3学期の授業録


使用教科書/『高等学校 新現代社会 改訂版』清水書院(清水・現社517)

授業の方法
3単位の授業。授業を2本立てで行なう。
理論編=基本的に教科書の内容を学習する。テーマとしては「人間らしく(自分らしく)豊かに生きることを考える」。内容的には「労働と経済」→「憲法と人権」→「国際協力」で1年間授業を行なう。
実態分析編=週の最後の授業は、「新聞を読み、分析し、発信する」というテーマで行なう。1学期は、主に「新聞を読み、分析する」。2学期は「新聞を分析し、発信する」ことを主眼に置き、「新聞切り貼り作品コンクール」(中日新聞社主催)に応募する作品を作成する。

第66回 立ちはだかる憲法9条の壁〜日本の平和主義〜
憲法9条は守られていないから、意味がない、現状に合わせて自衛隊を認めるように手直しした方がよいという議論がある。たしかに、1950年の朝鮮戦争をきっかけにしてできた警察予備隊は、4年後の1954年に自衛隊となり、防衛庁が発足した。1991年の湾岸戦争後には、ペルシャ湾に掃海艇を派遣した。その後も自衛隊は「国際貢献」をしている。そして2007年には防衛省に「昇格」し、海外活動が「本来任務」となった。こうして自衛隊が拡大していくと、現状に合わせて、自衛隊を憲法上認めたほうがよいのではという主張が声高になされる。でもでもでも!9条のもとで自衛隊が存在しているだけに、できないことも多い。あくまで自衛隊は「自衛のための必要最小限の実力」にすぎないがゆえに、防衛予算も戦前のようにはならず制限されるし、兵器も制限される。もちろん海外に出て行った自衛隊は「武力の行使」はできない(最近は「武器の使用」なんていうが)。さらには、非核三原則や武器輸出三原則もある。武器輸出三原則があるがゆえに日本では軍需産業も未成熟であった。その意味で、日本は9条に基づく政治・経済・外交を行なってきたのであり、9条に手足を縛られているのである。

渡辺治『安倍政権論 新自由主義から新保守主義へ』(旬報社)、東京新聞サンデー版「拡大する自衛隊」、中日新聞サンデー版「変わる防衛省・自衛隊」

第67回 「戦争の放棄」がいう「戦争」とは?〜憲法9条の歴史@〜
憲法9条1項の文章は、ややこしい。スッとは入ってこない。単純に「戦争を放棄する」とでも書けばいいのに。それは、歴史に原因がある。1931年の満州「事変」、1937年の日中戦争。日中戦争は当時、日華「事変」といった。満州「事変」にしても、日華「事変」にしても、事実上は「戦争」であった。なぜ言い換えたのだろうか。それは、当時、日本がパリ不戦条約に参加していたからである。第1次世界大戦は、悲惨な戦争であった。そのため第1次大戦後、戦争を防止する仕組みがつくられた。それが国際連盟であったし、パリ不戦条約である。パリ不戦条約では、「戦争を放棄」していたが、それは侵略戦争を指し、自衛の戦争については何も語らなかった。そのもとで、60余年前の戦争があったのだ。だから、1945年の国連憲章では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、……慎まなければならない」と、「戦争」に至る以前の「武力による威嚇又は武力の行使」までも、放棄したのである。そしてそれが、日本国憲法9条1項に引き継がれたのである。

浜林正夫・森英樹編『歴史のなかの日本国憲法 世界史から学ぶ』(地歴社)、水島朝穂『憲法「私」論』(小学館)、森英樹『国際協力と平和を考える50話』(岩波ジュニア新書)、『新聞に見る静岡県の100年』(静岡新聞社)

第68回 ヒロシマ・ナガサキからのメッセージ〜憲法9条の歴史A〜
被爆地ヒロシマで総裁選立候補を表明し、首相となったAB氏は、かつて「核保有も合憲である」ということを語ったことがある。核兵器を使うことでどのようなことがおきるのかを考えたい。同じ1945年にできた国連憲章と日本国憲法は、ともに「武力による威嚇又は武力の行使」を禁じている。しかし、国連憲章は限定的に「個別的・集団的自衛権」を認め、一方、日本国憲法では9条2項で「戦力不保持・交戦権の否認」を宣言し、「軍事によらない平和」を追求している。この違いはなぜ生じたのであろうか。国連憲章ができてから日本国憲法ができるまでの間に、一体何があったのか。それは、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下である。つまり、核兵器の存在が9条2項を生んだのである。人類はようやくここまでたどりついたのである。

浜林正夫・森英樹編『歴史のなかの日本国憲法 世界史から学ぶ』(地歴社)、浦部法穂『全訂・憲法学教室』(日本評論社)、森英樹『国際協力と平和を考える50話』(岩波ジュニア新書)、水島朝穂『憲法「私」論』(小学館)

