3学期の授業録


使用教科書/『明解 新世界史A・新訂版』帝国書院 (帝国・世A015)
副教材/『地歴高等地図・最新版』帝国書院 (帝国・地図011)

第41回 革命の嵐はふたたびアメリカ大陸へ〜初の黒人独立国〜
フランスの植民地ハイチに住む奴隷であったトゥサン・ルヴェルチュールは、フランス語を勉強し、「人権宣言」の限界を超えようと、独立ののろしをあげた。アメリカ独立革命・フランス革命・ハイチ革命は、それぞれに関連をもって連鎖反応のように勃発したのである。今回は、とくにアメリカ独立革命とフランス革命との関連について学習した。トマス・ペインやジェファソン、ラファイエットら革命の中心人物が大西洋を行きかって、それぞれに絡み合っているのが興味深い。

五十嵐武士・福井憲彦『世界の歴史21 アメリカとフランスの革命』(中央公論社)、加藤祐三・川北稔『世界の歴史25 アジアと欧米世界』(中央公論社)、油井大三郎「近代デモクラシーの誕生〜アメリカ独立とフランス革命〜」(『NHK教育セミナー 歴史でみる世界』)、浜林正夫『人権の思想史』(吉川弘文館)、浜林正夫『民主主義の世界史 「殺し合い」から「話し合い」へ』(地歴社)、落合一泰「西洋と非西洋のあいだで〜ラテンアメリカ諸国の独立〜」(『NHK高校講座 世界史』2005年度)

第42回 砂糖と茶の出会い〜グローバル化するヨーロッパ経済〜
紅茶も緑茶ももとの葉っぱは同じで、加工の過程で醗酵させると紅茶になる。一口飲めば分かるのだが、紅茶は甘い。それは、砂糖が入っているからです。ただ、同じ葉っぱでできているのに、緑茶には砂糖を入れることはまずない。それだけに紅茶に砂糖を入れることは、「とんでもないこと」であったといえるでしょう。17世紀のイギリスにおいて、砂糖入りの紅茶を飲むようになるのだが、それはいったいなぜか。かれらの意識を探った。そもそも砂糖にしても、紅茶にしてもヨーロッパでは寒くてつくることができない。外国からの輸入品である。砂糖はアメリカから、紅茶はアジアからの輸入品であるので、たいへん高級品であった。それが「国民的飲料」になるのには、コーヒー・ハウスが大きな役割を果たした。コーヒー・ハウスではさまざまな文化が誕生したが、それは、「われわれイギリス人は、世界の商業・金融上、きわめて有利な地位にいるために、地球の東の端からもち込まれた茶に、西の端のカリブ海からもたらされる砂糖を入れて飲むとしても(それぞれに船賃も保険料もかかるのだが)、なお、国産のビールより安上がりになっているのだ」(18世紀の歴史家のことば)という事実の上に成り立った文化であることを忘れてはならない。

川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)、川北稔「近代世界システムの中の砂糖」(『季刊[あっと]』7号)、増田義郎『略奪の海カリブ』(岩波新書)、農畜産業振興事業団 砂糖類WEB(川北稔さんの連載)

第43回 「苦い砂糖」ができるまで@〜カリブ海の砂糖工場〜
ヨーロッパで砂糖入りの紅茶を飲みはじめるようになってから、砂糖は大量にアメリカから輸入されるようになった。その砂糖は、現在でもおよそ7割がサトウキビからつくられるが、だれがどのようにしてつくっていたのだろうか。その点を考えた。すると、そこは「甘い地獄」といっていいようなことが行なわれていたのである。また、砂糖プランテーションは、現在にまでつながる問題点をもっていた。第1に、森林伐採にともなう環境問題である。第2に、多様な農産物を生産していたカリブ海で、輸出用の主食ではないサトウキビだけをつくらされることによって、現地カリブ海の人びとの飢えの問題が発生した。これはサトウキビだけではなく、例えばコーヒー、カカオ、タバコでも見られる現象である。「先進」国での「豊か」な生活のために、発展途上国の人びとの生活が犠牲になっていることを見落としてはならないだろう。

川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)、川北稔「近代世界システムの中の砂糖」(『季刊[あっと]』7号)、農畜産業振興事業団 砂糖類WEB(川北稔さんの連載)、安田喜憲『NHK人間大学 森と文明 環境考古学の視点』(日本放送出版協会)、佐藤文則『ハイチ圧政を生き抜く人びと』(岩波書店)、児童労働を考えるNGO=ACE岩附由香・白木朋子・水寄僚子『わたし8歳、カカオ畑で働きつづけて』(合同出版)、『DAYS JAPAN』、2005年10月号

