2学期の授業録


使用教科書/『高等学校 新現代社会』第一学習社 (183・第一・現社013)

第22回 ふたたび憲法って、なあに?〜立憲主義〜
先日、自民党総裁選に出馬を表明した安倍晋三官房長官は、「高いハードルがあり、簡単ではない」といいながらも、「私たち自身の手で新しい憲法を書いていこうではないか」といった。さて、2学期は憲法について学習する。まずは、そもそも憲法とは何だろうかということを考えたい。憲法とは、人権を保障するために国家権力に守らせるきまりである。それを、≪近代立憲主義≫といっている。憲法99条には憲法を破りそうな人たちが列挙されている。「ブラックリスト」といってよいだろう。その点からすると、先の安倍官房長官の発言はどうとらえられるのだろうか?

浦部法穂『全訂 憲法学教室』(日本評論社)、水島朝穂『憲法「私」論』(小学館)、平和憲法のメッセージ(水島朝穂さん(早大)のWEB)、長谷部恭男『憲法とは何か』(岩波新書)、阪口正二郎「立憲主義の展望−リベラリズムからの愛国心」(自由人権協会編『憲法の現在』信山社)

第23回 「自由獲得の努力」〜基本的人権と憲法〜
憲法97条の文言はとても熱い。「基本的人権は人類の多年のわたる自由獲得の努力の成果」といってみたり、「過去幾多の試練に堪へ」といってみたり。いったいどのような「努力」や「試練」があったというのか?アメリカ独立革命を例に考えた。イギリス政府による「暴走」に耐えかねたアメリカ植民地の人びとは、「独立宣言」をだし独立戦争をしかける。そしてアメリカ独立革命の影響はフランス革命にも及ぶ。こうした独立戦争やフランス革命、さらにさかのぼればイギリス革命で多くの人が命を落とし獲得されたのが、人権であった。97条の背景にはこうした歴史の重みがあるのである。

『人権宣言集』(岩波文庫)、樋口陽一『個人と国家−今なぜ立憲主義か』(集英社新書)、浦部法穂・大久保史郎・森英樹『現代憲法講義1〔講義編〕』(法律文化社)、伊藤真『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)

第24回 人権は人びとのうめき声〜人権保障の発展〜
日本国憲法には4ヵ所、「公共の福祉」ということばが出てくる。それは、「公共の福祉に反しない限り」人権を認めるという文脈であるので、逆に言えば、「公共の福祉」に反したら人権は認めないということである。なぜ「公共の福祉」で人権を制限するのか?そして、制限されているのは、なぜ経済活動の自由だけなのか?この点を、19世紀末から20世紀の歴史を踏まえて考えた。「公共の福祉」ということばは、歴史的文脈からとらえ、「弱者への配慮を!」ととらえなければならない。間違っても、某政党のように「公益及び公の秩序」ととらえてはならない。

杉原泰雄『人権の歴史』(岩波書店)、浜林正夫『民主主義の世界史 「殺しあい」から「話しあい」へ』(地歴社)、角山栄・村岡健次・川北稔『生活の世界歴史10 産業革命と民衆』(河出書房新社)、浦部法穂『憲法学教室 全訂第2版』(日本評論社)、森英樹「いま、憲法の魂を守るために」

第25回 明治人の憲法にかけた熱い思い〜日本国憲法の源流〜
某政党の総裁選に立候補しているAB氏(C?)は、日本国憲法について「今の憲法は占領下でつくられたもので占領軍が深く関与している」。だから、「私たち自身の手で新しい憲法を書いていこうではないか」と某政党員に呼びかける。日本国憲法の理念は、「私たち自身の手」によるものではないのだろうか?この点を、明治時代の自由民権運動のときにできた2つの憲法草案をみることによって考えた。植木枝盛の「日本国国権案」も、千葉卓三郎らの「五日市憲法」も、いまの日本国憲法の理念と相通ずるものがみてとれる。そうした成果を無視してできたのが、大日本帝国憲法である。無視された自由民権のスピリットがようやく日の目を見たのが、日本国憲法だったのである。

樋口陽一『自由と国家―いま「憲法」のもつ意味―』(岩波新書)、樋口陽一『個人と国家―今なぜ立憲主義か』(集英社新書)、戦中生まれの女たちによる「九条の会」WEB、五日市憲法草案顕彰碑建設委員会『「五日市憲法草案の碑」建碑誌』

