんど会話をせず、いつも一人で端っこにいます。とても恥ずかしが
り屋で自分を表に出せない性格なので、(時間が解決してくれるかな)とも思うので
す が、何か自分の子どもがふびんに思えて悲しくなってきます。普段はとても元気で
遊んでいますが、回りとの関係(特に子ども同士)は全然出来ません。親として見て
いると手をさしのべてやりたいのですが、ここは子どもの自主性を尊重して見守って
いる現状です。今後どのように対応して行けば良いのでしょうか?アドバイス願います。

A:この時期のお子さんは、無理をしないが、大原則です。
親の設計図(常識)にあわせて、子どもに無理を強いれば
強いるほど、子どもは別の方向にいきます。
そして「以前のほうがまだよかった……」というようなことを
繰り返しながら、あとは底なしの悪循環へと落ちていきます。
そうならないためにも、お子さんの気持ちを大切に
無理をしないこと。この一言に尽きます。

で、ご相談の件ですが、かなりの対人恐怖症が疑われます。
そうでない人から見れば、「気のせいだ」というように
思われがちですが、そんな簡単なものではありません。
私のサイトから、恐怖症を見てください。
(ヤフーで「はやし浩司 恐怖症」を検索してくださっても
よいですし、
http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
の中にも、恐怖症の子どもについて書いてあります。

対処方法は、とにかく無理をしない。家の中で
思う存分、気を抜かせる。安心感を与えるため
スキンシップを多くする。Ca Mg などの食生活に
こころがける、です。

一度この種の神経症(?)をこじらせると、恐怖症そのものがいろいろ姿を変えて、
日常的に出てきますので、とにかく無理をしてこじらせないことです。
(もうすでにこじらせている心配があります。最初の日に無理をしたことなど。)
今もあなたは、「幼稚園で皆と、一緒に遊ぶべきだ」という固定観念というか、
先入観でお子さんを見ておられるのが、たいへん気になります。
(私なら、幼稚園へ行く日を少なくして、……適当に休ませて
家で遊ばせますが……。無理して行かせなければならない
ほどの価値かあるかどうか……?)
たった今アメリカから帰ってきましたが、向こうでは、もっと気楽に
考えていますね。オーストラリアでは、週3日保育が多いです。などなど。

恐怖症であれば、(あくまでも?の話ですが……、お子さんを見ているわけでは
ありませんので……。)とにかく無理をしないでください。
ここでこじらせると、いろいろな形でその恐怖症が姿をあらわします。
「幼稚園へ行きたくない」といったら、「あらそうね。だれだってつらいときがある
のよね」と理解してあげること。あなたの価値観を押し付けないことです。

「ふびんで悲しい」……?
とんでもないことをあなたは口にしているのですよ!
子どもを愛するということは、子どもを許して忘れる。
子どもの苦しみや悲しみを共有することです。
あなたのお子さんが苦しんでいることを
どうしてあなたは理解しないのですか。
お子さん自身が、集団の中で苦しんでいるのですよ。
それを「ふびん」だなんて!!!!!!
あなたが「悲しい」のは、あなたが信じている学歴信仰にお子さんが
そぐわないからだけではないですか? コースに乗れないことを
悲しんでいるのです。仮に不登校児になっても、それを問題にしているのは
親なのです。子ども自身は、学校へ行かないことをハッピーに思っているのですよ。
あなたのケースも同じです。

お子さんは今、彼なりにがんばって幼稚園へ行っています。
それをほめてあげなさい。無理だと思ったら、午前中で迎えに行って
負担を半分に減らしてあげなさい。そして少しずつ、お子さんを
集団に慣れさせてあげなさい。それがベストです。あくまでもお子さんの
心を大切にしてあげなさい。

一ヶ月も「たいへんな騒ぎ」を続けたあなた自身の神経を私は疑って
います。たった数日でも、ふつうの子でも、心に大きなキズが残りますよ。
下にお嬢さんがいらっしゃるから、よけいに分離不安を感じたのかも
しれません。

なおそうとはもう思わないこと。これ以上、症状をこじらせないことだけを
考えて、対処します。最悪の場合は、神経症から情緒不安、さらには
精神障害……?ともなりかねませんよ。無理をすれば…。不登校に
なるのも時間の問題かもしれない。「家の中ではふつう」という面だけを
信じて、それをお子さんに外の世界でも求めないこと。もう少し心の
問題は複雑です。どうかそれをわかってあげてください。

子どもの自主性を重んじるのは当然ですが、それ以上に
あなたの価値観(常識)を子どもに押し付けないこと。
今の状態をこれ以上悪くしないことだけを考えること。
そしてがんばっているお子さんを前向きにほめて励まして
あげること。子どもの前で「ふびん」だの、「悲しい」だのという
表情やこごとを決して言わないこと!!!!!!!!!

