2002・2・27版
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ママ診断@
あなたは過保護ママ?
●過保護な子どもって、どんな子?
過保護といっても、内容はさまざま。食事面で過保護にするケース、行動面で過保護にする
ケースなど。しかしふつう過保護というときは、精神面での過保護をいう。子どもにつらい思い や苦しい思いをさせない。あるいは子どもがそういう状態になりそうになると、すぐ助けてしまう など。「(近所の)A君は乱暴な子だから、あの子とは遊んではダメ」「あの公園にはいじめっ子 がいるから、あそこへは行ってはダメ」と、交友関係をせばめてしまうのも、それ。こういう環境 にどっぷりとつかると、子どもは俗にいう、『温室育ち』になる。
●過保護児の特徴
過保護児の特徴は、@依存心が強く、自立した行動ができない。わがままな反面、目標や規
則が守れず、自分勝手になる。鉛筆を落としても、「鉛筆が落ちたア〜」と言うだけで、自分で は拾おうとしない。A幼児性が持続し、人格の「核」形成が遅れる。年齢に比べて幼い感じが し、教える側からみると、「この子はこういう子どもだ」というつかみどころがはっきりしない。B 何ごとにつけ優柔不断で、決断力がない。生活力も弱く、柔和でやさしい表情はしているもの の、野性的なたくましさに欠ける。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑いながら、それをあけ 渡してしまうなど。そのためいじけやすく、くじけやすい。ちょっとしたことで、すぐ助けを求めた りする。よく『温室育ちは外へ出ると、すぐ風邪をひく』というが、それは子どものこういう様子を 言ったもの。
●過保護の背景に。親の心配
親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」がある。この心配が種となって、親は
子どもを過保護にする。このテストで高得点だった人は、まずその種が何であるかを知る。もし 「うちの子は何をしても心配だ」ということであれば、不信感そのものと戦う。(過保護にする)→ (心配な子になる)→(ますます過保護にする)の悪循環の中で、あなたの子どもはますます、 その心配な子どもになる。
ひとつの方法として、今日からでも遅くないから、「あなたはいい子」「あなたはどんどんいい
子になる」を子どもの前で繰り返す。最初はどこかぎこちない言い方になるかもしれないが、あ なたがそれを自然な形で言えるようになったとき、あなたの子どもは、その「いい子」になる。そ ういう意味では、子どもの心はカガミのようなもの。長い時間をかけて、あなたの子どもはあな たの口グセどおりの子どもになる。
●子育てから手を抜くことを恐れない
つぎに子育ての目標は、子どもをよき家庭人として自立させること。そのためにも、子育てか
ら手を抜くことを恐れてはいけない。私が作った格言に、『何でも半分』(子どもにしてあげるこ とは、何でも半分でやめる)とか、『あと一歩、その手前でやめる』(すべてをしてあげない)とか いうのがある。やり過ぎてはいけないということだが、教える立場でも、こんなことが言える。私 もときどき、バカなフリをして子どもに自信をもたせ、バカなフリをして子どもに自立を促すこと がある。「こんな先生に習うくらいなら、自分でやったほうがまし」と子どもが思えば、しめたも の。親もある時期がきたら、そのバカな親になればよい。
●キズだらけになって成長する
要するに子どもというのは、キズだらけになりながら成長する。子どもがキズつくのを恐れて
はいけない。親としてはつらいところだが、そのつらさにじっと耐えるのも、親の務めということ になる。
とくに子どもどうしのトラブルは、一に静観、二に静観、三、四がなくて五にほかの親に相談、
と考える。「ほかの親」というのは、同年齢もしくは、やや年齢が高い子どもをもつ親のこと。そ ういう親に相談すると、たいてい、「うちもこんなことがありましたよ」「あら、そうですか」というよ うな会話で、問題は解決する。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断A
あなたは権威主義ママ?
