月の話

 数年前に月に行って来ました。
ブログに書きとどめていたものを一纏めにしました。

 

 月の入口

 息子の手を引きながら満月の光を浴びて夜の散歩をした。
その時に
「月は英語でムーンて言うんだぞ」と、初めて教えた英単語が月であった。
それからしばらくは月を見ると指差しながら
「ムーン」と大きな声を出していた。
夏休みに涼を求めて山に向かう車の中で後部座席から運転席まで首を出し景色を見回しながら
「アレここにトンネルがあった」
「えごえご曲がってた道を真っ直ぐに変えたんだね。」 と、大きな声で息子が言った。

 
 

トンネルに入る前にある標識も新しく設置してありよく見ると  ”月 3km”と書いてあった。
「えー、あっちへ行くと月へ行けるの?」 と、ようやく漢字を読めるようになり自慢げに言っていた息子はもう大学で遠くの街に行ってしまった。
女房は友達とはねつきをすると体育館へ行ってしまい、一人残され家ですることがなくてカメラとペットボトルを持って家を出た。
10年以上も昔にみた覚えのある
「月3km」の標識を見つけ宛も無いブラリドライブが以前から行ってみたいと思っていた月へと目標が変わった。
トンネルの脇を月へと向かう道に入っていく。
橋を渡り簡易舗装に被るように生い茂った草をサワサワとした音を振り払うようにしながら進む。
「月へ行けば何があるだろう」
「月の石それとも兎それともかぐや姫に会える」
未知の世界に期待を持って久しぶりに心踊らせ緑の中へ車を進めた。

 

 月にあるもの


木々に囲まれた道を抜けると右に風も無く木々の緑と曇った空を写す水面が、左に山を望める綺麗に手入れされた広い所に出た。
月はもっと荒れた地肌が見える殺伐とした地形に囲まれた所と勝手に想像して来たので以外であった。
遠くに家並みが見えるが静かである、シンとした物音を発するのをはばかるような静けさとは違い、あらゆる音を吸収してしまい僅かに発するスニーカーの音だけ耳に入ってきて反射音が返ってこない静けさだ。
静かな所に行けば耳にする鳥のさえずりや虫の音さえ無い。
 
 
ここが月と判る物は無いかと車の中から首を伸ばして見回すと、赤い物がある
「ポストだ」 近寄りよく見ると地名が月にちなんだ名が刻んである。  
月からの恋文をこのポストから出したのだろう。  
なんてロマンチックな気分を消す娑婆の世界にある無機質な公衆電話ボックスが回りにそぐわぬ異彩を放って隣に建っている。
なんでこんな所にあるのだろう? どこの家にも電話はあるだろうからあえて誰もいない、誰も来ぬような所に設置しなくてもいいのに、あってもピンク電話で足りるだろうにと思いながら奥へと歩いて行った。
 

 鉄人28号が月にいた。


明かりも無い夜ならば太陽を反射した光がやさしく照らす小道を林に向かう。小高い木々の向うに白壁の柱を浮き出させた建物が見える。


緑の中に現われた建物の際に半分ほど木に隠れた建物の高さと変わらぬ濃い紺色した人が立っているような大きなものが見える。
 
 

よくよく見れば鉄人28号ではないか彼がここに居るとは驚きだ。
叫びのポーズをしようとしている鉄人28号の名前を忘れてしまっていた。
リモコンを持った少年がここを(月)と知って飛ばせて来て休ませているだろう。
あの頃は登場人物の名前を覚える前にストーリーを追うのに夢中で博士の名前も、戦いの相手のロボットの名前も覚えようとしていなかったので、突然の予期せぬ出現した鉄人28号の漠然とした記憶を手繰ろうとしても何も出てこない。  
身長は約5mはあろう、こんなに大きかったろうか?
いや昔読んだマンガの記憶では彼は20mはあった筈だ。体重も20tはあった筈だからあんなものではなかろう。
少年がビルを仰ぎ見るポーズで鉄人28号の動作を確認していたんだから家よりはるかに高くこれだけの身長ではあろうはずがない。
鉄人28号の足元まで歩み寄り仰ぎ見ればやはり大きいものだった。それは形取りしたベニヤを塗装した看板であった。月にいたのはかぐや姫やうさぎでもなく薄っぺらな鉄人28号であった。
探索をする気力を削がれ看板をいかにも居たようにデヂカメに収め帰路に着く。 あのでかい物に邪魔されそこより奥に進んでなかったことを思い出した。
又こんど行こう。
 