第26回 「押しつけられた」憲法?〜日本国憲法の制定〜
某政党の新総裁となったAB氏は、「占領軍が深く関与している」というが、それは最初からそうであったわけではない。敗戦後、日本に来たマッカーサーはConstitutionのLiberalizationを指示する。当時の日本政府はそれを「憲法の手直し」と考え、憲法改正草案を検討する。しかし、「日本国家の基本構造の自由化」を指示したはずマッカーサーにとっては、日本政府の考えた憲法改正草案は不十分であった。そこでやむなく、GHQ民政局にノートを渡し、「深く関与」することになったのだ。GHQ民政局は日本国内でこの時期に作られた民間の憲法草案をいろいろと参考にする。なかでも憲法研究会の憲法草案には大いに注目する。その憲法草案を作った中心人物となったのは、のちに静大教授となる鈴木安蔵であった。彼を通じて自由民権の精神と日本国憲法がつながっていく。

水島朝穂『憲法「私」論』(小学館)、樋口陽一『個人と国家―今なぜ立憲主義か』(集英社新書)、小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』(講談社現代新書)、鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(創元社)、浦部法補・大久保史郎・森英樹『現代憲法講義T』(法律文化社)、日本国憲法の誕生WEB(国立国会図書館WEBより)

第27回 戦争体験が平和思想を生んだ〜平和主義の原点〜
某政党の新総裁となったAB氏は、日本国憲法が気に入らないらしい。とくに、日本国憲法の最大の特徴とでも言える9条が気に入らないようだ。それは、@北朝鮮との関係、Aアメリカとの関係において。いま一度、日本国憲法9条のもつ歴史的な意味を考えつつ、北朝鮮とどう向き合うか、アメリカとどう向き合うかを考える。まずは、9条の歴史的な原点を、フランス革命までさかのぼってみた。しかし、大きかったのはやはり第1次世界大戦。戦後、戦争を防止する仕組みがつくられていく。

浦部法穂『憲法学教室 全訂第2版』(日本評論社)、樋口陽一『憲法』(創文社)、NHKスペシャル『映像の世紀 第2集 大量殺戮の完成』(1995年放送)

第28回 ヒロシマ・ナガサキの経験〜核時代の9条〜
被爆地ヒロシマで総裁選立候補を表明し、首相となったAB氏は、かつて「核保有も合憲である」ということを語ったことがある。核兵器を使うことでどのようなことがおきるのかを考えたい。同じ1945年にできた国連憲章と日本国憲法は、ともに「武力による威嚇又は武力の行使」を禁じている。しかし、国連憲章は限定的に「個別的・集団的自衛権」を認め、一方、日本国憲法では9条2項で「戦力不保持・交戦権の否認」を宣言し、「軍事によらない平和」を追求している。この違いはなぜ生じたのであろうか。国連憲章ができてから日本国憲法ができるまでの間に、一体何があったのか。それは、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下である。つまり、核兵器の存在が9条2項を生んだのである。人類はようやくここまでたどりついたのである。

水島朝穂『憲法「私」論』(小学館)、水島朝穂編著『ヒロシマと憲法〔第4版〕』(法律文化社)、浜林正夫・森英樹編『歴史のなかの日本国憲法』(地歴社)、「21世紀の日本と国際社会」(浅井基文さんのWEB)

第29回 「押しつけ」自衛隊〜9条と自衛隊〜
軍事によらない平和を追求した9条があるにもかかわらず、世界第2位(〜第4位)の軍事費を注いでいる自衛隊が日本にはある。その理由と日本国憲法との整合性を考えた。1950年6月、朝鮮戦争がおこった。これをきっかけとして自衛隊の前身となる警察予備隊が創設された。つまり、アメリカの対日占領政策が日本の「非軍事化・民主化」から日本を「反共の防波堤」として「自立」した国家にするという方向へ転換したことが自衛隊創設の背景である。もっといえば、自衛隊こそ、日本国民の意に反して押し付けられた組織なのである。そして、自衛隊に関し、日本政府は「自衛他のための必要最小限度の実力組織」であり、憲法が禁じる「戦力」には当たらないと「説明」している。北朝鮮の30倍以上の軍事費を使っていても、「必要最小限」なのである。