第69回 ≪特論≫「北」の国から〜北朝鮮「脅威」論を読み解く〜
2006年10月9日、北朝鮮は核実験を行なったことを表明した。7月はじめには7発のミサイルを発射した「前歴」もある。日本国内では、「制裁の強化を!」と求める声が強くなってきた。政治家の中には、基地攻撃能力をもつのは「当然」という「悪乗り」する者もいた(当時官房長官だったAB氏も「検討、研究することが必要」と述べている)。はたして、日本国憲法をもつ日本は、「アブナイ」北朝鮮とどう向き合っていったらよいのか。そもそも北朝鮮に関する報道はそれなりに多いものの、「素顔」の北朝鮮は報道されない。だから、まずはデータで北朝鮮の実力を見てみた。すると、日本の方が「脅威」である。しかしながら、いま、日本は、北朝鮮が「脅威」であるとして、ミサイル防衛システムを整えようとしている。何なんだ。ある人曰く、「ミサイル防衛は、『霊感商法』だ」と。確かに。せっかく整えたミサイル防衛にしても、それは私たち「国民」の生命・財産を守るためといって、多額の税金を使っているのだが、本当に生命・財産を守ってくれるのだろうか。かなりアヤしい。日本の防衛を語る際、「攻められたらどうする」と護憲派を「攻め」るが、そもそも北朝鮮は日本を何の目的で攻めてくるというのだろうか。「攻められたら」の議論の前に「攻められない」環境をつくることこそ重要である。

梅田正己「『北朝鮮の脅威』と集団的自衛権−安倍政権『安保論』の虚構と虚妄」(日本ジャーナリスト会議出版部会)、伊藤真『憲法の力』(集英社新書)、天木直人さんのブログ

第70回 「真の文明は…」〜憲法9条の思想〜
2004年、ケニアのマータイさんがノーベル「平和」賞を受賞した。また、2007年、アメリカのゴアさんがノーベル「平和」賞を受賞した。マータイさんとゴアさんの共通点は環境である。マータイさんは植林活動、ゴアさんは『不都合な真実』で温暖化の問題を取り上げた。なぜ環境問題を取り上げた人物がノーベル「平和」賞を受賞したのだろうか。平和と環境のつながり。実は、これ、100年前の日本ですでにある人物が語っていたのだ!それは、田中正造。あの足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した人物である。彼は、日清戦争には賛成していたが、日露戦争前後から「無戦主義」を唱え、日露戦争開戦に反対した。それは、公害問題で人の命が失われていくことと、戦争で人の命が失われていくこととが全く同じことであり、足尾鉱毒事件の深まりとともに、彼は「無戦主義」を唱えるようになっていく。田中正造は、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と語った。その意味で、現代日本は、「文明」国といえるのであろうか。ちなみに、田中正造が「無戦主義」を初めて演説たのは、静岡県掛川市でのことだった。

山室信一『憲法9条の思想水脈』(朝日新聞社)、田中優『戦争って、環境問題と関係ないと思ってた』(岩波ブックレット)、田中優『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』(合同出版)

第71回 憲法9条的世界をつくる〜平和と環境〜
いま、平和と環境とを結びつけて考える考え方が注目されている。環境の悪化が戦争を引き起こすし、逆に戦争が起これば、それは重大な環境悪化をまねくからである。今回は、戦争の放棄を実践し、環境立国となっている「ある国」に注目する。その国とは、コスタリカである。コスタリカは、中米にある小さな国で、日本国憲法同様、軍隊(常備軍)を捨てた国として知られている。現在の大統領は1987年にノーベル平和賞を受賞した。軍隊にかけるおカネを、教育や医療に充て、さらに豊かな自然環境を生かし、環境先進国ともなっているのである。一方、コスタリカの隣にあるニカラグアは、内戦が続き、軍事費も国家予算の10%以上だ。そのために、国民は疲れ切り、貧困な状態に置かれている。日本はいま、国内に「ネットカフェ難民」や「ワーキングプア」が生まれる状況の中で、北朝鮮の「脅威」を利用して、ミサイル防衛を大いに進めている。日本の未来は、コスタリカ?それともニカラグア?