きびしいことを書きましたが、あなたのお子さんのために、
お子さんの言えないことを、代弁しました。



Q:はじめまして。私、6才(幼稚園年長)と4才(幼稚園年中)の二児の母です。長女のことなんで
すが、場面かん黙だろうと言われ一年以上…、 幼稚園では何もしない一日を過ごすことがほ
とんど…固まった状態で、一言も口は聞かず…でも、幼稚園が終わると、特定の子ですが、園
庭や公園で普通の子と同じようにはしゃぎまわったりもするのです。自宅にお友達を呼ぶと、
相手が1人ならば遊ぶことが多いのですが、複数の子が遊びに来ると私と遊ぶかもしくは1人
でボーっとしています。お友達の家へ行くと、全く遊べないか、もしくは興奮しすぎの状態で、狂
ったようにはしゃぎまくっているか、とても極端です。 彼女の人見知り、場所見知りは生後4ヶ
月くらいからずっとでした。ハイハイの頃から公園へは毎日連れて行っていたのですが、ほか
に子供がいれば何もしないいし、人がいなくて今まで遊んでいたとしても1人でも子供が公園に
来ると突然固まってしまったり…。市のカウンセリングにも昨年一学期間通ったのですが、彼
女への 対処法と言うものが結局見つからず、母親のカウンセリングのような感じで、行かなく
なりました。

先生のホームページにはかん黙児と言うのは脳の機能的障害と 書いてありましたが、どういう
ことなのか教えていただけませんか? 今までカウンセラーの方から産まれてからどのように
育ててきたかとか色々聞かれ、私の神経質なところからそうなってしまったのでは…??と思って
いました。幼稚園が嫌なのなら行かなくてもいいと思うのですが、本人もとても辛い場所なはず
なのに、退めるのは嫌だと言うのです。彼女がダメな時(といっても毎朝ですが)どう対応してあ
げればよいのでしょうか? それから彼女を普通に小学校へ通わせて彼女にいいものかどう
か悩んでいます。

A:かん黙児の問題は、私は現場で学習指導の経験は、毎年数名していますが、立場上、「治
療」とか言う言葉を使うことはできませんし、そういう目的でお子さんを指導したことはありませ
ん。私は、いつも親といっしょに座ってもらい、授業をしています。うまくひきつけると、言葉は出
てきませんが、鋭い視線で授業に集中してくれます。あとはこれを繰りかえします。根気のいる
作業です。そういう形で、時期をまちます。あせっても、効果はありません。気長に、とにかく気
長に指導しています。そして子どもというのは、そういう情報がある程度蓄積されると、程度に
もよりますが、ある時期(小学2〜3年ごろ)から、少しずつ心を開いてくれます。それまでがま
ん強く待つしかないです。

かん黙児に限らず、情緒障害児(障害という言葉を使いますが、お許しください)は、心がいつ
も緊張状態にあるという前提で対処します。柔和な表情にだまされてはいけません。つまりそ
の緊張状態をとるのが、指導のコツです。私の場合は、「抱く」という方法をとりますが、私のよ
うな他人に抱かれるようになるにも、6ヶ月とか1年もかかります。

機能障害という言葉を使いますが、これはもちろん私が言い出したのではありません。ただ心
の問題は、器質障害と機能障害があり、機能障害は、脳の機能が変調しただけ、つまり「大き
な問題ではない」という意味でふつう使います。誰だって風邪をひくように機能が変調すること
があるのです。そういう意味で使いますので、あまり深刻にとらないでくださいね。

かん黙児の場合、子どもの心に合わせて、子どものリズムで考えるようにします。おとなの理
屈や常識を、子どもに押し付けてはいけません。子どもの立場からすれば、本当に声が出ない
のです。ですから、「どうして声が出ないの?」という言い方ではなく「この前より、あなた表情が
明るくなったわね」というような言い方をして、前向きにプラスの暗示をかけていきます。私は実
際に幼児を教室形式の中で教えていますので、「笑わせる」という方法で、心を開かせるように
しています。「笑わせる」というのは、とってもよい方法です。近くに住んでおられるなら、お助け
できるかもしれません。場面かん黙でも、メールで見る限り、症状は軽いようですから……。

次のような方法をおすすめします。
(1)濃厚なスキンシップを惜しみなく与える。(抱き癖がつくとか心配する人がいますが、この
際、それはマイナーな問題と考えます。)
(2)子どものリズムで生活します。問題児とみるのではなく、「うちの子はうちの子」と納得し、
居直ります。へたになおそうと思わないこと。お母さんが心配していると、それがそのままお子
さんに、その心が伝わってしまいます。そしてそれがお子さんの心の状態を悪いほうに追いや
ってしまいます。(親の不安が、子どもの心を不安定にするということです。)
(3)あとは時期を待ちます。あせっても、どうしようもありません。しかし時期がくれば、そのま
ま自然な形でなおっていきます。もともと繊細な感覚をもち、頭もよい子どもなのですから、中
高校生になるときには、かえってすばらしいお子さんになっていることが多いです。(数年前で
すが、医大へ推薦で入った教え子がいましたよ!)
(4)「今の状態をより悪くしないことだけを考える」です。心の問題は、より悪くなって、以前の症
状が軽かったことに気づく……それを繰り返しながら、どんどん問題がこじれていきます。だか
ら、なおそうと思わないこと。ここが重要なポイントです。