浦部法穂『憲法学教室 全訂第2版』(日本評論社)、浜林正夫・森英樹編『歴史のなかの日本国憲法』(地歴社)、山田朗『護憲派のための軍事入門』(花伝社)、『NHKスペシャル シリーズ憲法 私たちは9条とどう向き合うのか』(2005年放送)、浅井基文さんのWEB

第30回 どうする?自衛隊〜9条と≪現実≫〜
戦前、石橋湛山というジャーナリストは、「植民地を放棄して、平和主義によって科学技術や産業に投資をして国を豊かにすればよいではないか」と主張した。現在、日本の文教関係費は防衛関係費とほぼ同額である。エアコンもなく、暑い夏場など、汗をかきかき教員は授業をし、生徒は授業を受けている現状を考えれば、石橋湛山の言うことはもっともである。しかしそうはいっても、日本の周辺には「アブナイ」北朝鮮や中国があるではないかという声も、このところ日本国内ではこだましている。いったい自衛隊をどうしたらよいのだろうか? これまでの授業をふまえて、レポートを書いてもらった。

財務省WEB、国税庁WEB、山田朗『護憲派のための軍事入門』(花伝社)

第31回 どうする?自衛隊・討論〜9条と≪現実≫〜
前の時間キミたちに書いてもらったレポートをパソコンに入れ印刷し、それをもとに議論をした。そして、他の意見を読んだり、議論を通じて、国を守るとはどういうことか、東アジアの平和をつくるにはどうしたらいいのかについてレポートを書いてもらった。
浦部法穂『憲法学教室 全訂第2版』(日本評論社)、山田朗『護憲派のための軍事入門』(花伝社)
第32回 「北」の国から・前編〜北朝鮮とどう向き合うか〜
2006年10月9日、北朝鮮は核実験を行なったことを表明した。7月はじめには7発のミサイルを発射した「前歴」もある。日本国内では、「制裁の強化を!」と求める声が強くなってきた。政治家の中には、基地攻撃能力をもつのは「当然」という「悪乗り」する者もいた(当時官房長官だったAB氏も「検討、研究することが必要」と述べている)。はたして、日本国憲法をもつ日本は、「アブナイ」北朝鮮とどう向き合っていったらよいのか。それを2回で考えていく。ちなみに、国際人権NGO「ヒューマンライツ・ウオッチ」(本部・ニューヨーク)は11日声明を発表し、「北朝鮮の核開発は地域の安全保障に甚大な影響を与えているが、食糧援助を停止すれば、同国の一般の人々に死をもたらしかねない」と警鐘を鳴らしている(asahi.com)。

外務省WEB、防衛庁WEB、『防衛白書』

中間テスト
第33回 自習
特殊な事情により、自習にせざるを得ませんでした。
第34回 テスト返却
第35回 「北」の国から・後編〜北朝鮮とどう向き合うか〜
拉致被害にあった家族は、「脅威」である北朝鮮に対して「圧力を!」と絶叫するが、かつての日本は欧米列強から経済制裁をかけられた結果として、戦争に踏み切った。そのことを知っている日本だからこそ、経済制裁についてはよほどよく考えなければならない。そもそも北朝鮮の「脅威」をよく見てみると、おかしな点がいくつかある。一例を挙げれば、10月に初めての核実験を行なった北朝鮮であるが、実はアメリカは8月末に23回目の臨界前核実験を行なっていた。しかし、アメリカが脅威である、アメリカに経済制裁をという議論は全く起きなかった。なんだ、この差は。この点をふまえて、北朝鮮とどう向き合っていったらよいのかを考えた。

広島市WEB

第36回 コレで安心?ニッポンの平和〜日本の安全保障〜
日本にはアメリカ軍基地が存在している(そのうちの77%は沖縄に集中している)。日本を守るために存在していると思っている人は極めて多い。もう一度、原点に帰って、なぜ在日米軍が存在しているのか、在日米軍は本当に日本を守る義務があるのかをみた。在日米軍は、冷戦の遺制といえるものであるが、冷戦が終わったあとの2001年の同時多発テロ事件をきっかけとして「新たな脅威」や「不安定の弧」に対応するために、アメリカは大規模に米軍再編を行ない、さらに日米安保体制の強化を図っている。とくに「不安定の弧」の最前線にある日本の位置は重要になってきたからだ。いったい日本から在日米軍がなくなるのはいつになるのであろうか?