●親意識の背景に権威主義
「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでやった」「育てて
やった」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(六〇 歳)は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまい ましたよ」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。
日本人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こ
うした日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。
●上下意識と権威主義
その親意識の背景にあるのが、上下意識。「親が上で、子が下」と。そしてその上下意識を
支えるのが権威主義。理由などない。「偉い人は偉い」と言うときの「偉い」が、それ。日本人は いつしか、身分や肩書きで人の価値を判断するようになった。
ふつう権威主義的なものの考え方をする人は、自分のまわりでいつも、人間の上下関係を意
識する。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」と。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と 考える。そして自分より立場が上の人に向かっては、必要以上にペコペコし、そうでない人に はいばってみせる。私のいとこ(男性)にもそういう人がいる。相手によって接し方が、別人のよ うに変化するからおもしろい。
●親意識は親子を断絶させる
この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それだけ
ではすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠 す。親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れる… …。
昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそうい
う時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。このテストで 高得点だった人は、あなたというより、あなたが育った環境を思い浮かべてみてほしい。あなた 自身もその権威主義的な家庭環境で育ったはずである。そして今、あなた自身があなたと親 の関係がどうなっているか、それを冷静に見つめてみてほしい。たいていはぎくしゃくしている はずである。たとえうまくいっている(?)としても、それはあなた自身も権威主義的なものの考 え方にどっぷりとつかっているか、あるいは親に対して服従的もしくは親離れできていないかの どちらかである。
●変わりつつある日本人の意識
こうした私のものの考え方に対して、とくに男性の立場から、「父親の権威は必要だ」と反論
する人は多い。「父親は家の中でもデ〜ンとした存在感さえあればいい」と。いや、父親どころ か、「夫の権威」にこだわる人さえいる。今でも「女房や子ども食わせてやる」と暴言を吐く夫は いくらでもいる。が、こうしたものの考え方は、これからの日本ではもう通用しない。
そのひとつのあらわれというべきか、家事をまったく手伝わない夫がまだ五〇%以上もいる
一方(国立社会保障人口問題研究所調査・二〇〇〇年)、そうした夫に不満をもつ妻がふえて いる。厚生省の国立問題研究所が発表した「第二回、全国家庭動向調査」(九八年)によると、 「家事、育児で夫に満足している」と答えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回九 三年のときよりも、一〇ポイント近くも低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。今、日本人 は、大きな転換期にきているとみてよい。
●親は友として、子どもの横を歩く
昔、オーストラリアの友人がこう言った。「親には三つの役目がある。親は、ガイドとして子ど
もの前を歩く。保護者として子どものうしろを歩く。そして友として子どもの横を歩く」と。日本人 は、子どもの前やうしろを歩くのは得意だが、友として横を歩くのがヘタ。高得点だった人は、 今日からでも遅くないから、子どもと一緒に横を歩いてみてほしい。今まで聞こえなかった子ど もの声が聞こえてくるはずである。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断B
あなたは過干渉ママ?
●口うるさいのは過干渉ではない
口うるさいことを過干渉と誤解している人がいるが、口うるさい程度なら、それほど子どもに
影響はない。過干渉が過干渉として問題になるのは、@親側に、情緒的な未熟性があるとき。 親の気分で、子どもに甘くなったり、反対に極端にきびしくなったりするなど。とらえどころのな い親の気分は、子どもの心を不安にする。ばあいによっては、子どもの心を内閉させ、さらに ひどくなると萎縮させる。年中児(満五歳児)でも、大声で笑えない子どもは、一〇人のうち、一 〜二人はいる。
●独特の会話
つぎにA親の価値観を、子どもに一方的に押しつけるとき。過干渉ママは独特の会話をす
る。たとえば先生が子どもに向かって、「この前の日曜日はどこへ行ったの?」と声をかける と、すぐその会話に割り込んできたりする。「おじいちゃんの家に行ったでしょ。どうして行ったと 言えないの!」と。そこで先生がさらに子どもに向かって、「楽しかった?」と声をかけると、また 割り込んできて、「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい!」と。
●過干渉の背景には親の不安や不満
親が子どもを過干渉にする背景には、子育て全体にわたる不安や不満がある。そしてさらに
その背景には、何らかの「わだかまり」があることが多い。望まない結婚であったとか、望まな い子どもであったとか、など。妊娠や出産時の心配や不安、さらには生活苦や夫への不満が わだかまりになることもある。このわだかまりが形を変えて、子どもへの過干渉となる。
言いかえると、子どもに過干渉を繰り返すようであれば、そのわだかまりが何であるかを知
る。問題はわだかまりがあることではなく、そのわだかまりに気がつかないまま、わだかまりに 振りまわされること。同じパターンで同じ失敗を繰り返すこと。わだかまりは、あなたの心を裏 からあやつる。これがこわい。
●過干渉児の特徴
過干渉児の特徴としては、@子どもらしいハツラツさが消え、ハキのない子どもになる。(反
対に粗放化するタイプの子どももいるが、このタイプの子どもは、親の過干渉をたくましくやり 返した子どもと考えるとわかりやすい。よくあるケースとしては、兄が萎縮し、弟が粗放化すると いうケース。)A自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、かたよったり するようになる。常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。薬のト ローチを飴がわりになめてしまうなど。B心が萎縮してくると、さまざまな神経症を発症し、行動 ものろくなる。また仮面をかぶるようになり、いわゆる「何を考えているかわからない子」といっ た感じになる。
●情緒不安と戦う
このテストで高得点を取った人は、まず自分の情緒を安定させること。『親の情緒不安、百害
あって一利なし』と心得る。が、それより大切なことは、子どもをもっと信ずること。子どもという のは、なるようにしかならないものだが、同時に、何もしないでもちゃんと育っていくもの。昔の 人は『親の意見とナスビの花は、千にひとつもアダ(ムダ)がない』と言ったが、これをもじると、 『親の不安とナズビの茎は、千に一つも役立たない』となる。あなたが不安に思ったところで、 子どもは悪くなることはあっても、よくなることは何もない。
●不安の悪循環を切る
ふつうは(不安になる)→(ますます心配な子になる)→(ますます不安になる)の悪循環の中
で、子どもはますますその心配な子どもになる。こうした悪循環を心のどこかで感じたら、思い きって目をつぶる。目をつぶって子どもに任すところは任す。もっとはっきり言えば、あきらめ る。過干渉ママにしてみれば、清水の舞台から飛びおりるほどの勇気がいることかもしれない が、子どもに明るい顔をもどしたかったら、そうする。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断C
あなたは気負いママ?