かん黙児の問題は、かん黙児であることが問題ではなく、おうちの方があせってあれこれ無理
をして、なおそうとするから、こじれてしまうのです。夜尿症と同じです。(夜尿症も最近の研究
で、脳の機能障害と位置付けられるようになってきています。つまりかん黙児も夜尿症も同じと
いうこと。)

あまり深刻に悩まず、居直ってください。そしてあなたのお子さんを、今の状態で受け入れるの
です。「固まったから悪い」と考えるのではなく、「固まることもあるから、同じような状況は避け
る」と考えるのです。そういうおおらかさが、心に風を通します。私も教えるときは、かん黙児と
いうことを一切、気にせず、完全に無視した形で授業を進めています。本人に罪の意識、罪悪
感をもたせないように教えるのがコツです。そして症状は一進一退しますが、とにかく、うまくの
ったときは、おおげさにほめ、そうでないときは、無視して授業をすすめるようにしています。

しかし、です。かん黙児は、必ずなおります。そしていつか笑い話になります。「そういうこともあ
ったわね」と、です。成長するにつれて、脳の機能も復元され、正常になってきます。それを信
じて、前向きに考えてください。

そうそうあれこれ過去の原因さがしが書いてありましたが、そんなのはもう忘れなさい。気にし
ないこと。お母さんが、自分を責めるのはよくありません。お母さんは、もうじゅうぶん、すばらし
いお母さんです。お母さんは、親としてもう精一杯のことはしたのです。どうか自分を責めない
ように。ですから、もう過去において、原因が何だったかということは、考えないように。私は皆
さんのお子さんを預からせていただくとき、過去の原因など、一切聞かないようにしています。
(聞いても意味ないでしょう)

なお興奮性が強いのは、かん黙の問題ではなく、別に、そう状態、あるいは過剰行動性が疑
われますので、食生活……Ca,Mgの多い食生活にこころがけ、甘い食品をひかえれば、かなり
落ち着くはずです。一度試してみてください。徹底してやれば、一週間ほどで見た目にも興奮
状態はなくなってくるはずです。

幼稚園へ通う、通わないは、お子さんに任せてください。無理していかねばならにところでも
ないのです。(アメリカでは、今年、ホームスクーラーが200万人を超えるといわれています
よ。ヤフーで、LEARN IN FREEDOMを検索すると、いろいろ情報が入ってきます。)あまり深
刻に考えないように。わかりましたか。かん黙児など、なんでもない問題ですから。少なくとも、
あなたのお子さんは、そう思っていますよ。問題だと思っているのは、一般の尺度でしかものを
考えられない、「あなた」自身なのです。

今、6歳ということですので、もうなおる時期にきていますよ。その前に、あなた自身の不安をな
くしてください。あなたに自然な笑顔が戻ってきたとき、あなたのお子さんも心を開きますよ。あ
とは「許して忘れる」ですよ。トップページから、「心のオアシス」を、どうか読んでくださいね。き
っと力になれると思います。私の経験からでも、お母さんが子どもを愛し、受け入れ、許して忘
れれば、この問題はあっけなく解決します。約束します。いま、あなたのお子さんは、一生懸
命、あなたという親を、育てているのですよ。そういう目で見てあげてください。

では、また何か心配なことがあれば、連絡してください。力になります。



Q:現在小学1年生、女児。母子分離不安と言われ、学校に毎日、親が付き添っています。家族
構成は両親、姉(小2)の4人家族です。幼稚園の頃から登園を嫌がり、無理やり連れて行った
ことも何度もありますが、年少の1学期、年長の2,3学期は嫌がるために休園。園でも、泣かな
い日がないくらいで、先生が玄関のところにいないと教室にもはいれませんでした。これも年長
まで続きました。

 小学校に入学し、本人だけで歩いて登校したのは1週間ほど。以後は毎日、両親のどちらか
が徒歩か車で一緒に登校し、子供は自分の席で授業を受けますが、親は教室の後ろに座り、
4時間目終了後、親だけが帰宅するという毎日です。6月の中旬くらいまでは、1時間目が終わ
ると本人も納得するので、私も帰宅することができましたが、それ以降、プールを嫌がり、帰ろ
うとすると、大声で泣き、泣いて追いかけてきて、結局4時間目までいることになり、現在に至っ
ています。朝はほとんど毎日ぐずって起きてくるか、起きてこない日もあり、とても機嫌がわる
いです。同じクラスの子が迎えにきてくれても一緒に登校することができないことも多くありま
す。学校に行けば、元気な時は友達とも関わっているようですが、友達がいようがいまいが関
係ないようです。本人は学校が嫌いと言います。私がいても、教室にはいれず、泣いたりもしま
す。調子のいい日もたまにありますが、朝はほとんど暗い顔をしています。でも、3時間目くらい
から元気がでてきて、友達とも遊べるし、帰りも比較的元気に帰ってきます。休日や、帰宅後
は元気が良く、学校を嫌がる子供には見えません。
 