 月はどこにある


暫く月へ行ってないあの鉄人28号発見以来になる。  
ところがこの7月に月が浜松に吸収されてしまった。
月は遠くにあってのものなのに小泉の改革の市町村大合併のあおりでロマンのある場所でなくなってしまった。
 

『浜松市月』何か味気ない響きだ。
月のホームページをと考えていたのが月が浜松に入ってしまい計画が狂ってしまったが、月に行った時の話をこれからも書き続けよう。

 
 

 もうひとつの月


月は浜松にだけではないはずだ、太陽の光を地球に照り返しているのだから月は全国に沢山あるだろうと思って調べてみたが月はあと一箇所しかなかった。
以外に近くにあるもうひとつの月へ行ってみたくなり再びブラリドライブに出発した。けれどカーナビを搭載してないのに地図を見て確認もせず地名と勘だけが頼りであった。
月への標識はあるものと国道を信じて北上したけれど目指す標識はいつまでたっても現われず県境が現われ遂に月には行き着けず後日再挑戦しようと帰宅する。
 
 

この前もっと奥と思い込み素通りしてしまった分岐点を改めて左へとむかう、山の緑が濃くなり、誰も居ず一台も来ない広い自分だけに用意された気分にさせられる道が続く、暫くすると橋の欄干の上に桃色の衣装を身につけた人形が鎮座している。
車から下りて近寄り名前を確かめると『ちよひめはし』と記されている。  
『千代姫すなわちかぐや姫=月』、ここを進めば月に行けると、期待がどんどん膨らむ。
浜松の月へは標識だけで想像を培養して期待を失ったが、こんどは違う『千代姫』が出迎えてくれている。 ここの月には何があるだろう?
 

 月に到着


暫く山の中の2車線に歩道付の広い道を進むと家並みが見てきた。
 
 

トップが丸いバス停らしきものがある、車から降りてバス停の名前を確認すると丸い標識に『月』と確りと書いてあるではないか、遂に月に到着した。
アームストロングが月に最初の一歩を降ろした時の興奮には及ばぬが到達したという達成感らしきものが湧いてきた。 探検隊が秘境の地に辿り着いた時のように捜していたものに出会えたことを喜びで声を出して
『月  のりば 』と読んで上から下まで何処のものとも変わらぬバス停を見続けた。  

 
日本人で月に行ったことのある人はここの住人以外何人いるだろうか? バスストップに触りながら「ここに月あり」と大きな声で教えてあげたい衝動に駈られた。
 
 

かぐや姫のミステリーがあるだろうか? まだここ月に足を踏み入れたばかりで周囲を見渡してみるが人影がない。 真昼の日を受けた家並みからも物音がしてこない、生活音か遠くを走る車の音があるはずなのに、やはりここも山の木々が物音を吸い込んでしまうのだろう。
私の車の音が途絶えてからは鳥のさえずり、鳥の羽音、風が作る木々の触れ合う音それさえ聞こえなかった。

 
この静けさの中を少し散策してみよう。
月に到着したこのちょっとした誰も知らない地に立った思いを『月の話』として書き込むことにしたのだ。
 
 

 もう一つの月にあったもの


月に到着してからバス停の周りを水分補給しながら見渡しても静けさだけがあり遠くに煙が立ち昇っているだけだ。  
物音を立てるのが憚る中を暫く歩いていくと、正面玄関の上に無垢の厚い木に墨痕鮮やか『月公民館』と、書かれた看板を掲げた白壁の建物があった。
 