第44回 「苦い砂糖」ができるまでA〜アフリカの近代〜
ヨーロッパで、砂糖入りの紅茶を飲み、華やかな文化を咲かせていた時、砂糖はアメリカで、紅茶はアジアで生産されたことを学び、前回は、アメリカでの砂糖生産について学習した。今回は、そのアメリカで砂糖を生産した人に注目していくことにした。教科書の図版を見ると、ヨーロッパ人は自分たちが使う砂糖を、黒人たちにつくらせていたことが分かる。ところで、アメリカに黒人はいたのだろうか。今はいるけれども、もともとはいない。では、どこから連れてきたのか。アフリカから連れて来たのだ。アフリカからアメリカへの旅を「中間航路」とよぶが、悲惨なものであった。教科書の図版に載る奴隷貿易船には、隙間なく黒人奴隷が積み込まれていた。まるでモノのように扱われる黒人奴隷。およそ400年の間に、働き盛りの若いアフリカ人が1,500〜2,000万人もアメリカに連れていかれた。この傷痕は大きく、これが現在にもつながる「低開発」に悩むアフリカ社会のゆがみをもたらしたのである。

松田素二「ヨーロッパによる植民地支配〜アフリカの近代〜」(『NHK高校講座 世界史』2004年度)、川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)、福井勝義・赤阪賢・大塚和夫『世界の歴史24 アフリカの民族と社会』(中央公論社)、加藤祐三・川北稔『世界の歴史25 アジアと欧米世界』(中央公論社)、本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』(岩波新書)、増田義郎『略奪の海カリブ―もうひとつのラテン・アメリカ史―』(岩波新書)

第45回 綿にしみ込む血と涙〜イギリス産業革命〜
18世紀後半、イギリスにおいて産業革命がおきた。なぜイギリスで世界最初の産業革命がおきたのだろうか?イギリスの人たちの、生真面目な国民性?いやいや、そこには綿をつうじて、さまざまな人びとの血と涙がしみ込んでいたのであった。一つは、イギリス産綿織物のライバルであったインド産キャラコを生産する人たちの血と涙。もう一つは、綿織物の原料である綿をアメリカで生産したアフリカ系黒人たちの血と涙。そして、もう一つはイギリス産綿織物を買わされた人たち、要するにイギリス植民地の人たちの血と涙。こういったのがあって、産業革命が成り立つのである。

川北稔『改訂版 ヨーロッパと近代世界』((財)放送大学教育振興会)、角山栄・村岡健次・川北稔『生活の世界歴史10 産業革命と民衆』(河出書房新社)、加藤祐三・川北稔『世界の歴史25 アジアと欧米世界』(中央公論社)

第46回 漱石がみた倫敦〜産業革命の影〜
1900年から夏目漱石はイギリスに留学した。しかし彼は、そこで悩み、発狂したというウワサが流れ、1903年に文部省に帰国を命じられる。漱石は、当時のイギリスについて、その街のようす、人びとのようすについて書き残している。それをもとにして、ロンドンに住む人びとの生活が18世紀をつうじてゆっくりと進行した工業化、産業革命によって、どのように変化したのかを見ていく。まずは、食だ。漱石の記述によれば、砂糖入りの紅茶にパンという「イギリス風朝食」は、労働者の朝食となっていた。カフェインを含んだ紅茶は労働者の頭をシャキッとさせ、高カロリーの砂糖はエネルギー源となり、砂糖入りの紅茶は産業革命を推し進めていったのである。そして、ロンドンの街のようす。漱石の記述によれば、「空は灰汁桶をかき交ぜたような色」「壁土をとかし込んだように見えるテームス」とある。劣悪な環境のもとで暮らしていたことが分かる。労働者の暮らしは厳しい。こうなったのは、工場経営者の「もうけの自由」を優先させたからである。これらを克服するために、たとえば、1830年代以降、工場法がつくられ、労働者の人権が守られていくようになる。さて、現代は……?

角山栄・村岡健次・川北稔『生活の世界歴史10 産業革命と民衆』(河出書房新社)、加藤祐三・川北稔『世界の歴史25 アジアと欧米世界』(中央公論社)、川北稔『砂糖の歴史』(岩波ジュニア新書)、東北大学付属図書館夏目漱石ライブラリWEB

第47回 リンカンのホンネ〜19世紀のアメリカ〜
合衆国大統領の中でもっとも人気のある大統領の一人であるリンカンは、奴隷解放宣言をだした。しかし現在でも、黒人差別は未解決の問題として合衆国に存在している。リンカンの奴隷解放宣言にもかかわらず、現在まで黒人差別が残ってしまった原因を、リンカンの言動から考えた。リンカンは、奴隷の解放よりも合衆国の統一のほうに力点を置いていた。また、黒人の経済的な自立を促すような政策はほとんどなく、解放されたはずの黒人はふたたび元の主人のもとに戻っていく。そしてリンカンの暗殺ののち、黒人の問題は放っておかれてしまう。黒人問題がもう一度注目されるのは、このときから100年後のケネディの時代である。