 今までの経過を書きましたが、1学期からなかなか良い方向にいかず、どうしたら、親なしで
登校できるようになるのか悩んでいます。親が付き添った方がいいそうなので、今こうして学校
まで行き、ずっと後ろについているのですが、このままで良いのか不安です。子供は、泣けば、
親や周りの人が何とかしてくれると思っているように思えます。わがままが通ると思っているよ
うです。
 
今のまま学校について行くと、ひとりで大丈夫だよと言ってくれる日が来るのか不安になりま
す。1年生のうちは付き添うつもりでいますが、2年生になり親が付き添わなくなったら不登校に
なるのでは、と思ってしまいます。学校の規模は大きく、1学年5クラスあり、160人強です。今の
ままのやり方で良いのでしょうか?子供にはどのように接したら良いのでしょうか?イライラし
て、つい子供に"学校にひとりで行けないくせに"などということを言ってしまいます。子供も苦し
んでいると思うのですが、つい傷つけてしまうことを言ってしまう自分にも嫌気がさしています。
どうぞ、良いアドバイスをお願いいたします。 (栃木県Kより)
 
A:メール、ありがとうございました。
分離不安には、必ずといってよいほど、ひきがねとなった何かの原因があったはずです。それ
はともかくもメールの内容からして、分離不安だけではなく、学校恐怖症、対人恐怖症、さらに
これらがこじれて、情緒そのものが、かなり不安定になっているように思われます。順に考えて
いきましょう。
 
 分離不安は、4〜6歳をピークに、あとは急速に落ち着いてきます。愛情への不安(子どもは
絶対的な安心感のある家庭で心を落ち着けることができます。絶対的というのは、疑いをいだ
かないという意味です。)をまず疑ってみます。……といっても、一度分離不安になると、心は
いつも緊張状態になるため、ささいなことで突発的に症状が出てきてしまいます。ですから対処
方法としては、付き添いが一番よい方法です。無理をしないの一言です。私の場合は、親に付
き添わせ、授業の中に引き込みながら、少しずつ親の存在を忘れさせるようにしています。
で、結論から言えば、分離不安は必ずなおります。今、小1ということですので、もう時間の問
題ではないかと思います。(ただ分離不安症だけは、おとなになってからも、残ることは多いよ
うです。夫の帰宅が遅くなっただけで、言いようのない不安感に襲われる人はいくらでもいま
す。)
 
 学校恐怖症については、私のHPの、(子育てのこと)→(子どもの指導法)→(子育て論文集)
の中に書いておきましたので
参考にしてください。
 
 情緒不安については、ここに書きましたように、基本的には、心の緊張感がとれないというこ
とを、大前提に考えて対処します。「心のキズ」論は、この際、あまり問題ではありません。つま
り子どもの心は常に緊張状態にあるとみます。(表情にだまされてはいけません。このタイプの
子どもは、多くは、心と顔の表情が遊離するという症状を見せます、柔和な顔をしながら、その
裏で別のことを考えるなど。)ですから、子どもの立場で、緊張感がとれるような状態を多く、用
意します。抱き癖などを心配する人もいますが、この際、そういうことは考えず(マイナーな問題
ですから)、添い寝をしてあげる、いつも手をつないでがえるなどの、濃厚なスキンシップを与え
てみてください。スキンシップには、まだ知られていない、不思議な力があります。特に情緒不
安の子どもには有効です。
 
 不登校については、不登校児になる心配は、十分あります。そこでこう考えてはどうでしょう
か。一度不登校児になると、半年から1年単位で学校へ行かなくなりますので、今は、無理をし
ないで、不登校児にならないことだけを考えて、週に2〜4日、学校へ行けば、それで十分だと
考えるのです。この問題だけは、「より症状が悪くなって前の症状が軽かった」ということを繰り
返しながら、症状が悪化します。そうならないよう、つまり、今の状態をより悪くしないことだけを
考えながら、今の状態を保つようにします。なおそうとか、なんとかしようなどとは思わないこと
です。「お子さんを受け入れなさい」です。あるがまま、「ああ、うちの子は、こうなんだ」と、割り
切って、それを受け入れます。居直るのです。そして先のことはあれこれ心配しないで、(よくあ
る話で、大きな問題ではないので)、「ようし、あんたの好きなようにしなさい。お母さんは、どん
なことがあっても、あなたを守るから」と宣言します。そういうおおらかさが、あなたのみならず、
お子さんの心に風穴をあけます。いいですか。なおそうとは思わないで、今の状態をより悪くし
ないことだけを考えて、今の状態を受け入れます。そうすると、いつの間にかこの問題は解決
します。やがてすぐ笑い話になります。約束します。
 
 付き添いが必要なら、付き添いをしてあげてください。私の場合は、一番うしろの席に、いっし
ょに座ってもらっています。そしてやがて、数回のうち一回は、母親がいなくても学習できるよう
になったり、途中から親がいなくなっても学習できるようになったりしながら、独り立ちできるよう
になります。遅くとも、小学3〜4年生までには、解決します。(そのころ、子どもは、親離れをは
じめますので……。)
 