田中優『戦争って、環境問題と関係ないと思ってた』(岩波ブックレット)、田中優『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』(合同出版)、『1秒の世界V』(SBS、2007年放送)、法学館憲法研究所WEB

第72回 紛争と貧困をもたらすのは誰か?〜国際社会の諸問題〜
前回、ニカラグアとコスタリカとを比較するVTRを見てもらった。お互い隣り合う2つの国だが、その国内はまるで異なった。そこで考えたいのは、ニカラグアではなぜ、内戦が相次いでおこったのかということ。もう少し広く考えて、なぜ発展途上国では内戦・紛争が止まらないのか、その構造を考えていく。すると、かれらの国にある鉱産資源が、あるいはかれらが生産した農産物がかれらのものとなっておらず、全部とはいわないが大部分が欧米諸国が利益をもっていくという構造が垣間見える。だから、発展途上国はいつまでも貧困だし、先進国や先進国とつながっている支配者・支配部族に対して怒りをもつのである。そうして、発展途上国内で紛争へと発展する。そして「先進国」の一員である日本も、発展途上国の紛争・貧困を生みだす側に立っているのである。先日の『静岡新聞』(2008年1月12日)には、「日本、実は希少金属大国?/金は南アしのぐ」なんて記事が載っていたけど、ボクたちは金をだれが、どのように掘っているのかを知らない。では、これをいかに解決していくのかを、次回、考えていく。

田中優+A SEED JAPANエコ貯金プロジェクト編『おカネで世界を変える30の方法』(合同出版)、『DAYS JAPAN』2004年8月号、2005年10月号、2006年2月号、2006年6月号、2006年11月号、児童労働を考えるNGO=ACE岩附由香・白木朋子・水寄僚子『わたし8歳、カカオ畑で働きつづけて。』(合同出版)、『NHKスペシャル・ナイジェリア石油争奪戦〜貧困をもたらすのは誰か〜』

第73回 ワタシの気持ちが世界を変える〜日本の「国際貢献」@〜(K科のみ)
発展途上国の紛争や貧困をなくすために、日本は大きな責任を負っている。そこで今回と次回とで考えたいのは、日本にできる「国際貢献」は何だろうかということ。簡単なことばで言いかえれば、日本はどのように平和をつくるのか、とりわけ私たち一人ひとりにいったい何ができるのかということだ。小学校などでは、みんなで平和を願い、鶴を折ったり、平和の劇や歌を歌ったりすることがある。それももちろん大事だが、もう少し実践的な平和のつくり方を考えてみよう。だからといって、紛争地域に入って何かせよとか、貧困をなくすためにわざわざ募金や寄付をせよという話ではありません。前回述べたように、発展途上国が貧しいのは、かれらがつくったり、かれらの国にあるものが、異様に低価格で買い取られているところに問題があるのである。そこを是正することがひとつ大事なのではないだろうか。そんなことでいま、かれらがつくったカカオやコーヒーを公正な価格で取り引きしようという動きがある。これをフェアトレードと言っている。これについて紹介したが、まだ課題も多い。しかしながら、「フェアトレードは普段の買い物です。フェアトレード製品を選ぶことは、持続可能で平和な未来を選ぶということ。毎日のその『選択』が、声として企業や政治家に聞かれ、企業や政治といった大きなものを動かすことにもなるのです。買い物は『おカネ』を通した投票です。どのような未来に投票するか、それはあなたが何を選んで買うかによるのです」。

特定非営利活動法人 フェアトレード・ラベル・ジャパンWEB、田中優+A SEED JAPANエコ貯金プロジェクト編『おカネで世界を変える30の方法』(合同出版)、児童労働を考えるNGO=ACE岩附由香・白木朋子・水寄僚子『わたし8歳、カカオ畑で働きつづけて。』(合同出版)、『at』第8号

第74回 世界を変える、未来は変わる〜日本の「国際貢献」A〜
いよいよ今回で最終回。貧困のない平和な社会をつくるための、日本の「国際貢献」について考えている。とくに、私たち一人ひとりが取り組めることという視点で考えているが、今回は世界を変えるおカネの使い方を考えてみたい。ふつう銀行におカネを預けると利子がつく。それは、銀行が預金者が預けたおカネを企業に投融資して、返済時の利子を銀行員の給料や預金者の利子にしているからである。銀行は預金者から預かったおカネを、さまざまな企業に投融資する。なかには軍需産業にも。そこには預金者の意思はない。しかし、私たちの貴重なおカネをヘンなところには投融資して欲しくない。私たちのおカネを有効に使ってほしいというところから、全国各地にNPOバンクができている。NPOバンクに出資した市民は、利子はつかないが、自分のおカネが役に立っているという満足感というか、やりがいをもらっている。そのNPOバンクの一つに、櫻井和寿・小林武史・坂本龍一が創立したap bankがある。ap bankは、環境に関するプロジェクトに融資するNPOバンクである。毎年静岡県掛川市でap bank fesを開催しており、その模様をDVDで見た。櫻井和寿が、玉置浩二の「MR.LONELY」を歌った場面だが、出だしの「こんな僕にもやれることがある」はいいことばだ。私たち一人ひとりが今日何を選択するかで未来は変わるのである。

田中優+A SEED JAPANエコ貯金プロジェクト編『おカネで世界を変える30の方法』(合同出版)、『クローズアップ現代・私のお金を生かしてください』(2008年1月放送)、『SWITCH』VOL.26、ap bank WEB

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