沖縄県庁WEB、沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故学生対策委員会WEB、浦部法穂『憲法学教室 全訂第2版』(日本評論社)、森英樹『国際協力と平和を考える50話』(岩波ジュニア新書)

第37回 憲法9条、未来をひらく〜国際平和に向けて〜
自民党は、自衛軍を持ち、その自衛軍は「積極的に国際社会の平和に向けて努力する」んだなんていっています。さて、ここで立ち止まって、いま一度、「国際平和/貢献/協力」にあたっては、自民党が言うとおり軍隊が必要なのかを考えた。ペシャワール会の中村哲さんの活動を見た。彼は、「私はアフガニスタンで、灌漑事業を進めていますが、別に軍隊に守られて作業しているわけではありません。逆に、派兵している国の事業は攻撃対象になって、作業は難航している」と、自身の体験から語る。彼の思想と行動は、まさに日本国憲法・前文と第9条とを体現していると言える。世界の人びとは第9条を目標としている。

『THE NEWSPAPER part.66 in 2004.12.25』、井筒和幸ら『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレット)、中村哲『NHK知るを楽しむ この人この世界 アフガニスタン・命の水を求めて』(日本放送出版協会)

第38回 権利のための闘争〜人権保障のための憲法〜
憲法を変えたいという人のなかに、「日本国憲法には権利ばかりで義務がない。だから、若者はワガママで自己チューなんだ。だから、権利を制限し、義務を課さねば」なんて議論がある。立憲主義の視点に立てば、全くおかしな議論である。立憲主義の立場に立てば、憲法とは人権を保障するために、「権力」に守らせるきまりなのである。だから、人権/権利ばかり書いてあるのは当然なのである。人権を保障するのが憲法なんだから。しかし人権/権利は、与えられるものではない。自ら闘いとっていくものである。闘うといっても、武器をもつのではない。基本は話し合いである。その実例として、探偵!ナイトスクープを見た。中学校の生徒会が交渉をして権利を勝ち取っていく様子が示されていた。

浦部法穂『憲法学教室 全訂第2版』(日本評論社)、イェーリング『権利のための闘争』(岩波書店)、高木八尺・末延三次・宮沢俊義編『人権宣言集』(岩波文庫)、自民党・憲法調査会WEB

第39回 「people(人びと)」と「国民」とのあいだで…〜外国人の人権〜
日本国憲法は、その特殊な成り立ちから英文が存在する。日本国憲法を学習する際に、英文も見ておかねばならない。すると、現在の日本国憲法で「国民」となっているところは、英文では「people」となっていることが分かる。「people」とはふつうに訳せば、「人びと」である。そこを「国民」と訳している。「国民」でない「人びと」の人権について考えた。「国民」でない「人びと」、代表的には外国人であるが、彼らのなかの定住外国人の人権はなにかと制限されるものの、例えば納税の義務などはしっかりと負わされている。

浦部法穂『全訂 憲法学教室』(日本評論社)、浦部法穂『憲法の本』共栄書房、森英樹『新版主権者はきみだ』(岩波ジュニア新書)、生活ホットモーニング(ゲスト・姜尚中さん、2005年放送)

第40回 みんなちがって、みんないい〜法の下の平等〜
「平等」とは、一つは、等しいものを等しく扱うことである。しかし、等しく扱われてこなかった子どもや女性、障害者などが「叫び声」をあげ、それなりに人権を獲得してきた歴史がある。もう一つは、等しくないものを等しくする努力が、この20世紀に行なわれてきた。20世紀に入り、格差が拡大するなかで勤労者や社会的弱者たちは「叫び声」をあげ、人権を獲得してきた。それが憲法28条や25条である。日本国憲法は、「国(=権力)」に「弱者を保護せい!」と命令しているのである。さらに、21世紀は、SMAPの『世界でひとつの花』や金子みすずの「私と小鳥とすず」に見られるように、同じでないことを等しく認める社会をつくることが求められると思うのだが、このところ「格差社会」ということがいわれ、平等が崩れつつある。再び20世紀の歴史を繰り返しているように思えてならない。