 さて「わがまま」ということですが、これはわがままではありません。確かにそういう要素もあり
ますが、しかしほかの問題の重大性から考えると、わがままという部分は、小さな問題です。私
も30歳のころ飛行機事故に遭遇し、飛行機に乗るのが怖くなってしまいました。他人は、「気
のせいだ」と笑いますが、一度はイタリアへ行く飛行機に乗る直前になって足が動かなくなりま
した。他人からみれば、「わがままのようなもの」に見えるかもしれませんが、私にはそうではあ
りませんでした。お嬢さんもきっとそうだと思います。本当に「怖い」のです。どうかわかってあげ
てください。
 
 今、アメリカでは、97年度には100万人。2001年度には、学校へ行かないホームスクーラ
ーが、200万人になるといわれています。それを組織しているのが、LEARN IN FREEDOM 
という組織です。ヤフーで検索すると出てくるはずです。「学校へは行かなければならない」とい
う固定的な先入観とも戦ってくださいね。週に数日行けば、じゅうぶんです。私の経験からして
も、小3レベルで、3分の1学校を休んでも。遅れるなどというkとは、まずありません。安心して
ください。
 
 げに子育ては苦労がつきもの。こうしてあなたのお子さんは、あなたを育てているのです。「こ
の子は私を育てている」と思うことで、あなたはお子さんの問題を別の視点から見ることができ
るようになります。
 
 問題はお子さんというより、あなたにあります。あなたが不安に思った分だけ、あなたが苦し
む。そしてその苦しみがいろんな形でお子さんに影響します。(お子さんは、学校へ行けないこ
となど、なんとも思っていないのです。)むしろ心のケアが必要なのは、あなたでしょう。そういう
ときは、こうします。誰でもいいですから、何でも話せる友人に何でも話すことです。包み隠しな
く、です。そうすると、気分が楽になりますよ。お嬢さんが分離不安になって、お母さんが付き添
っていく……今のあなたにすれば、やっかいな問題かもしれませんが、こういう時期も終わって
みればあっという間のできごと。そこで視点を未来において、「今の時期を振り返ってみたと
き、よい思い出となるように」心がけます。「私は子どもの心を守った」という思いが、あなたの
思い出を美しく、輝いたものにしますよ。そういう視点で、今の自分をながめることです。いつか
お嬢さんとこんな会話をしてください。
 
母「あなた、小学生のころ、お母さん、たいへんだったのよ」
子「うん、わかってる。お母さん、ありがとう」と。
 
あまりよい回答になっていないかもしれませんが、参考にしていただければ、うれしいです。
 
栃木県Kさんへ、追伸
子どもの視点でものを考えるということは、むずかしいことですね。どうしても親のエゴが入っ
てしまいます。そこでこう考えてみてください。お子さん自身は、別に学校へ行けなくても何も
困っていないのです。困っているのは、「あなた」自身なのですね。ここに決定的な意識の
ギャップがあります。「行きたくない」と考えている子ども。「行かなければならない」と考えてい
るあなた、です。
 
そこでもう少し、あなたを解剖してみましょう。どうしてあなたは学校へ行かねばならないと考
えていますか?学校神話の信仰者? 学歴信仰の信者?アメリカでは、2001年度までに、
ホームスクールの子どもが200万人になるといわれています。97年には100万人でした。
全世界で、1000もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明しています。それを組織して
いるのが、LEARN IN FREEDOMという組織です。「ヤフー」で検索すると、すぐ検索できま
す。
 
この問題は、あなた自身の意識を変えないとダメということです。お子さんの心はこじれにこじ
れているのではないでしょうか。あるいはあなたが「心の問題」を軽く見すぎているのではない
でしょうか。こういうケースの場合、恐らくあなたもそうでしょうが、「3ヶ月がまんしなさい」と言
っても、本当に3ヶ月がまんしてくれる親はまずいません。お気持ちはよくわかりますが、心の
病気はそういうものです。外から見ることができませんから、どうしても無理をします。この無
理が、症状をこじらせます。あなたは一方で、症状をこじらせながら、一方で「悪化している」
と悩んでおられるのではないでしょうか。
 
「あなた」という親も、結局は行き着くところまで行かないと、気が付かないのかもしれません。
きびしいことを書きますが、この問題だけは、「より症状が重くなってはじめて、前の症状が軽
かったことに気づく」のです。あとはその繰り返し。要するにどこでその悪循環に気づくかとい
う問題です。
 
あなた以上にお子さんが、今、苦しんでいるのです。「病気」と書きましたが、それは誰でもか
かる「風邪」のようなものです。あなたは一方で、肺炎の子どもに水をかぶせるようなことをし
ながら、他方で「どうして熱がさがらないの」と悩んでいる。私はこれを親のエゴと呼んでいる
のです。わかっていただけますか?
 