 

拡張したのか、それとも新設した道路に後から貼り付けたように道路に背を向けた入り口の無い家並みに溶け込むように建っていた。
その他に月ならではの建物を捜して歩いていくと家並みが途切れ右に杉林そして左に川越しに田畑が開けて見える。
道路際に『月小学校 ➡ 』の看板があった。
川を渡って小学校の門に『月小学校』と書かれているのを確かめて校内にはいった。
 
 
今日は休日で生徒も先生もいないからかとても静かだ。
 
 

付き添いで休日に学校にいくことがあるがこんなには静かではない、ボールの弾む音や歓声が校舎の裏に行ってもいつも聞こえていた。  
そんな騒々しさに慣れたせいか歩くにも何故か足音を忍ばせるように着地音を発しないように中に向かう。
 
 

赤い屋根が見える、懸魚の白地の雲のなかに黄色い月がありその中で兎が杵を持って餅を搗いている、鬼瓦の模様も満月の意味を表す丸い形をしている。
ここが月の小学校かと校舎の中を見渡す、自分がに通っていた小学校と同じ構えになっている。
北側に窓、窓の下には下駄箱、土間、渡り板、廊下そして教室へと続く。
あの廊下を走り回ったり、ピカピカに顔が映るくらい思いっきり磨いたことなどを思い出させる。
外に出てもう一度校舎を振り返る自分の母校に帰ったような気にさせるのは今では少なくなった木の校舎だからだろう。
 

 月の位置


月のある所が判る表札でも無いかと校舎を廻ってみるが見つけられず諦め花壇の花を一枚撮ろうと寄った中に
 
 
 『 北緯35゜4’7”東経137゜42’23”標高278.8M 』 と刻まれたプレートを見つけた。
月はこんなに近くて静かで穏やかな所なんだと感慨にふけりながらもう一度校舎を振り返り又来よう母校のような小さくて温もりのある学校のあるこの地に。
 

 月へはここから

 
久しぶりにR152をのんびりとバス停の名前などを眺めながら下ってきた。 いつもは急いでいるか日が落ちて暗くてバス停の名前を見る暇が無く走ってくることが多い。  
 「月-----ー」 「見つけた―」  
 
 

バス停に月と書いてあるではないか。
月の話を書き始めるに当って以前に此処が月と知ることが出来るものはないかと探してみた。
郵便ポスト、公衆電話、電柱などをしらべてみたが月と明記してあるものがここの月にはは無かった。  
もう一つの月にはバス停の『月』があった。
此処には無いと思って諦めていたのが思いもよらぬ所に見つけ心踊り急いで車を止めた。
デジカメに『月』と書かれたバス停を納めた。 よく見ると前も後も杉林が連なり家など無いおまけに月はこの対岸にある。
「川を泳いで渡れと言うのだろうか」 「ちょっと解からん。この謎解きは宿題にしよう」
 『月 3㎞』と書いてある標識はもっと先のトンネルを出たところにあるから其処から行ってみようかなと、考え車をスタートさせた。
 
 

道の駅『花桃の里』から赤く塗られたアーチの綺麗な橋が渡っていることを思い出して『花桃の里』に駐車して橋の登り口を捜した。
橋への階段が店の脇にあり簡単に見つかり橋の袂に着いた。 橋の名前が気になり見てみると  
『夢のかけはし』となっている。 月に行くための橋は遊歩道になっていて車が往来しない。 年間、何人が、何のため使う?これこそ税金の無駄遣いとしか言いようが無い。
夢から現実を省みさせられ探索する意欲を失い橋を渡った所から引き返してきた。
『夢のかけはし』はどんな夢をかけて造ったのだろうか。 もしかして『月』へと続く橋として。
『月』の話は尽きない。  ロマンあり、夢があり、科学ありそんな『月の話』を書きたかったが、今回この橋を渡ってようやく郷愁溢れた『月』は存在しない事を知った。

 

おわり

 

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