●気負いが強いと子育てで失敗しやすい
「いい親子関係をつくらねばならない」「いい家庭をつくらねばならない」と、不幸にして不幸な
家庭に育った人ほど、その気負いが強い。しかしその気負いが強ければ強いほど、親も疲れ るが子どもも疲れる。そのため結局は、子育てで失敗しやすい……。
●子育ては本能ではなく学習
子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。たとえば一般論として、人工飼育され
た動物は、自分では子育てができない。「子育ての情報」、つまり「親像」が、脳にインプットさ れていないからである。人間とて例外ではない。「親に育てられた」という経験があってはじめ て、自分も親になったとき子育てができる。こんな例がある。
●娘をどの程度抱けばいいのか?
一人の父親がこんな相談をしてきた。娘を抱いても、どの程度、どのように抱けばよいのか、
それがわからない、と。その人は「抱きグセがつくのでは……」と心配していたが、彼は、彼の 父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまりその人は父親というものがどうい うものなのか、それがわかっていなかった。しかし問題はこのことではない。
●だれしも心にキズをもっている
だれしも、と言うより、愛情豊かな家庭で、何不自由なく育った人のほうが少ない。そんなわ
けで多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをもっている。問題は、そういうキズがあること ではなく、そのキズに気づかないまま、それに振りまわされることである。よく知られた例として は、子どもを虐待する親がいる。
このタイプの親というのは、その親自身も子どものころ、親に虐待されたという経験をもつこと
が多い。いや、かく言う私も団塊の世代で、貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親たちも 食べていくだけで精一杯。いつもどこかで家庭的な温もりに飢えていた。そのためか今でも、 「家庭」への思いは人一倍強い。が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、温かい家庭とい うのがどういうものか、本当のところはわかっていない。だから自分の息子たちを育てながら も、いつもどこかでとまどっていた。たとえば子どもたちに何かをしてやるたびに、よく心のどこ かで、「しすぎたのではないか」と後悔したり、「してやった」と恩着せがましく思ったりするなど、 どこかチグハグなところがあった。
ただ人間のばあいは、たとえ不幸な家庭で育ったとしても、近くの人たちの子育てを見たり、
あるいは本や映画の中で擬似体験をすることで、自分の中に親像をつくることができる。だか ら不幸な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸になるというわけではない。
●つぎの世代に不幸を伝えない
子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに子ども
を育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱るのですよ」と。これは子育ての基本だが、しかし 気負うことはない。あなたはあなただし、あなたの子どももいつかあなたを理解するようにな る。そこで大切なことは、たとえあなたの過去が不幸なものであったとしても、それはそれとして あなたの代で切り離し、つぎの世代にそれを伝えてはいけないということ。その努力だけは忘 れてはならない。
●肩の力を抜く
このテストで高得点だった人は、一度自分の過去を冷静に見つめてみるとよい。そして心の
どこかに何かわだかまりがあるなら、それが何であるかを知る。親とけんかばかりしていたと か、家が貧しかったとか、そういうことでもわだかまりになることがある。この問題だけはその わだかまりが何であるかがわかるだけでも、半分は解決したとみる。そのあと少し時間がかか るかもしれないが、それで解決する。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断D
あなたは学歴信仰ママ?
●結局は学歴……?