先の話をしましょう。このままでは、あなたのお子さんは不登校児になります。しかも数年単
位で学校へ行かなくなります。が、それですめばまだよいほうです。いいですか。そうなったと
き、あなたは「今の症状が軽かったことに」気づくのです。今の段階では、まだ親の言うことを
聞いて、保健室までは行くのですから……。今のままでは、その保健室にも行かなくなります
よ。これはおどしではありません。私が言いたいことは、そうならないよう、とにかく、今は無理
をしないこと。それだけです。すでに不登校(学校恐怖症あるいは行為障害による怠額
(TRUENCY)の段階)に入っています。あなたのメールを見る限りは、です。
 
あなたはお子さんに振り回されているのではなく、あなた自身の価値観、あなた自身の常識
に振り回されているだけです。どうしてそれがわからないのですか?あなたはお子さんを愛し
ているつもりかもしれませんが、その実、お子さんの前にたって、お子さんの手をひっぱって
いるだけ。お子さんの横に立ちなさい。お子さんの友になりなさい。そうすれば、お子さんはあ
なたに心を話すようになりますよ。あなたは自分の価値観や常識を子どもに押し付けている
だけでしょ。きびしいことを書きますが、あなたの苦しみを救ってあげたいからです。
 
学校なんか、行けなくてもどういうことはないでしょう。行きたくなければ行かなくていいので
す。あんなくだらない集団教育。どこに意味がありますか?……と、そういう視点で、学校をと
らえるのです。もっと大切なのは、あなたがあなたのお子さんの心を理解し、そしてお子さん
の苦しみを理解し、そして「友」として、きずなを深めることです。
 
順に考えてみましょう。
 
今の状態を悪化させないようにとのことですが、確実に悪くなっているようで気落ちして
います。
 
●「悪い」という言葉は使ってはいけません。何に対して「悪い」のですか?
●「確実に悪くなっている」とのこと。そういうふうな目で子どもを見てはいけません。
 

1学期までは、付き添いが1時間目終了から4時間目までにのび、2学期にはいってから
は給食までついていてほしいといわれ、2回だけ給食時までいましたが、あとは4時間目
が終わると給食を食べずに一緒に帰宅しています。きのうは給食を食べ終わってあと1
時間もしないうちに帰宅というのに、私がいなくては不安そうで、帰りの時間に学校まで
迎えに来るということで納得し、最後まで何とかいることができました。体育も、1学期は
プールがいやなだけかと思っていましたが、2学期にはいりプールの授業がなくなって
からもグズグズしていてみんなと一緒にできないことが多くなりました。
 
●少しよくなれば、「もっと、もっと……」と考えるのではなく、3時間学校へ行けそうだったら、
2時間で帰してもらうのです。そして子どもとは「2時間も勉強できたわね」と喜び合うのです。
あなたのようなタイプの親は、3時間学校へ行くようになると、「今度は4時間……」と考える
のです。進学のときもそうでしょう。「何とかC高校へ」が、C高校へ入れるとわかると、「今度
はB高校へ……」となるのです。そういう発想と同じということです。お子さんの努力を認める
前に、それを否定するような行為を平気でしていることに気づいていますか?
 
ただ、1学期と変わったと思うことは、1学期はいやがるのを無理やり連れて行くことが
多かったのですが、最近は私が付き添えば行きたいという気持ちになったらしいという
ことです。毎日毎日の付き添いで私もかなり疲れが出て、子供に無理をさせなくても自
分がかなり無理をするようになってしまい、それもまたストレスとなっています。
 
●楽しんで行きなさい。あなたはお子さんを負担に思っていませんか? 夫の間で、相思相
愛で、生まれたお子さんですか? それとも何か大きなわだかまりがありませんか? もしそ
うなら、そのわだかまりをさぐってみてください。そのわだかまりがわかるだけでも、あなたは
この問題を解決できますよ。あるいはこのままでは、あなた自身も精神的にまいってしまうで
しょう。だったら、受け入れたらいいのです。あなたがストレスに感ずるのは、先ほども書いた
ように、あなた自身の価値観や常識が原因です。子どもが学校へ行きたくないというのなら、
その分、親子のつながりを楽しめばいいのです。「いっしょに人生を楽しもうね」とです。
 
きょうもドッジボールをやるために、先生に手を引かれて一緒に外に行ったと思ったの
ですが、ひとりでメソメソしながら教室に戻ってきて本当に情けない気持ちになりまし
た。あるがままを受け入れるというのは私にとってとても大変なことです。
 
●「情けない気持ち」……??? どうしていっしょに先生と行ったことを前向きにほめてあげ
ないのですか。あなたはあるがままを受け入れているのではなく、自分の思い通りにならない
ことを苦しんでいるだけです。あるがままを受け入れるということは、「許して忘れる」というこ
とです。
 
現在、スクールカウンセラーの先生とも相談をしております。その先生は、本人が納得
するまで付き添った方がよいと言われます。
 
●正解です。それができないなら、学校へは行かないことです。
 
2学期にはいってから、初めてその先生と子供が直接会って話をしたのですが、印象と
しては思ったよりも明るい子で、作文や絵も良く書けているとおっしゃっていました。
 
●お子さんが仮面をかぶっているにせよ、外の世界でがんばっている姿が目に浮かびます。
どうしてそれを評価してあげないのですか?
 