油井大三郎「リンカーンとダグラス〜19世紀のアメリカ〜」(『NHK高校講座 歴史でみる世界』2003年度)、紀平英作・加盟俊介『世界の歴史23 アメリカ合衆国の膨張』(中央公論社)、本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』(岩波新書)、本田創造『私は黒人奴隷だった−フレデリック・ダグラスの物語』(岩波ジュニア新書)、猿谷要『物語 アメリカの歴史 超大国の行方』(中公新書)、二谷貞夫・笠原十九司・油井大三郎ら『世界史B新訂版』(一橋出版)

第48回 ≪特論≫世界の子どもたちはいま〜現代の「奴隷」労働〜
昨年、2007年はイギリスの奴隷貿易が廃止されてからちょうど200年。16世紀からおよそ400年にわたって1,500万から2,000万人の黒人たちがアフリカからアメリカ大陸に移動させられました。そのことがアフリカ社会にもたらした影響は今日まで続いています。さて、その奴隷貿易がなくなって200年。そういうことが世界からなくなってしまったのか、というと、どうもそういうわけではなさそうです。今回は、特論として、現代世界におけるいわゆる「奴隷」労働について考えてみたい。先日の『静岡新聞』によれば、日本は希少金属大国だそうだ。それらはケータイやパソコンなどに使われる。しかし、日本からそんなものはほとんど取れない。外国から輸入したのだ。では、どこで、だれが、どのようにして取っているのか。VTRで検証した。希少金属のほか、これまで学習してきた紅茶、コーヒー、砂糖、カカオ、タバコ、そしてサッカーボールも子どもたちの労働によってつくられていることが多い。かれらの働きぶりはまるで「奴隷」である。このような児童労働をなくす方策はあるのだろうか?その一つを考えてみた。

特定非営利活動法人 フェアトレード・ラベル・ジャパンWEB、田中優+A SEED JAPANエコ貯金プロジェクト編『おカネで世界を変える30の方法』(合同出版)、児童労働を考えるNGO=ACE岩附由香・白木朋子・水寄僚子『わたし8歳、カカオ畑で働きつづけて。』(合同出版)、『at』第8号、『DAYS JAPAN』2004年8月号、2005年10月号、2006年2月号、2006年6月号、2006年11月号

第49回 茶とアヘン〜19世紀のヨーロッパとアジア〜
お茶については、以前学習した。イギリスでは、紅茶に砂糖を入れて飲むことは貴族たちのステータスであった。のちにその習慣は庶民にまで広がったので、イギリスは大量のお茶をアジアから輸入することになった。対価としてイギリスは銀を支払ったので、大量の銀が流出していき、この赤字に頭をかかえるようになった。そこでイギリスは植民地支配しつつあったインドにアヘンを栽培させ、それを高値で中国に売りつけ、お茶を手に入れるようになった。茶とアヘンはこうして結びつく。中国はアヘン戦争に敗北して、列強によって分割されていく。インドでもインド大反乱がおこるが、鎮圧され、イギリス領インド帝国が成立する。、東南アジアも次々と植民地化される。しかしこうした中で、日本は植民地化されず、近代化を成し遂げた。それはなぜだろうか?日本人は中国人や朝鮮半島の人びととは違って優秀だからだ、なんていう人もいるが、それは世界の動向を見落としている。つまり、中国やインドでの植民地支配に対する必死の抵抗運動があったのである。これに列強は手こずってしまう。その意味で、インドや中国の民衆のおかげで日本は植民地とならなかったのである。

福井憲彦「茶とアヘン〜19世紀のヨーロッパ〜」(『NHK高校講座 世界史』2005年放送)、加藤祐三・川北稔『世界の歴史25 アジアと欧米世界』(中央公論社)、『週刊朝日百科日本の歴史99 1850年の世界』(朝日新聞社)、江口圭一『日中アヘン戦争』(岩波新書)、二谷貞夫・笠原十九司・油井大三郎ら『世界史B新訂版』(一橋出版)、『DAYS JAPAN』2005年1月号