「学歴信仰はもうない」という人もいる。が、身分による差別意識はまだ根強く残っている。ど
こにどう残っているかは、実はあなた自身が一番よく知っている。日本人は肩書きや地位のあ る人にはペコペコする反面、そうでない人は、ぞんざいにあつかう。またこの日本、公的な保護 を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は受けない。そういう不公平を親たちは毎日肌で感 じている。だから親はこう言う。「何だかんだといっても、結局は学歴ですよ」と。
●変わる子どもの意識
「信仰」というのは、「信じて疑わない」こと。「勉強は必要なものだ」「いい大学を出ることは大
切だ」と。しかしそう思うのは親の勝手だが、それを子どもに押しつけてはいけない。価値観の 衝突は、えてして互いの間に大きなキレツを入れる。たとえば同じ戦争でも、宗教がからむとそ の戦争は悲惨なものになる。互いに容赦しない。
が、今、子どもを取り巻く環境は大きく変わりつつある。それに合わせて子どもの意識もまた
変わりつつある。昔でいう出世主義を唱えても、子どもたちはそれについてこない。それにか わって自分らしく生きるということが、より重要視されている。たとえばそれがよいのか悪いの かという議論はさておき、フリーター希望の高校生が、日本労働研究機構の調査(二〇〇〇 年)によれば、一二%もいる。が、それだけではない。
●学歴にしがみつく人たち
学歴で生きる人は、結局はその学歴で苦しむことになる。Y氏(四五歳)がそうだ。Y氏はこと
あるごとに、S高校の出身であることを自慢していた。会話の中に、それとなく出身校を織り込 むというのが、彼の言い方だった。「今度、S高校の同窓会がありまして」とか、「S高校の仲間 とゴルフをしましてね」とか。が、S氏の息子がいよいよ高校受験ということになった。が、息子 にはそれだけの「力」がなかった。だから毎晩のように、S氏と息子は、「勉強しろ!」「うるさ い!」の大乱闘を繰り返していた。
●変わる世界の教育
一方アメリカでは、入学後の学部変更は自由。大学の転籍すら自由。勉強したい学生は、よ
り高度な勉強を求めて、大学間を自由に転籍している。しかもそれが今、国際間でもなされ始 めている。彼らにしてみれば、最終的にどこで学位を認められるかは重要なことだが、そんな わけで「出身校」には、ほとんどこだわっていない。大学教育のグローバル化の中で、やがて 日本もそういう方向に向かうのだろうが(向かわざるをえないが)、少なくともこれからは学歴 や、地位、それに肩書きをぶらさげて生きるような時代ではない。
●父親のようになりたくない
むずかしい話はさておき、このテストで高得点をとった人は、あなたの学歴信仰が今、あなた
と子どもの間に大きなキレツを入れ始めていないかを疑ってみる。価値観の衝突というのはそ ういうもので、キレツ程度ならまだしも、それがやがて断絶ということにもなりかねない。
実のところ今、中高校生でも、親子が尊敬しあい、楽しく会話をしあっている子どもなど、さが
さなければならないほど、少ない。約八〇%の中高校生が、「父親のようになりたくない」(七 九%)、「母親のようになりたくない」(七二%)と答えている(平成一〇年「青少年白書」)。学歴 信仰がその原因とは言えないが、しかしそうでないとはもっと言えない。
●受験期に悪化する日本人の親子関係
子どもが受験期を迎えるまでは、日本のばあい、親子関係がほかの国とくらべても、とくに悪
いということはない。しかし子どもが受験期を迎えると、親子関係は急速に悪化する。なぜそう なのかというところに、日本の子育ての問題点が隠されている。一度あなたも、自分の心にメ スを入れてみてはどうだろうか。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断E
あなたは溺愛ママ?
●三種類の愛
親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。
本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえば母 親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本能的な愛 で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類はとっくの昔に滅 亡していたことになる。
つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをいう。
一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべればよ い。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する親も、同じよ うに考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに押しつけているだ け。
●子どもは許して忘れる
三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と意識
したとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで決まる。英 語では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子どものできが悪くても、ま た子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。その度量の広さこそが、まさ に真の愛ということになる。
それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいてい
は親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭不 和、騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子どもを 溺愛するようになる。
●溺愛児の特徴
溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。@幼児性
の持続(年齢に比して幼い感じがする)、A人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」というつ かみどころがはっきりしない)、B服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで自分 勝手)、C退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。全体に ちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット児」(失 礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。
●子どもはカラを脱ぎながら成長する
子どもというのはその年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長していく。たとえば
幼児だと、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期を 中間反抗期と呼ぶ人もいる。幼児期から少年少女期への移行期と考えるとわかりやすい。し かし溺愛児にはそれがなく、そのためちょうど問題を先送りする形で、体だけは大きくなる。そ していつかそれまでのツケを払う形で、一挙にそのカラを脱ごうとする。しかしふつうの脱ぎ方 ではない。
たいていはげしい家庭内騒動、あるいは暴力をともなう。が、子どもの成長ということを考え
るなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラを脱げない子どもは、そのまま溺愛児として、たと えば超マザコンタイプの子どもになったりする。結婚してからも実家へ帰ると母親と一緒に風呂 へ入ったり、母親のふとんの中で寝るなど。昔、冬彦さん(テレビドラマ『ずっとあなた
が好きだった』の主人公)という男性がいたが、そうなる。
●じょうずな子離れを!
溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もいる。
が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと自分で確認 すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを生きがいにしな い。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの三原則を守り、子育てから離れる。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断F
あなたは神経質ママ?
●『まじめ七割、いいかげんさ三割』
子育ては『まじめ七割、いいかげんさ三割』と覚えておく。これはハンドルの「遊び」のようなも
の。この遊びがあるから、車も運転できる。子育ても同じ。
たとえば参観授業のようなとき、親の鋭い視線を感じて、授業がやりにくく思うことがある。と
きにはその視線が、ビンビンとこちらの体をつらぬくときさえある。そういう親の子どもは、たい ていハキがなく、暗く沈んでいる。ふつう神経質な子育てが日常的につづくと、子どもの心は内 閉する。萎縮することもある。(あるいは反対に静かな落ち着きが消え、粗放化する子どももい る。このタイプの子どもは、神経質な子育てをやり返した子どもと考えるとわかりやすい。)
●子育ての三悪
子育ての三悪に、スパルタ主義、極端主義、それに完ぺき主義がある。スパルタ主義という
のは、きびしい鍛練を主とする教育法をいう。また極端主義というのは、やることなすことが極 端で、しかも徹底していることをいう。おけいこでも何でも、「させる」と決めたら、毎日、それば かりをさせるなど。要するに子育ては自然に任すのが一番。人間は過去数一〇万年もの間、 こうして生きてきた。子育てのし方にしても、ここ一〇〇年や二〇〇年くらいの間に、「変わっ た」と思うほうがおかしい。心のどこかで「不自然さ」を感じたら、その子育ては疑ってみる。
●こわい完ぺき主義
完ぺき主義もそうだ。このタイプの親は、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に無理やり
子どもをあてはめようとする。こまごまとした指示を、神経質なほどまでに子どもに守らせるな ど。このタイプの親にかぎって、よく「私は子どもを愛している」と言うが、本当のところは、自分 のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の欲望を満足させるために、子どもを利用してい るだけ。
●子育ての基本は自由
子育ての基本は、子どもを自立させること。そのためにも子どもは「自由」にする。自由とはも
ともと、「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、@自分で考えさせ、A自分で行動さ せ、そしてB自分で責任を取らせる。過干渉や過関心は、子どもから考えるという習慣を奪う。 過保護は自分で行動するという力を奪う。また溺愛は、親の目を曇らせる。たとえば自分の子 ども(中三男子)が万引きをして補導されたときのこと。夜中の間にあちこちを回り、事件その ものをもみ消してしまった母親がいた。「内申書に書かれると、進学にさしさわりがある」という のが、その理由だった。
●家庭はいやしの場に
子どもが学校に入り、大きくなったら、家庭の役割も、「しつけの場」から、「いやしの場」へと
変化しなければならない。子どもは家庭という場で、疲れた心をいやす。そのためにも、あまり こまごまとしたことは言わないこと。アメリカの劇作家のソローも、『ビロードのクッションの上に 座るよりも、気がねせず、カボチャの頭のほうがよい』と書いている。このテストで高得点だった 人ほど、このソローの言葉の意味を考えてみてほしい。
●子どもには自分で失敗させる
また子どもに何か問題が起きたりすると、「先生が悪い」「友だちに原因がある」と騒ぐ人がい
る。しかしもし子どもが家庭で心をいやすことができたら、そのうちのほとんどは、そのまま解 決するはずである。そのためにも「いいかげんさ」を大切にする。「歯を磨かなければ、虫歯に なるわよ」と言いながらも、虫歯になったら、歯医者へ行けばよい。痛い思いをしてはじめて、 子どもは歯をみがくようになる。「宿題をしなさい」と言いながらも、宿題をしないで学校へ行け ば、先生に叱られる。叱られれば、そのつぎからは宿題をするようになる。そういういいかげん さが、子どもを自立させる。たくましくする。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断G
あなたは自己中心ママ?