その時はまだ4時間目が終わると私も帰宅していたので、今度からは、本人の了解を
得た上で、1日おきくらいに保健室に待機していたらどうかということになり、そうするつ
もりだったのですが、実行しようとしたその日から、給食の時間までいることになってし
まい、現在に至っています。
 
●子どもは、まだ後先のことを考えずに約束します。相手は子どもですよ。「約束したから」と
いう理由だけで、すべての責任を押し付けないように!
 
その間、一度だけ、主人が1.2時間目を付き添っていて、3時間目から私と交替すると
いう日があったのですが、その時だけは3時間目から私だけ保健室にいることに納得
し、教室では3時間目からひとりで授業を受けることができました。(休み時間ごとに私
がいるかどうか確認しに来ましたが)その日はすんなりとはいかなかったものの、給食
も食べ、5時間目の授業も受けてきました。給食もひとりではいやだけれど、付き添って
いてくれれば食べたいという気持ちがあるようです。
 
●何事も少なめにしましょう。3時間……がんばれそうだったら、2時間でやめて、あとはほめ
る。この問題だけは根気が必要です。一年単位でゆっくりと経緯を見守ります。
 
主任の先生とお話する機会があったのですが、「毎日の付き添いは時間も長く大変な
ので、きょうは3時間目で一緒に帰宅とか4時間目で帰宅するとかきめていけばいいの
ではないか」というようなお話も出ています。
 
●私もそう思います。私なら「今週は3日とか、今週は4日とかで決めていけばいいのでは」と
言います。
 
今は、私がついていれば学校にいられるけれど、ひとりでは全くいることができないと
いう状態です。
 
●あのね、この問題は、あなたが考えているような簡単な問題ではないのです。お子さんは
本当に今、苦しんでいるのです。本当につらがっているのです。それは同じような問題をかか
えた人でないとわからないかもしれませんが、心の風邪というのは、そういうものです。私も3
0歳のとき、飛行機事故を経験してから、飛行機恐怖症になりました。こわいものはこわいの
です。どうしようもないのです。あなたもそいう経験がありませんか? あなたの理屈だけを押
し付けてはいけません。
 
きびしいことを書きましたが、あなたは自分のお子さんを、「悪い」とか、「なおそう」と考えてい
る間は、症状は悪化しますよ。あなたの目から見て、ですが……。学校へいけないことだけを
のぞけば、すばらしいお子さんのようですね。だったら、前向きに認めてあげて、あなたのお
子さんの視点で、あなたのお子さんの苦しみを理解してあげましょう。それがあるがままを受
け入れるということです。恐らく、今、あなたがお子さんに「では、学校へ行かなくてもいいから
ね」と言うと、本当にしばらく不登校児になってしまうでしょう。しかし長い目で見れば、そのほ
うが、かえって立ち直りを早くするというkとです。繰り返しますが、あなたは肺炎の子どもに水
をかけるようなことを一方でしながら、「悪くなった」「悪くなった」と言っているだけです。
 
子どもを育てるのではなく、あなたが今、お子さんに育てられているのです。親として、人間と
して。今、あなたは教育とは何か、子育てとは何か。子どもを愛するということはどういうこと
かを、懸命に学ぼうとしているのです。子どもから学ぶことを恐れてはいけません。謙虚に、
どこまでも謙虚に。そういう視点でお子さんをながめることができたとき、あなたは今のトンネ
ルから抜け出ることができるでしょう。勇気をもって、この山を越えてみてください。あなた自
身の中の、旧態依然の価値観や教育観、学歴信仰、学校神話と戦うのです。そして新しい世
界をできるだけ早く発見するのです。今、あなたのお子さんは、命をかけて、あなたにそれを
教えているのです。
 
では……。




Q:5才の年長児です。夏休みに入る少し前から、家に帰ると、ずっと絵を描いてます。私が忙し
いと、気が付くと家から一歩 も出ていなかったり。本人は、「家の中が気持ちいいんだ」と、言
っています。私からみると、かなり消極的なタイプです。 このまま、大人になっていって少しは
活発になるのかなと、時々、不安になります。絵の内容ですが、テレビ ゲームのキャラクター
が公園で遊んでいる、だとか家の中で暮らしている、という絵を描いたりしています。家の中の
絵は、しっ かり黒のクレヨンで回りが囲ってあります。でも、中にいる人物はきれいな色です。7
月の最初の頃は、幼稚園の終わった後、友達の家と行き来がありましたが、突然行かなくなり
ました。幼稚園には、毎日張り切って通っていました。良い面はたくさんあります。でも、よその
子が良く見えてしまう時もあって、駄目な母親だなと、思っています。