芦部信喜編『判例ハンドブック 憲法 [第2版]』(日本評論社)、浦部法穂『全訂 憲法学教室』(日本評論社)、森英樹「みんな違ってみんないい−平等条項の読み方」(NHK名古屋文化センター講座「日本国憲法を読み直す」)、『NHKスペシャル ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない』(2006年放送)

第41回 国家が押しつける「愛」〜精神の自由〜
現在、参議院で審議されている教育基本法「改正」案。いくつも問題点があるが、今回はいわゆる「愛国心」に焦点をあてて、精神の自由との関係を考えた。「愛国心」をもつことは、個人においては全くかまわない。しかし、国家が「我が国」を「愛する」ことを「評価」などを通じて、子どもたちの思想・良心に押しつけることは、明らかに憲法19条に触れる。自由権の本質は、「国家からの自由」である。介入するな!である。日の丸・君が代強制問題にも見られるように、一般の人びとには「思想・良心の自由」を認めないものの、一方で「靖国問題」について小泉首相は「心の問題」として憲法19条を引用する。どうやら権力者には「思想・良心の自由」があるらしい。立憲主義という考えからすれば、全く発想が逆転しているのだが…。小泉を継承するAB氏がいう≪美しい国≫の≪実態≫は所詮こんなものだ。強制しなければ愛せない≪美しい国≫なんて。

浦部法穂『憲法学教室 全訂第2版』(日本評論社)、平和憲法のメッセージWEB(水島朝穂さんのWEB)、法学館憲法研究所WEB

第42回 死刑は「残虐な刑罰」か?〜人身の自由・前編〜
1999年におきた、残忍な山口県光市母子殺害事件。一度に妻と子を失ってしまった夫は、最高裁判決を受けて「やはり、死刑が相当であるという風に思います」と述べた。死刑については、残すべきか、廃止すべきかなど、いろいろな議論がある。今回は、「被害者の感情・人権」という視点を排除して、憲法がいう「残虐な刑罰」(36条)に当たるのかどうかを検討した。キミたちにレポートを書いてもらうにあたって、まずは、実際の死刑の方法を文献や法律にあたって読んだ。刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(2006年6月8日公布、1年以内に施行)には、「死刑を執行するときは、絞首された者の死亡を確認してから五分を経過した後に絞縄を解くものとする」という「とどめの5分」(水島朝穂)の規定があることを知った。

菊田幸一『<改訂版>死刑廃止を考える』(岩波ブックレット306)、初宿正典・高橋正俊・米沢広一・棟居快行『いちばんやさしい憲法入門』(有斐閣アルマ)、森英樹『新版主権者はきみだ』(岩波ジュニア新書)、平和憲法のメッセージWEB(水島朝穂さんのWEB)、Amnesty International Japan WEB

第43回 「あんな奴、死刑!」と叫ぶ前に…〜人身の自由・後編〜
前回書いてもらった小レポートによれば、70%ほどの人が死刑は合憲であり、残すべきであるという意見であった。今回は特に、死刑制度をどうするべきなのかを考えた。キミたちのレポートによれば、@人の貴重な生命・自由を奪った者を死刑にしてもやむをえない、A被害者や遺族の感情を考えると、死刑は実行すべき、B死刑は凶悪犯罪の防止に役立っている、の3点が死刑支持の理由である。それぞれについて、批判意見を紹介した。世界は、死刑廃止条約も発効し、死刑廃止の方向に動いている。日本はその流れに逆行しているのだが、今後考えたいのは、そもそもなぜ裁判をし、刑罰を科すのかということである。裁判は復讐、報復の場ではないのである。

日本弁護士連合会編『死刑執行停止を求める』日本評論社、菊田幸一『<改訂版>死刑廃止を考える』(岩波ブックレット306)、初宿正典・高橋正俊・米沢広一・棟居快行『いちばんやさしい憲法入門』(有斐閣アルマ)、森英樹『新版主権者はきみだ』(岩波ジュニア新書)、平和憲法のメッセージWEB(水島朝穂さんのWEB)、Amnesty International Japan WEB

期末テスト

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