●一方的な押しつけ
自己中心性の強い母親は、「私が正しい」と信ずるあまり、何でも子どものことを決めてしま
う。もともとはわがままな性格のもち主で、自分の思いどおりにならないと気がすまない。
このタイプの母親は、思い込みであるにせよ何であるにせよ、自分の考えを一方的に子ども
に押しつけようとする。本屋へ行っても、子どもに「好きな本を買ってあげる」と言っておきなが ら、子どもが何か本をもってくると、「それはダメ、こちらの本にしなさい」と、勝手にかえたりす る。子どもの意見はもちろんのこと、他人の話にも耳を傾けない。
●常識ハズレの子どもたち
こうした自己中心的な子育てが日常化すると、子どもから「考える力」そのものが消える。依
存心が強くなり、善悪のバランス感覚が消える。「バランス感覚」というのは、善悪の判断を静 かにして、その判断に従って行動する感覚のことをいう。そのため言動がどこか常識ハズレに なりやすい。たとえばコンセントに粘土を詰めて遊んでいた子ども(小一男児)や、友だちの誕 生日のプレゼントに、虫の死骸を箱に入れて送った子ども(小三男児)がいた。さらに「核兵器 か何かで世界の人口が半分になればいい」と言った男子高校生や、「私は結婚して、早く未亡 人になって黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校生がいた。
●プライドが強い人ほど注意
家庭へ入った母親の最大の問題点は、自ら「家庭」というせまい世界に閉じこもってしまうこ
と。そしてその中でものの考え方を極端化したり、絶対化したりする。とくに高学歴の母親やプ ライドが高い母親ほど、この傾向が強い。本来ならそうならないためにも、風通しをよくしなけ ればならないのだが、このタイプの親にかぎって人づきあいはほとんどしない。あるいはして も、儀礼的。特定の人と、表面的なつきあいしかしない。「私は正しい」と思うのはその人の勝 手だが、相手に向かっては、「あなたはまちがっている」とはねのけてしまう。
●自分の常識を疑う
そこでこのテストで高得点だった人は、子育てそのものが、どこか常識とかけはなれていない
かを疑ってみる。子育てというのは、理屈どおりにはいかない。子どもは設計図どおりにはい かない。あるいはあなたの思いどおりにはいかない。そういう前提で、子育てのあり方全体を 考えなおす。が、問題はさらにつづく。
●カプセルに閉じこもる親
母親にも、大きく分けて二種類ある。ひとつは、子育てをしながらも、外の世界に向かってど
んどんと積極的に伸びていく母親。もう一つは自分の世界の中だけで、さらにものの考え方を 先鋭化する母親である。外の世界に向かって伸びていくのはよいことだが、反対に自分のカラ を厚くするのは、たいへん危険なことでもある。こうした現象を「カプセル化」と呼ぶ人もいる。 一度こうなると、いろいろな弊害があらわれてくる。
たとえば同じ過保護でも、異常な過保護になったり、あるいは同じ過干渉でも、異常な過干渉
になったりする。当然、子どもにも大きな影響が出てくる。五〇歳をすぎた男性だが、八〇歳の 母親の指示がないと、自分の寝起きすらできない人がいる。その母親はことあるごとに、「生ま れつきそうだ」と言っているが、そういう男性にしたのは、その母親自身にほかならない。
●こわい悪循環
子育てでこわいのが、悪循環。子どもに何か問題が起きると、親はその問題を解決しようと
何かをする。しかしそれが悪循環となって、子どもはますます悪い方向に進む。とくに子どもの 心がからむ問題はそうで、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、症状 はさらに悪くなる。
自己中心的なママは、この悪循環におちいりやすいので注意する。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断H
あなたは世間体ママ?
●見栄、メンツ、世間体
見栄、メンツ、世間体。どれも同じようなものだが、この三つから解放されたら、子育てにまつ
わるほとんどの問題は解決する。言いかえると、多かれ少なかれ、ほとんどの親はこの三つの しがらみの中で、悩み、苦しむ。が、日本人ほど、世間体を気にする民族は少ない。長く続い た封建時代の結果、そうなったと考えられる。「皆と同じことをしていれば安心だが、そうでなけ ればそうでない」と。
見栄やメンツもそうだ。『武士は食わねど高ようじ』という言葉に代表されるように、個人よりも
「家」の見栄やメンツが重んじられた。そしてその見栄やメンツをけがすことを、「恥」として、忌 み嫌われた。こうしたものの考え方は、今でも古い世代を中心に、この日本には根強く残って いる。
●他人の目の中で生きる日本人
話を戻すが、世間体を気にすればするほど、親もそして子どもも、他人の目の中で生きるよ
うになる。子どもの見方も相対的なものになり、「うちの子は、A高校だから優秀だ」「隣の子は B高校だから、うちの子より劣っている」と。が、それだけではすまない。ある母親は息子(中 三)の進学高校別の懇談会には、一度も出席しなかった。「(そんな高校では)恥ずかしい」とい うのが理由だったが、こうしたものの考え方は、親子のきずなを決定的なほどまでに粉々にす る。こんな例もある。
●うちは本家だから……
あるとき一人の母親がやってきて、こう言った。「うちは本家だから、息子には、A高校以上の
大学へ入ってもらわねば困るのです」と。「どうしてですか」と私が聞くと、「親戚の手前もありま すから」と。子ども自身が、世間体を気にすることもある。一人の高校生がこう言った。「先生、 M大学とH大学、どっちがかっこいいですかね?」と。そこで私が「どうしてそんなことを気にす るのか」と言うと、「結婚式の披露宴なんかもありますから」と。まだ恋人もいないような高校生 が、結婚式での見てくれを気にしていた!