A:(1)絵の内容ですが、単純な絵を反復的に描くのであれば、あまりよい傾向ではありません
ので、注意を外に向けさせてください。
(2)ほかにどんな症状が出ていますか?
(3)5歳過ぎますと、あまり心をいじるのは危険です。本人の今の姿を受け入れつつ、「ああ、
うちの子はこういう子なんだ」と思い直すことで、子どものよい面だけを見て伸ばすようにしま
す。欠点は見ないようにします。
(4)消極的に見えるのは、たいていの場合、お母さんのリズムが1テンポ早いだけです。お子
さんのリズムで歩いていますか? お子さんが外の世界(園や友人の中)でも消極的なら、「消
極的」ということになりますが……? 過干渉、過関心がお子さんの「自信」を奪うというケース
も珍しくありません。ご注意ください。
繰り返しますが、5歳の中間反抗期を過ぎると、人格の「核」が定まってきます。この時期を過
ぎたらもうその核をいじってはいけません。「まあ、うちの子はこういうもんだ」という割り切りが
必要です。そしてよい面だけを見ながら、そして悪い面はあきらめながら前に進みます。人間
誰しも、得意、不得意があるものです。それを認めてあげてください。オールマイティな人間な
どつくろうと思わないこと。そう考えると、お母さんも気が楽になりますよ。お子さんも気が楽に
なりますよ。社交的でなくても、何も困らないのです。
子どもを伸ばす最大の秘訣は、「自分の子どもはいい子」と信ずることです。もしそうでないな
ら、毎日、子どもと顔を合わせるたびに、「あなたはどんどんいい子になっていくわね。お母さん
はうれしいわ」と、子どもの前で喜んでみせます。最初はウソでも構いません。そのうちそれが
口ぐせになり、お母さんが自然にそれを言えるようになったとき、あなたのお子さんは、その口
癖通りの子どもになります。子どもというのは、そういうものです。子どものやる気を奪うもの
に、無理、強制、条件、比較があります。「よその子がよく見える」というのであれば、お子さん
が悪いのではなく、あなた自身の子育て観を変える必要があります。比較は一度クセになる
と、これから先、ずっとついてまわりますから注意してください。「私は私」「うちの子はうちの子」
という姿勢が、あなたの子どもを伸ばすだけではなく、これから先、豊かな親子関係を築く基本
となります。比較は危険ですよ。他人の目を気にした子育ては、あなたの子育てを醜くすると同
時に、思い出を汚します。いつかあなたの子どもがおとなになり、今の子育てを振り返るときが
きます。そういうとき、お子さんの記憶にどんな母親像が残るか、少しだけ想像してみてくださ
い。「私を最後まで守ってくれた母親」でしょうか? それとも「他人の目をいつも気にしていた
つまらない母親」でしょうか? 私の母は、いつも他人の目ばかり気にしていました。今から振
り返ってみると、本当に私の母は、私のことを思っていてくれたかどうかわからなくなるときがあ
ります。子育てというのは、そういうものではないでしょうか。



Q:家の中で暴れるが……。幼稚園ではいい子ぶっている。子ども(幼稚園。年長女児)

A:外でいい子ぶる、いわゆる内弁慶外幽霊というのですね。多分。外の世界で、かなりのスト
レスをためる、(外でいい子ぶるイコール、精神疲労を起こしやすいというわけです)、そのため
家の中で暴れるということです。タイプは、ぐずるというマイナス型と、暴れるプラス型がありま
すが、どちらにせよ、こじらせると、最悪の場合、引きこもり、あるいは家庭内暴力……というこ
とにもなりかねません。恐ろしいことを書きましたが、そういう結果もあるという前提で、ここは
慎重に対処なさってください。濃厚なスキンシップが有効です。添い寝、手つなぎ、だっこをいと
わず、(多少の依存心、抱き癖は目をつぶって)、子どもが求める前に、そっと抱いてあげるな
どの行為を繰り返してください。スキンシップには、不思議な力があります。試してみてくださ
い。あとは食生活に注意します。甘い食品は避け、カルシウム分、マグネシウム分の多い食生
活に心がけます。かんしゃく発作にしては、年齢が大きいので、それだけでは説明つかないよ
うです。私は欲求不満型の情緒不安ではないかとみています。あくまでも参考に。本人を見て
いませんので……。



Q:帰宅する前に、どこかで遊んでくる

A: まず疑ってみるべきは、帰宅拒否です。簡単な観察でわかります。
 (1)園や学校から帰ってきたら、どこで気を休めているか、観察してみてください。
 (2)あなたの見える前で、気を休めているかどうかを、観察してみてください。

 もしあなたの子どもが家の中の一定の場所で、気を休めているようであれば、それでよし。決
まった場所がない。あっても、その場所を家人が、荒らすというようなことをしていれば、それは
やめます。
どんな動物にも、最後の逃げ場というのがあります。その逃げ場を大切にします。
 またあなたがいるところでは、気を休めないというような雰囲気であれば、原因はあなたと考
えます。帰宅拒否の最大の原因は、家族の人間関係です。あなたの姿を見ると、どこかへ逃
げていくようであれば、あなたはかなり反省しなければなりません。子どもが大きくなると、家庭
はやすらぎの場所、憩いの場所となります。そうであるように、家庭のあり方を、よく反省してく
ださい。