第50回 戦争はなにをもたらしたか?〜総力戦となったWWT〜(JK科では、〜20世紀の潮流@平和〜)
いよいよ大詰めです。大づかみに20世紀の歴史をみていきたいく。さて、前回述べたように日本は植民地とはならなかったものの、周囲を見渡すと、中国にしても、東南アジアにしても、インドにしても、ヨーロッパやアメリカなどの植民地と変り果てていました。ときには、その植民地をめぐって、欧米諸国が争う時代が19世紀後半から20世紀前半の歴史だった。今回は、20世紀初めにおきた第一次世界大戦に注目して、VTRをみながら、戦争がなにをもたらしたのかを考えていきます。第一次世界大戦後、「瞬間」的ではあったが、軍縮の時代を迎えた。国際連盟の創設、ワシントン条約やジュネーブ条約、パリ不戦条約の締結など。それは、あまりにも悲惨な戦争体験が軍縮を生みだしたのである。しかしながら、それでも戦争は止められず、第二次世界大戦がおこってしまう。その結果誕生したのが、日本国憲法9条である。20世紀は、2度の世界大戦によって、平和への潮流が生まれた世紀である。

江口圭一『大系日本の歴史14 二つの大戦』(小学館ライブラリー)、浦部法穂『全訂 憲法学教室』(日本評論社)、NHKスペシャル『映像の世紀 第2集 大量殺戮の完成』、NHKスペシャル『世紀を越えて トラウマ』

第51回 ヴァイマルの落日〜経済危機からWWUへ〜(M科のみ)
日本国憲法9条の流れは20世紀の大きな潮流の一つであった。今回は日本国憲法でいえば第25条につながるような流れを大づかみにとらえていく。第一次世界大戦は、平和への潮流を生み出すとともに、なぜ戦争がおきるのかという問題を提起した。その原因の一つが貧困である。だからこそ、第一次世界大戦が終わると、敗戦国ドイツでは、ヴァイマル憲法が制定された。そこでは、@人間たるに値する生活を保障することが定められ、Aこの限界内で、個人の経済的自由が確保された。@は生存権の保障を規定したものだ。Aは「もうけの自由」については制限するものとしたものだ。@とAによって、社会的・経済的弱者については、国家が手を差し伸べることを定めたのである。これは本当の意味で、「自由と平等」とを実現するために、ようやく人類が身につけた知恵なのである。そうした思想が、例えばアメリカのニューディール政策に引き継がれ、日本国憲法25条に受け継がれていったのである(GHQメンバーはニューディーラーであった)。しかし、ヴァイマル憲法が登場したドイツは、それを実現するには、あまりにも厳しい時代であった。そのなかでヒトラーが民衆の支持を取り付け、政権を獲得した。そして、ヴァイマル憲法は停止された。

杉原泰雄『人権の歴史』(岩波書店)、浜林正夫『人権の思想史』(吉川弘文館)、浦部法穂『憲法学教室 全訂第2版』(日本評論社)、二宮厚美『憲法25条+9条の新福祉国家』(かもがわ出版)、森英樹「いま、憲法の魂を守るために」

第52回 特論≫21世紀をどう歩むか?〜エピローグ〜(M科のみ)
2月に入って、ギョーザ中毒事件が連日報道されている。中国か、日本か。どちらで毒が盛り込まれたのかがマスコミをにぎわせているが、問題はそんなことにはない。日本の人びとが食べる食が、いつ、どこで、誰が、どのようにして作っているのかが厳しく問われているのである。そう考えると、なぜ日本人の食が海外でつくられているのかが問題である。やはり、現代はふたたび「もうけの自由」が優先する社会になりつつあるといえる。しかし、20世紀の歴史はそうではなかった。「もうけの自由」は制限し、社会的・経済的弱者は国家が手を差し伸べることを、人類の知恵として身につけたのが、20世紀の歴史であった。しかし、いま、ふたたび「金儲けは悪いことですか」と声高に主張する「品格」のかけらもない人がもてはやされ、それを支える国を「美しい国」といった人物が首相になった(その人物は1年で退陣したが)。そのなかで、日本国憲法がないがしろにされてきた。しかし、イギリスの歴史をみても、アメリカの歴史を見ても、フランスの歴史を見ても、憲法を捨ててこなかった。むしろ、「自由と平等」という権利から除かれた人びとは、憲法を掲げて、権利のためにたたかっていった。戦争、貧困と問題山積のいまこそ、私たちは日本国憲法を高く掲げて、憲法にかかれた理想を実現するときなのである。

渡辺治『憲法「改正」は何をめざすか』(岩波ブックレット)、奥平康弘『憲法の想像力』(日本評論社)

第53回 〜20世紀の潮流A福祉〜(JK科のみ)
内容的には、第50回と第51回をまとめたもの。

杉原泰雄『人権の歴史』(岩波書店)、浜林正夫『人権の思想史』(吉川弘文館)、二宮厚美『憲法25条+9条の新福祉国家』(かもがわ出版)、森英樹「いま、憲法の魂を守るために」、奥平康弘『憲法の想像力』(日本評論社)

学年末テスト

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