●恥ずかしいからやめてくれ!
「私は私」「うちの子はうちの子」「他人がどう思うとも、私は自分の子どもを信ずる」という割り
きりが、子育てをわかりやすくする。子どもの心を守る。そしてそういうものの考え方が、一方で 親子のきずなを深める。こんなことがあった。
ある男性が彼の母親に、それまでの会社勤めをやめ、幼稚園の教師になると告げたとき、
彼の母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけは やめてくれ!」と。その男性はこう言う。「私は母だけは私を信じ、私を支えてくれると思いまし た。が、母は『あんたは道を誤ったア!』と。それまでは母を疑ったことはないのですが、その 事件以来、母とは一線を引くようになりました」と。
ここでいう「ある男性」というのは、私自身のことだが、だからといって私は母を責めているの
ではない。母は母として、当時の常識の中でそう言っただけだ。
●いかにその人らしく生きるか
生きる美しさは、いかにその人らしく生きるかで決まる。また生きる実感もそこから生まれる。
言いかえると、他人の目の中で生きれば生きるほど、結局は自分の人生をムダにすることに なる。
このテストで高得点だった人は、一度自分の人生観を洗いなおしてみたらよい。世間体という
のはそういうもので、一度気にし始めると、それがその人の生き方の基本になってしまう。私の 母も八五歳をすぎたというのに、いまだに「世間」という言葉をよく使う。「世間が笑う」「世間体 が悪い」と。その年齢になったら、もう他人の目などは気にせず、「私は私」という人生を貫けば よいと思うが、母にはそれができない。が、はた(世間)から見ても、それほど見苦しい人生ほ ない。皮肉といえば、これほど皮肉なことはない。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断I
あなたは完ぺきママ?
●子育てはリズム
子育てにはリズムがある。そしてそのリズムは、子どもを妊娠したときから始まる。リズムが
あることが悪いというのではない。問題はそのリズムがあっていないとき。どんな名曲でも、二 つの曲を同時に演奏すれば、騒音でしかない。そのリズムは、親子を外から観察すると、すぐ わかる。
●子どものリズムと親のリズム
子どもが「ほしい」と泣き出す前にミルクを与える親がいる。しかし泣き出してから、おもむろ
にミルクを用意する親もいる。子どもが歩くようになると、子どもの手をぐいぐいと引きながら、 子どもの前を歩く親がいる。しかし子どもの横かうしろに回りながら、子どもの歩調にあわせて 歩く親もいる。子どもがさらに大きくなると、子どもが「したい」と言う前に、おけいこ教室の申し 込みをする親がいる。しかしそのつど子どもの意思を確かめながら、申し込みをする親もい る。やめるときもそうだ。子どもの意思などお構いなしにやめる親がいる。しかしそのつど子ど もと話しあいながらやめる親もいる。
●リズムは一事が万事
こうしたリズムは一事が万事。形こそ違うが、いつも同じパターンで繰り返しつづく。こんなこ
とがあった。一人の母親が私のところへきて、こう言った。
「うちの子は、ああいう(グズな)子でしょ。だから夏休みの間、サマーキャンプに入れようと思
うのですが、どうでしょうか」と。そこで私が「本人は行きたがっているのですか?」と聞くと、「そ れが行きたがらないので困っているのです」と。
●子どものリズムで考える
子どもを伸ばす秘訣は、子どものリズムでものを考えること。もしあなたが「うちの子はグズで
……」と思っているなら、それは子どもがグズなのではなく、あなたがあなたの子どもをそういう 子どもにしただけ。何でもかんでも子どもの一歩先を歩こうとすると、子どもはグズになる。しか し一歩、あとを歩くだけで、あなたの子どもはまったく別の子どもになる。要は親が子どものリ ズムにあわせるということだが、これがむずかしい。リズムというのはそういうもので、その人 の生活のリズムそのものになっていることが多い。中には子どもの世話をすることを、生活の 「柱」にしている人がいる。口では「世話がかかってたいへん」とこぼしながら、手をかけること を生きがいにしている!
