3学期の授業録


使用教科書/『高等学校 新現代社会 改訂版』清水書院(清水・現社517)

授業の方法
3単位の授業。授業を2本立てで行なう。
理論編=基本的に教科書の内容を学習する。テーマとしては「人間らしく(自分らしく)豊かに生きることを考える」。内容的には「労働と経済」→「法と人権」→「青年期」で1年間授業を行なう。
実態分析編=週の最後の授業は、「新聞を読み、分析し、発信する」というテーマで行なう。2学期は「新聞を分析し、発信する」ことを主眼に置き、「新聞切り貼り作品コンクール」(中日新聞社主催)に応募する作品を作成する。(3学期は行ないません)

第68回 ワタシはどちらかというと<女/男>〜性の多様性〜
赤ちゃんが誕生すると、「おめでとうございます!女/男の子が生まれました」と言われる。しかし中には、外性器のようすから性別の判断しにくい子どもたちが2000人に1人くらいの割合で生まれる。かれらをインターセックスという。女と男しか性がないといわれる、この社会では、かれらは極めて生きにくい。彼らが「自分らしく」生きにくいと感じるのであれば、この社会の仕組み・あり方を見直していかねばならない。

森永康子『女らしさ・男らしさ ジェンダーを考える』(北大路書房)、山内俊雄『性の境界 からだの性とこころの性』(岩波書店)、伊藤公雄『NHK人間講座 「男らしさ」という神話』(日本放送出版協会)、伊藤公雄『男性学入門』(作品社)、伊藤公雄『「男女共同参画」が問いかけるもの』(インパクト出版会)

第69回 「女/男らしさ」という神話〜歴史・文化のなかの「らしさ」〜
私たちを縛る「女/男らしさ」とは一体何なのか?それは生まれつき備わっているものなのか?これについて考えた。日本以外の社会では、男が「女性的」であったり、その逆であったりする社会もある。また同じ日本でも、中世という時代をかえりみれば、女性が生産活動や商業活動を担っている例もゴロゴロころがっていたり、男性が来客のために料理し、もてなすということもよくあった。結局、「女/男らしさ」は、その社会、文化、歴史によってつくられるのである。ボーヴォワールはこう言った。「人は女に生まれない。女になるのだ」

伊藤公雄『NHK人間講座 「男らしさ」という神話』(日本放送出版協会)、伊藤公雄『男性学入門』(作品社)、網野善彦『日本の歴史00「日本」とは何か』(講談社)、網野善彦・宮田登『歴史の中で語られてこなかったこと おんな・子供・老人からの「日本史」』(洋泉社)、網野善彦『女性の社会的地位再考』(御茶の水書房)、網野善彦『古典講読シリーズ 職人歌合』(岩波書店)、安川寿之輔『女性差別はなぜ存続するのか』(明石書店)

第70回 「男らしさ」へのこだわり〜DVを中心に〜
夫妻間、あるいは恋人同士で、暴力が見られることがある。ドメスティック・バイオレンス(DV)という。なぜDVがおこるのか?<男らしさ>という観点から考えた。男性たちが、自分の家庭で、一種の支配権をにぎるべきだという思い込みにとらわれているという問題があるといわれる。いわば、男性たちの<男らしさ>へのこだわり(他者をたえず支配し、優越しようという心理的傾向)が、何かをきっかけにして、妻に向かって暴力という形で表現されたのである。セクハラ、ストーカーも同様である。これら女性に対する暴力をなくすためには…。

伊藤公雄『NHK人間講座 「男らしさ」という神話』(日本放送出版協会)、伊藤公雄『男性学入門』(作品社)、内閣府編『平成15年版 男女共同参画白書』(国立印刷局)、伊藤公雄・樹村みのり・国信潤子『女性学・男性学 ジェンダー論入門』(有斐閣アルマ)、鹿嶋敬『男女共同参画の時代』(岩波新書)、メンズセンター編『「男らしさ」から「自分らしさ」へ』(かもがわブックレット)