●不信感を疑ってみる
親がせっかちになる背景には、母親自身の性格もあるが、一方で子どもへの根深い不信感
がある。こんなテストがある。
あなたと子どもが通りを歩いていたら、偶然、高校時代の友人が通りかかったとする。そのと
きその友人があなたの子どもをしげしげと見て、「いくつ?」と、年齢を聞いたとする。そのとき 自分の子どもに自信のある親は、「まだ一〇歳よ」と、「まだ」という言葉を無意識のうちにも使 う。自信のない親は、「もう……」と言って顔をしかめたりする。あなた自身はどうか、頭の中で 想像してみてほしい。
もし後者のようなら、子どもをなおそうと思うのではなく、あなた自身の心を作りかえることを
考える。このタイプの親は、たいてい子どもの悪い面ばかりをみて、よい面をみようとしない。 「あそこが悪い」「ここが悪い」と、欠点ばかりを指摘する。もしそうなら、今すぐそういう子育て 観は改める。
●謙虚な姿勢が子どもの心を開く
このテストで高得点だった人は、生活全体を一度見なおしてみる。そして今日からでも遅くな
いから、子どもと歩くときは、子どものうしろを歩く。アメリカでは、親子でもこんな会話をしてい る。母「あなたはママに今日、何をしてほしいの?」、子「ママは今日、ぼくに何をしてほしい の?」と。こういう謙虚さが子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。
Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司
ママ診断J
あなたは過関心ママ?
●過関心は子どもをつぶす
子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、しかしそれが度を超すと、過関心になる。
こんなことがあった。
ある日一人の母親が私のところへやってきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、
『好きな子どうし、並んでいい』と言ったが、うちの子(小二男児)のように友だちがいない子ども はどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮に欠ける行為だ。これから学校へ抗議に 行くので、あなたも一緒に来てほしい」と。さらに……。
子どもが受験期になると、それまではそうでなくても、神経質になる親はいくらでもいる。「進
学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼる」と言った母親もいたし、「子ども のテスト週間になると、お粥しかのどを通らない」と言った母親もいた。しかし過関心は子ども の心をつぶす。が、それだけではすまない。母親の心をも狂わす。
●育児ノイローゼ
子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑う。症状としては、ささ
いなことで極度の不安状態になったり、あるいは激怒しやすくなるのほか、つぎのようなものが ある。@どこか気分がすぐれず、考えが堂々巡りする、Aものごとを悲観的に考え、日常生活 がつまらなく見えてくる。さらに症状が進むと、B不眠を訴えたり、注意力が散漫になったりす る、C無駄買いや目的のない外出を繰り返す、D他人との接触を避けたりするようになる、な ど。
こうした症状が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。
●汝(なんじ)自身を知れ
過関心にせよ、育児ノイローゼにせよ、本人自身がそれに気づくことは、まずない。気づけば
気づいたで、問題のほとんどは解決したとみる。そういう意味でも、自分のことを知るのは本当 にむずかしい。『汝自身を知れ』と言ったのはキロン(スパルタの七賢人の一人)だが、哲学の 世界でも、「自分を知ること」が究極の目的になっている。
で、このタイプの親は明けても暮れても、考えるのは子どものことばかり。子育てそのものに
すべての人生をかけてしまう。たまに子どものできがよかったりすると、さらにそれに拍車がか かる。いや、その親はそれでよいのかもしれないが、そのためまわりの人たちまでその緊張感 に巻き込まれ、ピリピリしてしまう。学校の先生にしても、一番かかわりたくないのが、このタイ プの親かもしれない。
●生きがいを別に
子育ては人生の「大事」だが、しかし目標ではない。そこでこう考える。『子育ては子離れ』と。
子育てを考えたら、一方で手を抜くことを考える。手を抜くことを恐れてはいけない。子どもとい うのは不思議なもので、手を抜けば抜くほど、たくましく自立する。要するに「程度を超えない」 ということだが、それがまた親子のきずなを深める。あのバートランド・ラッセル(イギリスの哲 学者、ノーベル文学賞受賞者)もこう言っている。『子どもに尊敬されると同時に子どもを尊敬 し、必要な訓練はほどこすけれども、決して程度を超えない親のみが、家族の真の喜びを与え られる』と。
●一人の人間として
あなたが母親なら、母親ではなく、妻でもなく、女性でもなく、一人の人間として、生きがいを
子育て以外に求める。ある母親は、娘が小学校へ入学すると同時に手芸の店を開いた。また 別の母親は、医療事務の講師をするようになった。地域の会に積極的に参加するようになった 人もいるし、何かのボランティア活動をするようになった人もいる。そういう形で、つまり子育て 以外のところで、自分を燃焼させる場をつくり、その結果として子育てから遠ざかる。 断 診断テスト はやし浩司 子育て診断テスト 学歴信仰 過保護テスト はやし浩司 過干渉テスト 過保護診断 過干渉診断 はやし 浩司過保護診断テスト 過干渉診断テスト 林ひろし はやしひろし 林浩司 |