第71回 パラサイト・シングルの時代〜日本の家族〜
なぜ少子化が進むのか?合計特殊出生率は下がっているものの、実は結婚した夫妻がもつ子どもの数はこの30年ほとんど変化がない。ということは、結婚しない人が増えているのである。なぜ結婚しない人が増えているのか?この問題を、「パラサイト・シングル」をキーワードに考える。ここ数年は、経済状況の悪化に伴い、自立したくても自立できないパラサイト・シングルが増えているいる。パラサイト・シングルの人たちは、将来、寄生している親が高齢化したとき、共倒れする可能性がある。学校でたら、親元を離れ、自立しろ!

山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』(ちくま新書)、山田昌弘『パラサイト社会のゆくえ』(ちくま新書)

第72回 「専業主夫」の誕生〜男性にとっての家事労働〜
「専業主夫」になる人もいる。その中で主夫体験記を記すものもいる。が、それを読むと、ほんの数ヵ月で「かごの中の憂鬱」が襲ってくることが記される。自分が社会から疎外されているという悩みを抱くようになる。実は、専業主婦である女性たちも、そんな思いはかねてからしている。結婚・出産を契機に専業主婦となった女性たちも、潜在的には働きたいと考えているからだ。やはりもう性別役割分担はダメだ。だからといって、単純に男女を入れ替えただけでもダメである。男性も、女性も、広い意味での社会参加の場がなければ、息が詰まってしまう。

伊藤公雄『NHK人間講座 「男らしさ」という神話』(日本放送出版協会)、伊藤公雄『男性学入門』(作品社)、伊藤公雄『「男女共同参画」が問いかけるもの』(インパクト出版会)

第73回 21世紀の歩き方@〜「男女」共同参画社会へ〜
あと2回。これまでのまとめをしたい。これまでの性別役割分担というのは、女性も、男性も不幸にしてきた。だからこそ、「男女」共同参画社会が必要なのだ。21世紀の日本社会は、少子・高齢社会である。さまざまな問題を抱えている。21世紀の日本は、成人男性だけではもう支えられない。高齢者・外国人・女性の力が必要である。とくに人間の半分いる女性の力は重要である。女性が社会参加すると少子化が進むとよく言われるが、実際は、スウェーデンなどの例をみれば、そんなことはないことに気づく。

伊藤公雄『「できない男」から「できる男」へ』(小学館)、伊藤公雄『男性学入門』(作品社)、伊藤公雄『「男女共同参画」が問いかけるもの』(インパクト出版会)、伊藤公雄『NHK人間講座 「男らしさ」という神話』(日本放送出版協会)、鹿嶋敬『男女共同参画の時代』(岩波新書)、『インパクション131 特集 男女共同参画の死角と誤算』(インパクト出版会)

第74回 21世紀の歩き方A〜「女/男らしさ」を超えて〜
日本は高齢社会となった。女性も男性もどのように生きるのかが大きな課題となっている。中高年の女性たちは結構満足度が高い生活を送っている。それはボランティア活動など、さまざまな社会活動に積極的に参加しているからだ。一方男性は、社会活動への参加率も低く、満足度が低い。男性たちは「仕事の顔」しかもっていないからだ。仕事以外にもっといろいろな「顔」をもつべきであろう。最後に、「仕事の顔」以外の「顔」をもつ若い男性を紹介した。

伊藤公雄『「できない男」から「できる男」へ』(小学館)、伊藤公雄『男性学入門』(作品社)、伊藤公雄『「男女共同参画」が問いかけるもの』(インパクト出版会)、伊藤公雄『NHK人間講座 「男らしさ」という神話』(日本放送出版協会)、山田昌弘『パラサイト社会のゆくえ〜データで読み解く日本の家族〜』(ちくま新書)、『クロワッサン651』(マガジンハウス)

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